北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

中部方面総監部記念式典クロニクル

2006-01-25 12:14:08 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

 新規にカテゴリ『陸上自衛隊 駐屯地祭』を設定した。2005年度の駐屯地祭は防衛・安全保障、国際・政治に掲載されている。

Scan20051  今年度の伊丹は、訓練展示の安全区域制約という関係上、撮影位置が著しく制約されていた為に観客席の真正面から撮影する事となり、左右の一般観覧席の存在から斜めからの写真撮影も制約されてしまい、観閲行進の写真が非常に機械的で無機質なものと成ってしまった、ここで今回は過去の伊丹駐屯地における方面総監部記念式典の写真を掲載し、駐屯地祭の情景をお伝えしたいと思う。

00280034  写真は普通科の分列行進が2004年度、横の74式戦車が2003年度の写真である。74式戦車の写真に関しては一般観覧席の一番端から撮影した。こうすると松ノ木に隠れた戦車や装甲車を撮影する事が出来るが、記念式典という写真を撮影するには観覧席の様子も写真に収めた方が効果的であり、2004年の写真の方が理想的である。他方、2004年の撮影ポジションは今年度は訓練展示を行う為立ち入り禁止となっていた。

Scan20053  写真は2004年度の写真である。軽装甲機動車の写真であるが、斜横面から撮影した方が一枚の写真に多数の車輌を写す事が出来、迫力のある写真とする事が出来る。なお、2003年度は脚立を携行していかなかった為撮影は困難を極めたが、2004年度には脚立を携行した。脚立の使用には賛否両論があるが、前列で使用するのは観覧の邪魔者以外何者でもないが、後方で使用する分には問題はないと考える。なお、小生が使用していたところ航空自衛隊の人が寄ってきた、『すいませんが友人が式典に参加しているので登らせていただけますか?』こうした場合脚立は公共財である、『どうぞどうぞ』と快諾した。

Scan20155  写真は2004年度のものである。中部方面隊管区の府県自治体の県旗をもって行進を行う。この撮影位置からは同時に多数の県旗を写す事が出来るが、今年度は撮影位置の関係上広角レンズを用いても三台ほどしか同時には撮影する事は出来なかった。73式小型トラックもこのように使用されると中々見栄えの良い写真となる。

Scan20156  同じく2004年度の写真である。師団長クラスが乗車する82式指揮通信車で、通信装置を搭載したコマンドポストである。なお、現段階では映像通信能力を有せず、RMA以降の指揮車輌としては能力不足が指摘されている。春日井で試乗したことがあるが乗り心地は上々であった。装甲車を有しない普通科連隊の記念行事ではAPCの代わりに使われていたりする。指揮官先頭の伝統は今日でも健在という事か。

 なお、この位置からでは82式指揮通信車の六輪式装輪装甲車としての特性が見えにくいのは反省点である、あたかも四輪の仏軍VBA装甲車みたいな写真になってしまった。

Img_2311_1  写真は今年度の撮影である。87式偵察警戒車であるが、観覧席正面から撮影した為、車体の形状はよくわかるものの、迫力のない写真となってしまった。2004年度の撮影位置から撮影すれば6輌程の車輌が同時にフレームに収める事が出来たはずだ。なお、写真はやや粒子が乱れてしまったが、写真をクリックしていただければ鮮明な写真を見る事が出来る。

00280014  2003年度の式典では観閲飛行の写真において望遠レンズと広角レンズの交換タイミングを誤り、撮影に失敗してしまった。2004年度式典では広角レンズ用カメラと望遠レンズ用カメラの二台を携行して撮影に臨んだが広角レンズ用カメラが六年目にして寿命が来てしまい、フィルムモーターが動かなくなってしまった。36枚フィルムで三枚しか撮影できないようになり、電池消耗も三十分も使用すると使用できないほどになっていた為、暫定的な対応として安価にEOS-650を中古で調達した。何があるか分らない、それが駐屯地祭である。

Scan20151  写真は2003年度に実施された訓練展示の様子である。2004年度は訓練展示が実施されず、残念であった。なお、写真から分るように脚立を携行していなかった2003年度は片手を大きく伸ばして無視界撮影を行うより他に無かった。脚立を携行していくかどうかを考えたのであるが、嵩張るだろうと考えもって行かなかった事が悔やまれた。現行ではデジタルカメラに機種変更している為撮影写真がどのように撮れているかを即座に確認する事が出来るが、この当時は現像されるまでの間、どういった写真となっているか全く不明であり、緊張の一瞬であった。なお、入間基地航空祭は脚立を携行していなかった為無視界撮影をおこなったが、デジタルであったため容易に撮影し、写角修正を行う事が出来、それなりの写真を撮影する事が出来た。

Img_2460  写真は今年度の訓練展示における空砲発射。デジタルカメラは現像料金を気にせず撮影できる点も利点として挙げられる。36連発のマガジン式機銃から240発銃身交換のベルトリンク式機銃に変更したようなものだろうか、旧軍の99式軽機関銃からMINIMI分隊軽機に変更したものと考えればよい。連写によって砲焔の撮影も可能となった。しかし、現用のカメラはEOS Kissデジタルで確か650万画素程度だったろうか、35㍉フィルムはデジタル換算で3500万画素程度はあるとされるし(現像技術が発展途上だが)、現像するとやはり通常式のほうが良い写真が撮影できる。練習用には最適なのだがいつかはフィルム式に戻りたいと思う。

Scan20150  2003年度式典では友人らと74式戦車に体験乗車した。油気圧サスペンションを下げ、乗車しやすいようにしている。訓練展示終了後、撮影位置が体験乗車を行う場所に近かった事からすぐに列に並んだ。擬爆筒や空砲を使用した物凄い迫力の余韻のなかで体験乗車を待つ行列はすでにそれなりの長さとなっていた。なお、空薬莢や機銃を搭載したまま体験乗車を行うわけには行かず、キューポラからその取り外しなどの様子をつぶさに見る事が出来た。

Scan20152  写真は戦車車上から後続の戦車を撮影したもの。今年一緒に乗った友人曰く『物凄い振動に驚いた』とか。この写真で気になるのはフェンスの外で図らずも併走することとなった一般の乗用車、道路を走っていたらば隣に戦車、さぞかし驚いたことだろう。生活道路の速度制限は30、74式戦車は53キロ出るがどの程度スピードを出していたのだろうか。なお、伊丹駐屯地には平時には戦車は配備されておらず、これは今津駐屯地から式典のために展開してきたものだ。

Scan20149  写真は車輌待機区域。おそらく式典中は危険であるから立ち入りは制限されたと思われるが、式典終了後は立ち入り禁止にはなっていなかった。各種装備が展示されており、中には装備品展示に並んでいないものも多かった。写真はホーク地対空ミサイル。友人が姫路城に行く途中の高速道路で遭遇したが、いかにもミサイルらしい外観に恐れをなしたのか、付近は車が全くいなかったという。ホークミサイルは改善を重ねたがこれには多くの費用がかかり、ある陸自幹部がいうにはホークさえなければ陸上自衛隊の機械化はとっくに完了していたはず、と。新型の03式中距離地対空誘導弾が兵庫県の青野原駐屯地にある第八高射特科群に配備が始まったという事で、来年度には式典に参加する可能性がある。

00290034  装備品展示は今年度、小火器、高機動車、軽装甲機動車、73式小型トラックという限られた規模であったが例年では指揮通信車や偵察警戒車、地対空ミサイルに戦車、火砲という規模の展示が行われる。来年度はどの程度展示されるかは不明であるも、参考までに2003年の写真を掲載した。陸上自衛隊の各種装備に加えて、航空自衛隊からペトリオット地対空誘導弾が参加しているのがわかる。

Img_2596  今年度の写真が撮影位置の不備から満足の行かないものとなり、クロニクルというかたちで掲載した。名古屋市の守山駐屯地における第十師団記念式典と比較したところ、確かに方面隊行事の方が式典の規模が小さいという印象があるが、東北方面隊は霞目飛行場を用いて戦車17輌を含む大規模な式典を行っており、西部方面隊も健軍駐屯地のある熊本市内一般道路を用いてMLRSや自走火砲、戦車による観閲行進を行っており、その迫力は中々であると聞く。来年度はどういった式典となるかは不詳であるが、期待したい。

 HARUNA

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昨年度における岐阜基地航空祭の情景

2006-01-24 17:21:17 | 防衛・安全保障

 先日詳報を掲載した岐阜基地航空祭はあいにくの雨天であった。そこで、今回は昨年度、つまり2004年の岐阜基地航空祭の写真を掲載したい。

Scan20161  岐阜基地には、航空機の実験や運用試験を行う飛行開発実験団が所在し、その任務の特性上、航空自衛隊が運用するほぼ全ての航空機が配置されている。例えば、F-4EJ改、F-2、F-15Jといった第一線航空機が複数規模で配置されている。

