北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

北朝鮮,KN-20/火星14号型弾道弾実験実施!,米西海岸ロサンゼルス・東部シカゴが射程内

2017-07-31 20:11:00 | 国際・政治
■KN-20弾道弾射程10000km
 北朝鮮が28日深夜から29日にかけ、新型ミサイル実験を行いました。射程は10000km、深刻な脅威です。日米は早速F-2戦闘機とB-1B爆撃機による共同訓練を実施しました。

 7月28日深夜、舞坪里試験場にてKN-20/火星14号型弾道ミサイルの実験が行われました。ロフテッド軌道にて高度3724kmまで上昇した後、北海道奥尻島沖150kmの我が国排他的経済水域内に落下しました。今月4日に続いて発射された大陸間弾道弾で射程は9000kmから10000kmに達し、アメリカ西海岸ロサンゼルスや内陸のシカゴ、欧州のパリやロンドンを射程に収めるという。

 東京は北朝鮮から1000km、1993年に実施されたノドンミサイル実験により既に射程に入っており、沖縄の在日米軍基地まで1300kmを隔てていますが1998年のテポドンミサイル実験を経てその射程内に含まれました。テポドン改良型は3400km先のグアムを射程に収め、4500kmを隔てたアラスカやハワイは2016年のムスダンにより射程内に入りました。

 アメリカのトランプ大統領は、ロサンゼルスやシカゴを射程に収める北朝鮮の弾道ミサイルへ強く抗議しています。弾頭1.2t程度の運搬能力があるとされ、北朝鮮の小型化技術は未知数ですが、過去に2007年以来5回核実験を行い、昨年は2回の核実験を実施、10キロトン程度の核爆発を成功させています。核弾頭がアメリカ主要都市を射程に含んでいる、北朝鮮の狙いは在韓米軍撤退を含め朝鮮半島へのアメリカの関与を断念させる事に在り、アメリカ世論が脅威を受け止めるまで開発は継続されるでしょう。

 経済制裁が現在、北朝鮮の核開発及びミサイル開発に対して世界規模で実施されている唯一の実力行使です。しかし、軍事関連資材の輸出禁止やミサイル関連技術の禁止等に限られ、北朝鮮民間経済活動への制裁は不充分で、日本が行う全資金送金の禁止や民間渡航の禁止と事実上人道緊急の資材を例外とした禁輸措置のような厳しい措置は行われていない。この点についてアメリカは中国からの経済制裁強化を切望していますが、具体的な行動は無く、米中摩擦へと発展しつつあります。

 北朝鮮はここ10年間で複数の新型弾道ミサイルを開発しています。スカッドC改、KN-11/北極星1号型、KN-15/北極星2号型、ムスダン/火星10号型、KN-17/火星12号型、KN-20/火星14号型、開発されているミサイルは此れだけの数となります。また、弾道ミサイルは多種多様であると共に、明確な用途を有しており試作型の乱立というわけではありません、改良型が次々と開発される中、日米は弾道ミサイル迎撃能力の強化を後追いしていますが、泥縄式という印象は否めない。

 スカッドC改は精密誘導型とされT-62戦車改造の機動発射装置により展開し、航空母艦等を目標とするべく前方操縦翼を追加したもので、西日本や九州を射程としています。KN-11/北極星1号型、解体用に取得のゴルフ級潜水艦を参考に建造した新浦級潜水艦より投射する潜水艦発射弾道弾でソ連製R-27/SS-N-6を参考としたもの、ただ、実用性は未知数です。

 KN-15/北極星2号型、これは前述のKN-11を陸上発射型としたもので射程は日本全土を治める2000km程度とされます。ムスダン/火星10号型、米軍の太平洋における拠点グアム等を狙う射程4000kmとし、長期の常温保存が可能な液体燃料を動力として採用しています。弾頭は1.2t程度、核弾頭とした場合、50キロトン程度の運搬手段となりえるでしょう。

 KN-17/火星12号型、本年5月14日に初めて発射されたもので、高高度を飛翔するロフテッド軌道により高度2111km に達し、最大射程は5000kmに達すると考えられています。KN-20/火星14号型、この開発によりアメリカ本土の西海岸と内陸部を核攻撃可能とした可能性があり、アメリカは1962年のキューバ危機以来、深刻な核の脅威に曝されています。

 軍事行動の可能性はあるのか、アメリカ軍は在韓米軍へ弾道ミサイル迎撃能力を有するTHAADミサイル搬入を加速させると共に、B-1B戦略爆撃機を度々グアムから展開させ哨戒飛行を実施、日本とのイージス艦等によるミサイル防衛訓練を強化しています。しかし、ミサイル防衛は限界があり、特殊部隊と航空攻撃による発射前の無力化が必要となりますが、実施すれば弾道ミサイルによる反撃が予想され、想像を絶する惨事となりかねません。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】横須賀地方隊伊勢湾展示訓練2010【1】艨艟伊勢湾へ出港(2010-08-21)

2017-07-30 20:15:13 | 海上自衛隊 催事
■伊勢湾展示訓練2010
 日曜特集、新しい特集に海上自衛隊横須賀地方隊伊勢湾展示訓練2010の様子を今回から紹介します、実任務増大により昨年度と今年度、こうした展示訓練は行われていません。

 海上自衛隊伊勢湾展示訓練、横須賀地方隊が主催する海上自衛隊展示訓練として伊勢湾を舞台に2010年8月21日に実施されました。舞鶴展示訓練2011、大阪湾展示訓練2011、観艦式2012、舞鶴展示訓練2013、舞鶴展示訓練2014、自衛隊観艦式2015等と続く。

 伊勢湾展示訓練2010、護衛艦4隻、潜水艦1隻、掃海母艦1隻、掃海艦1隻、掃海艇2隻、輸送艇1隻、試験艦1隻、多用途支援艦1隻、以上艦艇13隻と、救難飛行艇1機、哨戒ヘリコプター2機、救難ヘリコプター1機、多用途ヘリコプター1機の計5機が参加しました。

 ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、ヘリコプター搭載護衛艦しらね、ミサイル護衛艦こんごう、堂々たる艦艇が参加するこの訓練へ当方は縁あって、多用途支援艦えんしゅう艦上からこの演習、えんしゅうからえんしゅう、もとい展示訓練へ立ち会う事となりました。

