◆防災に邁進し防衛が疎かになる状況への対応
今回を以て“巨大地震“南海トラフ地震”への備えを考える”を完結とします。十八回にわたり、いろいろと考えたのですがお付き合いありがとうございました。
我が国では内閣府に防災担当大臣が置かれており、中川正春代議士が現在防災担当大臣を務めていますが、防災担当大臣は各省庁の横断的な防災対策を行うことが責務であり大規模災害に際しての主管官庁は首相を本部長とする対策本部、内閣府が指揮を執るという方式を採っています。しかし、この方式は充分なのでしょうか。
南海トラフ地震は、想定される最大規模の発災となれば、おそらく人類が経験した元も大きな地震災害となる可能性があります。想定範囲も東海道と紀伊四国を中心に京浜地区から九州地区までの被害を想定せねばならない巨大災害となり、中京と阪神地区にも大きな津波被害が及ぶ、というもの。
実のところ、これまでの枠組みの延長線上での防災対策が、南海トラフ地震に対応しうるのか、というところがそもそもの疑問であるわけです。現在提示されている死者数32万は、東日本大震災の16倍、広島核攻撃の死者数の2倍以上となり、素早い避難と事前の防災により八割を減じることが可能、と言われますがその場合でも東日本大震災の三倍以上になる。
国土交通省の建造物強度向上や防災道路などの建設は防災に資するものですし、様々な地方自治体の事前備蓄なども防災と減災に資するものとなるのでしょうが、しかし、危機管理の組織として有事の際に自己完結能力を以て対応できる組織と言えば、自衛隊を置いてほかにないというのが現状でしょう。
防災専管の国土防災隊を創設してはどうか、という視点もあるやもしれませんが、消防や警察が自己完結能力を有さない理由に平時の火災や治安維持に不要な長距離輸送能力や野営能力と整備能力を持つことが非効率である、組織の目的に合致しない、という理由から回避されたわけで、平時の依存すべきイン裏が機能しない大規模災害の条件が軍事機構同士による戦闘と共通点が多い、という背景から転用された、というものでした。
特に東日本大震災では、衛星通信システムによる孤立地域からの中央との通信維持、水上戦闘艦の航空機運用能力と情報集約能力に補給能力、空中早期警戒管制機による被災地上空の航空管制など、防災という観点からは中々想定できなかったものが大きな能力を発揮できていることを忘れてはなりません。
こうしたなかで、充分な資材と能力に人員規模を有する防災機構を創設することは、結果的に限られた国家予算の中で防衛予算を含め共食い状態となり、相互に共倒れとなる状況も考えられるのでして、もちろん、防災主管官庁を創設して有事の際にPDWなど携帯火器で自衛能力を付与させ後方支援に充てるという方式はあるやもしれませんが、やはり指揮系統の複雑化を生むこととなるでしょう。
以上の点を踏まえれば、緊急時に指揮機能を中心とした体制を構築し、これをもとに防衛省自衛隊に必要な部隊を抽出させる方式を採ることも考えられるのですが、軍事機構の兵站や戦闘序列画定に必要な指揮系統の維持など、自衛隊を熟知した、具体的には実部隊の運用経験で方面隊レベルの経験を持つ指揮官でなければ難しいものがあります。
この点こそが、指揮と実働の分離と統合という、米国の国土安全保障省方式を我が国において応用しにくいものです。もともと国土安全保障省は冷戦時代の米ソ全面核戦争を念頭に置いた民間防衛を主眼とした機能ですから、軍事機構と行政機構の一帯を前提とした制度、仕組み、方式、概念、法基盤、文化を包含したものに依拠するものですが、この分化がそもそも日本にないということ。
実は、法制度だけであれば、国会において与党が本格的に着手すれば為し得る部分ではあるのですが、精度の運用や仕組みといういわば、ソフトな部分において、特に文化というよう場部分、個々人の心象などは法整備が容易に置き換えられるものではなく、憲法上の理由と過去の歴史からの反省もあり、我がくにでゃ軍事機構と行政機構に大きな違いがある。
