三菱重工元部長でコンサルタント会社社長が、脱税で逮捕され、同時に三菱重工時代に得たペトリオットミサイルPAC-3部品情報を商社へ漏洩させていたことが判明しました。同時にこのコンサルタント会社社長は頻繁に中国へ出張しており、コンサルタント料として中国企業からの報酬を得ていました。
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北大路機関:はるな
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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◆自衛隊関連行事
高気圧の影響か北海道の方が真夏日と聞きますが見える入道雲は中々雨をもたらさず梅雨か夏かはっきりしてほしい今日この頃、如何お過ごしでしょうか。
さて、三菱重工元社員PAC-3による情報漏えい事件が明らかになり社会乱の片隅の記事ながら実は重要な事案であったと痛感する最中なのですが行事紹介。今週末の自衛隊関連行事ですが、梅雨時と初夏ということもあり行事の数は限られており非常に暑い日々が続くという北海道は北千歳駐屯地、そして房総半島南端の館山航空基地において行事が行われるようです。
北千歳駐屯地は第1特科団本部、第1特科群、第1地対艦ミサイル連隊、第1高射特科群第302高射中隊のほか、第7師団の第71戦車連隊が駐屯している駐屯地で、千歳空港から近い駐屯地ということもあり、京阪神地区からの日帰りも可能です。いや無理だろう、という方もいるでしょうが、実際行くという話ですので、ううむ、来年は当方も千歳周辺駐屯地日帰り強行とか、やってみようか考えているところ。
館山航空基地一般公開。館山航空基地は東日本の哨戒ヘリコプター部隊そう元締めというべき第21航空群の基地です。この一般公開は館山市主催の“たてやま海まちフェスタ2012”に併せて開催される基地一般公開で、ヘリコプター体験搭乗が基本は事前抽選ですが当日抽選とともに行われるほか、ヘリコプターシュミュレータ当日抽選体験、ヘリコプター地上展示なども行われるとのこと。
館山航空基地ではこのほか当日先着順の支援船体験航海が予定されています。支援船ですので、写真のような交通船か曳船の体験航海と思われますが、短時間ではあるものの陸からは見ることの出来ない風景を楽しむことが出来るでしょう。たてやま海まちフェスタでは有料のシーカヤック体験も行えるとのことで、その様子を支援船から撮影することが出来るかもしれません。
自衛隊行事は以上の通りですが、このほか、佐世保基地、呉基地、舞鶴基地では毎週恒例の週末一般公開が行われ、桟橋の一般公開や艦船の上甲板開放、資料館見学などが行えるほか、佐世保と舞鶴は売店にて自衛隊関係の土産物も販売していますます。こちらは各地方総監部HPにおいてお時間などをお確かめの上お出かけください。
当方が把握した行事は以上の通りですが、この他に記載されていない記念行事や艦艇入港情報の開示、ようやく一日に再稼働する大飯原発の出力が安定するまで快適な生活と15%節電を両立する無茶技等をご存知の方がいましたら、コメント欄などでお教えいただけるとありがたいです。
◆駐屯地祭・基地祭・航空祭
◆注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
◆真夏の佐世保基地くらま特別公開
夏だ!、海だ!、佐世保基地だ!。・・・、最後の一か所は異論を認めます。しかし、昨年2011年は護衛艦くらま就役30周年という記念すべき年でした。
護衛艦くらま、第2護衛隊群の護衛艦で護衛艦しらね型2番艦、基準排水量5200t、満載排水量7200t。大型対潜ヘリコプター三機の集中運用を行う航空中枢艦ですが、護衛隊群の戦闘を効率化するべく同時に戦闘情報の収集と脅威判定、目標画定と対処を統括するデジタルコンピュータを搭載し、システム艦として完成しました。
この二番艦ですが、同時に本艦就役を以てヘリコプター搭載護衛艦四隻体制が確立、システム艦と従来ヘリコプター搭載護衛艦を運用する第51、第52護衛隊により二個護衛隊群に外洋作戦を可能とさせる航空哨戒能力を付与させ、その後護衛艦はるな型二隻のシステム艦への近代化改修を以て、四隻のシステム艦が四個護衛隊群直轄艦として配置でき、護衛艦隊の作戦能力は飛躍的に向上させた歴史的一隻、と言えるかもしれません。
くらま就役30周年。ちょうど長崎へ所要のあった当方は、長崎から大村線を佐世保へと向かいました。やはり夏の九州の日差しは鋭いということではあるのですが、京都の湿気や盆地の市街地が生み出す熱気と比べたらば、海風が運ぶ清涼感というのでしょうか、佐世保も長崎も気候は非常に過ごしやすい、これが率直な印象で、広がる青空とともに基地へ入ります。
桟橋では、試験艦くりはま、が停泊していました。横須賀の自衛艦ですので佐世保は何か運用上の寄港、ということになるのでしょう。今年除籍された試験艦くりはま、です。試験艦、海上自衛隊の様々な新装備その構成要素の実動実験を行う艦で開発指導隊群に所属、後継艦となるべき試験艦あすか就役後も長く現役に留まっていますが、用途は若干異なるとのこと。
