北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

MD552(旧DD13)型ディーゼル機関車 名古屋臨海鉄道東港駅にて撮影

2008-01-31 17:11:23 | コラム

■練習艦隊名古屋寄港の日

 30日2330時頃、Weblog北大路機関はアクセス解析開始から31万アクセスを突破しました。ありがとうございました。さて、名古屋港に海上自衛隊の練習艦隊が寄港した当日、入港の様子を撮影した後、小生はジョニー氏の愛車にて艦艇見学のために名古屋港に便乗させていただいた。

Img_6383  今回は、その道中に立ち寄った名古屋臨海鉄道の貨物列車とディーゼル機関車の写真を掲載したい。なんでも、ここで運用される旧国鉄DD13型ディーゼル機関車は今日的には数少ない貴重なものだとか。そもそも、ディーゼル機関車自体、京都界隈の路線では貨物輸送を含めてお目にかかれないので、そういった意味で小生には珍しいものである。

Img_6341  名古屋臨海鉄道は、名古屋東港地区における貨物輸送を一手に引き受ける会社で、旅客輸送は行っていないとのこと。かつては、名鉄線を利用し、国鉄線から乗り入れていたのだが、名鉄線の旅客輸送量の増加と高度経済成長に伴う貨物輸送量の増大により、独立した貨物路線の必要性が認識されたことが背景にある。

Img_6350  名古屋臨海鉄道と名鉄築港線は平面交差の部分があり(むかしの阪急神戸線西宮北口駅のような印象)、名鉄ファンにはこの部分で有名なのかな、と思ったり。貨物駅ということで、石灰などの輸送車輌や燃料など液体貨物を運搬する車輌などが並んでいる。日曜日ではあるが、この日も貨物輸送を実施していた。

Img_6362  DD13型ディーゼル機関車。正確にはND552型と呼称するらしい。

 車体前部のヘッドライトは一つ目型で、これが今日的には貴重なんですよ、とC.ジョニー氏。臨海鉄道に相応しい海をおもわせるスカイブルーの車体が眩しい。

Img_6364  この名古屋臨海鉄道は、名古屋港港湾組合と国鉄が出資した珍しい経緯があり、操業は1965年、パノラマカー登場のあとという鉄道会社である。トヨタ自動車の部品を専用に運ぶ列車などもあり、貨物基地であり車輌基地ならではの喧騒と活気が冬の寒空にほの暖かい印象を撮影する我々にも与えてくれる。

Img_6396  安全第一の標語を背景に無線で指示を飛ばす係員。貨物基地では何度も見た光景であるが、無線一つで片手を機関車に預け、自動化が如何に進もうと必要な熟練機関区員。微調整を行うその姿は陸の船乗り、といった印象。車体番号をみると、DD13ではなくND5527という文字が見える。

Img_6393  幾つか見ることが出来た車輌。DD13と書かれた車両もあったようだ。車体の整備具合から推測して廃棄車輌なのだろうか。この車体は見慣れた旧国鉄塗装で、背景の工場群や煙突と併せ、ここだけがまだ昭和の匂いを感じることが出来る。ちなみに、このDD13系列は、C.ジョニー氏によれば除雪用などでJRでも僅かに残っているとの事。

Img_6400  今回の撮影には当然ながら、車輌基地の外から撮影した。一段低いところに道路が走っており、見上げるような車輌のアングルを撮影することができる。一行が撮影している最中にも脚立持参で撮影を行われている方もいた。フェンスの向こうの車輌基地、車体はやや古いが、活気は今尚現役の車輌そのものである。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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国鉄419系電車 ユーモラスな面持ちは今なお北陸線で現役!

2008-01-30 14:50:24 | コラム

■国鉄型

 名鉄7000形電車、阪急6300系電車、新幹線100系電車というように、一昔の時代の車輌というのは、見慣れた、ということではないのだが、興味深いものが多い。今回特集する国鉄419系もその一つ。

Img_4492  この二枚は昔、米原駅で撮影。米原駅で乗り換えを待っていると、敦賀方面に向かう列車で特急車輌のような面持ちの列車を良く見かけた。見かけた、と過去形を用いている理由は後述する。この419系は、1966年に登場した寝台電車583系を電車としたもの。つまり元々は特急車輌であったのだ。交流直流切替装置を搭載しており、西日本管区内では、北陸線で運用されている。

Img_4496  しかし、2006年10月に長浜~敦賀間が直流化されたため、新快速がそれまで長浜までであったのが、敦賀まで乗り入れるようになり、419系は米原まで来ないようになったのだが、てっきり廃止されたと勘違いしてた小生(オイオイ!)。何分、学友や尊敬する先生が居り、10師団も置かれる名古屋へはよく行くが、金沢大学には、最近まで知り合い居なかったし、金沢道中、敦賀で一枚!という機会は少なかったりした。

