北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

チリでM8.8の地震 日本列島太平洋岸全域に大津波警報・津波警報

2010-02-28 12:05:25 | 北大路機関 広報

 報道されているように昨日日本時間1500時にチリ近海を震源として発生したマグニチュード8.8の大地震は、1960年のチリ津波と同じように太平洋を越えて日本列島に間もなく津波が到達するとして、気象庁は警戒を呼び掛けています。気象庁は北海道南西沖地震以来実に17年ぶりに大津波警報を発表し、警戒を呼び掛けています。

 本日は500系新幹線東海道新幹線のぞみ運行引退の特集を行う予定でしたが、急遽予定を変更します。また、重ねてのお願いですが、新幹線の撮影名所として知られる浜名湖周辺の鉄橋部分や、富士山と富士川の美しい情景が撮影できる撮影ポイントで500系新幹線を撮影しようとされている方で、ノートPCや携帯電話で閲覧されている方へ、その場所は危険です。のぞみ29号の同地点通過時間は偶然にもほぼ津波の第一波到達時刻と重なっています。浜名湖周辺の撮影ポイントは一段低いですし、富士川は津波が遡上してくる可能性が高いです。とにかく、高台と川から離れた場所に避難をお願いいたします。

 津波の高さは1㍍から3㍍と言う規模で、この程度の大波ならば泳ぎに自信のある方はなんとかなる、と思われるかもしれませんが、実は津波の被害の多くは溺死ではなく、出血や打撲で死亡する事例が多いとのことです。津波は、沿岸部のありとあらゆるものを巻き込んで内陸に到達しますので、津波に巻き込まれた状況では洗濯機に木材やガラス片、コンクリート片や岩石とともに放り込まれたような状態になります。プールや海水浴場で泳いだ経験は全く役には立たない訳です。

 津波は時速700km/h以上の速度で進出しますが、沿岸部の水深が低い場所に到達すると速度は急激に低下します。しかし、津波の後ろは高速のままですから、速度が低下した先端部分の波を航続の部分が押し上げる形となります。すると波の高さは際限なく上に上昇し、そのまま陸上に到達します。陸上に到達した際に、普通の波であれば大地の抵抗ですぐに引波となりますが、津波は波の幅が大きく、あとからあとから押されて内陸部に浸徹します。そして前述のように陸上の全てのものを巻き込んで、浸食していきます。

 海水とともに多くのものを巻き込んだ津波は一定の場所まで到達すると、再び海へと戻って行きます。しかし、普通の大波よりも多くの海水を陸に押し上げるのですから、戻ってゆく海水の量も桁違いです。呑みこまれれば最後、全ての海水とともに濁流となって海に押し戻され巻き込まれたものは海中に引き込まれる訳です。離岸流とは比較にならないほど沖合まで、渦の中のような状態とともに連れ去られる訳です。

 第二波、第三波は第一波が呑みこんだ家屋や橋梁、その他の建築物の残骸、それに自動車、樹木、その他動くものすべてを引き込んだ海水が再び押し寄せますので、巻き込まれた場合に人がどうなるかを考えると、どうしても憂鬱になります。高台、丘陵地帯や内陸部の頑丈な建築物、できれば山頂に避難してください。今回は震源が遠いので避難路は山岳崩壊などで通行不能、ということはありません。

 津波の場合は沿岸部でも高いコンクリート建築物に避難すれば、なんとななる、と考えられるかもしれませんがしれは次善の策です。3㍍の津波となると海底の岩石を巻き込んで陸上に押し流されてくる津波岩による被害が想定されます。津波岩は海底の一部が文字通り陸上に津波によって押し運ばれてくるもので、かなりの重量のものが運ばれてきます。津波のエネルギーは大きいですから、波と同じ速度で岩が建築物に衝突する訳です。場合によっては津波に耐えた建物でも津波岩の直撃により破壊されてしまう可能性がある訳です。ただ、次善の策ですが、最善の策に近いですから、高台に避難できない場合は頑丈な建築物に避難してください。一方で、沿岸の建築物に足を運んで津波を見物しよう、という判断だけは避けてください。

 太平洋沿岸の私鉄線やJR線は大きく運行を見合わせているようです。JR東日本の路線も三陸海岸沿岸を中心に運転見合わせを行っているほか、東海道本線の熱海周辺でも運転見合わせが行われているようです。JR北海道やJR東海沿線にも海に隣接した区間がありますので、運転見合わせの範囲は今後拡大すると考えることが出来るでしょう。東海道新幹線開業以来、1㍍を越える津波が沿線に押し寄せるのは、今回が初めてなのではないでしょうか。厳重な警戒が必要です。

 想定される津波は、東北地方の一部、大津波警報が出されている区域で3㍍。しかし、V字型の海岸線などは行き場を失った津波が合成波を形成してより高くなる可能性があります。防波堤や防潮堤ですが、三陸海岸では多くの津波の経験から頑丈で高い防波堤が建設されているのですけれども、一方で他の地域では、津波を想定した防波堤では無いものもあります。津波は先ほどの記載のように、波長、つまり波そのものの幅が大きいですので、一度乗り越えられれば、そのまま航続の幅の津波が上陸してきます。防波堤、防潮堤を過信しないように避難をお願いいたします。

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阪急6300系 気品高き特急車は明日が京都本線特急・通勤特急運行最終日

2010-02-27 23:53:48 | コラム

◆6300系は京都本線特急の象徴的存在

 ヘッドマークを先頭に京都本線を快走する阪急6300系は、いよいよ明日が阪急京都本線から6300系特急が引退して、嵐山線の運行に移行する日です。
Img_5479  阪急京都本線といえば、6300系特急から9300系に移行しつつある路線です。しかし、かつては2800系が2扉クロスシート特急として活躍していた路線です。しかし、さかのぼればもともとは新京阪電鉄が高速線用路線として建設した路線で、京阪電鉄といえば、ロマンスカーという名前の生みの親、今は小田急が固有名詞の如く使っている名前ですけれども、そのロマンスカーP6が鉄道省特急燕号と壮烈な競争を行っていた路線、そういうことで、京都本線の特急にはクロスシートの車両が当然のように充当されることとなり、6300系が開発されました。

Img_5432  6300系は、特急用車両として設計されていて、全長19000ミリ、車体幅2800ミリと阪急電車としては当時最大の車両となっていました。重量は37トン。先代の2800と比べた場合、同じ2扉クロスシート車でしたが、通勤輸送を考え扉は大型化していて、両開き形状を採用しています。一方で扉は車端部分に寄せられていて、客室部分は実質的に大型化しています。窓は二枚連続窓が採用されていて、2800系よりも上に大型化していて、車窓の眺望を向上させています。車内はゴールデンオリーブの転換式クロスシートで統一、ただし運転台後方だけは二人用ロングシートとなっています。

Img_4732  車内はほかには木目調でおちついたデザイン、外部塗装はマルーンの阪急カラーに上部をアイボリーという塗装を阪急電車として初採用、標識灯と尾灯のまわりにステンレスの飾り帯を有しているのが6300系の外見上の特徴になっていて、鉄道友の会から1976年にブルーリボン賞を受賞しています。1987年には車内にカード式公衆電話を設置、サービスの向上につとめ72両が生産されました。

