北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

アフガン崩壊,アメリカ失策二〇三〇年代へ影響【4】ユニラテラリズム再来と総理への期待

2021-09-30 20:20:14 | 国際・政治
■苦い良薬を誰が飲ませるか
 バイデン大統領はアフガニスタン撤退が安全に終わったとして自画自賛した、こうした報道がロイターやAFPにCNNにおいて流れまして少々残念な気持ちになりました。

 アフガニスタン撤退による政府崩壊、バイデン政権の判断に危うさを感じる点は幾つもありますが、極めて大きな影響を及ぼす一つの要素は欧州諸国への影響です。それは、結局アメリカは、ユニラテラリズムの認識を脱却できずにいるのではないか、という危惧です。単極主義、ユニラテラリズムという発想は2000年代、ブッシュ政権時代に指摘された。

 相談しない国アメリカ、バイデン政権の施策は2000年代にテロとの戦いを始めた時代まで回帰しているのではないか、少なくともアフガニスタンの政権崩壊が当初意図した緩慢なアフガニスタン政府崩壊を見込んだタリバーンの反撃という甘いものではなく、アメリカが撤退後、どれだけアフガニスタン政府が持ちこたえるかという認識さえ甘かった訳です。

 想定していた事だ、こう考えるならば大問題です、バイデン大統領はガニ大統領との首脳会談において、いざと云う時には支援を惜しまないと表明したのですが、結果はこの通り。約束を反故にしたのであるか、あの状況でさえバイデン大統領は充分な支援を行った結果だという認識の相違があり、どう考えても国際関係において好意的結果はもたらしません。

 ユニラテラリズムという発想は過去のものなのかもしれませんが、バイデン政権がアフガニスタン撤退を、情勢悪化後には修正する柔軟さも、これにより生じる危惧されるべき結果への危機管理も、アメリカにとっての戦争は終わった、この名のもとに切り捨てた事で、ISAF国際治安支援任務として有志連合を組んだ諸国への影響さえ事業評価できていない。

 相談しない国アメリカ、一国主義と批判されたユニラテラリズムは裏をかえっせば国際協調の上でその先頭に立つという、第二次大戦以来のアメリカの世界政治における基本方針から、合意形成ではなくその手間を省くと共に、有志連合に加わる国だけを以て対応する指針への変遷へ危惧を含めたものとなっています。実際アフガン撤退がこれに当てはまる。

 2001年のアフガニスタン空爆と介入は当初、有志連合の志というものを共有していた筈です、重大な方針変更があるならば相談が為されて然るべきで、しかし、撤退が重大な結果を及ぼした際の所謂“プランB”について、日本は自衛隊を治安任務に派遣していない為仕方ないにしても、せめてNATO主要国、特にイギリスに相談しなかった事実は、大きい。

 単極の名の通りユニラテラリズム、これは有志連合として理念に合致する諸国での協同を多国間合意に代えて国際慣行へ反映させるもので、有志連合を組む事は一見国際協調を思わせる概念ではありますが、その提唱者としての地位を不動とする事は、言い換えれば単なる国際協調の否定に他なりません。そして有志に参画しない諸国の意見は無視され得る。

 有志連合、これは賛同する諸国のみで形成されるものであり、時として、アメリカの暴走、と表現された。オバマ政権の際に一時的に国際協調路線への回帰を意図的に進めた事で、ユニラテラリズムという概念は過去のものとなりましたが、アメリカ世論の反動は、結果的に極めて独自の外交政策を展開するトランプ政権を生む支持の原動力となっています。

 バイデン政権は、アメリカは還ってきた、としましてトランプ政権時代の一種ユニラレタリズム的なアメリカからの脱却を明確に示していた筈なのですが、結果的にトランプ政権では、アメリカ一国主義的な大統領方針をアメリカが世界の中心として置く視点から大統領を補佐するスタッフが支え、結果的に国際公序の牽引者とした実情とは対照的といえる。

 日本は日本だからアメリカがどうなろうと関係ない、こう思われるかもしれませんが、アメリカは確実に西太平洋において新しい有志連合を考えています、これは中国が推し進める地域秩序、海洋閉塞や人権よりも集団利益を重視し軍事力による領域変更を厭わない新秩序に対し、自由と公正という既存の国際秩序を守る有志連合を組もうとしているのです。

 安保条約の関係がある以上、好むと好まざるとを問わず日本は日太平洋に位置する以上、この地域ではアメリカと有志連合を組むほかないではないか、こう思われるかもしれませんが、そう簡単ではありません、何故ならば有志連合に日米だけで対応できる水準ではなく、少なくとも欧州NATO諸国の参画やインドとアフリカ諸国の賛同が必要なのですから。

 バイデン政権に二期目があるのかはさておき、アメリカ一国の国力限界を示したのもアフガニスタン撤退でした、すると有志連合にアメリカは牽引するのではなく依存する度合いを深める事を同時に意味します。バイデン大統領はアフガン撤退を成功裏に終えたと自画自賛します、しかし良薬は口に苦し、現実を伝える事も同盟国日本の重要な役割といえる。

 良薬は口に苦し、本来は大統領を支える補佐官や国務長官と国防長官の責務です、しかしバイデン大統領は有色人種や女性活用には熱心ですが、トランプ大統領程、職を賭して大統領に提言する補佐官や長官が少ないように思えてなりません。そしてバイデン大統領のビジョンが、アメリカ第一主義としたトランプ大統領ほど明確ではなく、わかりにくい。

 菅総理大臣、日本として期待するのは、総裁選不出馬を決断しコロナ対策に首相の座を掛けて最後まで挑む、なにか終戦時の鈴木貫太郎総理大臣を思い出させる総理への期待です、撤退は賛同する、しかしアフガン撤退が情勢悪化後も堅持したのは失敗だったのではないか、この視点を、間もなく総理の座を降りる故の覚悟と共にオンライン会談ででも伝えられれば。

 同盟国の首相といえども苦い良薬を呑ませる事は、感謝が表面上伝えられても禍根は残るでしょう、しかし、首相任期が次の衆院選までという明確な時機だからこそ、今後十年二十年続くかもしれない、相談しない国アメリカ、有志連合への不信、こういうものをしがらみ無く断ち切る事が出来るのかもしれません。簡単では無いが、こう、おもうのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】伏見稲荷大社,宇迦之御魂神は須佐之男命と伊邪那美命と天照大神との由緒

2021-09-29 20:00:40 | 写真
■伏見稲荷祭神-宇迦之御魂神
 世闇と共に参る千本鳥居は一種幻想的な風情を醸す日常の中の非日常ですが、この情景とともに祭神について思い浮かべます。

 伏見稲荷大社は千本鳥居や御狐様が有名ですが、社殿が祀る祭神、宇迦之御魂神についてみてみましょう。御狐様は実は単なるお使いで、元々は京都洛外に住んでいた狐の老夫婦が人間に親切にしてもらった見返りに神様の下で恩返しをしたいと出仕しているもの。

