北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

おうりゅう就役!新潜水艦に軽巡洋艦艦名継承を【5】艦名注目の30FFM/3900t型護衛艦

2020-06-30 20:15:18 | 防衛・安全保障
■軽巡洋艦名,継ぐのは誰か
 新潜水艦に軽巡洋艦名継承を、という特集ですが全五回の掲載を進めます中でそろそろ新しい護衛艦命名式の話題も見え始めました。

 そうりゅう型潜水艦、画期的なAIP潜水艦として次世代を担うべく海上自衛隊初の潜水艦くろしお以来、従来の海象うずしお、ゆうしお、はるしお、おやしお艦名採用から一新し空母蒼龍、日本近代空母の始祖というべき名艦の艦名を冠し、かつて空母に冠せられていました瑞祥動物の名を受け継ぐ事となりましたが、昨今は“ネタ切”気味が否めません。

 軽巡洋艦。しかし、軽巡洋艦の艦名となった河川名であれば、まだ名前の余裕はあるのですね。もともと河川名は沿岸用護衛艦DEの艦名でしたが、最後のDEが竣工して今年で27年、もう長くはありません。もちろん、小型イージス艦や多機能護衛艦等に河川名を継承させるというのであれば、別ですが、歴史を湛えた地名と艦名が持つ抑止力は財産です。

 いすず型護衛艦、軽巡洋艦五十鈴の艦名を継ぐこの護衛艦は昭和34年度計画において建造開始された沿岸用護衛艦は、昭和42年度計画から量産が開始の護衛艦ちくご型、と最終的に昭和61年度計画からの量産となった護衛艦あぶくま型まで24隻が河川名で建造されています。実は昭和28年度計画で建造されたDEではこの定義は当て嵌まりませんでした。

 あけぼの、いかづち型はDEでありながら河川名が付与されておらず、DEへの河川名、つまり軽巡洋艦名の襲名は護衛艦いすず型からだった訳ですね。もっとも、DDよりも小型のDEに何故5500t型を、つまり水雷戦隊旗艦ように15隻を建造された5500t型軽巡洋艦、駆逐艦よりも大型の軽巡洋艦艦名を沿岸用護衛艦へ付与したかは、少々気になるのですが。

 てんりゅう型潜水艦、訓練支援艦てんりゅう現役の間は難しそうですが、そうりゅう型潜水艦の艦名りゅう冠する潜水艦が続く構図から、先ずは龍の定義と共に河川名の定義を満たす艦で始め、きたかみ、等続く軽巡洋艦艦名を踏襲する。当面は護衛艦あぶくま型と河川名で重なりそうですが、徐々に潜水艦の艦名として定着する、という構図を期待します。

 もちろん、これはDEという河川名を冠した沿岸用護衛艦がそのまま形式消滅する、という前提です。二六中期防として2014年に発表されたFFM護衛艦は当初DE-Xといい、水上戦闘艦としての能力に機雷戦能力等を付与しコンパクト化を両立させるコンパクト護衛艦として計画、5インチ単装砲とSEA-RAM個艦防空ミサイル等軽武装を志向していた。

 ヘリコプターを搭載した掃海艦と哨戒艦の折衷案のような試案が提示、基準排水量を2000t以上と小型に止める一方で40ノットという高速性能を付与させる構想が示され、これは当時アメリカ海軍が実用化を進めつつ技術的難題と戦術上の課題に曝されていたLCS沿海域戦闘艦フリーダム級やインディペンデンス級を彷彿とさせる試案が提示されていました。

 D-Xと呼称が変更されたのは2015年、このころからコンパクト護衛艦、新たな護衛艦、という呼称が乱立しており、技術研究と運用研究の盛んな検証が左右する構図でしたが、基準排水量はD-Xとなった時点で基準排水量3000t程度となる。あぶくま型護衛艦が基準排水量2000tで満載排水量が2900t、はつゆき型が基準排水量2900tと満載排水量4200tだ。

 はつゆき型護衛艦は1982年から12隻が建造されています、満載排水量を見れば3000t以上の水上戦闘艦は大型水上戦闘艦にあたり、はつゆき型はかなり大型であるとわかりますが、D-Xはそれ以上に巨大だ。ミサイル護衛艦たちかぜ型が基準排水量3700tとして要求されていましたので、3900tとは自衛隊の中では小型でも、世界的には大型艦となります。

 将来艦隊運用においてD-Xは有事の際にはDD部隊、つまり護衛隊群に先行しヘリコプターによる対潜掃討と長距離対潜装備を駆使しての潜水艦制圧任務とともに、長距離対艦ミサイルを搭載しての水上打撃戦を行う、という運用が想定され、従来の基準排水量2000t試案時には無かった艦対艦ミサイルの搭載とVLSを搭載という要求が盛り込まれます。

 軽巡洋艦の艦名、かつて沿岸用護衛艦に冠した伝統の艦名を新たに建造する30FFMに冠しないのであれば、潜水艦に冠してはどうか、軽巡洋艦は海上自衛隊が受け継ぐべき殊勲を残した艦種であり、このまま自然消滅させる事は何とも勿体ありません。装備には費用を要しますが、艦名を受け継ぐ事だけならば、費用も掛からず、一定の効果はあるのです。

 瑞祥動物の名前、考えれば恐竜の和名など、あるにはあるのですが、そうりゅう型が建造された当時の防衛大綱における潜水艦定数は16隻、新鋭護衛艦むらさめ練習艦転用が検討されるなど2005年当時は現在の22隻体制まで拡充する事は考えていなかったのですし、瑞祥動物で潜水艦を連想させる殊勲艦の名前が尽きてしまうのは仕方ありません。故に河川名を、提案するのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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イーグル天候偵察!?T-4練習機不具合問題解消長期化が削るF-15戦闘機寿命と高騰運用費

2020-06-29 20:03:07 | 防衛・安全保障
■改修機は教育部隊優先
 川崎重工が誇る国産練習機T-4は操縦性の素直さと低い調達と運用費で現場の信頼を勝ち得ていますが、現在も昨年からの不具合問題が続きます。

 T-4練習機、米軍規格にあわせた新燃料規格に対するエンジン内部の圧縮装置不具合はその判明から一年以上を経て、改修が全力で進められています。しかし、この改修完了機は優先して浜松基地第1航空団や芦屋基地第13飛行教育団など、教育部隊へ充当されています。不幸中の幸いは昨年、不具合は第3航空団により墜落前に判明し事故を回避したことです。

 ブルーインパルスもT-4を運用しています。T-4練習機の改修は順次教育部隊へ配備されていたため、昨年度のブルーインパルス飛行展示は当初実施見通しが立たず、年度最初の飛行展示は遅れに遅れ八月の千歳基地航空祭までずれこむこととなりました。そしてそのブルーインパルス飛行展示も第11飛行隊の稼働機を僅か2機に絞っての再開となりました。

 教育部隊が優先である。T-4は航空自衛隊では初等練習機であるT-7練習機で初めて大空を飛行した飛行学生が、ジェット機課程や計器飛行課程、そして戦闘機操縦要員を目指す場合は戦闘機戦闘訓練の初歩を学ぶ重要な機体であり、このT-4が無ければ航空自衛隊の戦闘機操縦士を養成することはほぼ不可能だ。ほぼとは米国留学でも行わねば無理ということ。