Img_5080  車体は鋼製、動力は動力車各車に140乃至150kwのものを四基搭載しています。ブレーキの空気ブレーキ装置HRD1Dは電気指令式ブレーキで高速運行から素早い停車を実現させています。また、減速の抵抗で発電し架線に電気を戻す回生ブレーキも搭載しています。制御装置は直流モーターの界磁制御回路にサイリスタを用いてチョッパ制御をする界磁チョッパ制御方式の車両として設計されていて、当時としては高性能なICを多用した三重系無接点制御装置を採用して整備性を向上させています。台車はFS369で、容量の大きい空気バネ方式、この採用で車内の動揺を軽減する設計となっています。

Img_5471  6300系といえば西京極駅。誰がそう決めたのかと問われればわたしです。異論は認めます。桂駅と烏丸駅・河原町駅を利用することが多いので、その中間にある西京極駅は、手頃なカーブが河原町駅方向から延びていて、梅田方面を見れば理想的な直線が続いているのです。撮影には理想的。ちなみに京阪では出町柳・三条と東福寺・伏見稲荷駅を多く利用するので、鳥羽街道駅のカーブが個人的にお気に入りです。西京極駅を特急や快速急行、通勤特急は通過してゆくのですが、西京極と鳥羽街道の共通点は、白線のかなり内側からの方が、危険なホームの白線寄りよりもいい写真が撮れるので、安全、ということでしょうか。もう一つは、そこまで人がいない、ということですね。ちなみに、6300系が通過する時間帯はこの西京極にも多くのカメラマンが集まっていましたので、十分にここで撮る機会のあった私は、6300系の京都本線での撮り納め、という意味合いで撮影しました。もしかしたら、いやなんでもないです。

Img_4474  最後に乗ろう、と考えた時、とりあえず、先行する9300系の特急を利用し茨木市駅まで前進しました。高槻も考えたのですが、茨木市に一歩先に足を運び、6300系に乗り換えることにしました。6300系は、片側2扉車なのですが、扉の数とは対照的に乗り降りする阪急電車ファンの方は多く、時間がかかるのでしょうか、と思いつつ実際に到着するとそれほどの混雑でもありませんでした。大阪梅田と京都河原町は特急や通勤特急で片道ざっと45分、最後の1編成になってしまった6300系の京都本線特急運行なのですけれども、待っていればちゃんとやってくるのですし、一日あたり阪急電鉄によれば15本の特急を6300系で運行、桂の車庫との間で回送電車や普通電車として運行する便数も加えればかなりの数になるので、一日一本のブルートレインや、500系のぞみ号一往復の撮影に比べれば余裕があるのですよね。

Img_4488  また、名鉄パノラマカーの最後と比べれば、八両編成で収容力はありますし、展望席に人が集まるというようなこともありません。・・・、嵐山線に充当される6300系リニューアル短縮編成が将来、最後を飾るときのことは予測できませんが。さすがに着席することはできませんが、吊革も取り付けられた、通勤輸送も考慮した特急車両、電車に揺られながら十三に向かいます。

Img_4524  十三で神戸本線に乗り換えて、西宮北口で今津線のりかえか神戸三宮、もしくは塚口から伊丹線に、という経路で移動したいところですが、今日は別、切符は梅田まで買ってありますので、ここでほかの阪急電車を眺めつつ、戻ってくる6300系特急を撮影して、行き違いに梅田へ向かうこととしました。

Img_5137  阪急電鉄HPに発表されていた6300系の運行は午前と午後に分かれていました。早朝に桂の車庫を出発、朝0730に河原町を特急として発車して00817に終点大阪梅田に到着。0824に梅田から折り返して0912に河原町へ。河原町を0920に梅田に向けて出発し1004に到着。梅田を1010に河原町へ向けて発車して1053に終点。

Img_5139  河原町から1100に梅田に向け出発して1144時に到着。1150時に梅田から折り返して1233に河原町。1240時河原町出発、終点梅田に1324。ここで最後の折り返しをおこなって、その後車庫に入ります。この情報をもとに撮影に赴いたのですが、最終日である明日も同様の見込み、御参考に阪急HPとともにどうぞ。

Img_5140  午後の運行は、京都河原町を1609に出発して大阪梅田に1654到着。梅田から折り返して1700発車、1744京都河原町到着。1749河原町出発で梅田に1834到達。梅田を1840の発車で1924河原町。折り返して河原町を1929に出発、梅田に2014到着。2020に梅田を河原町に向けて出発して到着は2104。

Img_4535  2109に折り返し河原町を梅田に向けて2154到着。2200に最後の特急として梅田を出発、2246に河原町駅に到着し、河原町駅からは桂行き普通で出発、終点桂で車庫に入る、という一日の運行が行われる旨、阪急電鉄HPには掲載されていました。時間の都合にあわせて、撮ったり乗ったりができるわけですね。

Img_4648  十三駅で一通り写真を撮り終えて、大阪での所用も済ませましたので、京都に戻ることに。大阪では買うものがあったのですが、梅田駅というのは阪急が造り上げた一つの街ですね、少々身の回りが荷物で重くなっていました。ちょうど時計を見てみれば時間は先ほど見送った河原町への6300系特急が戻ってくる時間帯でした。

Img_4665  そこでやはり、梅田駅で6300系を待ちます。河原町駅は新京阪の時代に建設された高速線なので、阪急の神戸本線や宝塚本線とは地下部分が路線にあるなど、少し違った雰囲気なのですが、神戸本線の特急、宝塚本線の急行、そして京都本線の特急が十分に一度同時発車します。

Img_4669  十分おきなので、乗り過ごしても次の特急がすぐにやってきてくれるのですけれども、同時発車、というのは何故なのでしょうかね、ダイヤを組む上での趣味なのでしょうか、発車すると十三駅、この駅はWeblog北大路機関発祥の地なのですけれども、併走していきます。この様子はなかなか壮観で、ついつい見入ってしまいます。一般の人でも、同時発車には、おお、と思うことがあるそうなので、電車好きには、一本といわずどれだけでも時間を過ごせてしまいます。私も同様に、ちょうど晴れたいい天気の下で電車を幾本か眺めていました、9000系と9300系も洗練されていて、なるほどなあ、と物思いに耽っていると十五分ほどでしょうか、すると6300系がやってきました。普通電車の発車と時間が重なってしまいましたが、ちょうど普通電車は阪急電鉄最古参の2300系、いい具合に並んでくれました。

Img_4676  梅田駅に到着した6300系はあることを行います。河原町駅では、6300系は到着するとそのまま乗客を降ろし、梅田駅に向かって特急や通勤特急として出発していきますが、梅田駅では条約をいったん完全におろすと扉を閉めます。そして車掌さんの釦操作一発でクロスシートの無期を一斉に転換させるのです。これは、無人の車内で同時に座席が動きますから、はじめて見た人は少々驚くようです。