佐世保地方総監部の新庁舎。この時まだ建設中。佐世保基地と護衛艦くらま。護衛艦くらま、は就役と共に佐世保基地第52護衛隊に配属、護衛艦はるな・くらま、として運用され、続いて第二護衛隊群直轄艦として、そのご第二護衛隊群第二護衛隊中枢艦として今に至りますが、その間母港は一貫して佐世保、これは海上自衛隊の歴史でも唯一とのことです。
佐世保地方総監部ですが、少し高台にある、という点、これは津波災害等を考えますと利点の一つと言えるかもしれません。もっとも、佐世保基地は非常に外洋から狭い水道を隔てていて、敵国戦艦の艦砲射撃から軍港を護る地形上の適地となっているのですが、狭い、そして入り組んだ水道は津波の威力も相殺する、ということ。昨年被災地松島に足を運びましたが日本三景松島の島々も津波の威力を相殺し、浸水したものの無事な建物は多かったことを思い出しました。
さて、くらま乗艦、というところなのですけれども、護衛艦ゆうだち、103が目の前に停泊しています。基準排水量4550tで満載排水量6200t、くらま、よりも一回り小さい護衛艦なのですが、ここ倉島桟橋は岸壁が決して長くなく、手前に一隻停泊すると見えなくなってしうまう、という。
くらま、少しだけ見えます。くらま就役と同時期に汎用護衛艦としてヘリコプターと各種誘導弾を搭載した護衛艦はつゆき型が就役を始めましたが、あちらは基準排水量2900t、満載排水量4000t、その頃と比べると汎用護衛艦は非常に大きくなった、という印象で、護衛艦の隻数が防衛大綱改訂と共に下方修正されるのと時期を合わせ、数が少ないのならば一隻当たり高性能化させ航続距離を大きくしよう、という循環になっているのは気のせいでしょうか、ね。
倉島桟橋から立神桟橋を望見します。補給艦はまな、護衛艦こんごう、などが見えますね。こちらは米軍管理の桟橋で、一々はいるのに米軍の手続きがいるという、立神で広報行事を行おうとするたびに一々米軍との調整が必要なのでどっちが戦争に負けたのかよくわかります、そう苦笑されたのは別の基地でお会いした現役2佐のお話でした。
強襲揚陸艦エセックス。ワスプ級強襲揚陸艦の二番艦で、現在は交代し強襲揚陸艦ボノムリシャールが前方展開しています。満載排水量は40000tを超える大型艦で、横須賀基地の原子力空母ジョージワシントンとともに極東地域への米海軍戦略的抑止力の中枢となっている大型艦。こんなかたちで紹介したのですが、次回は護衛艦くらま見学の様子を紹介したいと思います。
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◆海外任務増大、在外基地隊創設も検討課題
地方隊の任務として、基地機能の維持による自衛艦隊所属艦艇への支援があります。この視点からの海外の任務について、少し考えてみましょう。
海上自衛隊は将来的に艦艇の基地を遠隔地に配置しなければならない可能性はどの程度あるのか。海賊対処任務は、艦艇部隊、航空部隊という海上自衛隊を主体に、航空基地警備の陸上自衛隊、そして補給支援の航空自衛隊が任務を実施しています。可能ならば海上自衛隊アデン地方隊を創設して、アデン地方総監隷下に統合任務部隊司令部を置き、陸海空自衛隊を統合運用すると共に、補給整備体系と後方支援体制を一本化することが望ましいのでは、あります、が、まあ、これは、現実的には、もう一つ地方隊というのは難しいところ。
地方隊の支援任務。これは基地における補給と整備を筆頭に、艦艇の出入港支援任務があり、曳船による作業などを行うためにかなりの数の支援船を保有しています。その上での一視点なのですが、今後海上自衛隊の海外派遣任務が増大し、航空部隊におけるジブチ航空拠点のような海上部隊拠点を有する可能性はどの程度あるのでしょうか。現在派遣されている規模はソマリア沖海賊対処任務では護衛艦二隻、この規模であれば長期的は補給設備を必要としません、整備前に交代するという前提なのですから。
しかし、今後、例えばソマリア沖での任務に加え、ホルムズ海峡での緊張が高まる場合、更には南スーダン地域への支援を行う観点から隣国エリトリア近海に当たる紅海海上に艦艇を展開させなければならない場合など、一応は考えておかねばなりません。実はこの視点を考えますと、曳船等や交通船等の派遣、という可能性は、一応考えなければならないのですが、加えて補給と休養のための人員を派遣しなければなりません。しかし、自衛艦隊には該当する部隊が無く、民間会社の支援を受けるか、地方隊より人員を抽出し派遣するか、ということになります。
これは可能性です。可能性を強く強調するのは、今後我が国が脱原子力政策を掲げるのであれば、化石燃料への依存度がどうしても高くならざるを得ないというもの。現段階ではその可能性は、まだ、低いですし、我が国の海上自衛隊は南西諸島における防衛警備と北方からの脅威へ対応する観点から護衛艦数を文字通りぎりぎりのラインから遣り繰りを行っている状況ですので、これ以上の派遣というのは考えにくいところです。他方で、ホルムズ海峡への掃海艇派遣の必要性が出る、という可能性は考慮しておかなければなりませんし、数は少ないものの輸送艦を、例えば一隻、アフリカ沖の海域へ展開させなければならなくなる可能性は充分あることを忘れてはなりません。