Img_0091  ということで、大晦日鉄道大作戦!敦賀を経由して舞鶴へ行く!という『環丹波近江一号作戦!』を発動した。本作戦の任務は、京都からあえて山陰線や湖西線を用いず、新快速を最大限利用し、名古屋からのC.ジョニー氏と合流、北陸線に入り敦賀へ到達、小浜線を通り舞鶴を撮影、山陰線にて京都にいたるという作戦である。意義は無い。

Img_0092  結果、琵琶湖(近江)を一周し、丹波山地を一周するという。・・・、まあ、やってみたかったわけだ。写真は北陸線の重要なポイント地点を護る為に設置されている天蓋。豪雪地であるがゆえに、ポイント切替部分が積雪により機能喪失を受けないようにする方策。さっそく雪が降り始めている(予報は豪雪)。

Img_3634  で、まあ、お楽しみの419系なんですが、なんといいますか、敦賀駅には居ませんでした。いやあ、413系なら居たんだけどね。ううむ、残念。聞くところでは、可能性として北陸新幹線開業まで生き残るのでは?という話も。写真は敦賀の車輌基地にて撮影。車輌基地の様子は北陸本線の車輌内から見ることが出来るが、223系速すぎ!ピンボケになってしまった(責任転嫁)。いや、スマン、当方の技量不足でした。

Img_3635  もともとが寝台電車という形式であるので、車内は向かい合う方式のボックスシートを採用している。聞くところでは車内の座席間隔は非常に広いのだが、配置や車内は通勤用途には使いにくいのだとか。写真の扉の大きさや、元々の寝台車輌(現在は寝台施設は撤去)ならではの窓の配置などが、一般の人には使いにくいのだとか。

Img_0095  敦賀駅で粘りたいのは山々なれど、東舞鶴までの区間快速の時間(本数が少ない)もあったので断念。しかし、敦賀駅に到着する特急日本海や485系の特急雷鳥などが撮影できたので良しとしたい。419系だけれども、混んでる小松航空祭(そもそも行けるのか?)の時には無理だろうし、いっそ鯖江駐屯地祭に行ってみてその際に撮影、とか、ううむ、金沢大学で当方研究内容と合致するような学会とか開かれないかなあ、とも。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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平成十九年度二月期 陸海空自衛隊主要行事詳報

2008-01-29 14:57:29 | 北大路機関 広報

■2008年2月期予定

 2008年2月期には陸上自衛隊駐屯地祭、海上自衛隊展示訓練、航空自衛隊航空祭などの一般公開行事は開催されないようである。ただ、音楽祭などのイベントは広く行われているようで、検索した範囲内で掲載したい。

Img_3852  24日開催、2月4日必着で海上自衛隊舞鶴音楽隊定期演奏会の情報が舞鶴地方隊HP()に出ていた。

 三月には練習艦隊の近海練習航海(その2)が実施されるようで、情報では大阪港にも来るようである。舞鶴基地は毎週週末に桟橋を一般に開放しているが呉基地、佐世保基地でも同様の艦艇広報というものを行っているようなので、足を運ばれてみては如何だろうか。

Img_1220  ニミッツ佐世保寄港。21日付長崎新聞HP掲載記事()によれば、関係者の情報としてアメリカ海軍原子力航空母艦「ニミッツ」が2月11日に寄港するとのこと。五日間、佐世保の中央部に停泊する予定で、記事によれば護衛のイージス艦四隻も九州の各港に分散寄港するとのこと。ただし、記事は最後に「外務省から佐世保市への正式な通知は無く、日程などは流動的」とある(写真はキティーホーク)。

Img_1192  横須賀市HP()によれば、日米親善目的での横須賀市内&横須賀基地清掃を行う第45回日米親善アースデーが2月10日に行われるとの事。先着30名対象で、0930時にJR横須賀駅寄りのヴェルニー公園に集合。清掃終了後にBBQの軽食と表彰式が行われるという。解散は1230時。とりあえず、米軍基地を清掃ということで立ち入ることが出来るようだ。

Img_3708  朝霞駐屯地の陸上自衛隊広報館では毎月イベントが行われている。詳細はHP()を見ていただくとして、2月9日、10日には装備フェアとして1000~1500時までの間、化学科部隊の装備展示や自衛隊車輌(73式大型トラックなど)の体験試乗が行われるとの事。生物偵察車は恐らく第1師団にも配備されているはずだが(というのも昨年の千僧駐屯地祭で出たので少なくとも同じ政経中枢師団の3師には配備されている)出てくるのかな?。3月8日実施予定だが、応募が2月17日までという東京周辺上空体験飛行、申し込みが広報館で行われる。23日、24日にはスプリングフェアとして野外炊事車の体験喫食が行われる。糧秣には限りがあるのでお早めに、とのこと(写真は守山駐屯地)。