Img_4726  名鉄の7000系なんかは、新岐阜の終点で車掌さんが車内を歩きつつ、一つ一つクロスシートの方向を歩きながら切り替えていきますが、阪急特急では一発です。一発のはずなんですが1975年から阪急の看板特急として頑張ってきた車両というだけあって、完全に起き換わらない座席もあるようです。こういう座席は車掌さんが気づけば手動で向きを変えてくれますし、そこまで気にならない乗客の方はそのまま座席に座ってくれます。

Img_4697  6300系はクロスシートが売りなのですから、そのまま座席に収まって、終点までのんびり車窓を楽しむのが王道なのでしょうけれども、梅田や河原町から乗車して、混雑している中で茨木市や高槻、淡路で乗り換える人には不便かもしれません。昔はそうした駅には特急は停車しなかったので、のってしまえば、そして座れれば京都か大阪まで車窓を楽しめたのですね。しかし、停車駅が増加した今日では、乗り降りに2扉車は不便だ、という話には説得力があります。

Img_4719  さて、乗車です。目的地は京都河原町から一つ手前の烏丸、始発の梅田駅から殆ど終点まで乗車するわけです。もっとも、時間帯が時間帯ですから混雑しているわけでもなく、もし途中の駅で降りようと思えば、この乗車率ならば苦労はないのですけれども、ね。6300系に乗り込みました。久しぶりにリラックスしての乗車です。夜間を除けば、ここまで落ち着いて阪急特急のクロスシートに身を委ねるのは久しぶりのことです。車窓を楽しめる、つまり明るい時間というと、どうしても向かい側から6300系がやってくるのではないか、と気になってきますから、なかなか落ち着けないわけです。電車好き、といっても電車の旅といいますか、移動は正直に満喫できないこともあるのですよね。しかし、この日、といいますか、この時点で京都本線の運行に就くことができる6300系は、今乗っているこの一編成のみですから、向こう側から6300系がやってくる、ということはないわけです。よかった、これで久しぶりに6300系の車窓を楽しむことができる。

Img_4991  6300系、親子連れも乗り込んでいました。お父さんとご子息、一つ前の座席に座っていましたね。お子さんにしてみれば、古い6300系よりも新型の9300系の方に興味があるようです。しかし、特急河原町行きが梅田駅を出発すると、個々の小さな発見を口にしてくれますので、純粋に電車を楽しむ姿、というのはこちらにも新鮮ですね。そして、私は久しぶりに、というわけでもないのかもしれませんが、6300系の車内で一眠りしました。

Img_5011  この日1609の運行からヘッドマークが搭載されての運転です。市内で所用を済ませたら夕食は桂でとろう、そんなことを考えつつ、淡路をでて、次は茨木市、という案内放送は聞いたような気がします、気づいたときには、もう桂駅に到達していました。これです、こういうのが本来の6300系ののり方なのでしょうね。ここで烏丸に到着すると降車しました。折り返しの6300系を撮ろう、という目的のためですが、久々に6300系に乗りリラックスできたので気分は上々です。

Img_5165  9300系の座席も素晴らしいものなのですけれども、やはりね、頻繁に乗り降りをするための車両なので、乗り心地のいい通勤車が特急に充当されている、というところなのですが、6300系は特急車なのですよね、このあたりが違うなあ、と思ったところです。そして、特急車は通勤に向かない、というところなのでしょうか。6300系よりも古い2300系や3300系、5300系が元気に京都本線を行き来しているところをみると痛感します。ところで、9300系って、名鉄7700系の座席ににている印象があります。

Img_5210  どうでもいいことですね。名鉄7000系パノラマカー亡き後最後の急行車として奮闘する名鉄5700系や京阪8000系テレビカーも片側2扉で通勤輸送に向かない、という指摘がありそうですが、これら車両は車体のやや中寄りに扉を配置しています。しかし、6300系は車端部、ここが違いです。もっとも、5700系も3150系のような3扉中途半端セミクロスシート折衷車へ、8000系も次の特急はテレビカーがリニューアルとともに廃止されるとのことですから、果たして次世代は2扉か3扉か、気になるところですけれどもね。

Img_5214  6300系は特急の停車駅が多くなったので使い勝手が悪くなった、と書きましたけれども、昔の阪急特急は停車駅がすごく少なかったのだそうです、もう、茨木市も高槻もどんどん通過、という勢いでした。1991年の時点での停車駅は京都本線の場合、河原町、烏丸、阪急大宮、十三、阪急梅田。通勤特急には停車駅に高槻市が加わります。それが今日では、大宮は抜けているものの桂、長岡天神、高槻市、茨木市、淡路が加わっているのですね、通勤特急では淡路が無くなりながら西院、大宮に停車します。もっとも、当時は20分乃至15分間隔の運転でしたので、10分間隔運転になった時点で変化した、といえるのですが。

Img_5426  これは最高速度110km/hの阪急電鉄が、130km/h運転を開始したJRの新快速にたいして速度では対抗できないので、停車駅を増加させて利便性を向上させるほかなかった、ということが挙げられます。10分間隔で運行させるならば、利用者は15分間隔の新快速よりもことらを選ぶでしょうし、運賃も大阪と京都で390円と、JRの540円よりも安くなっています。こうして、輸送需要の変化に対応できるのかという点と、特急運行に長期間使われたことで老朽化している部分もおおくあるようで、遂に明日、京都本線の運行から引退します。しかし、阪急が観光地として錬成した嵐山と京都本線桂駅を結ぶ嵐山線を観光電車としてリニューアルした短縮編成が投入されて、しばらく頑張るようです。

Img_5438  阪急京都本線特急といえば、6300系から9300系に移行します。3扉車で普通電車や準急にも充当されるので、ちょっと風格では不足分があるようにも。いろいろと通勤車両としては言われることがある6300系ですが、何度も大阪へ神戸へ向かう時に利用した身としては、京都の河原町や烏丸から着席して移動するには素晴らしい電車でした。良い時代の良い電車、という感想とともに、思いつくままに書き、今週に撮影した6300系の写真を並べました本日の記事を締めくくりたいと思います。

HARUNA

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さよなら名鉄7700形 パノラマカー最後の系譜は本日で通常運行離脱

2010-02-26 23:52:42 | コラム

◆名古屋鉄道226!