曳船、交通船派遣。理論上は、現地の民間会社の支援を受けられることになるのですが、情勢が悪化した場合、民間会社が契約を拒否する可能性があり、この点は考慮に入れておかなければ成らないように考えます。また、過去には海外へ寄港先の曳船の能力、特に技量が著しく悪く、停止している護衛艦をさらに曳船が押したことで前方に停泊しているほかの護衛艦に衝突したことも、これを避けるために派遣、という可能性、これは同一港湾を長期間使用する場合、もちろん、これもどの程度派遣受け入れ国のインフラに依存でkルカによるのですが、必要性の可否は検討されるべき。
航続距離の面から不安な印象は否めませんが輸送方法はあります。曳航船の場合は、交通船と共に大型貨物船により輸送するほかないでしょう。例えばミサイル艇を数隻同時に輸送できる専用船や、キロ級潜水艦を輸送可能な貨物輸送船が存在しますので、技術的には航続距離が小さい場合であっても輸送することは可能で、今後、危険な地域であっても海上自衛隊が能力を維持しなければならない場合というもの、この場合に必要な基地機能は自前で維持できるのか、という視点からこれまで派遣が検討されてこなかった装備の派遣、その輸送方法など考えておくべきでしょう。
このほかには、陸上施設、特に政情不安地域では休養へ市街地を利用することはできません。ショッピングモールのようなものを移設することはできませんが、非常な緊張の続く地域において休養できる施設はどのように提供するのか、特に海上自衛隊の護衛艦はアメリカ海軍の水上戦闘艦と同程度の居住性ではありますが、個人用空間が極限まで狭く、戦闘第一の設計というべき状況で、水上戦闘艦である以上仕方ないのですが、欧州海軍の水上戦闘艦と比較しますとどうしても居住性に限界があります。
イギリス海軍の45型駆逐艦などは士官は全員個室、下士官は二人部屋と高い居住性を誇っていますが、そこまで行かずとも飲酒のための設備がある艦が欧州では基本で、海外での任務を考える場合、福利厚生施設をどうするかは考えなければなりません。海上自衛隊は既にP-3Cをジブチ航空拠点に基地要員を派遣しているのですが、航空集団と基地隊から派遣部隊を編成したとのこと。正直なところ、地方隊の任務ではないのだろうとは考えるのですが、自衛艦隊に福利厚生施設を統括する機構は無く、消去法で、地方隊の任務となるのではないか、ということ。
横須賀地方隊の隷下部隊としてアデン基地隊を新編し、もちろんほかの地方隊でもいいのですが、そこから人員を抽出し、陸上での休養設備と、個室に当たる宿泊施設や、酒類をも含めた飲食設備、陸上自衛隊の駐屯地などでは遊興施設がある事例が散見できますが、こうした設備を緊張状態においても維持できる民間業者の選定を含め実施する、という方向性は考えられないでしょうか。これは防衛というマクロの面から考えた場合、更に広い視野で考えられる我が国のエネルギー政策と外地での実任務増大の可能性とを併せて考えた場合、ということですので、先走り過ぎといえるのですが、現段階で海外任務の上限が示されないまま、その必要性のみ高まるよう国内政策が進展する以上、どうしても考えられない、というのが信念です。
そして何よりも重要なのは基地警備です。海外では、航空基地の警備については陸上自衛隊が実施しているのですが、基地警備を陸上自衛隊だけ位に存出来るのか、という点で、港湾部の警備となりますと難しいやも。勿論海上自衛隊の護衛艦には機関銃が増設され、海賊に対する臨検を行う際の準備としていまして、これは自動的に港内でのテロ対策にも寄与しますが、水中からのコマンドー接近、これに対して対応する能力は考えられなければなりません、即ち警備隊に当たる部隊を派遣する必要はあるだろう、というのが結論の一つ。
特に海上自衛隊の護衛艦はテロリストの標的として一定の価値を有しています。外国艦船、というだけでも高付加価値目標となり得るわけで、国際イニシアティヴという意味合いで参加するところに意義を見出し派遣するのであれば、これに対する攻撃目標としての価値も国際性を持ってしまう、という構図で、同時に近年は各国の港湾におけるテロ対策が強化されていることから相対的に従来の警備を一定程度の強化を行うという範疇では差異が生じてしまい、やはり港湾哨戒艇、これがなければ交通船に軽機関銃を搭載して対応する方式でもよいのですが、実施されるべきです。
地方隊の警備隊は人員規模が基地の規模と比較し、不十分である、ということはこの地方隊に関する連続記事の中でも指摘していますので、現状のまま派遣してしまっては、逆に本土の基地が手薄となってしまいます。人員不足は自衛隊の永遠の課題ではないか、という点は改めて提示することではないのですけれども、防衛計画の大綱において自衛官定数削減の潮流は緊張緩和に短所を見出し、これが奔流となり緊張増大の今日において、任務が増えるのと反面継続という実情。ですから、これはある意味最も難しいことではあるのですが、人員を増勢してもらうしかない、ということにはなるのですが。
護衛艦から手空き要員を抽出し、特別陸戦隊を編成して、というのは、少し考えることはあるのですけれども、そもそも海外派遣艦は辛うじて人員を充足させたものですから、余分な人員はありません。・・・、こう考えますとやはりここまでの提案を翻して、統合任務部隊を編成して、警備任務については陸上自衛隊へ依存し、海上自衛隊基地警備意外に需要施設警備として原子力発電所警備等にも応用できるという点を強調したうえで、訓練施設を、どの部署かが負担し、水中コマンドー対処訓練を重要施設警備訓練の一環としてお願いということも考えるべきなのでしょうか。
