◆武力行使と武力攻撃の混同が生む討議の齟齬
グレーゾーン事態を考える、この命題に際して何度か考えされられるのは武力行使の定義について。
政府のグレーゾーン事態対処を示されるたびに、グレーゾーン事態の定義が不明確だ、と野党や識者に市民団体などから指摘されることが多いようですが、物事を筋道立てて検討する上で定義というのは非常に重要です。他方で、我が国は武力行使というものの定義を国際法上の武力行使からかなりかい離した定義を行っているのではないでしょうか。
日本国憲法九条は武力行使を明文で禁止していますが、正文は邦語のみで英訳の正文を制定していないため、多分に武力行使はarmd attackという国際法上の武力攻撃を示しており、影響力を相手国に与える事を含めたused forceという国際法上の武力行使を示しているとは考えにくいものがあります。
国際法で言うところの武力行使の英訳であるused forceと憲法上の武力行使が異なるのではないか、という視点について、まずused forceには経済制裁が含まれているためで、他に影響力を国家が行使しようとする幾つかの主権と関わる分野、関税協定締結や外交関係などが含まれているわけです。
しかし、邦語では武力行使に武力という単語が含まれているため、どうしても軍事力を用いた、所謂戦車戦や空挺作戦に海上封鎖や制空戦闘、という印象を持たせるところがあります、憲法上に武力攻撃と明記しなかった背景はその制定過程を概括しても理解できるものではありません。
上記の通りですが、少なくとも対共産圏輸出規制や北朝鮮経済制裁等、所謂used forceに当たる行動が憲法違反になる、という視点は聞きません。推測に頼るのですが、武力攻撃という単語に海上封鎖など戦前我が国が平和的解決策に含めた行動、これも国際法上は武力攻撃に含まれるものの、これを言葉として印象付ける事が出来なかったための言葉、と推測する事は出来るでしょう。
この部分について、経済制裁等国際法上の武力行使の定義と日本国憲法における武力行使の定義が異なるのか、否か、最高裁に付随的違憲審査権を通じた憲法判断を望みたいところですが、現行で含まれるという判断はありません、するとどう考えるべきでしょうか。
この点で行政裁判所と刑事裁判所とともに憲法裁判所の機能を付随的件審査権に基づき判断する我が国司法体系では、統治行為論、つまり統治行為論の英訳をより純粋に邦訳した訳語である政治問題として補完的に政府解釈を行う内閣法制局が機能を担いますので、こちらが判断することとなります。
グレーゾーン事態対処と武力行使の関連についてですが、武力行使の概念が国際法上の武力行使から大きくかい離した解釈となっているため、武力攻撃と武力行使という概念の境界線が国際法上と我が国国内法上とで相違があり、結果的に武力攻撃に含まれる状況であってもグレーゾーン事態に含めている部分がある、ということ。
グレーゾーン事態に、一例として武装工作員や武装漁民の浸透が挙げられていますが、指揮系統下に基づく武装集団による他国の攻撃は国際法上武力行使の良いを越えて武力行使に他ならないため、グレーゾーン事態に含める我が国の解釈は正しくなく、武力攻撃事態法を発動させる武力攻撃にあたります。
武力行使、政府と識者理解と国際法、以上の通り乖離している部分があるのですが、これは国際法上の定義と憲法上の定義が明らかに異なるため、必然的に生じた事例と言えるのかもしれません。そしてこれが毛科的にグレーゾーン事態というものを複雑化させてしまっている。
同時にこの問題の根底は、主権国家であれば通商と外交上必要となる部分に武力行使の定義が入り込む一方で、憲法が明記した平和的生存権の維持には明らかに戦争、つまり武力紛争を禁じた内容となっているのですから、明示すべきは武力攻撃を禁止すると明示すべきでした。
ただし、そのためには憲法改正の手続きを経る必要があり、武力行使の単語を武力攻撃に書き換え、主権国家がもつ外交関係の締結の上での係争や通商関係や経済制裁などの選択肢を憲法上含められるよう改める、と指針を示したとしても、手段として憲法改正という選択肢を示すだけで拒絶された、という状況はあり得ます。
もっとも、憲法上の命題は、軍隊ではない主権維持のための実力組織、として自衛隊という軍事機構、実質的な軍事組織であっても憲法上の軍隊ではないという概念、国際法上はジュネーヴ文民保護条約やハーグ陸戦条約の権利を自衛隊はゲリラではなく、交戦団体としての定義を理想なまでに満たすため国際法上の問題はありませんところ。
ただ、交戦団体よりは正規軍としての定義のほうが限りなく近い組織を軍隊ではない、としている現状の方が、もともと定義は世界の定義と我が国の法的な定義が異なるものであり、その延長線上として、武力行使についても国際法上の定義などは元々視野の外にあるのかもしれないのですが、ね。
武力行使と武力攻撃の混同は作為か不作為か、国内法と国際法上の定義の相違点についてですが、グレーゾーン事態を定義する際にもきわめて密接に関係してくる分野でもあります。なぜならば、これは上記の二つの境界が不明確である故に生じる概念なのですから。
この部分について、冒頭に記したグレーゾーン事態の定義が不明確だ、と野党や識者に市民団体などから指摘される状況に際して、併せて考えなければならないのは憲法の武力行使と武力攻撃の混同と考えられる部分を放置したことと無関係ではないと考えるところ。
即ち定義の土台を構築させなかったところに、つまり定義が不明確と主張する主体と合致することですが、責任の所在の一端があると考えるべきでしょう。武力行使と武力攻撃の混同は作為か不作為か、本論ではこの命題に回答を見出す事を目的とはしないのですが、表面化しなかったため放置していた、判明しても憲法の誤植と言える部分でも修正は容易ではない、こうしたことが考えられるのでしょうか。
グレーゾーン事態を考える上で、賛否の論理が討議で噛み合わないのは、こうした部分で共通の知的集約に依拠した討議を行う環境が整っていないためで、前回の本特集と似た結論ですが、こうした土台の相違が討議の齟齬を挟む要因となっている、こうした要素が大きいように思います。
北大路機関:はるな
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