北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-前祭り宵宵々山,祭事巡るカメラはISO-400時代からISO-25600時代へ

2024-07-21 07:01:44 | 日記
■カメラと祇園祭のあゆみ
 富士学校祭が行われますのが本日ですが、祭事を記録するには記録する為の機材というものがどうしても必要なのですが時代と共にこれも移り変わる。

 祇園祭宵宵々山の撮影、考えてみるとカメラの発達には驚かされるばかりだ、いや、今使っているカメラも11年前の設計の一眼レフが主力なのだから、進化の停滞なのかもしれないが、ミラーレス一眼なんかも併用していて、こちらは進歩している。

 ISO400のフィルムをフィルム式一眼レフに、なにしろISO-800のフィルムは粒子荒れが凄いといわれていた時代、祇園祭や山鉾巡行を撮ることは技術的に簡単でした、時間的に山鉾巡行の時間帯をどう空けておくかの方が大変だったのですけれども。

 フィルム式カメラの時代に、ちょっと薄暗い、薄暮の時間帯でもしっかりと撮影するのは難しいように感じたものです、あの頃は混雑がそれほどでは無かったのでやろうと思えば三脚がつかえたのかもしれなけれども、そこまで当時はやるような認識なかった。

 EOS-KissN,一番最初に導入したデジタル一眼レフはこちらとなっていまして、CFカード対応でフィルムよりも格段に枚数を撮影できるのが魅力でしたが、ISO-1600まで拡張できるというのが、当時フィルム式カメラの時代から考えますと革新的でした。

 携帯電話でも写真は撮影できましたが、なにしろ2005年、いまから20年近く前の話です、ただ、ISO-1600でも暗いところの撮影は大変でした、あのころ多くの方が携帯電話で撮影されていましたが、画像とか皆さんどのように管理しているのでしょうか。

 ISO-25600,何かの冗談に聞こえるでしょうね当時この2024年のカメラのISO感度の話をしましたら、基本的に当時、そのうちISO-3200でもそれなりの写真を撮影できる時代が来るのだろうなあ、と思っていましたが、いまはISO-25600でも、まあ。

 EOS-M5ならば宵山で手持ち撮影が可能、夜間でも三脚を使わない時代になっている、というのが正直なところでして、いや、だからこそ今の時代三脚をこういう雑踏で使う人を、多少は居るのか、それでもそれほど見かけない時代になったのでしょうね。

 EOS-7Dmark2でも、これが未だに主力機種、充分撮影できるものです。ただ、驚くのはiPhoneはじめスマートフォンの台頭で、わたしにいわせると画像補正されまくっている画像データであり、写真ではないようにも思うのですが、画像の出来栄えは。

 iPhone15なんかの撮影能力は、それこそAI補正が入っているので遠景の看板などの文字は補正されて読めなくなっているものばかりですので、これはGoogleストリートビューなどAIさんはもう少し補正に際して風景の文字情報を汲んでほしいものですが。

 AI補正の技術とともにでてきます画像は、写真では無く画像だというほどに補正されているものの、頑張っているのだなあ、と実感するほど驚くもので、それこそデジタル一眼レフを使い始めた当時のケータイという携帯電話の領域を遥かに超越しています。

 ISOというようは発想を超えて、そして何より、ケータイ時代にはカメラ機能はオマケの領域でしたがスマートフォンは写真機能が一種の主力機能になっているようなもので、これならばスマホで撮影された画像が数十年先まで楽しめるのだろう、とも。

 祭事や行事を撮影していますと、その写真に写りこむ他の方々の画像記録の方法の進化論も見えてくるのですが、宵々山を散策していますと、なるほどかわったなあ、と撮影機材の潮流一つとっても改めて時代の変化というものを感じてしまうのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-前祭り宵宵々山,コロナ彼方に天平の天然痘と日本の疾病史と千年の首都京都

2024-07-20 07:01:41 | 日記
■疾病祓いの伝統行事
 京都の中心部でほぼ一ヶ月間にわたり執り行われるのがこの祇園祭なのです。

 祇園祭、疾病はらいの祭事という位置づけです。故にCOVID-19新型コロナウィルス感染症の世界的流行禍の際にも、ちゅうししていいものなのかという言い分は多少まっとうなのですけれども、しかし疾病予防が神事から医事、というのが現代常識だ。