 本日は226の日ということですが、本日を以て名鉄7700系の定期運行が終了するとのことです。パノラマカー最後の血統の最終章、本日は、この話題を掲載します。

Img_8561  名鉄7700系は、7000系、7100系、7500系、7300系と続いた名鉄7000系列の最後に当たる電車です。7700系は全長18.8メートル、名鉄電車としては平均的な大きさで、重量は36.5トン、座席定数は66席、乗車定員は100名。7100系と同じS形ミルデン方式のFS384台車を採用しています。

Img_8234  主電動機はTDK825/3A2で、こちらも7100系と同じです。制御装置は7000系共通のMC-11で、制動装置も7000系共通のHSC-D,製造は日本車両です。基本的には7000系パノラマカーとの連結を考えた車両でして、最後の方にはパノラマカーと連結運転も復活しているのですよね。

Img_8191  支線にもパノラマカー並の車両を、ということで7700系は開発されたもので、パノラマカーは車体が大きく構造限界に引っかかってしまう路線も多いことから、運転台を7000系の二階に上げたものから、通常型の運転台に改めた設計となっています。これで、電化された路線のほぼ全てに乗り入れることが出来ることとなりました。

Img_8197  7700系は、7000系のような展望席こそありませんが、7700系は、特急用の7000系白帯車と同じものとなっています。正確には7000系八次車と同じ車内というべきでしょうか。見た目は全く違いますが、座ってみますと乗り心地や車内の雰囲気ははパノラマカーの白帯車と同じな訳です。

Img_8182  もともとは四両編成のものと、現在の二両編成のものが製造されているのですが、四両編成のものは中間車を7000系の中間車として供出して、四両編成の編成を二両化、二両編成のものだけとなりました。1983年には車内を近代化します。そして車内は、現在の7700系のものとなるわけなのですね。

Img_8292  1983年には、7000系に座席指定席券、今日の特別車両券にあたるものですが、この実質的な特急料金が必要な特急として運用するに当たって、シートの個別化をはじめ、車内の通路部分を改めるなどして、特急車という名に恥じないリニューアルをおこなって、急行車との差別化をはかります。

Img_8304  リクライニングこそしませんが、なかなかの座席で、これにより、支線の特急としても運用することができるようになりました。しかしながら、悲しいかな吊革は装備されていますし、車内広告なども下がっていたりする訳です。特急運行のときは取り外したのかもしれませんが、このあたり白帯7000特急を利用した時の記憶があいまいです。

Img_8310  先ほど書きましたように7700系は、普通電車として運行されることもあり、これは7000系の白帯車の普通電車運行でも言えることなのですけれども、そのときは運賃だけで指定席券不要で利用できる車両なのですが、特急から普通へ、運用上は重宝されました。JRでいえば183系や583系等の快速運用というところでしょうか。

Img_8381  もちろん、ラッシュ時に特急を利用しよう、という事で座席指定席券を購入して、昼間普通電車と同じ電車がやってくるとがっかりするでしょうし、扉は通勤輸送を考え2扉は中より、自販機やお手洗いはなく、客室とデッキも仕切られていませんので、冬季には扉を開けた時に寒風が吹きこみます。

Img_8474  その後、7700系は、1000系パノラマSuperの導入や、支線には8800系パノラマDXの導入で、特急運行から退いていきます。支線は三河線の普通電車用として改修され、ワンマン運転対応型に改造され、知立駅で特急を望見しつつ豊田市や刈谷市、碧南市とを結び遂に最後のときを迎えるという今日にいたります。

Img_8529  7000系といわれれば昨年に惜しまれながら引退した展望車を備えた電車、7000系パノラマカーの系統にある最後の電車です。小田急電鉄やJR九州、そして一時期JR北海道がリゾート特急として多用した特急車に展望車がありましたが、1961年に運行を開始した名鉄パノラマカーは、展望席を持つセミクロスシートの車両でありながら、特急料金を必要としない急行や普通電車にも充当された、身近な電車ということで特筆したい電車でした。

Img_8486  セミクロスシートではありますが、ロングシートの部分は扉付近の乗り降りに必要な空間を確保するために二人用ロングシートを配置したというわけで、乗ってみますとかなり居心地のいい電車、といえました。もっとも、通勤輸送では、名鉄は名古屋を起点として、岐阜、豊橋、春日井、一宮、岡崎、犬山、蒲郡、常滑といった周辺都市をと結ぶ電車路線を形成していましたから、特急といえども停車駅は多かったのです。

Img_8538  京阪や阪急が京都と大阪を中心に特急が結び沿線都市からも輸送を担う、というような大都市間を結ぶ輸送とは根本的に異なったものがありました。だから、京阪や阪急の一昔の特急のように、大阪を出発すれば京都まで殆ど停車しない、ということもありませんでした。片側2扉車のパノラマカーは、通勤客には、特に普通電車や停車駅の多い急行で運行されたときには、クロスシートで収容できる人数が限られていて、しかも、名古屋や金山といった大人数が乗り降りする駅以外で利用する人には好評とはいい難かった面もあるようです。

Img_8602  ただ、そうはいってもクロスシートの車両を名鉄が多く運用している、ということで、国鉄時代には国鉄もクロスシートの117系を新快速で投入しましたし、JR西日本の223系と並んでクロスシート130km/h運行が可能な313系が導入されるに至ったわけです。京阪神と並び、東海地方に快適なJR車両が走るのは、名鉄との競争があってこそ、ともいえるのでしょうね。

Img_8617  こうして頑張ってきた7000系の系譜ですが、7500系、7000系、7100系、とともに仲間は減ってゆき、ついに本日7700系が定期運行から離れました。今回掲載した7700系の写真は2月18日に撮影したものですが、定期運航から離れたのち、三月にさよなら運転を行う予定、名鉄の一時代を築いた7000系列の電車は、ここに終点へと到着することになるようです。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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ソマリア沖海賊事案 第三次派遣水上部隊任務完了、283隻を護衛

2010-02-25 22:34:38 | 国際・政治

◆アデン湾海賊対処

 2月24日の防衛省発表によれば、2月20日、海上自衛隊ソマリア沖海賊対処任務第三次派遣水上部隊は第四次派遣部隊に任務を移管し、帰国の途に就いたとのことです。

Img_6426  第三次派遣水上部隊は、護衛艦たなかみ、はまぎり、から編成されていて、ヘリコプター四機を搭載しています。派遣部隊が実際に行った護衛任務の回数は34回、護衛対象となった船舶は283隻で、一回の護衛任務では平均して8隻から9隻の船舶を警護対象として護衛を行った、という事になります。

Img_7177  283隻のなかで、日本船籍の船舶は2隻、日本の海運事業者が運行する外国籍船は65隻、この65隻のなかで日本人が乗船する船舶は3隻だったとのことです。したがって200隻以上が海賊対処法以前の海上警備行動では護衛することが法的に出来なかった、ということになり、逆にいえば海賊対処任務が世界の海運に対して少なくない役割を果たしている、という事も出来るでしょう。

Img_5618  第四次派遣水上部隊は、護衛艦おおなみ、さわぎり、から成る部隊で、現在任務を遂行中です。日本の護衛方式は、防衛省への申請をもとに現地で集結、船団を組み、その周辺を護衛艦とヘリコプターが哨戒するというもので、集結地に集結し、もっとも船足の遅い船を基準に船団を組むというものですから、海運の効率上では問題もあるのですが、確実な護衛が可能な方式です。

Img_4944  しかしながら、海上自衛隊が派遣している現在の二隻体制は、数として充分なものかと言われればそうでもないようで、実際問題として派遣可能な上限を2隻、としたものです。一回派遣してそれでお終い、ということならばもっと多くの護衛艦を派遣できるのですが、交代と日本での訓練、日本周辺での哨戒を行う事を考えると、どうしてもこの数字に収まったという事なのですが、海賊事案はいつ終息するのか、未知数、というのが一つの悩ましいところでしょう。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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ハイチPKO任務 派遣部隊は空輸車両とともに瓦礫撤去任務を開始!