とはいえ、これは地方隊の任務から離れてしまうものでもあり、言い換えれば海外任務が増大し、自衛隊が編成上想定しなかったアフリカ地域での海外派遣任務の長期間の実施、海上自衛隊の同時多発テロ以降のアラビア海海上阻止行動給油支援、続いて海賊対処任務が開始され、海上阻止行動給油支援は終了していますが、結果的に自衛隊の中東アフリカ地域での任務は既に十年以上継続しているのです。国内の任務も緊張増大という現状のなか、人員増勢が出来ない、これはおかしいのではないか、という話に帰結するのですが、不利益を被るのは最終的に国民、自己責任という一言ではすまさ無いようにせねばなりません。
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◆第6師団中心の3500名が北海道へ展開
朝雲新聞によれば第6師団中心の協同転地演習が28日より開始されるとのことです。
陸上自衛隊は6月28日から8月1日にかけ、平成24年度協同転地演習を実施、東北方面総監渡邉隆陸将を担任官とし、東北南部を防衛警備管区とする第6師団を中心に東北方面隊管区から北部方面隊管区への長距離機動と師団規模の戦闘訓練や実弾演習を実施するとのこと。
演習規模は人員3500名、戦車20両、火砲30門を含む車両1000両、航空機10機が参加して行われ、自衛隊輸送艦、輸送機、ヘリコプターはもちろん、陸路、民間貨物船、民間フェリー、鉄道貨物輸送、旅客機までもを含む様々な方法により北海道へと展開、緊急展開能力を演練します。
北海道への展開は6月29日から7月8日にかけ実施され、7月8日と9日には北海道浜大樹海岸において海上自衛隊輸送艦からのLCACによる揚陸訓練を実施します。ちなみに、こちらは立入可能地域からの訓練見学が可能とのことで、戦車や火砲が揚陸する様子を見ることが可能な貴重な機会というべきでしょう。
協同転地演習はかつての北方機動演習に当たる陸上自衛隊の大規模部隊緊急展開訓練で、昨年の東日本大震災では、培われた陸上自衛隊の長距離展開能力が試され、文字通り奇襲というべき突然の緊急事態に際しても迅速に災害派遣部隊を東北地方へ緊急展開することが出来ました。
今回の協同転地演習は、北部方面隊管区では第5旅団管区の然別演習場において戦車や特科火砲による実弾射撃訓練が行われるほか、我が国最大の長距離射撃が可能な矢臼別演習場において広大な演習地を活かし部隊行進や集結地、防御戦闘等を実施し、特科火砲実弾射撃訓練と爆破訓練を行う、このように発表されています。
北海道での師団訓練は三週間弱、しかし、師団規模の部隊行動を実働で行うことは広大な演習場を有する北海道でしか不可能で、緊急展開訓練と共にこうした重要な要素もあります。部隊は7月26日から撤収を開始、展開と同等の方法にて師団管区へ戻り8月1日までに原隊へ戻るとのことです。
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◆第1特科隊 北富士駐屯地祭
本日、北富士駐屯地創設52周年記念行事へ行ってまいりました。取り急ぎG-12にて撮影した写真を用いて速報記事です。
北富士駐屯地、山梨県の駐屯地で第1師団隷下の火力戦闘部隊である第1特科隊、そして陸上自衛隊富士訓練センターFTCが置かれている駐屯地です。実は、いつもお世話になっている方が週末に行事に気づき、思い立ったら吉日ということか、行こう、と急遽お誘いを受け、これに便乗する形で初めて足を運ぶこととなった駐屯地記念行事、北富士駐屯地祭2012です。
北富士駐屯地祭ですが、今年度は第1師団司令部の練馬駐屯地祭、第1戦車大隊の駒門駐屯地祭、第32普通科連隊の大宮駐屯地祭、第34普通科連隊の板妻駐屯地祭と足を運ぶ機会に恵まれまして、ここまで第1師団の管区駐屯地記念行事へ足を運ぶのは初めてのことでした。
第1特科隊は、第1特科連隊を縮小改編して編成された特科部隊で、かつては二個中隊基幹の直接支援部隊の四個特科大隊の三個が駒門に駐屯し、もう一個大隊と四個中隊をもって全般支援にあたる第五大隊が北富士駐屯地に駐屯していた編成でしたが、現在は特科隊本部、本部管理中隊、情報中隊と四個特科中隊という編成、実質第五大隊のみ特科大隊は残ったというところ。
北富士駐屯地には第1特科隊のほか、富士訓練センターFTCの本部が置かれているのですが、主力部隊である評価支援隊第1機械化大隊は滝ヶ原駐屯地に駐屯しているため、部隊整列以外、観閲行進ではその強力な装甲部隊は参加しませんでした。しかし、FH-70榴弾砲の行進は勇壮そのもの。
FTCですが、北富士演習場富士訓練センターにおいて評価対象の中隊が如何にして損害を受ける可能性があるのかを体験させ研究させる目的で仮設敵を務める部隊ですので、非常に手ごわく、しかし、手強くなくては世界に通じる最強水準の部隊を練成することはできないとして、誇りを持って任務に当たっている、とはFTCの1尉さんのお言葉です。
