北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

北朝鮮火星15型弾道弾が29日未明の日本海落下!米本土へロフテッド軌道高度4475km到達

2017-11-30 20:02:44 | 防衛・安全保障
■世界へ脅威,射程13000km
 北朝鮮が二か月ぶりにミサイル実験を行いました、米本土への核攻撃能力整備を期し開発を継続した新型ミサイルと考えられます。

 北朝鮮が29日早朝に弾道ミサイル実験を強行しました。自衛隊による破壊措置は行われていません。菅官房長官は、29日0400時頃に総理大臣官邸にて臨時記者会見を行い、午前3時18分頃に北朝鮮の西岸より弾道ミサイル発射され1発が日本海のわが国排他的経済水域内へ向け飛翔中である、と発表しました。これは北朝鮮の発表により開発中の大陸間弾道ミサイル火星15型であるとしています。

 イージスアショア、防衛省では陸上自衛隊による運用により、陸上配備型イージスシステム、イージスアショアの導入を進め、ミサイル防衛の強化を目指しています。高高度を飛翔するミサイルが落下する前の中間段階迎撃用のSM-3迎撃ミサイルを運用するもので、現在はイージスアショアが高高度のロフテッド軌道で攻撃された場合は打つ手がありません。

 終末段階迎撃は現在、射程250kmのTHAADミサイルと15kmのペトリオットPAC-3のみですが、防衛省はTHAADの導入は予定していません。ただ、イージスアショアは現在レイセオン社が開発中のスタンダードSM-6の運用が可能で、改良型にSM-6- SBT海上配備型終末迎撃ミサイルとして、THAADと同様の落下着弾直前の最終迎撃能力を目指すもので、イージスアショアは2020年代初頭に完成をめざし、将来的に多様な迎撃任務へ活用する事でしょう。

 火星15型ミサイルは高高度へ飛翔し狭い範囲で長距離発射実験を行う事も可能なロフテッド軌道が用いられ、これまでには無い高度4475kmに達し、950kmの距離を飛翔し日本海へ落下しました。仮に火星15型ミサイルが水平飛行した場合、宇宙空間を13000km飛翔する事が可能で、アメリカ東海岸の首都ワシントンDCやニューヨークを射程に収めます。

 アメリカのトランプ大統領はミサイル飛翔中に報告を受け、必要な措置を執ると発言しました。アメリカ本土への核攻撃能力整備へ進む北朝鮮のミサイル開発、今回の火星15型弾道ミサイルは発射映像などからミサイルが大型化した可能性が指摘されています。北朝鮮が執拗にアメリカ本土への核攻撃能力整備を目指す背景は、朝鮮半島情勢へのアメリカの不関与を要求するもので、具体的には北朝鮮による韓国侵攻に際しても不関与を求めるものです。

 朝鮮半島南北統一、1950年に勃発した朝鮮戦争により南北に分断された朝鮮半島の北朝鮮と韓国の悲願ですが、韓国が平和的な南北統一を求めているのに対し、北朝鮮は現体制を維持した上で、平壌の指導体制下に韓国を統一する展望を示しており、核と膨大な通常戦力による軍事的併合、若しくは核戦力恫喝による武力併合を示し、米韓は反発しています。

 国連安全保障理事会臨時会合が日米韓の要請で緊急招集され、アメリカのニッキーヘイリー国連大使は中国とロシアが慎重な姿勢を見せている北朝鮮原油全面禁輸について、協力を求めると共に、トランプ大統領自身も中国の習近平国家主席へ協力を要請しました。しかし、それ以前に北朝鮮は第三国より何らかの手段でミサイル関連資材密輸の疑いがあり、抜け道を経済制裁により塞ぎ、核放棄への国際協議へ名乗り出るよう努力を強化すべきです。

 TEL,片側9輪型移動式発射装置が今回の発射実験に用いられました。これは北朝鮮が国産したとしていますが、中国より木材運搬用として輸入し改造転用した火星12型用と火星14型用片側8輪型移動式発射装置とは異なる新型で、北朝鮮は今年四月の軍事パレードへ簡易トレーラー型移動発射装置にて大型弾道ミサイルを運搬、これは経済制裁を掻い潜り第三国からの入手と考えられる。

 国連は北朝鮮のミサイル開発へ、1998年のテポドンミサイル発射以降、経済制裁を科しており、核開発や核実験と共に制裁を強化しています。しかし、同様に核開発疑惑を向けられたイランへの最盛期の制裁程厳しいものではなく、イランは経済制裁下核開発を断念しましたが、北朝鮮は不充分な制裁下で核開発を強化し全世界を射程とする核戦力整備による恫喝を目指しています、危機の回避へ世界の一致した協力が必要でしょう。

北大路機関:はるな くらま
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【京都幕間旅情】東寺,夜間特別拝観の光が導く金光明四天王教王護国寺秘密伝法院教王護国寺

2017-11-29 20:01:15 | 写真
■東寺,晩秋紅葉の夜間特別拝観
 紅葉が最も映える晩秋の最中、京都駅からふと歩みを進めますと、五重塔、京都を代表する高層建築物があります。

 京都東寺、教王護国寺とも呼ばれる寺院でその五重塔は京都駅からも間近に遥拝することができます。京都といえば東寺の五重塔、というほどではありませんが、京都の玄関口に見える日本最古の高層建築物はこの古都を象徴する情景の一つといえるかもしれません。

 東寺は毎年この時期に夜間特別拝観を行い、市バスから五重塔を見上げ威容に感心する。電燈に煌々と照らされた壮大な伽藍と、仏舎利を奉じ天に突き出る五重塔と共に荘厳な情景をもって拝観者を迎えています。この程、この東寺夜間特別拝観へ、行って参りました。

 教王護国寺とも呼ばれる東寺は、当方も昔はこの尊称こそが正式名称であると思っていたのですが、正式名称を金光明四天王教王護国寺秘密伝法院、といいます。歴史は古く、桓武天皇治世下796年、本尊に薬師如来を迎え平安遷都間もないころに建立された寺院です。