2010-02-24 22:24:24 | 国際・政治

◆宿営地開設と任務開始

 ハイチでの陸上自衛隊PKO任務は、社会部偏重国際部冷遇という日本のマスコミが有する問題点を反映しているように殆ど報道されません。

Img_6446  そこで、防衛省自衛隊統合幕僚監部のWebサイトをみてみますと、定期的に活動情報などが掲載されています。ハイチ地震が発生したのは1月12日、2月3日時点のハイチ政府公式発表では、死者20万人を確認しているとのことで、行方不明者を含めれば被害が局地的に集中する直下型地震という点も踏まえ、首都ポルトープランスを襲った被害が想像を絶するというほかないことがみえてきます。

Img_1462  このハイチ地震に対して、日本政府は傍観を決め込んでいたのですが、旧与党の自民党からの働き掛けなどもあり、国際緊急援助隊を医療支援として派遣、2月5日、加えて国連ハイチ安定化任務へ陸上自衛隊の派遣を決定し、チャーター機により先遣隊と必要な車両などを空輸しています。

Img_3048  統合幕僚監部Webサイトには、チャーターした世界最大のアントノフAn-225輸送機から車両が展開する様子、そして倒壊したナデール美術館における瓦礫撤去作業の様子が掲載されていました。撤去作業には、油圧ショベルが作業にあたっている写真が掲載されています。また、ダンプにより宿営地周辺の平坦化作業の様子が載せられていました。

Img_2578  輸送機により中型セミトレーラとともにブルドーザーや油圧ショベルが派遣されているのですが、長距離を自走できないこの種の車両は、国内の災害であれば大きな役割を果たすことが出来るのですが、今回の任務では搭載量が限られた輸送機によりセミトレーラを空輸しなくてはならない、という点が少し気になりまして、将来的に施設科装備体系にも、空輸、という概念を含めて設計を行う必要があるのかな、と思いました次第。

Img_3005  バケットローダーも派遣されていまして、宿営地設営は無事完了したようです。記念しての集合写真の背景には七張のテントを確認することが出来ます。派遣された隊員は、現地で国連IDを取得し、教育隊の駐屯地祭でお馴染みの自衛隊体操から一日が始まる、という快活な様子も写真として掲載されていました。

Img_3999  今回は、派遣決定から短時間で現地へ部隊が派遣することが出来たのですけれども、一方で、国会でのハイチ支援に関する議論は殆ど行われず、マスコミもハイチという遠隔地という背景から取材力の限界を来たし、ほとんど報じられていません。しかし一方で、日本を代表して被災地復興に尽力する姿がかの地にあることは確かな訳で、もうひとつ、昔の派遣する、しないをめぐる議論を思い出せば、日本と世界のかかわりについても、一歩議論があっても良いのではないかな、と思います次第です。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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問われる民主党の安保政策 新防衛大綱と新中期防衛力整備計画検討へ

2010-02-23 22:19:17 | 国際・政治

◆新防衛大綱検討本格化

 防衛大綱と中期防衛力整備計画の検討が本格的に開始されたようです。

Img_0495 今回は、冷戦時代を想定してきた装備体系や部隊編成から現在の体制が完全に脱却しているのか、ということを主眼として検討されるようで、この分野は年内に画定されるようなのですけれども、安全保障に関する話題を扱う北大路機関としても分析をしておかなければならない分野となるでしょう。

Img_6936  これまでは、冷戦時代と比較した場合、戦車や火砲は半減、護衛艦や戦闘機などもかなり削減されているのですけれども、結果的に少数精鋭といいますか、少数の装備品を確実に稼働させるための防衛産業を疲弊することとなってしまいましたし、任務が国際貢献として広がりましたので、護衛艦や輸送艦、補給艦といった艦船などは逆に不足が目立つようになりました。

Img_8831  一方で、脅威は、と問われれば、ソ連崩壊以前よりは、師団規模の直接侵攻という可能性は遠のいたものの、中国の脅威は否定し難く、鳩山首相も中国への脅威を念頭に大綱の画定を求めていました。発言に柔軟性のある総理大臣ですが、いまのところ、この認識に変化はないようです。

Img_0008  したがって、冷戦時代の体制からの脱却よりは、実質的に脅威正面が北海道から九州や南西諸島へ、西方シフトしている状況に対応できるのか、ということになるでしょう。テロとの戦い、国内に武装工作員が侵入した場合を想定して戦車や火砲から、小回りの利く普通科部隊に重点を置くべく編成を改編してきたのが、昨今のもう一つの潮流でした。

Img_7166  しかし、野戦に対応できないことの弊害が大きいことへの認識、そして普通科部隊を支える空中機動部隊などの増強が思うようにいかなかったことから、こちらにも何らかの措置がとられると考えるのが自然でしょう。また、経空脅威も中国空軍の近代化やロシア空軍への対領空侵犯措置など、ソ連崩壊後とは明らかに航空に関する安全保障情勢も変化を遂げつつあります。そして新しく弾道ミサイルの脅威も今まで以上に現実となってきました。

Img_3577  これらを総合しますと、果たして冷戦後、自民党政権が継続してきた一貫しての自衛隊の数的縮減を実施してきましたが、この流れからの脱却が可能であるか、という事に注目が必要でしょう。防衛費の縮減を行い子供手当などの予算を捻出したいという視点もあるやもしれませんが政権政党としての判断を期待したい次第。

HARUNA

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救難ヘリコプターへ初の空中給油訓練 米軍空中給油機の支援受け

2010-02-22 23:27:22 | 防衛・安全保障

◆空自C130Hの給油機改造は年度末に完成

 航空自衛隊では、救難ヘリコプターへの空中給油受油装置の装備化を行っていますが、この装備を利用した最初の給油訓練が米軍の協力を受けて行われたとのことです。

Img_8321  朝雲新聞より:2/18日付:ニュース トップ ・・・救難ヘリに空中給油 那覇救難隊のUH-60J 米機の支援で試験  昨年4月から空自那覇救難隊に配備されている空中受油機能が付加されたUH60J救難ヘリ2機が、2月中旬から3月中旬まで、米軍嘉手納基地で約3日間の地上試験を経て、沖縄周辺の訓練空域で米空軍のHC130、KCなど空中給油機の支援により、計約10回の空中給油の飛行試験を行う。 同型機は、遠隔地での災害派遣や島しょ防衛など救難捜索活動で欠かせない長距離、長時間の運航を可能とする空中受油機能が付加されており、中期防(17~21年度)に基づき今年度末までに空自にさらに2機、22年度末までに1機の計5機の導入が予定されている。