 天然痘が何度も流行した中世以前の日本、奈良時代の日本では右大臣左大臣が短期間で天然痘にやられ国家機能がマヒするなど、これ、かなり国家の維持という部分にまで踏み込んだ危機的状況が過去の日本には時折、いや頻度から常態化していた訳でして。

 天平時代の天然痘では、結局、大陸から九州に伝播した天然痘の情報収集を行うために中央から官僚を派遣したことで、これが逆に感染源となってしまい首都圏に大規模感染を引き起こし、いや、交通路に沿って感染拡大する事となってしまいました。

 交通路が感染源というのはCOVID-19も、空港検疫よりは国際航路閉鎖をもう少し先に英断していれば、数百万もの人々、実際には集計に入れていない数がもっとあるのでしょうが、その人命が失われることになった、これを今後どう考えるべきか。

 日本は海洋国家なのに地域ごとの閉鎖主義といいますか、戦国時代などが典型なのですが、開放的ではなく閉塞的な文化がある、方言などもそうですし、なにより統一国家による行き過ぎた干渉を嫌う風潮もながかったわけです、ただこれも考えてみると。

 文化的に閉塞主義を取っているのは過去の天然痘による多数の犠牲者と共に文化の価値考え変容して、人の往来による良くないものの伝播が、人との交流により得られるものよりも大きいと理解された種間のだろうなあ、と、これは直感で考えてしまう。

 鎖国、と、実際には鎖国というのは国交分離や中国明王朝の海禁政策のような厳しいものではなく、江戸時代末期に官僚方便として導き出された、鎖国という名の外交が成立していた、というのが理解として一般化しつつあるようですが、しかし開国では。

 コレラ蔓延が開国と同時に広まったものですから、やはり、国の行き来を自由にしますと良くない事が起こる、という事を再認識させてしまったのではないかな、と奈良時代に続いて江戸時代の出来事を改めて考えてしまう訳です。あとCOVID-19も、か。

 京都は、何しろここが首都であった期間は千年間にも及ぶのですから、首都である以上、閉塞主義をとることはできません、すると疾病予防には何をすればよいか、という事となりまして、結局祈るほかない、という発想で始まったのがこの祭事、という。

 COVID-19を想い題しますと、イタリアでは全く治療法が確立する前の危険な状況で、バチカンが、街に出て直接祈りを届けろ、と結果艦船爆発を聖職者が加速することになってしまい本末転倒でしたが、この点日本は原点回帰をその前の段階まで戻して。

 祇園祭はじめ神事のみは非公開で行い、町衆の祭事として広まった山鉾巡行などは2020年のみ見送ることとし、若干寂しさは感じたものの一定以上の感染拡大による死者数を重ねないようにする、社会の維持にまあまあ成功したのだ、と思うのですね。

 社会の分断、結果的に犠牲者を抑えたことでCOVID-19による社会の分断は回避できたのかな、と思う、けれども社会を維持しても個人間の分断はあるのかもしれない、こう考えると昔、祭事を一緒に巡った友人の一部との疎遠を、寂しく思うことはあるのだ。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-前祭り宵宵々山,長刀鉾先頭に本日前祭り山鉾巡行間もなく進発

2024-07-17 07:00:21 | 日記
■前祭り山鉾巡行を前に
 本日は、前祭り山鉾巡行で、まもなく長刀鉾を先頭にこう意外に早い歩調とともに山鉾が四条通を一周と巡り続く神幸祭へと清めるのですね。

 祇園祭宵宵々山、前祭りの情景です。祇園祭が山鉾の増大、復活などによる増大から江戸時代のように前祭りと後祭りに分けてからしばらく経ちましたが、どうしても人間、今というか生まれた時代から育つまでの記憶が鮮明に思えるのですからねえ。

 長刀鉾からはじめまして、ゆっくりと函谷鉾や月鉾の前を巡ってゆく、鉾立が水曜日でしたから数日間でよくぞここまでく曲げたものだ、と感心しつつ、しかしできるだけ混雑を避けて山鉾の出来栄えなどをみてまわるのですが、それでも人は多い。

 活気が戻ってきた、という段階は2022年頃なのか、2023年には活気よりも危険な混雑で、韓国でも兵庫県でも将棋倒しの事故が起きていますので、この人口密度は果たして安全なのか、と考えてしまい祭事よりも安全確保を考えたことも。

 KBS京都で山鉾巡行の様子などは中継されるものですから、あれは観光客の祭事、という認識もあったのですが、この情景をつたえてみると興味のある方が多く、それならばしっかりとしたカメラで撮影しよう、そんなこんなで京都再発見、というわけ。