 桓武天皇の平安遷都とともに平安京鎮護期する官寺である事は教王護国寺の尊称が示す通りですが、弥勒八幡山総持普賢院というもう一つの正式名称を冠し東寺は9世紀に当時の嵯峨天皇により弘法大師空海へ下賜され真言密教根本道場として大いに崇敬を集めました。

 平安朝草創期、その正門たる羅城門の東西に当時の朝廷は東寺と西寺を建立しています。西寺については現在、その跡地に西寺石碑が残るのみですが桓武天皇の勅令をもって造寺長官藤原伊勢人が建立にあたっています。金堂や講堂、五重塔の建設は時間を要しました。

 五重塔は国宝指定となっており、その高さは実に54mと我が国草創期の高層建築物に数えられます。伝説となった旧出雲大社の旧本殿を唯一の例外として、空前の超高層建築物であったといえます。ただ、この建立は空海により着手され、その後幾度も焼失を繰り返す。

 こうした伽藍、日中であれば金堂や五重塔の周りの庭園を別として自由に拝観することができるのですが、夜間特別拝観の際には、この東寺全てが拝観料を必要とします。しかし、陽光に照らされた情景と人工の燈火に照らされた情景とは、また違った趣がありますね。

 徳川家光の京都上京に際し現在の五重塔は再建され、1644年に完成しました。それまでに実に四度の焼失を重ねています。金堂は本堂にあたり薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されています。ご本尊は創建当初のもので、建物は豊臣秀頼再建による。

 金剛界大日如来を中心崇め、その周囲に宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来、阿閦如来を配した五智如来をはじめ、不動明王を中心とした五明王像、四天王像、多くの仏像は講堂にも安置されています。これらは21彫像を奉じており日本密教草創期の貴重な彫像です。

 金剛波羅蜜菩薩とその周囲に金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩、金剛薩埵、この彫像はすべて国宝で五大菩薩坐像となり、この位置に配した構図は弘法大師空海の直伝、その配置の意図として様々な仏教的解釈が溢れています。その一端も広く拝観する事ができる。

 東寺は1486年の土一揆によりその伽藍の多くを焼失しており、1596年の慶長伏見地震でも多くの伽藍が倒壊、京都は戦乱に長く悩まされた政経中枢故の難儀がありましたが、慶長伏見地震や天正地震の記録を垣間見ますと過去幾度も巨大地震が襲った事がわかります。

 東寺の夜間特別拝観、燈火が煌々と壮大な五重塔をも照らす技術が出来たのは、この東寺の長大な歴史からはつい最近のことなのかもしれませんが、幾度も焼失や崩壊と荒廃を経つつも当時の彫像を守り、豊かに伝える、信仰の強さと仏教の世界観を感じる心象ですね。

北大路機関:はるな くらま
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【EOS-M3撮影速報】築城基地航空祭2017/曇天に吼える九州のF-2黒豹(2017-11-26)

2017-11-28 20:11:00 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■F-2戦闘機,築城航空祭2017
 ブラックパンサーズ、F-2第8飛行隊が三沢から築城へ移転し一年、第6飛行隊と共にF-2の妙技を見上げたくなった。

 築城基地航空祭2017、航空自衛隊第8航空団の展開する福岡県の航空祭へ行って参りました。第一報はEOS-M3にて撮影しました写真です。第8航空団はF-2飛行隊2個を基幹とする航空団、第7航空団と並び航空自衛隊の多用途戦闘機からなる稀有な航空団の一つ。

 F-2戦闘機、物凄い迫力でした、岐阜基地航空祭のF-2と本当に同型機かというほど気合が入った飛行展示で、俊敏と勇猛を取り合わせた叩きつけるような飛行展示です。だからEOS-M3では地上展示くらいしか撮影できない、EOS-7D写真はまだCFカード内にある。

 実戦部隊の迫力といいますか、低くそして機敏です。三沢からF-2飛行隊の転地で完全なF-2航空団となった第8航空団ですが、F-15との混成時代よりも迫力がすごくなった印象、模擬対地攻撃等は米空軍のF-16に匹敵し、これならば勝てそうな力強さがありましたね。

 航空祭、築城基地はあいにくの曇天でしたが、本年は雨天に祟られていました中で辛うじて雨天を回避できただけでも僥倖というべきでしょうか、金曜日時点での予報は降水確率60%という厳しい予報でしたが土曜日にはこれが20%となり、当日は曇天予報に、幸い。

 北九州市一泊、小倉で小倉城見上げつつ紅葉肴に一杯、と行きたかったところですが三万円台以下のホテルに空きがありません、仕方ないので福岡市内へ、四万円台以下のホテルに空きがありません、中津市も大分市も似たような状況、久留米市で漸くホテルに空きが。

 山口市内で一泊し新山口駅から新幹線で当日、と考えたものの、それならば広島市内一泊と余り到着時間が変わらず、築城基地近傍でも最寄駅バス五十分、自家用車三十分という民宿に空きはあったのですが、Web予約では埒が明かず土地勘無く普通の旅館は判らない。

 阪九フェリー、当方が選択したのは大阪の泉大津から新門司へ運行されているカーフェリーでした。Web予約で個室が非常に安く、正直新幹線片道と個室往復の費用が余り変わりません、カーフェリー、四国や宮島と経験は多くとも長距離フェリーは実は当方はじめて。

 ひびき、阪九フェリー誇るカーフェリーでロビーから乗船すると共にコンパートメントが多様に設定されBSデジタル放送受信可能、レストランに展望大浴場と幅広く、ステーキの夕餉に大浴場で心行くまで温まり、湯冷ましに寒天に瀬戸大橋を見上げつつワインを頂く。