こうしますと、どこが大規模広域災害における主管官庁たるべきか、という点について、実動部隊は大規模広域災害が及ぼす際に必要とされる能力と重なる大規模野戦や制海権確保に航空優勢確保を想定している機構を延長上として用いることが、少なくとも、少なくとも短期的には有利であり効率的である、という事が言えるやもしれません。
もちろん、防災は自治体が主体となるべきものであり、事前防災は国土交通省による交通網や建造物の強化や厚生労働省による広域緊急医療体制の構築、経済産業省による企業の防災対策や事業継続能力強化の支援、文部科学省による地震観測体制の強化や防災教育の充実は必要なのですが、起こった後、その一定期間においては防衛省自衛隊を主管官庁とする権限と予算という視点は必要ではないかと考えるもの。
大規模広域災害対策の主管官庁は防衛省である、という視点から物事を考える必要はないのか、言い換えれば、防衛省の位置づけについて、制度面や法制度や文化等の面から、もちろんこれは時間を要するものではあるのですが、変化、そう変化を視野に含め物事を考える必要はないのか、と考えます。
ただ、前述のとおり、国土交通省による交通網や建造物の強化や厚生労働省による広域緊急医療体制の構築、経済産業省による企業の防災対策や事業継続能力強化の支援、文部科学省による地震観測体制の強化や防災教育の充実、これは我が国全体を自衛隊、それ以外、この視点で見れば、後者の方が大きいことが全てを示すというもの。
この視点から、少なくとも変化を念頭に、防衛省自衛隊を災害発災後における大規模広域災害対策の主管官庁である、という制度、これは法制度や予算制度を含めてですが、裏付けを持ち、防衛省の位置づけを考えることが、もちろん防災と共に防衛を含めて能力全般を底上げすることになるのだろう、と。
危機管理主管官庁としての意味合いを有する、という事は、特に防衛面と防災面での必要とされる能力の共通性を以て両立する、という事が主眼であり、いわば防衛のみ重視または防災のみ重視という片手落ちとはならないものが前提である、これを忘れて議論するべきではありません。
防災にのみ重視して防衛が、という視点ではなく防災能力は本土直接武力侵攻に際しての後方支援能力維持に資する、という見方や戦闘支援能力の維持に資する、という視点を以て考えるべきで、防災、発災後の対処能力を主眼とした装備品を有事の際に戦闘支援に運用する、というもの。
特に巨大な南海トラフ地震への備えを各部分から自衛隊が対処能力を整備する、という姿勢で参画しなければ、限られた国家予算において必要となる防災予算のしわ寄せを防衛予算が正面から受け、正面装備や部隊維持に影響が出るという見方も必要で、そういういみからも防災攻勢というべき一歩進んだ政策も必要となるのではないでしょうか。
こうした物事の考え方は、予算という観点からは壮大な無駄の示唆ではないか、という視点もありましょうが、建前としても想定される32万の犠牲者を少しでも減らす、という視点は、決しておかしいものではありませんし、事業評価の面からも救える人数という意味での計算は誤ってはいないという信念があります。
なによりも、先進国で東日本大震災でも瞬時にして19000名以上が犠牲になるような状況、というのは、第二次世界大戦後では中々考えられるものではありません。ましてや、32万という南海トラフ地震の想定となりますと、そして被害総額は数百兆円規模となりますと、もはや、これは、というほど。
併せて、防災に邁進しすぎ防衛が疎かになることはあってはならない、という、本記事と加えて類する主張への指摘は、限られた国家予算を念頭に自衛隊以外の官庁が多くの予算を防災として投入するしわ寄せを防衛省が予算面で受けた場合の方が影響は大きいのではないでしょうか。防衛にしても防災にしても国民の生命財産に直結するもの、その視点から、大規模広域災害への防衛省の位置づけに再考を要するのではないか、こう考えを記し、まとめとしたいと思います。
北大路機関:はるな
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)