 T-4練習機の不足は教育訓練部隊では徐々に解消へと動いていますが、そのしわ寄せは実戦部隊へ波及しています。T-4練習機はその名の通り練習機であり、1985年の初飛行当時は中等練習機と位置づけられていました。そして実戦部隊でも戦闘飛行隊の戦闘機と伍して、航空団司令部などに配備されており、練習任務を越え実に多用途に用いられているのです。

 航空団ではT-4練習機は、指揮官の連絡飛行や飛行訓練に先んじての天候偵察、また司令部要員の航空徽章、いわゆるウイングマークを有する操縦士の資格維持への年次飛行義務時間の飛行訓練に用いられています。T-4練習機は武装することはできませんが、実戦部隊の技量維持には不可欠であることはこの通りでして、多用途機として、代わりはありません。

 F-15戦闘機やF-2戦闘機。天候偵察任務はいずれにせよ必要です、技量維持飛行もやはり必要なのですが、T-4練習機が稼働状態にないため、実戦部隊ではその任務に高コストのF-15戦闘機やF-2戦闘機を用いているのです。例えるならばちょっと近所へコーヒーを買いに行くために自転車の調子が悪いためにハイヤーを呼ぶ状況、といえるものでしょうか。

 60万円と200万円。T-4練習機とF-15戦闘機、一時間当たり飛行させた場合の費用はこの程度の差があるとされます。T-4練習機とF-15戦闘機はともに双発機ではありますが、戦闘機と練習機ではエンジン出力が根本から違います、重さも相応に違うためですが、併せて電子機器とレーダー機能、整備負担も根本から大きさが違います、本来訓練にも支障だ。

 巨大な防衛費からみるならば140万円の差、と思われるかもしれませんが、ウイングマークを持つ司令部要員の人数は多く技量維持飛行の回数は多くなりますし、天候偵察も天候偵察などは視程のキロ数が実際どうなのか、気象レーダに映らない積乱雲などの状況はないか、を実際に確認するため、実戦部隊でのT-4の飛行任務、非常に頻度が多いのですね。

 天候偵察にF-15を。傍目からみている場合には迫力があって良いのかもしれませんが、問題はF-15戦闘機にもF-2戦闘機にも、機体耐用の面から飛行時間に上限があり、本来はF-15戦闘機を不可欠とする対領空侵犯任務や対戦闘機戦闘訓練というものに充てねば成りません、ここを天候偵察で用いることは即ち、それだけ寿命がはやまることを示します。

 T-7練習機で代替できないのか、いや初等練習機T-7は速度の遅さも挙げられますが何より実戦部隊に配備されておらず全体で数が少ない。戦闘機部隊の基地に展開する救難隊のU-125はジェットだがどうか、しかし救難待機を考えればこちらも数はぎりぎりだ。MQ-9無人偵察機のような機体が配備されていれば、最良ですがそんなものは無く現実は厳しい。

 RF-4偵察機とYS-11輸送機。飛行時間を急激にのばしたことで退役までの時間が一挙に圧縮され早期退役となった航空機として、実際にこの二つの事例があります、後継問題に揺れた。何があったか、この時は東日本大震災災害派遣でした。RF-4は被災地への毎日毎時間にわたる偵察飛行、YS-11,海上自衛隊の方ですが、こちらは救援物資輸送のためのもの。

 T-4練習機についてはエンジン部品交換後、順次飛行再開へと進んでいるのですが、前述の通り教育部隊が優先されており、実戦部隊、そして飛行開発実験団などへのT-4練習機運用再開はもう少しさきになるようでして、まだまだF-15やF-2といった戦闘機が、貴重な飛行耐用時間と防衛予算を削り、軽快なT-4練習機の任務代替を行う状況は続くことでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(2)33普連観閲行進(2013-04-21)

2020-06-28 20:20:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■平成の普通科連隊の観閲行進
 記念式典が完了し行事は静から動へ、観閲行進か開始されました。現代の普通科連隊は高度に機械化され各種重装備等を装備しており次々と行進進入点へ入ります。

 観閲行進、連隊旗掲げた82式指揮通信車が観閲行進の先頭をつとめます。82式装甲車は1970年代に全国高速道路網整備にあわせ軽装甲車として研究された四輪駆動軽装甲車を源流とする車両で、もともと軽装甲車は普通科部隊全般へ広く配備される計画だったという。

 82式指揮通信車の敬礼、箱型車体でしかし車体後部の車高が高いこの設計は、軽装甲車構想が1973年石油危機の狂乱物価と景気後退により潰えた後、設計を活かして全国の普通科連隊本部や特科中隊本部車両として採用された為の設計変更の名残でもあるのですね。

 82式指揮通信車、角度がつけられたM-2重機関銃が勇ましい。82式指揮通信車は232両が生産、また車体を共通とした87式偵察警戒車が90両、そして車体設計を流用した化学防護車が37両生産されていまして、装甲車体系におけるファミリーを構成しています。

 第1中隊が徒歩により観閲行進を行う。1995年までに陸上自衛隊は普通科部隊の全車両化を達成しまして、2008年の青森第9師団即応近代化師団改編をもって普通科部隊へ高機動車配備を完了しまして、第1中隊も平素には高機動車を部隊の機動力として活用している。

 第1中隊の観閲行進とともに式典会場外縁を自衛官候補生たちが進む。久居訓練場の面白いところは観閲行進待機車両と待機列もこうして一望できるところでして、徒歩行進のながいれつをそのまま訓練場の外縁まで長くながく延びている様子も見える、ということ。

 89式小銃には着剣しての観閲行進だ。64式小銃よりは軽量となった事は前述の通りですが、1990年代から小銃が軽量化された分、戦闘防弾チョッキという重い装備品が個人装備に加わりました。長距離の徒歩行軍では、戦闘防弾チョッキは骨身に堪える負担になると言う。

 第2中隊の徒歩行進へ連隊長が敬礼を行う。第2中隊も高機動車を基本装備としています。昭和の時代までは普通科中隊の無反動砲小隊と迫撃砲小隊、そして連隊本部の通信小隊や施設作業小隊と重迫撃砲中隊のみが車両化され、あとは徒歩、という時代が長く続いた。

 敬礼する第3中隊の隊員たち。アメリカ陸軍でも在韓米軍第2歩兵師団は冷戦時代に完全な歩兵師団であったといいますので、峻険地形の続く朝鮮半島や日本列島では一つの最適解だったのか、自衛隊では長距離機動の場合、師団輸送隊からトラック20両を借り受けた。

 自衛官候補生たちの観閲行進を連隊長とともに構図に収める。時代は終身雇用の終焉を迎えているのですが、人件費の問題があるとはいえ、若者の使い捨てとも言いうる曹候補学生制度は、そろそろまた曹候補士制度に戻し、人材を育てる組織へ回帰すべき、とも思う。

 64式小銃にも着剣されている。さて、この着剣した64式小銃、なんとこの銃剣は41cmもある代物でして、刺されたらば実に痛そうなもの。64式小銃は遠距離の歩兵戦闘を志向しつつ、しかし近接戦闘では銃剣の威力を相応に重視、昭和価値観が設計に反映されている。