 山鉾巡行は、神威の神輿が八坂神社から御旅所まで巡る神幸祭に先駆けての露払いが目的なのですから、かんがえてみると神輿の方をお参りに八坂神社へ行く事こそが肝要なのでしょうけれども、町衆の祭として発展した祇園祭では山鉾の意味も重い。

 府警のおまわりさんが、立ち止まらないようにたちどまらないでゆっくりとでも進んで、と声をからして注意喚起します、たしかに滞留すると危ないのですが、カメラのシャッター速度を不空して、歩きながら手を伸ばして片手で撮影し、ひとときは見る。

 宵山は、前祭り宵山では歩行者天国を設定して模擬店などがならんでゆくのですけれども、その分入場者が、阪急特急に京阪特急と東海道新幹線でピストン輸送されるので立錐の余地もないというか、混み具合は横断歩道ひとつわたりきるのに20分かかるほど。

 土砂降りなどに恵まれれば多少は混雑緩和となるし暑さも緩和されるのかもしれないけれども、荒天が好天というほどに宵山は混雑して、長刀鉾に近寄ることさえ難しく、脇道も一方通行で警察の方などに制止されるために逃げ場が無くなってしまう。

 宵宵々山はそのぶん、交通規制は宵々山からのようですから、的屋さんの準備などもなく、言い換えれば、未知全部通行のために、天下の行動を堂々と利用して歩き回れる、そして、山鉾を飾るタペストリーを、たしょうゆっくりゆったりと眺められるのですね。

 前祭りと後祭りに山鉾巡行を分けて、そしてもっともらしいいい分に、山鉾巡行があまりにも数が多いと飽きてしまうから、という。いやいや、例えば山鉾の代わりに戦車が行進する今津駐屯地祭なんかは、戦車大隊の数が減っても、いいことはない。

 戦車がたくさんならんでいるようすは、大規模だなあ、という換装の次に壮観という感想が来たものですが、部隊が減ってコンパクトになったとして、寂しいとか大丈夫なのかと思う事はあっても、よくなったとはちっともまったく思わないものですよ。

 宵宵々山、さて。祭事は休日や日曜日に併せて執り行われることがおおいのですが、祇園祭は日にちが決まっているので、今年の山鉾巡行は祭日でも乳児つでもない水曜日、姫路港で護衛艦まや一般公開が行われている日が前祭り山鉾巡行となっています。

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【京都幕間旅情】五山送り火,夜空に向けられる京都はお盆の伝統行事で如意ヶ岳に灯る大文字と台風七号の爪痕

2023-08-17 07:00:18 | 日記
■京都の夏-五山送り火
 お盆もこれでおわりという昨夜執り行われました五山送り火の模様をお伝えしましょう。

 五山送り火、昨年は色々ありました故に点火したものの確認できない、いやNHKが点火の様子を中継している云々、というCOVID-19以来久々の五山送り火なのに、という一幕がありました。今年は、台風七号の進路で、護摩木は集めていましたが不安は残りました。

 如意ヶ岳の点火を遠景に視認出来た際は正直安堵したのですけれども、一方で友人知人で関東在住の連中は新幹線で大変な難渋しているという状況、これを聞いていましたので、ちょっと難しい状況で五山送り火に誘ってしまった、と報道をみるにつれ反省してしまう。

 台風7号の置き土産は静岡県内で記録的な豪雨をもたらし、15日の計画運休明けの東海道新幹線は今度は運転見合わせ、小田原三島間の運転見合わせは徐々に名古屋へ、そしてとうとう東京と新大阪で東海道新幹線が全面運転見合わせ、という状況になっていました。

 計画運休明けでも不測の運転見合わせが有る可能性はJR東海もJR西日本も予告はしていましたが、まさか全面運転見合わせになるとは思わず、聞けば2200時台でも新幹線電光掲示板は1500時台の列車が掲載されていたといい、二時間以上の遅れです、と表示、確かに。

 本日17日は始発から平常通り運行、というJR東海とJR西日本は16日の時点で発表していますが、お盆やすみの予定を台風に翻弄された方はそうとういるでしょうから、例えばどれだけ遅れても寝れば済む寝台列車の再評価や、在来線に長距離急行の必要性など思う。

 五山送り火は、しかしそういう中にありましても無事執り行われました。仄かな光が一瞬一瞬に文字へと変容する様子には思わず感嘆の声がまわりから自然とわき起こるもので、妙法と舟形と左大文字、遠い鳥居型を除けば灯る様子は、日常が戻ったと実感させました。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二三,四条御旅所で素戔嗚尊さんと櫛稲田姫命さんに八柱御子神さん奉じる御輿を詣でる