 地方隊展示訓練は、横須賀地方隊や呉地方隊に佐世保地方隊と舞鶴地方隊に大湊地方隊と、海上自衛隊が全国に配置する5地方隊の広報行事となっています。これは観閲式と訓練展示を以て海上自衛隊の能力と訓練体制へ、国民と自衛隊の間を結ぶ体験航海でもあります。

 海上自衛隊は非常に忙しくなっていまして、2010年の頃は本当に平和でもありました、何よりもあの東日本大震災が後八か月を経て発生するなど、夢にも思いません。そして現在海上自衛隊は南西諸島警備に創設以来最大規模の哨戒体制を鋭意継続中となっています。

 東日本大震災は2011年3月11日に発災しました、横須賀地方隊は横須賀地方総監部へ東日本大震災対処統合任務海上部隊司令部が置かれ、太平洋岸の全ての災害対処任務を引き受けましたが、その八か月前、この訓練に当たった艦艇は全て災害派遣へ参加しています。

 南西諸島警備と中国からの軍事圧力増大を前に、海上自衛隊は創設以来の規模での艦艇任務を継続中ですが、この為、艦艇の運用がほぼ限界となっています。併せてソマリア沖海賊対処任務、ミサイル防衛任務と任務が増大し、広報展示実施が難しくなってきています。

 海上幕僚長は2016年に各地方隊へ、部隊を休ませよ、としまして実任務の増大を前に広報任務を止むを得ず低減させざるを得ない状況となってしまいまして、2016年には展示訓練はとうとう実施されていません。停泊式観閲式でも実施してくれれば、と思ったのですが。

 体験航海への関心は非常に高まっています、実際、海上自衛隊展示訓練へは全国の地方隊で行われますが、抽選制となりハガキ応募により乗艦券が交付される一方、物凄い競争倍率となって自衛隊を知ろうにも乗艦できない程でして、この傾向は年々高まっています。

 任務優先ではありますが、広報行事は軍事機構にとり平時の実戦と云われる通り、リクルートとして有能な人材を自衛隊へ招く重要な機会となっていまして、実際、体験航海を機会として自衛官の道を志したというお話はよく聞くところです、そして募集難となります。

 募集難、新聞記者の方と雑談するたびに安全保障関連法制での実戦の可能性が増えたことと関係はあるのか、という話題を振られますが、海上自衛隊の場合は、安全保障関連法制により紛争地で艦隊決戦を行う可能性が増えたのか、と考えれば、それは有り得ません。

 バブル崩壊後の就職難時代には自衛官志願者が激増し、バブル期には志願者が減った、という話はよくなされますので、それだけ人不足が深刻となっている点が隊員募集難への影響となっているのでしょう。また、実任務増大へ人員不足が大きく、勤務環境悪化もある。

 出港すれば入港まで禁酒となりますし、月月火水木金金、と旧海軍ではありませんが寝床が職場という厳しい勤務環境です、航海手当は出ますが時給換算し肩を落とす乗員を基地の街の酒場で視た事も、任務が増えているのです、艦艇を増やし激務緩和が肝要でしょう。

 さて、北大路機関では伊勢湾展示訓練2010の写真について、詳報掲載を開始した当時にOCNブログサービス終了の発表がありGOOブログへの転換という一大事業に忙殺されたことで掲載が中断していましたが、この度日曜特集として連載を再編する事となりました。

 護衛艦の出港、ラッパの音が響き非常に勇壮です。今回乗艦のお誘いをいただきましたのは、多用途支援艦なのですが、ラッパが響き出港用意の号令が響きわたるところは一緒です。伊勢湾展示訓練には多数の艦艇が停泊していますが、予定通り次々と出港してゆく。

 しかし、ラッパの音は象徴的なものであるだけで、最も重要なのはこの瞬間に艦艇が”停泊”から”航海”へと移行する瞬間だ、ということです。この瞬間、水上戦闘艦である護衛艦は、今回乗艦しているのは多用途支援艦ですが、自衛艦は商船と少々勝手が違う。

 自衛艦、民間フェリーのような出港への支援装置よりは速力などを優先しているため、曳船等の支援を受けて出港します、そして岸壁係留を取り外す作業と曳船の指揮を同時並行して行わなければなりません。その上、フェリーが船団をくむことはなかなかありません。

 一方の護衛艦はじめ自衛艦は訓練などへ艦隊を組み行動することも多く、伊勢湾展示訓練などはその典型です。出港時間はこのために厳格に明示されていますので、そのために出港時間へ出港するために時間をどのように配分し準備するのかという命題があります。

 曳船に係留索との指揮は艦長が全責任を負って実施しますが、そのために、前部指揮官と中央部指揮官に後部指揮官が艦長の意思を補佐し代行します、前部中部後部指揮官は出港前に艦橋へ集まり、岸壁を離れた後の航行や地形と船舶往来に関する情報の調整を行う。

 各指揮官調整では、係留索をはずす順番はどうするのか、港内のほかの船舶や艦艇の航行はどのように見積もられているのか、副長の砲雷長か船務長、DDHでは飛行長がこの指示を艦長のまえで各指揮官へ行います。これらは見学者乗艦までに完了し、出港へ備える。

 調整では留意事項として普段と異なる状況、展示訓練では見学者、実任務や大規模訓練等場合によっては実習員や難民と他部隊の要員など出港作業への留意事項など、これは副長と艦長が同じ認識を共有していることを艦長が確認するという意味合いもあるとのこと。

 こうして確認は各指揮官が改めて状況認識の概略を共有することとなりますので、例えば調整と違う動きなどがありましたらば、何か異常事態が起きつつある、と各指揮官が即認識できるわけです、各指揮官はハンドトーキー型無線機により情報連絡を密にしています。

 出港へ、異常の兆候が異常へ顕在化する前に対処行動をとって回避できるわけですね。ここの様子が海の男、という印象です。船が大きければうける風も大きい、強風で船が押されているという事は当然事故に繋がり、波浪も船体の大きな艦艇では相応に影響が大きい。

 タンカーやフェリーの行会船と突然遭遇することも漁船やヨットが近寄って接触しそうになることも、実際多い。実際、護衛艦などはしっかりと見張りをしているのですが、前を見て操船しているのかわからない漁船などは見学している一般の視点からも少なくはないのです。

北大路機関:はるな くらま
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Weblog北大路機関創設12周年 7.29,榛名研究室/鞍馬事務室創設12周年