 宇迦之御魂神、うかのみたまのかみ、との尊称は伏見稲荷大社の祭神です。古事記には、稲荷大明神、三狐神、御食津神など尊称があり、また日本書紀では倉稲魂命こと、うかのみたまのみこと、と記されていまして須佐之男命と伊邪那美命の間に生まれた神様という。

 宇迦は穀物や食物を示し、古称にウケという食物を示す言葉があります。伊勢神宮では創建の頃から御倉神として位置付けられていまして、伊邪那岐と伊邪那美命の日本列島創造に際し、空腹で力が尽きた際に食物を運んだのが宇迦之御魂神、転じ五穀豊穣信仰へ結ぶ。

 五穀豊穣とともに、豊という信仰がそのまま江戸時代には商売繁盛を願う信仰へと繋がりまして、千本鳥居の奉納など栄えてゆくのですが、須佐之男命と伊邪那美命と天照大神との由緒について、日本神話を遡りますと、古事記、日本書紀と興味深い伝承が伝わります。

 須佐之男命と伊邪那美命の娘という宇迦之御魂神、須佐之男命が櫛名田比売の次に伊邪那美命と結ばれた際の子といいまして、八岐大蛇を叩きのめす傍らでやることはやっている須佐之男命でございました。伊邪那岐は伊邪那美命が日本列島を創造する前のはなしです。

 天照大神と須佐之男命の誓約、という日本神話の分岐点が在ります。天照大神は須佐之男命の実姉にあたり、この世界の上に高天原があり天照大神が治め、またこの世界の下には根の国があり、伊邪那岐命が治めていた、という。すると中間の此処は、となりますね。

 天地開闢という神代の昔に混沌だけが世界を支配した時代、高天原より舞い降りた伊邪那岐は伊邪那美命ととも天沼矛という長刀で混沌の海を掻き雑ぜ、その際に誕生したのが大八洲という今の日本列島と海神大綿津見神や大山津見神という神々であったと神話にある。

 伊邪那岐命が自らは根の国に、須佐之男命には海の神たることを命じた際に、流石に海は困るという事で強く念じたところ巨大地震に大津波とカルデラ噴火、映画日本沈没、的な状況となり、天地創世成し遂げたその地での暴挙、須佐之男命は追放される事となります。

 日本沈没の原因が別居騒動での夫婦喧嘩というのは中々日本神話の奥深さを感じるところですが、須佐之男命は追放されるならば海の神も神も諦めて再同居しようと根の国に向かう事とし、その前に最後の挨拶へと天照大神へ会いに高天原へ上洛というか上京へ向かう。

 高天原は、日本全土を蹂躙した須佐之男命が遂に高天原へと進攻したと、ちょっとした騒ぎとなり、実際須佐之男命は神具十拳剣を帯びていた事で天照大神は神々に完全武装で迎え撃つ姿勢を執った為、須佐之男命は誤解を解くために十拳剣を手放し壊す事で同意した。

 天照大神と須佐之男命の誓約、とはこのことを示しまして、砕いた十拳剣から多紀理毘売命と多岐都比売命の市寸島比売命の神々が、また十拳剣を砕いた勾玉からは天之忍穂耳命と天之菩卑能命に天津日子根命と活津日子根命に熊野久須毘命の神々が生まれた、という。

 この子孫が現在の皇室に繋がるといい、日本誕生、とはこの災害と共に復興と和解の過程で生まれた事に他なりません。そしてこうした荒ぶる神様の、一方で八岐大蛇討伐を代表するように、人情というか神情にも厚い神様の子が、宇迦之御魂神、という事なのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【防衛情報】インド海軍,空母ヴィクラマディーチャ近代化改修と来年竣工新空母ヴィクラント

2021-09-28 20:16:38 | 先端軍事テクノロジー
■特報:世界の防衛,最新論点
 今回はインド海軍の空母特集です。ヴィクラマディーチャという艦名はサンスクリット語の神の名を示すのですが護衛艦くらま艦名の鞍馬語源と実は重なる。

 インド海軍は空母ヴィクラマディーチャ近代化改修へロシアのセヴマッシュ社の協力を受け入れます。ヴィクラマディーチャは2015年にインドせ再就役した比較的新しい空母ですが、旧ソ連時代の1978年に起工しており、船体そのものは最新鋭とは言い難い。セヴマッシュ社はインド国内の造船所を空母改修可能な水準まで近代化改修するとのことでした。

 ヴィクラマディーチャは旧ソ連が1987年に就役させたキエフ級航空母艦4番艦バクーがソ連崩壊後に空母アドミラルゴルシコフとなり、1992年に火災事故に見舞われていました、これが2005年にインド売却が決定、キエフ級の特色であった強力なミサイル兵装を全通飛行甲板に切替える大改修を行った上で艦載機をYaK-38から強力なMiG-29としています。

 アドミラルゴルシコフ時代に火災に見舞われたヴィクラマディーチャは2021年5月に軽微な火災に見舞われたとしており、防火システムの改修が行われると共に、セヴマッシュ社はキエフ級用の予備部品などをインドへ新規製造し供給するとのこと。ヴィクラマディーチャの満載排水量は45500t、インドが建造中の国産空母ヴィクラントよりも大型艦です。
■空母ヴィクラントの竣工が遅れ
 空母ヴィクラントの竣工が遅れるようです。海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦いずも以上の大型艦となっています。

 インド海軍はADS防空艦として建造が進む空母ヴィクラントが2022年前半にも就役する見通しであると発表しました。これはインド軍のラージナートシン国防相が6月25日にヴィクラント建造を進めるコーチン造船所を視察した際に発言したものです。本来ヴィクラントは2021年に竣工予定とされてきましたが、建造の遅れが指摘されていたとことです。

 ヴィクラントは満載排水量40862tの航空母艦でガスタービン推進方式を採用、現在のところMiG-29戦闘機30機など艦載機40機を搭載する計画、この建造にはロシアより中古取得した空母アドミラルゴルシコフ、改め空母ヴィクラマディーチャとともにロシアの技術協力とイタリアのフィンカンティエーリ社の設計支援を受け建造している航空母艦です。

 ヴィクラントの建造は2009年に起工式を経て2013年に進水式を迎え、そのまま建造が続いています。インド海軍ではヴィクラントをヴィクラント級航空母艦の一番艦と位置づけており、当初計画では3隻が建造される構想でした。建造の遅れは指摘されていますが6月25日時点で、シン国防相は7月中に洋上公試を行う方針であるとも、発言しています。
■ヴィクラントにインド製艦載機
 インドでは空母国産化とともに空母艦載機の開発を本格的に始動しています。

 インドのラージナートシン国防相は国産空母艦載機にMiG-29に加え国産航空機を含める考えを示しました。これは6月25日にヴィクラント建造を進めるコーチン造船所を視察した際の発言の一つで、国産の軽量ヘリコプターを艦載機として搭載するとのこと。ただ、哨戒用か救難用か両用作戦用か軽量ヘリコプターの用途については明らかにしていません。