2023-07-25 07:00:56 | 日記
■神々巡る四条御旅所
 山鉾を見上げた宵山の最中に冷涼感を感じ、これぞ御利益かと思いきやオープンキャンパスの隣のビルから冷房の冷気が流れてきただけという、これが縁というものかな。しかし本日はその先のはなし。

 祇園祭、八坂神社の神事である一か月間の祭事は、ご神体で素戔嗚尊と櫛稲田姫命そして八柱御子神を奉じた神輿が主役です。ご利益を賜ろうという訳ではありませんが、せっかくの祇園祭ということで神輿へ詣でに四条寺町の御旅所へ行ってまいりました。

 四条寺町の御旅所、阪急河原町駅のほぼ真上、修学旅行生に有名でちょっとマニアックなホビーショップなどもあります新京極のアーケードからも目の前という。そして鴨川の向こうに朱色の楼門が見えますが、その朱色こそこの祭事執り行う八坂神社という。

 八坂神社はそもそも、京都に疫病が流行した1154年前、牛頭竜王の神霊を京都に分祀することで災厄から京都を守ろうとした際の神事を再現したものです、が、COVID-19感染拡大の際には寧ろそれが感染を広げるとして長期にわたり中止されていたのです。

 山鉾巡行の様子が勇壮であり、なにより長刀鉾はじめ高さがありますので、その様子を祇園祭、と思われる方が多いようですが、山鉾巡行はもともと、この神輿が市中を巡る際に露払いをする神事というもので、前祭山鉾巡行の日の夕刻、神幸祭が行われる。

 神幸祭は八坂神社を夕方に出まして、市中を練り歩き深夜にここ四条御旅所に到着、三座の神輿がどう御旅所に入るかの歓声吶喊とともに湧き上がる熱気が風物詩なのですが、そうして還幸祭にて八坂神社に戻るまで、ここ四条御旅所に神輿はとどまるわけで。

 後祭山鉾巡行はまさしく還幸祭として戻る道中の露払い、という位置づけにありまして、神幸祭還幸祭の時には迫力に気圧される神輿へ素戔嗚尊さんと櫛稲田姫命さんにそして八柱御子神さんへ、ゆっくり手を合わせて平安を願うことができるのがお旅所です。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二三,鷹山は二〇二二年に196年ぶりの山鉾巡行に復活遂げた祇園祭後祭の華

2023-07-23 18:11:19 | 日記
■天を衝く鷹山を見上げて
 熱いのだけれどもこの界隈は少しだけ建物から流れ出てくる冷房で涼しさを感じたような気がする。いよいよ後祭り宵山は間もなくの日没とともに最盛期を迎えます。

 祇園祭後祭、注目の山鉾はこの鷹山です。しかしこの新しいPCは山鉾を矢麻帆子と変換するんだが有名人なのでしょうか。鷹山、別に隣にセクシー大下がノっているわけではないのですが、江戸時代に天明の大火に見舞われ休止していた山鉾なのです。

 暑い、というより熱い京都、ただ、後祭では前祭ほど宵山は混雑しません、四条通交通規制が行われないのと、あとは出店が出されないというところが重要なのでしょう。その分は街中のお店がテイクアウトを頑張り、出店には出ないような美味が勢ぞろい。

 宵山の本日にも真新しい山鉾を見ることができますが、あたらしいのもそのはずでして2022年に復活したという。休止期間は実に196年、あと少しで200年というくらいですので、忘れ去られず熱意があれば時間がかかるが復興を果たせるという一例だ。

 鷹山は一応天明の大火のあとにも再建は為されたのですが、文政年間に豪雨被害に見舞われ休止、休止しているうちに今度は幕末におきた蛤御門の変にて大火災により焼失、その後は明治大正昭和平成と休止されたまま、令和時代を迎えたというおはなしで。

 山鉾としては、しかし奉じていた人形三体だけ蛤御門の変では町衆が持ち出して退避に成功、復興の機会を待っていたという。時間はかかりました、なにしろ幕末からなんとか復興を考えていて、しかし機会がなかなか巡らず平成も終わり令和を迎えている。

