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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【防衛情報】豪州陸軍リンクスKF-41装甲戦闘車LAND-400PHASE3決定と機械化部隊充実

2021-11-30 20:03:36 | 先端軍事テクノロジー
■特報:世界の防衛,最新論点
 オーストラリア陸軍は人員規模では陸上自衛隊よりも少ないものの装甲車両では遥かに量も質も量がしており、日本も人命が大事ならば最低限この程度は必要だと考えます。

 オーストラリア軍はLAND-400PHASE3次期装甲戦闘車としてドイツ製リンクスKF-41の最終審査を開始しました。オーストラリア軍は韓国製K-21装甲戦闘車輸出仕様とリンクスKF-41を比較検討しており、リンクスKF-41はドイツのラインメタル社製、試験車両3両が2020年12月からオーストラリアへ送られ、12カ月間に渡る評価試験を実施中です。

 ラインメタル社はリンクスKF-41装甲戦闘車450両を133億米ドルで供給する計画で、AICオーストラリア産業開発会社を筆頭に合弁会社を含め現地生産や現地整備を実施、運用期間は40年と見積もられています。これによりオーストラリア陸軍は兵員3万5000名規模ながらアメリカ製M-1A1AD戦車を併せ卓越した機械化戦力を保有する事となるでしょう。

 リンクスKF-41装甲戦闘車はラインメタル社がプライベートベンチャーにより開発しユーロサトリ2018にて発表した際新世代の装甲戦闘車、基本重量34tですが装甲モジュール重装甲型が50tと主力戦車並の防御力を有し、車幅3.6mにエンジン出力も1140hpと主力戦車並、兵員8名と乗員3名を輸送しラインメタル/エリコン35mm機関砲を装備します。
■KF-41豪州での運用基盤
 外国製装甲車両であっても現地雇用や現地整備の基盤は確実に構築される時代です。

 オーストラリア軍のLAND-400PHASE3リンクスKF-41装甲戦闘車運用基盤について。オーストラリア軍は今回導入する装甲戦闘車を少なくとも2060年代まで運用しますが、この為の運用基盤のオーストラリア国内構築も進められています。これは産業基盤維持を重視するオーストラリア政府の意向に対しラインメタル社が最大限配慮した為でもあります。

 ラインメタル社はクイーンズランド州レッドバンクにMILVEHCOEラインメタルミリタリーヴィーグルセンターオブエクセレンスを新設し、可能な限り現地生産を実施するとともに、AICオーストラリア産業開発会社が調整しオーストラリア軍向けLターレット砲塔を製造、電装品や火器管制システムに増加装甲と履帯など協力企業は100社に達します。

 リンクスKF-41装甲戦闘車に先んじてオーストラリア軍はラインメタル製ボクサー装輪装甲車を偵察用装甲車として採用し、ラインメタル社は既にMILVEHCOEでの現地生産に参画しています。オーストラリア軍は韓国製K-9自走砲も採用しましたが現地生産は無く、車体性能と同時に、装甲車体系をラインメタル社製とし、効率化が評価された構図です。
■豪州のボクサー装甲偵察車
 装甲偵察車として、先行して配備が開始されているボクサー装輪装甲車については練成訓練が進んでいます。

 オーストラリア陸軍はボクサー装輪装甲車による集成訓練を実施しました。ボクサー装輪装甲車はオーストラリア軍がLAV-25軽装甲車の豪州仕様ASLAV軽装甲車の後継として採用されたもので、訓練はクイーンズランド州タウンズビルフィールド演習場を中心にASLAVからの転換訓練を受けている陸軍第12軽騎兵連隊第2大隊が実施しています。

 ボクサー装輪装甲車はドイツのラインメタル社がオランダのPWV社と共同開発したモジュール式装輪装甲車で、基本車体は25.2t、歩兵用モジュールを装備した場合は33t、720hpのディーゼルエンジンが103km/hを発揮します。ドイツではプーマ装甲戦闘車より地域紛争向きとされ30mm機関砲塔搭載型が開発、オーストラリア仕様にも採用されています。

 ASLAV軽装甲車後継として採用されたボクサー装輪装甲車は、オーストラリア軍に257両が配備される計画で、ASLAVよりも遥かに大型化していますが、防御力や不整地突破能力は格段におおきく、また乗員の五感に頼る事が多かったASLAVと比較し、ボクサー装輪装甲車は格段に高度な電子機材とデータリンク能力を有していると現場では評価されました。
■高性能電動自転車の偵察
 陸軍が電動自転車を第一線で運用すると聞きましたら皆様はどう思われるでしょうか、電動自転車の発達は凄いようです。

