◆コンパクト化された師団戦車と特科
戦車と共に特科火砲も300門へ縮小されましたが、この特科火砲についても考えてみます。
特科火砲300門、ですが、全国の特科連隊は順次3個大隊30門への転換が進行中です。これは全国の師団が四個普通科連隊編成を採っていた師団もうち一個を即応予備自衛官部隊としていたため、即応予備自衛官基幹普通科連隊を方面混成団へ移管することで特科連隊も直援大隊は3個で対応できるようになったためです。そこに加えて師団長直轄の全般支援大隊としての第5大隊を廃止したため、30門で特科連隊を編成していることが可能となた訳で、300両の火砲定数は10個特科連隊所要となることがわかるでしょうか。
このほか、特科火砲縮小の方針も最初に特科火砲縮小が明示された1995年防衛大綱の検討時期から旧式化した107mm重迫撃砲に換え、射程が三倍近くに伸びた120mm重迫撃砲RTが普通科連隊重迫撃砲中隊へ配備開始となりました。これは迫撃砲としてはかなり有力は装備で、開発国フランスでは軽砲の後継とし、一種普通科連隊連隊戦闘団へ配備されていた直掩火力の105mm砲を補うに十分な迫撃砲として多数を装備するに至りました。フランス軍には200門程度が装備されていますが陸上自衛隊は430門を装備しており、火砲の縮小はより強力な迫撃砲により補完されていた、ということです。
特科隊は、従来4個中隊20門への縮小が行われていましたが、一部特科隊は3個中隊基幹として、15門へのコンパクト化が行われています。15門とて、対砲レーダ装置等により支援されているため馬鹿にできませんし装備するFH-70榴弾砲の発射速度は世界第一線級、これを越える自走榴弾砲として国産の火力戦闘車の開発が始まりましたし、15門として安易に見ていますと叩き潰されることになるでしょう。この特科隊であれば、300門定数であっても20個特科隊所要であることがわかります。師団と旅団は15個ですので、この300門という数は決して全体として不足していない。
300門、すると、6個旅団と大都市配備の2個師団が特科隊を編成に置き、師団は7個が特科連隊を置いています。単純に特科連隊30門と特科隊15門で300門の定数のうち全ての連隊と隊を維持する前提で観てみましょう。7個特科連隊所要は210門、8個特科隊所要が120門です。現在火砲が装備されていない沖縄の第15旅団へも配備すると仮定した場合で所要火砲は330門です。300門という定数を若干超過していますが、一割であれば、まあ元の数からの縮小規模を考えたならば、妥協できる範囲内でしょう。
僅か15門といえども特科隊が維持される理由には大きなものがあります、それは迫撃砲では如何に射程が長くとも、対砲兵戦を展開出来ないという部分があり、相手が火砲を装備していた場合、間合いを飛び抜けて攻撃できる装備、戦闘ヘリコプターや長射程の地対地誘導弾が無い限り一方的に撃たれることとなってしまいます。特科隊には情報小隊が置かれており、敵砲兵からの砲撃を受けた際に迅速に射撃位置を評定し的確に反撃可能な対砲レーダ装置と対迫レーダ装置を装備し、この情報に基づいて運用される野戦特科情報処理システムを運用しています。
特科隊を有する旅団と仮定する持たない旅団を比較した場合、野戦特科情報処理システムの有無により対砲兵戦闘に致命的な差異が生じます。重迫撃砲と野戦特科情報処理システムを連動させる技術は、一応考えられなくはないのですが、残念ながら重迫撃砲は軽砲を置き換える、榴弾砲を部分的に置き換える能力を有しているものの陸上自衛隊には今世紀初頭までに軽砲は全廃されており、全て中砲、つまり155mm榴弾砲に置き換えられており、この最大射程は従来の重迫撃砲の十倍程度、最新の重迫撃砲でも中砲の最大射程の三分の一程度でしか無く、持続射撃能力や全般支援火力としての能力共々中砲に対し重迫撃砲は及びません。
逆に言えば、特科火砲は戦車定数の300両が機甲師団所要を含んでいるのに対し、特科火砲の特科師団に当たる装備はありません。更に方面隊所要の特科隊や特科団はありましたが、特科火砲として方面隊に所管されていた重砲、つまり203mm自走榴弾砲はMLRSへの転換とMLRSの長射程精密誘導弾導入に伴い任務を置き換えられ、最盛期90門が装備されていた203mm自走榴弾砲は遠からず全廃されることとなります。すると、師団装備火砲と旅団装備火砲だけを考えればいいのですから、元々300門という定数はそこまで難しいものでは無かったのかもしれません。
特科隊の維持とはこうしたところにあり、併せて無理に部隊を縮小しなくとも現状の規模の特科部隊であればすべての師団と旅団に配備したとしても配備数で300門は何とか全ての旅団と師団に配備させることが出来る水準が維持されているのですから無理を重ねることは逆に非合理というものでしょう。もちろん、全般支援火力大隊と直掩四個特科大隊を含む最大規模の特科連隊を縮小された連隊を含め拡大改編するのであれば、300門とは4個特科連隊所要でしかありませんが、こうする合理性はありません、部隊のコンパクト化に適した運用も確立しているのですから、無理に大型部隊を創設するよりは現行のまま配備したほうが良い。
このように、300門の戦車と300門の火砲、という数量しか認められない、と考えますと保守的になってしまい、戦車と火砲を主柱して部隊規模を維持する、という思考へ展開してしまうところですが、特科連隊と特科隊定数を冷静に300門の火砲に置き換えますと数としてはほぼ充分といえる規模ですし、戦車定数300も戦車大隊の半分を機動戦闘車に置き換え同じく装輪装甲車を装備する普通科連隊へ直協配備させる方式を採るならば、それこそ無理をしてまでも戦車を北海道へ集約する必要はありません。
消えるという話が消えるのは割と多い、戦車を北海道に集中させるということは機動防衛力の観点から有事の際に全国へ素早く戦車を展開させる機動力が必要となります、これは投機性が大きく、戦車を持たない師団や旅団の能力に上限を設けてしまう。火砲については、大型編成の特科連隊を創設する意思がないならば現状の部隊数では装備数で間に合う、消えるという話が消えるのは割と多い、今回の話題もそうなる可能性は多分に多いように思います。"榛名防衛備忘録:戦車300&火砲300時代",全三回、今回が最終回です、お付き合い頂きありがとうございました。
◆米オバマ大統領・比アキノ大統領共同声明
オバマ大統領アジア歴訪によるフィリピン訪問に先立つ28日、米比両政府は米韓相互防衛条約の新協定について合意に至りました。
これに基づき、米軍は駐留部隊をフィリピン国内へ置くことが出来るようになります。これは1992年の米軍フィリピン撤退以来、実に22年ぶりのフィリピン駐留再開となります。合意によれば米軍はフィリピン国内すべてのフィリピン軍施設を使用できるとし、米軍はローテーションで部隊を置くこととなるもよう。
この新協定は、中国の南シナ海進出の顕著化と、それに伴うフィリピン侵略の本格化への対処が主眼です。既に1994年にフィリピン領ミスチーフ環礁が中国軍に不法占拠され、2011年にはフィリピン領域内で中国政府公船による海上構造物等の不法建築が実施、出動したフィリピン公船を妨害排除するなどの事案が生じています。