式典には澤﨑伸二1佐が部隊巡閲と訓示を行ったのち、横内正明山梨県知事も祝辞を述べられ、続いて観閲行進、その後に訓練展示模擬戦が行われました。模擬戦には礼砲用の105mm榴弾砲が仮設敵と参加し、我が主力榴弾砲であるFH-70との違いを併せて展示したかたち。訓練展示模擬戦は久々に行われた、と北富士駐屯地祭常連の方に教えてもらいました。
北富士駐屯地、装備品展示に並ぶFH-70には照準装置が装備されており、覗く機会に恵まれました。聞くところでは重要装備で破損の危険性があるので中々取り付けての展示は行われないのだとか。隊員さんとの話は弾み、忍野八海という富士の湧水と水中洞窟の話や、ほうとうが名物であるという話をいろいろと教え頂いたのですが、忍野村の北富士駐屯地、やはり一杯飲みに行くのは大変なようです。
何しろ大変でした、最大射程撃った場合何処何処へ届く、という説明を聞くにも周りの土地勘がなく、相模原まで届くという話でしたので、なるほど相模原の位置から逆算して北富士はこのあたりか、と知った次第。晴天ならば富士山とFH-70発砲焔が見られるとのことでしたが生憎の曇り、ただ、評価支援隊の装甲車やFH-70の発砲焔などを撮影でき、帰路につきました。最後になりましたが、ご一緒いただきました皆様、現地でお世話になりました皆様、ありがとうございました。
北大路機関:はるな
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◆自衛隊が地域の最小限補給を支えるために
東日本大震災、死者行方不明者は二万をわずかに下回る水準ですが、災害関連死を含めた場合、二万を大きく上回ることが判明しています。
地震と津波から生き残った国民を死なせないためには毎時何t/何km輸送を何日間継続すればよいのか、橋梁破壊と道路障害を復旧させるための仕事量はどれだけなのか、これを明示しなければどれだけ部隊と装備を揃えるべきか要求が出来ないだろう、という点。津波被害、そして地震による被害から生き残った上で、しかし災害関連死と、という状況は絶対に避けなければならないところであり、特に新潟中越地震などでは地震そのものの犠牲者よりも災害関連死の件数が凌駕していたことを思い出します。これを避けるにはどうすればいいのか、それは避難所と、避難所での生活を改善、病院機能と負傷者搬送体制の刷新、これらを行うほかはないでしょう。対処療法的と言われるでしょうが、このほかに犠牲者を減らすすべはありません。
これはいわば第二の死、というもので、このうえない悲劇です。災害関連死を回避するには、適切な暖房や冷房により避難所の居住性を高め、震災当初であれば一時的に栄養失調を防ぐ事に主眼が置かれるべきですが、続いて健康被害が出ない食事体系への適切な移行、更には避難所での生活、過密状態等が起因し血管に障害が出来るなどの要因を回避するという面や持病などに対する震災下での壊滅したインフラ体系に際しても、平時医療基盤を最大限維持するということ、これらによってしか成り立たないでしょう。
さしあたって、重要となるのは民間インフラ復旧をいかに迅速に立ち直らせるか、ということで、これは自衛隊の能力では特に高架部分の復旧や錯綜地形の橋梁復旧は時間を要しますので民間の区分、言い換えるならば、その間の補給支援は道路が通行困難となる状況に際しては、やはり自衛隊が実施しなければならないということになります。即ち、輸送ヘリコプターや多用途ヘリコプターによる空輸、輸送艦や護衛艦艦載機からの物資輸送、場合によっては輸送機からの直接問うか、ということも真剣に考えられなければなりません。
上記の通りの問題ですが、大きな問題は自衛隊がどの程度の輸送能力を整備すればよいのか、防衛計画の大綱にはそもそも自衛隊に求められる輸送能力、24時間当たりの輸送トン数と輸送距離について、大まかな目安が無いのです。防衛計画の大綱、防災計画の大綱でもよいのですけれども、自衛隊は大規模災害という、文字通り国家的非常事態、つまり有事に際してどれだけの輸送能力を持っていなければならないのか、大綱は戦車や護衛艦に戦闘機の定数、それも予算削減の意味での上限というべき数字だけを列挙し、他方必要な輸送能力を明示しないというのは余りに後方支援軽視ではないでしょうか。
もちろん、数字の算出は複雑です。まず、航空自衛隊の輸送機を以て輸送能力を確保、と考えますと、王に際して、空港機能がどれだけ被害を受けるのか、というところに空輸能力はかなりの面が左右されるわけで、高知空港、南紀白浜空港は沿岸部から数百mの距離、徳島空港は滑走路が海上に延伸、関西国際空港は海上空港であることから、自衛隊輸送機の拠点となるべき航空基地が機能不随となり、伊丹空港や八尾空港に輸送機で全国から物資を集中させ、そこからヘリコプターにより輸送する、という方法になる可能性さえあります。
航空管制を空中警戒管制機に依存し、そのまま演習場への不整地着陸による強行輸送を行う、落下傘での輸送を行う、直線の高規格道路について航空機の発着に耐えるアスファルト厚確保区間を予め調査しておく、という方法はもちろん考えられるでしょう。特に空中警戒管制機による管制支援は、東日本大震災においてE-767が災害派遣で展開した際に、実際に航空管制を実施していますので、こちらは可能です。他方、落下傘を用いる、高速道路を用いる、これらはどうしても通常の飛行場利用に比較して、連続性と輸送能力に影響しますので、可能ならば空港復旧の即時化などを考えてもらいたい。