 無論、通常の実戦部隊のような単一機種による大編隊は数的に展示できないものの、この基地をみればほぼ全ての機体を観る事が出来る点が岐阜基地航空祭の魅力である。

Scan20078  また、今年度はスケジュールの関係上飛行展示を行わなかったが、例年はブルーインパルスによる飛行展示が行われる。写真はブルーインパルスのT-4列機横を通過する飛行開発実験団のF-2である。岐阜基地には初号機など試作段階のF-2が配置されており、実戦部隊の迷彩とは異なり、あたかもアクロバット機のような派手(機体の運動性能などを遠距離から視認する上で必要なため)なカラーリングが施されている。

Scan20168  写真は残念ながら一目して逆光である事がわかるが、地上展示機が並べられているエプロン地区は午後から逆光になる。従って、午後から行われるブルーインパルスや後述する多機種編隊飛行をエプロン地区から撮影すれば逆光は必至となってしまう。

 これに対しては、エプロン地区、つまり滑走路北側ではなく滑走路南側が開放されているのでここに移動しての撮影が望ましい。ただし、地上展示機はないので、こちらを撮影するのであれば朝一番、開門と同時に撮影するくらいの行動力が必要となる。なお、徒歩では滑走路を横断できず、沿って迂回する必要があり時間が掛かるが、有料のバスが運行されておりこちらを利用すると良い。なお、売店もないので飲料水などは各自携行する必要がある。

Scan20165  前述のように基地の特性上多種多様な機体があり、地上展示機も豊富である。しかし、エプロンの面積の関係からあまり多くの機体を並べる事が出来ず、E-767(浜松基地)のような大型の機体が展示されることは非常に少ない。入間基地のようにエプロン前方に並べると格納庫群によって視界が妨げられてしまう為、こうした展示方法も行う事が出来ないのは残念である。

 なお、飛行展示に関しては搭乗員が優秀であることと、周辺自治体との良好な関係から大いに期待できる。

Scan20086  この技量の真髄とも言うべき飛行展示は、写真の多機種編隊飛行である。航空自衛隊が保有する、速力や航続距離、機体規模といった性能が根本から異なる機体を組み合わせた編隊飛行は、間違いなく岐阜基地でしか見る事が出来ない“名物”である。写真は、C-1輸送機を中心にあたかもサンダーバードの如く飛行している。

Scan20087  なお、この編隊飛行は編隊を組み替えつつなんどか上空を飛行する為、撮影のチャンスも多い事が嬉しい。この写真も先の写真と同じく逆光であるが、航空専門誌等を観ると順光の写真が何枚も滑走路の南側から撮影され、掲載されており来年度こそは小生も滑走路南方に展開し撮影したいと思う。

 このように、岐阜基地は晴天であれば多くの見所がある航空祭であるため、一度展開をお勧めしたい。

 HARUNA

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今年度最後の駐屯地祭展開予定 春日井駐屯地祭

2006-01-19 09:59:32 | 北大路機関 広報

 18年2月12日(日) 木更津航空祭 木更津駐屯地(千葉県木更津市) 木更津駐屯地広報班0438-23-3411、が開催される。

Img_0294  実は展開を鋭意検討中であったのだが13日に神戸で所用があり、羽田~伊丹打通作戦!という検討もした末、流石に展開は断念した。木更津駐屯地は千葉県木更津市にある陸上自衛隊航空部隊の一大根拠地である。

 同駐屯地には第一ヘリコプター団と第四対戦車ヘリコプター隊が展開しており、大型ヘリコプターCH-47が32機、AH-1S対戦車ヘリ16機、そしてOH-6観測ヘリなどが配置されている。大型ヘリコプターや対戦車ヘリコプターは高価であり陸軍大国の韓国や台湾でさえ、これだけの大型ヘリコプターを保有していない。

 大型ヘリの一斉離陸はまさに圧巻で、AH-1Sの機動飛行も迫力だ。これだけの規模の陸自航空祭は他には明野駐屯地くらいであり、首都圏に在住の方は是非一度足を運ばれてみては如何だろうか。

00290012 現段階で小生の今年度最後の駐屯地祭として展開を計画しているのが3月5日の春日井駐屯地祭です。

 春日井駐屯地(0568-81-7183)には第十偵察隊、第十施設大隊、第十後方支援連隊が配置されている。偵察隊には約10輌の87式偵察警戒車が配置されており、斥候用のオートバイや小型トラックが配備されている。訓練展示の有無に関しては目下不明である。

Img_3784  田舎駐屯地という印象が強いが(昨年の銃剣紛失事件で有名になったが・・・)、施設大隊には地雷敷設車や自走架橋装置、地雷原処理車に多目的作業車、渡河装備などの展示がある。普通科連隊や師団司令部の駐屯地では見過ごされがちなこれら装備(装備品展示でも場所が無いと展示されない)が多く展示される。

 また、戦車回収車は後方支援連隊装備であるため、今津から74式戦車が駆けつける。加えて豊川からもFH-70榴弾砲が駆けつける(何れも数年前に小生が展開した際の経験なので断言は出来ませんが)。また、前回はイラク派遣訓練の関係で96式装輪装甲車が来た事もあるという。

Img_6190  国際貢献任務として挙げられる復興人道支援や国連平和維持活動にはまさに施設科や後方支援部隊が主役であり、現在の日本安全保障を知る上で貴重な機会となろう。

 なお、交通はJR中央線春日井駅から名鉄バスが出ている。蛇足ながら前回は名鉄春日井駅からもバスが出ていると思い込み、行ってみて残念、長躯(ホントに遠い)駐屯地まで徒歩で友人と行った。その隣を颯爽と通過する名鉄バス・・・、やはり情報は重要である。

 皆さんも今年度最後の駐屯地祭(中部方面隊管区では今年度最後のもの)への展開を検討されてみては如何だろうか。

 HARUNA

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憲法問題を考える前に知るべき幾つかの事実 ②

2006-01-18 13:52:55 | 防衛・安全保障

Fh000004  自民党新憲法案の中に“自衛軍”という呼称が出てくる。自衛軍という呼称に決まったのは自衛隊という呼称に国民の愛着があるからという理由付けが為されている。

 しかし、自衛軍として軍に格上げしたらば例えば階級呼称の一尉二尉三尉というような呼称は大尉中尉少尉に戻すのか、普通科は歩兵科に特科は砲兵科に戻すのか、陸上自衛隊を陸上自衛軍に変えるのか、自衛艦隊は連合艦隊になるのかなど疑問点は多い。どうせならば防衛軍として統合運用の基盤を創り、内局と防衛軍司令部とを防衛省の元に置き、文民が出来る部門は内局が、国土防衛や海上交通路確保に関する任務には防衛軍が、そして防衛軍を新設される統合幕僚長指揮下に置き、防衛軍陸上自衛隊、防衛軍海上自衛隊、防衛軍航空自衛隊としつつ、階級や職種(兵科)呼称を現行のまま維持した方が現場には混乱が起こらないと考える。何となれ、略称は定着してしまっており、陸上自衛隊であっても陸上自衛軍であっても略称は陸自のままであろう。

 加えて、憲法上の位置づけが変わる事(つまり防衛力の保持が合憲違憲という神学論争に終止符がつく事)による士気高揚は期待できるが、名称を軍に変えて『お前たちは自衛官ではなく自衛軍人だ、気合を入れろ!』といってもそれだけでは余程の体育会系でなければ士気は上がらないだろう。

 大半の国では軍人は国家に対する献身として名誉あるものと尊敬されている。また、国家も国民の献身に対して軍人恩給や鉄道運賃や文化的行為(観劇)に対して割引を行うなどの有形無形の福祉を提供している。何となれ、人命の損耗に無頓着であった旧軍でさえも、厳しい中で恩給制度や割引制度を制度化し献身に応えている。こうした制度を整備するという考えはどの程度煮詰まっているのだろうか。

 また、自衛隊は自民党の軍隊ではなく、日本国の自衛組織である。政争の道具として省格上げ論や集団的自衛権が取引されたが、そもそも国家の基盤であるべき平和・安全保障が党派同士与党野党間の取引材料にされる事自体がリアリストの提唱する“普通の国”ではありえないことである。例えば大統領選挙ごとに国を二分するアメリカでも対外政策では共和党民主党は協調路線を採り政権交代時もその目的への方策は異なるものの結果は基本的に踏襲されている。イギリスにあっても保守党・労働党は平時は基本的な支持階層の相違から対立が目立つが有事の際には協調を採る。