 令和時代に入り先ず、唐櫃巡行に鷹と犬の木彫りとともに参加したのが2019年、山鉾巡幸に参加を果たしたのが2022年です。蒸し暑い京都は日が暮れても汗だくだくのねっとりしたつらく息苦しい時間帯が続きますが、話題としては爽快な山鉾なのです。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二三,函谷鉾を四条通にて見上げつつ思い返す先週の前祭り宵山の物凄い混雑

2023-07-22 14:11:21 | 日記
■函谷鉾佇む祭りの四条通
 函谷鉾が京都の中心部である四条通に鎮座している様子は近代都市と歴史都市の分水嶺に栄える京都は夏の風物詩とおもう。

 宵山が、凄かった。いや今夜も宵山でしょうと言われるかもしれませんが、前祭宵山、三連休の日曜日に宵山に行ってみたのですが、いやもう、ある程度は予想していたのですがその先週の宵山は、凄かったというか、昔はあんなに混雑しませんでしたよね。

 舞鶴展示訓練の前日であった昨年は、COVID-19に引っかかると折角の展示訓練が大変な事になるので、ちょっとだけ撫でる程度の祇園祭でした、祇園祭は2019年以来というけれども舞鶴展示訓練は2014年以来、ちょっと優先度を考えると祇園祭は、ねえ、と。

 昔は宵山、夕方に9系統バスでそろそろ交通規制が始まるかなという頃合いに四条通に入りまして、なにしろ嵐山の方は未だ明るいですから東山の峰々をビルの谷間に山鉾を撮影して、そして路地に一つ一つ撮影へ、とカメラを片手に散策していたものでした。

 四条烏丸の交差点を横断するのに10分近く掛かった、それ程混雑していた。先週の宵山はそんな感じです、普段なら10分あれば四条通から五条通りまで行けてしまう程の時間ですが、要するにそれだけ人口密度が凄くて危険な程に歩ける訳が無かったという。

 カメラバッグから望遠レンズを取り出して付け替える、なんてことができる訳ではなく、いや人に触れてレンズに他人の脂分がついてしまうような人口密度でしたので、狭い路地を抜けて迂回に迂回を、迂回路も混雑していたけれども、なんとか長刀鉾は撮った。

 山鉾巡行の当日は、行きたかったけれども正直なところお仕事が立て込んでいて、ちょっと勿体ない事をしたとは思う。けれども祇園祭は期間が長いものですから、行ける時にちょっと散策する、こういう愉しみ方が町衆に支えられた祭事故の巡り方なのかもしれない。

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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二三,前祭り山鉾巡行まもなく開始-京都夏の風物詩を巡る

2023-07-17 07:00:04 | 日記
■祇園祭を巡る
 宵山の混雑が凄かった。昔はここまでじゃなかったよなあとも思いつつそして輪を掛けて凄いのは猛暑熱波灼熱というものですが本日は。

 祇園祭は今朝まも無く山鉾巡行が開始されます。長刀鉾を先頭に進むのは前祭り山鉾巡行の象徴的な情景でして、四条烏丸から四条河原町を経て京都市役所前をもとの山鉾町まで巡行する。さて、この撮影ですが、ちょっと昨晩の宵山の混雑が、凄すぎて驚きました。

 宵山、コロナ前もオーバーツーリズムが凄かったのですが、此処までだったかなあ、轟いたところ。山鉾巡行も祭日に行われるのですから、混雑はかなり覚悟しておかねばなりません。そうした中で、上手く撮影するには。個人的な経験ですが望遠レンズをつかうこと。

 山鉾巡行、近ければ近い程撮影は困難ですので100m後ろに下がりましょう、望遠レンズで可能ならば250m下がる、できればもっと後方から超望遠レンズと脚立を駆使しますと、いっそ八坂神社あたりから撮影するならば、最早混雑とは無縁ですがこれは遠すぎるか。

 大宮駅から長刀鉾が見えた、もともと大宮駅近くの梛神社から八坂神社への巡幸の際に、これは1150年以上前の話なのですが、旗指物とともに町衆がついていったのが山鉾巡行の始まりといいますので、見えてもおかしくはないのかもしれませんが、実際見ると驚く。

 日本三大祭りですので混雑は凄い、そして葵祭ほど遠距離を練り歩くわけではありませんから撮影できる場所は限られる、限られるのだけれども四条通と河原町通りと御池通りでは直線区間が続きますので、見通しの利く遠い場所から撮影することは、可能でしょう。