昨年の台風30号被害にみるように、フィリピン軍の装備は極めて脆弱で、不法占拠する中国軍を排除する軍事力をもちません。急ぎ海軍と空軍を拡大中ですが間に合わないのです。フィリピン国内には今回の米軍駐留へ反対する声もありますが、それ以上に中国の不法占拠を反対する声の方が大きく、デモで中国軍を排除できない以上、米軍の支援を受けたい、こういう合意となったところ。
米比間には1951年に締結された米比相互防衛条約があり、長らくフィリピン国内へ米軍が駐留していました。しかし1991年6月のピナツボ火山噴火により米軍基地が機能を喪失し、結果フィリピン国内でも米軍撤退を求める声が上がり、米比間の合意に基づき米軍のフィリピン常駐は終了しました。
フィリピンには航空母艦2隻を中心とした第七艦隊の一大根拠地であったスービック海軍基地、横須賀基地の艦艇数で3倍、佐世保基地の容積で2倍の基地がかつて置かれており、加えて嘉手納基地よりも巨大なクラーク空軍基地が常時即応体制を以て展開していました、しかし、これが火山うんかにより撤収した、というわけです。
ピナツボ火山、多かが噴火で米軍撤退とは、と思われるかもしれませんが小規模な噴火でも、例えば霧島連峰の新燃岳噴火に伴い70km先の新田原基地で訓練移転を強いられるなど、火山灰は悪影響が大きいものです。ピナツボ火山の場合は噴火で1745mの標高が爆発で1486mまで低くなりました。
現在、アジア最大の空軍基地は沖縄の嘉手納空軍基地ですが、それ以前はフィリピンのクラーク空軍基地が規模と駐留部隊数共に最大で、ヴェトナム戦争を支えたほかソ連の太平洋正面への脅威を支える一大基地でした。しかし、この基地はピナツボ火山から僅か20km、一日で数十cmの火山灰が降り積もり、火山灰は航空機エンジンに進入すれば溶解し、エンジン後部で冷却され凝結するためエンジンを破壊します、基地は維持不能となりました。
富士山に例えるとどのくらいか、富士山は歴史上最大の噴火を貞観6年、西暦864年に記録し、貞観大噴火として平城京の朝廷に報告が上っています、山体崩壊が発生し、山梨県は全滅し富士湖は溶岩流で分断され富士五湖に分割、東海道は火山灰で二年間封鎖され万葉集にも謡われたほどです。蛇足ですが、東日本大震災の三陸津波と比較される歴史上最大の津波、貞観三陸地震の津波はこの5年後に起きています。
この貞観噴火の噴出物総量は実に1万k?に達しました。しかし、ピナツボ火山1991噴火は火山爆発指数6で噴出物総量10万k?、単純計算で富士山が歴史上最大の噴火を記録した貞観噴火の十倍の規模であったことが分かります。一時クラーク基地の米軍要員と家族はスービック海軍基地に退避しましたが、こちらも100km離れていたものの被害が出始め、そこにフィリピン政府の要望があり放棄、在比米軍は在日米軍基地へ移転しました。
しかし、フィリピンは軍隊を整備しないまま米軍御退去を促したため、米軍全面撤退の翌年、フィリピン領ミスチーフ環礁が中国軍に占拠され、日本の商船が通告するまで気付かないという一大事が発生しました。フィリピン海軍には第二次大戦中の小型駆逐艦2隻と第二次大戦中の揚陸艦等が装備されている程度、一昨年まで潜水艦を索敵する装備が皆無、という状況にあり、そこを突かれたかたち。
フィリピン軍は一昨年より、日本の護衛艦はつゆき型に相当する1980年代の欧州製中古フリゲイト2隻、将来的には更に2隻の取得を決定、待望の潜水艦を捜索可能な装備として中古哨戒ヘリコプター2機を導入すると共に皆無であった空軍戦闘機の代替として武装可能な韓国製超音速練習機の導入を決定していますが、1991年の段階では実質飛行困難な旧式戦闘機F-5Aが5機ある以外、なにもありませんでした。
このため、フィリピン政府はまず2001年の同時多発テロ以降、アメリカの展開するテロとの戦いの展開を契機に国内の共産ゲリラやイスラム原理主義組織アブサヤフ対処を主眼とし、米比間の軍事協力の強化を要請しています。両国は定期的にそれまで共同演習を展開してきましたが、その深化を図ったかたち。
フィリピン軍御最大の任務は国内の共産ゲリラ掃討であり、歩兵を主体とした陸軍の兵員数だけは陸上自衛隊以上の規模を持っているのですが、それ以外まともな装備を持ちません。しかし、米軍駐留中のフィリピンはさしたる脅威が無く、それならば米軍が撤退しても問題ない、とした政治判断が、米軍が駐留していたため手を出せなかった中国に介入の隙を与えた、ということに他なりません。
そのための米軍との関係強化を図ったのですが、そもそも、我が国のように即応体制を万一の際には即座に防衛行動を展開できるよう準備しつつ警戒監視を行い抑止している状況に際し、一端盗られた地域を十年単位で対応できずそのまま警戒監視さえも行えない状況のまま推移しているフィリピンとでは根本的に対応に限度があります。
2011年2月にはフィリピン領域内へ中国軍が浸透し建造物を構築、ミスチーフ環礁からの退去を求める如何なる要求要請の交渉にも中国政府が応じなかったため、結果、東日本大震災が発生した直後の3月にフィリピン政府は日本へ応援を要請したほど、追い込まれた状況となりました。
こうして、フィリピンは独力での軍事力強化、とはいっても規模では中国軍に対抗できるものでは無いのですが、最大限努力を重ねつつ、今回の米オバマ大統領・比アキノ大統領共同声明とともに、フィリピン国内のフィリピン軍施設へ米軍をローテーション展開を可能とする新協定締結へ合意した、という形です。
それにしても中国政府は、建国以来、チベット併合、東トルキスタン併合を皮切りに、朝鮮戦争介入、台湾海峡攻防戦、中印国境戦争、ダマンスキー島事件、中越戦争等、ほぼ東西南北全ての地域と武力紛争を展開し、自ら緊張を高めています。かの国は先の大戦前における我が国の対外政策を批判していますが、現在の中国はそれ以上の勢いで周辺国へ軍事力を投射し続けています。
しかしながら、現在の国際公序は軍事力による他国領域の一方的併合を認める余地はありません。この施策が続くならば、近い将来大きな武力紛争に展開する道を中国自ら突き進んでいるとともに、併せて我が国やアメリカも、可能な時期に実力で抑止する強い姿勢を提示しなければ、英仏の対独宥和政策の末、第二次世界大戦が勃発した、そういう歴史を踏襲しかねません、このあたり懸念する次第です。
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
◆世界最強哨戒機部隊目指す鹿屋の精鋭
日曜日、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊鹿屋航空基地へ行ってまいりました。
鹿屋航空基地、第1航空群と第211教育航空隊、第72航空隊、第1航空修理隊、等が展開する航空基地です。そして同時に、旧帝国海軍が鹿屋海軍航空隊を置く飛行場として1936年に創設された伝統ある航空基地で、沖縄戦においては第五航空艦隊の根拠地とし、特攻作戦を含む一大航空拠点として死闘を繰り広げました。
エアーメモリアルかのや2014、海上自衛隊鹿屋航空基地祭は、海上自衛隊航空部隊基地の航空祭として特に有名な行事ですが、当方は残念ながら地理的な遠さもあり、なかなか足を運ぶことが出来ませんでした。しかし、本年、練習ヘリコプターの転換の進展などを機に、展開することとしました次第です。