 1992年から漸く戦闘防弾チョッキの支給が始まり、装甲化を全般的におし進めた軽装甲機動車は2000年に差し掛かってからの装備化であった。この間、隊員は有事の際には無防備な状態で戦闘に臨む覚悟を強いられた訳で、不完全ながらも有事法制が整備されたのは21世紀になってからであった。有事法制とは武力侵攻事態における文民統制を目指した本質を有しており、言い換えれば有事法制の未整備な状態であれば好むと好まざるとに関係なく、超法規の行動を強いられた訳である。

 名称を軍に変える云々の話は一部の階層には重要な命題かもしれないが、実質的には実定法の法整備が遅れていた事が最も懸念すべき命題であった。

 装甲化に関しては前述のように改善傾向にあるが、有事の際の予備動員制度は予備自衛官が定員の三割以下という状況であり、損耗を補填する事が制度上できない。これはどう足掻いても予備自衛官と雇用者を取り持つ補助金制度や法的取り決めが必要である。また、弾薬備蓄に関しては前々から言われた事であるが経年劣化と演習場での使用量を換算した規模の備蓄しかない。豪州や北米(既に小規模な派米訓練はなされているが)への演習場確保などの検討が必要である(信管などをのぞき保存状態が良好であれば弾薬の経年劣化は少ないといわれる、事実イラクでは不足する50口径機銃弾などを第二次大戦中に生産されたストックを充てて使用している)。防衛産業に関しても、三菱や川崎の防需に占める割合が非難されるがこれは本来国が負担するべき装備開発基礎研究費用を自腹で負担しているからであり、その分の上乗せは制度上当然である。これが問題というならば基礎研究費を国庫から負担するべきであろう。更に装備品を制式化に関する訓令という内部的な理由から近代化改修出来ない法的問題も是正されるべきである。

Fh020022  このように何より先に改正するべき問題が山積する中で、憲法さえ改正すれば何とかなるだろうという考え方は見当違いもはなはだしいと思える訳である。

 憲法改正以降、上記のような現行の問題への打開案というような見通しは果たして存在するのだろうか。

 先に列挙した現行で存在する問題に関しては、現行の憲法体制の下でも充分是正可能な内容である。付け加えるならば憲法上自衛権が充分行使できる状態が改憲により成立したとしてもそれはソフト的な問題であり予備人員や弾薬備蓄、戦時量産などの体制が確保できていなければハード面で本来的任務の遂行は難しい。確かに自衛隊(軍)が憲法上明確に有効なものとなれば法案審議その他でも革新勢力の反発は幾分かはおさまろうが、何となれ法整備不充分では結果的に超法規を許さざるを得ない状況が成り立ってしまう。この点に留意する必要があろう。

 また、憲法で自衛隊を容認しようとも、集団的自衛権(これは国連加盟や日米安全保障条約締結により伝統的に許容されているとみる事も出来るが)の行使が容認されようとも、島国である日本にとり、いきなり取りうる選択肢が敵を本土に迎え撃っての本土決戦ではナンセンスである。航空優勢と海上交通路確保が日本という国家の死活的利益である以上、この双方の確保に重点を置かねばならない。こうした問題に関して、市民団体や学者、メディアは『平和平和』の連呼により済まそうとするが、果たしてこれが有効な代案たるのだろうか。

 自衛隊とは定員は何人いるのか、どういった装備を持っているのか、どこにどれだけいるのか、こういった命題に答えられる国民は少ないだろう。また、有事法制で有事にあっては土地や個人資産などの提供(例えば陣地構築の為や物資輸送の為)に対して反発する声があるが、それでは外敵にならば差し押さえられても良いのか、自衛隊の行動により損害が生じれば国家賠償法二条により賠償の対象となるが文民保護を定めたジュネーヴ条約も保護までは書かれているが補償に関しては記載されていない。この点をどう見るか、つまり何故水際撃破や洋上阻止によって民生被害を局限化しようという議論に至らないかということである。

 憲法改正憲法改正危機管理危機管理と叫ばれて久しいが、一度主権者たる国民としてこの問題を明確に議論し振り返る必要があるのではなかろうか。

 HARUNA

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事務的広報

2006-01-14 00:55:17 | 北大路機関 広報

Img_6243  北大路機関をご覧頂ありがとうございます。

 北大路機関ブログですが、掲載を重ねるにつれ写真の容量がサーバー許容にすこしづつ迫るに至りました。ここで打開案として初期のブログに掲載した記事の内、写真だけを削除する方向で検討中です。

 サーバー容量をブログ形式変更により拡大する事も検討しております。フォトアルバムを使用できるよう変更する事も出来るようですが、本ブログは将来的に整備される見込みであるWebサイトの雛形としての性格を有するものでありますから、これが実現するまでの間は第一にブログの容量削減という方法で対処する事としました。

 写真削除の時期は未定ですが、記事には代替として容量を低減させた写真を添付する事も考えております。何卒ご理解のほどをよろしくお願いいたします。

 北大路機関

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豪雪災害と自衛隊災害派遣報道から

2006-01-13 23:48:06 | 防衛・安全保障

 昨年末から続く豪雪災害により、NHKの報道によれば犠牲者が80名を超えたとの報道があった。

Img_3732  報道によれば災害派遣として陸上自衛隊が除雪や交通の確保の目的で被災地に投入されている。しかしながら、テレビ報道を見る限りにおいて住民からはもっと部隊を、とかうちの村落にも部隊を、という声が上がっている。テレビ報道はミクロ的問題をマクロ的に拾い上げ報道するという克服しがたい命題を抱えている為被災地全体の声とは必ずしも合致しないことを踏まえてもやはり不満はあるようだ。

 一方で災害派遣要請を首長や県議会などが渋っているという状況も幾つか報道されている。

Img_3011  自衛隊法に定められているように自衛隊は独断で出動を掛ける事は出来ない。これはシビリアンコントロールの徹底により旧軍でしばしば見られた独断専行による部隊展開や緊張状態の形成という反省から来たものである。この場合、被災地と災害派遣要請を出来る立場の人間(首長)の意識の相違が問題である。

 一方で、災害派遣を行う自衛隊の規模にも限界があるということを考えなければならない。災害派遣に用いられるヘリコプターや豪雪の場合用いられる雪上車の数量には限度があり、加えて他の地域からの部隊派遣にも限度がある。土地勘のない部隊を大量に派遣させても宿営地設置などで逆に非効率な状態が生じる可能性があるため、一部で言われているように余裕のある地域からの転地というのは容易ではない。

Img_2895  こうした中で、一般市民が出来る危機管理としては“知ろうとする”事である。皆さんの身近にある駐屯地や基地の事を特に革新と呼ばれた人たちは自衛隊や軍隊というだけで忌避する傾向があるが、そうではなく知ろうとする事が大切である。仮に民間防災自主組織というようなものがあって、大地震や豪雪、台風というような事態に遭っても自己完結で迅速に大量の人員を投射できるような状態であればこうした必要はないが、効率と事業評価が重視される現代社会にあっては自己完結と豊富な器材を有する自衛隊に頼るところが大きいはずだ。写真は81式自走架橋装置とよばれるもので、数時間で数百メートルの橋を架橋できる装備である。こうした装備が自衛隊にはあるということも知っておいて損はないはずである。

 有事といえば戦争を髣髴させる方が多いようであるが平時の公共サービスが途絶する災害時は有事そのものである。

Img_3149  また、自衛隊の能力にも限界があることを忘れてはならない。写真のC-130H輸送機は救急車などの緊急車輌も輸送できる輸送機だが日本には16機しか配備されておらず、国際貢献任務と平時の各航空基地への輸送任務を兼任しており、写真のように災害時には災害派遣にも供される。他により小型のC-1輸送機が26機程あるがこれを加えても輸送能力には限界がある。輸送機以外にも外洋航行が可能な輸送艦は日本全体で3隻しかなく、陸上自衛隊も国土の広さに対して部隊は必ずしも充分ではない。こうした点も留意しておかなければならないと考える。

Img_1229  最後に、自衛隊の最大任務は国土防衛であり、災害派遣や国際貢献は実質的にその付随的任務であるという事を忘れてはならない。憲法の下の平和国家としての位置付けも外的から防衛されている事で憲法が機能していることであり、有事において外敵により占領された地域には主権が及ばず、結果的に憲法も機能しなくなる。災害派遣ばかりを見ていると自衛隊はあたかもサンダーバードのような国際救助隊と錯覚されるような方がおられるようだが、航空自衛隊は航空阻止と航空優勢確保を行い海上自衛隊は制海権の保持を遂行、陸上自衛隊はいわば本土決戦(専守防衛を貫けば自ずからこの表現となる)における陸上防衛の遂行が第一の任務である事を忘れてはならない。