 軽装甲機動車の観閲行進が。軽装甲機動車は第4中隊に配備されています。もともとは小銃班11名を3両の車両に分乗させ、集合と分散を迅速化させるという自衛隊独自の装甲車観に基づき開発されたもの。前述しましたが、中部方面隊最初の軽装甲機動車部隊がここ。

 第4中隊の軽装甲機動車、第33普通科連隊に軽装甲機動車が配備されたのは2002年、まだMINIMIは配備前、先ず17両が配備され田舎の連隊にピカピカの装甲車が来たために隊員が見学に並び土足厳禁、MINIMIが無く仕方なく銃座に64式小銃を据えたという。

 日章旗と軽装甲機動車とそして背景には後方支援部隊の車両部隊が。軽装甲機動車は車両としてはもう少し車内容積がほしいとか、重心が高すぎて不整地錯綜地形では転覆しやすい、という難点も聞くのですが、運用次第では軽騎兵的な、戦車駆逐車として機能しうる。

 軽装甲機動車を6両広角で。この軽装甲機動車は設計当時、フランスのVBL軽野戦車とドイツのウィーゼル空挺装甲車を参考としたもので、実は装軌式のウィーゼル方式を不整地の多い我が国では推す声も少なくなかったといいますが、戦略機動性はVBL方式が有利だ。

 軽装甲機動車を8両背後から。結局は安価なVBL方式、そして4扉方式が採用、大量生産されたことで一両は2700万円まで下がり破格の安さで大量生産を行うことができました。派生型で車体延長型や、軽偵察車という研究もありましたが、こちらは実現していません。

 重迫撃砲中隊の観閲行進が始まる。フランスのトムソン社製120mmRTが採用し豊和工業によりライセンス生産したもの。フランスは当初、日本は数十門程度の調達にとどまると想定していたようですが結局463門も調達、即応機動連隊所要含めまだ量産は続いている。

 120mm重迫撃砲の車列、先頭を中隊長が敬礼します。120mmRT重迫撃砲の強さは前型のM-2/107mm重迫撃砲の射程が5kmにたいし、新型は通常榴弾で8.1km、射程延伸弾を用いた場合は13kmと軽砲なみの射程を有する点で実際フランスでは砲兵隊の装備という。

 連隊長へ敬礼する重迫撃砲中隊の各車両、ちなみに自衛隊のアシとして定着した高機動車はもともと、この120mmRT重迫撃砲の牽引車として開発されたものです。そして牽引しているのは厳密には高機動車ではなく重迫牽引車、これ、重迫撃砲の備品扱いなのですね。

 2門の120mm重迫撃砲を真横から。トムソン社からライセンス生産を開始したのは1994年でして、このころから自衛隊は定数1000門、特科火砲の削減を検討し始めます。すると対迫撃砲制圧と直掩用の105mm野砲は削減対象となり、そこで重迫撃砲の強化が行われた。

 2門の重迫撃砲は続き行進してゆく。この装備は普通科に不可欠であり、師団普通科連隊では重迫撃砲中隊、旅団普通科連隊には本部管理中隊重迫撃砲小隊、水陸機動団では各中隊に、第1空挺団では空挺特科大隊に、即応機動連隊では火力支援中隊に配備されています。

 対戦車中隊の観閲行進は始まりました。対戦車中隊は第10師団の乙師団から戦略機動師団への改編に際し師団対戦車隊に16セット配備されているのみであった対舟艇対戦車誘導弾を各12セット、普通科連隊の対戦車中隊へ配備し、即応近代化師団改編後も維持される。

 1/2tトラックに搭載される79式対舟艇対戦車誘導弾。HE弾頭とHEAT弾頭を切り替えることで戦車へも上陸用舟艇へも対処できるもので、大物をねらうとあって弾頭重量は33kg、これはBGM-71-TOWミサイルが16kgですから、ものすごい破壊力を付与されているとも。

 重MATを正面から。TOWなどはM-151ジープの車上から射撃できますが、重い重MATは基本的に地上に設置し射撃を行う。一説には緊急時には車上から10発や20発撃っても問題ない、とも聞くのですけれども真偽のほどは定かではありません。真似しないよう。

 重MATは懐かしい106mm無反動砲のような強面が親しめるのですね。昔、普通科中隊の対戦車小隊には106mm無反動砲が4門ありました、現在小隊に87式対戦車誘導弾が装備される、中MATは射程2km、重MATは射程4km、ほかに射程1.6kmの軽MATもある。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【土曜詳報】オタワHMCS-OTTAWA舞鶴親善訪問(5)艦内旅行記の回想録(2019-08-24)

2020-06-27 20:00:21 | 世界の艦艇
■舞鶴基地のカナダ艦
 今回のカナダ海軍艦艇探訪は中々に世界の艦艇の設計思想の多様性を感じる事となりました。

 カナダ海軍艦艇、横須賀基地で観た事はあるのですが残念ながら一般公開は行われていませんでした。この為に、この北太平洋や北大西洋の氷海と大自然を背景に任務に当るカナダ統合軍海軍艦艇がどういうものであるか、という一点、非常に興味が在ったのです。

 露天艦橋、良く遠くが見えますがスコールと夜露に濡れ吹雪と雪風には当然凍える。これはイギリス設計の護衛駆逐艦や艦隊駆逐艦を採用したアメリカ海軍では寒すぎて暑すぎて濡れ過ぎて痛い、と不評だったといいますので、中間をとった構図なのでしょうか、ね。

 カナダ艦。艦内通信網を構成するテレトークは、伝声管が既に有りません。と、いいたいところですが、護衛艦でも伝声管が残っていたのは護衛艦あさぎり型までですので、テレトークは基本です、ただ、テレトークが電子端末を兼ねた小型複合機となっていました。

 テレトークが電子端末を兼ねた小型複合機、一般公開区画だけでも、数カ所で採用されていまして、ダメージコントロールなど一秒二秒をあらそう状況では伝声よりも文字情報のほうが共有がはやい、という認識なのでしょうか、このあたりに意識の違いを感じます。

 艦橋先進国カナダの面白い部分をもう一つ。艦内、ヘリコプター格納庫にロードレーサーが大量に保管されていました、ヘリコプターを搭載していませんので自転車格納庫、という構図でしょうか、壁に旨く収納されていたのですが、それも高級品ばかり数も多い。

 自衛隊の公用車と称したママチャリとは雲泥の差というものですが、注目はその機能的な収納方法だ。これを筆頭にダメコン用具などは定位置に積み重ねているわけではありませんが機能的にはめ込んでいます。何処か見覚えがあると思えばイングリッシュガーデンだ。

 実はこの部分艦橋基部の通路にあったのですが遮光幕で覆われていまして、特別に少しだけ覗かせてもらいました。空気を読む大切さというところでしょうは、センシティヴなところは写真を撮らないようしていますと、特別に見せてくれるものがある、という優しさ。

 艦橋には機銃弾薬や応急資材なども巧く無駄のなく配置され、特に全員分の戦闘防弾チョッキとケブラー鉄帽が、積まれるのではなく一つ一つ並んでいました。まさか並べて防弾用でもないでしょうが、収納上手な部分はイギリス艦を思いだし、さすがは英連邦という。