P-3C哨戒機と共に開会式のテープカット。鹿屋航空基地祭、海上自衛隊の航空祭ということで展開しましたが、基地司令と鹿屋市長とが立ち会う開会式から始まり、航空自衛隊の航空祭が航空機の展示を見せるという点に特化しているのに対し、式典から始まる航空祭というのは一種新鮮でした。
鹿屋航空基地、国旗掲揚の様子、開門時間が0700時と非常に早かったのですが、0800時には国旗掲揚が行われ、整列し敬礼で日章旗の掲揚を迎えました。小月教育航空群の学生と教官も整列し開会式へ敬礼、続いて学生によるライフルドリルが展示、さあ、航空基地祭の始まりだ。
第1航空群、鹿屋基地の主力部隊です。隷下に第1航空隊と第1整備補給隊に鹿屋航空基地隊を置き、第1航空隊は第11飛行隊と第12飛行隊を以て編成されています。第1航空隊と第7航空隊を第1航空隊としたうえで第11飛行隊と第12飛行隊のP-3C哨戒機20機体制へ再編したもの。
驚いたのは鹿屋航空基地、遠いのか開門から二時間を経てもブルーインパルスの周りが最前列に隙間があり、この撮影位置から撮影したのは開門三時間後、しかし両脇4mは無人でした、ブルーインパルス飛行展示の際には来場者が5万4000名程度まで増えたとのことですが、ここまで余裕がある航空祭というのは珍しいかも。
P-3C哨戒機は、云わずと知れた世界有数の対潜哨戒機です。数年前は世界最高の対潜哨戒機、と表現できたのですが、近年は川崎P-1哨戒機と米海軍P-8哨戒機の誕生で、最強の座を譲ったかたちです。他方、音響と電子情報に磁気情報をコンピュータで分析複合し部隊間情報共有を以て潜水艦を筆頭とする脅威を制圧し制海権を押える筆頭装備であることは変わりありません。
鹿屋のP-3Cは機動飛行が凄い、しかも編隊で機動飛行を行います。航空自衛隊のF-15戦闘機の機動飛行などは幾度も見ますが、聞いていたにしろ四発の大型哨戒機が編隊で機動飛行する、目の当たりにしますと、その迫力というのは、規格外といいますか、ただもう、凄い。
世界最強の哨戒機部隊を目指す、という鹿屋航空基地第1航空群ですが、機動飛行の気合いの入り方と、前日から聞く評判からの印象の地元の方々の支えといいますか、部隊愛を地元から感じるところを見ますと、最強部隊の練成を目指す気概というものが肌から感じられたこと、気のせいではないでしょう。
南西諸島への脅威が叫ばれる昨今ですが、最前線の那覇航空基地を後ろから鹿屋航空基地が全力で支えている、こうした事実が我が国とその周辺地域の平和と秩序への軍事力をもっての脅威が実力に訴えさせない、大きな抑止力となっているのだろう、私見ですが足を運んで感じたこと。
TH-135練習ヘリコプター。北大路機関では様々な防衛装備品を紹介してきましたが、一度も見たことが無い装備が幾つかありました、航空機の筆頭としてTH-135,初めて観ました。ユーロコプターEC-135-T2+の軍用型で、2009年より導入が開始されました。これで新しい北大路機関の最新装備写真がひとつ。
OH-6DA練習ヘリコプター、北大路機関では様々な防衛装備品を紹介してきましたが、一度も見たことが無い装備が幾つかありましたという先ほどの言葉をもう一度。アメリカ製MD-500Eです。元々OH-6Dを練習ヘリコプターとして運用していましたが、川崎重工でのライセンス生産が終了したためMDヘリコプターズ社製のものを輸入し装備化しました。
P-1哨戒機、精悍な国産機が明日の洋上防衛任務を担う。厚木航空基地の第51航空隊より外来機として参加しました。年度内に実任務部隊へ配備が開始されます。P-1哨戒機は何度も北大路機関では最新装備として紹介してきましたが、地上展示機としてP-1哨戒機と紹介するのは、今回が初めて。
P-3C哨戒機は対潜哨戒機として配備開始されましたが、哨戒機と改称されたのは、これ、ハープーン空対艦ミサイルを搭載し敵水上戦闘艦の排除に当たることが可能です。日米共同訓練での対空母演習では米海軍を相手に腕を磨いています、相応に戦果を挙げていますので何処かの国の空母が不測の事態を引き起こせば、航空と洋上と海中から日本のミサイル飽和攻撃が来る。
み、見かけた自衛隊最新装備、か、と一瞬驚いたのがこれ、ついに25mm機関砲搭載の装輪装甲戦闘車誕生か、と寸秒驚いたもの、いまどき25mmなんて、と思われるかもしれませんが数年前より実戦配備開始されたフランスのVBCI装輪装甲戦闘車も25mmだし、普通科部隊の一個中隊に軽装甲機動車に続き配備開始となった14式装輪装甲戦闘車、等ではなく第8戦車大隊の96式装輪装甲車と第8偵察隊の87式偵察警戒車が並んだもの。
エアーメモリアルかのや鹿屋航空基地祭2014は、ブルーインパルス飛行展示、P-3C機動飛行、第3対戦車ヘリコプター隊AH-64D戦闘ヘリコプター機動飛行、UH-60J救難ヘリコプター救難飛行展示、C-1飛行展示等が行われました。今年度、ブルーインパルスに三名の鹿屋市出身者が着任し、その激励の意味も加え鹿屋航空基地にてブルーインパルスの飛行展示が実現した、という話を聞きました。なるほど。
第1航空群司令部庁舎、建て替えが始まっていますが、この庁舎、1936年に建設された戦前の建物で、悲壮な特攻作戦の指揮から今日の防衛任務あで、様々な時代の流れを見てきました。公官庁の建物ということで、保存などは無理なのでしょうが、先の大戦の生き証人というべき建物の一つが建て替えられるのは、少しさびしいですね。
旧海軍の生き証人、二式大艇、東京臨海副都心は船の科学館から移転し鹿屋航空基地で展示されているもの。平日でも見学することが出来まして、初めて観ました当方はただただ、その巨大さに圧倒されました。新鮮な様々な出来事に素直に感動しつつ、撮影行程を完了しました次第です。
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
◆冷静に考えれば十分対応可能
戦車中隊一個を普通科連隊支援へ小隊ごとに派遣し連隊戦闘団へ編入、もう1個戦車中隊を師団長直轄とする。これは自然な発想かもしれません。
前回提示したものですが、逆に考えれば、二個戦車中隊を二個機動戦闘車中隊へ置き換えるよりは、一個戦車中隊と一個機動戦闘車中隊に置き換えたほうが、戦車でなければ装甲防御力や不整地突破能力の部分から師団長の最後の手札とはなり得ないため、半々とした方がいいでしょう。もちろん、戦車を装備した場合、戦車輸送車が必要となりますので、後方支援の需要は大きくなるのですが、それを補って余りある戦車の能力があります。師団長の予備とするならば戦車とするか、別の予備装備、中射程の地対地誘導弾や戦闘ヘリコプターでもいいのですが、必要でしょう。
しかし、師団長の隷下に中射程の地対地誘導弾を配備するということは、予算面dね戦車よりも相当規模の予算を必要としますし、管理面でも限界が生じます。戦闘ヘリコプターについては更に難点が大きく、勿論可能ならば陸上自衛隊へ150機程度の戦闘ヘリコプターを配置したら、と考えたことは無くは無いのですけれども、現状で方面隊の対戦車ヘリコプター隊に装備されている対戦車ヘリコプターの置き換えすらもままならない状況下で新たに数機程度という小規模編成であっても広範に戦闘ヘリコプターを師団飛行隊に配備するだけの財政上の余裕はありません。