 船旅は快適そのもので、広いラウンジにて白ワイン片手に山積した仕事は一旦休み山積した小説の文庫本を流れゆく瀬戸内の夜景と共に読み解く、零時前にはコンパートメントへ戻り、BSデジタル放送を楽しみつつタブレットPCにて次のWeblog特集原稿を淡々と。

 ソニック、JR九州が誇る白い超特急で築城へ向かうべく、新門司港をシャトルバスで門司へ、若干混雑故バスの門司着は遅れつつバス停を四分でホームへ、小倉駅でソニック乗り換え、飛行展示開始の一時間前に築城駅へ到達しました。そして混雑活況の築城基地へ。

 脚立、多かったですね特に最前列の脚立は何を撮りたいのか分からない、邪魔されました、会心の瞬間ほぼ全て。岐阜基地航空祭の翌週ですので九州の脚立が非常に目立ちまして、しかもテント点々とエプロン地区に散見でき、そういう意味で九州は遅れているなあ、と。

 ブルーインパルスが航空祭のフィナーレを飾る理想の飛行展示プログラムで、大混雑の会場でブルーインパルス離陸を保存展示機F-86の隣で撮影、その後にゆっくりと築城駅へ向かい、大分の中津城、特急ソニックにて、北九州小倉城を散策した後に帰路へ着きました。

北大路機関:はるな くらま
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陸上防衛作戦部隊論(第六五回):装甲機動旅団再検討日本版機甲支隊、米軍機甲支隊の成功

2017-11-27 20:14:25 | 防衛・安全保障
■実戦参加米軍機甲支隊を参考
 幹部自衛官のアメリカ留学やドイツ留学等を経て、自衛隊幹部の指揮官としての優秀性は世界でも一定水準の評価があります、だからこそ、その能力を最大限活かせる部隊が必要でしょう。

 装甲機動旅団隷下の連隊戦闘団、その下で中隊長と中隊本部機能を流用し複数の小隊を集成し独立した戦闘能力を付与させる、という方式は、師団普通科連隊へ戦車中隊を配属した甲師団乙師団の連隊戦闘団編成においても必要に応じ採用された方式です、戦車中隊隷下の小隊を普通科中隊へ派出するだけの戦車定数が認められていた時代の方策でした。

 しかし、アメリカ陸軍においても即応支隊IRTF、としまして増強中隊規模の部隊を軍団規模で常時待機させています、これは1993年のソマリア安定化作戦に際し、特殊部隊と山岳師団主体の安定化部隊が大規模な市街戦に巻き込まれ、在欧米軍より緊急編成し派遣したM-1A1戦車等を装備する増援の機甲支隊が小規模ながら大きな能力を発揮出来たためです。

 アメリカ軍の機甲支隊は2003年のイラク戦争に際しても、攻撃の主力を担うクウェートからのイラク南方戦線に加え、イラク北部戦線へC-17戦域間輸送機により投入され、戦略的成果を上げました。当時、トルコ政府がクルド問題との関係からイラク北部へのトルコ国境米軍通過を拒否し、アメリカ軍は空挺部隊を投入、機甲支隊は支援へ投入されました。

 イラク戦争北部戦線へは第173空挺旅団の2200名が効果展開しましたが、空挺旅団には装甲車両が無く、在欧米軍第1歩兵師団よりM-1A1戦車5両やM-2A2装甲戦闘車5両を装備する1/63機甲支隊を派遣、イラク政府は当初想定外であった北部への米軍戦車部隊出現により防衛計画が大きく混乱、規模は少なくともその戦略的意義の大きさが分りましょう。

 その上で、航空機動旅団編成案において、戦闘基本単位に中隊戦闘群、としまして、普通科中隊へ機動力と分散集合能力の大きな軽装甲機動車小隊を付与し、協同する運用方式を提示、この方策を装甲機動旅団の運用へも応用できないかとの視点から、図上での検証と運用研究を重ね、装甲中隊戦闘群、という独立戦闘部隊試案を提示する事となりました。

 装甲中隊戦闘群、この編成は固定編成ではありません。この為、必要であれば連隊隷下に機械化大隊を置き攻撃前進等打撃力を集中する際の骨幹戦力を構成し、その他の軽装甲車両や対戦車火力は統合し情報優位の基幹部隊としての捜索大隊という、異なる二つの大隊を置く、もしくは他の選択肢として、装甲中隊戦闘群を4個置く、という選択肢がある。

 4個の戦闘基幹部隊、戦術単位を配置する場合、連隊長の手元には特科大隊と対戦車部隊等、必要ならば投入できる、所謂“最後の手札”、というものが残ります。旅団は師団から全般支援火力の増援を受ける事が可能です。勿論、連隊戦闘団の連隊長の結審により編成される戦闘序列ですので、編成は状況に応じ柔軟に転換できます。この点意義は非常に大きい。

 戦闘単位は自由自在です。装甲機動旅団としては、3個機械化大隊3個捜索大隊を置く事も、12個装甲中隊戦闘群を置き沿岸部を広範囲に警戒する、2個機械化大隊2個捜索大隊に4個装甲中隊戦闘群、1個機械化大隊1個捜索大隊に8個装甲中隊戦闘群、旅団の運用の自由度も広げる事が可能です。平時1個装甲中隊戦闘群を即応待機に置くことも可能でしょう。

 本案の背景には自衛隊中隊長の高い位置づけがあります、元々高い管理能力と独自火力を持つ中隊の指揮官へは最低でも幹部上級課程AOC,指揮幕僚課程CGSを修了した幹部や幹部特修課程FOCを経て補職する、諸外国でいう初級幹部の補職先という中隊長よりも一段高い教育を受ける、複合火力と装備を持つ混成部隊でも指揮可能との視点に基づきました。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】横須賀地方隊伊勢湾展示訓練2010【6】航空部隊訓練展示(2010-08-21)

2017-11-26 20:08:47 | 海上自衛隊 催事
■伊勢湾展示訓練航空訓練
 伊勢湾上を往くヘリコプター搭載護衛艦しらね、ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、今日では貴重な情景です。