 さて。写真はゆっくり掲載できましたが、実はこの日見学待ちの行列は延々と並んでいました。カナダ海軍の規則ではゲストは同時に40名程度まで、との内規があるようで、今回の舞鶴一般公開は20名一組の来艦者にエスコートのオフィサーが一名、という事という。

 20名にオフィサー一名、その見学者が同時に2組、そして全体で概ね40名がゲスト、という構図でした。電車の都合があって東舞鶴は九時過ぎの到着、行列に並んだのは0945時、という状況でしたが案外並んだ、オタワ舷門に至ったのは1123時でした、暑かったよ。

 開門から考えても結構待ったのですが、他の方に聞いてみますと基本2時間待ちといわれたようですので、若干当方は早めに並んだのはよかった、ということでしょうか。しかし良く見ればスーパーバード衛星通信アンテナが動いていた、本国と通信していたのかも。

 スーパーバード衛星通信アンテナが動いていた事に気付いたのは、暫くすると乗艦者が同時に三組程といいますか、直射日光の当たらない位置へ少し多くの来艦者を誘導していたようにみえたのです。余りに多くの来場者を統合軍司令部へ報告し融通利かせたのかな。

 舞鶴基地はなかなかの活況ではありましたが、この他に護衛艦一般公開も行われていまして、海上自衛隊が有する岸壁では最もその総延長の長大な北吸岸壁をもう少し散策してみることとしました。中々に暑い一日ですが湿度はそれほどでもなく、水分補給しつつ、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和二年度六月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2020.06.27-06.28)

2020-06-26 20:17:21 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 夏本番の七月はいよいよ来週からですが皆様いかがお過ごしでしょうか、自衛隊行事はまたしても今週末にも全面自粛です。

 新型コロナウィルスCOVID-19感染症は第一波の残響が残る中で第二波への警戒、自衛隊行事の再開めどは立たず、今のところは高校生と自衛官志願適齢者に限定して一部の港湾、それも改正ソーラス条約により一般立ち入り禁止の港湾埠頭に、限られた人数を事前公募制にて見学させるという、富士総合火力演習並の難易度のものとなってしまいました。

 航空祭のリモート開催、実のところ自衛隊行伊再開の鏑矢はこういった方式になるのかもしれません。リモート展示飛行と云いますと、その飛行場に着陸せず別の飛行場から飛行展示だけ行う、というものが挙げられるのですが、此処でいうリモート航空祭というものは飛行場を航空祭会場とはせず、臨海公園や湖上といった空域を航空祭会場にするという。

 リモート航空祭。厳しいかも知れませんが関西であれば、若狭湾上空の原発飛行制限空域圏外で海岸線の長い公園や、旅客機飛行の支障ない時間帯に神戸空港などポートアイランドから広く見える空域、それこそ数万が足を止めても充分に間隔を空けられる広い会場の上空で飛行展示を行う、という程度でしょうか。観光日照りの地域と連携も考えられる。

 1000名以上が集まるイベントは自粛要請対象ではないのか、と思われるかもしれませんが先日の医療関係者感謝のブルーインパルス祈念飛行は、明確に会場を設けない事で、しかし東京23区や千葉県と神奈川県北部からも望見できたという事ですので、一度に少なくとも100万名が見上げた飛行展示となりましたが、感染拡大への悪影響には至っていません。

 航空祭とはいっても激しい機動飛行などは不可能で、編隊飛行で幾度か航過飛行を実施する、という程度が限度でしょうか。勿論、感染が完全に抑止できるようになりましたらば、そして第二波が影響しないように水際防疫のめどが立てば、年内にも晩秋や冬の航空祭等は普通に実施される可能性がありますが、小規模クラスターが散発、予断を許しません。

 航空基地。滑走路エンド付近での撮影というものが現実的に自衛隊行事の雰囲気を感じる限界点でしょうか。勿論野外でも実のところ感染リスクが絶無ではない為に、鉄柵やベンチなどには触れない、知人と会っても会話は避け口の向きに配慮して呟くように会話するとか、かなりストイックに撮影するほかありません。もっとも飛ぶのは平日のみですがね。

 艦艇基地については、遊覧船の運航が再開されます、が、定員が厳しい、いわゆる社会的距離をかなり留意している為に定員よりもかなり少なく運行するようですから、予約なしに気軽に行った事案に乗船、というよりは事前に予約を執りまして絶対に遅れる事が無いように一泊する程度の覚悟も必要なのかもしれません、コロナ禍下、そんな時代なのだ。

 自衛隊行事の代替としては、陸以上自衛隊についてはほぼお手上げで、明野駐屯地や八尾駐屯地といった航空部隊駐屯地からの航空機を遠景に眺めるか、千歳市や玖珠町の方ならば10式戦車や90式戦車の一般道走行が見られるほか、然別演習場近くの高台や新東名高速道路車中の助手席から東富士演習場の実弾射撃を眺めるというのが限度、というところ。

 都道府県を越える移動自粛要請が解除されたとはいっても、これは政府が考える水準で感染拡大に在る程度の峠を越えた、というだけのものですので、安心して全国旅行へ、とは甘くは考えられません。しかもサイトカインシンドロームで免疫系をやられると数カ月経ても後遺症が続くとか、致死率も低くは無い故にまだまだ、油断できる訳ではありません。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【映画講評】日本沈没2020(2020)【1】小松左京再起動!日本沈没Netflix版が来月配信開始

2020-06-25 20:01:13 | 映画
■日本沈没再編,期待と不安と
 日本沈没というと原作に護衛艦はるな、沈没後を描く第二部に護衛艦くらま、が出ていまして特に後者は作品の重要な位置づけとなっています。

 日本沈没とその時代。北大路機関では確か十五年ほど前にも扱ったように記憶します。日本沈没2020、実は小松左京最大のSF巨編が来る七月より新たにWebアニメーションとしてNetflixより配信開始となるようでして、監督に京都をひたすら歩く作品などで有名な湯浅政明氏を招き、声優に上田麗奈さんを主演に放送へ制作がすすめられているとのこと。

 Netflix版日本沈没は2020年の東京五輪直後に首都東京が巨大地震に見舞われ、そして、という内容ともいう。しかし、Netflix版についてはここではそれほど深く触れず、日本沈没、この巨大な作品について一つの解釈を、くどくなりますがご愛敬でおつきあいいただければ幸いです。日本沈没は幾つかの小松作品と並び本人の手では完結していないのです。

 日本沈没。古さを感じないのですが1973年の作品です。ふるさを感じさせない、というものですが、青函トンネルやリニア中央新幹線建設工事に海上空港の関西国際空港という、1973年には実在していない、当時としては近未来の、しかし現在の視点から見れば既知の施設やインフラが登場しまして、なにかこう、古い作品でもそれ程古さを感じさせません。

 日本沈没、小説が発表された年に東宝映画にて藤岡弘主演で映画化されるとともに、テレビドラマ版も1974年から一時間枠が26話にわたって放映され、また当方は全くの未見なのですが1980年にはNHK連続ラジオドラマにもなっていまして、大胆に脚色した漫画版などもあり、そして2006年に再映画化、日本沈没2020はいわば、最新版の日本沈没だ。

 小松左京再起動、こう表現すべきでしょうか。一つ一つの世界は繋がっていないのですが、小松節、とでも表現するべきでしょうか、根底には単なるSF、サイエンスフィクションと一つの枠に収めるには収まりきらない哲学と理念というものが流れていまして、ある意味、小松ワールド、というべき一連の作品群への入り口として一読をお勧めしたいものが多い。

