北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】築城基地航空祭二〇一三【5】妙技!ブルーインパルス飛行展示(2013-10-27)

2017-04-30 20:59:00 | 航空自衛隊 装備名鑑
■ブルーインパルス
 築城基地航空祭二〇一三、今回はブルーインパルス飛行展示とF-2機動飛行の様子とともに築城基地と航空団の歴史を紹介しましょう。

 第8航空団の築城基地ですが、航空団の編成を視てみましょう。航空団は、司令部、飛行群、整備補給群、基地業務群、という編成です。指揮幕僚機構と航空機部隊に整備部隊と基地運営に関する部隊という配置ですね。この他、航空方面隊やその他直轄部隊がある。

 第8航空団司令部、隷下には監理部と人事部に防衛部及び装備部や安全班と衛生班に副官付室が置かれています。飛行群は第6飛行隊と現在は第8飛行隊がF-2戦闘機を運用、2013年当時にはF-15戦闘機第304飛行隊とF-2支援戦闘機第6飛行隊が置かれていました。

 航空団の編成は加えて、整備補給群は検査隊と装備隊と修理隊と車両器材隊に補給隊という編成。基地業務群は第8基地防空隊及び飛行場勤務隊と施設隊に通信隊や管理隊と業務隊及び会計隊と衛生隊という編成です。全国の他の航空団も概ねこの編成を採っています。

 築城基地には第8航空団に加えまして、西部方面航空隊第2高射群第7高射隊がペトリオットミサイル により戦域防空にあたり、西部航空施設隊第3作業隊が基地施設整備と航空攻撃などからの基地復旧任務や施設整備と悪天候の際の基地機能維持等を担当しています。

 基地には更に航空支援集団隷下の航空保安管制群築城管制隊が航空管制任務に、航空気象群隷下の築城気象隊が航空に必要な天気予報を実施します。加えて防衛大臣直轄部隊として航空警務隊築城地方警務隊も置かれ、これらの部隊以て築城基地が任務を果たしている。

 しかし、2010年代に入りますと朝鮮半島情勢以上に南西諸島への中国軍からの軍事圧力が爆発的に増大する事となりました。元々那覇基地には第83航空隊のファントム飛行隊が置かれていたものの中国軍機の接近増大を受け、百里基地のイーグル飛行隊と交替しました。

 中国軍の軍事圧力は留まるところを知らず、実質那覇基地の一個飛行隊だけで航空自衛隊の緊急発進の半分近くを対応する非常に突出した緊張空域となりました。この為政府は南西諸島の防衛を強化するために築城基地の第304飛行隊の那覇基地への転出を決定します。

 那覇基地第83航空隊は、2016年初頭に築城基地より第304飛行隊の移駐を受け入れ、第204飛行隊 と第304飛行隊を基幹とする第9航空団へ拡大改編されまして、一方引き抜かれた築城、一時的ですが築城基地第8航空団はF-2戦闘機の1個飛行隊基幹となりました。

 第8航空団へは2016年夏に三沢基地第3航空団よりF-2飛行隊である第8飛行隊が移駐を受けました、これは三沢基地へ新編される新戦闘機臨時F-35飛行隊の準備へ飛行隊に余裕が出た為です。現在築城基地は、F-2戦闘機2個飛行隊を有する航空団の拠点となっている。

 F-2戦闘機、当方にはF-2支援戦闘機といった方がしっくりくる世代でして、防衛省は戦闘機と支援戦闘機の区分を統一してからもう数年となりますが、この航空機は当初、支援戦闘機と呼ばれていました、任務は戦闘爆撃機や戦闘攻撃機と重なり、戦闘を支援する、と。

 支援戦闘機が導入されたのはT-2練習機、国産初の超音速練習機が開発され、この能力を元として対地攻撃や国産開発が進められていた空対艦ミサイルの運用に転用する目的で開発、従来のソ連艦隊にF-86Dから500ポンド爆弾を反跳爆撃で叩きつける方法の代替です。

 80式空対艦誘導弾は三菱重工と三菱電機が開発した装備で、1973年から当時の防衛庁技術研究本部が開発を進めてきました装備です、三次に渡る試作と二次にわたる技術試験を経て1980年に完成、F-1支援戦闘機に各2発を搭載、40kmの射程を持つ対艦ミサイルです。

 ASM-1は支援戦闘機が目標を捕捉すると自動伝送により目標追尾を開始し、目標を40km以内、つまりその射程内に収めると同時に発射、ミサイルを発射と同時に支援戦闘機は回避へ、ミサイルは電波高度計を用い超低空飛行を開始し敵防空網を回避しつつ前進する。

 空対艦ミサイルの名の通り、目標付近まで慣性誘導装置による自律飛行を実施、その上で目標付近に入ると同時にものパルス型レーダーによるアクティヴレーダーを作動させ艦艇に突入します、1990年には射程を150kmまで延伸させた改良型ASM-2も開発されました。

 F-1支援戦闘機とASM-1空対艦ミサイルのセットにより、F-1支援戦闘機はかなり高い水準の航空打撃力を得るに至っています、電子戦装備は貧弱でエンジン推力が低く、ミサイル搭載時の運動性が低いほか、対地攻撃時には防弾性能が限られ、不整地運用能力もない。

 そのF-1支援戦闘機がその任務に対応できたのは対艦ミサイルの国産開発に成功した為でした、しかし、当初は140機程度を国産する計画であったのですが生産数が縮小され72機を生産したところで終了します、飛行隊編成を24機定数から18機定数へ見直した為です。

 F-1,性能が限られていた為、特に中射程空対空ミサイルを運用できない事から航空戦闘に際しての生存性は厳しく、いかに敵艦隊へ到達可能な航空機と敵艦隊を無力化出来る投射能力を両立するか、戦術研究は非常に真剣に取り組まれ、徹底した科学主義であったという。

 この後継機にFSX,次期支援戦闘機の開発計画が浮上しますと、何よりもF-1支援戦闘機を開発した時代と比較すれば日本にも技術的蓄積が高まっていると共に、バブル景気前夜の比較的防衛予算へ余裕があった時代であり先端研究への自由度も大きく、機体されました。

 FSX,双発双尾翼と複合素材一体翼をもつ国産戦闘攻撃機として計画されまして、当時日本では1980年頃から実用化が開始されたアクティヴフューズドアレイレーダーを採用し複数目標の同時探知能力を持たせ、複合素材による機体の高強度徹底軽量化も盛り込まれます。

 戦闘機開発では、高運動性を担保するフライバイワイヤ技術が、P-2哨戒機改造実験機の時代から防衛庁技術研究本部では着手していまして、これを更に検証するT-2CCV実験機による制御実用研究も進み、かなり高度な航空機が開発できるものだと期待されていました。