 伊勢湾展示訓練2010、横須賀地方総監高嶋博視海将の隷下に自衛艦隊より第1護衛隊群司令糟井裕之海将補が就き護衛艦4隻、潜水艦1隻、掃海母艦1隻、掃海艦1隻、掃海艇2隻、輸送艇1隻、試験艦1隻、多用途支援艦1隻の艦艇13隻が展示訓練へ参加しています。

 横須賀地方天の伊勢湾展示訓練という事で、横須賀地方隊と海上自衛隊の海上警備隊時代からの歴史と共にその展示訓練の様子を紹介していますが、前回、日本へ海上防衛力を再整備する一大事業へアーレイバーク海軍大将が大きく尽力していた歴史を紹介しました。

 あのアーレイバーク級ミサイル駆逐艦の艦名となった指揮官で大戦中はガダルカナルにて日本海軍と死闘を繰り広げた提督ですが、その努力もあり実現したものです。アーレイバーク海軍大将は激戦を経ても日本になぜか好意的で逸話もいろいろあります提督です。

 アーレイバーク海軍大将は、護衛空母を供与し、再度阿賀野型巡洋艦や松型駆逐艦の改良型を日本国内で建造し、護衛空母部隊を船団護衛任務に当てよう、という調整も為されたほど好意的だったのですが、ワシントンDCの反対からこちらは流石に実現していません。

 さて、魚雷艇が供与されなかった背景は不明ですが、その後アメリカから供与された大戦艦の駆逐艦からもなぜか魚雷発射管は撤去されて引き渡されていました。この当時は艦艇攻撃への艦対艦ミサイルは技術途上、対艦攻撃といえば艦砲と魚雷でした、是非揃えたい。

 海上警備隊にこの魚雷艇の不供与、意図は不明確ですが水雷攻撃を得意としていた日本海軍の末裔となる海上警備隊へ、魚雷を供与すると、ソロモンやミンドロ沖海戦の悪夢など第二次大戦中のトラウマを再発させる指揮官等がアメリカにいたのかもしれません、ね。

 アメリカからの最初の供与艦は、1953年1月14日、くす、なら、かし、もみ、護衛駆逐艦で第1船隊を編成、第2船隊で、すぎ、まつ、護衛駆逐艦6隻を供与されまして、第11船隊として中型揚陸艦へ武装を施したLSSL、ゆり、きく、はぎ、らん、を受領します。

 くす、なら、かし、もみ、護衛駆逐艦出そろうと松型駆逐艦の雑木林をおもい出す陣容ですね。このように海上警備隊はここから始まりますが、これは手始めで1953年12月23日までに11回と分けて実施され、68隻の艦艇、排水量にして31350tが供与されました。

 供与艦は揃いました。ともあれ、自衛艦隊よりも海上自衛隊よりも、横須賀地方隊の歴史は長いわけです。そして、旧海軍からの再就職の方々へも、そもそもアメリカ海軍護衛駆逐艦と最新の戦術など知るわけもありませんから、まずは要員教育から始めたわけです。

 故に自衛艦隊に当たる部隊を創設するよりも横須賀地方隊の横須賀教育隊にて要員を養成するところから始めたわけです。太平洋側全ての任務を担った横須賀地方隊ですが、航路啓開隊任務がようやく1953年にはいり主要航路から機雷掃海が完了した、と考えられます。

 航路啓開隊、任務終了により解体、1953年9月16日、佐世保地方隊と大湊地方隊が創設されたわけです。この頃の舞鶴地方隊などは海上保安庁とともにソ連工作員の上陸事案が相次ぎ、何しろ日本海の対岸に北朝鮮があり朝鮮戦争、日本近海は大戦時に並ぶ緊張です。

 国連軍海軍艦艇がどんどん遊弋するなか、日本でのソ連工作員が破壊活動を行い、支援へソ連が工作員を入国させる、これを阻止しなければ、謎の武装集団が街を占拠するという、ついこの前のクリミア半島での出来事が戦後間もない日本で起こりかねませんでした。

 横須賀地方総監部が舞鶴地方総監部とともに海上警備隊のもとで発足しましたが、幕僚機構や基地施設管理などを実績を積み、その上でこの幕僚機構を元に細分化し新編させ、佐世保地方総監部と大湊地方総監部、続く呉地方総監部の発足へと繋がったわけですね。

 横須賀地方隊による伊勢湾展示訓練、海上自衛隊の発足以前から保安庁海上警備隊、そのもとで横須賀地方隊が舞鶴地方隊とともに発足しまして、海上自衛隊の歴史よりも横須賀地方隊の歴史のほうが長いという意外話を紹介しましたが、横須賀はもう一つの拠点です。

 海上警備隊の艦艇にあってアメリカ海軍からの供与艦が水上戦闘艦の歴史の始まりでもありました、そして日本海側の警備を行う舞鶴地方隊と太平洋側の警備を行う横須賀地方隊という任務区分の中、日本海軍艦艇の生き残りとアメリカからの供与艦艇の混在状態です。

 日本海軍艦艇とアメリカ海軍艦艇、新旧大小混在する艦艇を前に、アメリカからの供与艦艇は全て管理上、横須賀地方隊に所属するという方式がとられています。言い方によっては、舞鶴地方隊は純粋な日本海軍の生き残りから始まった、といえるのかもしれませんね。

 アメリカ海軍供与艦艇は警備船、と区分されまして、まず1953年4月1日に第1船隊と第2船隊とで第1船隊群が編成、これがのちの第1護衛隊群となります、こうしてみますと第1護衛隊群の歴史もなるほど防衛庁や海上自衛隊の時代よりも長いという事になるのです。

 名称は船隊群、ただ、第1船隊はダイイチセンタイと呼称しますので第1戦隊とも聞き取れるもの、これものちに第1護衛隊と名称を変えてゆきます。船隊は供与艦艇とともに続々と編成されまして、1953年2月16日には第12船隊、4月10日に第17船隊、と続く。