現段階で実施される戦車2個中隊編制下での師団戦車大隊の運用ですが、1個戦車中隊を小隊ごとに分散配備している一方、従来の連隊戦闘団に配備していた戦車1個中隊編制と比較し配備戦車は三分の一以下に低下してます、しかしこの状況では戦車の運用を支える対戦車誘導弾が普通科連隊へ大量配備しているため、進出掩護という形になりましょうか、戦車は従来の対戦車戦闘における防御と攻勢から防御を対戦車誘導弾へ転換し、攻勢のみ対機甲戦闘における重要な要素に集中させることが出来る。
理想としては戦車に随伴し支援する装甲車両を一個中隊程度、装輪装甲車では不整地突破能力に限界がり、特に不整地での戦車の攻撃前進を展開した際には脱落してしまうため、戦車大隊本部所要に戦車の車体と同程度の不整地突破能力を持つ装甲車両を配備させ、併せて随伴普通科部隊を臨時に収容させる程度の装甲車両、現時点で戦車大隊には本部車両等の所要として10両程度の装輪装甲車が装備されているのですが、併せて戦車支援重装甲車というような装甲車は必要と考えるのですが、このあたりについては別の機会に検証するとしましょう。
戦車の連隊戦闘団配備規模の縮小を補っている対戦車誘導弾は、普通科連隊に対戦車中隊が一部師団に置かれていましたが、これは師団対戦車隊廃止とともに一部師団への対舟艇対戦車誘導弾集中の方針が示され、併せて口径の中距離多目的誘導弾配備までの暫定施策として実施されました。続く施策は全ての普通科中隊対戦車小隊への中距離多目的誘導弾配備です。これは、87式対戦車誘導弾と79式対舟艇対戦車誘導弾の後継を一手に担う装備で、射程と同時対処能力では中距離多目的誘導弾は従来の対戦車誘導弾を凌駕しています。各普通科中隊へこの装備が配備される方針により、対戦車能力は大きく向上すると考えられます。
戦車配備を機動戦闘車と10式戦車混成とした仮定で、戦車所要は、西部方面隊が第4戦車大隊と第8戦車大隊の2個中隊、中部方面隊が第3戦車大隊と第10戦車大隊の2個中隊、東部方面隊が第1戦車大隊の1個中隊、東北方面隊が第6戦車大隊と第9戦車大隊の2個中隊、ここまでで7個中隊ですので、4個中隊を北部方面隊の第2戦車連隊に集めることが出来ます。機動戦闘車は200両で14個中隊所要ですので、西部方面隊所要2個中隊、中部方面隊所要4個中隊、東部方面隊所要2個中隊、東北方面隊所要2個中隊、ここまでで10個中隊、北部方面隊の機械化された旅団に各2個中隊配備して充分な数となります。
機動戦闘車の普通科連隊戦闘団への配備ですが、これは連隊戦闘団の攻撃前進における直接照準射撃可能な大口径火砲搭載のシステム化された戦闘車両を適切に配備できると共にもう一つ、軽装甲機動車と新装輪装甲車という機械化された普通科中隊、高機動車と牽引される重迫撃砲に中距離多目的誘導弾と火力戦闘車、基本的に施設作業小隊の3t半トラックへ搭載可能な工機車両を除けば全て路上を高機動展開可能な車両により構成されることとなります。共同という意味でも配備は、勿論装甲防御力で難点はありますが、一つの選択肢として合点は行くところでしょう。
北部方面隊の戦車を現状維持するとして一部を九州へ転用したとして300両の戦車を必要とするのですが、同時に各師団の戦車大隊を普通科支援用に機動戦闘車を配備し師団直轄として予備部隊に強力な決め手の10式戦車を装備し全国へ配備した場合でも、300両で対応できるわけです。これとて、機動戦闘車200両という配備計画に依拠した計算であり、現実的に可能な組み換えとして計算し、何代ケルではないですか、と拍子抜けする印象が無いでもないですけれども、このようになりました。
消えるという話が消えるのは割と多い、とは前回示した言葉ですが、戦車の北海道集中配備を行うという計画についても、消えるのではないか、と考えます。この部分は併せて防衛省が機動防衛力氏海老に明示した機動師団の編制において機動師団は重装備を持たず軽量装備を主体として編成するとしつつ、その機動師団に北部方面隊の戦車師団以外全ての師団と旅団が含まれていました。この方策は多少矛盾するものがあります。この案では戦車300両を第7師団と九州の直轄戦車部隊だけに配備するのは少々無理があるためです。
第7師団の戦車定数は現時点で200両程度となっていますが、戦車を装備する第7偵察隊より戦車は廃止される方向で装輪装甲車主体の偵察隊へ転換する方針が明示されています。すると現状のまま五個戦車中隊基幹の戦車連隊三個を維持した場合でも300両の戦車定数よりも相当の戦車が余剰となるのですが、残量の110両を九州に転地する場合、言われている独立戦車部隊を配備するとしても規模が大きすぎるのです。戦車群を維持するのは非効率ですし、それならば、師団戦車大隊を残したほうが良い。
もちろん、機動師団への改編は予定されていない九州北部の第4師団を第2師団型の重装備師団へ改編するのであれば、110両の戦車を駆使する機械化師団とする事は出来るかもしれませんが、これは戦車を北海道に集中し訓練環境の充実を重視するという方策と比して余りに非合理です。言い換えるならば、機動師団には戦車を装備する機動師団が想定されているという、何よりもの証左と言えるのではないでしょうか。
◆消えるという話が消えるのは割と多い
新防衛大綱において戦車は300両へ、特科火砲は300門へ、と重装備が大きく縮小されることとなりました。
防衛省では本土から戦車を西方の方面隊直轄部隊や富士の教育部隊を除き北海道へ集約する方針を示し、105mm砲を搭載する機動戦闘車を本土の師団や旅団へ200両配備し、戦車を置き換える方針を示しています。これは訓練環境が広大な演習場環境により確保されている北海道への戦車の集約を期している、との視点も含まれているようです。また、特科火砲についても、本土からかなりの部分を北海道に集約する、という指針も示されています。しかし自衛隊に在って、消えるという話が消えるのは割と多い。
新防衛大綱に基づく師団と旅団改編はかつてない規模で進みます。本土師団及び本土旅団には、戦車を置き換える機動戦闘車、特科火砲を置き換える重迫撃砲、以上を重視し、装輪装甲車の充実による機動連隊を基本とした部隊の運用が目指され、自衛隊は動的防衛力を目指した統合機動力整備へ進みます。これは、防衛力を管区に縛られない運用へ大胆に転換し、軽量装備を迅速に展開させるという部分に特化し、有事の際には全国の部隊が素早く集合分散し遊兵を生まない効率的な防衛力を目指している、とのこと。
しかし、機動戦闘車は防御力の面で戦車を完全に置き換えられるものでは無く、装輪車両であるため路上速力は大きく戦車輸送車による輸送支援を受けずとも長距離を展開できる戦略機動力が高い反面、不整地突破能力には車輪の接地面積による限界があるとともに瓦礫や砲弾片により容易に車輪が破損するため、完全に代替する事は出来ません。火砲と重迫撃砲についても火力支援は出来ても持続射撃能力に迫撃砲は根本から劣ると共に対砲兵戦闘に迫撃砲は適していないため敵砲兵に直面すれば回避の一手しか残りません。
そこで、北大路機関では、方面隊の空中機動力を全て一部師団を改編した軽装甲車主体の軽装備旅団に付与する緊急展開部隊としての航空機動旅団、残る師団を旅団化し少数の戦車と火砲を集中的に装備し機動打撃力を発揮する機動打撃部隊としての装甲機動旅団へ改編し、一部の旅団連隊を独立運用させ水陸両用任務に充てる小型の両用機動旅団/両用機動混成団、という、機動運用を基本としつつも基盤的な防衛力の整備を提案しました。航空と装甲の機動旅団二つを以て師団を編成すれば世界のどこと比較しても遜色ない師団です。