Img_9252_1  京都地本HP()によれば、2月8日応募〆切、3月15日実施の奈良基地音楽祭の情報が出ていた。演奏は航空自衛隊中央音楽隊が行うとの事。広島地本管区で3日に大和ミュージアム駐車場で、9日に福山市天満屋ハピータウンポートモールにてミニ防災展示がそれぞれ行われる。詳しくは広島地方協力本部HP()にて。中部方面音楽祭の応募は終了しているようだが、中部方面隊HP()によれば、中部方面音楽隊第22回室内楽演奏会が29日に宝塚市で開催される。入場整理券は現地で配布されるとのこと(写真は明野駐屯地)。

 この他、皆さんがご存知の自衛隊関連、米軍関連のイベント情報や寄港広報などありましたら、リンク先とともにコメントしていただければ幸いです。

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。

■北大路機関

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厚木航空基地ちびっこヤングフェスタ2007 装備品展示編

2008-01-28 14:11:16 | 海上自衛隊 催事

■対潜・対艦装備と救難装備

 厚木基地ちびっこヤングフェスタ2007、最終回の今回は装備品展示について掲載したい。次回からは大久保駐屯地祭の特集(詳報)を掲載しようと思う。

Img_0808  海上自衛隊の哨戒ヘリコプターUSH-60K,今後の主力哨戒ヘリコプターとなるSH-60Kの原型である。海上自衛隊の組織改編については防衛予算19年度概算要求の27㌻を確認すると航空集団隷下に統合される、とある。地方隊から実戦部隊の航空隊を移管し、同時に地方隊の護衛隊を護衛艦隊に統合するという構想に疑問がないでも無いが、指揮系統の簡潔化という観点からは評価するべきなのだろう。

Img_0630  さて、哨戒機にしても対潜ヘリコプターにしても、潜水艦や水上艦に引導を渡すのは各種装備である。写真のハープーン対艦ミサイルはP-3C哨戒機から運用するミサイルで、護衛艦の対艦ミサイルとして、また潜水艦発射方式のものが海上自衛隊で運用されているが、写真のものは哨戒機から発射されるAGM-84.なお、艦載型のものはRGM-84,潜水艦用のものはUGM-84として運用され、この二つには空中発射型のもとに加えて発射ブースターが装備されている。

Img_0737  ハープーンは世界の艦船別冊『艦載兵器ハンドブック』に掲載されたUGM/RGM-84ブロック1D(現行生産モデル)のデータを引用すると射程は200km前後、弾頭はHE222kg、誘導は慣性航法方式とアクティヴレーダー誘導方式で、ターボジェットエンジンにより推進する。原型は1977年にマクダネルダグラス社により開発された。

Img_0634  写真はMK46魚雷。原型はアメリカにより1967年に開発され、航空機から投下する他にも艦載のアスロック弾頭として、艦載短魚雷として運用する。航走距離は現行モデルのMOD1で11km、雷速は40ノット、機能深度は460㍍。弾頭は44kgで、米海軍、海上自衛隊とNATO海軍により広く運用されている。

Img_0639  写真の魚雷は、ダミーのもので、解説には「投下訓練などに使用」とある。

 しかし、よく魚雷本体を見てみると「投下訓練使用禁止」とある。ううむ、どっちなんだか・・・。

 なお、海上自衛隊には73式魚雷や97式魚雷など、航空機から運用する魚雷が配備されている。

Img_0631  67式150キロ対潜爆弾米海軍のMK54対潜爆弾を国産化したもの。いわゆる航空機運用爆雷で、観艦式などでP-3Cから投下されていた。爆弾尾部に安全装置としてアーミングワイアに連動したピンが装着されており、取り外された上体で高速落下すると安全装置が実火状態に入る。安全装置ついていたが、これもダミーなのかな?。

Img_0735  一番大きいものが救命浮舟MK-7A、六人乗りの装備で、航空機が遭難時に機外に投下し炭酸ガスによって自動膨張して運用する。浮遊遭難者を発見した場合にも用いるとか。

 隣に置かれているものは、一人用救命筏PK-2A,やはり航空機から投下し、自動膨張させ運用する。

Img_0738  救難飛行展示において投下されていた物量傘。小さい方が5kg物量傘(5kgコンテナ(改))、大きい方が20kg物量傘(20kgコンテナ(改))。投下する前はこういった形状。尾部に落下傘が装着されており、投擲すると自動的に開傘し、制動落下する。