 MiG-29K戦闘機を空母艦載機として運用する空母ヴィクラントは、更に早期警戒機としてロシア製カモフMi-31AEWヘリコプター、そして近く導入が開始されるアメリカ製MH-60R多用途ヘリコプターの搭載が発表されていました。軽量ヘリコプターとはHAL社製ALHドゥループと思われ、ALHドゥループはフリゲイト艦載機へ訓練が進んでいます。

 インドでは将来の航空母艦増強に向け空母艦載機の開発が大車輪で進められており、国産戦闘機テジャス艦載機型も開発予定です。テジャス艦載機型はナット軽戦闘機後継として1960年代から延々と開発され2020年に漸く完成したテジャス戦闘機を改良するもので、縮尺模型が空母模型上に並べ兵器見本市等に展示されていますが、進展度合いは不明です。
■インド,MiG-21を三年後廃止
 自衛隊の退役したF-4戦闘機と同世代の戦闘機にMiG-21というものがありますが。

 インド空軍はMiG-21戦闘機を2024年までに完全退役させると発表しました。これはインド空軍のブハドゥラティア空軍参謀総長が6月18日に発表したもので、インド空軍では手堅い超音速戦闘機として導入されたものの旧式化が進み過ぎ、2000年代から2020年代に掛けて墜落事故が相次ぎ発生している為で、また後継戦闘機の目処が立った為ともいう。

 MiG-21戦闘機は旧ソ連が開発し超音速戦闘機としては異例の一万機以上が生産、同盟国や友好国等60か国へ供与されている。電子装備が最小限度で運用費用も安価である事から、供与された諸国ではソ連崩壊後、ソ連からの軍事援助の終了を以て、より新型で高性能であるも運用費の高いMiG-23やMiG-29を廃止し、MiG-21を運用する空軍も存在している。
■AMCA戦闘機開発へ
 インド空軍はAMCA戦闘機という新型戦闘機を開発するとのこと。

 インド空軍はMiG-21戦闘機の運用終了目処と共に後継機となるAMCA戦闘機開発を加速化させると発表しました。インド空軍はMiG-21を早ければ2023年、遅くとも2024年に運用終了します。そして空軍はその後継機として、フランスから36機を導入したラファール戦闘機を更に36機増強する交渉を行うと共に、国産戦闘機開発を進めるといいます。

 AMCA戦闘機はインドが独自に開発する第五世代の中型戦闘機で、また、インドがナット軽戦闘機後継機として長年開発を延々と継続し続けたLCAテジャス軽量戦闘機の量産目処も漸く実りつつあり、LCA開発により得られた様々な知見と反省を活かしAMCA戦闘機開発を加速させるようです。インドはMiG-21を1961年より実に1200機、取得しました。
■時事:珠海航空ショー開幕
 此処からは時事問題を見てみましょう。中国において2020年に予定され延期されていた隔年実施の航空ショーが開始されたもよう。

 中国では9月28日より珠海中国国際航空宇宙展覧会が開始された。珠海航空ショーとしても知られる展覧会は中国国内において行われる最大規模の兵器見本市でもある。珠海中国国際航空宇宙展覧会では、中国製無人機が注目を集めている。市販無人機として世界シェアの最大シェアを占める中国製無人機であるが、軍用の大型無人機も開発が進んでいる。

 J-16D電子戦機は珠海中国国際航空宇宙展覧会において展示された極めて注目度の高い航空機である。これはロシアより導入したSu-27戦闘機をリバースエンジニアリングにより国産化した殲撃16戦闘機を元に専用電子戦としたもので、この分野での専用機はアメリカ海軍のEA-18G電子攻撃機が有名であるが、中国も電子航空戦の技術実用化を進めている。

 彩虹六-CH6無人機が珠海中国国際航空宇宙展覧会には展示され、こちらは全幅20mと全長15mあり、無人偵察機であると共に攻撃能力を持つ。中国では高高度を数十時間に渡り飛行する滞空時間を持ち極めて広範囲の海域や国境線における情報収集に当る無人機も開発され、この分野で先行するアメリカ製RQ-4グローバルホーク無人偵察機を猛追している。
■時事:北朝鮮弾道弾発射
 北朝鮮のミサイル問題がまた再燃しており我が国ミサイル防衛の重要性を再認識するところです。

 北朝鮮は9月28日、弾道ミサイルを日本海へ発射した。韓国軍発表によれば少なくとも一発の飛翔体上昇を確認しており、防衛省によれば上昇高度から弾道ミサイルの可能性が指摘されている、我が国排他的経済水域での被害はない。北朝鮮は9月にはいり巡航ミサイル実験を筆頭に国連決議により禁止されている弾道ミサイル開発実験を繰り返している。

 相次ぐミサイル実験を受け、国連を含め各国が非難を続けているが、北朝鮮国連代表部の国連大使は、弾道ミサイル開発は北朝鮮の権利であるとし、国連制裁を受け入れない主張を行っている。北朝鮮は韓国のムンジェイン政権より朝鮮戦争終戦宣言に関する外交交渉を示唆されているが、同時に韓国も弾道ミサイル実験を実施しており、緊張は続いている。

 北朝鮮は今月二度目の弾道ミサイル実験となるが、一度目の弾道ミサイル実験は韓国海軍が新しく開発した弾道ミサイル潜水艦によるミサイル実験と同日であり、両国ともこの実施を予期していなかったとしている。28日の実験が、その対抗策であるのかは未知数だが、北朝鮮も潜水艦発射弾道弾を開発中であり、今回の実験が何を意味するか注視が必要だ。

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【防衛情報】トルコ最新装甲車,日本提案のヨルク軽装甲車とタルパー機動砲型にアルマ装甲車

2021-09-27 20:00:55 | 先端軍事テクノロジー
■特報:世界の防衛,最新論点
 新興工業国であるトルコは稼働率や輸出先整備性を度外視こそするものの極めて安価で費用対効果では秀でて高性能スペックの装備を量産しています。

 陸上自衛隊次期装甲車選定へトルコよりヨルク装甲車が試験に提供されている、トルコの国営アナドル通信が報道しました。ヨルクは2008年にトルコのヌロルマキナ社が開発した六輪式装輪装甲車の四輪駆動型で、2013年に開発されています。トルコ軍へ400両が配備されたほか、ウズベキスタン軍は1000両以上、カタール軍やグルジア軍も導入しました。

 ヨルク装甲車は陸上自衛隊次期装甲車選定に在って唯一の四輪駆動式装甲車であり、他の候補はフィンランドのパトリアAMV,カナダのGM-LAVピラーニャと三菱重工の機動装甲車、どれも八輪駆動式となっています。このため、不整地突破能力は必然的に四輪駆動との差異が響きますが、人員11名を輸送し4tの貨物輸送可能、搭載能力は遜色ありません。

 次期装甲車選定においてヨルク装甲車が優位である点は、車幅が2.5mで候補の中で唯一道路運送車両法車輛限界内という部分でしょうか、一方で重量は14t、エンジンはカミンズ社製375hpエンジンを搭載し比較的信頼性が高く、また25mm機関砲までのRWS遠隔操作銃搭が搭載可能、明らかに不採用の小松製作所試作車両よりも優れた特性を有しています。
■タルパー戦闘車105mm砲塔
 深い事を考えずに量産効果を考え数を発注し装甲車体へ高出力エンジンを組み込めば日本でもタルパーのようなものを安価に揃えられる。何故それをしないのか。