 新編は4月30日に第15船隊、その後に少しだけ間が空きまして10月1日に第17船隊、12月1日に第4船隊と第13船隊に第18船隊、12月23日に第3船隊と第14船隊と第19船隊と同時に3隊が創設されてゆきました。名称は漁船団のようでも列記とした艦隊です。

 第1船隊群の創設は、一定の艦隊行動が可能程度の練度を整備できたという事を意味しますが、続いて8月16日に第2船隊群が第11船隊と第12船隊を基幹として新編、これが現在の佐世保第2護衛隊群のはじまりです、こちらも防衛庁や海上自衛隊発足前にあたる。

 自衛隊の歴史よりも長い歴史を持つ自衛隊の部隊がある、似たような事例は陸上自衛隊でも北部方面隊が保安庁時代に発足しており、北部方面隊の歴史の方が陸上自衛隊の歴史よりも長い、という事例があります。それだけ部隊を編成し抑止力を置く必要がありました。

 そして海上自衛隊の歴史で非常におもしろいのはこのさなか、1953年9月16日に横須賀地方隊のもとに呉地方隊が創設された点でしょう、地方隊の下に地方隊がおかれています、ただ、総監部は横須賀に統合され、呉地方隊創設時では呉地方総監部は置かれていません。

 横須賀地方隊と横須賀地方総監部、そのもとに、横須賀基地警防隊、呉地方隊、大阪基地隊、館山航空隊、という編成がとられていたのです。自衛隊発足前の時代の模索期故の編成でして、総監部の隷下に地方隊を幾つか置くのではなく、地方隊の下に地方隊を置いた。

 そして供与艦艇については全て管理上横須賀地方隊に所属していたと前述しましたが、続々と編成された船隊、そして第1護衛隊群の前身に当たる第1船隊群と第2護衛隊群の前身に当たる第2船隊群、ともにこの時点では暫定で横須賀地方隊に所属していました。

北大路機関:はるな くらま
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【くらま】日本DDH物語 《第三一回》はるな型護衛艦と大型ヘリコプター艦載への新技術

2017-11-25 20:12:21 | 先端軍事テクノロジー
■観艦式くらまMCH-101着艦
 はるな型に始るヘリコプター搭載護衛艦の歴史は大型ヘリコプターの着艦技術により初めて実現しました。

 ヘリコプター搭載護衛艦くらま、2015年の自衛隊観艦式では安倍内閣総理大臣搭乗のMCH-101掃海輸送ヘリコプター着艦を果たしました、MCH-101掃海輸送ヘリコプターは35名乗りのEH-101輸送ヘリコプターで現在はAW-101として提示される三発式大型ヘリコプターです、運用可能であることは知っていましたが目の前で見ますとある種感動です。

 MCH-101掃海輸送ヘリコプターの原型であるEH-101輸送ヘリコプターは対潜型がイギリス海軍向けに開発されていまして、これはシーキング対潜ヘリコプターの運用能力を持つ水上戦闘艦であれば発着を含め運用が可能となるよう、機体形状や運用重量などに配慮がありまして、シーキングと云えば海上自衛隊のHSS-2対潜ヘリコプターを示す機種です。

 くらま艦上ではHSS-2Bが運用されていましたので、MCH-101を運用できるのはある種当然ではあったのですが、それならば、くらま艦上から一機分の区画に掃海器材を搭載し掃海母艦としての運用も可能となりますし、緊急人道支援任務に際してイギリス海軍のコマンドー母艦と同等の両用作戦母艦としても運用できるのだなあと多用途性を認識しました。

 HSS-2を護衛艦で運用する、ヘリコプター搭載護衛艦はるな型、ヘリコプター搭載護衛艦しらね型、護衛艦はつゆき型、護衛艦あさぎり型、と当然のように運用実績を重ねてきました今日の視点としては当然できるものなのだろう、と思われるかもしれませんが、運用開始前においては、果たして護衛艦の規模で発着と運用が可能なのか、確証がありません。

 カナダ海軍が開発したベアトラップ発着支援装置、という新装備により海上自衛隊が構想する4000t級の水上戦闘艦においてもHSS-2を運用できる見通しは立ち始めていたようですが、海上自衛隊はアメリカ海軍より供与された大戦中のLST-1型戦車揚陸艦おおすみ型の三番艦しれとこ艦上にベアトラップを設置し、ヘリコプター運用実験を開始しています。

 カナダ海軍のベアトラップ着艦高速装置は、コロンブスの卵的な発想の逆転により開発されたもので、ベアトラップ、つまり猛獣などを捕獲する罠、トラバサミ型の拘束装置を駆逐艦の飛行甲板に設置し、着艦するヘリコプターからトラバサミに挟まれる専用の拘束器具を鋼索で展開、揺れる艦上に敢えて罠にかかる形で拘束され、安全に着艦するという。

 駆逐艦規模の水上戦闘艦へヘリコプターを搭載する事は、特に対潜哨戒任務の能力を大きく向上させる事で理想的な選択肢でしたが、駆逐艦規模の船体に設置できる飛行甲板の面積は限られており、更に太平洋の波浪は時化の悪天候でなくとも外洋では大きく動揺する為、着艦した瞬間に船体が動揺すればそのまま飛行甲板を海へ滑り落ちる危険があります。

 LST-1型戦車揚陸艦おおすみ型でのベアトラップ運用試験が実施され、良好な成績を得ました。実はLST-1型戦車揚陸艦でのヘリコプター運用は朝鮮戦争の時代にすでにアメリカ軍が実施しています。洋上に停止したLST-1型戦車揚陸艦の露天甲板に救難ヘリコプターを配置し、運用するというものです。しかし、これでは航行中に発着艦する事は無理です。