ですが、消えるという話が消えるのは陸上自衛隊ではよくあります。東部方面隊が陸上総隊へ置き換えられ消えるという話も立ち消えに、第1師団を首都防衛集団へ改編するべく発展的に解消するという話も消極的に解消し立ち消えとなりました。戦車と火砲が本土から消える、という話、前述の通り戦車の代用装備は機動戦闘車では能力不足ですし、火砲の大隊は砲兵戦闘を部分的にしか担うことが出来ない重迫撃砲では能力不足、今回の話も定数300という話のみのこり、立ち消えとなるのではないでしょうか。
ならば、戦車300と火砲300という数字の下で実際に防衛力を維持できるのか、全国の師団と旅団に充分な戦車と火砲を付与できるのか、という視点から物事を考えてみたいところです。新防衛大綱には戦車を集中運用する機甲師団の維持が明記されていますので、300両という戦車定数の下で機甲師団と全国の師団への戦車配置を行わねばなりませんし、師団と旅団は一部が機動師団や機動旅団へ改編されるという施策は盛り込まれつつも、師団数と旅団数は変化なく、配備しなければなりません。
戦車300ですが、まず全国の師団へまわす前の第7師団、機甲師団について。機甲師団は3個戦車連隊を基幹としていますが、最盛期の戦車定数は286両、この数字を維持したならば戦車300両体制の下ではとてもではないが他の師団へまわす事は出来ないでしょう。しかし、現時点d根は戦車連隊定数が見直され、約200両の戦車を基幹としています。ここで、戦車中隊を戦車小隊に中隊本部を加えた14両編成という現行編制を、戦車連隊では戦車中隊は独立運用せず連隊の一部として運用するとして先任小隊長と協同する体制に転換し12両編成とすればどうでしょうか。
第7師団の戦車連隊を隷下中隊が12両とし、戦車中隊五個編成を一個中隊縮小した場合、四個中隊で所要は48両となります。ここに連隊本部車両として2両を加えても50両で一個戦車連隊を編成できますので、師団を構成する3個戦車連隊を150両の戦車で編成可能です。更に戦車を装備する偵察隊の戦車を全て近接戦闘車偵察型に置き換えたならば、150両の戦車に必要な装甲車と火砲を付与し機甲師団と出来るでしょう。若干減りましたが陸上自衛隊の戦車半数を運用するわけですので、戦略予備としての役割は担えること間違いなし。
150両の戦車で機甲師団とするので、残る150両の戦車を全国で分け合う事となります。14両編成の中隊として11個中隊弱、どうか。現在北海道の第2師団は戦車連隊を持ち6個中隊を基幹としていまして、他に北海道の戦車部隊として第5旅団と第11旅団が各2個戦車中隊を基幹とする編成、ここで10個中隊となりますので、現状のままとしますと西部方面隊に一個中隊か、第2戦車連隊から2個中隊程度抽出して西部方面隊に3個中隊基幹の部隊を置けば、此処で完結となるでしょう。陸上自衛隊の想定もこうしたものが考えられていると推測するところです。
しかし、現在、全国の師団戦車大隊は二個戦車中隊30両への戦車定数削減が急速に進み、戦車中隊一個を普通科連隊支援へ小隊ごとに派遣し連隊戦闘団へ編入、もう1個戦車中隊を師団長直轄としています。この運用体制を見直し、師団長直轄の戦車中隊のみを維持したうえでもう一個中隊の連隊戦闘団編入中隊を機動戦闘車に置き換えた場合、師団戦車所要は1個中隊へ削減可能とともに機動戦闘車と共に大隊編制を維持可能です。この場合で旅団の戦車中隊については機動戦闘車中隊へ置き換えればよい。こう考える次第です。
◆自衛隊関連行事
桜とともに四月も今週でおしまい、始まってみますと毎年の時間と同じく新年度も早いですね。
エアーメモリアルかのや、今週末最大の自衛隊行事は海上自衛隊南西諸島防衛への重要基地、海上自衛隊鹿屋航空基地航空祭でしょう。P-3C哨戒機の基地ですが、この基地の機動飛行は物凄い迫力、とのこと。加え画、本年はブルーインパルスも参加とのこと、鹿児島は遠いですがお近くの方は是非どうぞ。
陸上自衛隊関連では今主末、南九州を防衛警備管区とする第8師団の創設52周年記念行事、北熊本駐屯地祭が行われます。また、中部方面隊管区でも四国を防衛警備管区とする第14旅団の創設8周年記念行事、善通寺駐屯地祭が執り行われます。
つつじ祭り、29日火曜日祭日ですが、高射学校創設記念下志津駐屯地祭が実施されます。千葉県の駐屯地で、名前から千葉県南部と誤解される方もいますが、千葉市の駐屯地です。陸上自衛隊の高射特科装備の核種が観閲行進と訓練展示で展示されます。鉄道ですと四街道駅が最寄り。
航空部隊駐屯地として、対戦車ヘリコプター隊を筆頭に様々な部隊が駐屯する八戸駐屯地にて駐屯地創設58周年が土曜日に行われるほか、普通科連隊駐屯地では震災で一躍有名となった多賀城駐屯地の創設60周年記念行事が執り行われます。
◆駐屯地祭・基地祭・航空祭
- 4月26日:八戸駐屯地創設58周年記念行事・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/neainfo/sta/hachinohe/hachiindex.html
- 4月27日:多賀城駐屯地創設60周年記念行事・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/kakusta/tagajo/tagajosta/
- 4月29日:高射学校創設記念・下志津駐屯地祭・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/aasch/aaspr-hp/
- 4月27日:第14旅団創設8周年・善通寺駐屯地祭・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/14b/
- 4月27日:第8師団創設52周年・北熊本駐屯地祭・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/8d/
- 4月27日:エアーメモリアルかのや・鹿屋航空基地祭・・・http://www.mod.go.jp/msdf/kanoya/
◆ 注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
◆2機の取得を予定、多目的輸送機として運用
報道などによれば、政府は次期政府専用機としてボーイング777型機を採用する方向で最終調整へ入った、とのこと。
政府は1992年に政府専用機としてボーイング747-400型機2機を導入、航空自衛隊へ配備し特別輸送任務へ運用してきました。これは従来、日本航空のジャンボ機をチャーターし必要に応じ運用してきましたが、半官半民から民営へ日本航空の転換が行われると共に緊急の首脳会談や邦人救出任務や輸送任務など不測の事態に際し確実にチャーター機を確保できるのかという視点から政府専用機を独自に政府が運用する必要性が指摘されたためです。