Img_8162  空自のC130H輸送機に空中給油機能を付加し、海・空自のUH60J救難ヘリの航続距離を延伸、救難能力の向上を図るのがねらいで、時速250キロ程度で飛行するヘリに固定翼機のC130Hが低速でコンタクト、プローブ・アンド・ドローグ方式で後方に延ばした給油ホースからヘリに空中給油をする。 このため、今年度末までに空中給油機能が付加された1輸空のC130H輸送機の改修機1機が小牧基地に導入される予定http://www.asagumo-news.com/news.html

Img_8408  空中給油機は、現在小牧基地に配備されているC130H輸送機を改修して導入されるということになっていますが、これにより救難ヘリコプターの飛行時間は大きく延伸することが期待されます。一方で、今後のC130HのXC2輸送機配備後の新しい任務、そしてもう一つ考えられるのは、米軍機演習空域の柔軟化への寄与、この二つの面で意味があるのだといえるかもしれません。

Img_6692  本日は月曜日、一週間の始まりということで岐阜基地ではXC2輸送機が飛行試験を行ったとのことです。飛行試験は順調に進んでいるようですが、一方でこれまで国際貢献任務に空輸支援を行ってきたC130Hは航続距離と搭載量の面でXC2よりも下回る部分があります。C130Hは不整地においても自由に離着陸できる能力があって、先述輸送機としては最高の機体と呼ばれています。

Img_6653  XC2のこの種の能力は未知数なのですけれども、一方で国際貢献ではこの能力を確実に発揮できるような状況では投入されませんから、XC2の方が向いているともいえるわけです。そこで、国際貢献の任務はXC2が第一線に配備されたのちにはC130Hは空中給油という新しい任務にあてよう、ということです。

Img_8195  空中給油任務に充てられるC130Hは、特殊な給油装置を翼の下に装備するのですけれども、同時に必要があれば機内に物資を搭載することも可能です。もう一つ、つけ加えればすべてのC130Hが空中給油機に改造されるのではありませんし、救難ヘリコプターの支援以外に、大災害で機能が充分回復していない空港に緊急の物資を送り届ける任務、ミサイル攻撃などを受けて麻痺状態の飛行場に部隊や物資を送り届けるという任務の必要性が生じたときには、即座に対応することも出来るわけです。

Img_1652  もうひとつ、この空中給油方式は、KC767のように、上から燃料を送り込む方式ではなく、チューブを通じて供給する方式で、この方式は海軍機やNATO軍機などに採用されている方式です。航空自衛隊がC130H輸送機の空中給油機への改造を発表した頃に、在日米軍再編計画の一環として厚木航空基地に展開していた空母航空団が岩国航空基地へ移転することが発表されました。

Img_2353  そして、長いこと首都圏の懸案でありました、深夜の騒音、陸上空母発着訓練のなかの夜間発着訓練も厚木から極力、岩国や硫黄島など、首都圏以外の基地に移転することが発表されていますので、その支援も行うということが考えられているのでは、とされているわけです。

Img_2435  C130H輸送機の空中給油機への改造は、救難ヘリコプターへの支援強化ということが主眼ではあることは確かです。ヘリコプターはホバーリングの際に多くの燃料を使いますし、気流の影響も燃料消費に反映されますので、滞空時間の延伸は非常に重要です。一方で、一つはC130HがXC2、制式配備されればC2ですが、この機体にこれまでの任務の一部を譲った際の新しい任務の付与、そして、選択肢として米海軍機による騒音問題への解決策に、米海軍機の航続距離を延伸させることができるという一点を加える、こうした意義がほかにもある、といえるのではないでしょうか。
HARUNA

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普天間飛行場移設案最近の動向:国民新党案まとまり、民主党が分散案を示唆

2010-02-21 23:38:39 | 国際・政治

◆民主党の新しい“分散”案は“さまよえる海兵隊”方式

 日曜日なので、落ちついて普天間問題について情報をまとめてみたいと思います。普天間飛行場の移設案が今まで異常に迷走しているようです。これまででも充分迷走しているのですが、それ以上、首相の発言も日々どころか数時間おきに変更されるほどの状況です。

Img_993_3  十二月までに結論を要求していたのがアメリカの立場で、そこを何とか五月までに日米合意に至るとしていた鳩山政権なのですが、少し前に五月末までに日本における意見を調整すると大きく交代しました。五月まで、と五月末までにということでほぼ一ヶ月延ばしたことになるので透けれども、付け加えて日米合意に至るということが日本からの意見を集約する、と大きく退行したわけです。しかし、それも難しいだろうということから、オバマ大統領が訪日する十一月までをめどに意見を調整するという予測が出ていまして、もともと一つの飛行場を沖縄県内で移設しようとしただけの話なのですけれども、日米関係の大きな外交問題として浮上しつつある状況です。

Img_8312  普天間問題、選択肢を整理してゆきましょう。まず、この問題は日米間の国際関係に依拠した問題ですから、日米間の合意を模索した上で、各論、つまり基地をどこに移設するのか、即ち移設地について日米合意の範囲内で検討するというものになります。今回は、この合意の範囲外も含めて、日本国内で意見を調整した上でアメリカとの交渉を行おう、ということで問題が複雑化している、ということになるのですよね。選択肢としては、第一に現在の日米合意に基づいて名護市辺野子沖に海上の航空基地を建設しよう、という選択肢、正直なところこれがもっともだ東名のですけれども、今日では辺野子の地元である名護市が基地反対運動の加熱という状況にあり、連立与党を組む社民党も大きく反対しています。もう一つの選択肢は、ほかの地域に移転予定地を探すということ、こちらは連立与党が必死に模索している分野なのですけれども、時間的にこちらは難しいでしょう。選択肢として最後に挙げたいのは選択肢となり得ないことなのですけれども、結局移設先を決定できず、普天間飛行場を現状維持するということです。

Img_0005  普天間移設、過去の計画も対象に 首相「検討する価値ある」  鳩山由紀夫首相は17日、沖縄の米軍普天間基地の移設先について「かつてうまくいかなかった案でも検討する価値はある」と述べ、自民党政権時代に検討対象となった候補地も含める意向を示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。  政府はこれまで、米軍キャンプ・シュワブ陸上部やキャンプ・ハンセン、ホワイトビーチ、嘉手納基地などを検討したことがある。いずれも地元の強い反対で断念した。 沖縄県名護市の稲嶺進市長は同日、都内で国民新党代表の亀井静香郵政・金融担当相、北沢俊美防衛相らと相次いで会談。国民新党が掲げるキャンプ・シュワブ陸上部への移設案に反対する考えを伝えた。(07:00) http://<wbr></wbr>www.nik<wbr></wbr>kei.co.<wbr></wbr>jp/news<wbr></wbr>/seiji/<wbr></wbr>2010021<wbr></wbr>8ATFS17<wbr></wbr>0391702<wbr></wbr>2010.ht<wbr></wbr>ml