 サミュエルハンティントンがいうように日本はミリタリープロフェッショナルに対して敵対的な姿勢を戦後一貫して貫いてきたが、これについてはそろそろ、イデオロギー的な議論はさておき、“知る”という方向に転換しても良いのではなかろうか。

 HARUNA

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岐阜基地航空祭 詳報

2006-01-12 20:19:43 | 防衛・安全保障

 岐阜基地航空祭に関して、短報以来詳報をお送りしていなかったが漸く詳報をお送りできる運びとなった。

Img_5090  航空自衛隊岐阜基地は名鉄各務ヶ原線三柿野駅隣にある航空基地で日本で最も古い飛行場の一つである。2005年3月まで各務原飛行場前駅(現各務原市役所前駅)というのがあり、多くの航空ファンがここで下車し、正門が遠い事を知り絶望したというが、これはかつての陸軍航空隊基地の正門の傍に駅が設けられたことに由来している。なお、名鉄には学校前駅というのがあったが既に廃校になって久しい事から運動場前駅に改名されるなど、かつての名残を思わせる駅名が多く見受けられる。

 閑話休題。岐阜基地は航空自衛隊唯一の航空自衛隊専用飛行場であり、ここには飛行開発実験団が置かれ、各種装備の実験が行われている。

Img_4932  ここ岐阜基地は、その性格から最新鋭の戦闘機などが実験や運用試験を行う為に配置されており、F-2初号機など貴重な機体を見る事が出来、加えて川崎重工の工場に隣接している事からP-XやC-Xといった今後登場するであろう新型機が生み出される航空一大拠点である。他には中部日本の予備部品保管を一手に引き受ける第二補給処や第四高射群司令部があり、以前見学した際、全自動の部品倉庫や小山の上に置かれるペトリオットミサイルの威容に、鉄道や国道から見る岐阜基地とはまったく異なった印象を受けたものである。

 岐阜基地航空祭はこうした理由から例年人気があり、本年もブルーインパルスの飛来こそなかったが(入間基地航空祭から時期が離れていない事でスケジュール的に参加が不可能)大勢の人出で賑わっていた。

Img_4859  岐阜基地航空祭当日は雨であるが人では多く、日曜日ながら通勤電車並の混雑にあった。急行の遅さに若干忸怩たるものを感じながら三柿野駅に到達するとすでに発動機の音が、先に基地に入っている友人から急ぐように催促の電話が。聞くところでは救難展示が行われているというではないか。

 岐阜基地航空祭で救難展示を行うヘリコプターはV-107救難ヘリコプターである。本機は新潟県中越地震などでの災害派遣で一躍有名となったが、現在、陸上・海上自衛隊では引退し、航空自衛隊でも新型のUH-60J救難ヘリコプターに更新中である。V-107はUH-60Jの二倍の人員を搭載できるものの、残念ながら夜間飛行能力に限界があり、20年前の日本航空ジャンボ機墜落事故ではその能力の限界が指摘されている。しかし、水上着水能力を有する本機は今しばらく現役に置かれよう。

Img_4873  悪天候にあって緊迫感の高い救難展示の後、開催すら危ぶまれた第一空挺団による降下展示が行われた。千葉県船橋市にある習志野駐屯地から入間を経由して展開した空挺隊員は、悪天候もさることながら空挺降下を実施した。若干の横風があろうとも精鋭無比、勇猛果敢を持って知られる空挺部隊の降下は技術的には可能であるが、なんとなれここは東富士演習場ではなく航空基地、万一市街地に流されれば明日の新聞一面は確実である。風量と視界、降下長の決断に至るまでの緊張は如何程のものであろうか。

Img_4885  こうした中で、落下傘の操作を誤ったか、突如の突風に煽られたか定かではないが、降下中に接触してしまいそのまま絡まってしまうという事故があった。そのままでは着地の際に大怪我をする可能性がある、観客一同緊張の一瞬であったがこの後無事着地に成功し、観客から拍手が沸き起こった。不開傘(落下傘が開かない)という大事故は旧軍では多くあったものの、戦後自衛隊が発足した後福岡で米軍指導の下再建された陸上自衛隊空挺部隊では幸い三回しかなく、今回も大事には至らなかったのは幸いであったが、絡まってしまった隊員は望遠レンズでみた限り着地後蹴りを入れられていた。なお、降下の際に、出身地と官姓名を放送でアナウンスされる。岐阜県出身者は最初に降下を許される為故郷に錦を飾る事が出来る。

Img_4900  しかし、空挺降下が終了した頃から降雨が激しくなり、飛行展示が一時中止されることとなった。取り敢えず離陸したV-107もあがっては見たもののさりとてすることは無し、万策尽きたと見えて救難要員と搭乗員がヘリコプターから手を振っていた。こちらも両手を大きく振ってみるが周りを見ると中年のオッサンとかも同じように手を振っていた。ヤケなのかもしれないがそれはそれはシュールな光景であった。V-107は暫く飛行していたが姿が見えなくなった。おそらく更なる天候悪化の前に所属基地へ帰投したのであろう。

 既に傘(落下傘ではなく、この場合普通の雨傘)が満開の様相を呈していたが、こちらはカメラを持っている以上傘を差すわけには行かずポンチョを着用した。

Img_4903  飛行再開はいつか?観客一同、風速を計る吹流しに焦点を合わせていた。風雨が若干収まったあたりでF-4EJ改ファントムがJ-79エンジンを全開にして離陸を行った。1969年より運用が開始されたF-4であるが悪天候の怪我の功名というべきかJ-79エンジンからバーナーの焔がしっかりと写っているのが嬉しい。また、水煙が一層機体を引き立てている。なお、本機は要撃機から支援戦闘機に改修され運用されているが旧式化は否めず、いよいよ現在の中期防衛力整備計画には後継戦闘機7機の調達が見込まれており、後継機は確定していないがF-22、F/A-18E、ユーロファイター2000などが候補に挙がっている。

Img_4947  続いてF-15J要撃機が離陸する。本機は203機が調達された航空自衛隊の主力要撃機で、千歳基地・百里基地・小松基地・新田原基地にそれぞれ二個飛行隊が、築城基地に一個飛行隊が展開しており間もなく百里基地から一個飛行隊が那覇基地のF-4EJ飛行隊と交代で配備される見込みである。

 F-15J戦闘機は出力に余裕のあるエンジンの双発、優れた電子戦機器、そして高い運動性が評価されているが価格は極めて高価で、アメリカと日本以外にはサウジアラビア、イスラエル空軍が運用するのみである。しかし、韓国空軍が採用を決定し既に二機を受領、最終的には40機程度を二個飛行隊に配属させて運用する事を想定しておりシンガポール空軍も導入を計画している。

Img_5021_1  F-15J戦闘機は1981年に最初の機体がアメリカ本土から岐阜基地に空輸されたが、いよいよ電子機器の一部に陳腐化した部分が目立ち、MSIP(段階近代化計画)に基づき装備の更新が行われている。これについてはコックピット後方の冷却ファン口の有無により区別が出来るとの事であるがこの改修で更に十数年間は運用に耐える事になると見られている。一方で非MSIP機とよばれる近代化改修に対応しない機体があるが、これらは今後、RF-4偵察機の後継として偵察機に改修される事となっており、航空自衛隊の主力としてその大任を今後も担っていく事が予想される。

Img_4963  再び天候が悪化し、午後まで飛行展示は見合せという事になり仕方なく地上展示機を回る事に。ここで今回注目する第一のものは今年度を最後に引退するT-1初等練習機である。かつて一式戦隼などを創った中島飛行機の後身、富士重工が中心となり開発された機体であるが空気取り入れ口の形状から分るように非常に古い機体であるT-1は、小牧基地第五術科学校と岐阜基地の飛行開発実験団に配備され運用されている。かつて多くの基地で見られた本機も残るはここと小牧(小牧基地航空祭は既に終了)とあって、多くのファンが別れを惜しんでいた。

Img_4968  写真は降雨の影響で水滴が写ってしまったが、地面の水溜りに映えるT-1練習機の写真を撮影した。特別塗装機である本機は岐阜基地航空祭名物の多機種編隊飛行に加わる予定であったが悪天候によって多機種編隊飛行そのものが断念されることとなった。なお、同じく今年度で全機退役となるF-1支援戦闘機のホームベースである九州の築城基地も岐阜基地と同日航空祭が実施されていたが、岐阜基地と同じく降雨に見舞われたようで、最後の晴れ舞台が雨となってしまったのは残念であった。