Img_0736  救命胴衣LPU-N1.航空機搭乗員が装着し、緊急時には十秒以内に自動で膨張し、27.2kgの浮力を得る。

 救命胴衣本体にも、いくつかのポケットが装着されており、着水後に航空機が水没した際に安全に脱出する緊急用空気ボンベや様々なサバイバルキットが装備されている。

Img_0743  隊員に手招きされて少年がミサイルの横へ、そしてポーズ。

 ちびっこヤングフェスタとか彼らのような少年少女が主役の行事と言う印象である。飛行展示が少なく、地上展示機も決して多く無いが、同時に人口密度も少ない。なるほど、白レンズにISレンズが跳梁跋扈する航空祭と比べれば、家族で楽しめる基地一般公開、ちびヤンとはそういう印象の行事であった。

HARUNA

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海上自衛隊練習艦隊 四隻にて威風堂々の名古屋入港

2008-01-27 20:50:06 | 海上自衛隊 催事

■練習艦隊名古屋寄港 速報

 ここから見ると、あの街が、まるで蜃気楼のようにみえる・・・。某映画の一幕のような台詞ではあるが、文字通りそんな印象。快晴の伊勢湾に陽炎が浮かぶ。

Img_2511  快晴の大空の下、C.ジョニー氏が指差した方角、伊勢湾の陽炎から練習艦隊の威容が望見出来る。

 練習艦「かしま」。艦番号は3508、呉基地の練習艦隊旗艦を務め、満載排水量は5400㌧、訓練を行う上で必要なシュミュレータを搭載し、125名の実習生を含む360名が明日の海上自衛隊を支える為に日々訓練に励んでいる。

Img_2516  陽炎の上に浮くような情景。練習艦「しまゆき」が「かしま」に続き入港してくる。護衛艦隊の近代化を一気に推し進めた「はつゆき」型護衛艦の最終艦(12番艦)として1987年に就役した本艦は1999年に練習艦に種別変更を受けた。蒸気タービン艦が多数を占めていた練習艦隊にガスタービン艦として導入された。満載排水量は4200㌧、練習艦種別変更に伴い、ヘリ格納庫部分にプレハブ式の講堂を設置している。

Img_2520  DD158「うみぎり」。今回寄港の近海練習航海部隊において唯一の護衛艦、呉基地の第4護衛隊群第8護衛隊に所属。「あさぎり」型護衛艦の最終艦(8番艦)として就役し、本艦の就役を以て「はつゆき」型とともに4個護衛隊群体制を担う20隻の近代的な汎用護衛艦が揃った。満載排水量は4950㌧。しかし、本当に陽炎に浮いているような印象である。

Img_2535  艦隊の殿を務めるのは練習艦「あさぎり」。「あさぎり」型のネームシップとして1988年に就役した。2005年に護衛艦から練習艦に種別変更を受け、前年に二番艦の「やまぎり」が練習艦に種別変更を受けていたことから、こうして練習艦隊のガスタービン艦化が完了した。本日は、速報記事にて、非常に不鮮明ながら、陽炎に浮く艦艇写真を掲載した次第。最後になりましたが、現地でお世話になりました皆様、ありがとうございました。

HARUNA

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海上自衛隊近海練習航海部隊 名古屋寄港 (2006.03.26)の模様

2008-01-26 17:06:11 | 海上自衛隊 催事

■明日、名古屋入港

 海上自衛隊近海練習航海部隊が明日名古屋港に寄港する。今回は2006年三月に撮影した名古屋寄港の様子を紹介して、おおまかなタイムスケジュールの参考となりそうな記事としたい。

Img_9720  近海練習航海部隊として明日、練習艦「かしま」を旗艦として、「あさぎり」型、「はつゆき」型護衛艦と練習艦が入港する。しかし、関係機関の広報で紹介されていた入港時間に到着すると既に接岸終了、ということもある。艦内見学だけが目的ならば、それもいいかもしれないが、写真のような入港する様子も、と考えていた方には残念な結果になってしまうかもしれない。そこで今回は、2006年のタイムスケジュールを紹介したい。

Img_9767  入港と一口に言っても、湾内に入港してからタグボートに支援されての接岸作業、そして更に入港歓迎行事が行われることも多い。単なる補給の為の寄港ではなくて、訓練の一環としての寄港であれば、2006年の名古屋寄港にしても、2007年の神戸寄港に際しても入港歓迎行事は行われていた。

Img_9668  2006年3月26日、0826時に練習艦「かしま」が名古屋港の埠頭からその姿をみせた。写真は0828時撮影、「かしま」に続いて「あさぎり」型護衛艦が続いている。すでに「かしま」の隣には入港作業を支援するタグボートが並行している。名古屋港は晴天であれば逆光、入港時に霞が掛かっているという状況になればこのような情景になることも。