政府専用機は、こうして導入されたのですが日本航空でのボーイング747型機の運用が終了し、続いて実施していた全日空による同型機の運用も今年遂に終了しました。これは、併せて政府が整備支援を日本航空など民間会社に委託していたため、現行政府専用機の整備支援を受けることが出来なくなったことを意味し、このため後継機選定が必要となったわけです。民間から支援を受けられない前提での政府専用機取得に対し、整備は民間に委託、少々矛盾する気がしないでもありませんが、財政上致し方なかったためでしょう。
次期政府専用機をどの機種にするか。意外に知られていませんが、日本の政府専用機は諸外国のVIP専用機とは根本的に異なる機体です。例えばアメリカ大統領が利用する通称エアフォースワンとして知られるVC-25等はVIP専用機で、言い換えれば政府要人以外の輸送には用いられません、しかし、日本の場合は政府要人の輸送にはもちろん用いられるのですが、併せて邦人救出任務や自衛隊の部隊輸送に実際運用された実績があるため、VIP専用機ではなく、多目的輸送機であるのです。
多目的輸送機としての性格を有する政府専用機であるため、輸送能力がある程度重視されます。このため、一部には首脳外交にボーイング747のようなワイドボディ機は贅沢だ、過剰だ、という指摘がありますが必ずしも正しくありません。例えば、フランスなどは長く大統領専用機としてエアバスA310を運用してきましたが、その航続圏外へ大統領など要人を輸送する際には、フランス空軍のボーイング747型人員輸送機を用いていました。日本の場合はVIP専用機を持たない代わりに多目的輸送機を重宝している、というべきかもしれません。
政府専用機の必要性が特に叫ばれたのは、イランイラク戦争に伴う邦人緊急非内の必要性が生じた際、当時の日本航空労組が政府からのチャーター機運航要請を安全性が確保できないとして拒否した事例が大きく、その際はトルコ航空の有志が邦人救出を担い本当に幸いなことに犠牲者が出る事は回避されましたが、特に導入検討次、朝鮮半島有事の可能性が指摘され、邦人救出の必要性が現実化していたため、導入されたという一要素もあります。
大型の機体が必要、という観点から、ボーイング777とエアバスA350が選定対象となってきましたがボーイング777、として内定の方針が示された模様です。 エアバスA350は日本航空が30機程度の導入が決定していますが、ボーイング777は全日空と日本航空共に国際線の主力旅客機であるほか、伊丹空港三発機以上乗り入れ規制以降国内線大量輸送の主力機となっており、整備性の面からは国内の整備基盤は777に軍配が上がった、といえるでしょう。
他方で、ボーイング747の現行政府専用機の時点から問題視されていた予備機の問題、定期整備などを考えた場合、通常要人輸送の際には副機と共に2機で運用される政府専用機は片方が定期整備や重整備となっていた際には、運用そのものが出来ず、長らく3機体制を構築することが望まれていました。747と比較し小型化するという点から輸送力維持へ3機体制が期待されたところですが、しかし、現時点では導入機数は2機とされており、今回も予備機の取得という大きな課題は達成されませんでした。
もう一つ、航空自衛隊には政府専用機よりも古い機体は非常に多くあります。F-15戦闘機も多くが政府専用機以前の機体を第四世代機と同額の近代化改修費用を以て運用していますし、C-1輸送機やF-4戦闘機も現役です。整備支援を受けられなくなったことが一つの理由とはいえ、世界の民間軍事会社には大型機の整備能力と実績を持つ企業は多く、また、民間支援を受けない状況での運用体制を構築する必要は当然大きかったわけです。延命改修を行い運用する選択肢は無かったのか、とも思うところです。
◆太平洋挟む同盟関係の強化へ
今夕、オバマ大統領がVC-25エアフォースワンにて東京の羽田空港へ到着しました。
安倍総理とオバマ大統領は、今夜夕食会を東京にて、続いて明日日米首脳会談を行い両国関係の強化を話し合うと共に、天皇陛下との謁見と宮中晩餐会に臨みます。日米間は太平洋を挟む重要な同盟国同士であり、防衛協力と経済協力関係の強化を軸に両首脳は会談に臨むこととなるでしょう。
他方で、日米関係はその重要性について、世界第三位の経済大国と世界最大の経済大国同士の関係、太平洋を挟む最も重要な同盟関係として挙げられるわけですが、日米両国の政治課題は必ずしも一致しない、言い換えれば微妙なずれがあるため、この点への両国の会談に大きな関心事が集まります。
それはアメリカが最も重視しているのは2001年の9.11以降でのアフガニスタン介入以降、イラク戦争などを経ての長い戦費負担後、大きく衰退した経済力の復興が求められ、TPP環太平洋パートナーシップ協定を軸とし環太平洋地域の成長力を取り込むことにより経済再興を目指す事が、最も重要で、医療保険制度改革など福祉重視を掲げるオバマ政権にはその歳入に繋がる経済再興が求められているところ。
我が国が最も重視するのは、経済成長には一定の目処が立ちつつあるなかで、その安全保障面でのアメリカとの協力関係の強化です。特に南西諸島に対しての中国による軍事圧力の増大は我が国が戦後初めての武力攻撃を受ける蓋然性が非常に高まりつつあり、戦争を防ぐためへのアメリカの協力を求めている。
アメリカにとり、中国は巨大な市場です。遡れば太平洋戦争そのものについても中国市場への我が国の専有がもたらす自由主義経済への悪影響に起因する部分がありました、その政治的発言力の強化は兎も角として中国は将来的に民主化させ自由主義経済へ転換させるべき重要なパートナーの一国です。
一方で我が国は直接軍事脅威を受けているわけですので、公益関係での重要な中国市場の位置づけには無視できないものがありつつも、直接軍事力を突き付けられ領域の一部へ圧力を掛けられる状況下では、看過できるものでは無く、アメリカと日本との中国観は必ずしも一致しません。
日本が求める防衛協力についても、GDP比での防衛費負担はアメリカの対テロ戦争期の負担よりは遙かに軽く、一見充分に防衛努力を行わない我が国のアメリカへの防衛協力強化を求める施策は奇異と受け取られるかもしれません。我が国としては憲法上防衛努力には限界があるための、対米協力要請なのですが、憲法観は当事者日本とアメリカとでは根本から異なる事、言うまでもないでしょう。
TPPについても、我が国が食料自給率を過度に考慮する背景には憲法上の専守防衛と重なり、最悪の場合食料は自給しなければならないという切迫感が食料安全保障という概念に繋がっているため、この点での日米の一致は、より深化した部分での積み重ねが必要となります。
この点で、拙速であっても経済復興を成し遂げなければならないアメリカと、南西諸島への脅威を受け、その周辺での情勢変化がシーレーン途絶に繋がりかねない我が国では、重要項目とその達成へ残された時間的余裕が異なってきます。少なくともアメリカにとり中間選挙という期限までの成果が求められるのですから。
一方、ブッシュ政権下のアメリカは必要であれば即座に軍事力投入に躊躇がありませんでした、これが是とすべき可否とすべきかは議論は残るところではありますが、地域大国間の軍事行動などを抑制する大きな効果はありマスタがオバマ政権ではこの部分に非常に慎重です。
この慎重な姿勢が、一種アメリカの対外的な発言権を低下させていると錯覚させるものがあり、実質国際公序を画定し国際システムを構築する能力を制度化したアメリカの能力は今なお世界で比類なく最も有力な国なのですが、対外的にこの地位が転換しつつあるとの錯覚を与えています。更に内政での混乱が拍車を掛けているようにも見えるでしょう。