2017-07-29 20:05:10 | 北大路機関特別企画
■Weblog北大路機関12周年
 皆々様、日々ご高覧ありがとうございます、おかげさまでWeblog北大路機関は創設12周年を迎えました。

 本日7月29日はWeblog北大路機関創設12周年記念日です。2005年7月29日にWeblog北大路機関は阪急十三駅にて誕生しました。大学でのプロジェクト完了後の打ち上げを神戸で行い、元町にて紹興酒を大量に頂いた後に帰路、阪急三宮駅に辛うじてたどり着いたのも早いか、梅田行特急を十三駅で京都本線に乗り換える、その途上で創設されました。

 特急乗換の時間を活かして創設されたWeblog北大路機関、当時はWeblogが個人情報発信の新しい潮流、現在はTwitterやFacebook、動画配信のYOUTUBEと多様化する中、実に12年間も継続し、記事を更新できているのは新鮮な驚きですが、併せて自衛隊行事にて知名度が多少ある事には更に驚かされます。読者紳士淑女の皆様、ありがとうございます。

 阪急十三駅、神戸本線と京都本線を乗り換えるホームにて東芝dynabookを起動させ、通信速度128kbpsというPHS回線にてOCNブログ、Weblog北大路機関は誕生したのでした。北大路機関とは安全保障問題を研究する大学内自主ゼミで、創設は2003年まで遡ります。兎に角創設当初は、Web回線が遅く写真一枚をUPするだけで実に五分を要した程です。

 Weblog北大路機関創設12周年記念日、創設当時はカメラがフィルム式一眼レフを愛用しており、遅れて2005年の富士総合火力演習からCANONの当時最新型、デジタル一眼レフEOS-KissNを運用開始したのですが、毎秒3枚の撮影能力を駆使し運用開始当日に90式戦車の発砲焔3枚の撮影に成功し、デジタルカメラ時代へと当方も参入したのでした。

 2005年といえば、護衛艦はるな現役、初の全通飛行甲板型護衛艦ひゅうが建造が進む中、当時最新の戦車は90式戦車で軽装甲機動車の部隊配備が徐々に本格化する中、自衛隊は初のイラク派遣を迎え、対テロ戦争は長期化、緊急発進の件数は現在の数分の一、航空自衛隊次期戦闘機へF-22かEF-2000かが討議される中JSF計画F-35は順調に遅れ、という。

 くらま除籍を今年三月に迎え、ヘリコプター搭載護衛艦は世代交代、同日には最新の満載排水量27000tという護衛艦かが竣工、F-35戦闘機が小牧を初飛行、10式戦車の配備開始と共に16式機動戦闘車がお目見え、統合機動防衛力と水陸機動団といった新しい脅威へ対応するための部隊改編が進み、2005年には想像も出来なかった2017年となっています。

 創設以来の課題は誤字脱字と連載中断でした。誤字脱字については、昨年より順次Word文書による下書きを基本とし、GOOブログへの直接入力という方式に一段階校閲を加える施策により、若干は誤字脱字の発生を低減する事が出来ました。一方、連載中断については、本文写真を連載開始前に準備し分散掲載する方式で、問題の解消を目指しています。

 課題として近年新しく浮上しているのは、多くお寄せいただいたコメントへのお返事作成が滞っている点で、既に全てのコメントへのお返事を作成できない点は繰り返しお詫びしていますが、多忙により記事作成のみで飽和状態となっています。何らかの打開策を検討中です。併せて、予備Weblogの第二北大路機関についても知名度の強化が課題となります。

 防衛安全保障問題を扱うと共に、鉄道関連コラムから草創期の主要特集であった京都散策や名所旧跡特集も昨年より本格的に再開しましたWeblog北大路機関、新たに日曜特集としまして、自衛隊関連行事詳報を定期化し、確実に掲載できる体制を構築、これまで以上に読みやすい記事作成を目指してまいります。今後ともWeblog北大路機関をどうぞよろしく。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十九年度七月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.07.29/07.30)

2017-07-28 20:29:14 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 南スーダン派遣日報問題特別防衛監察を受け稲田防衛大臣が辞職し、岸田外務大臣が防衛大臣を兼任する事となりましたが、今週末の自衛隊関連行事を紹介です。

 館山航空基地ヘリコプターフェスティバル、たてやま海まちフェスタと同日開催される海上自衛隊の航空基地祭です。第21航空群が展開する館山航空基地は千葉県の房総半島南端にあり、ヘリコプターフェスティバルではSH-60K哨戒ヘリコプターによる飛行展示や編隊飛行、救難飛行展示が行われ、海に面した基地では支援船体験航海等も実施されます。

 舞鶴地方隊サマーフェスタ、舞鶴基地と舞鶴航空基地が一般公開となります。第3護衛隊群、第23航空隊が展開する海上自衛隊の基地で、ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが一般公開、大型曳船及び特別機動船による港内体験航海、まいづる海自カレーフェスタ、SH-60哨戒ヘリコプターによる飛行展示等が行われます。日本海の基地は沿岸風景が素晴らしい。

 さて撮影の話題、舞鶴航空基地など、路線バスで展開しようと思いますと一日一本、片道燃料と云いますか、行ったらば帰ってこれないという物凄いバス路線時刻表と対面する事になったりします。路線バスの地方路線は不採算によりどの地方でも苦境が伝えられるところですが、自衛隊基地という一定の若者が居住している地域でもこの状況なのか、と驚かされるところです。

 ただ、本当の過疎地域では一日一本で帰路はタクシー乗合、というような状況や、タウンバスを丹念に探すのみという状況もあるのですが、路線バスと自衛隊基地の場合、勿論例外も多くありますが、路線バスの本数の少ない直ぐ近くと別の路線が運行している場合もあります。このあたり、バス路線は鉄道線路の様に見えないので難しいところではある。

 ここで留意したいのは、極力バスの案内所、無ければ運行会社へ電話で直接確認し、行きたい場所と出発する駅等の場所を明確に伝え、案内をお願いするところでしょうか。これを極めますと、航空祭などでシャトルバスの行列に並ぶことなく路線バスを利用する事も出来ます。ただ、日曜日は事業所が閑散としている事も多く、平日に聞く必要はあります。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・7月29日:館山航空基地ヘリコプターフェスティバル…http://www.mod.go.jp/msdf/tateyama/
・7月29日:舞鶴地方隊サマーフェスタ…http://www.mod.go.jp/msdf/maizuru/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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南スーダン派遣日報問題特別防衛監察,岡部陸幕長・黒江事務次官・稲田防衛大臣が引責辞任