 トルコのオトカ社は8月17日から8月20日に開催された第15回IDEF防衛産業展にタルパー装甲戦闘車105mm機動砲型及び装甲輸送車型を発表しました。トルコ軍は開発が進むタルパー装甲戦闘車400両の導入を期しており、この量産開始に合わせて各国へ指揮通信車や観測車、装甲救急車に自走迫撃砲など派生型を含む各種車輛を提示するのが狙い。

 タルパー装甲戦闘車は2011年にトルコのオトカ社が開発し、トルコ軍が導入を開始するドイツ製レオパルド2主力戦車との協同を想定した車両です。車両は装軌式車輛であり30mm機関砲塔を標準装備、動力は信頼性のあるスカニア社製810hpディーゼルエンジン、車体は戦闘重量32tで増加装甲装着により42tまでを想定した懸架装置の強度を輸しています。

 105mm機動砲型及び装甲輸送車型について、105mm機動砲型はSK-105系統の低圧砲に独自の砲塔を搭載したものであり、装甲輸送車型タルパーSといい、開発構想は2015年に発表されていまして、砲塔を排し戦闘室そのものの容積を拡張、原型では乗員3名と兵員8名を輸送しますが12名程度の歩兵分隊を収容する事が可能です。展示は模型のみという。
■アルマ装甲車KORHAN砲塔
 こういうものは言ったものが勝ち的なものがありますので既存車輛と既存砲塔の組み合わせは日本ももっと積極的になるべきだ。

 トルコ防衛大手オトカ社は第15回IDEF防衛産業展にて、アルマ多目的装甲車のKORHAN砲塔システム偵察警戒型のコンセプトを発表しています。アルマ多目的装甲車はトルコ製六輪式と八輪式の装輪装甲車ファミリーであり、特殊部隊機動用などを想定していましたが、武装は12.7mm機銃となっていましたが、砲塔搭載は可能とされています。

 アルマ多目的装甲車は2010年に発表された装輪装甲車で戦闘重量18.5t、全長6.4m、全幅は2.7mとなっています。トルコ軍所要の他にサウジアラビア軍が導入した車両が2015年以降イエメン内戦へ参加しており実戦経験があり、2010年にバーレーンへ輸出した際には73両が7400万ドルで輸出され、比較的取得費用を抑えている点も特色といえるでしょう。

 KORHAN砲塔システムはアセルサン社が開発した35mm機関砲型無人砲塔でもともとはラインメタルエリコン社製35mm機関砲と3P調整散弾方式機関砲塔として開発されており、砲安定装置と複合光学カメラによる一定程度の目標自動追尾が可能とされています。3P弾薬は対空用は勿論、歩兵散兵線や装甲車両光学装置に対しても有効とされています。
■アクレップ2D装甲偵察車
 安定性と云うよりも火力による示威性能という部分は重要だとも思う。

 トルコ防衛大手オトカ社は第15回IDEF防衛産業展へアクレップ2D装甲偵察車を発表しました。アクレップはもともと、1994年に軽装甲車としてイギリス製ランドローバーディフェンダー四輪駆動車のシャーシに簡易装甲を施した安上がり且つ治安維持用の装甲車両でしたが、アクレップ2は本格的な地上戦闘に耐える装甲車両として完成しています。

 アクレップ2D装甲偵察車は四輪駆動装輪装甲車に90mm低圧砲塔を搭載したもので、この形状は1950年代のフランス製傑作装甲車AML-90を思い起こすもので、この車輛は5.5tの四輪駆動軽装甲車に90mm低圧砲を搭載、装甲は薄いものの機動力が高く、当時の主力戦車に対しても十分対抗出来得るものであった為、5000両が39か国で運用されました。

 アクレップ2D装甲偵察車はランドローバーを転用した初代と異なり新規設計となっており、全長5.5m、全幅2.5m、戦闘重量は13.5tである。乗員は3名で一見してオフロード車のようなシルエットの車体ながら重量級であるとともに、2019年にアクレップ2が発表された際には機関砲塔を搭載していた、2Dからは90mm砲により威力偵察が可能となろう。

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伊勢湾台風上陸62年,巨大台風災害の脅威と防災行政の南海トラフ巨大地震対策偏重への懸念

2021-09-26 20:10:25 | 防災・災害派遣
■気候変動と自衛隊装備縮小
 62年前の今日、巨大な台風が日本に上陸しました。紀伊半島から東海地方と中京都市圏を中心に全国規模の被害をもたらした伊勢湾台風です。

 本日は1959年伊勢湾台風慰霊の日です。1995年兵庫県南部地震による阪神大震災を経験するまで、伊勢湾台風は戦後最大の巨大災害となっていました。現実問題として、狩野川台風や第二室戸台風と枕崎台風にカスリーン台風、日本にとり戦後災害史とは長らく巨大台風によるものが大きかった訳です。実際、台風の持つエネルギーも巨大地震並である。

 災害派遣。巨大災害に対して現場は最大限の任務を要請されるならば、文字通り過労死さえあり得る状況でも最大の対応を実施する事は東日本大震災の災害派遣が示しています。しかし、能力というものは多少限界を超えても短期間ならば対応できるものですが、上限はあり、無理なものは無理となります。するとオペレーションリサーチが必要でしょう。

 オペレーションリサーチ。具体的に災害対処はどの程度の任務を想定するのか、出来るだけ多くという曖昧な認識ですと、予算は天文学的となりますが、例えば輸送機ばかり数百機揃える必要があるのか、輸送艦も数十隻揃えねばならないのか、となります。行き過ぎと成れば防衛力全体の均衡を破綻させますが、一方で少なすぎても任務に対応できません。

 巨大災害を前に、不足している装備はどういったものがあり得るのか、手持ちの装備でどの程度担えるのか、こうした視点とともに、行う対処の全体像を描く必要があります。災害派遣は自衛隊の本来任務ではないといわれるかもしれませんが、南海トラフ巨大地震を例に挙げれば想定死者数32万名、数日間でこれ程の死者は国家危機に他ならないでしょう。

 オペレーションリサーチ。忘れるべきではないのは、2011年東日本大震災の頃と比較し、自衛隊の装備はかなり縮小しているという事実です。後継機選定が中断されたまま偵察機と観測ヘリコプターは全廃され、東日本大震災の頃のような情報収集手段を自衛隊に求める事は出来ません、勿論、市販水準のドローン等は防災用に配備が進んでいますけれども。

 東日本大震災の頃と比較し、多用途ヘリコプターも後継機選定の遅れからかなり数が減っていますし、輸送艦は5隻から3隻に数の上では減っていますし、輸送機もC-1輸送機から大型のC-2輸送機に転換していますが、その分飛行隊定数が縮小されていますので輸送機の総数は減っています。予算が限られる以上、仕方ない事ですが、留意すべき点です。