 神幸祭、山鉾巡行は八坂神社から御輿が一帯を巡る神幸祭の露払いが目的ですので、いよいよ祇園祭は最盛期を迎える、というところなのですが、撮影の際も周辺に気を付けて事故の無いようにしたい、すると混雑していない場所から望遠で撮影するのが、お勧めです。

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【京都幕間旅情】葵祭,下鴨神社へ向かう行列-京都三大祭を迎える2019年と2023年とでかわったこと

2023-05-21 18:11:50 | 日記
■葵祭を,撮る
 祭事行列の撮影はやはり自衛隊行事の観閲行進の撮影とは違うものなのですね。市街パレードではここまで長距離を移動しませんし戦車も来ません。

 葵祭、実は新しいカメラ機材の性能を試してみたい、という理由もありまして、一寸無理して時間を捻出したのです。それは、EOS-M5ミラーレスカメラ、従来のEOS-M3ミラーレスカメラを補完する新しい装備として導入したのです、EOS-R10はもう少し先に。

 EOS-M5,良いカメラなのはスペックからは判るのだけれども、なにしろミラーレス機種に良い思い出は無い、店頭で試すだけではわかりにくく、特に使い慣れたEOS-7Dとは根本から操作方法が違い、何処をどうもったら誤作動が起こるのか、これを使って熟知したい。

 M3とM5,まずボタン操作の位置がかなり変わっているので、習慣の様に指を動かしますと恐らく失敗する、しかし、誤操作がどういうときにおこるのかは使てみないと判りません、誤操作が起る背景が分っていれば、操作時に注意する事でそもそも起らないのですからね。

 ダイヤルスイッチ、結局のところいしきせずにカメラを保持しようとして押してしまう事が多き、気づけばM3ではISO感度が12800に誤操作で切り替わって写真を台無しにすることが在った、そしてMFにカメラを保持しようとしてもった際かえてしまう事も。

 電源の位置がM3とM5では違うのだけれども、M5の切替レバー方式はEOS7Dと同じ位置なのだと解釈していた、けれども、EOS7Dは電源を入れたままでもシャッターボタンに指を掛けなければ自動で電源が落ちて、しかしシャッターを押す事で即座に撮影できる。

 M5は電子光学ファインダーの接眼検知装置に不用意に触れる事で電源が復帰してしまい、これが電池の電力を大量消費する事に気付いた。使ってみないと判らない事がある、使い勝手は数値化できないだけに、慣れる為には場数を踏まなければならないのですね。

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【京都幕間旅情】葵祭,青空の京都は新緑溢れる五月の鴨川をわたり下鴨神社へ向かう京都三大祭歴史行列

2023-05-20 14:41:09 | 日記
■上皇猊下も天覧
 晴れてよかったという言葉を改めてかみしめるのです。

 葵祭、行ってきました。例年五月のこの季節は忙しくなってしまい、まあ毎年観ようと思えばみられるし、ねえ。と悠長に構えていましたらやってきたのは歴史行列ではなくCOVID-19の災厄、そう、もう丸々三年間、葵祭の行列そのものが無かったという。

 上皇猊下と上皇后陛下が天覧されるという葵祭、考えてみれば凄いことなのだなあ、令和時代を迎えられて良かったと感慨深いのですが、それと同じくらい感慨深いのは、果たして撮影する事は出来るのか。撮影場所も大切なのですが、先ず現地へ行けるのか、と。

 月曜日は忙しいホントに忙しい、残念だ、かなしい、せめて火曜日ならナア。こう思っていたところに不幸中の幸いと云いますか、月曜日が雨天となり、火曜日に順延となりました。火曜日も忙しい、残念だなあ、というよりも順延が決まったので猛烈にお仕事した。

 火曜日は午後からなんとか時間を確保できたのだけれども、引き継ぎを早めに終われば行列の開始には間に合わないけれども、正午近くになんとか行けるかもしれない、すると1030時に京都御所を出発するところは間に合わないけれども、葵橋のあたりまでは行けるか。

 河原町今出川のあたりならば、間に合いそうか。大規模な交通規制が敷かれる京都市内ですが、脇道は確実にぬけられる幾つかの経路が有りますので、移動経路を慎重に考える。すると、行けたのだけれども府警さんが、立ち止まって撮影しないようよびかけている。

 行列を視られただけでも良かったと考えまして、わたしも行列のように、立ち止まらずに歩きながら撮影、と。望遠レンズで圧縮効果を狙うのも良いかもしれませんが、しかし歩きながらでもなかなか良い絵になるものなのですね。それにしても晴れてよかったです。

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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
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