2017-07-27 20:55:24 | 国際・政治
■南スーダン内戦と憲法神学論争
 本日は京都幕間旅情,祇園祭二〇一七後祭宵山を予定していましたが、南スーダン派遣日報問題に大きな動きがありましたので変更しお送りします。

 南スーダン派遣日報問題、特別防衛監察の完了と共に陸上自衛隊の岡部陸上幕僚長と内局の黒江事務次官が辞任の意向を表明している、防衛省関係者の発言がNHK等により報じられています。稲田防衛大臣も本日夕方に、南スーダン派遣日報問題について防衛大臣としての監督責任を取りたいとして、大臣を辞任する意向を固め明日にも安倍総理大臣へ辞表を提出するもよう。

 岡部陸上幕僚長と黒江事務次官、稲田防衛大臣が辞意を表明した南スーダン派遣日報問題とは、どんな問題だったのでしょうか。これは南スーダンにおいて昨年7月に大規模な武力衝突が起きました。この際に南スーダンPKOへ派遣されていた自衛御鯛派遣施設隊日報の内容について国会討議の対象となり、陸上自衛隊が破棄したと説明しましたが、実際は残っていたもの。

 戦闘、という表現が南スーダン派遣日報に明示されていたとの指摘があり、これはPKO協力法に基づく部隊派遣の要件を満たさなくなったとして南スーダンPKO部隊を即座に撤収させる要求が野党により出されたものでした。しかし、政府答弁では現地で展開していたのは衝突であり戦闘ではないと一貫していた為、国会での大きな討議内容となった訳です。

 海外派遣部隊を統括する中央即応集団、陸上自衛隊は南スーダン派遣日報について機密文章ではなく将来の開示要求等も想定しないとして、当該日報は破棄しているとの説明を行っていましたが、今年3月に入り中央即応集団司令部に南スーダン派遣当該日報が保管されている事が判明し、戦闘という表現を含んだ事実を隠蔽したとして問題が拡大しました。

 戦闘か衝突か、これは憲法神学論争や永田町用語としての戦闘と衝突の違いがあったと解釈すべきで、この問題となっている昨年7月の戦闘は反政府勢力の戦車部隊がT-72戦車を戦闘に首都ジュバ市内へ突入し、政府軍のMi-24攻撃ヘリコプターが航空攻撃を加え戦車を撃破するという状況、軍事用語では戦闘となりますが、法律用語では戦闘の定義が明確ではありません。

 憲法神学論争と揶揄される憲法の国会での解釈、今回も繰り返された形です。国会において戦闘の定義を明確とせず、PKO部隊を派遣したのは前政権時代ですが、南スーダンPKOそのものは2002年以降のPKO全てと同様に、国連憲章七章措置の安全保障理事会の責任を持って行う安保理決議により実施されているもので、以前のPKO任務よりは国連軍としての要素を大きく含み派遣されるものでした。当然、戦闘は想定されました。

 自衛隊撤退を即座に行う事が妥当ではなかったか。これは国連南スーダン派遣団UNMISSの枠組みの中で行動する自衛隊を、調整なしに離脱させる事は難しいですし、アフリカの南スーダンから要員を即座に撤収させる空輸力もない。故に即座の撤退を要求した野党は、付随する人道危機や撤収により生じる自衛隊損害を度外視したものといわざるをえない。

 民主国家として軍事機構が情報を隠蔽する事の健全性、という視点から批判される南スーダン派遣日報問題ですが、それ以前に派遣するに十分ではない法律を了承しPKO部隊を派遣した事に問題の本質があります。その上で、法律用語や永田町用語としての戦闘と軍事機構である自衛隊の戦闘という用語の齟齬が、現場不在で拡大した状況が垣間見えます。

 戦力不保持という憲法の下で余りに制約された自衛隊の行動の中で、戦闘と衝突と云い敢えて自衛隊を海外派遣するという、問題の本質は遡れば自衛隊創設と同時に行うべき自衛隊の憲法上の位置づけと、わが国平和政策をどのように現実政治に収斂させるのかという問題を棚上げし続け、事実上改憲という論点に忌避し続けた部分まで、問題は遡れます。

 ただ、衝突と戦闘の単語の問題、これは憲法上保持を禁じられた戦力の例外に自衛隊が位置付けられるよう、憲法上の禁じられた国権の発動たる戦争、この戦争の定義に含まれない防衛力の投射、恰も日中戦争を満州事変と言い換えた時点と似た、云わば軍事上戦争に位置付けられるが憲法上戦争とならない衝突があり得る。こう考える事も出来ましょう。

 平和憲法のもと、日本は平和国家として歩み続けてきましたが東西冷戦では太平洋側での最前線に位置した朝鮮半島と北海道北部の緊張、冷戦後は中国海洋進出の最前線に位置すると共に核実験とミサイル実験を継続する北朝鮮、最大規模の地域紛争へと展開し得る台湾海峡という現状を背景に、平和憲法の戦力不保持は限度があるといわざるを得ません。

 南スーダン派遣日報問題の本質は、戦力不保持という憲法の下で国際貢献を行うという事への根源的な限界と共に、部隊の安全性と無理に部隊を撤収させる事による人道危機以上に、“衝突と戦闘の単語の問題”という部分が論点の発端となり本質となった点でしょう。現実に沿った政策を憲法上できないのであれば、憲法解釈と用語を際限なく駆使して辻褄を合わせるか、改憲か、本質は憲法の数多い論点まで展開してしまうものです。

北大路機関:はるな くらま
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巨大災害,次の有事への備え 16:南海トラフ地震、FC- Systemの救援物資最適給付応用

2017-07-26 20:23:39 | 防災・災害派遣
■天文学的被災者数への対応
 南海トラフ地震が連動型として発生すれば、東海と中京阪神地区と四国紀伊南九州を津波が襲います、直撃を回避できる東京と京都、広島と岡山、熊本と福岡から天文学的な被災者へ官民一致で救援物資を送らねばなりません。

 野外通信システムFC- System、災害派遣に運用するならば非常に大きな能力が期待できます。孤立地域は何処までか、どの接近経路が復旧しているのか、重点捜索地域の被害評価、避難所の状況と避難民数、避難所の不足物資と支援状況、ノード中継装置が展開し、広帯域多目的無線機コータムのデータ通信能力ならば即座の状況把握が可能となります。