 日米共同開発、という政治的横槍はその後、現在は野党党首となっている自民党代議士から日米共同開発の政治的重要性、そして当時の日米首脳の政治的蜜月関係から対米貿易黒字相殺を戦闘機輸入により相殺する要請、先端技術提供要請等があり、一転する事となる。

 F-2支援戦闘機は現在、三沢基地、築城基地、松島基地、において運用中ですが、上記事情から日米共同開発により日本が技術提供を行い開発した航空機を日米共同生産により日本で組み立て、日本側が運用する、という複雑な工程を経て実用化することとなっています。

 F-16戦闘機を原型とし、レーダー部分を大型化するべく再設計を行い、機体部分の一体複合素材化、アメリカが突如提供を拒否したフライバイワイヤ技術の日本型への転換と実用化、アクティヴフューズドアレイレーダーの搭載等により、完成し量産、今に至ります。

 中々苦労があり、政治的対立を冒してでも国産開発を実施していたならば、追加発注や修理と近代化等自由度は高かった、と視点を変えれば悔やむ部分も多い一方、試作機初飛行から今に至るまでを望見していた当方には、よくぞ完成したとも考えさせられるものです。

北大路機関:はるな くらま
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【くらま】日本DDH物語 《第十一回》S-2艦載哨戒機導入と国産23000t型対潜空母研究

2017-04-29 22:41:33 | 先端軍事テクノロジー
■海上自衛隊S-2艦上哨戒機導入
 鹿屋航空基地エアーメモリアル鹿屋2017が明日開催されますが、鹿屋基地広報館には多数の航空機が展示されています、散策しますと、S-2艦上哨戒機という特異な航空機が並んでいるのを見つける事が出来るでしょう。

 海上自衛隊が対潜航空母艦として基準排水量23000t、ヘリコプター18機と固定翼哨戒機6機を運用する実質的な対潜空母が、構想されたことがあります。これまで紹介しました基準排水量8000t程度の全通飛行甲板型護衛艦とは桁違いで、実際に基準排水量8000tの対潜空母研究では建造費の見積もり研究が為されていましたが、こちらは構想止まりです。

 23000t型対潜空母、現在運用されていますヘリコプター搭載護衛艦いずも型が19500t型護衛艦として建造されていますので、基準排水量では対潜空母構想は護衛艦いずも型を上回るものでした。構想止まりではあるのですが、幾つか防衛政策と重ねて見ますと、類推の域は出ないものの、防衛政策の点と線は可能性は空想止まりでない事に気付かされます。

 空母艦載機を海上自衛隊が導入していた、一つはこのS-2艦上哨戒機という装備品の導入に挙げられます。S-2艦上哨戒機は1952年にアメリカのグラマン社が開発した空母艦載機で、全長13.26mと自重8.3tの小型哨戒機です。P-2V対潜哨戒機は全長27.95mあり自重22.6tと、機体規模はかなり違います。P-2Vも性能は不十分であった訳ではありません。

 P-2V哨戒機は当時アメリカ海軍でも最新鋭の機体で、海上自衛隊は草創期に第二次大戦中のアベンジャー艦上攻撃機を改修したTBM対潜哨戒機の代替として最新鋭のP-2V供与を要請、実現したものです。調達数は64機と比較的多く、S-2艦上哨戒機はP-2V対潜哨戒機の数量不足を補う為でも、性能不足を補う為でもない二機種目の導入となっていました。

 S-2艦上哨戒機は空母艦載機として開発された小型対潜哨戒機で、海上自衛隊はアメリカ海軍第21対潜飛行隊へ訓練派遣隊を展開させ、特筆すべき点として海上自衛隊操縦要員による空母艦上発着艦や艦上整備作業等の研修を実施しました。勿論、S-2機体そのものの研修も並行して実施され、ノースアイランド海軍航空基地において器材実教育が行われました。

 艦上哨戒機という設計上、航空母艦の陸上基地よりははるかに小型の格納庫に多数を装備する以上小型化が求められますが、次期探知装置MADやAPS-38水上捜索レーダーとソノブイ16本を小型の機体へ格納しており、レーダーとMADは胴体引き込み式でソノブイはエンジン周辺に分散搭載する苦肉の策が用いられていますが、性能は充分有しています。

 海上自衛隊はS-2艦上哨戒機をどのように運用したのかと問われれば、実際のところ運用構想自体に航空母艦からの運用はほぼ考えられていませんでした。海上自衛隊にはP-2V対潜哨戒機という非常に有力で行動半径の大きな哨戒機が配備されていますが、それでは海上自衛隊はP-2Vに加えS-2艦上哨戒機をどのような運用を構想し導入したのでしょうか。

 空母艦載機という特性上、沿岸部での重要水道の哨戒にP-2V対潜哨戒機では大型過ぎ、HSS-2対潜哨戒ヘリコプターでは進出時間が大きく要する海域での運用に特化しS-2を運用しています。実際、沖縄返還前の南端であった大隅海峡や豊後水道に近い鹿屋航空基地、津軽海峡睨む八戸航空基地、そして紀伊水道に近い徳島航空基地へ配備されています。

 エセックス級対潜空母プリンストン艦上で運用教育を実施し、海上自衛隊要員による空母艦上発着訓練も実施していましたので、確かに航空母艦での運用は考慮の内に入っていたのかもしれませんが、あくまで沿岸用です。実用性は相応に高く、海上自衛隊は後年、S-2の旧式化に併せ国産MU-2を原型とする沿岸用新型小型哨戒機の研究を実施しています。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十九年度四月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.04.29/04.30/05.05)

2017-04-28 20:40:56 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 ゴールデンウィーク到来です。朝鮮半島情勢が危機的緊張をはらむ中ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。

 厚木航空基地日米親善桜祭、アメリカ海軍空母航空団と海上自衛隊航空集団司令部等が展開する厚木航空基地毎年恒例の桜祭です、桜花ではなく桜青葉祭という季節ですが、空母艦載機や自衛隊機等が展示されます。入場は日本国籍かアメリカ国籍に限られ、旅券か本籍地記載運転免許証や住民票が絶対必要となりますので、絶対に忘れぬようご注意下さい。

 海上自衛隊鹿屋航空基地エアーメモリアル鹿屋2017、第1航空群が展開する鹿児島県の鹿屋航空基地祭です。最寄駅は鹿屋線が国鉄時代に廃線となった為、九州新幹線鹿児島中央駅から鹿児島港経由で鹿児島湾フェリーを利用し垂水へ、そこから路線バスで鹿屋市へ向かいます。高速道路網や鉄道路線網の関係から鹿屋市内の前泊がお勧めといえるでしょう。

