■八幡大神を奉じ千百余年
二十二社は上七社の神社とは古くから国家危機や天変地異に際し朝廷よりの勅使を以て国家鎮護の祈祷を行うという。
八幡大神、これは弓矢を司る武運の神として古くより崇敬された歴史があります。弓矢は武器であると共に凛と張られた弓弦はそれそのものが魔を祓う神具としての由来もあり、さて思い返せば昨今の世の中、疾病や葛藤と戦い抜くには強い心というものは必要と思う。
平安京遷都に際し当時の京都は、平城京の廃都と長岡京での遷都失敗という次の無い切迫意識があり、平安京の鬼門たる北東には延暦寺を造営、そして京の裏鬼門にあたる南西には八幡宮が勧請される事となり、ここには今も勅祭が執り行われる社殿が鎮座しています。
石清水八幡宮、朱色の拝殿など山頂の陽射しに一際輝くとともに、京都府八幡市八幡高坊に所在しますこの社殿は近年国宝に指定されまして、とこう概説すると事ですが、わたしたちは徒然草や今昔物語として学校教科書を通じ、実は知らずに親しんでいる寺院の一つ。
京阪本線石清水八幡宮駅、石清水八幡宮は最寄駅から男山、鳩ヶ峰とも称されます標高143mの山上に鎮座する社殿です。この143mの標高は若干普段着にて詣でますと、夏の日差しでは気温と相談し身構える高さではあるところですが、ケーブルカーが通じている。
宇佐神宮上宮本殿とここ石清水八幡宮上院社殿、そして伊佐爾波神社本殿と柞原八幡宮本殿は八幡造という、前殿と後殿という前後に相の間で連結させた二棟の建物を一つの社殿とする独特の建築様式となっていまして、石清水八幡宮本殿は国宝に指定されています。
八幡大神を奉じる社殿とともにその神域は壮大且つ広大で、我が国では大分県宇佐市の宇佐神宮と福岡市東区に鎮座します筥崎宮、そして神奈川県鎌倉市の高名な鶴岡八幡宮とともに日本三大八幡宮に数えられる程です。数えてみますと三山でなく四山なのは気のせい。
伊勢神宮と併せ石清水八幡宮は二所宗廟として位置付けられており、旧社格は官幣大社、今日では神社本庁の別表神社に列せられていまして、三重県伊勢市は伊勢神宮と京都府八幡市の石清水八幡宮の繋がりを視ますと、京都府と三重県の隣県関係を改めて考えてみる。
八幡大神を奉じる社殿、この八幡大神といいますのは応神天皇と同一であると考えられ、また誉田別命、比咩大神、息長帯姫命の総称でもあります。この石清水八幡宮の創建は貞観2年こと西暦860年、社殿は令和時代より遡る事千百余年という大河の様な歴史を辿る。
欽明天皇32年こと西暦571年、八幡神信仰というものは社殿よりまた遥かに遡り筑紫の宇佐嶋、いまの宇佐神宮に降臨したという。貞観2年、王城守護鎮護として和気清麻呂の墓所の在りました神願寺に八幡神を勧請しましたのが、石清水八幡宮の始りといわれます。
裏鬼門を護る石清水八幡宮は、創建当初、当地を男山としょうしましたことから男山八幡宮とも称されまして、上掲の通り八幡信仰が武運長久を願った崇敬の在り方から勝負事の神様として今も広く知られています。こうした社殿の前では今ならばコロナ鎮撫を、祈りたい。
石清水八幡宮護国寺、ここは護国寺として造営され、天慶2年こと西暦939年には伊勢神宮に次ぎ奉幣される社殿となりました。そして天永年間の西暦1111年、白河法皇はここを空海の真言宗様式である大塔を、翌年には天台宗様式の宝塔院宝塔を造営し奉じています。
二十二社は上七社の1つに数えられる石清水八幡宮は、護国寺であるとともに、かつて天変地異に際しては朝廷よりの勅使を以て危機回避へ祈祷を営んだ寺社にあたります。なかなかに遠出できない今日この頃ではありますが、その平癒を、祈りたいところですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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二十二社は上七社の神社とは古くから国家危機や天変地異に際し朝廷よりの勅使を以て国家鎮護の祈祷を行うという。