 災害となれば大量の救援物資が現地へ集積されますが、仕分けは困難を極めます。従来大規模災害時に当然の後継であった整理されない物資の山、必要な物資が届かず遅れたニーズに基づく不要な救援物資の山積、情報は洪水となり情報整理へ用意されたホワイトボードは無数の走り書きメモに埋没してゆき、その中で人命を左右する情報も埋もれてゆく。

 アクセスノード装置と広帯域多目的無線機間でのネットワーク形成と共に、野外通信システムFC- Systemが災害派遣の第一線に展開するならば、この種の問題は、整理へ人海戦術を行使しようにも他の救援作業に忙殺され、善意の山が活用されない、という状況は過去のものとなるのかもしれません。何故ならばこの状況は戦時と同じ要素を含むのですから。

 105mm戦車砲を搭載する74式戦車や16式機動戦闘車の部隊へ90式戦車用の120mm戦車砲弾が届いても使い道がありませんし、火力支援部隊という事で120mm迫撃砲部隊へ誤って155mm野砲が送られても発射は出来ません。砲弾という事で端的に示しましたが、予備部品、整備治具、電装品、糧食、要求が一つでも異なれば用をなさないものは実に多い。

 アイアンマウンテン、と揶揄される軍事用語があります。これは必要かが切迫していないものの万一不足した状況に備え大目に、万一への備えを様々な地域で蓄積しておくことで、段列地区や策源地に鉄のコンテナ資材の山が形成され、無駄となってしまうというもので、戦争とは物資の衝突でもある為、ある種正しいのですが、度を越せば軍事費を逼迫させる。

 過度な在庫を持たない、という発想は突き詰めれば日本の製造業が最もその効率性を世界に誇示し、経営効率の高さを示していた1980年代の姿を思い起こさせるものなのですけれども、実のところこの分野において最先端を往くアメリカ軍が、現在のアイアンマウンテンを構築しない効率的な戦場ロジスティクス体系を構築する際に参考としたのは日本です。

 日本のトヨティズム方式、多国間国際分業に基づく東南アジア地域での広範な部品流通網の構築と在庫管理の最適化方式をアメリカは物流大手フェデックスの管理システム方式を援用し更に効率化、バーコード利用の地球規模での物資管理体制とICタグ活用に基づく兵站基盤を構築した訳です。この方式を我が国が災害派遣に応用、当然と云えば当然です。

 被災地への物資集積と最適な配分を即時行う事で被災地域での被災者救助の立ち上がりと生活基盤再建への迅速な意向を行い、復旧即復興の体制を構成する、この為に被災地のニーズを概略ではなく明確に把握する枠組みが必要となります。これは一種サービス業の手法ながら、全国規模の基盤をスタンドアローンでインフラ毎構築できる組織はありません。

 自衛隊には民間企業には不可能な電気水道途絶状況下、燃料供給は勿論道路さえ封鎖下、任務遂行を独力で基盤構築する能力があり、ここに先端の兵站技術を防災と併用可能な水準で構築する。逆に視れば防災予算で最新の野戦通信基盤を構築しているとの批判を受ける可能性は否定できませんが、防衛防災双方に資する部分は敢えて進めるべきでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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ジェラルドRフォード就役!トランプ大統領,130億ドルの新型原子力空母竣工を誇示

2017-07-25 20:37:59 | 先端軍事テクノロジー
■ジェラルドRフォード就役!
 新空母ジェラルドRフォードが就役しました。満載排水量101600t、自衛隊最大の護衛艦かが27000tを遥かに上回る巨艦です。

 アメリカ海軍の新型原子力空母ジェラルドRフォード級一番艦、ジェラルドRフォードが竣工しました。現在のアメリカ海軍主力空母はニミッツ級原子力空母10隻です。ニミッツ級は一番艦ニミッツ1975年就役以来、順次新造艦に最新技術が応用されていますが、本級からは新型原子炉採用と従来の蒸気カタパルトに代わる電磁カタパルトを採用しています。

 竣工式にはトランプ大統領が出席しました。膨大な建造費を要する新型空母ですが竣工を讃えました。ジェラルドRフォード級は建造費130億ドル、となっていますが、これには膨大な設計費が含められています。実際には設計費以外の船体のみであれば80億ドル程度で建造できるとされ、二番艦ジョンFケネディが2015年に建造開始、三番艦エンタープライズも来年に建造が始ります。

 世界海軍の固定翼機を運用可能な航空母艦は、ニミッツ 、ドワイトDアイゼンハワー、カール・ヴィンソン、セオドアルーズベルト、エイブラハムリンカーン、ジョージワシントン、ジョンCステニス、ハリーSトルーマン、ロナルドレーガン、ジョージHWブッシュ、フランスのシャルルドゴール、ロシアのアドミラルクズネツォフ、インドの中古ヴィクラマディーチャ、中国の中古艦遼寧のみ。

 アメリカはここに新型のジェラルドRフォードが加わり空母11隻体制となりました。上掲のニミッツからジョージHWブッシュまでの10隻はニミッツ級で、ジョージワシントン、続いてロナルドレーガンは横須賀へ前方展開しており、巨艦は入港時には横須賀市内のヴェルニー公園からも望見できます。しかし、ジョージワシントンは早期に交替しました。

 ジェラルドRフォードは新型原子炉の導入で50年間炉心交換が不要な設計となっています。原子力空母ジョージワシントンは通常動力空母のキティーホークが除籍すると同時に日本へ前方展開しましたが、1992年に建造された比較的新しい空母でありながら早期に日本を離れたのは元々2017年より数年間を要する原子炉炉心交換工事が予定されていた為です。

 ニミッツ級の利点は原子力により30ノットの最高速力で数年間航行し続ける事が、可能という点です。勿論発着器材整備や弾薬食料航空燃料の補給は必要ですが、艦船燃料の補給が不要というのは利点です。しかし欠点は原子炉炉心交換が定期的に必要である点で利点は欠点、同型艦10隻の内、1隻は炉心交換として造船所に入渠し作戦行動が出来ません。

 新型原子炉の採用によりジェラルドRフォードは50年間炉心交換が不要という事で、ニミッツ級のような常時最低でも1隻が入渠し作戦不能、という問題がありません。その上、蒸気カタパルトに代え、新型の電磁カタパルトを採用したことで整備性が向上しました。アメリカの空母は全長330mの巨艦ですが、330m船体では戦闘機を発艦させるのは難しい。