Img_9690  0836時、「かしま」がタグボートに支えられ接岸作業に移る。接岸作業は「かしま」から開始された。この接岸作業と同時に名古屋市の守山駐屯地から展開した第10音楽隊の隊員が入港歓迎行事参加のために待機位置から移動を開始した。

Img_9713  0843時、接岸作業をほぼ完了した「かしま」に続き、二隻が入港する。接岸作業の魅力は、艦艇が旋回などを行うので、様々な様子を撮影することが容易な点。接岸作業中は埠頭は安全確保のために立入が制限される。十月に砕氷艦「しらせ」が入港した時よりも、複数の艦が入港するこのときの方が立ち入り制限の区域は広かったようにも記憶するが、作業がひと段落すれば立ち入ることができる。

Img_9702_1  「世界の艦船」に掲載される艦型図をそのまま写真にしたような情景。写真は練習艦「やまぎり」。0855時頃に撮影した写真。満載排水量で5000㌧前後の艦艇というのは、入港作業でもこれだけ時間を必要とするものである。この写真を撮影した後、タグボートの支援で回転し、接岸した。接岸完了は0907時頃。

Img_9717_1  練習艦「やまぎり」。更に護衛艦「あまぎり」が「かしま」と目刺係留(並んで係留する方法)をおこなった。目刺係留は、艦と艦の間に防舷材などを挟む必要がある。

Img_9749  入港し接岸する際は最も注意を必要とする瞬間。0908時に撮影した写真。まず細いロープを丸めたものを投擲し、それに伝って接岸渓流用のロープにて埠頭と艦を繋ぐ。細かな指示は大声と無線でやりとりする。ここまで艦が近付くと、広角レンズで艦容を撮影するよりも、こうした作業の様子を撮影してみるのもいいやも。

Img_9752  乗員がロープを曳く。

 入港時の船舶往来量の多い状況における操艦、そして、こうした接岸作業は、教育訓練の一つの成果であり、いかに高度な戦力を保持していようとも、また、規模を揃えていても、練度というのは端的に現れるものである。0910時頃にはほぼ全ての入港と接岸作業が終了していた。

Img_9756  入港歓迎行事に参加するべく艦を降りる候補生と乗員たち。このとき0915時。入港歓迎行事は0930時頃に行われた。

 なお、この日は、入港作業と歓迎行事が終了した後、艦艇の一般公開、第10音楽隊の艦上での演奏などが行われた。

Img_9735_1  乗員の行進。名古屋港で、だいたい艦艇がみえてから接岸作業を終了するまではこの時では40分、入港歓迎行事が終了するまでが更に20分ほど、といえる。この時の時間や、一般公開の予定時間と今回(明日)の歓迎行事と、時間はもちろん違うかもしれないが、こういった時間配分は大体このくらいである。今回(明日)の入港時間は1000時、まあ、一時間前は一時間半前に展開したほうが無難、なのかな?と。

HARUNA

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厚木航空基地ちびっこヤングフェスタ2007 飛行展示編

2008-01-25 15:03:42 | 海上自衛隊 催事

■海上自衛隊の救難飛行部隊

 航空集団司令部が置かれている厚木航空基地一般公開、ちびっこヤングフェスタ。海上自衛隊機の地上展示、米海軍艦載機の地上展示に引き続き、第三回目にあたる今回は飛行展示の特集である。

Img_0304  厚木航空基地ということで、P-3Cの編隊飛行やSH-60Kの機動飛行なんかを期待していたのだが、この時期は厚木航空基地に前方展開する第5空母航空団が夜間に陸上空母発着訓練を実施しており、艦載機の轟音が近傍の住宅に与える騒音が相当数の苦情を寄せており、ヘリコプターによる救難飛行展示のみという内容であった。1960年代の航空写真などをみると周囲は牧草地と田畑だけであったのだが、住宅需要の高騰により基地周辺が宅地化し、今日に至る。

Img_0198  エンジン音を響かせつつ、救難飛行展示に向けて展開するUH-60J救難ヘリコプター。背後にはP-3C哨戒機が並んでいる。救難飛行展示というと航空自衛隊の航空祭における航空救難団の展示を思い浮かべられる方も多いかもしれないが、哨戒機を中心とした多数の航空機を運用する海上自衛隊にも航空自衛隊と同じようなヘリコプターによる航空救難部隊が存在する。

Img_0236  離陸するUH-60J。

 海上自衛隊には、八戸航空基地、下総航空基地、硫黄島航空基地、厚木航空基地、徳島航空基地、小月航空基地、鹿屋航空基地、大村航空基地にヘリコプターが配置されており、この他に岩国航空基地にUS-1A飛行艇を運用する第71航空隊が配置されている。