 オーストラリア軍は偵察用電動自転車とボクサー装輪装甲車の協同を試験中である。オートバイ斥候と異なり、偵察用電動自転車からは大きな騒音や放熱は無い。偵察用電動自転車はボクサー装輪装甲車に搭載され、隠密偵察が必要と判断された場合には斥候兵が装甲車から下車し、音響ステルス性に優れた偵察用電動自転車により直接目視の偵察を行う。

 第24軽騎兵連隊第2大隊が試験を行う。ボクサー装輪装甲車はオーストラリア軍がLAV-25軽装甲車の豪州仕様ASLAV軽装甲車の後継として導入を開始しているが、車体は高い防御力と機動力とともに遥かに大型となっている。この為に偵察用電動自転車が採用された構図だ。斥候兵はボディーアーマーと小銃など限られた装備を携行し身軽に任務に当る。

 電動モペット、電動自転車とは言うものの最高速度90km/hと航続距離100kmという比較的高い性能を発揮している、これは日本の道路交通法でいう電動モペットに当り、動力補助の電動モーターではない、ペダルを有しているがバッテリー消耗時の補助動力として用いるペダルを有する電動バイクと云うべき装備だ。評価試験は2021年内いっぱい行われる。
■リンクスCVS,豪州独自開発
 運用基盤と共に現地生産に取り組むリンクスはオーストラリアで独自発展を開始するようです。

 オーストラリアのラインメタルディフェンスオーストラリア社はリンクスCVS戦闘支援車を開発しました。オーストラリアは老朽化したM-113装甲車後継にLAND-400PHASE3次期装甲戦闘車としてドイツ製リンクスKF-41を採用しましたが、リンクス装甲戦闘車の派生型が開発国ドイツラインメタル社でなくオーストラリアで開発されたこととなります。

 リンクスCVS戦闘支援車は5tクレーンと排土板及び遠隔操作銃搭RWSを搭載しており、戦闘工兵任務に装甲回収車や最前線補給と野外整備等に当るもの。ラインメタルディフェンスオーストラリア社は450名を直接雇用しており、下請け企業を含め、日産自動車など外国自動車メーカーすべてが撤退したオーストラリアでは重要な製造業となっています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【防衛情報】チャレンジャー3主力戦車計画進展,ロシア自走迫撃砲体系とウラン無人戦闘車

2021-11-29 20:02:37 | インポート
■週報:世界の防衛,最新12論点
 今週は陸戦関連の話題を中心に。戦車の重戦力とともに無人航空機やヘリコプターと陳腐化云々ではなく戦場は複雑化する様相がみてとれます。

 イギリス陸軍が進めるチャレンジャー3主力戦車計画は予定より順調に進み前倒し量産の可能性がある、ラインメタル社が発表しました。現在運用するチャレンジャー2主力戦車は分離式弾薬を用いる120mmライフル砲を採用していますが、砲弾は20年近く前に製造終了となっており、砲弾備蓄がチャレンジャー戦車の最終寿命であるとされていました。

 チャレンジャー3主力戦車はラインメタルL55A1戦車砲をチャレンジャー戦車に搭載するもので、これはレオパルド2A6以降のドイツ製戦車にも採用されている標準的な120mm滑腔砲です。陸軍戦車計画主任のウィルウォー大佐は、この搭載によりチャレンジャー戦車の打撃力は将来に渡り担保されるとしており、計画は一定程度順調といえるでしょう。
■チェコ,カエサル自走砲採用
 牽引砲の装輪自走化ではなく今回は従来型の重厚な自走砲をややコンパクト化した装輪自走砲に置換えるという。

 チェコ陸軍はフランス製カエサル自走榴弾砲52両の採用を発表しました。これはチェコ政府が9月13日に発表したもので、旧式化が進むダナ152mm装輪自走榴弾砲の後継に充てられるとのこと。ダナ152mmは冷戦時代にチェコスロバキアが開発した密閉砲塔を有する極めて強力な自走榴弾砲ですが、砲塔システムが複雑であり旧式化も進んでいました。

 カエサル自走榴弾砲はフランス軍の主力砲兵火砲であり52口径長砲身砲をルノーシェルパ10トラックに搭載したものですが、輸出仕様のものにはドイツ製ウニモグU2450Lトラックも採用、サウジアラビアやタイ、インドネシア等に輸出される。ダナ自走榴弾砲は現在チェコ軍に48両が装備されており、予備車両を含めてほぼ1:1で更新される事となります。
■米軍の戦車用4852型貨車
 戦車は重要だけれども重い戦車を最前線に送らなければ意味が無いという事への正面からの挑戦だ。