 エアーメモリアル鹿屋2017はP-3C哨戒機の機動飛行が物凄い迫力を見せつける航空祭であり、最新鋭の国産P-1哨戒機の運用等も行われています。特筆すべきは、それ程混雑しないところで、ブルーインパルス参加という一番混雑する年度の基地祭に展開しましたが、驚く事にウォークイン開始までブルーの列機前最前列に余裕がある程、しかし迫力は凄い。

 岩国日米親善フレンドシップデイ、五月五日恒例行事となった海上自衛隊岩国航空基地とアメリカ海兵隊海兵航空基地の一般公開、海兵隊が日本へ持ち込んだ最新装備F-35B戦闘機の展開基地です。朝鮮半島情勢が風雲急を告げる昨今ですが、この岩国日米親善フレンドシップデイが中止にならない当たり、まだ情勢と緊張に余裕があるのかもしれませんね。

 岩国航空基地の留意点ですが大変混雑します。基地へ入ってしまえば非常に広い基地ですので最前列付近を除けば余裕があります。今年度は有料スタンド席が即座に完売する程盛況でF-35B戦闘機配備に併せてさらに多くの来場者が考えられます。基地には余裕がありますが、入場での手荷物検査行列、また帰路の駅入場制限、時間に余裕を持って御計画を。

 下志津駐屯地創設62周年記念高射学校祭、千葉県千葉市の陸上自衛隊駐屯地祭です。高射特科職種の幹部教育及び戦術研究に新装備評価試験等を一手に担う高射学校が所在し、87式自走高射機関砲や03式中距離地対空誘導弾に11式短距離地対空誘導弾、レーダーやデータリンク器材等が観閲行進に登場し訓練展示を駆け回る行事です。映画“ガメラ大怪獣空中決戦”ではこの駐屯地にて81式短距離地対空誘導弾のロケが行われました。

 大村駐屯地創設65周年記念行事、第4師団隷下の第16普通科連隊と第4施設大隊等が駐屯する長崎県大村市の駐屯地です。佐世保基地にも程近く、静かな大村湾が指呼の距離です。駐屯地は諏訪駅から徒歩か、大村駅から路線バス、長崎空港から徒歩で行けるとの事、離れている気がしますが実際行った方がいました。大村四部隊合同行事とは別の行事です

 さて撮影の話題。自衛隊関連行事といえども、例えば北海道や沖縄、九州や東北へ向かう際には、周りの方から見ればそれは旅行に行っている事に他なりません、するとそれなりにお土産を購入して、配ってみますとその後の人間関係にも好影響が及ぶのですけれども、お土産、余り大物を買ってしまいますとそれはそれで大変です。そこで、今まで視ました幾つかの事を。

 土産物として、実際に在った話なのですが、友人知人多数と舞鶴基地へ行きました際に、土産物を買おう、という事になるも識別帽や煎餅や珈琲等では格好がつきません、京都市から舞鶴までは100km少々、ですからそれなりに考えなければならないのですが、面白い物を買い度肝を抜きたい、そこで舞鶴基地から五老岳まで登った上であそこに行こう、と。

 展開しましたのは舞鶴のとれとれ市、海産物が多数売られる場所なのですが、度肝を抜くならば、と注目したのはミズダコの巨大なアシ、これならば驚かせる事が出来る、と。異様なテンションでもりあがりましたが、海鮮丼を頂き冷却化、ホッケ干物五枚詰め合わせを幾つか買いました。この話、ミズダコが良かったな、と渡した当人の後日談もありました。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・4月29日:下志津駐屯地創設62周年記念高射学校祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/aasch/aaspr-hp/
・4月29日:厚木航空基地日米親善桜祭2017…https://ja-jp.facebook.com/NAFAtsugiHNRO/
・5月5日:岩国航空基地岩国日米親善フレンドシップデイ2017…http://www.mod.go.jp/msdf/iwakuni/
・4月29日:大村駐屯地創設65周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/4d/oomura/
・4月30日:鹿屋航空基地エアーメモリアル鹿屋2017…http://www.mod.go.jp/msdf/kanoya/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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緊急発進1168回実施,平成28年度航空自衛隊対領空侵犯措置任務実績を防衛省が発表

2017-04-27 20:41:45 | 防衛・安全保障
■緊急発進,初の一〇〇〇回越え
 緊急発進1168回、前年度比295回増加で、1958年に対領空侵犯措置を開始して以来、初めて一〇〇〇回の大台を超え、過去最多となりました。

 平成28年度航空自衛隊対領空侵犯措置任務緊急発進の回数が防衛省より報道公開されました、1168回です。航空自衛隊発足以来1000回の大台を越えたことはなく、900回の大台を越えたのも自衛隊創設以来過去には二回限り、1984年と2014年です。1984年の東西冷戦がもっとも緊迫していた時代の水準ですが、ここ数年間の緊急発進回数は異常な水準としか表現の使用がありません。

 対領空侵犯措置任務とは自衛隊法に基づく任務です。任務は航空自衛隊が我が国へ割り当てられている飛行情報区、航空管制と民間航空機の安全に日本が国として責任を持つ空域に沿って設定された防空識別圏へ飛行計画を提出せず飛行する国籍不明機にたいし実弾を搭載した戦闘機を緊急発進させ、国籍と所属及び飛行目的を確認し、軍用機であれば我が国領空へ領空侵犯に至る前に退去を促すもの。

 一〇〇〇の大台、2016年1168回、2015年873回、2014年943回、2013年810回、2012年567回、2011年425回、2010年386回、2009年299回、2008年237回、2007年307回、2006年239回、2005年229回、Weblog北大路機関がOCNブログサービスとして運営を開始した2005年は229回であったわけですから、1168回の緊急発進、いかに急増しているかが端的に示されているでしょう。

 緊急発進の爆発的増大背景には、中国軍航空機の飛来が自衛隊発足以来空前の規模で増加した事によります。中国機への緊急発進は851回に達し、中国機の飛来が過去最大となった前年度と比べても280回増という水準です。そして中国軍機の飛行経路や飛行空域が大きく変容しており、この部分へも変化が見て取れます。戦闘機による沖縄宮古海域を突破しての太平洋進出や、日本海へのミサイル爆撃機展開等が挙げられる。

 中国軍航空機の飛来は、数年前であれば南西諸島南部へ至る経路のものが多く含まれていましたが、近年には九州沖を目指す経路の増大が顕著となり、昨年度の新しい兆候として西日本を目標とする経路が散見され始めたことにあります。中国空軍ではロシア製Su-27戦闘機のコピー生産を軌道に乗せているほか、長距離巡航ミサイルを搭載するH-6爆撃機改良型の運用を強化しており、この影響が表面化しました。