Img_4993  今回の外来機は岩国基地から米海兵隊のF/A-18C、F/A-18D各一機が飛来してきた。ちなみに現在進んでいる米軍再編では神奈川県の厚木基地で陸上空母発着訓練を行っている第五空母航空団が岩国基地に移転する事が決定しており、空母航空団は今後F/A-18の派生型でほぼ統一される見込みであるから岩国基地はスズメバチたちの一大拠点となろう。なお、このホーネット、帰投のバイバイフライトを悪天候の為見合わせていた。海兵隊をも飛行を断念させるほどに気象は厳しかった事がお分かりいただけよう。

Img_5003  外来機としては他に青森県三沢基地から飛来したE-2C早期警戒機が展示されていた。翼を折畳んでいる事から分るように艦載機である。F/A-18の隣に展示されていたが空母甲板では良く見られるこの並列も岐阜基地でみると一味変わった印象を受ける。外来展示機は岐阜基地航空祭としては少なめであり、これは天候のために外来を断念したものであるのかはたまたもともと外来機を少なく計画していたのかは定かではないが、天候と相俟ってもの寂しい印象を感じたのは私だけではないだろう。

Img_5014  降雨により格納庫はあたかも難民キャンプの様相を呈していた。写真はF-2支援戦闘機が展示されている格納庫であるが観客の関心は最新鋭の支援戦闘機ではなく、雨がいつ止むかということに向けられている。格納庫中ではエンジンを取り外されたF-2の両脇にスパロー空対空ミサイルやAAM-3空対空ミサイル、ASM-1空対艦ミサイルなどが展示されていた。なお、当日は多数の屋台が軒を連ねていたが野外とあって観客は少なく当然客足が落ちた事で一部では投売りが行われていた。

 お弁当が五百円で二個になったがしばらくしてそれにお茶がつき、さらに航空祭が終了する頃には五百円で三つのお弁当という投売りが行われていた。それならば一個二百円で売ればいいと思うのだが・・・、少なくとも一人で三つ食べられる人はいないだろうし。

Img_5034  さてさて、飛行展示再開である。小生は中止になるだろうと絶望して牛串(かつて飛騨牛とか神戸牛とか書かれた屋台が乱立していたが、産地表示の義務化により?)やラーメンに舌鼓を打っていたがどうやら飛ぶ模様であると友人がいう。スープを一気に飲み干すと脚立を引っ掴んで小走りにエプロン地区に向かう。続けざまにF-4EJ改やF-15J、F-2が離陸して激しい機動飛行を展開するが、暫くすると着陸してしまった。C-1輸送機も滑走路脇で待機しているのだが多機種編隊飛行はやはり無理なのだろうと思わせる光景であった。

Img_5039  飛行開発実験団所属のF-2支援戦闘機がウェーキを曳きつつ飛行する。本機は1987年から開発を開始した日米共同開発の航空機で、日本側が60%、アメリカ側が40%を担当して開発が進められた。初飛行は1995年であるから既に初飛行から10年以上を経た機体である。母体となったF-16と類似する点も多いが、三沢基地などでF-16と並んだ光景をみればその相違点は容易に見る事が出来る。即ち、本機は対艦攻撃に重点を置いた機体である為対艦ミサイルを多数搭載するために主翼を拡大した点にある。これにより8084kgという戦闘爆撃機並みの爆弾搭載量を誇っている。

Img_5050  加えて、主翼を軽量で強度の高い複合材による一体成形とし、レーダーは三菱電機が開発したアクティヴフューズドアレイレーダーとした。前者はAV-8BハリアーⅡに次ぐもので後者はMiG-31以来の実用化であるから、技術的にはある種冒険的な内容であったが、F/A-22やF-35といった事例を観る限り新世代航空機の潮流として定着しつつある現状をみれば日本の選択は間違いではなかったといえる。なお、残念ながらレーダーの不具合や主翼の強度の関係などにより所定の性能を発揮できなかったとされ、石破防衛庁長官時代に調達数の削減が決定され、130機調達の計画が98機程度へと下方修正されることに決定されている。

Img_5024  続いてF-15Jの飛行である。やはりプラットアンドホイットニーF100PW220エンジンの双発は力強い。自重13㌧、最大離陸重量は30㌧にも及ぶF-15Jであるが離陸距離は余裕のあるエンジンによって274㍍で可能となっている(ただし、この離陸距離での離陸重量は最大離陸重量ではない)。しかし幾度かタッチアンドゴーや機動飛行、旋回などを繰り返した後着陸してしまった。写真はエアブレーキを開き着陸している写真だが、悪天候により珍しく西側から着陸を実施している。

2005116_020  F-15Jが着陸すると再び強さを増した豪雨により飛行展示が中断し、結果的にこの日の航空祭は飛行展示全てを終了とする決断が下された。天候だけは誰にもどうにもならず、残念であった。

 写真は飛行展示を断念して格納庫に向かうF-4EJ改、F-2、F-15Jである。なお、伝え聞くところではこの降雨により多くのカメラのトラブルが起こったようで、特にデジカメの損耗が多かったという。銀塩式一眼レフに関しては友人が携行していたものを含め大丈夫であった。ちなみに小生の一眼デジカメはタオル(迷彩2型をプリントしたもの)を幾枚も買い集め必死の防水努力成って幸いにして無事であった。

2005116_030  管制塔を背景に翼を休めるUH-60(悪天候で帰宅難民状態)。なお、蛇足ながら、新しく救難部隊を描いた『よみがえる翼』というアニメーションが始まったそうだが、浅学にして小生はまだ観ていない。どうやらUH-60Jが主人公たちの使用する機体となるようで、航空幕僚監部広報が全面協力しているという。近未来の海賊を相手に戦う民間警備会社のイージス艦を舞台に繰り広げられるアニメーション『タクティカルロア』も放送を開始し、こちらは海上幕僚監部が協力しているそうだ。

Img_5083  さて、そうした中で空挺隊員を乗せて入間基地に向かうC-1輸送機が離陸している。巻き上げる水煙が他の航空機とは桁違いに大きい。

C-1輸送機は、川崎重工において1973年から1981年にかけて31機が製造された国産輸送機で、YS-11で培われた技術の継承者でもある。高い機動性に定評があるが政治的理由から航続距離や搭載量が制限されてしまったのは残念である。なお、恐らく揺れたであろう。

Img_5093  こうして岐阜基地航空祭は終わった。魅力ある写真を提供できなかった事は残念であったが、多機種編隊飛行や例年では行われるブルーインパルス飛行展示など岐阜基地航空祭は見所が多い。名鉄が名鉄名古屋駅から三柿野駅まで臨時特急を運行しており新幹線岐阜羽島駅からも一時間ほどで三柿野駅に行く事が出来る。来年度航空祭の詳細など、情報が入れば本ブログに掲載する予定であるので、興味がある方は一度足を運ばれては如何であろうか。

 HARUNA

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2005年の駐屯地・基地見学を振り返り

2006-01-11 20:21:48 | 北大路機関 広報

 2005年には様々な駐屯地や基地を見学する機会に恵まれ、その間に多くの縁とめぐり合った事は小生の価値観や人生観に大きな影響を受けることとなった。

Fh000023  小生が昨年展開したものを挙げると、東千歳駐屯地(第七師団創設記念式典)、伊勢湾展示訓練(横須賀地方隊)、今津駐屯地(第三・第十戦車大隊)、小松基地航空祭、伊丹駐屯地(中部方面総監部)、阪神基地、小牧基地航空祭、守山駐屯地(第十師団)、横須賀基地、厚木基地、入間基地航空祭、岐阜基地航空祭と多岐に渡った。

 さて、今回はこの中で様々な教訓や失敗談、その他(?)を取り混ぜてお話したい。

_010  東千歳駐屯地祭は多くの雑誌で取り上げられる為、その写真をご覧になった方も多いと思うが、大地を埋め尽くす装甲車輌群と地面を揺るがせ実施される観閲行進は一度は!と思ったものであるが、何となれ相手は北海道。中部方面隊任務管区に居を構える小生としては、交通費という最大の課題を以下にクリアするかが重要であった。そこで在道の友人や北海道から京都に出てきた学内の友人などに情報を貰い、千歳市内でもホテルは充分ある(某CM誌では札幌にホテルをとると良いと書かれていた)と聞き、全日空ホテルの予約を取った。

_008  実はこれが大正解で、南千歳駅から東千歳駐屯地までのシャトルバス(無料)に乗車する事が出来、余裕を持って移動する事が出来た。ここでは、第七師団創設記念式典に七年連続で出席しているという東京の医師の方や自衛隊支援組織の方と知り合う事が出来た。