 オペレーションリサーチ。必要であるといえるのは、上記の通り自衛隊の災害派遣能力が予算不足から装備縮小により厳しくなっており、前出来た事が今できるとは限らない点です。勿論、ヘリコプターが無ければ普通科隊員が担いででも輸送するのでしょうが、どうしても輸送能力は人力ではヘリコプターに及びません、現状知る事が、先ず重要でしょう。

 巨大台風。災害は基本的に想定外、想定した通りの災害というものは中々無いようにも思えます。ただ、この中でもここ十年間、我が国の防災は勿論風水害についても備えはあるのですが、数十万が危機に曝されるような巨大災害への認識は巨大地震の方に偏重しているのではないでしょうか。もちろん、巨大地震の脅威が大きい事も事実ではあるのですが。

 東日本大震災、2011年東北地方太平洋沖地震により引き起こした巨大津波は被災者全員と共に報道映像を通じ今なお日本全体で記憶に新しく、災害と云えば巨大地震、という主観が多かれ少なかれあるものですが、我が国では巨大火山災害、台風災害と豪雨災害を忘れてはなりません、そしてこの規模の災害では個人や地域の対策にも限界が、あるのですね。

 伊勢湾台風が和歌山県の潮岬に上陸したのが9月26日、そして三重県を蹂躙し伊勢湾から愛知県に再上陸し、名古屋市沿岸部に猛烈な高潮による被害を及ぼし、特に北上する台風と共に気圧に押し上げられた海水は文字通り伊勢湾北端の名古屋市沿岸部で行き場を失ったまま沿岸部に上陸、巨大な水塊となり濁流や津波の様に工業地帯や住宅街を襲います。

 名古屋市はじめ沿岸部の被害を拡大させたのは、名古屋空襲始め戦災復興に必要な巨大な建築需要を担った沿岸部の建築資材、具体的に言えば貯木場が高潮と共に破城槌のように木造住宅を高速で突き破り破壊した事例も多く、一方で内陸部では風圧により圧潰した歴史的建造物も多く、本質は台風災害なのですが、極めて複合的な災害と云えるものでした。

 5098名、伊勢湾台風の死者行方不明者は台風災害としては異例の5000名を越えるものとなっています。この巨大台風は発生から消滅まで6日間、しかし中心気圧は895ヘクトパスカルと極めて規格外の台風であり、最大風速はアメリカ海軍の解析によれば85m/s、気象庁解析でも75m/sと恐るべきもので、日本全土への経済的被害も東日本大震災に並びます。

 災害対策基本法。現在では巨大災害への対応の基本法となっている法律も、強権的とさえいえるこの法整備は伊勢湾台風を受けての、いわば現行憲法下での非常事態法制の始まりと位置づけられるものであり、台風そのものの被害も規格外ですが、直接間接とで、日本の政治や文化へ及ぼした被害も規格外である事が端的にわかるのではないでしょうか。

 南海トラフ巨大地震。さて、今から理解し備えておかねばならないのは、現在日本の防災基盤は南海トラフ巨大地震を想定としたものに重点が置かれ、例えばスーパー堤防の建設や、防風林の整備が余りに置き去りとされているのではないでしょうか、特に防災が地震対策に偏重していると危惧するのは、地震により倒壊する懸念のある空き家対策の施策だ。

 巨大地震を想定するならば、住民のいない空き家は老朽化が進めば倒壊の懸念がある為に取り壊しが望ましく、また現住家屋については巨大地震に対応する耐震補強が必要となります。ただ、これは巨大台風防災を念頭に置けば、逆に被害を拡大させる相関関係がある事も理解しておくべきでしょう、勿論、地震対策が不要というわけではないのですが。

 防災、例えば地方都市では住宅密集地域での空き家取り壊しが進められていますが、これにより台風災害では住宅密集度の低下が旋風による被害を増大させる事が平成30年台風21号等により判明しています。耐震補強も住宅が頑丈と成れば圧潰被害を回避できますが、揺れを溜めない構造重量を低減させる耐震補強は暴風に対しての脆弱性に繋がるのです。

 スーパー台風。伊勢湾台風は過去のものなのかと問われれば、伊勢湾台風規模の台風に対して我が国の防災インフラはかなり強化されたといえるのかもしれません、例えば伊勢湾の高潮防波堤などがその一例で、堤防も強化されました。しかし、気候変動により台風そのものが巨大化、スーパー台風と呼ばれる水準の台風発生頻度が高まる懸念への備えは。

 東京湾や大阪湾は伊勢湾と同じ様に台風進路である南側に湾口があり、そして湾の奥に世界でも有数の巨大都市が広がります。これは偶然ではなく高すぎる太平洋の波浪に守られた良港で、水利の恩恵に恵まれた立地が、我が国では東京湾と大阪湾に伊勢湾である為で、これは日本列島が環太平洋弧状列島である以上、宿命的な都市部の立地といえましょう。

 気候変動により台風そのものが巨大化。更に自衛隊装備の縮小は前述しましたが、同時にスーパー堤防建設や都市部排水機能強化など、防災インフラ整備も遅滞と停滞があります。原因は同じ予算難と緊縮財政ですが、建設国債を発行してでも防災インフラを整備しなければ、日本で最も重要な工業生産基盤を危機に曝している状況はそのままとなっています。

 伊勢湾台風再来、これは伊勢湾台風規模の台風が再来する脅威という安直な発想ではなく、伊勢湾台風襲来当時の、防災インフラの想定外水準という巨大台風により激甚災害の定義を超える規模の被害が発生する懸念として考えてみますと、果たして防災インフラ整備の進行状況や災害対処オペレーションリサーチは充分なのか、という疑問が、拭えません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-神戸,神戸ポートタワーのメリケン黒ビール

2021-09-26 18:10:15 | グルメ
■神戸一望108mの俯瞰風景
 神戸ポートタワーは耐震補強工事が開始されるに当たり一般公開は本日まで、2023年に工事完了の予定という。

 神戸港、神戸川崎造船は旧海軍の戦艦榛名や戦艦伊勢、空母加賀や空母瑞鶴と重巡摩耶や重巡熊野を建造した事は、一昔は月刊丸や世界の艦船愛読者などの知る人ぞ知る話題でしたが、昨今はとあるゲームのお蔭様で広く知られたところ、今は潜水艦の街でもある。

 戦艦榛名や戦艦伊勢、空母加賀や空母瑞鶴と重巡摩耶や重巡熊野は今は最早眺める事かないませんが、その造船の街神戸を眺める事が出来るのが神戸ポートタワー。いよいよ本日9月26日に耐震工事開始へ最後の一般公開となりましたが、ここ、おもしろいところです。

 パイプ構造建造物としては世界最初の建築となりました。ガメラ対バルゴンでは舌に叩き折られたり、ウルトラセブンではキングジョーに襲われていますが、構造は頑丈で、建設前の伊勢湾台風規模の台風も想定し、神戸市を襲った阪神大震災の激震にも耐えています。

 2023年にリニューアル。ポートタワーは耐震補強工事とともにリニューアルを行い、2021年から2023年まで一時閉鎖となります、前にも行ったように記憶しますが、2009年から2010年にかけ行われたのは電飾のLED化と再塗装で、耐震補強では無かったのですね。