 敵対行動が仕掛けられることが出ている。中国軍航空機が自衛隊機へ異常接近を繰り返していることは過去に防衛省が写真を報道発表しましたが、昨年には空戦機動を仕掛けられ、照準動作などを受け自衛隊戦闘機が緊急回避行動をとっているとの関係者の発言があり、大きな注目を集めました。航空自衛隊は緊急発進に際して短射程空対空ミサイルを搭載していますが、射撃照準を受ければ機体自衛装置が赤外線や電波攪乱の欺瞞装置を作動させ緊急回避します。

 世界を見渡せば、トルコ空軍機によるロシア軍戦闘爆撃機領空侵犯への撃墜を含め、戦闘には至らないものの衝突、この単語は我が国独特の官僚用語として、南スーダンでの戦車と戦闘ヘリコプターの交戦を戦闘ではなく衝突といい代えたことで記憶に新しいものですが、この種の戦闘機同士が実弾を投射する”衝突”はそれほど希有な事例でもありません。

 自衛隊の緊急発進にたいし、中国空軍機は現在のところ空戦機動を仕掛ける範囲となっていますが、将来的には不測の事態が、もしくは将来ではなく現状のままでは何時不測の事態が発生するかも予断を許さない状況にあります。また、敵対行動そのものが、過去には中国空軍が米海軍偵察機へ公海上での衝突事故を発生させた事例があり、危機が段階的に進展するかと機にあるのかもしれません。段階的とは、緊急発進の増大、国籍不明航空機飛行範囲の拡大、国籍不明機規模の増大、異常接近や敵対行動の現出、と展開する現状についてです。

 実施を航空方面隊毎に見ますと、北部航空方面隊が265回、中部航空方面隊が34回、西部航空方面隊が66回、南西航空混成団が803回、となっています。また、防衛省の発表では国籍不明機の内訳は中国機約73%、ロシア機約26%、その他約1%、となっています。緊急発進回数がもっとも大きな負担となっているのは航空自衛隊那覇基地です。実際問題、那覇基地に隣接し滑走路を共用する那覇空港、その空港展望台から滑走路を観察すれば、緊急発進の瞬間と遭遇する事は多々ありますし、航空祭でも重なりました。

 南西諸島は冷戦時代に緊急発進頻度が低く安定した地域となっていましたが、現在は緊急発進の七割が那覇基地から実施される状況となっています。航空自衛隊の緊急発進は、北海道の千歳基地と東北の三沢基地、首都圏北関東の百里基地に日本海沿岸北陸の小松基地、北九州の築城基地と南九州の新田原基地、そして南西諸島の那覇基地、と七基地から任務に当たっていますが、この那覇基地への負担の大きさは尋常ではありません。

 緊急発進の負担とは、航空自衛隊の戦闘機部隊は緊急発進が主任務ではなく、有事の際に日本本土への航空攻撃から航空優勢を維持し日本本土への航空攻撃をあらゆる手段を用いて阻止する事に在ります。即ち、対領空侵犯措置任務の増大は、緊急発進と待機する機体と要員及び器材と整備負担が増加するとともに、有事の際を想定した訓練の余裕を瀬泊する事となります。緊急発進の緊張こそ訓練、と安易に言う事は出来ません、電子戦闘や共同交戦と要撃管制、全てが一体として展開する航空優勢確保と対領空侵犯措置は別物です。

 戦闘機は十分足りているのか。Weblog北大路機関では“航空防衛作戦部隊論”として既に47回の特集を掲載していますが第一回を掲載しましたのが2015年7月、戦闘機部隊は充分な数量を有しており、戦闘機部隊の分散と輸送機部隊の増強や航空警戒管制能力の強化により対応できる、という視点を示しました。しかし、航空自衛隊が2015年以降入手した戦闘機は僅かにF-35戦闘機初号機の受領を開始したのみで米本土にて訓練中、対して中国のSu-27とコピー機に派生型の量産は年々進んでいます。

 緊急発進の回数が1000回を越え1168回を数えるに至り、冷戦時代に唯一900回の大台を超えた1984年の航空自衛隊戦闘機が350機、現在の戦闘機定数280機よりもかなり大きなものでした。勿論、戦闘機だけを増強しても作戦基盤が縮小しては均衡が破綻するため、輸送機や基地機能の増強も必要ですが、少なくとも戦闘機定数を維持するならば輸送機定数等を増強させ運用を多様化させる必要があります。280機という現在の戦闘機定数で任務を遂行するには、難しい時代となっているのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま
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【京都幕間旅情】清水寺,春夜間特別拝観(後篇)本堂改修と四〇〇年の未来へ繋ぐ本堂用建材

2017-04-26 23:14:03 | 写真
■清水寺,いまこの時代の情景
 清水寺、本文がながくなり写真特集も前篇中篇後篇と三度に亘りました特集、いよいよ大団円へ。

 清水寺散策、本堂、音羽の滝から見上げますとケヤキの樹齢400年以上という18本の柱がかけ造りにて組み上げられ、12mもの高さの柱が立っていますが、清水の舞台から飛び降りるという言葉の元は、願掛けのために飛び降りるという事、実際に行われていました。

 夜の特別拝観ですが、本堂が覆いにおおわれているのは昼間に見ますと少々残念な印象を受けるものですが、これは昼間の印象でして、夜に拝観しますと足場の木目が暖かな光を反射していまして、逆に今この瞬間に敢えて参拝してよかった、との印象を新たにします。

 清閑寺という隣の寺院があり、かつては清水寺を参詣した後にこの参拝へ向かうという経路もとられていたとのこと。ただ、今足を運ぶと同じ東山区でも少々距離があります、願掛けの一つの経路であったようですが、一日の一つの参拝経路としては、興味深いところ。

 清水寺と清閑寺、滝行と三十三度の本堂参拝よりは二つの寺院拝観のほうが成就への本来の努力へちからを残せるのかもしれません、ね。南部仏教と平安仏教でこの二つの寺院は対立した歴史がありまして、この二つで満願成就を祈念することで御利益を期待した、と。

 本堂は樹齢400年の木々を用いて構築されているのですが、本堂が再建されたのは400年前、木造建造物は樹齢の倍の寿命ということですから、あと400年は清水の舞台は大丈夫、ということになります。そして清水寺では400年後の再建へ、清水寺の準備は進みます。

 新しくケヤキの木々の植林を行っていまして、2000年頃にケヤキが植えられ、まだ2017年、このケヤキはまだ直径十数cmですが、400年の大木となるにはかなりの時間を要しますが、400年後、木々は大木となり、清水寺の継承と再建へ貴重な建材となるのでしょうね。

 木造と云いますと清水寺と共に思い出すのは西方の守り、姫路城です。このほど姫路城の修復成った白鷺城の美麗を拝見しましたが、その大修理には姫路城主所縁の神社御神木が供せられ、平成の大修理に応用されたとの事、こうした話は古の熊本城でも聞く話です。

