◆新連載!南九州の航空祭
先月完結した護衛艦くらま就役30周年記念公開詳報に続き、今回から新田原基地航空祭2011の詳報を紹介します。
毎年12月に行われる新田原基地航空祭、新田原基地航空祭2012は今週日曜日に行われます。南九州にある新田原基地は、九州新幹線とは九州島の反対側にあり、少々行き難い場所にあります。文字通り始めてゆく航空祭という形ではありましたが、当方が試行錯誤にて撮影位置を模索した様子と共にご覧いただければ幸い。
新田原基地そのものは、鳴海章氏の仮想戦記小説最高峰に数えられる原子力空母信濃シリーズでは信濃航空団の拠点として描かれていましたし、小松左京氏の日本沈没と並ぶシュミュレーション小説の最高峰、巨大火山災害を描く石黒耀氏の大作死都日本でも描かれていましたが、実際に行くのは初めて。
少々高台にあると聞いたのですが、新田原基地はエプロン地区からは完全に逆光となってしまう、という話は聞いていました。そこで今回は2009年の浜松基地航空祭以来、折畳式自転車により日向新富駅付近から4km程度離れた基地まで展開することとしたのですが、これが想像以上の登り。まあ、京都の原谷ほどではないのですが。
全行程ほぼ登り、というのは短距離でも疲れるものですが、基地の滑走路反対側地区は開放されないため、少々遠くとも自転車により移動するしかなく、思いのほか展開に時間を要してしまいました。もっとも、この時の反省から今年の浜松基地航空祭では反対側への展開にタクシーを一部利用したので、教訓は活かされた。
オープニングフライトへ向けてU-125救難機が誘導路を進んでゆきます。かなり早く出発したのですが難渋してしまい、到着は0822時です。ただ、ご覧ください、機体のいろと背泳の山々が新鮮に映る素晴らしい順光の情景でしょう、これは言い換えれば写真の滑走路反対側、即ちメイン会場は物凄い逆光、ということ。
この撮影位置は眺鷲台と呼ばれており、居酒屋や土産店も小さいながら並んでいます。航空祭以外の比では撮影ポイントとなっているのでしょう、少し高台になっていて、多くの方が自動車にて撮影に展開していました。おそらく航空祭予行ではここからかなりの方が撮影したのかもしれません。
オープニングフライトとともに大編隊飛行が行われるため、このための離陸準備が行われるのですが、飛行場全体が徐々に戦闘機のエンジン音により徐々に満たされていくある種の緊張感、そして朝日と少し肌寒い南九州の朝が生む澄んだ空気の中を陽炎を引きつつ進む航空機、この空気、雰囲気、臨場感、なかなか。
新田原基地は西部航空方面隊第5航空団第301飛行隊、航空総隊直轄飛行教導隊、航空教育集団飛行教育航空隊第23飛行隊が展開しています。運用する航空機は、F-15戦闘機とF-4EJ改戦闘機、そしてこの基地はある種特殊な部隊の航空基地となっていまして、これも注目するところ。
第5航空団は第301飛行隊のF-4EJ改戦闘機を運用しています。航空自衛隊のF-4飛行隊は百里基地とここの二個飛行隊のみですが、第5航空団は現在一個飛行隊基幹という航空自衛隊唯一の一個飛行隊基幹航空団であり、併せて航空自衛隊最後のF-4のみの戦闘機を以て編成される航空団です。
滑走路にて離陸直前のF-4。F-4は、岐阜基地の機体を何度も撮影するのですが、岐阜のF-4は飛行開発実験団、実戦部隊のF-4は新田原か百里に行かなければ見れませんので、この303所属F-4を、こうした角度から撮影するのが、この新田原基地航空祭展開の一つの目的でした。
J-79エンジン二基に点火し、轟音を響かせながら離陸するF-4,航空自衛隊は1971年にF-4EJの導入を開始しましたので、2011年でF-4導入開始40年、後継機がいよいよ決まる、という時ではありましたが、素晴らしい戦闘機でいつまでも見たい、と考える反面、F-16EでもF/A-18Eでもいいので、さっさと数を揃えることが急務では、というのが当時の考え。
第23飛行隊のF-15,第23飛行隊は航空自衛隊最初のF-15飛行隊として発足した第202飛行隊を教育航空部隊へ改編したものです。第202飛行隊も新田原にいましたので、もともと第五航空団は二個飛行隊基幹の編成でした。この第23飛行隊は戦闘機操縦訓練、練習機によりパイロットとなった搭乗員に戦闘機操縦要員としての能力を叩き込む部隊です。
第23飛行隊の創設は2000年10月、しかし、元となった第202飛行隊は1964年にF-104戦闘機の飛行隊として誕生しています。映画東京湾炎上では鹿児島県の国家石油備蓄基地へ向かう戦闘機部隊として出ています。第5航空団は松竹の宇宙大怪獣ギララにもF-104が出ていますが、まあそれは別の話ですね。
第202飛行隊は1981年に航空自衛隊の戦闘機部隊として最初のF-15配備を受け、ここでF-15要員を養成し、順次各部隊に派遣するマザースコードロンとしての責務を果たしました。そう考えると第202飛行隊と第23飛行隊は記事と要員以上に共通点があるのかもしれません、が、部隊マークは埴輪から都井岬野生馬に替わっている。
飛行教導隊、日本のトップガンと呼ばれる最強の戦闘機部隊です。この部隊の任務は、全国の最強搭乗員を集結させ、併せて訓練支援として全国を巡回し敵役を果たすというアグレッサー部隊となっていまして、年間飛行時間は650時間、アグレッサー部隊として独特の迷彩を施し、機体にはコブラが描かれています。
トップガンという部隊なのですが、飛行教導隊と第23飛行隊という教育訓練と教育支援を行う部隊が共にイーグルを装備する教育重視の部隊なのですけれども、併せて防空に当たる第一線部隊がかなり古いファントム、という編成も、新鮮というか不思議というか、何と言いますか、ね。
飛行教導隊は1981年にT-2超音速練習機を装備機として築城基地に創設されましたが、訓練空域が恵まれた新田原基地へ1983年に移駐し、1990年からF-15へ機種転換しました。さて、大編隊飛行へ、機体が続々と滑走路を離陸し大空へ展開してゆきました。新田原基地航空祭2011、いよいよ開始です。
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