日米首脳会談は異なる二つの国が抱える異なる背景から当然ながら課題が残ります。もちろん、総論一致となりましょうが、各論では課題が残されています。他方、こうした部分での相互理解と認識を共有できなければ、同盟関係の深化には限界が生じるわけですので、この点の踏み込んだ議論を期待したいところです。
◆米国製のAAV-7は霞ケ浦駐屯地で報道公開
防衛省はアメリカより導入したAAV-7両用装甲車を霞ケ浦駐屯地にて報道公開しました。
一般公開はもう少し先のこととなりましょうが、防衛省はAAV-7を新中期防衛力整備計画の五年間で水陸両用装甲車52両を取得する方針としています。AAV-7は米海兵隊所要の在場予備車両、つまり将来必要となった場合へ先行生産し、車両デポにて管理していた所謂新古車両を自衛隊へ有償供与したかたちで、新古車と言えども十分な整備を終えての引き渡し、という形で貼るので一概に得倍のですが、一両当たりの取得費用は6億円、概ね89式装甲戦闘車と同程度の費用にて取得することとなっています。
一方で一部報道によれば三菱重工広報担当者の話として三菱重工が独自に水陸両用装甲車の研究試作を実施していることが一部報道にて報じられました。AAV-7は全長8.16mと全幅3.2mに全高3.3mと非常に大型で兵員25名とCH-46やMV-22等の中型航空機に匹敵する輸送能力を有しますが、何分原設計が1964年開始で制式化が1970年と非常に古く、搭載エンジンはカミンズVT400型525hpの車両、ウォータージェット推進の技術と戦闘車両を系統化できる技術を確保すれば国産の新型車両を開発することは十分可能であるためです。
現時点ではAAV-7しか選択肢は無かったといえ、消去法で採用されたことが考えられます。特にAAV-7はウォータージェット推進により13km/hの水上航行が可能で、対して、例えばイギリス海兵隊等が採用しているBvS-10全地形装甲車の場合、水上航行速度は履帯駆動に依るため僅か5km/hでしかなく、基本的に戦闘が想定される状況では母艦から揚陸へ発進するのではなく母艦から揚陸艇により沿岸数百m圏内か、百数十m圏内まで展開しそこから海岸線まで発進するという運用が基本で、余程相手の勢力が海岸線より遠い地域に展開しているのでない限り、もしくは脅威対象が小火器程度しか装備していない状況でなければその圏内まで母艦が接近することは考えられません。
三菱重工が実施している研究開発は、渡河用の水陸両用昨日ではなく、海上での運用を可能とする水陸両用性能が研究されているとのことで、過去に三菱重工が開発した73式装甲車にも水陸両用性能が盛り込まれていましたが、この73式装甲車の水陸両用能力は浮航性能が求められ渡河時等に浮航きっとを装着し自力で航行する程度のものとして要求され、完成していますが、今回開発されている三菱の水陸両用装甲車は波浪に対する凌波性能を備えた、それよりも高度な両用作戦能力を有しているものと言えるでしょう。
この研究試作、部分試作と研究試作の程度とされ、いわゆる全体試作ではなく、構成要素の研究という部分に収まっているとされます。その反面、広報担当者の話として、三菱重工の独自技術研究として実施されているものであり、防衛省からの要求を受けての開発ではない、というところが併せて強調されました。この背景には2011年に実施された防衛用水陸両用車両技術に関する調査研究の要求へ競争入札が行われた際、三菱重工も応札し、一説ではAAV-7程度の水陸両用能力と装甲戦闘車程度の能力を付与したものを想定し、入札へ臨んだ、とのこと。
防衛用水陸両用車両技術に関する調査研究、しかし、この競争入札は三菱重工よりも一桁低い数字を示したユニバーサル造船が落札しました。非常に少額で落札し、具体的にはユニバーサル造船が10万5000円で入札、三菱重工が380万円で入札しています。一桁違う、という話ではあるものの、実質数十分の一の費用で入札したため、三菱重工案は採用されることとなりませんでした。しかし、ユニバーサル造船は子会社のユニバーサル特機が陸上車両の開発を行った経験があるため、この派生型として開発したものの、防衛省の望む装備とはなりませんでした。
94式水際地雷敷設車、ユニバーサル造船が開発した水陸両用車で防衛省に納入されている装備で、元々は沿岸部に水際地雷、小型機雷を敷設するべく開発された車両です。陸上走行時には特別な許可が必要ではあるものの一応国道を自走可能な水準として車幅を2.8mに抑えていると共に、海上展開時には車幅を広げ浮力を追加、海浜を自走し水上に展開、航法装置を駆使して沿岸部に機雷を敷設する装備です。一応、スロープを有する輸送艦があれば海上から展開し、着上陸第一波への海上輸送にも対応することが可能でしょう。
しかし、防衛省が求める車両は、海浜に展開できる輸送車というものではなく、本格的な水陸両用戦闘車両です。一説には94式水際地雷敷設車を基本とし、装甲防御力を付与すると共にRWS遠隔操作式銃塔等を搭載する装備が考えられていたらしい、とも。94式水際地雷敷設車は海上での運用が想定され、凌波性能はかなり高いものが付与されているほか、海上での速力もスクリューにより11km/hとAAV-7に匹敵する性能を有しています。しかしその反面、元々装甲車ではないため、防御力には付与するとしても限界があるほか、海浜での戦闘に適した戦闘車両としての形状をゆうしていません。
更に非常に大きく、AAV-7は全長8.16mと全幅3.2mに全高3.3mであるのに対し、94式水際地雷敷設車は全長11.8m、全幅2.8m/4.0m、全高3.5mと、AAV-7よりも巨大なのです。全国の水際障害中隊に装備されていますが、訓練展示で兵員輸送車として展示されることなど一例もなく、そもそもほかの施設車両などは施設団記念行事に障害除去や攻撃車両の支援委攻撃前進の展示が行われることがあるものの、体験試乗以外に94式水際地雷敷設車は参加することも一例として在りませんでした。つまり、両用装甲車としての94式水際地雷敷設車派生型車両は防衛省が使い物にならない、と判断したということ。
三菱重工は再度研究試作の競争入札が行われた際、技術部分で公表かを受け、もしくは予め研究試作を実施することで低い金額での入札を想定し使える装備を開発しているのでしょう。新中期防衛力整備計画に間に合うのか、と問われた場合には、未だ部分試作の状況であるのだから研究試作を越えた全体試作に移らない限り開発の目処は立っていない、と言えるわけですけれども、他方、次々中期防の期間までであれば開発の可能性は充分あり、加えてAAV-7は在場予備車両に上限もあるとともに旧式化により後継車両の模索は米海兵隊で繰り返し行われています。この点を含め、開発が行われているならば、非常に理想的なのですが、今後の展開を見守りましょう。
◆PowerShotG-12撮影方法新技術初展開
日曜日、信太山駐屯地創設57周年記念行事へ行ってまいりました。EOS-7DとEOS-50Dの写真は未整理ですので、G-12の撮影速報にてその模様を紹介しましょう。