 歴史、というものを考えますと修復と重ねて寺院の美麗は維持されているのですね。しかし、ひと月になるのは400年後の清水寺修理が行われる頃の京都の姿です。多くの寺院も修復を重ねている頃なのでしょうが信仰と文化財保護、何処まで続いているのでしょうか。

 清水寺を拝観し、清水の舞台を望見しますと忘れがちですが奥の院の舞台も見事なものです。室町時代には舞台はもう一つあり、本堂の舞台、奥の院の舞台が並んでいました。そして室町時代にはもう一つ、本堂の裏にももう一つ舞台があったのであると伝わります。

 朝倉堂、として今日残るお堂ですが、室町時代にはここに舞台があり、もう一つの眺望を朝倉貞陰がきょうしていました。しかし、こちらは応仁の乱を生き残ったものの江戸時代初期に火災、舞台は焼失してしまいました。ここは今、清水寺を見上げる池となっている。

 朝倉堂と舞台は建物がこの火災の出火元となった為、江戸時代、徳川家光の時代に再建された際、舞台の再建を断念し池として水を貯め弁天様を祀り火災に備えたといわれる。この池から三重塔を見上げ、夜間特別拝観の経路は完了、次の夜間特別拝観は八月中旬です。

 清水寺夜間特別拝観は、平成の大修理開始と共に毎年その開催を報じる写真に本殿の清水の舞台が描かれているのですが、本年は大修理中故に本殿ではなく三重塔が輝く情景が描かれています。しかし、修復進む本堂の夜間拝観も、これはこれで、見事なものでした。

北大路機関:はるな くらま
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第8師団創設55周年・北熊本駐屯地60周年記念祭:EOS-M3撮影速報,(2017-04-23)

2017-04-25 23:11:33 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■北熊本駐屯地60周年記念祭
 九州へ展開です。第8師団創設55周年北熊本駐屯地祭へ行ってまいりました。本日はEOS-M3撮影速報をお伝えしましょう。

 第8師団創設55周年北熊本駐屯地祭、熊本に所在し南九州を防衛警備管区とする師団祭へ足を運んでまいりました。第8師団は陸王自衛隊へ師団制度が導入された1962年に第8混成団より改編を受けた師団で管区内には南西諸島北部島嶼部を含み中国の侵攻に備えます。

 北熊本駐屯地祭、速報はEOS-M3の写真にてお伝えします。今回は“陸上自衛隊高遊原航空隊非公式応援団”の方に撮影を支援頂き、観閲行進の写真をお願いできました。ありがとうございました。当方EOS-7Dmark2にて撮影、データ整理中、もう少しお待ち下さい。

 第12普通科連隊、第24普通科連隊、第42普通科連隊、第43普通科連隊、第8戦車大隊、第8偵察隊第8特科連隊、第8高射特科大隊、西部方面対舟艇対戦車隊、第8飛行隊、第8施設大隊、第8後方支援連隊、第8通信大隊、第8特殊武器防護隊、第8音楽隊、が揃う。

 第8師団、戦車大隊に10式戦車が配備、第42普通科連隊は普通科中隊に96式装輪装甲車、今年から11式短SAMが配備、対戦は96式多目的誘導弾に中距離多目的誘導弾、飛行隊にはUH-60JA,思った以上に最新鋭の重装備で、一瞬北海道にいるのかと錯覚した程でした。

 対空戦闘指揮統制システムADCCSや新野外通信システム等、データリンク器材の充実も最たるもので、観閲行進では各種装備に多くの写真を記録しました。第8師団祭ですが、観閲行進は訓練展示模擬戦の後に行われ、こうした点でも特筆する行事といえましたね。

 今年度の師団祭では、例年は記念式典と観閲行進が別々の場所で行われるとの事で、本年は式典と観閲行進が同じ会場で行われるという、撮影するには良好な環境で実施されました。北熊本では来場者の出足が本州師団祭よりも遅く、幸いスタンド席を確保できました。

 師団は充実した陣容ですが統合機動防衛力整備を念頭に、師団は改編準備の過渡期にあります。第42普通科連隊の即応機動連隊への改編が行われ、一方で4個普通科連隊を基幹とする第24普通科連隊は相浦の西部方面混成団へ年度末を以て管理替えが予定されています。

 統合機動防衛力整備に伴う師団改編は更に大きく、第8特科連隊は今年度の式典参加を最後に年度末を以て西部方面特科連隊に改編予定です。更に10式戦車を装備する第8戦車大隊についても方面隊直轄の西部方面戦車隊に改編される計画、師団は大きく縮小される。

 西部方面隊隷下へ戦車と特科部隊を派出し、大きく縮小される前夜の第8師団ですが、現在隷下に西部方面対舟艇対戦車隊が置かれています。戦車中隊と特科大隊は来年度行事、方面隊から第8師団へ担当部隊として配属されるとの事で、一応配備は継続されるもよう。

 熊本地震から一年を経ての師団祭、駐屯地には熊本キャッスルホテルに掲げられていたという熊本城天守閣実物大タペストリーが掲げられていました。実は当方、昨年に展開予定でしたが地震により航空機欠航とホテル休館により実現しませんでした。満を持しての展開ですが、市内では熊本城筆頭に復興途上の雰囲気も深く、考えさせられる点が多かったです。

北大路機関:はるな くらま
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【検証:JR北海道危機06】黒字化達成のJR九州との比較,九州都市人口と北海道都市人口

2017-04-24 20:17:57 | コラム
■政令指定都市と地方中核市
 JR北海道の経営危機、全路線の半分が赤字という状況ですが、同じJRでもJR九州は収支全体に加え鉄道路線での経営黒字化に成功しました。ここから学ぶ点を探しましょう。

 JR北海道とJR九州の比較ですが、赤字のままのJR北海道と黒字に転換したJR九州、というだけの安易な比較は実のところ無理があるかもしれません、それは北海道の都市人口が道都札幌一極集中である点で、都市間輸送需要が限りなく小さい点が挙げられます、実際、北海道には人口190万の札幌市以外、人口40万以上の都市が一つもありません。

 鉄道運輸機構からの助成金の交付及び無利子貸付などは継続的に実施されていますが、ここまで過疎化しますと立て直しが難しくなり、また、この過疎化による鉄道輸送需要の激減は、これまでに北海道にて廃線となった地域が過疎化を拡大させたという視点から、過疎地域維持という視点からのもう少しの支援枠組など、考えるべき視点は多いでしょう。

 北海道主要都市について。札幌市1,914,434 名、旭川市347,275名、函館市279,110名、釧路市181,206名、苫小牧市173,406名、帯広市167,860名、小樽市131,970名、北見市125,628名、江別市123,751名、室蘭市94,531名、主要10都市を挙げますとこのようなかたちとなりました。道都札幌と第二の都市旭川の人口の大きな開が端的に見て摂れます。

