■ブルーインパルス
築城基地航空祭二〇一三、今回はブルーインパルス飛行展示とF-2機動飛行の様子とともに築城基地と航空団の歴史を紹介しましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/e0/f6b3fd0fea02ef3cbd7dbde6840d36d7.jpg)
第8航空団の築城基地ですが、航空団の編成を視てみましょう。航空団は、司令部、飛行群、整備補給群、基地業務群、という編成です。指揮幕僚機構と航空機部隊に整備部隊と基地運営に関する部隊という配置ですね。この他、航空方面隊やその他直轄部隊がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ea/3662cfc03e23276851ae357bc1841f4b.jpg)
第8航空団司令部、隷下には監理部と人事部に防衛部及び装備部や安全班と衛生班に副官付室が置かれています。飛行群は第6飛行隊と現在は第8飛行隊がF-2戦闘機を運用、2013年当時にはF-15戦闘機第304飛行隊とF-2支援戦闘機第6飛行隊が置かれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/26/fd82ab92130041b3cb9c46553ba3991e.jpg)
航空団の編成は加えて、整備補給群は検査隊と装備隊と修理隊と車両器材隊に補給隊という編成。基地業務群は第8基地防空隊及び飛行場勤務隊と施設隊に通信隊や管理隊と業務隊及び会計隊と衛生隊という編成です。全国の他の航空団も概ねこの編成を採っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/26/dc252f0ac4972c37dd3b884d3fcc5ebd.jpg)
築城基地には第8航空団に加えまして、西部方面航空隊第2高射群第7高射隊がペトリオットミサイル により戦域防空にあたり、西部航空施設隊第3作業隊が基地施設整備と航空攻撃などからの基地復旧任務や施設整備と悪天候の際の基地機能維持等を担当しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/0d/31fefdc3c90f761e53689b1512ca2b90.jpg)
基地には更に航空支援集団隷下の航空保安管制群築城管制隊が航空管制任務に、航空気象群隷下の築城気象隊が航空に必要な天気予報を実施します。加えて防衛大臣直轄部隊として航空警務隊築城地方警務隊も置かれ、これらの部隊以て築城基地が任務を果たしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/98/9ed9e5ec4d255a1a9305a45cb21cee9a.jpg)
しかし、2010年代に入りますと朝鮮半島情勢以上に南西諸島への中国軍からの軍事圧力が爆発的に増大する事となりました。元々那覇基地には第83航空隊のファントム飛行隊が置かれていたものの中国軍機の接近増大を受け、百里基地のイーグル飛行隊と交替しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/e9/c6eca571a2f04be5bbc2fbf2bd50a0a8.jpg)
中国軍の軍事圧力は留まるところを知らず、実質那覇基地の一個飛行隊だけで航空自衛隊の緊急発進の半分近くを対応する非常に突出した緊張空域となりました。この為政府は南西諸島の防衛を強化するために築城基地の第304飛行隊の那覇基地への転出を決定します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/ec/aaa8b36a2bb6f289ef3ecc5a3208eb69.jpg)
那覇基地第83航空隊は、2016年初頭に築城基地より第304飛行隊の移駐を受け入れ、第204飛行隊 と第304飛行隊を基幹とする第9航空団へ拡大改編されまして、一方引き抜かれた築城、一時的ですが築城基地第8航空団はF-2戦闘機の1個飛行隊基幹となりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/68/2cdfc32b6dd617f414a7f66b26b75f1c.jpg)
第8航空団へは2016年夏に三沢基地第3航空団よりF-2飛行隊である第8飛行隊が移駐を受けました、これは三沢基地へ新編される新戦闘機臨時F-35飛行隊の準備へ飛行隊に余裕が出た為です。現在築城基地は、F-2戦闘機2個飛行隊を有する航空団の拠点となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/02/bff00eebd6606ecc487cdb178c9a1b2e.jpg)
F-2戦闘機、当方にはF-2支援戦闘機といった方がしっくりくる世代でして、防衛省は戦闘機と支援戦闘機の区分を統一してからもう数年となりますが、この航空機は当初、支援戦闘機と呼ばれていました、任務は戦闘爆撃機や戦闘攻撃機と重なり、戦闘を支援する、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/39/8322b2980e3cad368dc0b7108cac7811.jpg)
支援戦闘機が導入されたのはT-2練習機、国産初の超音速練習機が開発され、この能力を元として対地攻撃や国産開発が進められていた空対艦ミサイルの運用に転用する目的で開発、従来のソ連艦隊にF-86Dから500ポンド爆弾を反跳爆撃で叩きつける方法の代替です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/fb/353f35f0c298e6b216237f1b241ba405.jpg)