 アメリカ陸軍第405全般兵站旅団はドイツ鉄道用M-1A2SEP2V3戦車対応4852型貨車の評価試験を開始した。M-1A2SEP2V3はこれまでのM-1戦車シリーズよりも重量が増大し73tに達しており、既存の貨車では戦車輸送車に対応できない為に開発された、M-1A2SEP2V3の搭載試験は既に開始されており、試作車評価を経て量産開始の予定だ。

 M-1A2SEP2V3戦車対応4852型貨車は最大92tまでの車両等を搭載可能で最高速度は100km/hとなる、量産開始に際してはドイツのカイザースラウテルンに集積される計画という。アメリカは重旅団にあたる機甲旅団戦闘団に多数の戦車を配備し、戦車輸送車も多数を装備しているが、戦略輸送における重装備鉄道貨物輸送の重要性は依然として高い。
■ノルウェー,MINIMI-Mk3
 やはり30口径機銃というものも重要だと示しているような構造なのですね。

 ノルウェー国防省はFNハースタル社との間でMINIMI-Mk3機関銃4000丁の取得に関する契約を締結しました。MINIMIは5.56mm分隊機銃として高い評価を得ましたが、最新型のMINIMI-Mk3機関銃は7.62mm口径となっています。ノルウェーはMINIMIを採用しており、今回はその後継に充てる形、調達は複数年度に分け実施されるとのことです。

 MINIMI-Mk3機関銃、FN社は既に7.62mm機銃としてFN-MAG軽機関銃を世界に広く供給しアメリカ陸軍でもM-240機銃として採用されていますが、MINIMI-Mk3機関銃はMINIMIと構造を極力同一とする事で教育訓練期間の短縮を図り、既にMINIMIを導入している国へ分隊機銃の他に7.62mm汎用機関銃として採用を容易とする利点があります。
■ロシアの2S41軽自走迫撃砲
 迫撃砲は簡易な火力投射手段ですが昨今は射程の延伸により火砲の代替となりつつある。

 ロシアは2S41ドロック軽自走82mm迫撃砲システムの評価試験を開始します。本装備はロステック社子会社のウラルワゴンザヴォド社が製造を担当する装備でGAZ-2330ティグル軽装甲車やVPK-3927ヴォルク軽装甲車に砲塔式で搭載するものです。これらの装甲車両はロシア版軽装甲機動車と云うべき近年整備されている軽快な四輪駆動軽装甲車です。

 K-4386タイフーン軽装甲車やVPK-3927ヴォルク軽装甲車に2S41ドロック軽自走82mm迫撃砲システムを搭載した場合、標準装備の12.7mm機銃と共に車体中央部に搭載し、射程は6000m、ただ直接照準射撃が可能で、間接照準射撃から直接照準の火力支援戦闘へも応用できます。本装備は非常に軽量で緊急展開部隊には貴重な第一線火力となるでしょう。
■バイラクタルTB2無人機
 バイラクタルTB2戦闘無人機のような装備が一方的に闊歩するのは一瞬で対無人機用無人機が空中で無人航空戦を始める時代になりそう。

 イラク政府はトルコIDEF-21 兵器見本市の会場においてバイラクタルTB2戦闘無人機の導入をトルコ政府との間で進めている事を発表しました。イラク軍はイランとの国境地域での警戒監視任務において滞空型無人航空機を必要としています。そしてトルコ製無人機は2020年のナゴルノカラバフ紛争において大きな威力を発揮した事で知られています。

 バイラクタルTB2戦闘無人機は最大離陸重量650kgで兵装やセンサーなど150kgを搭載し27時間にわたる警戒監視が可能です。また比較的取得費用を抑えているほか、アメリカ製無人機や中国製無人機を政治的に導入できない諸国に注目されている装備でもあります。イラクとトルコの政府間交渉は詳細が未発表ながら、交渉は行われているとのことでした。
■ラトビア,パトリア装甲車採用
 パトリア6×6装甲車は値段も手ごろな主張しすぎない伝統的な装輪装甲車と云えるやも。

 ラトビア国防省はフィンランドのパトリア社よりパトリア6×6装甲車200両を取得します。これは8月30日にパトリア社が発表したもので、納入は2021年から2029年にかけて段階的に行われるという。パトリア6×6装甲車はAMV装甲車で知られるパトリア社が1980年代に開発した傑作XA-180装甲車や改良型XA-200の系譜に在る装甲車両です。

 パトリア6×6装甲車の特色はパトリアAMVのような戦闘車両型の車両ではなく、ドイツのフクスやフランスのVABのようなキャブオーバートラック方式の運転台を有する装甲輸送車で全長7.5mと全幅2.9m、戦闘重量は24t、兵員10名か車内に8.5tまでの装備を輸送可能です。装甲輸送車型ですが防御力は相応に高く、第一線での戦闘に対応しています。
■イラクのT-129導入計画
 やはり攻撃ヘリコプターは必要なのだと実戦経験を持つ国が示している。