 カナダ製、実はアメリカ海軍は諸般の理由から駆逐艦からのヘリコプター運用に積極的ではなく、QH-50-DASH無人ヘリコプター等の運用に特化し、駆逐艦より大型の原子力フリゲイト、当時は駆逐艦より大型の水上戦闘艦の中で艦砲重視を巡洋艦とミサイル重視の物をフリゲイトとしていた、この中で駆逐艦にはそれ程航空運用を重視していませんでした。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十九年度十一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.11.25/11.26)

2017-11-24 20:05:07 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 紅葉最盛期を迎えた今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の自衛隊関連行事紹介です。

 築城基地航空祭2017、航空自衛隊第8航空団の展開する福岡県の基地です。群青の迷彩が空に映えるF-2戦闘機二個飛行隊が展開する戦力投射の中枢で、併せて自衛隊戦闘機部隊の基地として最も朝鮮半島に近い基地でもあります。周防灘に面した築城基地は日豊本線築城駅からほど近く、航空祭当日にはJR九州による多数の臨時列車が運行されます。

 F-2戦闘機はASM-2空対艦ミサイル4発を搭載し対艦攻撃にあたる旧称支援戦闘機で、北方脅威に備えるべく三沢基地へ2個飛行隊と南西情勢へ対応するべく築城基地へ1個飛行隊が展開していましたが、三沢基地へF-35飛行隊準備隊新編に伴い一個飛行隊が築城へと移転されました。昨年度築城航空祭は悪天候に悩まされました、本年は晴天を期待したい。

 春日基地開庁58周年記念行事、西部航空方面隊司令部が置かれる九州防空の要衝です。福岡空港板付地区と防空指令所地区があり、西部航空方面司令部支援飛行隊や春日ヘリコプター空輸隊が置かれ、司令部地区に西部航空警戒管制団司令部や第2高射群本部が展開しています。司令部行事であり大規模な航空祭ではありませんが飛行展示なども実施される。

 国分駐屯地創設62周年記念行事、第8師団隷下の第12普通科連隊と西部方面混成団隷下の第113教育大隊が駐屯しています、第12普通科連隊は対戦車中隊や軽装甲機動車化中隊等を有しており、鹿児島県全域を防衛警備管区とし、この任務には鹿児島県島嶼部防衛も含まれるため、キャンプハンセンでの米海兵隊研修を継続的に実施する精鋭部隊の一つ。

 都城駐屯地創設66周年記念行事、第8師団隷下の第43普通科連隊と第9施設群隷下の第376施設中隊が駐屯しています。第8師団は年度末に大規模改編を予定しており、戦車大隊と特科連隊の方面隊移管や第24普通科連隊の方面混成団移管が行われます。第8戦車大隊マークの10式戦車との普通科戦車協同等は、今週末の行事が一般公開見納めかもしれない。

 串本分屯基地開庁60周年記念行事、航空自衛隊第5警戒隊のレーダーサイトです。中部航空警戒管制団の隷下部隊で、串本といえば台風中継の定番、映画ガメラⅢでガメラと奈良の飛行物体を追尾したレーダーサイトですが、昨今の中国空軍爆撃機による西日本方面への接近事案発生に際し、京阪神地区防空へ突如その重要性が高まった新しい防空最前線だ。

 さて撮影の話題、撮影機材を携行するにはカメラバック、ヨドバシカメラに展開したならばそれはもう多種多様なカメラバックが並び、様々な設計で多種多様な需要に対応しようとする企業努力がかいまみえるところです。しかし、重い機材を収容したならば何れにせよ重い。こうしたなかで、車輪付カメラバックという選択肢で重い機材搬送という難題に挑む方もいます。

 車輪付カメラバック、航空祭などでは500mmF4超望遠レンズと、これらを安定させる機材などを一通り揃えたならば、なかなか人力で搬送することは山岳部隊や空挺部隊についてゆくような体力が求められるところです。そこで車輪つきのカメラバックで人力牽引する、という選択肢はなるほど単純ながらある意味意表を突くものといえるかもしれません。

 しかし、車輪付の世界は奥深いもので、行き着くところになりますとキックボード付のスーツケースという、撮影機材全部収容できるのはもちろん、自分も舗装道路ならばある程度乗せてくれるバック、というものが世の中にはあります。現物見たときは驚きましたが、幸いというべきか、キックボード付のものは自衛隊行事でお目にかかった事はありません。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・11月26日:串本分屯基地開庁60周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/kushimoto/
・11月25日:春日基地開庁58周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/kasuga/
・11月26日:築城基地航空祭2017…http://www.mod.go.jp/asdf/tsuiki/
・11月25日:都城駐屯地創設66周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/8d/8d-hensei/43i/43i.htm
・11月26日:国分駐屯地創設62周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/8d/8d-hensei/12i/12i.htm

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【EOS-7D撮影速報】岐阜基地航空祭2017/各務原飛行場100周年航空祭(2017-11-19)

2017-11-23 20:13:48 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■岐阜航空祭2017,晴れのち雨
 EOS-7DmarkⅡにて撮影しました岐阜基地航空祭本番の様子を紹介しましょう。

 岐阜基地航空祭2017、日曜日に航空自衛隊岐阜基地にて開催されました。土曜日の特別公開日があいにくの雨天で、飛行展示は大幅縮小、天候偵察と室谷氏による飛行展示のみ、最も注目を集めた実験機X-2一般公開も1130時までと限られ消化不良の印象は否めません。

 日曜日、朝だ夜明けだ、と朝焼けに目を覚ますほどの天候回復、予報では60%の降水確率でしたので、この朝焼けは僥倖といいますか、幸先が良いとの直感の下、満員の名鉄電車に乗り込みます。各務原線は複線、もう少し運行本数が多ければ、と思いつつ三柿野駅へ。