 ホテルも立派で、朝食はスウェーデン方式(つまりバイキング)、室内も清潔であった。しかし朝霧(駆逐艦ではなく気象)には参った。

_003  前日の夕刻に新千歳空港に到達し、千歳市内でジンギスカン料理に舌鼓を打ったが天候が小雨になり、夜になってから大雨に。ブックストアDANでDVDを調達(『サハラ戦車隊』)、ノートパソコンで観ている途中も豪雨は続き、朝になると雨は上がったが朝霧が出ていた。霧が出ると当然写真撮影には大きな支障が出るため中々焦った。テルテル坊主をつくろうかと思ったほどだ。添付した写真には霧の市内が写っているが、本来はここから千歳空港が一望できるはずだ。霧は次第にあがったがヒヤヒヤさせられた瞬間だ。

Fh010018  第七師団の式典は聞きしに勝るもので、戦車・装甲戦闘車・装甲車・自走榴弾砲・自走高射機関砲・各種車輌が中心として展開される式典は迫力そのものであり、他の師団のような徒歩行進は行わず、旧軍の飛行場跡地を会場として盛大に行われた。尚、この千歳飛行場は日ソ不可侵条約に違反し1945年8月9日、ソ連軍が満州に侵攻を開始した際に陸軍航空隊が一式戦隼を発進させ戦車など多数に対して戦果を挙げた部隊の発進基地であった。続いて行われた模擬戦闘も迫力の一言に尽き、空地一体の機械化部隊が現代戦の様相を一瞬ながらも再現していた。これの式典には本年も展開を考えている。

_079  装備品展示の後、広大な駐屯地で道に迷い親切な陸曹さんに助けてもらい(間違えて島松演習場に迷い込めば熊の餌食)、ようやく正門に。守山とか伊丹ならば徒歩で駅まで、と考えるが東千歳ではそれは不可能。流石は機甲師団(?)と思った瞬間である。新千歳空港に着くと北海道らしいものを、ということで空港内でいくら丼を食べ、待合ロビーでは自衛隊支援組織の人と偶然知り合い、様々なお話を聞かせていただいた。

 こうして錯誤と偶然から始まった北方展開撮影作戦は成功のうちに終了し、中部国際空港へと向かった。

_008_1  さて、偶然というものは有難いものが多いということだが、第二の偶然というべきものが伊勢湾展示訓練である。友人のYAMATO氏が仕事に向かう途上、名古屋港に尋常ではない護衛艦の集合を発見し、小生にメールで知らせてくれた。ただ事ではないと思い名古屋港ガーデン埠頭に向かった。YAMATO氏と地下鉄名古屋港駅を出ると自衛隊反対の一大デモが!これは期待できると思い、向かってみるとラティスマストにレーダーを回転させた艦艇が多数!これは伊勢湾マリンフェスタの為に集結した艦隊であったわけだ。驚きどれから写真を撮ろうか走っていると海曹さんが『まだ当日券の余裕があります!』と。

Fh000035  そんな訳で書類に必要事項を記入し、艦上の人となったわけだ。

 四日市からも艦艇が合流し、潜水艦やイージス艦、輸送艦などの一大部隊となった。海上で潜水艦を見るのははじめてであるし、イージス艦も洋上で見たことはない。友人と興奮しつつ望遠レンズ越に『あの影は“ちょうかい”かな?』と話していた。余りにも多くの艦艇と、ヘリコプターや哨戒展示、空砲発射、掃海展示に所持していたフィルムの殆どを消費してしまった。

 小生が乗艦したのは潜水艦救難母艦であったが、このフネは真ん中にDSRV(潜水艦救難用潜水艇)をおろす穴があり、隙間からフィルムを落とさないか不安であった。また、乗れるとは思わなかった為脚立を携行していたが終始邪魔になった。糧秣の不備も反省すべき内容である。

Img_0386  続いて富士総合火力演習に展開!

 ホテルはいい部屋だったのだが虫が沢山出て困った。スウェーデン方式ディナー(それも豪華な!)の存在を知らず、町で普通の夕食をとったりしたが、演習は凄かった!

 実は新千歳で知り合った方から立体席の入場券を頂き、高台から写真撮影ができる事となった訳で、もう本当にありがとうございました!としか言いようのない絶好の撮影ポジションで撮影する事が出来た訳である。懸念していた雨も降らず、また、ここではHP“とんぺいの機械博物館”のとんぺい殿とお会いする事が出来た。

Fh020021  自前でハイテクロボットを作ってしまう凄い人で、隣(最上段)に座らせてもらい写真をバチバチ撮影したが、砲焔の撮影に成功した事がこの撮影において最も大きな成果であった。砲焔とは発射ガスが空気に触れた瞬間に燃焼する現象で、後に第十師団広報の方に聞いたらばやはり撮影は運次第といわれた。第十通信大隊写真班の方がいうには三脚で定点撮影とし、シャッター速度を極力落として連写が唯一の方法であると教えてもらった。中々パチパチ撮っても写らないものがデジカメの液晶で確認して写っていたのは嬉しい!

 懸念していた降雨もなく、装備品展示も無事撮影し撤収した。この際とんぺい殿の愛車に乗せてもらい、しかもご馳走になってしまった。ご馳走様でした。

 教訓としては、御殿場は遠い!という事である。交通費節約のために在来線で行ったのだが、各駅停車しかなかった。これには流石の小生も参ってしまった。帰りだけは三島~豊橋を新幹線利用で撤退した。

Img_2722  昨年の基地見学で残念であったのは、阪神基地で潜水艦を見学する予定が、潜水艦のスケジュールの関係で寄港中止となってしまったことだ。阪神基地では掃海艇に変更して見学会を実施していただき、ヨンさまに似ているという友人と一緒に掃海艇を見学した。木造艦艇は経年劣化で甲板から日光が射す事があるという冗談を交えながら掃海器具の見学を行った。500㌧前後とはいえ近くで見ると流石に大きく迫力があった。阪神基地は1995年の阪神大震災で大被害を受けたが復興の際に基地機能を充実し今日の姿になった。しかし、その埠頭に潜水艦が入港した姿も見たかったものである。その後、護衛艦しまゆきが入港したと聞いたが時間的都合で見学する事が出来なかったのは残念であった。

Img_2311  さて、撮影ポジションについて経験的なものが必要となるが初めて展開した駐屯地などでは経験も何もない。しかし三度目となった伊丹駐屯地での撮影ポジションのミスは返す返すも残念なものであった。写真は観覧席の正反対から撮影したものであるが、この通り動きのない写真となってしまった。これは訓練展示を行う為安全区域を広く取った事が要因であるが、聞くところでは観覧席は一部一般にも開放されていたそうで、これを聞き逃したのは小生の失敗である。猛省して本年の式典に臨みたい。

Img_3743  また、第十師団創設記念式典では雨に悩まされた。実は当日が晴天で事実小生も日差しで目覚めたほどの快晴だったから雨具の準備がなかった。そこで仕方なく脚立に上着を被せシェルターとした上で撮影器材を避難させ、小生は撮影を続けた。撮影ポジションは初めての駐屯地ながら経験則から最高の立地(無論立ち入り制限区域ではなく開放区域、写真を見た師団司令部広報の方も感心していたくらいだ)を確保できたが富士総合火力演習ではあれだけ懸念していた雨具準備を今回に限り怠ったことは反省するべき内容である。

Img_0713  写真は守山の前に行った今津での写真であるが、実は今津でも降雨はあったが、このときは式典終了後、しかも訓練展示も終了した後であった為事なきを得た次第である。このときの雨は凄まじく、これを教訓とするべきだったのだが、守山では失敗した。守山では幸い豪雨ではなかった為器材は無事であった。雨具は傘を使えば後ろの人に迷惑がかかる為ポンチョを使用する。レンズ交換の際にはポンチョであれば潜って交換する事が出来るし(CCD素子に水滴がつくとデジカメは故障してしまう)、重宝する。 なお、この駐屯地祭では意欲的なブログを展開されているちゃりんこジョニー氏と知り合い、守山で再開を果たした。実は伊勢湾展示訓練など小生が展開したイベントにも展開されており、もっと前に既に会っていたかもしれない。

Img_5021 こうした雨の教訓を活かしたのが岐阜基地航空祭である。岐阜基地航空祭は折からの豪雨で飛行展示がかなり縮小されてしまったが、豪雨の中撮影は苦難を極めた。ちゃりんこジョニー氏は此処でカメラが濡水故障してしまったという。ポンチョを多用し、友人からはワカメマン(ポンチョは濡れると“増えるわかめ”のようになってしまう)と冷やかされたが、コンパクトデジカメも一眼デジカメも無事であった。だが、飛行展示そのものが縮小された事は痛い。小生の腕を以てしても飛ばないものを撮影する事は不可能である。一方でアフターバーナーの撮影が降雨によって容易となったこと、更に岐阜基地では普段行われない会場西方からの離着陸などが撮影できた事は収穫であった。