80式空対艦誘導弾は三菱重工と三菱電機が開発した装備で、1973年から当時の防衛庁技術研究本部が開発を進めてきました装備です、三次に渡る試作と二次にわたる技術試験を経て1980年に完成、F-1支援戦闘機に各2発を搭載、40kmの射程を持つ対艦ミサイルです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e8/21c6bcc544068cc9e6124d7b3f8f53a7.jpg)
ASM-1は支援戦闘機が目標を捕捉すると自動伝送により目標追尾を開始し、目標を40km以内、つまりその射程内に収めると同時に発射、ミサイルを発射と同時に支援戦闘機は回避へ、ミサイルは電波高度計を用い超低空飛行を開始し敵防空網を回避しつつ前進する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/9b/778044041be3d18d86367eede1de3f8f.jpg)
空対艦ミサイルの名の通り、目標付近まで慣性誘導装置による自律飛行を実施、その上で目標付近に入ると同時にものパルス型レーダーによるアクティヴレーダーを作動させ艦艇に突入します、1990年には射程を150kmまで延伸させた改良型ASM-2も開発されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/4b/f01b79cfdc02c68d7d65d2b0d9b0d385.jpg)
F-1支援戦闘機とASM-1空対艦ミサイルのセットにより、F-1支援戦闘機はかなり高い水準の航空打撃力を得るに至っています、電子戦装備は貧弱でエンジン推力が低く、ミサイル搭載時の運動性が低いほか、対地攻撃時には防弾性能が限られ、不整地運用能力もない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ae/50ee33c91c5a34672898e8e85bf3fa48.jpg)
そのF-1支援戦闘機がその任務に対応できたのは対艦ミサイルの国産開発に成功した為でした、しかし、当初は140機程度を国産する計画であったのですが生産数が縮小され72機を生産したところで終了します、飛行隊編成を24機定数から18機定数へ見直した為です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/4b/fa226cf87b9f20a7c59a8e7a2937e3df.jpg)
F-1,性能が限られていた為、特に中射程空対空ミサイルを運用できない事から航空戦闘に際しての生存性は厳しく、いかに敵艦隊へ到達可能な航空機と敵艦隊を無力化出来る投射能力を両立するか、戦術研究は非常に真剣に取り組まれ、徹底した科学主義であったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/30/fc539e6bc81fd2f5ccbdd3837bb298d1.jpg)
この後継機にFSX,次期支援戦闘機の開発計画が浮上しますと、何よりもF-1支援戦闘機を開発した時代と比較すれば日本にも技術的蓄積が高まっていると共に、バブル景気前夜の比較的防衛予算へ余裕があった時代であり先端研究への自由度も大きく、機体されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/85/78ff0284cf6feb9a6ae245db0117005f.jpg)
FSX,双発双尾翼と複合素材一体翼をもつ国産戦闘攻撃機として計画されまして、当時日本では1980年頃から実用化が開始されたアクティヴフューズドアレイレーダーを採用し複数目標の同時探知能力を持たせ、複合素材による機体の高強度徹底軽量化も盛り込まれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/c7/31ad98f43194415735e75b1d62bed3ec.jpg)
戦闘機開発では、高運動性を担保するフライバイワイヤ技術が、P-2哨戒機改造実験機の時代から防衛庁技術研究本部では着手していまして、これを更に検証するT-2CCV実験機による制御実用研究も進み、かなり高度な航空機が開発できるものだと期待されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/2a/03f7e8b58173480fff8cea678f779b53.jpg)
日米共同開発、という政治的横槍はその後、現在は野党党首となっている自民党代議士から日米共同開発の政治的重要性、そして当時の日米首脳の政治的蜜月関係から対米貿易黒字相殺を戦闘機輸入により相殺する要請、先端技術提供要請等があり、一転する事となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/9a/8c208bd46ef2ceec7d9632de2a9545a9.jpg)
F-2支援戦闘機は現在、三沢基地、築城基地、松島基地、において運用中ですが、上記事情から日米共同開発により日本が技術提供を行い開発した航空機を日米共同生産により日本で組み立て、日本側が運用する、という複雑な工程を経て実用化することとなっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/ea/c73e5da9767afa6b6d0ca88301db2145.jpg)
