◆観閲行進の先頭は東北方面隊管区七県の県旗
東北方面隊創設50周年記念行事、いよいよ観閲行進が始まります。
宮城・盛岡・青森・秋田・岩手・山形・福島の県旗が観閲行進に先立ち、式典会場に入場します。宮城・盛岡・青森・秋田・岩手・山形・福島、どれも東北方面隊の管区に或る県で、方面隊は全ての地域に管区連隊等を置き、この地域における防衛警備及び災害派遣を担います。
東北方面隊管区は冷戦時代、青函地区という重要地域の防衛を担いました、特に青函地区はソ連側が太平洋へ進出する上での重要海峡であり、併せてこの地域が着上陸されたならば北海道と本州の連絡が寸断することを意味し、北海道防衛の観点からも重要な要衝です。
また、東北地方はソ連沿海州より発信する戦闘爆撃機の戦闘行動半径圏内にあり、青函地区だけではなく、その地形全般を見ても山岳地帯と沿岸部よりなる地形があり、着上陸を許せば敵海岸堡の排除が困難となると共に山間部における盆地は空挺強襲への脆弱性を有していました。
東北方面隊は、第9師団と第6師団を以てこの地域の防衛に当たってきましたが、特に青森の第9師団については特科火砲と戦車部隊を重装備が集中する北部方面隊管区師団と同等の規模を目指した編成とし、青函地区の防衛を固めています。
なお、第9師団は冷戦時代にFH-70榴弾砲を最初に装備するなど近代化を続けていましたが冷戦後、はその優先度が低くなり、60式自走無反動砲やL-90高射機関砲が長く残り、普通科部隊は近年まで高機動車も配備されず、トラックと64式小銃というものでした。
東北南部を担う第6師団は司令部を神町に置き、全国への機動展開、特に青函地区への機動展開と東部方面隊管区日本海岸への着上陸時への全般支援を担うと共に、首都圏での大規模災害時には南下し、支援に当たる体制をとっていました。こう考えますと、神町は戦後GHQの東日本鉄道輸送司令部が置かれた輸送の中枢であり、仙台港も近い。
東北方面隊は冷戦後導入された即応予備自衛官制度を取り入れたコア化部隊と教育訓練部隊を統合し、東北方面混成団を創設しています。即応予備自衛官制度は財政的な負担が少々大きい印象が無くお無いのですが、元来の予備自衛官の年間訓練数が少なすぎたことを考えた場合、一つの選択肢と言えたかもしれません。
さて、管区内の県旗の更新とともに車両部隊の観閲行進が始まります。これに先立って、報道陣が撮影位置へ入場してゆきます。報道の方が手前に立たれると観閲行進を全く撮影できなくなるのですが、車列の反対側に配置する、というのはありがたい配慮ですね。
東北方面隊の記念行事は見ての通り霞目飛行場地区を会場として実施するため、車両行進の数が非常に多く、中央観閲式等と比較しても勝るとも劣らない規模と言えるやもしれません、そのため、マスコミの方も多い。しかし、富士学校祭等でお目にかかる専門誌の方もちらほらと。
観閲行進に先立って、散水車と除染車が散水を始めました。散水車が散水するのは当然ですが、除染車も参加しています、除染車は化学兵器などの攻撃に際して中和剤を散布し地域除染を行う車両ですが、観閲行進などでは砂塵などを防ぐために散水します。
除染車はこうした除染用の散水のみならずスプレーガンを装備していまして高圧放水による除染も行うことが可能です。この半年後の福島第一原発事故では、地域除染は放射性物質に中和剤は存在しないことから行えませんが、高圧放水による放射性降下物の塵除染を行いました。
観閲行進準備が進むと共に少し違うところに視線を回してみますと、FH-70やUH-1が、雰囲気は野戦飛行場という情景の中、前回特集した音楽演奏に参加した部隊が撤収中です。この部隊は訓練展示模擬戦に参加するのでしょうか。
観閲行進部隊は、いよいよ観閲行進を開始します。』見ての通り、元々多い観閲行進で知られる東北方面隊記念行事ですが、この50周年記念行事は整列した式典参加隊員だけで2000名以上、延々と並ぶ車列にますます期待も高まる。
敬礼し、東北方面隊総監部爆量が総監の前に前進してゆきます。さていよいよというところ、観閲行進は県旗の入場を紹介しましたが、本体の観閲行進は、今回既にかなりの枚数になっていますので次回に紹介することとします。観閲行進が始まりました。
北大路機関:はるな
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