 九州主要都市について。福岡市1,463,826名、北九州市977,288名、熊本市734,294名、鹿児島市605,940 名、大分市473,955名、長崎市443,469名、宮崎市400,352名、久留米市302,323名、佐世保市261,146名、佐賀市237,501名、となっています。この内、福岡市と北九州市に熊本市は政令指定都市、県庁所在地が多いですが、重ねて都市人口も多い。

 政令指定都市と地方中核市の数が根本から違う為輸送需要も違う。この通り、JR九州が成功したのだからJR北海道も経営を黒字転換できるはず、というには、北海道と九種の過疎度合いがあまりに違う、という部分を無視して話すわけにはいきません、特に九州新幹線が。福岡市1,463,826名、北九州市977,288名、熊本市734,294名、鹿児島市605,940名を結んでいるのに対し、北海道新幹線は端緒に就いたばかりです。

 除雪費用という難点も無視してはなりません、北海道の自治体は除雪費用に非常な苦労を重ねている点は報じられるとおりです、勿論北海道は積雪に対し強いのはご承知の通りでして、一方、例えば九州では北海道でいう若干程度の積雪や低温に見舞われた際にも、水道管破裂や地域孤立となった2015年低温被害の事例を思い起こせば理解できましょう。

 九州はその分、台風被害が大きいのですが、台風被害については強風による影響は一過性の物であり、水害などに拡大しなければ一過性と施設保守により対応出来ます、他方で積雪については除雪しなければ一過性とならず、この為の費用が嵩みますし耐寒構造の車両の費用も無視できず、低温や除雪費用を一種の災害として公的補助の視点が必要でしょう。

 この北海道が昨年の台風により大きな被害に見舞われた背景には、計画洪水水位が元々大量の豪雨に見舞われない地域故に九州などよりも低く設定されていたとの事情があり、極端気象や気候変動影響、様々な表現はありますが弱っている経営体力を更に悪化させるほどの衝撃となった訳です。地域性や異常気象、この部分を少し柔軟に対応すべきで、と。

 全路線の半分が維持困難で支援が無ければ廃線もやむなしという状況で、しかも今回の報道は現状の対応策を即座に取らなければ、数年という早い時期に全ての路線での列車運行に支障が出るという切迫した状態です。しかし、自治体経済力に限界があると共に、影響は当該路線に面した地域以外の大都市にも及び、これは過疎化を加速する大きな問題です。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】木更津駐屯地創設45周年航空祭【03】観閲飛行大編隊(2013-05-12)

2017-04-23 20:12:33 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■木更津航空祭大編隊
 木更津駐屯地創設45周年航空祭、最大の迫力を誇示する大編隊による観閲飛行が遂に頭上に展開します。

 大編隊がもう間もなくこちらの頭上へやってきます//第1ヘリコプター団は2008年に規模な編成改編を行い、航空機を充実させました。団本部、本部管理中隊、第1輸送ヘリコプター群、第102飛行隊、特別輸送ヘリコプター隊、第1ヘリコプター野整備隊、連絡偵察飛行隊、新しいヘリコプター団編成は以上の通り。

 観閲飛行は一回限り、このための撮影場所を選んだ//第1輸送ヘリコプター群は第1ヘリコプター隊と第2ヘリコプター隊を統合改編史誕生したもので、CH-47J/JA輸送ヘリコプターを運用する第103飛行隊、第104飛行隊、第105飛行隊、第106飛行隊を隷下に有しています。各飛行隊は8機のCH-47を装備している。

 CH-47が空を覆う//増強改編となったのは第102飛行隊の新編です、UH-60JA多用途ヘリコプターとOH-6D観測ヘリコプターを運用する部隊で、中央即応集団発足と共に特殊作戦群の支援任務が第1ヘリコプター団へ付与され、特殊作戦や強襲任務へ対応する装備として配備されたもの。

 AH-1S,記念塗装機の編隊//特別輸送ヘリコプター隊はEC-225LP輸送ヘリコプターを以て要人輸送に当たります、AS-332L輸送ヘリコプターの後継機として導入されたものですが、改良型です。フランス製で日仏貿易不均衡への改善策として1986年に導入、今ではすっかり自衛隊の一員です。

 広角レンズでも左右を編隊が長い長い機影を並べる//V-107輸送ヘリコプター、第1ヘリコプター団と共に陸上自衛隊航空史を俯瞰すれば、この万能ヘリコプターの存在を欠いて話す事は出来ません、バートル社が開発したタンデムローター型ヘリコプターはそれほどに自衛隊、そして日本航空産業へも影響がありました。

 AH-1SとOH-1の編隊//自衛隊とV-107輸送ヘリコプターですが、陸海空自衛隊が導入しており、その導入総数は110機という非常に大きな調達が実施されました。陸上自衛隊は輸送ヘリコプターとして、海上自衛隊は掃海ヘリコプター、航空自衛隊は救難ヘリコプターとして、運用しています。

 快晴という名の通りの青空には編隊が良く映える//バートル社がV-107を初飛行させたのは1958年ですが、自衛隊での運用開始は1962年の陸上自衛隊での配備から開始され、調達は非常に長く継続、最後の機体が除籍されたのは航空自衛隊救難ヘリコプターとして運用の機体で2008年にラストフライトを飾っています。

 自衛隊高等工科学校生徒の頭上を往く大編隊//CH-46中型ヘリコプターとしてアメリカ軍が制式化されていまして、興味深いのは中型であったためアメリカ陸軍ではほぼ評価されなかったものの、中型機種としては輸送力が大きい為、強襲揚陸艦からの運用に最適とされアメリカ海兵隊への大量配備が決定しました。

 観閲飛行の大編隊は一航過を経て着陸態勢へ入る//アメリカ海兵隊には300機以上が配備され、この内275機が改良型のCH-46Eへ改修、海兵隊の強襲ヘリコプターとして長期にわたり運用され、傑作機故に後継機開発が難航し、後継機MV-22可動翼機が配備された2015年まで長期に渡り第一線部隊で運用されました。

 UH-60とCH-47,着陸へ編隊が重なる瞬間を撮影//V-107はバートル社により開発されましたが、日米での運用に加えてカナダとスウェーデンやサウジアラビア等で多数が運用されています。カナダ軍ではCH-113,スウェーデン軍ではHKP-4として運用され、バートル社に加え川崎重工がライセンス生産した機体も多い。

 機影が其処此処で重なる//日本の航空産業との関係が深いと前述しましたが、これは川崎重工においてライセンス生産が行われていた為です、更に特筆すべきは武器輸出三原則拡大運用以前には、川崎重工製V-107に当たるKV-107がスウェーデンやサウジアラビアへ軍用として輸出されたこと。