2005116_071  更に格納庫、中は雨から逃れる難民キャンプの様相を呈していたがこの中でF-2試作機がエンジンを取り外した状態で展示されていた。これは珍しい。晴天であれば見逃していたやも知れない貴重な光景を撮影する事が出来た。格納庫は露出調整を充分に行い加えてシャッター速度にも留意しなければ暗い写真となってしまうが、これを何とかクリアして格納庫中のF-2という雰囲気のある写真を撮影する事が出来た。なお、カメラを地面に置き撮影する独特の方式を9月の小松基地航空祭において会得し、その方式で多くの写真を撮影したが、これもそのうちの一枚である。

Img_4294  小生は大学生である為卒業論文を制作しなければならない。これは四年間の集大成である為手抜きは許されず、事実関係の確認も兼ねて防衛庁や厚木基地などなどを取材するべく首都圏に展開した。ホテルは防衛庁の隣にあるグランドヒル市ヶ谷!写真でも分るように隣である。じつはここ、防衛庁共済組合が運営しており、あの藤島正之議員が防衛官僚をやっていた時代に出向してじきじきに改善したというもので聞きしに勝る中々のホテルであった。 ちなみにこのホテル、どうやら三人部屋しかないらしく、ここに一人で泊まるときには結構恐縮する。今日はどのベットで寝ようかな?なんて楽しい雰囲気もあるのはあったが。

Img_4559  時間があったので、入間基地航空祭に展開した。しかし、首都圏はさすがに航空ファンも多く、同行した友人も余りの人数の多さに絶句していた。写真は滑走路の端の方から見た写真であるが、脚立を持ち合わせていなかった為、撮影には大変苦労した。何処を見ても人人人、人海戦術である。基地も広く、様々なものが展示されていたがレジャーシート軍団が最前列を占拠し、ごみを捨てたり罵声を上げたりで首都圏の航空ファンのなかには相当マナーが悪い方々がいるということがわかる。人数が多かったらばレジャーシートを自粛するとか、最前列付近で脚立を使用するというようなことはもう少し考えられないものか、と考えさせられた航空祭であった。

Img_4275  一方で、首都圏展開の際に同じく時間的余裕から横須賀基地に展開した。阪神基地の方に11月上旬は横須賀には艦艇は殆どいないとおしえてもらってはいたが、首都圏に行って靖国神社や神保町でごろごろしているわけにもいかないし、ということで京浜急行に飛び乗ったらば、駅を間違えたり試行錯誤の末、横須賀基地に到着した。眺望良好な山(小説家の森詠氏はここら辺にお住まいらしい)に階段を登り蜘蛛の巣に怯えながら登頂すると護衛艦群が海を埋め尽くしていた(過剰表現?)。

 それもそのはず、この日は自衛隊記念日であったのだ。海上自衛隊演習はこの直後から始まったらしく、この日の横須賀には満艦飾の護衛艦が多数停泊しており、行ってよかったと、むしろ行く事で初めて何かの可能性が生まれるということを象徴した出来事であった。

Img_3232  行動が大事であるというのはこれだけではない。小牧基地航空祭がそうである。輸送機だけの田舎基地と揶揄される基地であるが行ってみると浜松からE-767早期警戒官制機が飛来して来ていた。これは基地周辺を飛行しているのを何度か見た事があるが、間近に観たのははじめてであった。アジア初の早期警戒官制機保有国となった日本だが、近くで見るとやはり大きい。写真はバイバイフライトの際に撮影したもので、遠景に名古屋のテレビ塔が写っている。なお、今年は春日井駐屯地祭には行かなかったが96式装輪装甲車が来ていたとの事。行っておくべきであった。

Img_2906  また、小牧基地航空祭では2005年度を最後に引退するT-1練習機のフライトを撮影する事が出来た。T-1は国産初のジェット練習機で、小牧では航空管制などの教育を行う第五術科学校に所属している。写真はスモークを焚いたT-1写真、と思いきや余りにも急激な飛行は老体に大きな影響を与えたらしく故障により白煙が出た写真。これは本当に偶然撮影した写真であるが今後、T-1が退役した後には貴重な写真となろう。

 さて、少し長くなったが、2005年の小生が撮影した写真の内何枚かを此処に掲載した。様々な今では笑ってしまうような失敗も多いがこれを教訓として本年も様々な写真撮影と研究を行ってゆきたい。

 HARUNA

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2005~2006 年末年始 はるな 動静一覧表

2006-01-10 15:57:10 | 北大路機関 広報

 京都在住四年目を迎えたわけであるが、意外と史跡のようなところに行っていない事は昨年の清水寺夜間特別拝観を掲載した際に述べた。研究分野と趣味が合致した際に現れる悲喜劇である。

 閑話休題、こんな訳で京神地域の幾つかを年末に撮影した為、これについて写真を掲載したい。また年末の動静も加えて掲載したい。

Img_5563  清水寺夜間特別拝観は第一回が三脚準備を怠った為、残念ながらパソコンバックにカメラを置き、セルフタイマー方式で手ぶれを抑えるという多分に暫定的な手段でしか撮影が出来なかった。これではどうしても写真がグリップの形状により傾いた写真となってしまう。また、若干の揺れも写真には正直に手ぶれとして残ってしまい、結果は失敗であった。この反省から、第二回撮影ではコンパクト三脚を準備し万全の態勢にて臨んだ。

Img_5534  清水寺に向かう途上、法観寺の仏塔も撮影した。これは当初の予定には無かったが、絶好の被写体を発見して撮影せず帰るというのは愚か者のする事である。幸い三脚の試用も兼ねて撮影するという必要性もあった為、写真撮影を実施した。時刻は2020時頃であるが長時間露光撮影の成果もあり、あたかも夕暮れ時のような写真に仕上がっている。この淡い橙色が照らす仏塔で、千年の都京都を象徴するような写真に仕上げる事が出来た。

Img_5550  さて、清水寺であるが三脚を携行していることは有難いことである。定点撮影が強いられる長時間露光にあって必要な撮影ポジションに即座にカメラを配置できるからである。しかし、残念だったのは雲量が多かったことだ。ヨウ化銀を詰め込んだ155㍉砲弾を使用すれば一発で雨にする事が出来るが残念ながら155㍉砲を持ち合わせていないので(当然だ)こればかりはどうにもならない。夜景を見下ろす史跡の絶好の写真なのに、空を覆う雲が邪魔をしていたのが残念であった。また清水舞台では三脚が使用禁止であったがこれは文化財保護の観点からは当然である。従って手摺などを利用し撮影した。誤算は時間である。2130時までは開いていると聞いていたが奥の方は時間制限があるようで、最後まで撮影できなかった。これは来年の課題となろう。

Img_5593  こうした理由で清水寺では完璧に満足の行く写真が撮影できなかった。此処で引き下がる訳には行かない。幸い小生の移動手段はロードレーサーである。自転車の競技用のもので車輪は25㍉、速力を追及した設計である。これで長躯(京都駅の南側)東寺に向かったわけである。夜間特別拝観は行っていないものの五重塔は50㍍を超える日本最大のもので日本の木造建築の最高峰というべきものであった。

Img_5587  木造建造物と近代的な都市の夜景は余りにもアンバランスであるが、こうした後継は変化と共にそれを寛容に受け入れる日本独自の都市形態といえるかもしれない。日本に来た外国人観光客の多くはローマやアテネ、イスタンブールやパリといった歴史都市にありがちな旧市街という概念が京都や奈良に存在しない事に違和感を感じるようであるが、多種多様と寛容が日本の文化の一つといえるのかもしれない。

Img_5780  さてさて、京都の名物の一つとなった京都駅新駅舎であるが、毎年この駅舎では巨大クリスマスツリーが十二月に展示されており市民に憩いの場を提供している。京都駅は古都の景観にそぐわないとの批判の中改築され、完成した1999年に早速怪獣に破壊された(ガメラⅢ イリス覚醒)由緒正しき(?)建造物であるが、階段早登り競争などイベントの舞台として用いられており、無料で登れる展望スペースは観光客に好評である。いわば、既に景観に溶け込んだ観があった。