 復活の日。1964年に小松左京が発表した超大作で、致死率の高い悪性インフルエンザの原因である新型ウィルスMM-88蔓延による人間の絶滅と種としての人類の存亡を扱った壮大な物語です。この復活の日は奇しくも世界にCOVID-19新型コロナウィルス感染症が蔓延するとともに、この作品も草刈正雄主演の1980年映画版復活の日が有名となりましたが。

 MM-88,しかし復活の日は単純に、新型インフルエンザでたくさん亡くなってたいへんっ!という話題ではなく、そもそもMM-88という地球上に存在しないウィルスを原型とした生物兵器、作中では核酸兵器、人類滅亡の兵器を開発したのは何者であったのかということを全体で問いかけるとともに人類を救ったものはなにであったか、という視点があります。

 医学が人間を絶滅させ、しかし僅かにウィルスの上陸しない無菌大陸南極の観測隊員だけが生き延びたのは、結果的にではあるが、人類を絶滅させる脅威であったはずの核兵器であった、という。これは別に氏が核兵器賛同であったのではなく実際逆なのですが、人類を本来救うべき医学も運用を誤れば絶滅へ導く危険な技術となる、という一種説話的な。

 ペスト菌がイギリス細菌戦研究所にて保管されていたものが研究員に感染して、という1950年代の報道に小松左京氏が驚いた、氏は京大文学部イタリア文学専攻で、ペストについてのイタリア独自の価値観を学んでいる、ここが執筆の契機となった、とも。それでは日本沈没にも復活の日のような地学パニック以上のものがあるのではないか、といえる。

 第二次世界大戦への価値観、小松左京氏はエッセイ"やぶれかぶれ青春記"として神戸一中生徒時代に経験した第二次世界大戦というもの、特に軍国主義、この経験を著しています。戦争の是非とか、そういうものは置くとして、軍国主義、そして決戦一辺倒に凝り固まった後の判断力からの逃避という社会通念、一種の伝染する空気なのかもしれないのですね。

 やぶれかぶれ青春期。まだ入手できるようですので一読をお勧めしたいのですが、軍国ニッポンから平和ニッポンへ、日々暴力を振るっていた教師が敗戦から、もともとワタクシは平和主義者で、と豹変する、太いものに巻かれるように戦争と平和を食い物としている違和感、大人への違和感という視点から描いています。これは作風にも反映されるもので。

 地には平和を。1963年発表の短編で、短編と言うには長いか、あの八月十五日、重大放送を前に陸軍がポツダム宣言受諾拒否に成功し、本土決戦となってしまった世界で血気盛んな主人公が早期学徒動員により最前線に動員され、滅茶苦茶な本土戦の中で海岸防衛戦で部隊が全滅し、天皇座所があるという信州へ転進し続ける中の不思議が、という内容です。

 戦争はなかった。春の軍隊。いやはや小松左京の真骨頂は長編ではなく寧ろ膨大な短編にあるのですが、散逸したものもあるとのことで興味深い。しかし、戦争というものには大きく影響を、そして価値観の吐露に用いられているのですね。さて振り返って日本沈没、どんな時代か。発表は1973年、奇遇にも日本経済が戦後初の後退に入った時代でした。

 見知らぬ明日、果てしなき流れの中に、エスパイ。小松左京は1960年代半ばから後半にかけて長編をいくつも発表しているのですが、日本沈没は並行して執筆していまして、実に十年を、本人もエッセイにて、復活の日、その刊行への校了の直後あたりから書き始めた、と記しています。それだけ地学に綿密な交渉を重ねて生み出された、という大作ですが。

 日本沈没、戦後SF史の金字塔とさえいえるその執筆は1960年代後半と1970年代前半を目一杯使って執筆していまして、故に、日本沈没とその時代、という命題を考えますと安易に2020年代に共有できるものばかりではなく、1960年代、もはや戦後ではない、と呼ばれた1956年ののちの高度経済成長下、時代価値観を合わせて考えるべきとおもうのです。

 日本沈没。原作では護衛艦はるな、が日本全国民退避作戦本部の置かれる護衛艦として登場しまして、海上自衛隊の護衛艦も海洋観測支援に旧式化したという事で転用された艦艇に護衛艦たかつき型等が描かれます、そして興味深いのは架空兵器というものが出てくるのですね。もちろん架空兵器といっても東宝自衛隊のようなメーザー殺獣光線車ではない。

 よしの。アメリカ海軍のミサイル追跡艦を中古で取得した、というものや海上自衛隊が構想はしたものの実用化は行わなかった通信艦、中でも衛星中継通信に対応する大型の通信艦が描かれますし、うずしお型潜水艦を越える潜水艦かいりゅう型、かいりゅう即ち特殊潜航艇を思いだし不吉ですが登場します、陸上自衛隊にも大量に水陸両用車が配備される。

 近未来を描いた作品故に、こうしたものが描かれるのかもしれませんが、現在こそ護衛艦かが、ヘリコプター搭載護衛艦いずも型などは非常に大型となっていますが、作品世界の自衛隊も相当な規模を有していまして、全国民退避を支援する。日本沈没2020は期待すると共にどう描かれるか不安も含め、当面Netflixのみですのでソフト化を期待したいですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】飛騨一宮水無神社(岐阜高山)遠まわりする雛の舞台に神剣天叢雲剣輝く

2020-06-24 20:13:25 | 旅行記
■水無大神へ千百余年の信仰
 京都アニメーション”氷菓”がこのほどBSで初の再放送が最終話と幕間の放映を完了しました、本日はその作品世界の舞台へ旅の話題です。

 飛騨一宮水無神社。岐阜県高山市一之宮町一の宮上に鎮座します社殿は水無大神を祀る社です。水無大神とは来訪神として新年など慶事に地域の名家などに来訪する穀物神でして、正月文化の一つ、門松などは来訪に際しての依代として日本中に定着したものです。

 飛騨国一宮として位置付けられる社殿は、その創建の頃について定かではありません。しかし中央には清和天皇の御世、嘉祥3年の西暦850年に即位されました御世に従五位上神階の社として記録があり、遅くとも九世紀中ごろには飛騨国一宮として崇敬を集めていた。

 遠まわりする雛。この飛騨一宮水無神社は京都アニメーションが制作しました日常系高校生ミステリー作品のテレビアニメ“氷菓”にて作中の舞台ともなっていまして、飛騨一宮水無神社はその最終話、遠まわりする雛、にて神社の祭事飛騨生雛祭と共に描かれました。

 氷菓。そう氷菓です、実はこの飛騨一宮水無神社を参拝へと探訪しましたのも、この氷菓の作品世界に、成程これは聖地巡礼というような趣で参拝したものでして、素晴らしい作画力で描写する実在風景のアニメーションでの再現は、ここが舞台か、と唸らされたもの。

 千反田えるさんをヒロインとしまして主人公折木奉太郎君が日常の不思議な疑問と難題に取り組むという作品で、2013年のアニメーションですが先週までBS-211にて再放送されていました。そしてこの作品の舞台というものなのですが、散策してみますと歴史が厚い。