 神戸ポートタワー、神戸市中央区波止場町に所在します高さ108mのタワーで1963年11月21日に完成しました、当時の神戸市長原口忠次郎氏が1959年、オランダロッテルダムを視察した際に港湾を一望するユーロマストに驚き、神戸のランドマークをという機運が。

 ビールを頂けるのですね。しかもビールは展望台の回転台とともに形式を文字通り360度巡りつつ、大阪湾へ広がる神戸港と、摩耶山と六甲山を見上げる神戸市内と、淡路島や姫路に向かう山陽路と、大阪平野は遠く大阪市へと広がる情景とともに、いただけます。

 神戸メリケン黒ビール、地ビールです、六甲と摩耶、水が良い。クラッカーやナッツとともに、神戸を散策した際に立ち寄るには風情が素晴らしく、とくとくとグラスに注ぎ、しかし炭酸と共にビールの香りを湛えた泡がグラスの縁から溢れないよう気を付けながら。

 黒ビール、これはいっぱいいっぱいじっくり嗜むには丁度良い、こういうのもラガービールの様にキンキンに冷やすものではなく、好んで楽しまれている本場のイギリスでは元々常温でいただくのが基本と云いまして、読書や展望とともに温くなっても、ここちよい。

 神戸、観光に散策するには素晴らしい街です、歴史も平清盛や楠正成の時代から連綿と続くと共に横浜と並ぶ開港都市、そして港街ですので船舶の入港が、阪神大震災までは世界一の水準にあったほど多い。実際、潜水艦を建造していますし、護衛艦の入港もあります。

 練習艦隊の神戸寄港、いや昨年と今年はCOVID-19感染拡大により神戸港も大阪港も見える範囲には入港出来ず、これは全国一周という近海練習航海を形骸化していても維持しなければという範疇に留まっているのですが、コロナ前では、神戸港入港が隔年であった。

 遊覧船が運航されていまして、艦隊入港の際には一周巡る際に練習艦隊の間近を撮影出来ますし、三菱重工や川崎重工で建造されまた整備されている潜水艦を間近に見る事も出来ます、この際に遊覧船がまさに神戸ポートタワーの目の前から運航されているのですね。

 六甲と摩耶の素晴らしい水と開港都市由来のビール文化、休息し遊覧船の時間を待つ、中々趣き深い。現在は緊急事態宣言によりビールは嗜めません、耐震補強工事により2023年まで再訪は出来ませんが、リニューアル完了後の風景というのも、今から楽しみですよね。

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【土曜特集】榛名から鹿島へ(6)練習艦隊かしま旗艦,大阪港天保山岸壁寄港(2008.03.22)

2021-09-25 20:10:50 | 旅行
■大阪港の練習艦隊一般公開
 COVID-19感染拡大と共に艦艇一般公開というものは懐かしくすら感じるようになりましたこの頃ではある。

 練習艦隊の入港、さてうそろそろ時間も推してきたところですが、もう少し撮影出来そうですので護衛艦あさぎり、この頃は練習艦あさぎり、でしたが、その艦上をもう一周散策します、この頃は護衛艦見学で1km2kmも並ばない時代でしたので余裕がありました。

 練習航海、しかし平成20年度は平和な時代でしたね、文字通り世界を一周している、いまはCOVID-19で太平洋の隣国をかすめるだけ、しかもこの頃は練習艦となっていた旧護衛艦あさぎり、を再度護衛艦へ戻しているほどに護衛艦不足という時代です、平和だった。

 旧式護衛艦の練習艦転用、昨今はミサイル護衛艦はたかぜ型の二隻が転籍となりまして、護衛艦はたかぜ、護衛艦しまかぜ、改め練習艦はたかぜ、練習艦しまかぜ、となりました。しかし、はたかぜ型はヘリコプター格納庫がありませんのでどう教室を確保するのだろう。

 はたかぜ型練習艦、というところでしょうか。しかし遠くない将来に後継艦が必要となります。思うのは、時代は今やインターンシップの時代でオンザジョブトレーニングで習うより慣れろの時代といいます、すると海上自衛隊もこの流れに乗ってみるのも、ありかも。

 もがみ型護衛艦が建造されていますが、例えばVLSを搭載しない比較的軽武装の護衛艦もがみ型を、はたかぜ型の老朽化と練習艦かしま老朽化に併せて、思い切って早々と練習艦に3隻転籍させる、そして艦上でオンザジョブトレーニング方式で教育を行う、無理かな。

 かしま後継艦は、おそらく先代練習艦が練習艦かとり、でしたので順番としては練習艦かしい、として香取型練習巡洋艦の3隻を継承させるのかもしれませんが、もう一つ、もがみ型を3隻、もがみ、くまの、建造中の三番艦、と艦を転籍させ、練習艦隊所属とする。

 練習艦とはいえ、もがみ型護衛艦は多目的区画がありますし、VLSを搭載しない分、ミサイル操作要員も不要ですので比較的少人数で運用できます、多目的区画を転用する事で新任幹部を受け入れる事も出来るでしょう、そして一応は最新鋭艦の末席といえる設計です。

 はつゆき型護衛艦転用艦や、あさぎり型護衛艦転用艦よりも、実習と任務を兼ねて周辺海域の警戒監視任務に充てる事も可能でしょう。考えてみればその昔は日本を一周する近海練習航海も長い期間、その一その二、と別れて実施されていました。これが短縮している。

 もがみ型であれば、オンザジョブトレーニング方式で練習航海を行いつつ、同時に哨戒任務に充てた場合でも、なにしろ艦砲は強力ですし、ミサイルも搭載しています、周辺国海軍に甘くみられる事もありません、実任務を兼ねるならば警戒用の護衛艦を割く事も無い。

 フランス海軍では専用練習艦としてヘリコプター巡洋艦ジャンヌダルクを充てていましたが、ジャンヌダルク退役後は専用練習艦を置かず、ミストラル級強襲揚陸艦をその任務に充てています。専用練習艦、アメリカ海軍やイギリス海軍なども実は保有していません。

 日本の周辺情勢は非常に懸念すべき状況となっていまして、この写真を撮影しました、護衛艦はるな現役時代よりは逼迫したものとなっています、すると専用練習艦に代えて有事の際には第一線でも運用し得る護衛艦の転用、検討すべき時代なのかな、と残念におもう。

 巡視船。自衛隊が導入する哨戒艦はどうなるのだろう、という素朴な疑問と共に帰路に就きました、という訳ではありません、ここは大阪港、護衛艦や練習艦を撮影するにはもう一つ、穴場的な場所が在るのですね。そこへ、今回最後の撮影地変更と向かうわけです。

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【映画講評】Battle of the Bulge: Winter War/ザ・バルジ・ソルジャーズ(1)最新作発表

2021-09-25 14:12:20 | 映画
■トムベレンジャー主演
 お友達から面白い映画の新作が在るとお教えいただきましたので本日の第二記事はこの話題をお伝えしましょう。