輸送艦については、恐らく相当規模の被害があった地域であってもLCACにより揚陸を行うことが可能でしょう。ヘリコプター搭載護衛艦に搭載される哨戒ヘリコプターや掃海輸送ヘリコプターもこの能力を最大限発揮することが出来ますし、陸上自衛隊や航空自衛隊のヘリコプターを輸送艦に展開させての輸送任務も十分能力を発揮することはできるでしょう、しかし、即座に展開できるヘリコプターはどの程度であり、これは被災地域の海岸線で例えば50kmあたりでは何機が必要なのか、ということ、そして平均してどの程度の輸送能力が必要になるのか、これは考えなければならないところ。
東日本大震災に際して、当時の東北方面航空隊長が報道陣に対し、当時の稼働機は8機であったことを説明しています。方面航空隊の定数は20機であったと記憶しており、もちろん、師団飛行隊への多用途ヘリコプター配備が開始されたことで、定数は変化しているのではないか、ということも考えられるのですが、それにしても重整備や定期整備のことも含めているとはいえ、稼働機8機は少なすぎ、方面航空隊の充足率と稼働率は真剣に考えてゆかなければならないのだ、という印象を特に強く感じました。
次期多用途ヘリコプターについて、師団及び旅団飛行隊用の装備は先日川崎重工が開発を受注しましたが、方面航空隊用のものは例えばEC-225やCH-101のような、もう一回り大型の機体が装備されていてもいいかもしれません。UH-1やUH-60と同程度の輸送力で十分ならば川崎重工が開発する次期多用途ヘリコプターに統合できますし、不可能ならばもう少し大型の機体を、ということ。これは最終的には今回の命題とした輸送能力がどの程度求められるか、という一点に集約され、その一機あたりの輸送能力をどのように見込むのか、という点が結論を左右するのですが。
ただし、ヘリコプターについては物資輸送と同時に捜索救難任務にも多用される、ということを忘れてはなりません。もちろん、此処で定義する捜索救難任務には、孤立地域からの住民救出という任務が含まれるので、救出した住民は孤立地域から後方のある程度インフラを復旧した、もしくは被害を受けていない地域の避難所へ搬送するのですから、この問題点はある程度片付くのでしょうけれども、例えば長期浸水などにより市街地から救出する必要のある被災者の見積もりなど、併せて孤立地域で、ある程度安全性が確保されている一方で物資輸送が行わなければ生命維持に問題が生じる、此処では災害関連死を意味するのですが、これを防ぐ輸送力の在り方、まず検討されるべきです。
この点で重要なのは、南海トラフ地震が発生し、道路、特に橋梁破壊や路盤崩壊から復旧し、民間の輸送車両、その数から圧倒的な輸送力を持つトラックやバスなどが通行可能な状況となる迄の必要な期間をどのように見積もるのか、という国土交通省の試算が先に啼ければなりません。なぜならば、輸送能力全体から考えた場合、我が国において単に一地点から一地点への輸送能力であれば圧倒的に民間の輸送能力が多い為に他ならず、この見積もり如何で必要な輸送能力が根本的に違ってくる、ということ。
即ち、現時点で我が国には橋梁だけで建設から40年以上を経て耐震改修が必要な老朽化橋梁が33000程度あり、しかも南海トラフ地震の想定震源域を見た場合、峻険な地形、陸上自衛隊の応急架橋では対応することが難しい高架部分などの崩壊が現実のものとなれば、再開通へかなりの時間を要することが考えられるためです。例えば、トンネルが崩壊する場合や、代替防災道路が整備されていない場合、更には無駄な公共事業として有事の際にはう回路となる林道の建設が制約されていることがこれに拍車をかけ、民間交通の恢復までの期間、これは同時にその地域が孤立する期間を意味するのですが、長期化する可能性があるのです。
自衛隊の輸送能力はどうあるべきか。これはWeblog北大路機関において繰り返し強調しているのですが、任務本位であるべきと考えます。稼働率や安さではなく、非常時にその能力を発揮できれば、どうだってもよい、ということ。数字の上での帳尻合わせで有事の際に多分稼働率は根性で上がる、ということや、トン数と機数を単純に割り算し気象条件などで変化する輸送能力を無視して南紀程度あれば大丈夫、というところではなく実任務で必要な輸送力を責任と共に算出し、この輸送力を政治が責任を以て予算措置を採らなければなりません、何故ならばそのための政治への権利の委託なのだから。
どれだけ輸送しなければならないのかを画定しなければ方向性のない能力整備し亜不可能になります。これを何とかしなければならない。適切な輸送により避難所へ物流体制を確保し、可能な限り早い時期に通常生活への切り替えを支援する、小規模避難所であれば輸送ヘリコプターによる地域疎開を同時に行うと共に後方の安全地域における宿泊施設の借り上げを行う、災害を生き延びたにもかかわらず衰弱する災害関連死、これは制度としての問題に起因するものであり、これを防ぐ輸送能力の在り方は、ヘリコプターや空港施設と輸送機、それに海上からの輸送艦と護衛艦艦載機などから適切に判断されなければなりません。
北大路機関:はるな
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