 斐陀国造。岐阜県山間部に当る古川盆地と高山盆地は奈良飛鳥時代より朝廷より地方長官に当る国造が派遣されており、飛騨一宮水無神社は斐陀国造の崇敬と庇護を集めていたといい、山間静かな街並が小京都と呼ばれるこの地は古くから地域の都であり続けたという。

 水無大神、その御神体は位山という傍らに標高1529mの小山が、平野では峻険山岳の標高ですがなにしろJR高山線各駅の標高は600m前後であり周囲に2500m級3000m級の山脈が広がる故、この小山を御神体と位置づけていまして来訪神として祭事等を営みます。

 水無大菩薩。しかしこの信仰は鎌倉時代には菩薩信仰と交わり独特変化を遂げてゆきます、そして室町時代以降には上記の中央との深いつながりが寧ろ中央の騒擾を伝播させる副作用を為し、水無大明神や水無八幡宮と短期間に名を変え安土桃山時代には祭祀が途絶える。

 江戸時代には幕府天領となりました飛騨ですが、安永2年即ち西暦1773年の安永騒動、別名大原騒動という農民一揆ではこの社殿が会合の場所となり、農民たちを守る為に頑なに神主たちは陣屋での取調べと拷問にも口を割らず、遂に神主4名が磔という悲しい歴史も。

 別表神社として今日では神社本庁により列せられる社殿は、明治維新後の1871年に国幣小社に列格されていまして今に残る崇敬を集め続けています。そして不思議な事に、飛騨一宮水無神社は近現代日本史に再度登場します、それは第二次世界大戦の頃のお話しです。

 天叢雲剣。天皇家三種の神器の一つとして名古屋は熱田神宮に祀られる神剣ですが、第二次世界大戦終戦直後、熱田神宮は連合軍による接収を受ける懸念があるとして、1945年8月22日に天叢雲剣がここ飛騨一宮水無神社へ、疎開していた、という不思議な歴史がある。

 高山本線飛騨一ノ宮駅からほど近い社殿、連綿と紡がれる山谷の歴史とともに近現代の不思議な混迷も祀られているのです。ただ、困るはこの飛騨一ノ宮駅で高山方面は一日10本しか列車が無く、0957時の次が1520時という時刻表、バスを併用し高山へ向かいました。

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沖縄戦七十五年,慰霊の日“沖縄県民斯く戦えり-県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを”

2020-06-23 20:04:53 | 国際・政治
■本土決戦回避と続く基地負担
 本日は沖縄慰霊の日、沖縄県では最後の激戦地である糸満市にて新型コロナウィルス禍下での配慮した慰霊式典が執り行われました。

 慰霊の日。本日は20万の戦死者と戦災犠牲者を出した沖縄戦慰霊の日です、75年前の今日、沖縄では現在の糸満市において第32軍司令官牛島満大将が自決し、沖縄戦はその組織的抵抗を終えました。“沖縄県民斯く戦えり-県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを”, 沖縄方面根拠地隊司令官大田実海軍中将が県庁に代わり本土へ打電した最後の言葉です。

 沖縄県民斯く戦えり-県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを。その言葉の通り、沖縄戦は激戦でした、その激しさを説明する簡単な言葉は、第32軍司令官牛島満中将、第10軍司令官サイモン-B-バックナー中将、日米両軍の司令官が共に戦死しており、特にアメリカ軍では建国以来長い戦史を紐解いても、中将が戦死したのはこの沖縄戦のみというほど。

 沖縄戦。考えてみますと日本列島、特に首都圏と九州を中心に本州九州の方々は、沖縄戦において沖縄県民が第32軍や海軍と共に、文字通り身を挺して戦い抜いた事により、相当、救われています。借りが在るのですね。どういうことか、元々、連合軍による沖縄侵攻のアイスバーグ作戦は四月中に沖縄本島を占領する事を目指していました。しかし、です。

 第32軍は一個師団を欠いた編成で戦闘に臨み、本土からの膨大な航空戦力の支援を受け、なにしろ沖縄戦での日本軍航空機損耗は実に3007機に及ぶ、しかし、弾薬などの枯渇に苦しみながら戦い続けています。一日でも長期間戦う事を念頭に、そしてその粘りこそが沖縄本島の文民被害と民生被害を極限まで拡大しつつ、戦い続けた、これが沖縄戦でした。

 6月23日の沖縄慰霊の日、この日まで第32軍は組織的戦闘を続けていました、そして沖縄に侵攻した連合軍は45万という驚くべき規模であり、第32軍の沖縄本島配備戦力は第24師団と第62師団に独立混成台44旅団など。第32軍だけでは戦えず、沖縄県での臨時現地召集により増強した、学徒や生徒も含め、こう戦い抜いたわけです。その意味は何か。

 四月中に沖縄本島が陥落していたならば、連合軍は沖縄本島を最大の兵站基地として用いる構想でした、勿論、次は本土です。オリンピック作戦とコロネット作戦として、九州日向灘沿岸と首都圏九十九里浜へ100万名規模の着上陸を計画していました。しかし、これが実施されなかったのは8月15日の終戦記念日、無条件降伏を決断した為なのですが。

 コブラ台風。1944年12月に発生した台風により、アメリカ海軍は駆逐艦3隻が沈没し、空母カウペンス、モンテレー、カボット等が損傷し、沈没した駆逐艦には新鋭駆逐艦であるフレッチャー級も含まれていました、これをもとに連合軍は台風シーズンには日本本土進攻は難しく、沖縄戦での激戦は結果的に1945年前半の本土決戦を回避出来た事になる。

 しかし難しいのは、沖縄県民への借り、こうしたものをどう考えているのか、実際問題として経済振興策や税制優遇といった施策がある、と反論もあるかもしれませんが、県民の四分の一が死亡する状況は、広島長崎の原爆投下による死亡率さえも上回るものでして、安易に経済振興、という言葉で解決できるようなものではありません、余りに心が無い。

 基地問題。難しいのは、北東アジアにおけるアメリカ軍の最重要拠点は、首都圏の横田-横須賀-横浜の在日米軍三角州とともに、明らかに嘉手納基地とキャンプシュワブを中心とした在沖米軍の海兵隊と空軍となっている点でして、ここが戦後の沖縄に一貫した厳しい基地負担を強いています。せめて、米軍が不要な程に自衛隊が強靭であれば、と昔は考えた。

 自主防衛と云いますと響きは保守の方には良いのかもしれませんが、朝鮮半島有事や台湾海峡有事といった所謂周辺事態に対して、従来は日本が米軍への後方支援を実施する事となっており、在沖米軍基地は首都圏米軍基地と並ぶ戦略拠点となっています、ここを自衛隊が置き換えるとなりますと、自衛隊が韓国軍や中華民国軍支援を行えるのか、となる。

 駐留なき安保として、自衛隊の装備体系を米軍基準として、自衛隊の補給品などを米軍と共通化できるようにしてしまえば、問題は無いのかもしれませんが、自衛隊がB-52やB-1といった装備等を使う事はやはり想像しにくく、また膨大な米軍増援を自衛隊だけで兵站支援する基盤を構築するものは自主防衛とは程遠く、無駄な装備ばかりとなってしまう。