 アルデンヌ冬季攻勢、1944年にドイツ軍が実施した最大規模の攻勢です。この戦いは一大戦車戦となり、特に電撃戦として機甲部隊の威力を世界に知らしめたドイツ軍最後の大攻勢、その敗北として歴史に記されているものですが、この大作戦の転機となる幾つかの小規模な戦闘に焦点を充てた戦争映画新作が公開される様です、これは楽しみですね。

 Battle of the Bulge: Winter War。原題はこのようになっていまして邦訳は“ザ・バルジ・ソルジャーズ-ナチスvs連合軍最後の決戦”という。何か邦訳が量産された格安映画のような印象を与えるものですが、“プライベートライアン”の便乗のような邦題の“プライベートソルジャー”がヒュトルゲンの戦いを描いた佳作であったように、本作も期待したい。

 トムベレンジャー、ビリーゼイン、スティーヴンルーク、アーロンコートー、ブリタニーベンジャミン。俳優は“山猫は眠らない”のトムベレンジャーとビリーゼイン、狙撃映画の金字塔で一作目のヒットから続編が出るまで時間が掛かりましたが、その後はフーテンの寅さんのように量産されたシリーズの名優が二人そろってお年を召しながら共演します。

 Battle of the Bulge: Winter War、期待しつつ劇場を探したいところですが、制作されたアメリカではビデオ映画として劇場公開はされていないという、Vシネマだ。そしてこの作品には“ザ・バルジ”という先行して公開されたVシネマがありまして、その続編という。もっとも、日本の超大作以上に実物の戦車等が一定数撮影に参加しているようですけれど。

 ザ・バルジ・ソルジャーズ-ナチスvs連合軍最後の決戦、この作品はアルデンヌ冬季攻勢でも思わぬアキレス腱となったドイツ軍の燃料不足、急にドイツ軍55個師団の内25個師団もかき集めたことで燃料補給が極めて切迫している中で戦われたという、部分に焦点を充てた作品のようです。過大に理解されるきらいはあるが、燃料は極めて厳しいものでした。

 トムベレンジャー、ビリーゼイン、この二人が揃いますと若いころならば狙撃銃で敵を一人一人屠るのかもしれませんが、何しろ今回のアルデンヌ冬季攻勢はドイツ軍の規模が大きく、山猫は眠らない、この公開は30年近く昔の話、流石に二人には無理があります。またトムベレンジャーは少佐の、ビリーゼインは中将の階級章を点けて演じているのですね。

 予告編を見ますと、敵であるドイツ軍の燃料がひっ迫している状況と、ランツェラートという地名、そして少数の戦車が登場します。CGを使えば機甲師団も再現できるのかもしれませんが、質感で戦車と歩兵の動きを細部まで再現できる程CGはまだ技術的に到達していません、すると、あの戦いでの燃料補給処を巡る二つの戦いが、思い浮かぶのですね。

 連合軍は1944年にノルマンディーに上陸しますが、要港シェルブールの攻略に時間を要し燃料不足に陥っていました、これを一挙に挽回するべく3個空挺師団を中心に展開したマーケットガーデン作戦が戦力不足と稚拙な準備により大失敗、停滞状態にありましたので、停滞した前線、ここを突き破れば挽回できる、ヒトラーはこう考えたのかもしれません。

 バルジ大作戦として知られるアルデンヌ冬季攻勢はドイツ軍の命運をかけたものでした、それだけに参加部隊は多く、第6SS装甲軍の第1SS装甲軍団と第67軍団、第5装甲軍の第47装甲軍団と第66軍団、第7軍は第80軍団と第85軍団が参加、停滞している連合軍防衛線を突き破って大西洋に面したベルギーのアントワープまで一挙に戦車で挽回する。

 映画バルジ大作戦として全体像が描かれている作品はあるのですが、参加部隊は大規模であるだけに個々の戦いはかなり省略されています、いや、米英軍84万名とドイツ軍50万が激突し、米軍戦死者8600名と行方不明及び捕虜21000名、ドイツ軍死者12700名と行方不明者30600名という激戦を一本の映画で描けるわけがないのです、死者に失礼ですね。

 ランツェラートの戦い、スタブロー市街戦、映画バルジソルジャーズが描くのは、アルデンヌ冬季攻勢の中でも複数あった転機となる戦いの一つ、そして映画“バルジ大作戦”でも少しだけ脚色されて描かれている戦いです。緻密に計算され過ぎた作戦が、錯誤と混乱の中で少しづつ勝利への機会が削られ、結果的に全体の敗北に繋がった、という構図です。

 第6SS装甲軍はヒトラーが最も信頼する武装親衛隊の戦車部隊で、第1SS装甲軍団は隷下に第1SSライプシュタンダルテアドルフヒトラー装甲師団と第3降下猟兵師団及び第12SSヒトラーユーゲント装甲師団と第12国民擲弾兵師団と第150SS装甲旅団に第277国民擲弾兵師団、第67軍団は作戦稼働可能な第326国民擲弾兵師団が配置、装備も強力でした。

 第5装甲軍は第47装甲軍団が隷下に第2装甲師団と第26国民擲弾兵師団及び装甲教導師団。第66軍団は第18国民擲弾兵師団と第62国民擲弾兵師団。第58装甲軍団が第116装甲師団と第560国民擲弾兵師団。第7軍は第85軍団第5降下猟兵師団と第352国民擲弾兵師団、第80軍団が第276国民擲弾兵師団と第212国民擲弾兵師団、兵力は膨大という。

 これだけ部隊を集めますと、当然燃料消費が致命的な程に増大します。この為に作戦用に予備備蓄された1500万リットルの燃料をヒトラーが投入許可します。なにしろティーガー戦車は1マイル進むのに7.6リットルの燃料を消費する。ドイツ軍は第一線部隊に必要な燃料を提供する体制を確立させていましたが、予備の燃料などは無く常に枯渇していました。

 Battle of the Bulge: Winter War “ザ・バルジ・ソルジャーズ-ナチスvs連合軍最後の決戦”、ビデオ映画という規模からかつてソ連を警戒させたというアメリカのバルジ大作戦のような規模の戦闘は描きようもありませんが、しかし戦史の細部を視てゆきますと分水嶺となった幾つかの小戦闘がありまして、こうした部分に軸を置いた作品の模様、期待です。

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令和三年度九月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2021.09.25-2021.09.26)

2021-09-24 20:07:43 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 九月も月末となりましたが、COVID-19により今週末も自衛隊関連行事はありません、そこで懐かしいあの岐阜基地航空祭予行の風景と共に最新の状況をみてみましょう。

 国内感染者数は驚くほどに最悪期を脱し、やはり自粛主体であっても緊急事態宣言のの効力はあるのだ、と改めて感心しました、もっとも変異株デルタについては感染力が強く、ワクチン接種の進展と併せても沈静化までにかなり時間を要したのですが。今後は今月末、来週にも政府が緊急事態宣言月末解除についての決断を行うかが、重要な焦点でしょう。

 19都道府県に発令されている緊急事態宣言、病床逼迫やリバウンド感染再拡大さえなければ、解除できるのでしょう。すると冬に懸念される第六波までにワクチン接種率を集団免疫が確立できるまでに拡張できるならば、この夏一杯に発令された緊急時代宣言のような状況は回避できるのかもしれません、併せて治療薬普及の目処にて、光明は見えてきます。