Img_0321  発炎筒を焚き、救助を求める想定要救助者。八戸航空基地あたりの北方海域では相当な傍観装備を準備していても海上を漂流している場合体温低下などで生命が危険に曝されることがある。要救助者を救出する航空救難は文字通り時間との闘いといえる厳しい任務であるが、墜落しても救助が必ずやって来る、という事実は部隊の士気を高く維持する上で不可欠である。

Img_0324  ヘリコプターから投下される5kg物糧傘。糧秣や医薬品、場合によっては輸血用血液や航空機部品などを航空機から安全に投下する装備で、この他20kg物糧傘が装備されているとのこと。筒の上部に落下傘が付属しており、投下すると自動的に開傘し降ろされる。膨張式救命筏(ゴムボート)が投下されることもあるが、まあ、厚木でそれやっちゃうと、あとが大変だしネ!ってことだろうか。

Img_0335  UH-60Jからロープが投じられる。

 このUH-60Jは航空自衛隊でも救難ヘリコプターとして運用されているが、自衛隊再編の一環として今年度末には航空自衛隊の航空救難団に統合される。つまり、海上自衛隊の救難ヘリによる救難飛行展示は、もう見る事が出来ないのだろう。そういった意味では貴重な写真(SH-60で普通にやるとは思うが)。

Img_0336  降下する機上救護員。海上自衛隊の衛生職種から選抜される要員で、准看護士以上の資格を有する。鹿屋基地で養成され、航空自衛隊の救難員と同じく過酷な訓練を課され、救難飛行隊に配属されている。この他、降下救難員は大湊航空基地、館山航空基地、舞鶴航空基地、小松島航空基地、大村航空基地に配置されており、機雷掃海を行う水中処分隊と並び、海上自衛隊において最も厳しい体力が必要な任務とされる、SH-60J/Kの航空士が兼任。

Img_0348  機上救護員は今年度末の再編において航空自衛隊に転属し、哨戒ヘリに搭乗する降下救難員はそのまま海上自衛隊に残るのだろう。ちなみに、降下救難員による救難飛行展示は、例えば横須賀サマーフェスタにおいて行われる救難展示に参加していた隊員などが、該当するのだろう。

Img_0347  担架に乗せられた重傷者が機内に収容されてゆく。ちなみに、1954年にS-55A,1965年にS-62A,そして同年に哨戒ヘリコプターHSS-2から対潜機材を降ろしたヘリが救難ヘリとして充当されていた。しかし、1960年代後半までは、航空機事故では30~40ノットで当該水域に急行する高速艇が任務にあたっていた。後部に救助室が置かれ、救助任務を実施した。高速1号型、高速11号型や高速4号型、高速13号型などがあった。

Img_0350  収容される要救助者。冒頭に発炎筒を焚いていた隊員と思われる。ところで、航空自衛隊であれば、U-125救難捜索機などが要救助者を上空から捜索するが、海上自衛隊にはそういった捜索機は配備されていない。これはやはり航続距離が長く洋上索敵能力に長けたP-3C哨戒機が支援を行うのだろうか。

Img_0356  救難飛行展示を終了し機動飛行を披露するUH-60J。機首に装備されている地形追随レーダーや赤外線暗視装置などがよくわかる。左右に張り出しているのは航続距離延長のために搭載された大型燃料タンク。救難員を含めた乗員定数は4名。このUH-60Jは1992年から導入が開始されており、現在18機が運用されている。

Img_0364  救難飛行展示に引き続き機動飛行の展示を終了し、いよいよ着陸するUH-60J。なお、後日展開した舞鶴地方隊展示訓練では同日に舞鶴航空基地において、ちびっこヤングフェスタが開催されていたが、岩国からMH-53、八尾駐屯地から観測ヘリ、多用途ヘリ、明野駐屯地から対戦車ヘリが参加していた。外来機や展示の規模は、基地の規模には関係ないようだ。

HARUNA

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厚木航空基地ちびっこヤングフェスタ2007 地上展示米海軍艦載機編

2008-01-24 17:48:44 | 海上自衛隊 催事

■海上自衛隊厚木航空基地一般公開

 2007年5月13日に開催された厚木航空基地一般公開、“ちびヤン”特集、第二回目は同じく厚木基地に配備、つまり前方展開している空母キティーホーク搭載、米海軍艦載機編である。

Img_0787  早期警戒機により洋上の艦隊に接近する航空機を探知、4個戦闘飛行隊と護衛にあたるイージス艦に護られ、イラク戦争のデータを参照すれば一日あたり600以上の目標に対して攻撃、無力化が可能である。作戦には電子戦機が参加し、脅威を排除し、必要とされる全ての任務を遂行しうる能力を持っている。