 カタパルトは戦闘機を短距離で離陸に必要な300km/hまで加速させるために完全装備で重い艦載機を弾き出すものです。第二次大戦中は火薬を用いましたが艦載機が重くなり現在は蒸気圧を利用する。ただ蒸気圧での運用は腐食へ頻繁な整備が必要であるほか、24時間発艦回数を少なからず成約していました。電磁カタパルトは成約をかなり払拭しました。

 ジェラルドRフォード、その建造費は130億ドルです。しかし、ふんだんに新技術を盛り込んだことで130億ドルに達したという実情がありまして、元々ニミッツ級原子力空母は50億ドル程度で建造できていました。艦載機も1機5000万ドル程度のF/A-18Eに代え、ステルス性を持つF-35Cが搭載されますが、1機1億ドルという高価なものとなります。

 航空母艦は空母航空団がミサイル巡洋艦やミサイル駆逐艦に守られ、先導する攻撃型原潜と共に高い機動力と防御力に打撃力を併せ持ち、一つの作戦体系を担保する戦略的価値を持つ一方、その維持と運用には膨大な人的資源と防衛費の集約を要し、海軍当局と政権中枢、のみならず国防費を所管の財務当局と議会が長期的に理解と努力が整備に不可欠です。

 日本とアメリカは太平洋戦争において珊瑚海海戦やミッドウェー海戦、南太平洋海戦やレイテ沖海戦と航空母艦同士の激戦を繰り広げてきましたが、世界海戦史に記された航空母艦同士の洋上戦闘は全て日本とアメリカとの間で太平洋戦争中に戦われたもののみとなっています、これは戦後、一部の国を除き航空母艦を保有出来なかった為に他なりません。

 ジェラルドRフォード就役でアメリカは11隻の航空母艦を揃えるに至りましたが、フランスとロシアが1隻、中国は中古空母に加え2隻目を建造中、インドも中古空母に加え2隻目を建造中です。しかもアメリカ以外の航空母艦は中型で航空団ではなく飛行隊しか搭載できません。この膨大な費用を航空母艦部隊整備に充てているアメリカは海洋自由原則等の重要性を理解している点が反映されています。 

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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航空防衛作戦部隊論(第四九回):航空防衛力、戦闘機二八〇機作戦能力の再検討

2017-07-24 22:02:41 | 防衛・安全保障
■航空防衛作戦部隊論総集編
 緊急発進回数が遂に一〇〇〇回を越え冷戦以上の緊張度を迎えた現代、情勢は緊迫度を増してきたところ。

 航空防衛作戦部隊論、として特集記事を連載して参りましたが、この当たりで幕間としまして。総集編的な掲載とします。本特集を開始した当初は中国軍機による歴史的な規模での防空識別圏侵入が増加し、戦闘機は十分足りているのか、との一般論への回答として、運用面を強化するならば、現在の戦闘機定数280機あれば対処し得る、という論理です。

 戦闘機定数280機、という規模は航空自衛隊が冷戦時代に保有した350機という部隊規模と比較すれば確かに縮小していますが、戦闘機が縮小した一方で二桁物数の早期警戒機及び早期警戒管制機を運用し、輸送機も大型化を続けています。そして冷戦後の各国空軍力を俯瞰しますと、戦闘機世代交代による運用費用増大は戦闘機数縮小を余儀なくしました。

 280機という日本の戦闘機部隊は欧州NATO諸国と比較すればF-4という旧式機が含まれるものの恵まれています。イギリス空軍はEF-2000戦闘機125機とトーネード攻撃機が98機の戦闘機数223機です。フランス空軍はラファール戦闘機95機とミラージュ2000戦闘機124機の219機とのこと。ドイツ空軍はトーネード攻撃機が68機とEF-2000戦闘機109機の177機です。280機は多い。

 欧州各国との比較を重ねますと、イタリア空軍はEF-2000が76機にトーネード攻撃機78機とAMX軽攻撃機67機の221機です。スペイン空軍はEF-2000戦闘機43機にF/A-18戦闘攻撃機86機の合計129機という。オランダ空軍はF-35戦闘機2機を受領しつつ主力はF-16戦闘機61機の現時点63機です。NATO全体での戦闘機合計は大きいのですがね。

 環太平洋地域の空軍力はオーストラリア空軍がF/A-18F戦闘攻撃機24機にF/A-18A/B戦闘攻撃機71機の合計95機を運用、カナダ空軍はCF-18戦闘機のみ92機を運用しています。我が方航空自衛隊は要撃機の他に訓練機として運用される機体や試験機を含めればF-15戦闘機200機とF-2支援戦闘機80機にF-4戦闘機50機の以上戦闘機330機です。

 安易に戦闘機を造成すべき、という視点は簡単ではあるのですが、財政上難しく、欧州各国を個別に見るならば、280機の戦闘機定数は恵まれている状況です。ただ、日本が正面から突き付けられている脅威度合を考えますと、280機が過大であるという論理には至りません、それだけ中国軍の戦闘機は多く、しかも日本を戦闘行動半径に含めるものが増えた。

 中国空軍の2015年における作戦機は、ロシア製Su-30戦闘機73機、Su-27戦闘機75機、J-16としてSu-30の中国ライセンス生産機が24機、J-11、Su-27中国ライセンス生産機が205機、所謂フランカーシリーズで377機、イスラエルよりラビ戦闘機の技術援助を受け開発されたJ-10戦闘機250機で生産継続中、自衛隊の脅威となる機体は概ね637機です。

 日本がこの状況でも航空優勢を確保するには、機動運用部隊という視点を示しました。航空団を大型化し各航空方面隊に一個航空団を置く、航空団は隷下に三個航空隊を配置し現在北部と中部に西部の航空方面隊に各二箇所維持される要撃部隊基地へ三個航空隊を配置する、有事の際には一個航空隊を即座に脅威正面へ緊急展開し第一線を増強、というもの。

 臨時分屯基地として増援は航空攻撃の圏外にある民間空港へ飛行中隊単位で展開、分散配置する事で強靭な防空能力基盤を維持し、既存基地を拠点航空基地とし、兵站維持の拠点とする試案を提示しました。これにより第一撃の損耗から防空能力再構築と本格的な反撃に転換するまでの暫定手段です、これにより数的劣勢下でも防空任務を維持できましょう。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】第4施設団52周年大久保駐屯地祭【1】団長小野塚陸将補へ敬礼(2013-05-26)