 専守防衛の日本が全力で支援すると転換してもそもそも韓国や中華民国からは信用がない、こうなりますと、米軍ポテンシャルを動かす事は、旧軍の様な巨大な影響力を再構築するという選択肢でも採らない限り、地域安定を破綻させるものとなります。いっそ20km四方のメガフロートに移設でも出来れば、とも考えるのですが、歯がゆい難しさがあります。

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島嶼防衛用高速滑空弾とは【2】ATACMSロケット自衛隊導入構想頓挫と中国ロシアの滑空弾

2020-06-22 20:19:18 | 先端軍事テクノロジー
■軍団用ATACMS射程248km
 防衛計画の大綱に盛り込まれた以上は計画されている2個大隊分の整備は十年以内となり、相応に開発が進んでいることが窺えます。

 南西諸島防衛を考える場合、特に中国からの軍事圧力を受けると共に沖縄本島と台湾島の中間に位置する先島諸島や尖閣諸島を防衛する際に、沖縄県を防衛警備管区とする第15旅団、その主力が置かれる沖縄本島からの長大な距離を如何に防衛するかが問題でした。しかし、自衛隊が入手し得るのは国産以外例えばアメリカ製ATACMSくらいしかないという。

 ATACMS,過去検討されました。自衛隊が保有するMLRS多連装ロケットシステムに搭載の戦術ミサイルですが、陸上自衛隊が装備するM-31ロケットが射程70kmであるのに対し、アメリカ軍が軍団支援用に用いるATACMSは射程が248kmと大きく、実は自衛隊も203mm榴弾砲後継に16防衛大綱への導入盛り込みが、かなり真剣に検討されていました。

 ATACMSはMLRSでは6発を一つのロケットコンテナに装填し、M-240発射装置ではコンテナ2基の12発分を装填しますが、ATACMSのMGM-140ロケットは直径が大きい分、227mmロケット弾6発分のコンテナに丁度1発が装てんできる構造となっており、MLRSの発射装置には同時に2発を投射可能、自衛隊の一個大隊では36発を同時射撃可能です。

 しかし、16防衛大綱当時、2005年は南西諸島を巡る周辺情勢も現在ほど緊迫しておらず、導入は実現していません。特に連立与党を組む公明党の強い意向もあったという。そしてそうこうしているうちにATACMSであるMGM-140の生産がアメリカで終了してしまいまして、自衛隊が導入できる見込みはなくなりました。一方で脅威だけは顕在化します。

 30大綱。2018年に画定した新しい防衛大綱では、新たに"2個高速滑空弾大隊"を新編する事が盛り込まれました。この30大綱はイージスアショアを運用する2個弾道ミサイル防衛部隊の新編も盛り込まれ、これらは陸上自衛隊が運用する方針であったことから、特科の春、というべき増強が盛り込まれましたが、ここに漸く島嶼防衛用の装備が開発へと進む。

 2個高速滑空弾大隊。しかし南西諸島防衛の為とはいえ2個大隊所要の高速滑空弾を敢えて国産する必要はあるのか、と思われるかもしれません。勿論、2個高速滑空弾大隊のみで整備終了となるのであれば、発射装置も多くて40基、教育所要でも一個中隊程度ですので、新しい装備体系を構築するには疑問ですが、当面の整備目標が先ず2個大隊とも考え得る。

 アバンガルド。高速滑空弾は先行者があります。ロシアがこの分野ではもっとも進んでおり、戦略核兵器の運搬手段として開発が進められているアバンンガルドが有名です。これはR-36/8K67大陸間弾道弾などに搭載、従来の弾道ミサイルは最高高度に達すると放物線を描いて降下するため、ミサイル防衛システムにより捕捉される可能性が否定できません。

 R-36を一例に出しましたが、現在は大陸間弾道弾の落下速度は速く、ミサイル迎撃システムでの迎撃は困難となっています。しかし年々技術が向上しており万全ではありません。しかし高速滑空弾は文字通り滑空することで不規則な軌道をすすみ、ミサイル防衛システムの防空覆域を回避します。なお気になる速度、アバンガルドはマッハ20を想定している。

 東風17号型。中国軍が2019年に発表した新兵器ですが、自衛隊の開発する島嶼防衛用高速滑空弾はこちらと共通点があるのかもしれません。これは台湾や沖縄と九州の一部を射程に収める高速滑空兵器で、2011年に配備が開始された東風16号型と共通する推進装置を有し、弾頭部分に滑空体を装着したもので、諸説あるが射程1000km前後と推測される。

 島嶼防衛用高速滑空弾、こうしたものが必要とされる背景には南西諸島への島嶼部侵攻を想定する際、必ず広域防空艦、日米のイージス艦に相当するミサイル駆逐艦等を随伴する事が予想されます、ここで安易に通常のロケット弾により対処しようとした場合、射程が数百km程度では落達速度も限られ、広域防空艦により迎撃され任務達成は難しい可能性も。

 広域防空艦の普及と艦対空誘導弾の長射程は世界的な趨勢ではありますが、この点についても滑空弾は極超音速にて目標へ接近する事により、迎撃が困難とさせ任務達成への障壁を引き下げられる可能性もあります。また、近年では島嶼防衛用であるとともに、近年任務範囲拡大を前に射程不足が懸念されている地対艦誘導弾の補完用としても検討の報道も。

 さて、中国からのサイバー攻撃により関心が集まった今回の事案、しかし日本以外に中国とロシアが我が国周辺では実用化を進めており、対抗措置は必要です。他方でこの種の装備は先行する基礎研究があってこその国産開発ですので、防衛装備庁の技術蓄積が充てこその実現と云え、中国軍以外にも日本の防衛に直結する命題故に関心は尽きませんよ、ね。

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【日曜特集】観艦式2009-守る!この海と未来-【14】ひゅうが艦載機の発進(2009.10.23)

2020-06-21 20:04:17 | 海上自衛隊 催事
■ミサイル艇&LCAC高速航行
 自衛隊観艦式は様々な艦艇が精密時計のように緻密にしかし入り乱れ観艦式の訓練展示は次々と太平洋上に繰り広げられてゆきます。

 おやしお型、そうりゅう型、そしてその改良型で将来は潜水艦おうりゅう型と区分されるでしょうリチウムイオン電池潜水艦、続く3000t型潜水艦が建造されますが、国産で設計し運用研究し部隊を編成できる、この防衛力はもっと活用すべきなのかもしれませんね。

 くらま。第一世代ヘリコプター搭載護衛艦、と個人的に誇称している護衛艦はるな建造から続きます四隻のヘリコプター巡洋艦型の護衛艦集大成です。はるな満載排水量が6800t、くらま満載排水量が7200t、位置づけとしては戦時中の5500t型軽巡洋艦にちかいもの。

 ヘリコプター搭載護衛艦の世代交代、そしてこの頃日本でも世代交代と云いますか政権交代が行われていまして、自衛隊観艦式2009は鳩山内閣が始りました2009年9月16日から後の観艦式です。鳩山内閣はこの二か月後、護衛艦いずも、22DDHの予算を成立させる。

 ひゅうが。第一世代型ヘリコプター搭載護衛艦がヘリコプター巡洋艦型の船体を採用していたのに対して、ひゅうが型護衛艦から始まりました新しい潮流は全通飛行甲板型護衛艦、と呼称しています。文字通り全通飛行甲板を採用し、多種多様な航空機を運用可能だ。