信太山駐屯地祭は当方、2006年と2007年に足を運んだことがありますが、その後なかなか他の行事と重なるか、所用が重なって足を運べない事が多かったのですけれども、昨年ご縁があり、本年は久々に阪和線を信太山へと向かうことになりました次第です。
信太山駐屯地は第37普通科連隊が駐屯する大阪府唯一の普通科連隊駐屯地で、第37普通科連隊は第3師団隷下の三個普通科連隊のうちの一つとして、大阪市を含めた全域の防衛警備及び災害派遣に当たる連隊です。さて、近場の大阪府ということで、少々手違いがあり、若干予定よりも40分ほど遅れての到着です。
第37普通科連隊の本部庁舎、第37普通科連隊は河内国石川郡赤坂村、つまりここの地で生を受けた大楠公こと武将楠木正成の菊水紋を引き継ぎ、菊水連隊として知られる普通科連隊です。また、帝国陸軍もここ大阪の地に歩兵第37連隊を置いていたとのこと。
式典へ整列した第37普通科連隊と第3後方支援連隊第3普通科直接支援中隊の精鋭、鬱蒼と茂った青々とした背景が気になりますが、此処は高台、周りは市街地です。駐屯地には今年度より第10師団から中部方面混成団へ管理替えとなった第49普通科連隊の第3中隊も駐屯しています。
連隊長吉田壮介1佐が訓示を行います。連隊長は昨年八月に着任されたかたで、前の連隊長は古庄信二1佐、古庄信二1佐は 国際活動教育隊長として転任し、駒門駐屯地司令となりました。先日紹介した駒門駐屯地祭にて訓示を述べられていた方です。
観閲行進へ。指揮官訓示と来賓祝辞に祝電披露を終えて観閲行進が開始されました。連隊の幕僚が82式指揮通信車に掲げられた連隊旗を先頭に車両にて連隊長へ敬礼します。このあたりで、当方は携行するEOS-7DとEOS-50DとともにG-12による同時撮影を行うのですが、新しい撮影方法を実践しました。
連隊の隊員による徒歩行進、市街地戦闘用の装備や野戦用装備の隊員が梯団を組んで行進します。このあたりで、G-12の新しい撮影方法を。展開に出遅れたという前述の通り最前列付近を確保できませんでした、これでは携行する小型三脚にG-12を載せレリーズを使用し一眼レフと共に同時撮影といういつもの手法は不可能となります。
連隊本部及び本部管理中隊の観閲行進。信太山駐屯地は観閲行進にこの勾配を曲がり降りてくる観閲部隊を正面から撮影できる駐屯地として有名です、是非ともG-12でも撮影したい、そこでどうしたか、小型三脚を折りたたむとそのまま三脚を背広のポケットに仕舞い、そこからレリーズで同時撮影した、というもの。
第37普通科連隊は、連隊本部及び本部管理中隊と第1中隊、第2中隊、第3中隊、第4中隊、第5中隊、重迫撃砲中隊 を基幹としています。第3師団隷下の部隊は2006年の師団改編と共に普通科中隊を増強し、併せて狙撃班の新設なども行いました。
軽装甲機動車、第37普通科連隊では第5中隊へ装備されています。普通科中隊隷下の小銃小隊小銃班を二両の装甲車両へ分散させることで乗車戦闘展開時の機動展開と火力網の緻密化を期した装備で、MINIMI分隊機銃の拠点や非冷却シーカーの採用で瞬時の戦闘が可能且つ撃ち放し能力をもつ01式軽対戦車誘導弾の機動に活躍します。
観閲行進には連隊以外の参加部隊も続きます。写真は姫路駐屯地の第3特科隊FH-70榴弾砲、後ろには大久保駐屯地の第3施設大隊81式自走架橋柱、更にその後ろには姫路駐屯地の第3高射特科大隊からの81式短距離地対空誘導弾の車両が、とその後ろに、と観閲行進は続く。
03式中距離地対空誘導弾、青野原駐屯地より参加した新鋭車両です。制式化より10年以上を経ましたが改良型を開発しており、野戦用地対空誘導弾の新しい主力として休止活かした改善ホークⅢ型を置き換えています。 1個群の整備には実に10個連隊に3個中隊づつの96式装輪装甲車を整備すると同等の費用を要しますが、野戦防空能力の近代化へ自衛隊は努力を惜しみません。
第3戦車大隊の74式戦車と96式装輪装甲車、今津駐屯地より参加しました。旧式化著しい74式戦車、今年で制式化より40年を経ました。遠からず全ての74式戦車は機動戦闘車か10式戦車に置き換えられ、駐屯地の広報保存車両として親しまれる第二の人生を送ることとなるでしょう。
訓練展示模擬戦へ、当方も撮影位置を転換します、幸い端の方は空いていて最前列を確保出来ました。G-12は小型三脚を折りたたむとそのまま三脚を背広のポケットに仕舞い、そこからレリーズで同時撮影した、と紹介しましたが、この方法の利点の一つ、体をよじれば少々苦しいですが訓練展示を一眼レフと共にかなりの部分で撮影出来ました、もちろんフレームは勘頼り。
訓練展示はこれまで三脚の定点撮影をレリーズで管理していた際に、展開や動きの在りそうな方向にズームし定点撮影するという手法でしたが、体ごと動かすと一眼レフと共に自由度を高めて撮影出来ます、動きがある方向に体を向けるだけですので、なにやらM-3グラント中戦車のような無理が、上の方が大きいカメラですので副砲を車体に備えた五式中戦車というべきでしょうか、やってみたというもの。
小銃と機関銃が空包の乾いた音を響かせる中、軽装甲機動車より降車展開した普通科隊員、仮設敵の射撃の中で火砲の支援とともに着実に前進してゆきます。先ほどの位置からですと完全に背後から眺めるだけの撮影で、これは移動して正解だったといえるところでしょうね。
FH-70榴弾砲の射撃と最終弾落下とともに普通科隊員が攻撃前進へ展開しようとするところ。流石にG-12の毎秒2枚の撮影能力ではFH-70榴弾砲の発砲焔、その瞬間を収めるのは不可能だったようです、時として成功することもありますので、やはり油断できないところではあるのですが。
しかし、その瞬間、仮設敵が装甲車による反撃を試みてきました。重機関銃をどんどんとお腹に響くような音を続けつつ反撃を試みてきます。いきなり180°近く違う位置からの状況の急展開へも新しいG-12の撮影方法ですと、何とか対応できた、というかたち。
74式戦車が即座に反撃、響く轟音、発砲焔写らず。装甲車は想定撃破されます。ちかく、機動戦闘車に置き換えられるとされる74式戦車ですが、大隊は2個戦車中隊より編成され、第1中隊を師団長直轄、第2中隊を連隊戦闘団へ配属させる方式です。しかし雑談で本当に戦車を全て本土から引き払うことはあるのか、と。
300両と戦車は縮小されますが、戦車には戦車でしか対応できない任務も多く、場合によっては師団長の最後の手札として10式戦車を第1中隊へ配備し、装輪車主体の普通科連隊支援にのみ第2中隊へ機動戦闘車を配備するのではないか、と 雑談したところ。その後、普通科部隊は突撃に移行し、敵を撃破、状況は終了しました。
装備品展示ですが、NBC偵察車、第3特殊武器防護隊のNBC偵察車が初展示されていました。配備されたばかりの装備のようで、千僧駐屯地の第3師団創設記念行事では目玉装備として紹介されるのでしょうね。常連でもこのあたりでは見かけない巨大な車体に多くの方が注目し、記念写真を収めていました。
装備品展示にて、各種重装備を軽装甲機動車の射場から射撃姿勢を展示する装備品展示が行われていました、こうした装備展示は中々珍しく、間近に見られない対戦車火器の射撃姿勢を撮影することが出来ました。その後、帰りに何故かOB会の方にお酒を御馳走していただき、ほろ酔い気分で帰路に就きました。最後になりましたが、現地でご一緒いただきました皆様、OB会の皆様、ありがとうございました。