八幡大神、これは弓矢を司る武運の神として古くより崇敬された歴史があります。弓矢は武器であると共に凛と張られた弓弦はそれそのものが魔を祓う神具としての由来もあり、さて思い返せば昨今の世の中、疾病や葛藤と戦い抜くには強い心というものは必要と思う。
平安京遷都に際し当時の京都は、平城京の廃都と長岡京での遷都失敗という次の無い切迫意識があり、平安京の鬼門たる北東には延暦寺を造営、そして京の裏鬼門にあたる南西には八幡宮が勧請される事となり、ここには今も勅祭が執り行われる社殿が鎮座しています。
石清水八幡宮、朱色の拝殿など山頂の陽射しに一際輝くとともに、京都府八幡市八幡高坊に所在しますこの社殿は近年国宝に指定されまして、とこう概説すると事ですが、わたしたちは徒然草や今昔物語として学校教科書を通じ、実は知らずに親しんでいる寺院の一つ。
京阪本線石清水八幡宮駅、石清水八幡宮は最寄駅から男山、鳩ヶ峰とも称されます標高143mの山上に鎮座する社殿です。この143mの標高は若干普段着にて詣でますと、夏の日差しでは気温と相談し身構える高さではあるところですが、ケーブルカーが通じている。
宇佐神宮上宮本殿とここ石清水八幡宮上院社殿、そして伊佐爾波神社本殿と柞原八幡宮本殿は八幡造という、前殿と後殿という前後に相の間で連結させた二棟の建物を一つの社殿とする独特の建築様式となっていまして、石清水八幡宮本殿は国宝に指定されています。
八幡大神を奉じる社殿とともにその神域は壮大且つ広大で、我が国では大分県宇佐市の宇佐神宮と福岡市東区に鎮座します筥崎宮、そして神奈川県鎌倉市の高名な鶴岡八幡宮とともに日本三大八幡宮に数えられる程です。数えてみますと三山でなく四山なのは気のせい。
伊勢神宮と併せ石清水八幡宮は二所宗廟として位置付けられており、旧社格は官幣大社、今日では神社本庁の別表神社に列せられていまして、三重県伊勢市は伊勢神宮と京都府八幡市の石清水八幡宮の繋がりを視ますと、京都府と三重県の隣県関係を改めて考えてみる。
八幡大神を奉じる社殿、この八幡大神といいますのは応神天皇と同一であると考えられ、また誉田別命、比咩大神、息長帯姫命の総称でもあります。この石清水八幡宮の創建は貞観2年こと西暦860年、社殿は令和時代より遡る事千百余年という大河の様な歴史を辿る。
欽明天皇32年こと西暦571年、八幡神信仰というものは社殿よりまた遥かに遡り筑紫の宇佐嶋、いまの宇佐神宮に降臨したという。貞観2年、王城守護鎮護として和気清麻呂の墓所の在りました神願寺に八幡神を勧請しましたのが、石清水八幡宮の始りといわれます。
裏鬼門を護る石清水八幡宮は、創建当初、当地を男山としょうしましたことから男山八幡宮とも称されまして、上掲の通り八幡信仰が武運長久を願った崇敬の在り方から勝負事の神様として今も広く知られています。こうした社殿の前では今ならばコロナ鎮撫を、祈りたい。
石清水八幡宮護国寺、ここは護国寺として造営され、天慶2年こと西暦939年には伊勢神宮に次ぎ奉幣される社殿となりました。そして天永年間の西暦1111年、白河法皇はここを空海の真言宗様式である大塔を、翌年には天台宗様式の宝塔院宝塔を造営し奉じています。
二十二社は上七社の1つに数えられる石清水八幡宮は、護国寺であるとともに、かつて天変地異に際しては朝廷よりの勅使を以て危機回避へ祈祷を営んだ寺社にあたります。なかなかに遠出できない今日この頃ではありますが、その平癒を、祈りたいところですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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