Img_9118  必死なのでしょう。過去に問題があったことから却下された案を模索するということなのですから。キャンプシュワブ陸上部、こちらはなぜキャンプシュワブ沖合になったのかということに目を向ける必要があるでしょう。地図をみれば一目瞭然なのですけれども、陸上部に設置した場合、名護市の市街地が離着陸する米軍機の進路と重なってしまいます。海上に滑走路を配置した背景には、騒音が住宅街上空ではなく海上ならば、騒音被害も局限化することができるのですし、万一、墜落事故が発生したときには、過去には住宅街や大学構内に墜落し大きな問題となったこともあるのですけれども、海上に墜落すれば、悲劇ですし、機体燃料の流出など環境被害が零とはいえないものの、市街地に落ちるよりは市民への被害は低くなるといえるでしょう。埋め立てることで環境破壊は無視できませんが、自然環境か人間の生活環境かという究極の選択になるところですし、関西国際空港や中部国際空港といった海上空港の環境に与える影響や漁場に与える影響は当初考えられたほど大きくなかった、ということを一つ提示したいと思います。

Img_0176  ホワイトビーチ地区、沖縄の勝連半島先端にあるこの場所には、揚陸艦の桟橋がありまして、海上自衛隊の施設もおかれている場所です。11基の燃料タンクと二本の桟橋を中心とした施設で、艦船への整備補給機能は佐世保基地に比べれば限定されるものの桟橋は850メートルのA桟橋、450メートルのB桟橋、ともに幅24メートルの大きなもので、揚陸艦から海兵隊の乗艦に不可欠な施設です。桟橋のとなりに航空基地、舞鶴基地のような配置でしょうか、検討されたものの、そもそもホワイトビーチは強襲揚陸艦が入港できる数少ない基地でして、面積的にも那覇軍港と呼ばれる那覇港湾施設よりも大きな基地です。ここに航空基地を建設するという案は、ホワイトビーチ地区の海軍基地機能を損なうような案であれば、アメリカ側が了承しないでしょう。もちろん、ホワイトビーチ地区の拡張案というものであれば、検討に値するものがあるのかもしれませんが、ホワイトビーチへの統合という案では不可能です。

Img_8619  嘉手納統合案、この案が可能か不可能なのかでもっとも右往左往した案でしょうか。嘉手納基地からF15一個飛行隊が青森県の三沢基地に移転するという情報が流れ、三沢基地へは先だって展開するF16飛行隊が2009年内をもってアメリカに帰国するという情報が流れたのですけれども、F16のアメリカ本国移転という情報は事実ではなく、嘉手納基地もF15だけの基地ではないことから、仮に一個飛行隊が移転したとしても普天間の機能は統合し得ないということが理解から抜け落ちていたようです。そもそも、普天間は海兵隊の、嘉手納は空軍の、有事における集約拠点になる基地なのですから、平時は空いているように、いえても有事の際にはその限りではないわけでした。自民党時代に検討された嘉手納統合案は、どちらかといえば嘉手納基地に隣接する嘉手納弾薬地区に普天間代替飛行場を建設するという、実質的には嘉手納基地拡張案というべきものでした。弾薬地区の隣接してヘリコプターを運用することは少し安全乗難しいことなのでしょうけれども、加えて騒音は確実に増大する、これが住民の理解を得られなかった訳なのですよね。嘉手納基地は、騒音の規模では沖縄最大の基地といわれています。そこにもう一カ所飛行場を隣接して建設し、このことを嘉手納統合案としていたので、少々無理があるものではあったのです。民主党政権時代にはいってから提示された嘉手納統合案では、嘉手納基地の運用を制限して騒音を現時点よりも低くする旨が提唱されていましたから、自民党時代の嘉手納拡張案とは似て非なるものだったということになります。

Img_0026  国民新が普天間移設2案了承 ・・・ 国民新党は17日午前の政務調査会で、沖縄県の米軍普天間基地の移設先として、県内の米軍嘉手納基地への統合案と、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ陸上部への移設案の2案を党の方針とすることで了承した。  両案とも暫定的な移設であり、普天間基地は10年間閉鎖した後、返還する。県内移設の前提として、県外に訓練を分散移転し、騒音など沖縄の負担軽減策も盛り込む。  嘉手納統合案は、基地内のゴルフ場跡地にヘリの格納庫などを新設し、普天間基地のヘリ部隊23機を移す。キャンプ・シュワブ陸上案は、ヘリポートと1500メートルの滑走路を新設。嘉手納統合案は約1000億円、陸上案は約3000億円で移設可能と試算している。(17日 16:22) http://<wbr></wbr>www.nik<wbr></wbr>kei.co.<wbr></wbr>jp/news<wbr></wbr>/seiji/<wbr></wbr>2010021<wbr></wbr>7ATFS17<wbr></wbr>00V1702<wbr></wbr>2010.ht<wbr></wbr>ml

Img_8436  国民新党案は、キャンプシュワブ陸上部か嘉手納基地に暫定的な飛行場を建設して、普天間飛行場を閉鎖、閉鎖から十年後に返還するというものです。十年間閉鎖ということは一つは有事の際に代替飛行場の面積がたりなかった場合に再開するという海兵隊への利点、そして返還された後の再開発計画が全く未定の宜野湾市に対して、十年間借地料を地権者に支払い続けるとともに返還後の用途を検討するというものでした。ただ、キャンプシュワブ陸上案は、前述のように騒音の問題がどうにもなりません。嘉手納統合案は、こちらも前述のように嘉手納基地そのものの騒音hんもんだいがどうにもならないという一点、そして嘉手納基地の面積は余裕がありそうな中で余裕が実のところ少ないことがあり米軍側の合意が難しいという一点。この二つが解決されない限り、現実性が難しいでしょう。なぜ、ここに国民新党が、思い切ってキャンプシュワブ沖合案を盛り込まなかったのでしょうか。国民新党は2005年に自民党議員を中心に一部民主党議員を受け入れ誕生した政党ですから、自民党案が制定された合意形成の過程に参加していたわけです。そういう背景から自民党時代のキャンプシュワブ沖合案を支持するという動きがあっても、おかしくはないと思うのですけれども、ね。

Img_8392  社民党には、ううむ、台湾海峡や朝鮮半島をにらむ沖縄の米軍基地をグアムやサイパン似移設するということは非常に現実離れしているといわざるを得ません。そこまで無理を押し通すのならば、いっそのこと中国共産党や挑戦労働党との間で太いパイプを有する社会民主党なのですし、香港や中国の一部に駐留するという意味で北京の了解を得て台湾、もしくは北朝鮮の理解を得て、韓国国内、いやもういっそのこと北朝鮮国内にでも基地を移設できないか東奔西走してみるのも一つの手かもしれません。米朝関係を修復して北朝鮮に米軍基地を移設させることができれば、福島党首はアメリカのTIME誌からPerson of the Yearとして選ばれ、さらにはノーベル平和賞が贈られること間違いないでしょう。出来れば、の話なのではあるのですけれども。