F-16戦闘機を原型とし、レーダー部分を大型化するべく再設計を行い、機体部分の一体複合素材化、アメリカが突如提供を拒否したフライバイワイヤ技術の日本型への転換と実用化、アクティヴフューズドアレイレーダーの搭載等により、完成し量産、今に至ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/d8/1d61d32e660dd69d90f2a78404c44cef.jpg)
中々苦労があり、政治的対立を冒してでも国産開発を実施していたならば、追加発注や修理と近代化等自由度は高かった、と視点を変えれば悔やむ部分も多い一方、試作機初飛行から今に至るまでを望見していた当方には、よくぞ完成したとも考えさせられるものです。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
築城基地航空祭二〇一三、今回はブルーインパルス飛行展示とF-2機動飛行の様子とともに築城基地と航空団の歴史を紹介しましょう。
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第8航空団の築城基地ですが、航空団の編成を視てみましょう。航空団は、司令部、飛行群、整備補給群、基地業務群、という編成です。指揮幕僚機構と航空機部隊に整備部隊と基地運営に関する部隊という配置ですね。この他、航空方面隊やその他直轄部隊がある。
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第8航空団司令部、隷下には監理部と人事部に防衛部及び装備部や安全班と衛生班に副官付室が置かれています。飛行群は第6飛行隊と現在は第8飛行隊がF-2戦闘機を運用、2013年当時にはF-15戦闘機第304飛行隊とF-2支援戦闘機第6飛行隊が置かれていました。
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航空団の編成は加えて、整備補給群は検査隊と装備隊と修理隊と車両器材隊に補給隊という編成。基地業務群は第8基地防空隊及び飛行場勤務隊と施設隊に通信隊や管理隊と業務隊及び会計隊と衛生隊という編成です。全国の他の航空団も概ねこの編成を採っています。
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築城基地には第8航空団に加えまして、西部方面航空隊第2高射群第7高射隊がペトリオットミサイル により戦域防空にあたり、西部航空施設隊第3作業隊が基地施設整備と航空攻撃などからの基地復旧任務や施設整備と悪天候の際の基地機能維持等を担当しています。
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基地には更に航空支援集団隷下の航空保安管制群築城管制隊が航空管制任務に、航空気象群隷下の築城気象隊が航空に必要な天気予報を実施します。加えて防衛大臣直轄部隊として航空警務隊築城地方警務隊も置かれ、これらの部隊以て築城基地が任務を果たしている。
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しかし、2010年代に入りますと朝鮮半島情勢以上に南西諸島への中国軍からの軍事圧力が爆発的に増大する事となりました。元々那覇基地には第83航空隊のファントム飛行隊が置かれていたものの中国軍機の接近増大を受け、百里基地のイーグル飛行隊と交替しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/e9/c6eca571a2f04be5bbc2fbf2bd50a0a8.jpg)
中国軍の軍事圧力は留まるところを知らず、実質那覇基地の一個飛行隊だけで航空自衛隊の緊急発進の半分近くを対応する非常に突出した緊張空域となりました。この為政府は南西諸島の防衛を強化するために築城基地の第304飛行隊の那覇基地への転出を決定します。
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那覇基地第83航空隊は、2016年初頭に築城基地より第304飛行隊の移駐を受け入れ、第204飛行隊 と第304飛行隊を基幹とする第9航空団へ拡大改編されまして、一方引き抜かれた築城、一時的ですが築城基地第8航空団はF-2戦闘機の1個飛行隊基幹となりました。
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第8航空団へは2016年夏に三沢基地第3航空団よりF-2飛行隊である第8飛行隊が移駐を受けました、これは三沢基地へ新編される新戦闘機臨時F-35飛行隊の準備へ飛行隊に余裕が出た為です。現在築城基地は、F-2戦闘機2個飛行隊を有する航空団の拠点となっている。
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F-2戦闘機、当方にはF-2支援戦闘機といった方がしっくりくる世代でして、防衛省は戦闘機と支援戦闘機の区分を統一してからもう数年となりますが、この航空機は当初、支援戦闘機と呼ばれていました、任務は戦闘爆撃機や戦闘攻撃機と重なり、戦闘を支援する、と。
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支援戦闘機が導入されたのはT-2練習機、国産初の超音速練習機が開発され、この能力を元として対地攻撃や国産開発が進められていた空対艦ミサイルの運用に転用する目的で開発、従来のソ連艦隊にF-86Dから500ポンド爆弾を反跳爆撃で叩きつける方法の代替です。