◆自衛隊関連行事
台風本土上陸、梅雨なのに今週は台風一過の晴天と時々豪雨、豪雨被害に脅かされる最中ではありますが皆様如何お過ごしでしょうか。
今週末の自衛隊行事ですが、陸上自衛隊関連では筆頭に第一特科隊の北富士駐屯地祭。北海道で島松に滝川と二つ駐屯地祭があり、そして海上自衛隊の艦艇一般公開では四国で護衛艦いせ、うみぎり一般公開。このほかミサイル艇が佐渡と留萌にて一般公開、こんな予定になっています。
北富士駐屯地祭。山梨県の駐屯地で、第1師団隷下の第1特科隊が駐屯、FH-70の威容と迫力を展示するほか、全自衛隊の中隊を仮設敵として恐怖のズンドコに陥れる富士訓練センター通称FTCが置かれています。部隊訓練評価隊第一機械化大隊は滝ヶ原駐屯地に駐屯しているのですが、隊本部は北富士に駐屯です。第一機械化大隊の車両は出てくるのでしょうか。
滝川駐屯地祭、第11旅団隷下の第10普通科連隊が駐屯しています。第11旅団隷下の普通科連隊はかつては第18普通科連隊のみ完全装甲化連隊でしたが、現在は各普通科連隊の第三中隊が96式装輪装甲車により装甲化、軽装甲機動車と高機動車による混成編制として多様な任務への対応を担う普通科連隊となっています。
島松駐屯地祭、北海道補給処本処が置かれている需要な駐屯地で、このほか北部方面後方支援隊本部、そしてその隷下部隊に第101全般支援大隊等が駐屯しているほか、第1高射特科群第303高射中隊、第304高射中隊等が駐屯しています。札幌と千歳の中間あたりの位置ですね。
海上自衛隊の一般公開は、今週末は四国での一般公開が注目です。明日23日土曜日、ヘリコプター搭載護衛艦いせ、高知県高知市の高知新港にて一般公開があります。満載排水量19000tの大型護衛艦、高知で一般公開。海上自衛隊HPによれば一般公開は土曜日のみ、日曜日の一般公開はありませんのでご注意を。
護衛艦うみぎり、徳島県の小松島港赤石岸壁にて一般公開が行われます。いせ、うみぎり、共に第4護衛隊の護衛艦ですが、うみぎり一般公開は23日土曜日と24日日曜日に行われるとのこと。もしかしたらば、土曜日に護衛艦いせ見学、日曜日に護衛艦うみぎり見学、という方もいらっしゃるのでしょうか。
佐渡と留萌ではミサイル艇が一般公開予定です。新潟県佐渡市両津港では23日土曜日と24日日曜日ミサイル艇はやぶさ、中央埠頭先端岸壁にて一般公開の予定で、北海道紋別市留萌港でもミサイル艇一般公開が23日土曜日と24日日曜日に予定、こちらは艦艇名は記されていません。刺しあたって、探した行事は以上の通りです、航空自衛隊の行事は今週末在りません。ただ、ご覧になっている方で、お気づきの点、ほかに駐屯地祭が行われる、護衛艦一般公開が行われる、インド艦が今週はインドの軍港に入港するなどのご情報を持ちの方、最後のもの以外ありましたらお教えいただけると幸いです。
◆駐屯地祭・基地祭・航空祭
◆注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
◆真駒内駐屯地祭2011 第一回詳報記事
2011年6月19日に行われた真駒内駐屯地祭を詳報にて掲載してゆきたいと思います。
第11旅団創設記念行事、あの東日本大震災から僅か三カ月と一週間を経て実施された駐屯地祭です。この前日に行われた美唄駐屯地祭とともに陸上自衛隊駐屯地記念行事が震災後再開された最初の行事ということもあり、ここはひとつ、と空路にて長駆北海道へと飛びました。横浜や東京と比べ、節電しているとのことですが札幌の夜景は賑やかで、日常の大切さを感じたところ。
実のところ、真駒内駐屯地祭は、その後多くの駐屯地祭にてお会いする方々との初対面となる貴重な機会となりました。前日の美唄駐屯地祭にて開門前に並んだ方と意気投合し話していまして、どちらから?当方は京都から、と話しますと、大津や大阪に神戸と、・・・、あれ?ここ札幌だよね?、と。
真駒内駐屯地は札幌市にあり、札幌市営地下鉄にて直接足を運ぶことが出来ます。しかし、かなり広い駐屯地だぞ、とは中の方のお話、話半分で札幌市内と足を運べば、それはもう広大な駐屯地、聞くところでは札幌市内に羆が出没している時期で、その昔、明治時代に住民に大被害を与えた三毛別羆害の話しを思い出し、駐屯地に入るまでは油断できないな、そういう気合いで駐屯地へ進みました。
初めて足を運ぶ駐屯地ですと、やはりどこから撮影したものか、これは迷うわけです。観閲台周辺のスタンド席や椅子席を考えるのですが、それでは観閲行進は真横から一枚に2~4両だけしか映らず、迫力が無くなってしまいます。それならば、と正面から観閲行進を撮影できる場所を選んだのですが、この場所、木陰で涼しく、式典の始まる時間まで過ごすことが出来ます、いい場所だ。
観閲部隊の式典会場入場。音楽隊の演奏と共に合図を待って部隊が整列位置へ進んでゆきます。多い、隊員さん多い。真駒内駐屯地、第11旅団司令部および付隊、第18普通科連隊、第11特科隊、第11後方支援隊、第11戦車大隊、第11高射特科中隊、第11施設中隊、第11通信中隊、第11偵察隊、第11音楽隊。第11旅団隷下部隊だけでこれだけ駐屯しているのですから広いはずです。