 はるな。海上自衛隊最初のヘリコプター搭載護衛艦は1973年に竣工し、海上防衛の第一線にありましたが、この観艦式が挙行されました2009年に除籍、代えて竣工したのがこの護衛艦ひゅうが、なのですね。海上自衛隊が導入しました初の全通飛行甲板型護衛艦です。

 海上自衛隊潜水艦は国産潜水艦初代おやしお以来連綿と建造技術が受け継がれ、そして先行する初の供与潜水艦くろしお以来日米の戦術研究と共に戦術が磨かれています。当時は、くろしお組、おやしお組、と派閥が在ったとも聞きますが、現在は日本潜水艦一家へ、と。

 ヘリコプター搭載護衛艦、はるな、は1973年竣工ながら、艦載機をHSS-2とHSS-2AにHSS-2B,SH-60Jと最後はSH-60Kに世代交代させることで除籍の直前まで第一線での運用に耐える性能を維持しました。ヘリコプター搭載護衛艦の強みはここにありましょう。

 全通飛行甲板型護衛艦はその筆頭ですが、航空機を運用する艦艇は近代化改修などをせずとも艦載機を新型に置き換えるだけで性能を一新できるのですね。世界にはモジュール艦という、作戦モジュールを置き換えることで多用途に対応する艦艇はあるのですが。

 F-35Bを搭載することで水上打撃戦にも対応できる護衛艦だ。モジュール艦、一時期特にデンマークなどが各国に提案し、ドイツも輸出用に提案した水上戦闘艦で、ブロックコンテナ状のモジュールを置き換える事で、対水上戦闘や対空、掃海から哨戒まで対応する。

 しかし、モジュール艦が普及しなかった最大の理由は、モジュールを積み替えるにも時間を要しますし、補完しておくだけでも莫大な費用を要し、操作要員も共通化が難しいという事で殆ど普及しませんでしたが、航空機であれば積み替えは造船所に入る必要もない。

 SH-60Kを搭載することで対潜と対水上、MCH-101を搭載することで掃海と水陸機動に輸送、AH-64DやCH-47を搭載することで水陸機動や戦力投射、まもなく導入されるMQ-8で哨戒と掃海、F-35Bでイージス艦支援とミサイル防衛支援に空対空戦闘、対応できます。

 海上自衛隊独自の方式としての水上戦闘システム、海洋防衛作戦体系、全通飛行甲板型護衛艦はこうした将来性を有している。ひゅうが、ほかこの2009年は、ひえい、しらね、くらま現役でまだ世代交代は始まったばかり、いまは、いせ、いずも、かが、が運用中だ。

 潜水艦の展示を完了した後、艦隊は次の展示に向けて再度陣形を整えます。実のところ観艦式が執り行われます相模湾は決して広くはなく、そして東京湾の湾口という世界有数の海上交通量を誇る海域にて展開されています、小田原沖から江ノ島沖にかけての海域にて。

 自衛隊観艦式では、富士山が望見でき雄大な景色とともに艦隊が航行する様子から国民が海上防衛の現状を知ることが出来るのですが、小田原おきから江ノ島沖という、電車ですと微妙に近く感じる海域を航行して実施されています。航空機も羽田管制空域に近い。

 はやぶさ型ミサイル艇の機動展示か開始されます。はやぶさ型は日本海沿岸の防備へ地方隊の警備隊用に6隻が建造された高速戦闘艇で、もともとは30隻程度が配備される計画でしたが、防衛計画見直しにより6隻で建造終了、このほか一号型が3隻建造されています。

 くまたか、おおたか。ともにミサイル艇はやぶさ型です、満載排水量240tと非常に小型で、しかし明治時代に日本海軍が最初に導入しました駆逐艦雷が375tですので、その昔の駆逐艦というものはこの水準をもう少し大きくした水準だったのだな、と思ったりしましたね。

 イージス艦の艦影がIRフレアーの濛々としたカーテンの奥から姿を現します。さてイージスといえば先日のイージスアショア建設中止により、イージス艦増強か別の場所にイージスアショア設置かで揺れています。イージス艦増強ならば、艦名がどうなるか、愉しみだ。

 ミサイル艇の任務は艦対艦ミサイルでの水上戦闘艦攻撃ですが、レーダーが最小限度であるため、搭載するSSM-1対艦ミサイルの最大射程、その先の目標を捕捉する手段がありません。このため、陸上の防空砲兵陣地や移動レーダー施設と協力して任務に当たります。

 海上自衛隊は陸上自衛隊のFH-70榴弾砲、03式中距離地対空誘導弾や88式地対艦誘導弾システムと共同し、そして海軍プレゼンス公使の手段として島嶼部の防衛に、要するに平時に領域へ接近させない威嚇手段としてミサイル艇を考えるべきだったのかもしれません。

 イージス艦あしがら。外洋作戦を基本とする海上自衛隊にとって、沿岸作戦用のミサイル艇よりも重要度が高いのは、外洋艦艇です。専守防衛の我が国ではありますが、シーレーンは世界とを結び必要な工業製品や原料、燃料と食糧を自給出来ない我が国に必須です。

 あしがら。海上自衛隊は2020年現在、イージス艦まや竣工とともに護衛艦まや型二番艦はぐろ建造を進めていまして、これによりイージス艦8隻体制が漸く完成、護衛艦隊を構成する四個護衛隊群に各2隻のイージス艦を配備させる、平成初期の構想が漸く完成します。

 LCACと護衛艦あしがら。ミサイル艇の高速航行展示とともに、海上自衛隊の韋駄天といえばもうひとつ、LCACがあります。沖合96kmの母艦から主力戦車などを40ノットで沿岸に展開させる、アメリカ海軍の運用構想に基づき開発されたものが、このLCACだ。

 LCAC,海上自衛隊では虎の子装備であり車両は一両づつ、あまり目一杯搭載しないのですが、アメリカ海軍ではLAV-25軽装甲車とM-1114ハンヴィーを目一杯搭載して活用しています、96式装輪装甲車3両と軽装甲機動車3両を、同時に搭載して輸送する事が可能です。

 あぶくま。あぶくま型護衛艦です。将来的にDE沿岸護衛艦は全廃され、FFMという新しい3900t型護衛艦がその後継となります。FFMの満載排水量は5000t規模となり、あぶくま型護衛艦が2900tですので倍近い大型護衛艦となります。自衛隊の変貌は続くのです。

 LCAC流し撮り。高速航行を展開しますと、どうしても流し撮りを決めたくなってしまいますね。シャッター速度を1/25とか1/15秒とかの低速としまして、連写性能を発揮して撮影します。このころはEOS-40DやEOS-50Dを活用していた時代、まだ手元にありますが。

 LCAC高速航行。LCACは一隻90億円という、90式戦車一個中隊分の費用を要します、実際、おおすみ型輸送艦の建造費が350億円程度ですが、搭載するLCACだけで180億円という計算になるのですね。しかし遙か沖合から高速で上陸する性能、現在は必須という。

 こんごう、LCAC落ち着いて撮影。カメラと自分の技術を信じたいところですが、流し撮り失敗に備えて落ち着いた構図での撮影も一応行いました。こうした状況は次々に展示が進みますので気が抜けません。だからこそ掲載も延ばし延ばしになったの、かもしれない。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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