Img_8690  普天間移設問題:暫定的に存続 首相周辺で検討、米難色 ・・・ 【東京】米軍普天間飛行場移設問題の解決策として首相周辺で、普天間飛行場を存続させた上で海上自衛隊管理とし、緊急時のみに自衛隊と米軍が使用、すべての訓練を九州の複数の自衛隊基地に分散する「首相案」を検討していることが19日までに分かった。既に首相側近が米政府幹部にも打診。だが訓練環境が不十分などとして難色を示しているという。  政府内では、同案とは別に名護市のキャンプ・シュワブ内にヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)か、滑走路を造る「シュワブ陸上案」も検討されており、政府・与党3党でつくる基地問題検討委員会以外に政府内で複数の案が検討されている模様だ。  いずれの政府検討案も県内移設によるもので、昨年の衆院選中に「最低でも県外」とした首相発言との整合性が問われそうだ。  「首相案」は、普天間飛行場存続は暫定的とし、返還時期は周辺の安全保障状況を踏まえ検討していく。常駐機は置かず、訓練は航空自衛隊の新田原(にゅうたばる)基地(宮崎)や築城(ついき)基地(福岡)、陸上自衛隊日出生台演習場(大分)、海上自衛隊大村航空基地(長崎)などに分散移転することを柱にしている。  政府関係者は「首相は訓練を県外の自衛隊基地へ分散することで普天間を閉鎖状態とし、事実上『県外移転』を実現した形にしたい考えだ」と述べた。  シュワブ陸上案は、キャンプ・シュワブ陸上に約500メートルのヘリパッドか、1500メートル程度の滑走路を建設し、訓練を鹿児島の徳之島や馬毛島に移転する計画。しかし米側は、代替施設に垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを配備する予定で、同機の運用には1600~1800メートルの滑走路が必要。陸上案が実現しても、滑走路機能が不十分のため普天間の継続使用が予想される。(仲井間郁江) (琉球新報) http://<wbr></wbr>mainich<wbr></wbr>i.jp/ar<wbr></wbr>ea/okin<wbr></wbr>awa/new<wbr></wbr>s/20100<wbr></wbr>220rky0<wbr></wbr>0m01000<wbr></wbr>7000c.h<wbr></wbr>tml

Img_7888  この案は”さまよえる海兵隊方式案”というべきなのでしょう。最低でも県外という首相の提案は、最高でも議論の圏外といわざるを得ません。現在海兵隊が運用しているCH46輸送ヘリコプターの代替として、航続距離が非常に大きいティルトローター機V22が導入されることとなっています。これにより、海兵隊陸上戦闘部隊がおかれている沖縄本島からもう少し距離のある場所に飛行場を建設できる可能性が考えられたのですけれども、戦闘ヘリコプターであるAH1WはAH1Zに置き換えられ、CH53大型ヘリコプターもCH53Kに置き換えられるのですけれども、こちらはそこまで既存機と比べて航続距離が大きくなっているわけではないわけでして、ちょっと難しいでしょう。従って分散案は、日本が航続距離が大きく搭載量の大きい機体、SFのサンダーバード2号のような機体でも開発してアメリカに供給することができなかったらば、不可能でしょう。九州全般に移設して、というのは、思いつきもここまできたのか、というような話です。機体を分散移転させるとともに、この案では水陸両用戦闘車両をはじめとした海兵隊陸上部隊をどこに配置するか言及していませんし、九州に及ぶ負担はどのくらいになるのかということも全く未知数です。沖縄がどうにななれば九州はどうでもいいという、思い切った案ですが、思いつきにしてももう少しいいものがあるのではないでしょうか。しかも、普天間の基地機能を全て移設できない場合は普天間の部分運用継続も選択肢に入れるという非常に苦しい案となっています。北大路機関では、普天間機能を那覇基地に統合し、那覇空港を辺野古沖に沖縄空港として移設し、移設完了までは一部海上施設で暫定的に普天間の機能を辺野古沖に移設、新空港工事終了とともに那覇空港と辺野古沖普天間暫定代替基地を入れ替える案を提示したのですが、実際はどうなるのでしょうか、最終的に、移設後20年以内、2035年までに国外を含めた県外移設を目標として第一に辺野古沖に移設するのが理想とは思うのですけれどもね。

HARUNA

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XC-2試験飛行、C-1FTBとの編隊 機体規模の違いを実感!

2010-02-20 22:58:08 | 先端軍事テクノロジー

◆第四回試験飛行

 XC-2試験飛行の第四回について、写真が入手できましたので当日に予備ブログの方に掲載したのですが、反響が大きかったので、こちらにも掲載します。

Img_7275  こちらは初飛行の際の写真、初飛行の日には快晴に恵まれ、試作機ならではの真白い機体を青空に輝かせ!一直線に上空へ、という言葉が似合う風景だったのですけれども、初飛行以外のときには曇り空という状況が多いようで、第三回の飛行試験の時などは小雨も舞っていたとのことです。

Img_4079  さて、第四回の試験飛行ではC-1FTBとの編隊飛行が行われたようで、飛行時間も徐々に長くなっているとのことでした。写真で見ますと、恐らく見た目で受けるよりも距離はあるはずで、距離感などで受ける印象には相違があるのでしょうけれども、やはりXC-2はC-1輸送機よりも胴体部分などがかなり大きくなっており、機体規模の違いを実感することが出来ます。

Img_4085  聞くところでは、XC-2はエンジンの関係上止むをえないのですけれども、旅客機と非常に似ており、しかも接近時の特性、この部分は主観に依拠する部分が大きいのでしょうが、音で油断しやすいとのことです。これはKC-767空中給油機の際にも言われたことなのですけれども、音で油断し、撮影機会を逃してしまうこともあった、とのことです。

HARUNA

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平成二十一年度二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報 3

2010-02-19 22:56:30 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 Weblog北大路機関、艦艇一般公開しか行われない季節ではありますが、もうまもなく駐屯地創立記念行事の行われる季節となります。

Img_3400  坂本竜馬の出身地である高知県が今、観光地としてクローズアップされています。三月上旬には高知駐屯地創設44周年記念行事が行われます。高知県香南市にある駐屯地で、新駐屯地に移行する前の最後の行事なのですけれども、この高知県で、明日と明後日、海上自衛隊の輸送艦が寄港して一般公開が行われることとなっています。

Img_1070  明日20日と明後日21日、高知県の高知新港において、海上自衛隊の輸送艦くにさき、が一般公開されることとなっています。一般公開は艦内見学など乗艦して内部を見ることが出来るとのことですが、会場の高知新港は、桂浜から浦戸湾の向こう側、県道376号か県道14号線で行くことが出来るとのことです。

Img_4309  一般公開は、当日が荒天だった場合には変更があるとのことですが、20日が1300~1500時まで、21日は0900~1100と1300~1500時までの二回に分けて行われます。20日土曜日は午後だけの一般公開と言う事ですから、高知新港への入港は明日朝に行われるのでしょうか。

Img_3454  輸送艦くにさき、は、おおすみ型輸送艦の三番艦として建造された輸送艦で満載排水量1400㌧、全長178㍍で、10両の90式戦車を始めとして各種車両や最大1000名までの人員を輸送可能、ヘリコプターやエアクッション揚陸艇で陸上へ部隊を輸送することが出来ます。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

  1. 2月20日・21日:輸送艦くにさき一般公開(高知新港)・・・http://www.mod.go.jp/pco/kochi/index.html

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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