 日本有数の来場者を誇る岐阜基地航空祭ですので、さすがに来場者は開門前の時間と意気込んで展開を試みるものの満員電車に押され積み残しの一員となった当方一行は流石に出遅れ、三柿野駅を川重岐阜工場経由で基地に向かい、少々手荷物検査を経てメイン会場に。

 最前列から撮影を、と当初の曇天のち雨天の予報では逆光の北側メイン会場も関係あるまいと考えていましたが、基地に入りますとまさかの晴天、そしてまさかまさかの満員御礼、といいますかいつも通りに最前列付近5mは航空愛好家がレジャーシート含め満員でした。

 X-2実験機は土曜日の特別公開日に撮影を完了していましたが、敢えてもう一度、と試み防衛装備庁格納庫前に進出しますも、既に一時間待看板を持った装備庁職員の方が笑顔で待っておられまして、ああ、いいです、と。最前列は無理でしたが地上展示機撮影完了です。

 南側会場、シャトルバスを利用して折角の晴天なのだからと曇天の気配が追いかけてくる最中を転進しました。南側会場でも相応に人口密度は高まっていましたが、それでも北側メイン会場ほどではない、幸先良く最前列まで若干余裕のある二列目を確保し準備完了だ。

 飛行開発実験団機動飛行、輸送航空団飛行展示、東京からの友人共々撮影位置を確保できましたので、この午前中の航空祭プログラムを撮影しました。何といいますか、今年度の岐阜基地航空祭はもともと航空祭の規模として抑え気味の印象でした、展示回数が少ない。

 岐阜基地航空祭、地上展示航空機は確かにX-2実験機が注目を集めましたが、C-1FTB実験機もC-2輸送機も並んでいません、戦闘機はF-4にF-15とF-2が並んでいますが、外来機はブルーインパルス、そして明野駐屯地からの陸上自衛隊ヘリコプター2機のみ、という。

 悪天候は午前中の飛行開発実験団飛行展示を何とか乗り切りまして特別塗装機の優美な雄姿を撮影することができましたが、ブルーインパルス飛行展示のウォークイン時から曇天が広がり、飛行展示は曲技ではなく水平飛行中心の視程不明瞭を受けた展示となりました。

 実任務増大はそれほど影響しているのだろうか、今年度の岐阜基地航空祭は外来機の規模から航空自衛隊全体での想定した規模を超えた実任務への対応への苦心が垣間見えました。航空祭は重要な広報行事、平時の実戦と位置付けられると意気込みを聞きます、その上で。

 異機種大編隊は3機のみの参加、これは悪天候のため練習機等が視程不良下では集合できないとの天候偵察の結果でしょう、しかし予行を丹念に撮影された方のお話では本年度の異機種大編隊飛行は元々が8機参加との事でした、従来は10機以上が普通、8機は少ない。

 曇天は雨天へと変わり、残念ながら異機種大編隊は大幅縮小となってしまいました。悪天候に見舞われ、消化不良気味ではありましたが、外来機の少なさ、もともとの飛行展示の小さな規模から、我が国防空を蝕む任務増大と航空機不足を垣間見た印象の航空祭でした。

北大路機関:はるな くらま
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【京都発幕間旅情】赤坂明星輪寺,修験道役小角啓き大垣藩主戸田氏信愛した俯瞰風景一四四米

2017-11-22 20:07:29 | 旅行記
■赤坂明星輪寺,金生山頂の寺院
 美濃赤坂散策、岐阜県大垣市金生山山頂に位置する寺院で、山門は標高144m、舗装されつつ峻険な角度の道路を進んだ先にあります。

 赤坂明星輪寺、岐阜県大垣市赤坂の金生山山頂に位置する寺院です。金生山、貨物輸送で知られる西濃鉄道、その周辺は石材業により古くから栄えた地であり、鉄道開通以前の水運港施設等が今日も維持されています、そして其処から見上げますと山頂に輝いている。

 金生山、その山頂には寺院があるとの事ですが、舗装道路が整備されていまして気軽に登れそうであるのと、流石に伊吹山や関ヶ原地峡がありますので琵琶湖は望めないでしょうが、50km以上離れた名古屋の市街地を一望できるであろう、と絶景を求め歩み始めました。

 伊吹山地南東端に位置する金生山は山全体が石灰岩で良好な石材を算出し、大理石の産出量は日本有数です。石灰石や大理石の採掘場は愛宕鉱山に河合石灰鉱山と清水鉱山や昼飯鉱山と並び、山容を変える程少々といいますかかなり心が痛む程に山が削り取られている。

 持統天皇の勅命により虚空蔵菩薩を祀る寺院として686年に開山しました。呪術師役小角が明星輪寺開山を執り行ったとされ、修験道開祖とされる役小角が選んだ地、ということでこの峻険な山頂に寺社仏閣が広がっている背景を見た思いです。俯瞰風景は素晴らしい。

 天河大弁財天社、奈良県は吉野に標高1800mの奥宮を奉じる社、龍泉寺は奈良県近鉄吉野線から自動車二時間を要する難所に位置する伽藍の広がりですが、赤坂明星輪寺を開山しました役小角が同じく造営した寺社仏閣です。七堂伽藍と一山五坊を有する壮大なもの。

 本尊虚空蔵菩薩を安置しただ、濃尾平野一望と背景に伊吹山を望み北東に日本アルプス連山が続くこの寺院は眺望がいいという点は逆に山頂にあり、参詣には登山を経なければなりません、故に一時荒廃してしまいます。実際、道路が整備されていても散策には厳しい。

 実際、舗装されている道路ならば簡単に上れるだろう、と元々山登りをするつもりなどなく登り始めたのですが、大徳寺を参拝して船岡山に登るような、もしくは伏見稲荷大社を参拝して稲荷山に上るような、簡単な気持ちで登りはじめますと少々勝手が違いました。

 弘法大師空海が801年に再興する事となり、その後に真言宗寺院へと改まり、桓武天皇により保護を受ける事となりました。金生山山頂に位置する寺院ですが、金生山そのものがこの寺社仏閣を構成しています、寺社仏閣としたのは神仏分離令により神社と別れたため。