旅団長にゅじょう。真駒内には北部方面混成団、東千歳駐屯地に団本部を置く方面直轄混成団ですが第1陸曹教育隊が東千歳駐屯地に置かれているのですけれども第52普通科連隊と第120教育大隊と冬季戦技教育隊が真駒内駐屯地に駐屯しています。冬季戦技教育隊は、陸上自衛隊における冬季最強の遊撃部隊として訓練の厳しさと精強さで知られる部隊、北海道に軍事的野心を固める勢力は冬季のこの部隊の強烈な洗礼に耐えなければなりません。
さて、参加部隊ですが総勢1000名を超えています教育大隊は新隊員教育を受け持つことから、新隊員の父母向けにほぼ全員が式典に監査するのですから、式典参加部隊は多くなるということ。撮影位置は整列した部隊を真横から一望する位置に展開しましたので、部隊敬礼における旗の敬礼動作に際しては、同時に数多くの旗が振り上げられ、壮観そのもの。
国旗入場。全員起立です。考えてみれば北海道の行事と言えば、東千歳駐屯地祭には何度も足を運んでいるのですが、そのほかの行事となりますとどうしても距離の大きさにより気軽に行けない、というものがあります。そういえば、いろいろなところでお会いする方で、関空から千歳方面の駐屯地祭へ日曜日日帰りで足を運ぶという方が、正直凄いなあ、と感心してしまいますね。
巡閲。真駒内駐屯地駐屯部隊は、このほか第1特科団第1特科群第133特科大隊のMLRS部隊、北部方面後方支援隊第102全般支援大隊、第101特科直接支援大隊、第1直接支援中隊第5直接支援小隊北部方面輸送隊。北部方面衛生隊、北部方面音楽隊といった部隊が駐屯、加えて第314基地通信中隊、第325会計隊、真駒内駐屯地業務隊、第120地区警務隊本部、自衛隊札幌地方協力本部、南部地区隊が駐屯しています。
第11旅団長吉田明生陸将補が観閲官を務め、副旅団長兼真駒内駐屯地司令安藤正一1等陸佐が式典執行責任者となっています。幕僚長松戸厚1等陸佐以下4000名が旅団を構成しており、真駒内駐屯地駐屯部隊のほか、旅団隷下部隊には函館駐屯地第28普通科連隊、滝川駐屯地第10普通科連隊、丘珠駐屯地第11飛行隊という編成です。
第11旅団長吉田明生陸将補の訓示では、記憶にまだ新しい東日本大震災への自衛隊の対応と第11旅団の災害派遣などに触れつつ、北海道を含めた我が国全体への軍事的脅威は未だに顕在であることに触れ、国民と共にある自衛隊こそが強く在ることが出来ると強調した内容でした。しかし、東日本大震災、札幌でも揺れていたとのことで、即座に情報収集体制をとった、陸上自衛隊の即応体制の高さは毎回災害のたびに感心させられる。
そうしたうえで来場者へは、これから厳しい道へ敢えて歩む新隊員一人ひとりの面持ちをどうか見てやってほしい、と締めくくりました。この最後の部分の訓示、心打つものがりました。色々ありまして、指揮官の訓示というものは耳にすることが多い当方なのですけれども、一年を経て内容が記憶に刻まれる訓示というものはなかなかありません。
元第7普通科連隊長で参院議員の佐藤代議士、第11旅団記念行事でも祝辞を述べられていますが、前日の美唄駐屯地でも祝辞を述べられていました。しかし、土曜日と日曜日の行事ですが、土曜日の午前中に美唄での行事に出席した後、なんとその土曜日夕方には北関東にて公用があり、なんと東京を往復しての式典参加、これは凄い。
祝辞は新党大地の議員候補の方も。地域政党というものについて、どうしてもジェレミベンサムなどを輪読しますとあり方というものについてやはり疑問符を持ってしまうのですが、ガブリエル-モンドを輪読会で討議しますと、まあ、納得するしかない、ということになります。この点“変化をどう説明するのか”という三冊の体系書があるのですが、これも理解の一助となるのかと。
そのように、まあ、・・・、思ったわけではありませんがこの一冊がカメラバックに入っていて読んでいたので、ちょっと祝辞聞いていませんでした。祝辞のほか祝電披露など進んでゆきます。六月の北海道は思いのほか初夏というべき日差しですが、木立の下、買っておいた飲み物に時々片手を伸ばし、ゆっくり腰を落ち着けての撮影、さて、式典はこののちどのように進むのか。
観閲行進準備の号令がかかります。式典参加部隊が非常に多いことから、準備へ、部隊が動いてゆく情景だけでも壮観。周りを見ますと、この撮影位置、よかったですよ、そういいますのも、椅子席などスタンド席周辺についてはかなりの混雑となっているのですけれども、この周りですとまだまだ撮影位置に余裕があるのです。
そ・し・て、ですね、迷うのは、この一では正面からしか映らないのではないか、もう5m上手に、やや、もう3m下手に降りたほうが車列が、待った観閲飛行部隊は恐らくあの方向から進入するだろうし、いや、戦車の方向転換御場所が恐らく、と。・・・、結局迷うのですよ。ここでどの程度混雑しているのかにより自由度は違ってくるのですが、余裕があるとかえって迷ってしまう。
観閲行進準備の号令と共に観閲行進参加車両の待機位置へ整然と行進してゆきます。ここから北海道道南地区の防衛警備及び災害派遣を担当する第11旅団の機械化部隊が観閲行進を進むのですが、その迫力の様子は次回の掲載とします。次回の掲載ですが、南海トラフ地震連載、地方隊への一考察連載とともに、十日以内、次の記事を順次掲載してゆく方式とします。
北大路機関:はるな
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