 経済を再起動させるには、しかし課題は多い、グローバリゼーションと共に世界に広がったサプライチェーンは日本一国だけ感染収束を実現させても、製造業は今や例外なく多国間国際分業に依拠しており、グローバルな感染収束を実現させねばなりません。しかしその為には治療薬やワクチン製造と供給に先進国の責務がある。ただ、それでも課題はある。

 mRNAワクチン接種二度目から二週間後の、抗体値上昇後にCOVID-19デルタ株へ感染する事例をブレイクスルー感染と呼びますが、ワクチン接種者は発症や感染拡大を防げると云われていたものの、これは原株であり変異株デルタなどにはその限りではなく、群馬県と福井県において接種完了者同士ブレイクスルー感染でのクラスター感染が発生しました。

 政府はワクチン接種と共にワクチンパスポートの交付準備や、ワクチン接種者への移動自粛要請の解除、ワクチンパスポート保持者と非ワクチン接種者の飲食店や劇場での隔離などを構想しています。ただ、ワクチンパスポート保持者は安全なので三密で多少過剰に店舗や職場に詰め込んでも安全、という認識は、現状を視れば時期尚早なのかもしれません。

 ブレイクスルー感染、感染者数は確実に増大します、それならば感染者数をカウントしなければ、と思われるかもしれませんが、同じことをトランプ政権時代のアメリカや現在のブラジルが試みますが、感染者数が把握できないほどに感染爆発しているならば渡航勧告を延期勧告とし感染爆発国からの入国を制限する、という逆効果を指摘され、撤回します。

 日本はもっと慎重でなければ、ブレイクスルー感染が増大しつつ、これを看過して放置した場合に日本への渡航中止勧告と日本からの入国禁止と、周辺国始め世界各国が強い措置を執らざるを得なくなり、結局はWHO世界保健機関などが現在発令しているPHEIC公衆衛生非常事態宣言を解除し、終息宣言を出すまでは、感染対策は慎重と成らざるを得ない。

 ブースト接種、所謂三度目のワクチン接種が厚生労働省指針として決定し、年内にも医療従事者に、年明けからは高齢者や既往症患者へ実施されます。このブースト接種が仮にデルタ株や続いて想定される感染力と重篤化率の大きな変異株に対しても有効に採用するならば、上記に記したようなブレイクスルー感染というものを回避できるのかもしれない。

 WHO世界保健機関PHEIC公衆衛生非常事態宣言、その解除が為されなければ感染拡大国からの商用移動に労働力移動や観光旅客移動というものを自由化出来ませんが、ワクチン接種がこのまま世界規模で進み、ブースト接種まで目処が立つならば、現在のPHEIC公衆衛生非常事態宣言解除というものが、現実的に可能となるのでしょう。まだ少し先ですね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【京都幕間旅情】伏見稲荷大社,弘法大師空海と淳和天皇そして清少納言と後三条天皇との所縁

2021-09-23 20:01:02 | 写真
■千本鳥居織り成す大社の夜景
 千本鳥居は伏見稲荷大社の象徴的情景ですが、稲荷山に至る此処を歩みつつその深い歴史を振り返ってみましょう。

 伏見稲荷大社は歴史は平安遷都に先立つ長い歴史を湛えていますが、その始まりは秦氏の私社であったのもまた事実です。しかし転機を迎えます、天長4年こと西暦827年、淳和天皇が稲荷大神に初めて従五位下の神階を贈り国として保護することとなったのですね。

 淳和天皇は、薬子の変により廃位された高岳親王代わり立太子した桓武天皇嫡系の天皇、そして東寺造営の資材へ稲荷山の木々を用いた事で不穏な出来事が続き、これを機に神階を贈り鎮める事を願ったとされます。これは社殿創建から長く、空海の時代ともかさなる。

 空海と稲荷神との縁も伝承されているものでして、大陸留学から密教経典とともに帰国し、かの聖地熊野で修行中に励んだ弘法大師空海が、田辺に投宿した際に不思議な長身の老翁に出会ったとされています、その老翁は自らを神と名乗り弟子に迎えると伝えたという。

 老翁が稲荷神であったとされるこの逸話は、空海が機縁を感謝しつつ密教布教の使命があるとして固辞し、しかし天皇の勅命で京都に寺院を造営する為、ぜひその地にて祀りたいと約束を交わしました。後に当時へ稲荷神が空海を訪ねた事から饗宴でもてなした、と。

 稲荷祭として祭事も和銅4年こと西暦711年壬午に初午大祭を執り行う事となり、これは江戸時代まで祇園祭と葵祭とともに京都を代表する祭事として定着しますが、私社です。そして延喜8年こと西暦908年には藤原時平の寄進により社殿が造営される事となります。

 藤原時平は菅原道真を大宰府に左遷したことでも知られる人物ですが、元々は社殿が山頂にありましたものが、この頃から山麓に社殿を広げる事となりまして、山頂まで昇る必要も無くなり多くの町衆が参拝する、現在の伏見稲荷大社の形が徐々に形成されてゆきます。

 後三条天皇、延久4年こと西暦1072年に天皇として初めて行幸します。この後三条天皇は平安朝の頃に大きな影響力を及ぼした藤原家の家系ではない天皇で。宇多天皇以来170年ぶりといい、かの桓武天皇による当地の再来を期した天皇としても、知られていまして。

 延久の善政、後にこう称される後三条天皇の統治は、延久の荘園整理令や延久蝦夷合戦の勝利による陸奥最北部までの統治など、転換点となる治世であり、藤原氏との距離を置く姿勢は、秦氏の私社からはじまる社殿への行幸へと繋がった、ともいえるのでしょうか。

 清少納言は、しかし枕草子に伏見稲荷参拝へ大変な苦労とともに稲荷山を上る様子を記していまして、山麓に遷座したといいましても山頂に本殿を置き、いわば奥ノ院のような扱いとしていたとも受け取れ、当時の方の体力では、参拝は大変だったのかもしれませんね。

 平安時代には広く社殿を並べた伏見稲荷大社は、鎌倉時代には神仏習合が進み、今日とは一風趣きを新しくした信仰が既にあったという。室町時代になりますと、室町幕府6代将軍足利義教は当社を手厚く保護、本殿そのものを山麓に遷座、稲荷山を御神体としました。

 室町時代にはこうして山麓が栄え、こうして応仁の乱の時代となりますと栄えた社殿は細川勝元陣営が稲荷社に陣を置き、応仁2年こと西暦1468年、山名宗全側からの総攻撃を受ける事となる。総攻撃により、稲荷山は山頂まで焼き尽くされる事となり灰燼へ帰した。

 応仁の乱の被害は物凄いものが在ったのですが、時間合掛かりましたが復興し東夷よりも遥かに栄えて今日に至ります。実は一頃、夜間も観光客がかなり多く参拝に難渋する季節もあったのですが、昨今はまあご承知のCOVID-19により静かな風景が、広がっています。

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