 突然の落雷により1148年、焼失していまします、木造地蔵菩薩半跏像は難を逃れますが山頂にある仏閣故に仕方ない一方で平安末期の混乱の中、再建は実現するものの規模は限られたものでした。再興は江戸時代1609年、美濃国高須藩藩主徳永寿昌により為されました。

 徳永寿昌、柴田勝家の子の柴田勝豊に仕え、賤ヶ岳の戦いでは羽柴軍として参戦、勲功から豊臣秀次付の家老として美濃国松ノ木城主となる。豊臣秀次謀反処分では捕縛方として行動、関ヶ原の戦いでは東軍に参加、高須城攻略や駒野城開城等活躍し名を残しています。

 美濃大垣藩第2代藩主戸田氏信は大垣藩祈祷所として明星輪寺を奉じ、その保護に注力します。戸田氏信は生まれが関ヶ原の戦い前年とあり、勲功を挙げる事が出来ませんでしたが、二条城石垣普請や豊川大恩寺の山門造営等の難工事を重ね、平和時に相応しい武将だ。

 戸田氏信の父戸田氏鉄は膳所を所領とした武将で関ヶ原の戦いに臨み、大坂の陣では豊臣軍の京都北上を警戒し膳所城を維持、その勲功をもって近江膳所藩主から摂津尼崎5万石を経て、美濃大垣10万石へ移封され。親子共々大垣市内の水路整備などに注力しました。その街並みも、急な上り坂の車道と共に赤坂明星輪寺の俯瞰風景に広がります。

北大路機関:はるな くらま
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航空防衛作戦部隊論(第五二回):航空防衛再論,三方向からの脅威へ対応する防空体制構築

2017-11-21 20:03:19 | 防衛・安全保障
■冷戦時代要撃機三五〇機
 現在の280機での防空体制について永くその能力を最大限発揮する方法論を検証してまいりましたが、脅威が一過性ではなく長期化するならば、流石に充分万全とは言い難い。

 冷戦時代並の350機必要ではないか、特に現在の戦闘機を支援する、廉価であっても支援戦闘機、というものの必要性を痛感するようになっています。ここで航空防衛に関する本特集では、原則として戦闘機は現在の280機で対応できる、一個航空団を大型化させ現在の9個ある航空団数を減らし、その分を航空団隷下に3個航空隊を置く案を示しました。

 即時に複数の航空隊を機動運用させる体制を構築し、脅威が増大した場合には戦闘機を第一線に集中できる体制を構築すればよい。そして戦闘機数よりも戦闘機基地のほうが重要であり、航空攻撃から戦闘機を防護し滑走路を修復し整備補給設備を頑強なものとするほうが重要だ。飛行場機能の強化と兵站体制の強化で戦闘機数以上に防空体制を強化出来る。

 その上で一時的にミサイル攻撃により基地機能が喪失した場合でも、迅速に復旧できる航空施設部隊を強化するとともに、全国の地方空港を有事の際に臨時分屯基地として運用できるよう、補助する臨時飛行場を整備し、戦闘機を戦略拠点となる基地が復旧完了するまでの間に防空作戦を継続すべく、飛行中隊単位で分散運用させる体制を構築した方がよい。

 緊急発進回数が1100回を突破するまでには、こうした認識がありました。しかし、現状の通り、周辺国の空軍力は増大し続けています。特に顕著であるのは、日本本土を戦闘行動半径に収めている戦闘機数の増大です。戦闘機数では冷戦時代の方が特に中国空軍などは巨大でした、が、その戦闘機のすべては中国本土を基地とした場合で脅威度は低かった。

 冷戦時代全般にわたって中国空軍の戦闘機は東シナ海を越えることができず、ごく一部が沖縄県と九州の一部を戦闘行動半径に収めているにすぎませんでした。しかし、現在、中国が調達している戦闘機はすべてが本州を戦闘行動半径に収めています。加えて、中国空軍の新世代戦闘機の量産は当面続き、将来に渡り脅威度合が低下する見通しはありません。

 航空母艦は新しい脅威です。中国は2025年を目処に国産空母を含め空母6隻体制を構築すべくその建造と整備を進めています。中国空母は艦載機の性能限界から、60000t程度の排水量を持つものでも戦闘機を20機程度搭載することが限界であるのでアメリカ海軍のニミッツ級原子力空母や最新鋭新型ジェラルドフォード級原子力空母と比較すれば能力は低い。

 中国海軍には、艦載機用カタパルトを開発する技術がないため艦載機を完全兵装で発艦させることは不可能で、ジャンプ台を利用した発艦を行うため、一時間当たりの発着数も非常に低い。しかし、海上自衛隊にはニミッツ級はなく、自衛隊が総隊以来想定してこなかった大陸以外の太平洋上から艦載機を飛行させる事の脅威度は今までとは比較にならない。

 ロシア空軍、忘れてはならないのがこの脅威度です。ロシア空軍はソ連崩壊とともに断続的に縮小し続けていましたが、2010年代から増強に転じ、具体的にはソ連崩壊の混乱から立ち直るのに20年を要し、原油価格高騰時代を経てようやく空軍再構築の端緒についた訳ですが、続いて2007年の欧州ミサイル防衛システム東欧配備以降欧米との対立が再燃した。

 ロシアの極東配置の空軍力は数の上では限られた空軍力ですが、超音速爆撃機や4.5世代戦闘機等も順次増大中であり、その脅威はアメリカの同盟国である日本、そもそも第二次世界大戦の平和条約と日ロ間ではまだ結んでいないのですが、この日本へも関係悪化が波及し、ロシアからの国籍不明機による北海道や首都東京方面への飛来が増大しているのです。中国本土と中国空母にロシア本土、三方向からの脅威へ防空体制を構築せねばなりません。

北大路機関:はるな くらま
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