Img_0675  F/A-18Eスーパーホーネットは、後述するF/A-18Cの拡大改良型で、艦隊防空を担うF-14,打撃力の中枢であるA-6攻撃機の後継として開発された。C型から航続距離及び搭載量の増加を期して、胴体延長、新型エンジンの採用、翼の再設計が行われ、エンジン出力は40%向上、搭載量も1㌧以上増加している。

Img_0715  F/A-18は通称ホーネット、現在E型に代替されつつあるが、F-4戦闘機、A-7攻撃機の後継機として開発され、海軍航空隊及び海兵隊に1230機が調達された。当初は、レーダーなどの不具合が指摘されたが、改修を重ね、前述のE型とともに海軍機の代名詞的存在となった。C型からは空対空ミサイルAMRAAMとマーベリックASMの運用能力が付与され、その後も適宜近代化が進められている。

Img_0701  現在、E型を補完する次世代機としてF-35の国際共同開発が進められているが、超音速飛行可能なステルス機であり、共同交戦能力を最大限に発揮できる野心的な機体を狙っているものの、垂直離着陸機能を有するB型の異常排気熱や、A/C型実証機で問題となった吸気口形状を変更した事により超音速飛行が出来ないなど、実用化へはまだ問題が山積しているときく。

Img_0665  電子戦機EA-6Bプラウラー。ヴェトナム戦争時代に地対空ミサイルから飛行隊を防護する電子戦機の不足を痛感し、暫定的にそこらへんの機体を電子戦機へ改造しつつ、並行して本格的に搭載量に余裕のあるA-6攻撃機の機体を流用して開発したもの。各種電子戦機材の搭載や発電能力の向上、加えて電子戦オペレータ席を増設する為に胴体も設計変更して延長した。

Img_0794  このEA-6Bもいよいよ老朽化が指摘されており、F/A-18Eを改造したEA-18Gグロウラー電子戦機との交代が進められている。なお、このEA-6B、何故か機首の部分に“攻”という文字が記されていた。横田でも“戦浪人”と書かれた屋台があったりで、余裕というかユーモアというか、溢れている印象。

Img_0772  艦載機とともにポーズする少年。微笑ましい光景である。艦載機の地上展示は、滑走路の向こうには一個空母航空団が並んでいるものの、並べられたのはこの三機だけであった。聞くところでは四月に開催される厚木航空基地さくら祭、これは米海軍が実施するものだが、そこでも艦載機が地上展示されるとのことだ。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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海上自衛隊厚木航空基地ちびっこヤングフェスタ 地上展示自衛隊機編

2008-01-23 13:20:20 | 海上自衛隊 催事

■厚木ちびヤン2007

 本日から2007年5月13日に撮影した海上自衛隊厚木航空基地のちびヤンについて掲載したい。同日は、千僧駐屯地にて第3師団創設記念行事、静岡県にて静浜基地航空祭が行われていた。

Img_0752_2  神奈川県の厚木航空基地は、旧海軍の航空基地から米軍管理となり、米海軍航空基地として用いられた後、一部が海上自衛隊の航空基地として返還され、海上自衛隊の航空集団司令部が置かれ今日に至っている。航空集団は護衛艦と協同し洋上哨戒、対潜哨戒、海洋監視を行う重責を担っている。

Img_0401  厚木基地には第5空母航空団が前方展開している。海上自衛隊では、岩国などで行われる航空基地祭に代えてちびっこヤングフェスタを開催している。一般公開の区画は非常に制限されているが、一般公開区画からも多数の哨戒機が望見できる。かつて、日本の艦載機が並んでいた基地には米艦載機と日本の大型哨戒機が並んでいる。

Img_0211  首都圏ということで、それはそれは多くの来場者が、と思いきや、地上展示、飛行展示共に規模がそこまでも多くない為か、非常にノンビリしていた印象で、もしかしたら木更津航空祭よりも来場者が少なかったのではないか。しかし、地上展示機には米海軍の空母艦載機も並んでおり、興味深いものも幾つかあった。

Img_0642  哨戒ヘリコプターSH-60Kの試作機USH-60K,隣に並んでいるSH-60Jの改良型で2002年から量産が開始、2005年から部隊配備が開始されている。ローターの改良や機体内部の大型化、データリンクの高性能化と共に、小型武装ボートに対処するべく、対艦ミサイル、機銃の運用性能や防弾鋼板などが取り付けられている。

Img_0621  第61飛行隊のYS-11M,海上自衛隊唯一の輸送機部隊であり、現在、4機が運用されている。この他YS-11は練習機としても下総航空基地に配備されていたりする。戦後初の国産ターボプロップ旅客機がこのように海上自衛隊では現役であり、更に航空自衛隊でも運用されている。そこはかとなく0系新幹線に似た面持ちがホッとさせる。

