■平和憲法と抑止力
防衛と憲法はどうしても切り離せない視座でもありますが今回はこちらの視座について。
新しい世界の海に向けて。海洋国家日本の構想というものを60年を経て再構築する場合、日本にとり重要な要素は、日本国憲法9条とその成立背景が大きく転換しているという認識を持たなければ成り立たないという点を挙げておきたいのです。無論、憲法が古くさいという意味ではなく。
外国を占領せよという意味ではありません、しかし日本国家として、結局日本は1960年代の高度経済成長時代に夢見たような"特別な国"ではなく世界の一つの国で有り、しかも1980年代に示唆されていた”多極化時代”の到来が現実となる中、世界の国々との関係下でしか生きられません。
防衛力を含めて、いやこれまで関係してこなかった分野であるからこそ、防衛力を世界との関係性の中に包含した、地球的視野、こうしたものの中で安全保障環境を見てゆかなければ、日本にとり次の戦争の始まりは、昭和20年8月、あの夏の続きから始まると言うことにもなりかねない。
日本国憲法九条はその制定当時には太平洋戦争の記憶鮮明な時代で有り、大東亜戦争という1941年12月8日以前の戦争についてまで踏み込んだ終戦という概念が曖昧模糊としていた時代にあっては、結局我が国国力への警戒感が非武装平和を盛り込まなければ成立が難しい時代でもありました。
平和憲法が抑止力、という理解がある一部の知識層の方々の視点をお聞かせ頂くことが過去多くありましたが、第二次世界大戦の敗戦、しかし敗戦にいたるまでの激烈な戦闘そのものが、逆に抑止力を形成していたという視座をみるべきなのかもしれません、そして今日再考すべきことは。
敗戦に至る激烈な戦闘とその結果というものから生じた抑止力は、いまでは、昭和は遠くになりにけり、という視点ではないか、ということです。結果的に、過去の戦争の反省というものの、その反省に思い当たる記憶を体験としてお持ちの方は年々少なくなっている実情と向き合う必要が。
平和を悪用させない。この視座はこの数年強調している視点です。日本が平和、いや軍事に無関心であることを平和と言いくるめる視座を背景に防衛を考えるならば、それは戦争が始まる危険な小火を看過することで大戦争を誘発することを無視する危険な行為と言うほか在りません。
ステイクホルダーとして、日本に直接関係ないと一見思われるような懸念に対しても、世界大戦への拡大を阻止する、こうした地球的視野において安全保障、防衛力の投射、パワープロジェクションを行うよう、日本と世界の関係を見てゆく必要を考えるのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
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新しい世界の海に向けて。海洋国家日本の構想というものを60年を経て再構築する場合、日本にとり重要な要素は、日本国憲法9条とその成立背景が大きく転換しているという認識を持たなければ成り立たないという点を挙げておきたいのです。無論、憲法が古くさいという意味ではなく。
外国を占領せよという意味ではありません、しかし日本国家として、結局日本は1960年代の高度経済成長時代に夢見たような"特別な国"ではなく世界の一つの国で有り、しかも1980年代に示唆されていた”多極化時代”の到来が現実となる中、世界の国々との関係下でしか生きられません。
防衛力を含めて、いやこれまで関係してこなかった分野であるからこそ、防衛力を世界との関係性の中に包含した、地球的視野、こうしたものの中で安全保障環境を見てゆかなければ、日本にとり次の戦争の始まりは、昭和20年8月、あの夏の続きから始まると言うことにもなりかねない。
日本国憲法九条はその制定当時には太平洋戦争の記憶鮮明な時代で有り、大東亜戦争という1941年12月8日以前の戦争についてまで踏み込んだ終戦という概念が曖昧模糊としていた時代にあっては、結局我が国国力への警戒感が非武装平和を盛り込まなければ成立が難しい時代でもありました。
平和憲法が抑止力、という理解がある一部の知識層の方々の視点をお聞かせ頂くことが過去多くありましたが、第二次世界大戦の敗戦、しかし敗戦にいたるまでの激烈な戦闘そのものが、逆に抑止力を形成していたという視座をみるべきなのかもしれません、そして今日再考すべきことは。
敗戦に至る激烈な戦闘とその結果というものから生じた抑止力は、いまでは、昭和は遠くになりにけり、という視点ではないか、ということです。結果的に、過去の戦争の反省というものの、その反省に思い当たる記憶を体験としてお持ちの方は年々少なくなっている実情と向き合う必要が。
平和を悪用させない。この視座はこの数年強調している視点です。日本が平和、いや軍事に無関心であることを平和と言いくるめる視座を背景に防衛を考えるならば、それは戦争が始まる危険な小火を看過することで大戦争を誘発することを無視する危険な行為と言うほか在りません。
ステイクホルダーとして、日本に直接関係ないと一見思われるような懸念に対しても、世界大戦への拡大を阻止する、こうした地球的視野において安全保障、防衛力の投射、パワープロジェクションを行うよう、日本と世界の関係を見てゆく必要を考えるのですね。
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