Img_5909  さて、こうした中で12月23日、12月としては異例の寒波が西日本を襲い、京都市も例外なく寒波の影響下で降雪があり、京都市中心部では10㌢の積雪とのことであったが、北区にある金閣寺では少なくとも25㌢は積もっていたように思う。雪降れば金閣寺、と小生は勝手ながら決めており、今回も例外ではなく、バスに乗り金閣寺にカメラと三脚を持って向かった。今回の降雪の特徴は、午前中に積もっても午後には融雪という今までの雪とは異なり、数日間雪が残っていたということだ。

Img_5945  しかし当日は神戸ルミナリエ最終日、これを逃すと来年は資金難でルミナリエ自体が行われないかもしれないという事で、この雪の中で行くかどうか迷った。大阪市営地下鉄一部停電、JR野洲~守山降雪で全面不通を報道していたからである。どうするか、新京極でラーメンを食べた後で思い切って阪急電車に乗ることを決意した。仮に帰れなくとも神戸方面には友人も多い。何とかなるだろうと自分を言い聞かせ、小豆色輝く快速特急三ノ宮行きに乗り込み、覚悟を決めて座席に座ると眼をつぶった。

Img_5980  結果的には大正解で、阪急電鉄は全く遅れなし、そもそもJRのように無理なダイヤを組んでいないし、保線工事や施設整備も充実している為時間通り三ノ宮から神戸方面に乗り換える事が出来た。早い、けど高いという評価のJRは神戸線を利用した友人曰く新快速・快速全面運休で各駅停車だけであったとか。ウム、我の判断はただしかったということか。神戸市役所の展望台から夜景を撮影した後、高所からルミナリエの位置を確認(初めてなので一応)、エレベータを利用し、下に降りた。

Img_5998  阪神大震災の鎮魂という目的で行われているルミナリエであるが、年々予算不足が顕著化しているようだ。確かに神戸市内に張り巡らされた誘導柵の設置や警備員の配置、加えて電飾の費用等を考えると無視できない費用が必要となろうがどうなるのだろうか。

 ルミナリエそのものは光の洪水という形容がまさに当てはまる光景であり、荘厳な光景が視界を覆いつくす模様は「百聞は一見にしかず」との慣用句を体験させるような光景である。聞くところでは毎年財政難は囁かれており来年度の実施も楽観論が多い。海上には募金箱があり私も幾らか何度かに分けて募金したが、来年も行われるならば一見をお勧めしたい。

Img_6068  さて、こうしてルミナリエを撮影したが中部地方の降雪は深刻の度合を増していた。これを示す具体的事例としては米原~大垣という豪雪地域へのラッセル車出動である。小生も関ヶ原駅で除雪に当たるラッセル車を列車内から見たがこれほどの雪になっていたとは。『鉄路の戦い』とはまさにこのこと!、力強いエンジンの音とともに埋没した線路の復旧と輸送維持に全力を傾注していたJR東海社員の献身には尊敬の一言に尽きる。

Img_2288  降雪は翌日から厳しさを増し、大型の寒波により岐阜県平野部でも50㌢以上の積雪となった。写真は小生愛犬の榛名・鞍馬であるがこの日には新雪の上を飛び跳ねるように喜んでいたがクリスマスの日当日までに更に降雪が続き、前述の積雪量に至った。翌朝の積雪量では新雪に飛び込んだ愛犬達も文字通り埋もれ、顔面までいたる積雪量に恐れをなし、圧雪面以外は避けるようになった。堤防では文字通り一面の雪原に覆われ、子供たちも雪合戦どころではなく屋内に避難しているといった状況であった。なお、今現在も東海地方には残雪が残り、新潟県を中心とした東北地方などでは記録的な豪雪が続いている。

Img_6192  年末新年、友人らと忘年会や新年会を楽しんだがこうした状況下で終電を逃せば映画『八甲田山』の北大路欣也の如く『天は我を見捨てたかッ』と叫ばなければならないような雪中行軍が待っている、何より寒い、そんな中で靴を濡らせば突き刺すような寒気が待っている為終電の時間は慎重に、且つ綿密に確認したうえで飲み、食い、歌ったのは言うまでもない。念のために言うと小生、其処まで田舎には住んでいない。人口も40万を超える都市の市民である。今回の豪雪(便宜的に“1223豪雪”とよびたい)はそれだけ例外的であったのだ。

Img_6108  新年は実家で過ごすというのが伝統である。新年と町村合併(併合とも言う)を祝して花火が打上げられた。蛇足ながら小生愛犬のうち、鞍馬は花火の炸裂音が苦手である。日本残酷物語的な鳴き声を響かせ、事態の収束を待つという花火の見方をする。親イヌの榛名は花火は大丈夫であるが、かまって貰おうと便乗商売でキャンキャンヒュンヒュン鳴く。結果、新年元旦前に興奮した愛犬を鎮めるべく散歩に寒い中歩く事となった。

Img_6233  年明け、教授から読んでおくべき書籍を提示された。岐阜の高島屋に新しく自由書房ができたため、行って探したがないという。仕方なく長躯名古屋に展開したが、名古屋高島屋の三省堂書店、近鉄百貨店の星野書店、名古屋駅地下街の三省堂、中心部の栄へ地下鉄で展開したが、栄駅近傍の旭屋書店、ロフトにある紀伊国屋書店、丸善本店を探したが全くない。無論見つけた中小の本屋も片端から当たった。確かに体系書であるが2003年以降の本である。法律文化社というメジャーな出版社から出ている。名古屋市といえば人口ではフランスの首都、パリを凌ぐ大都市である。文化的にも名古屋は凄く、エッフェル塔の代わりにテレビ塔が、シャンゼリゼの代わりに栄大通りが、TGVの代わりに新幹線が、シャルルドゴール空港の代わりに県営名古屋空港が、ノートルダムの代わりに熱田神宮がある大都市である。そんな名古屋市中を探しても見つからないとは!

Img_6241

 そうこうしている内に夜になってしまった。名古屋大学購買は探していないし、ジュンク堂は店そのものが見つからなかった為名古屋にないとは断言できないが、名古屋の大手というべき書店ほぼ全てを探した割りに、見つける事が出来なかったのは非常に残念であった。気がつけば夜。改装成ったテレビ塔の写真を撮影し帰路についた。

 しばらく、ブログの更新が出来ないWeb環境にいたが、その間こうしたことをおこなっていたのである。

 それでは皆さん、本年もよろしくお願いいたします。

 HARUNA

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憲法問題を考える前に知るべき幾つかの事実 ①

2006-01-10 12:39:31 | 国際・政治

 昨年、自民党新憲法案が発表され、いよいよ憲法改正が現実化している。

 革新勢力や護憲派と呼ばれる人々は憲法改正をそのままわが国が対外戦争を遂行可能な改憲への第一段階をみなし、かつてのような大陸進出やアメリカと共同した大規模武力紛争への積極的介入をも想定するかのような誤解を招く論調を続けている。

 しかしながら、国際連合に加盟する日本は国連憲章二条四項に記載された武力行使禁止原則による拘束力を考えれば、憲法九条の改正がそのまま彼らが危惧するような事態には至らない事がわかろう。湾岸戦争、イラク戦争やユーゴスラビア空爆に関しては安全保障理事会決議がその根拠となっており、既に国際司法裁判所では安保理決議について拘束力を有するとの判例(ナミビア事件)があるためこの判断は国際協調主義から導き出されたものと解釈できる。

 また、2001年のアフガン空爆に関しては、国連憲章51条において認められている自衛権の発動(ただし、同時多発テロから即時に行われた行為ではない点、また相手国政府を結果的に崩壊させるという行動に対しては懐疑的に見る意見が多い)が根拠となっている。自衛権に関しては、個別的自衛権に関して日本でも内閣法制局が保持していると解釈しており(最高裁判所が憲法判断を避け、統治行為論として政治に差し戻した事で、最高裁に代わり内閣法制局の判断が用いられる)、これは国連憲章の理念からは問題とならない。

 なお、日米安全保障条約第五条は国連憲章51条を意識して作成されており、砂川事件などの日本最高裁判例を見る限り、黙示的に集団的自衛権を憲法は黙認している、若しくは慣習的に集団的自衛権を受け入れていると解釈する事も可能となろう。

 また、憲法98条2項が掲げる国際協調主義を根拠に集団的自衛権を容認しているとの学説も存在する。

 日本国憲法が掲げる平和への理念としては、憲法九条が国民福祉への侵害である国家間の武力紛争を禁止し、憲法24条の男女平等に関する規定が家庭内における父権主義という構造的暴力を排したことは日本人として世界に誇るべき内容であると考えるが、改正によって行われるであろう自衛権の明記に関しては、上記の幾つかの内容と国際情勢を考えるにいささかの矛盾も存在しないと考えるがどうであろうか。

 HARUNA

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