Img_0812  連絡機LC-90,レイセオンエアクラフト社製の機体で、六名が搭乗できる。少人数の輸送や連絡飛行、物資空輸に加え、計器飛行練習機としても運用されている。更に、LC-90の同型機がTC-90練習機として徳島航空基地にて運用されている。LC-90は5機、TC-90は24機が運用されている。

Img_0821  岩国航空基地第71航空隊から厚木に展開している救難機US-1A,救難飛行艇としては世界最高性能の機体で、波高3㍍という荒天下でも離着水が可能である。現在7機が配備されているが、改良型のUS-1改が試験中で、遠からずUS-2として制式化されるものと思われる。YS-11よりも大型で、海上自衛隊の保有航空機としては最大で、戦後の国産機としても最大の規模を有する。

Img_0826  厚木基地一般公開区画の概観。ところで、このUS-1、現在開発中のXP-1やC-Xの開発と共に戦後国産機最大という座を次世代機に譲ることとなる。展示されているUS-1を下から見上げると、その機体規模は飛行艇ということを考えれば非常に大きい。その向こうに見えているのは先ほど写真を解説したYS-11輸送機。

Img_0203  地上展示機の向こうに並ぶのは海上自衛隊のP-3C哨戒機の一群。地上展示機は、US-1A救難機,YS-11M輸送機,LC-90連絡機,P-3C哨戒機,USH-60K,SH-60J哨戒ヘリと並んでいた。この他、厚木ちびっこヤングフェスタ特集として装備品編、米艦載機編、飛行展示編として連載掲載してゆきたい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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海上自衛隊US-1A上空航過! SH-60J・UH-1J・P-3C

2008-01-22 11:34:22 | 海上自衛隊 催事

■頭上の自衛隊機

 基地に展開するわけでもなく、頭上を飛んだ自衛隊機について今回は掲載したい。五山送り火の日に漆黒の闇をC-130Hが二機編隊で飛んでいたように、案外、京都でも自衛隊機を見ることが出来る。

Img_0967  20日2305時頃、Weblog北大路機関はアクセス解析から30万アクセスを突破しました。近く特別企画を掲載したいと思います。

 さて、先日の京都府警年頭視閲式、府警のトップである京都府警本部長が訓示を行っている時に聞き覚えのあるエンジン音が耳に届いた。エンジン音の方角に望遠レンズを向けてみると、海上自衛隊の救難飛行艇US-1Aが飛行しているではないか!気付いたのは私だけではないと見えて望遠レンズを頭上に向ける方もチラホラと。向かう方向は北方へ、日本海、舞鶴方面に飛んでいった。

Img_0970  US-1Aのみならず、そういえば、南禅寺にいった時にも航空自衛隊のCH-47Jが飛行していた。戦闘機こそまず飛来することの無い京都市内であるが、それでも陸上自衛隊のUH-1なんかは、H型、J型ともに良く飛んでいる。ところで、米海兵隊のCH-53Dを四年ほど前に京都市内で飛行しているのを見たのだが、あれは錯覚なのかな?、もし、京都市内で変な飛行機、いっそUFOでもいいけど見た、という方はコメントにカキコしていただければ幸い。

Img_1223  視閲式終了後に飛行していたSH-60J哨戒ヘリコプター。かなり距離があったので300㍉望遠でトリミングしても辛うじてシーホークだということが判る程度であるが、この日は海上自衛隊京都市強化日(ナンジャソリャ)だったのだろうか。ううむ、飛んでいった方向は違ったけど舞鶴航空基地の機体だろうか、方角からすると徳島航空基地にでも飛んでいったのだろうか。

Img_1028  視閲式の分列行進への移行中に撮影した一枚。右上は京都府警のBK-117ヘリコプターであるが、左下に写っているものは明らかに陸上自衛隊のUH-1である。てっきり祝賀飛行に参加するのかと思ったら、そのまま饗庭野演習場の方へ飛んでいった。

Img_1414  視閲式とは別の日に撮影した写真。何の変哲も無いUH-1かと思いきや、良く見るとスキッドの部分にスキーを履いている。京都市内では積雪は無いが、比叡山に少し白いものが冠する程の日でも、比叡山の向こう、大津市では数センチの積雪がったとのこと。従って、積雪地に着陸するにはスキーが必要、ということか、湖北はどのくらい積もっているのだろうか。

Img_0292  海上自衛隊のP-3C哨戒機。そういえば、XP-1が川崎重工から海自に引き渡された、という情報が中々来ないのだが、これも守屋事件の影響があるのか、技術的な難航があるのか、もしくは岩国か厚木で実はもう引き渡されているのだろうか。さてさて、このように京都市内でも意外なほど自衛隊機が飛行しているものである、お帰りはこちら。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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