 この情景の編隊だけで人員だけならば空挺大隊を空輸可能だ//川崎重工は1962年にノックダウン生産を開始し1966年にライセンス生産権を取得、日本での生産を本格化させました。自衛隊への配備開始は陸上自衛隊向けの機体が1966年からですが、警視庁KV-107や民間用ヘリコプターとしても多数が生産され、供給されています。

 AH-1SとCH-47//007は二度死ぬ、英国秘密諜報員ジェームズボンドが日本を舞台に秘密結社スペクターと戦う1965年の映画にもKV-107はタイガー田中率いる日本公安調査庁作戦機として登場し、その力の入れようを伝えます。KV107は神戸のカワサキミュージアムでも見る事が出来る。

 CH-47、同じ機体なのですが距離が違えばこれほど見え方も違う//自衛隊がV-107を導入した背景には、CH-46とともに同時期に開発されていましたCH-47、現在の陸上自衛隊主力輸送ヘリコプターとなっているCH-47の導入も併せて検討されていました、しかしCH-47は大型過ぎ、大量に調達するにはV-107の方が現実的と判断された。

 一眼レフ二台で二種類のレンズを駆使し状況の展開を撮影//600機のV-107輸送ヘリコプター導入計画、現在見ますと突飛な話ですが、自衛隊が多数の輸送ヘリコプターを導入する構想は過去に在ったとされます。600機のV-107とは相当驚かされるところですが、元々川崎重工には膨大なV-107の生産構想があったといいます。

 自衛隊高等工科学校生徒隊はこの後、ライフルドリルの展示を行う//東京大阪ヘリコプター航空路線、東海道新幹線開通は1964年で、これにより0系新幹線が東京と大阪を多数の新幹線特急電車で結ぶに至りましたが、実はこの東海道新幹線以上に、ヘリコプターを東京大阪間に多数飛行、東海道本線特急こだま号に対抗する構想があった。

 撮影は短時間なのですが枚数はどんどんと積み重なる//全日本ヘリコプター空輸、現在の全日空は、首都圏中心部から大阪までのヘリコプター旅客輸送を検討、この為に注目したのがフェアリーロートダイン複合ヘリコプターとバートルV-107ヘリコプターです。V-107はアメリカでの旅客機としての運用も実際あります。

 UH-60JAが二機着陸へ//フェアリーロートダインはイギリス製複合ヘリコプターで48名の定員と共に航続距離830kmと巡航速度350km/hという高速飛行が可能です、ただ、複合ヘリコプターは騒音と整備性の問題や離陸滑走の問題があり、V-107はその点で実績があり現実的といえたもの。

 旋回し着陸へ//V-107の東京大阪航路に導入されますと、V-107の利点として空港のような滑走路を必要とせず、高層ビル最上部のヘリパットなどを利用すればそのまま飛行場施設とできました。これは都市部に高層ビルが増えれば増える程、多数の空港施設を置けることを意味します。

 CH-47は着陸も迫力がある、遠景の掩体は戦時中に海軍が建築したもの//アメリカでの旅客機としてのV-107はニューヨーク航空やパンアメリカン航空で運用実績があります、1968年の映画“ニューヨーク無宿”劇中でクリントイーストウッドがニューヨーク航空V-107を利用する印象的な描写もありましたが、それだけ期待されていたもの。

 自衛隊高等工科学校生徒隊によるライフルドリル、同時に訓練展示準備が進む//東京大阪間の旅客需要は非常に大きく、最高速度200km/h以上の高速鉄道を大量運行させる事は鉄道そのものが旧時代の交通手段と見られていた点も踏まえ現実性がないと思われ、特に空港設備が土地不足により厳しい日本でのヘリコプターへの期待が大きかったのです。

 状況開始、UH-60のローターが会場上空の大気を切り裂き訓練展示がいよいよ開始されました//0系新幹線vsKV-107ヘリコプターの一騎打ちですが、しかし東海道新幹線の営業運転開始となりますと、その利便性の高さ、運転制御装置の先進性から大量の輸送需要に対応できるという点から0系新幹線が勝利を手にし、ヘリコプター航路は結局実現していません。

 UH-60の重機関銃射撃掩護下でCH-47が進入を開始します//600機V-107構想、これは仮に東海道新幹線に代えて川崎重工が大量のヘリコプター航路を東京大阪間に運行開始すれば、量産効果によりV-107の製造単価も当然低下しますから、自衛隊が安くなったV-107輸送ヘリコプターを大量調達する事はある意味現実的といえる。

 巨大な輸送力をもつCH-47は高機動車を吊下げ空輸し、訓練展示へ戦闘加入する//川崎重工がV-107のライセンス生産権を早い時期に取得した背景は民需の大きさがあり、一方、V-107に勝利した0系新幹線は3216両が量産、最盛期2338両が運用されました、仮にV-107が勝利していれば、もしかしたらば3000機以上のV-107旅客機が生産されていたのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま
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【くらま】日本DDH物語 《第一〇回》第二次防衛力整備計画八〇〇〇t型対潜空母構想・続

2017-04-22 20:22:48 | 先端軍事テクノロジー
■防衛用対潜空母の研究
 第二次防衛力整備計画にて、研究の一つとして基準排水量8000tの対潜空母という構想があった、と前回紹介しました、この視点をもう少し見てみましょう。

 対潜空母としての呼称の下、基準排水量8000t程度の全通飛行甲板型護衛艦へHSS-1対潜ヘリコプター18機集中搭載、呼称は“対潜空母”と、米海軍の呼称区分をそのまま採用していました。当時はアメリカ海軍では大量の大戦艦の戦後利用として、対潜空母と攻撃空母を分けて採用しており戦時中の護衛空母やエセックス級空母の戦後区分の一つでした。

 海上自衛隊が踏襲した対潜空母という呼称、アメリカ海軍の1950年代末に完成したF-4戦闘機、航空自衛隊では現在も現役のF-4EJ改の原型ですが、このF-4は全天候の超音速戦闘機という優れた性能を持つ一方、機体規模が従来の空母艦載機よりも相当大型である為、第二次大戦の大型空母であったエセックス級でも搭載が難しく、区分変更されました。

 HSS-1はアメリカ海軍において1955年に配備が開始されたばかりの最新鋭航空機で、海上自衛隊へ導入が開始されたのは1958年、アメリカ海軍配備開始後実に三年後に部隊配備が開始されたわけです。自衛隊は第一次防衛力整備計画にて、このHSS-1をノックダウン生産にて20機導入、海上自衛隊の対潜哨戒機としてはこのうち17機が配備されています。