2017-07-23 20:15:13 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■新特集:大久保駐屯地祭
 日曜特集、第4施設団52周年大久保駐屯地祭を今回から紹介しましょう。第4施設団長に小野塚貴之陸将補が着任していました時代です。

 写真特集第四施設団創設記念大久保駐屯地祭二〇一三、京都府宇治市の陸上自衛隊駐屯地で中部方面隊隷下部隊の建設工兵部隊である第4施設団と京阪神紀州を防衛警備管区とする第3師団隷下の戦闘工兵部隊である第3施設大隊等の部隊が駐屯している駐屯地です。

 京都府宇治市、大久保駐屯地は近鉄京都線大久保駅に隣接し、大久保駅ホームからは駐屯地の隊舎や施設器材と青々とした駐屯地の木々を間近に見る事が出来ます、駅舎には路線バスや高架下に飲食店街があり、京都市と宇治市の中心部の中間という立地にあるところ。

 駐屯地創設記念行事は例年五月下旬に執り行われ、施設部隊として戦闘工兵と建設工兵が駐屯する駐屯地ならではの行事が行われ、京都の桜花観桜の喧騒が新緑の涼やかな静寂を愉しめる風情と時期を併せ、開催されるものです。大久保駐屯地駐屯部隊は以下の通り。

 第4施設団本部及び付隊、第4施設団隷下、第7施設群本部及び第7施設群、第102施設器材隊、第307ダンプ車両中隊、中部方面後方支援隊第104施設直接支援大隊など。第3師団隷下部隊では、第3施設大隊、第3後方支援連隊第1整備大隊施設整備隊が駐屯する。

 大久保駐屯地は施設部隊駐屯地であり、その規模は比較的大きいのですが駐屯地運用と維持業務には中部方面会計隊隷下第397会計隊、中部方面通信群第318基地通信中隊大久保派遣隊、第131地区警務隊大久保派遣隊、大久保駐屯地業務隊等の部隊が当たっています。

 創設記念行事は広大な駐屯地の一角で行われます。大久保駐屯地は近鉄大久保駅から外柵に沿って用水路を少し駅から離れた場所に白壁の先に広がります、駐屯地入口を挨拶と共に通れば、国際貢献任務完遂を祈る蛙像、無事帰るを願掛けした像とグラウンドが見える。

 しかし、大久保駐屯地の駐屯地創設記念行事は広大なグラウンドでは行われず、もう少し駐屯地の奥まったところに更に広大な広場があり、此処が記念式典会場となっています。そして、その道中には施設部隊関連機材等が多数並び、施設科の任務の幅が垣間見えます。

 第4施設団、中部方面隊隷下の建設工兵部隊として1961年に新編された部隊で、新編当時からこの大久保駐屯地へ駐屯しています。旧陸軍飛行場跡地を米軍が接収し、その後警察予備隊創設と共に陸上自衛隊へ移管されました。中部方面総監部を置く構想もありました。

 1961年当時の編成、団本部、本部付隊、第101建設大隊、第109施設大隊、第305施設器材中隊、第307ダンプ車両中隊、第302地区施設隊、第303地区施設隊、第304地区施設隊、第313地区施設隊、第318地区施設隊、第319地区施設隊、第320地区施設隊、です。

 地区施設隊とは、方面隊管区毎に建設工兵部隊を100名規模で駐屯させていました部隊で、規模としては現在の施設中隊規模ではありますが、日本本土の道路整備が未発達であった時代には部外工事として民生支援等日本経済の発展にも寄与した独特の編成といえるもの。

 地区施設隊の配置を見ますと、第302地区施設隊は金沢駐屯地、第303地区施設隊が出雲駐屯地、第304地区施設隊は山口駐屯地、第313地区施設隊は豊川駐屯地、第318地区施設隊が久居駐屯地、第319地区施設隊は大津駐屯地、第320地区施設隊が松山駐屯地、と。

 建設大隊とは、施設大隊を示すものですが当時は施設大隊と建設大隊を分けていました。1960年代、日本は高度経済成長の真直中ではありますが僅か十数年前の太平洋戦争敗戦は日本の軍事という制度に対する拒絶性、しかし国家と不可避の命題に悩んだ時代といえる。

 60年代の自衛隊は同時に米軍供与装備が次々と国産化され、M-4戦車が61式戦車へ、M-3半装軌車が60式装甲車へ、M-40A1無反動砲が60式無反動砲と60式自走無反動砲へ、M-1小銃とM-1騎銃が64式小銃へ、M-1919A6機関銃が62式機関銃へ、転換してゆく。

 軍隊と国家の関係性ですが、61式戦車が開発された当時、戦車という呼称を避け61式特車という呼称を用いたくらいですし、64式対戦車誘導弾の英訳略称ATMが核ミサイルを彷彿させるというよく分からない理由でMATという怪獣攻撃チームのような名称もできた。

 自衛隊草創期が一段落した1962年、第4施設団隷下に、第105建設大隊、豊川駐屯地第321地区施設隊、大久保駐屯地第322地区施設隊、大久保駐屯地第323地区施設隊、三軒屋駐屯地第324地区施設隊、高知分屯地第325地区施設隊(高知駐屯地が一斉に新編される。

 1962年は陸上自衛隊改編の大きな一年となっていました。即ち、陸上自衛隊へ“師団”という制度が創設されたわけです。自衛隊は旧軍呼称との決別の意味もあり、管区隊、という呼称を師団に代えていました。しかし、管区隊は規模が大きく、小回りが利きません。

 管区隊はアメリカ陸軍型歩兵師団を参考に創設されたものですが、日本の国土には大型のアメリカ軍型歩兵師団は使いにくく、機械化混成団という現在の旅団規模となる連隊戦闘団を並列しておき、機動運用を行う構想が立てられました、しかし機械化予算が無かった。

 第7混成団だけは機械化混成団となりましたが、従来、管区隊の大きな防衛線構築により敵の行動を拘束し、その上で機動力を活かした機械化混成団の機動打撃を以て敵を殲滅、もしくは管区隊の防衛線構築までの機械化混成団の遅滞戦闘、と基本構想があった訳です。

 1962年、機械化へ60式装甲車が2500両くらい必要で、実質、機械化混成団が単なる小型の管区隊にしかなっていない実情に鑑み、師団を構成する普通科連隊を当時の2500名規模の編成から1200名規模の編成に小型化し、管区隊と混成団を共に師団へと改編し今日に至る。