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80式空対艦誘導弾は三菱重工と三菱電機が開発した装備で、1973年から当時の防衛庁技術研究本部が開発を進めてきました装備です、三次に渡る試作と二次にわたる技術試験を経て1980年に完成、F-1支援戦闘機に各2発を搭載、40kmの射程を持つ対艦ミサイルです。
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ASM-1は支援戦闘機が目標を捕捉すると自動伝送により目標追尾を開始し、目標を40km以内、つまりその射程内に収めると同時に発射、ミサイルを発射と同時に支援戦闘機は回避へ、ミサイルは電波高度計を用い超低空飛行を開始し敵防空網を回避しつつ前進する。
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空対艦ミサイルの名の通り、目標付近まで慣性誘導装置による自律飛行を実施、その上で目標付近に入ると同時にものパルス型レーダーによるアクティヴレーダーを作動させ艦艇に突入します、1990年には射程を150kmまで延伸させた改良型ASM-2も開発されました。
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F-1支援戦闘機とASM-1空対艦ミサイルのセットにより、F-1支援戦闘機はかなり高い水準の航空打撃力を得るに至っています、電子戦装備は貧弱でエンジン推力が低く、ミサイル搭載時の運動性が低いほか、対地攻撃時には防弾性能が限られ、不整地運用能力もない。
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そのF-1支援戦闘機がその任務に対応できたのは対艦ミサイルの国産開発に成功した為でした、しかし、当初は140機程度を国産する計画であったのですが生産数が縮小され72機を生産したところで終了します、飛行隊編成を24機定数から18機定数へ見直した為です。
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F-1,性能が限られていた為、特に中射程空対空ミサイルを運用できない事から航空戦闘に際しての生存性は厳しく、いかに敵艦隊へ到達可能な航空機と敵艦隊を無力化出来る投射能力を両立するか、戦術研究は非常に真剣に取り組まれ、徹底した科学主義であったという。
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この後継機にFSX,次期支援戦闘機の開発計画が浮上しますと、何よりもF-1支援戦闘機を開発した時代と比較すれば日本にも技術的蓄積が高まっていると共に、バブル景気前夜の比較的防衛予算へ余裕があった時代であり先端研究への自由度も大きく、機体されました。
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FSX,双発双尾翼と複合素材一体翼をもつ国産戦闘攻撃機として計画されまして、当時日本では1980年頃から実用化が開始されたアクティヴフューズドアレイレーダーを採用し複数目標の同時探知能力を持たせ、複合素材による機体の高強度徹底軽量化も盛り込まれます。
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戦闘機開発では、高運動性を担保するフライバイワイヤ技術が、P-2哨戒機改造実験機の時代から防衛庁技術研究本部では着手していまして、これを更に検証するT-2CCV実験機による制御実用研究も進み、かなり高度な航空機が開発できるものだと期待されていました。
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日米共同開発、という政治的横槍はその後、現在は野党党首となっている自民党代議士から日米共同開発の政治的重要性、そして当時の日米首脳の政治的蜜月関係から対米貿易黒字相殺を戦闘機輸入により相殺する要請、先端技術提供要請等があり、一転する事となる。
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F-2支援戦闘機は現在、三沢基地、築城基地、松島基地、において運用中ですが、上記事情から日米共同開発により日本が技術提供を行い開発した航空機を日米共同生産により日本で組み立て、日本側が運用する、という複雑な工程を経て実用化することとなっています。
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F-16戦闘機を原型とし、レーダー部分を大型化するべく再設計を行い、機体部分の一体複合素材化、アメリカが突如提供を拒否したフライバイワイヤ技術の日本型への転換と実用化、アクティヴフューズドアレイレーダーの搭載等により、完成し量産、今に至ります。
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中々苦労があり、政治的対立を冒してでも国産開発を実施していたならば、追加発注や修理と近代化等自由度は高かった、と視点を変えれば悔やむ部分も多い一方、試作機初飛行から今に至るまでを望見していた当方には、よくぞ完成したとも考えさせられるものです。
北大路機関:はるな くらま
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