 HSS-2として海上自衛隊は続いて、更に進んだ新対潜哨戒ヘリコプターの導入を開始しており、ミサイル護衛艦あまつかぜ竣工は1965年ですが、海上自衛隊はその前年、1964年からHSS-2の受領を開始しています。この当時の新装備導入間隔は今日から見れば非常に短期間で、構想中にHSS-1からHSS-2の時代が到来してしまった、という状況ですね。

 対潜ヘリコプターと護衛艦の連携、攻撃兵装を豊富に搭載する護衛艦の前方にソナー搭載ヘリコプターと展開させ吊下ソナーにより駆逐艦のソナー索敵圏外の情報を収集、必要であれば魚雷爆雷搭載の攻撃用ヘリコプターが協力し発見した潜水艦を直接攻撃します、当時の対潜魚雷は草創期、目標直上から投下する事が望ましく、航空機運用が理想的でした。

 しかし、対潜空母の導入が現実的であったかと問われれば、幾つかの視点が必要です。まず、18機のHSS-1を搭載する母艦の建造ですが、海上自衛隊には17機しかHSS-1が装備されず、沿岸哨戒に当たる陸上配備用を含めれば17機では全く足りず、仮に対潜空母を常時一隻運用すべく二隻配備するならば最低でも55機以上のHSS-1が必要となるでしょう。

 構想が短期的なものであったのは、この構想が具体的な設計作業に入る前に、HSS-1の調達が終了し、新型のHSS-2への対潜哨戒ヘリコプター調達外交した点から端的に読み取る事が出来るかもしれません。その一方、海上自衛隊では部内研究の一つとして、HSS-1のようなヘリコプターに留まらない、固定翼機を搭載する水上艦艇が模索されていました。

 HSS-2,シーキングと愛称を冠する大型対潜ヘリコプターは、1973年に海上自衛隊初のヘリコプター搭載護衛艦はるな竣工と同時に初の艦載機となった航空機でした。そしてHSS-2の改良型であるHSS-2A,さらに改良を重ねたHSS-2Bと対潜機材や飛行能力が順次向上し、多くの航空要員を育てる名機となり、はるな建造前夜にもその艦上運用が模索されましたものが上述の艦艇です。

 対潜航空母艦として基準排水量23000t、ヘリコプター18機と固定翼哨戒機6機を運用する実質的な対潜空母も同時期に検証されたとされ、海上自衛隊は沿岸用としてアメリカ海軍のS-2艦上哨戒機を導入する際、要員教育をエセックス級対潜空母プリンストン艦上で実施した事が、一説によればその後の航空母艦取得への布石ではないかとも言われています。

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平成二十九年度四月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.04.22/04.23)

2017-04-21 20:23:47 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 桜前線は東北を往く中、朝鮮半島最前線は緊張線の分水嶺を一進一退する今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末の自衛隊関連行事です。

 第8師団創設55周年北熊本駐屯地祭、南九州を防衛警備管区とする師団の創設記念行事です。司令部は昨年にどの激震と無数の余震に見舞われた熊本市に所在し、中国からの軍事圧力が高まる南西諸島北部と九州南部の防衛に、10式戦車や11式短SAM及び96式多目的誘導弾と軽装甲機動車にUH-60JA等の優秀装備を揃え、精強な師団を維持しています。

 第14旅団創設11周年善通寺駐屯地祭、四国を防衛警備管区とする旅団で、間もなく隷下に第15普通科連隊を改編し即応機動連隊が新編されます。即応機動連隊は本部管理中隊に装甲化された3個普通科中隊と機動戦闘車中隊に重迫撃砲中隊を有する高度な機械化部隊で、これに併せて第14旅団も大幅な改編が予定、現在の編成では最後の旅団祭となります。

 八戸駐屯地創設61周年記念行事、青森県の駐屯地祭ですが三沢基地に程近い八戸には海上自衛隊八戸航空基地が並び、本州北部の一大防衛拠点の一つを構成しています。駐屯部隊も第4地対艦ミサイル連隊、第5高射特科群、第9後方支援連隊、第9施設大隊、第2対戦車ヘリコプター隊、第38普通科連隊一部中隊と多岐に及び、多様な展示が期待できます。

 郡山駐屯地創設64周年記念行事、第6特科連隊と第6高射特科大隊が駐屯する第6師団火力戦闘部隊と野戦防空部隊の一大拠点で、FH-70榴弾砲や81式短SAMに93式近SAM,対砲レーダ装置に対空レーサ装置等が観閲行進や訓練展示を盛り上げる事でしょう。この季節が桜の季節とあり、桜花と自衛隊の戦闘部隊という構図を撮影できるかもしれません。

 北富士駐屯地創設57周年記念行事、第1特科隊及び部隊訓練評価隊富士訓練センターFTCが駐屯しています。部隊訓練評価隊は仮設敵迷彩と戦車中隊に2個装甲車中隊が強力な第1機械化大隊を隷下に有していますが、こちらは滝ヶ原に駐屯しています。特科隊は特科連隊を中隊基幹とした小型の編成で、FH-70榴弾砲の迫力の空包射撃等が見どころでしょう。

 さて撮影の話題、自衛隊関連行事、時には雨天の場合もあるのですが、例えば曇天を想定していて現地に展開すれば想定外の雨天荒天大逆転、となった場合などは悲惨です。雨天における自衛隊関連行事撮影については、これまでも何度も論題としましたが、難しいのは遠隔地へ展開し、しかも旅程が数日間に及び、出発時点では現地当日の天候見通しがつかない状況でしょう。

 雨滴から最低限必要な雨具とは何か。第一に必要なのは撮影遂行以上に機材を故障損傷から防護する事、折畳傘とポリ袋は嵩張らずカメラバックの隙間に挟めます。第二に荒天でも撮影を続行する事、この為には簡易的なものでも良いのでカメラ用防滴治具を携行する事ですが高機能なものは嵩張ります。防水布は浸透しますのでビニール式が最良といえる。

 カメラ用防滴器具には簡易のシャンプーハット型が小雨では威力を発揮し、ビニールで覆う方式の防滴器材はかなりの荒天でも撮影が続行可能です。この二つは重ねて携行しますと、前者はレンズ部分を覆う事で本格的な風雨でも撮影可能となる。第三に自身の防滴ですが、緊急用ポンチョ等もお勧めで、冒頭に記した折畳傘がこの領域を補完するでしょう。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・4月22日:八戸駐屯地創設61周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/neainfo/sta/hachinohe/hachiindex.html
・4月23日:郡山駐屯地創設64周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/unit_hp/koriyama_hp/index0top.htm
・4月23日:北富士駐屯地創設57周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/1d/
・4月23日:第14旅団創設11周年善通寺駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/14b/
・4月16日:第8師団創設55周年北熊本駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/8d/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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