 新しい駐屯地や分屯地が続々と強化されたのも1962年で、岐阜駐屯地、富山分屯地、鯖江分屯地、和歌山駐屯地、と。現在分屯地となっている駐屯地や逆に現在駐屯地となっている当時の分屯地の名前等が並びますが、地区施設隊は次々と全国へ駐屯していた時代です。

 第4施設団はこうして現在の編成へ数多の改編を経て完結してゆきました。現在の第4施設団編成は、団本部、段本部付隊、第6施設群、第7施設群、第304水際障害中隊、第304施設隊、第305施設隊、第102施設器材隊、第307ダンプ車両中隊、となっています。

 隷下施設群の編成を見ますと、第6施設群は、群本部、第369施設中隊、第370施設中隊、第371施設中隊、第372施設中隊という編成です。第7施設群の編成を見ますと、群本部、第380施設中隊、第381施設中隊、第382施設中隊第304水際障害中隊、という編成だ。

 方面隊隷下の施設団は建設工兵であった、とは前述のとおりですが、現在は必ずしもそうとは言い切れないものがあります。即ち、近年は戦闘工兵用装備の集約も行われており、障害処理や地雷処理の最前線へ展開する運用が多々、想定されるようになっている為です。

 大久保駐屯地祭では、こうした様々な経緯と共に重厚と多様性を増した施設科の各種装備品が、複雑な現代戦闘の第一線工兵任務や戦闘支援任務を訓練と戦術研究により会得した施設科隊員たちの手により観閲行進や訓練展示、装備品展示や体験試乗等に活躍します。

北大路機関:はるな くらま
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【くらま】日本DDH物語 《第十九回》T-1改VTOL実験機構想の日本版軽空母艦載機試案

2017-07-22 20:25:54 | 先端軍事テクノロジー
■T-1練習機改造VTOL研究機
 岐阜県かかみがはら航空宇宙博物館に展示されているJR-100エンジンVTOL実験機は、航空自衛隊のT-1練習機を改造した次の実験段階が構想されていました。

 T-1練習機改造V/STOL機研究機、航空宇宙技術研究所NAL-V/STOL機研究として国産ジェットエンジンJ-3改良型のJR-100エンジン搭載のJR-100フライングテストベッド飛行実験に続き、開発が見込まれていました。しかし、諸般の事情、恐らく飛行時安定性の問題、から日本初のジェット練習機を改造した垂直離着陸航空機は実用しませんでした。

 Yak-36試作垂直離着陸機このソ連製実験機を一例にT-1改造機を考えてみましょう。仮に実現していたならばYak-36のような航空機となっていたのかもしれません。Yak-36は全長17 mと全幅10.5 mに全高4.5 mという機体規模で重量は空虚重量4140 kgです。対してT-1練習機は全長12.12mと全幅10.49mに全高4.08mで空虚重量 2858kg、Yak-36はピトー管が長い為全長が大きく見えますがほぼ同じ大きさ。

 Yak-36は実験航空機となっていましたが、運用構想はイギリスが開発しアメリカなど多数が運用したハリアーに近いものが考えられていたと推察できます。現にソ連海軍のモスクワ級ヘリコプター巡洋艦での艦上試験が実施されたほか、1967年モスクワ航空ショーにてロケット弾ポッドを搭載し飛行展示した事で実用攻撃機として判断、NATOコードネームとしてフリーハンドという識別名称を付与されています。前線航空機や艦載機として運用を構想していた事が分かる。

 T-1練習機改造V/STOL機は模型を見る限り、離陸用に胴体部分全体をエンジン区画としてJR-100エンジンを二基搭載しています。詳細な下部写真が無く安定機構については推測に頼らざるを得ませんが、主翼を後退翼から直線翼に換装し構造上主翼部分から飛行安定用の圧縮空気を噴出させる構造が可能です。非常に複雑な機体構造となっていたのでしょう。

 飛行安定性について、見通しがつかない事は容易に推測できます。離陸したらば微妙な気流変化を噴出するジェットにより機体を安定し、一定高度まで垂直で飛翔した後に前進し、翼の揚力で飛行するのです。上掲のソ連製Yak-36実験機も安定性に問題があり量産に至りませんでした。しかし興味深いのはこの研究が行われた1960年代から姿勢制御という航空技術に防衛庁技術研究本部が着目した事で、技術研究本部はこの後の技術蓄積を元に1976年に可変特性研究機VSAを完成させています。

 防衛庁技術研究本部可変特性研究機VSAは海上自衛隊のP-2V対潜哨戒機を改造し完成しています。機体姿勢直接横力制御や機体姿勢安定上下制御という研究に充てられ、技術開発は更にT-2高等練習機を改造したCCV実験機としてフライバイワイア制御技術へ発展、今日のF-2戦闘機やより先進的なフライバイライト制御のP-1哨戒機へ応用されました。

 JR-100フライングテストベッドの成功からT-1練習機改造V/STOL機研究機という次の段階に研究を展開する事が出来なかった為、技術の進展は少なくとも日本版ハリアーを目指すという意味での進展には至りませんでした。しかし、次の段階へ進んでいたならば、例えば後にT-2高等練習機を原型とする垂直離着陸支援戦闘機が完成していたのでしょうか。

 VTOL機は当時の一つの趨勢でした。そしてT-2練習機のような超音速機を原型として改造しようとした事例も多いのです。例を挙げますと西ドイツは冷戦時代の緊張下に航空攻撃の第一撃で空軍基地の滑走路を破壊され戦闘機が使用出来なくなることを警戒し、F-104戦闘機にロールスロイスRB145エンジン二基を搭載した EWR-VJ-101実験機やVFW-VAK-191B-VTOL核攻撃戦闘機というハリアーに似た航空機の研究を行っています。

 フランスも比較的早い時期、超音速戦闘機ミラージュⅢ原型のバルザック VやミラージュIII-Vの研究を行っています。ミラージュIII-Vはマッハ2を発揮する高性能機ですが高コストと技術的限界から開発が断念されました、実はフランスはこの機体を主力機とする構想があり、これを断念した為に性能として凡庸だが即座に量産できるミラージュF1の制式化に甘んじたという歴史もあります。T-1練習機改造V/STOL機研究も、趨勢に重ねた一つの技術的研究と云えました、が、完成すれば艦載機転用が模索されたでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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