 イラク政府はトルコIDEF-21 兵器見本市にて、T-129戦闘ヘリコプターのトルコからの導入構想を発表しました、イラク軍は2016年のISILイスラム国武装勢力との戦闘においてアメリカより供与されたM-1A1エイブラムス戦車の長距離打撃力を活かし、バクダッドへのISIL浸透を阻止しましたが、この際に課題となったのが航空支援能力の不足でした。

 T-129戦闘ヘリコプターはトルコがアグスタウェストランド製A-129マングスタヘリコプターを国産化し、改良したもので2014年より運用、ヘルファイアミサイル8発と20mm機関砲、ミサイルの数を減らし70mmロケット弾発射器を搭載する事も可能です。この設計は、純粋な対戦車任務と火力支援に軸を置いた攻撃ヘリコプターと云えるでしょう。

 イラクはフセイン政権時代にソ連製Mi-24ハインド攻撃ヘリコプターを多数運用しましたがフセイン政権崩壊と共に大半が湾岸戦争やイラク戦争において破壊され、今はありません。T-129戦闘ヘリコプターはトルコ製エンジン開発などの能力向上も行われており、性能の割には取得費用が抑えられ整備も隣国で可能、イラクには理想的選択肢と云えましょう。
■2S40フロックス自走迫撃砲
 迫撃砲の自走化というよりもこの車輛に搭載できる最も強力な火砲が迫撃砲であったという印象だ。

 ロシアは2S40フロックス120mm自走迫撃砲システムの導入を開始します。これはロステック社子会社のウラルワゴンザヴォド社が生産開始を発表したもので、ウラル4320型6×6装甲トラックの車体に120mm2S40フロックス迫撃砲システムを搭載したもので、2S31ヴェーナ自走式迫撃砲システムを一部流用した簡易版に当る自走迫撃砲システムです。

 フロックス120mm2S40自走迫撃砲システムは28発の弾薬を搭載しており、迫撃砲そのものは2A80 型、自動装填装置により毎分8発乃至10発を投射し射程は7.2km、射程延伸弾を用いた場合には13kmに達し、この内の一部の砲弾は精密誘導砲弾を搭載しています。ロシアは近年、緊急展開部隊の再編に当っており、本装備もその一例と云えるでしょう。
■マグノリア自走迫撃砲
 迫撃砲の自走化というものにロシアはソ連時代から熱心だが、ロシアの場合はソ連時代に砲兵が上級部隊の所属であり第一線指揮官が即座に使える火力が迫撃砲しかなかったという歴史も影響するのか。

 ロシアはマグノリア自走82mm迫撃砲システムの取得に向けて前進しています。これはロシアが近年重視している極地方での作戦を想定しDT-30全地形車両に大型の迫撃砲システムを搭載、このDT-30は連接車体を有する水陸両用車ですがBV-206やBvS.10全地形車両と各国先行する車両よりも遥かに大型で、自走ミサイルシステム等にも用いられている。

 マグノリア自走82mm迫撃砲システムの搭載する82mm迫撃砲は射程6000m、この種の迫撃砲としては平均的なものですが、最低射程は100mと直接照準射撃も想定しています。マグノリア自走182mm迫撃砲システムの運用を想定する極地方では既存の自走榴弾砲などが運用できる環境ではなく、ある意味で貴重な砲兵火力と云い得るのかもしれません。
■ロシア無人戦闘車演習参加
 これは見方を変えればRWSを車体から操作するか後方から操作するかの違いですけれども、陸戦体系を根本から変革するのかもしれませんね。

 ロシア連邦軍はウラン9無人戦闘車をザーパド2021軍事演習へ参加させました。サーパドとは友愛を意味し冷戦時代のソ連より実施されている軍事演習です。ウラン9はロシア軍が開発を継続している装軌式の遠隔操作型無人戦闘車両で、砲塔を有し30mm機関砲と7.62mm機銃に対戦車ミサイル及びサーモバリック焼夷ロケット弾などを搭載したもの。

 ウラン9無人戦闘車は3000mから5000mの距離での防御戦闘を実施するとともに攻撃に当る歩兵部隊を火力支援しました。この他、ネフレタ無人工兵車輛も陣地攻撃訓練等に参加しています。ロシア軍はシリア内戦介入等から膨大な地上戦データを備蓄しており、特にこの種の戦闘での装甲車両の重要性を認識、その無人化を世界に先駆け進めています。

 ロシアではT-14アルマータ戦車など、次世代装甲車両体系に大胆に無人砲塔を組み込んでおり、これはいわば車内の装甲カプセルから砲塔を遠隔操作している構図ですが、言い換えれば遠隔操作は更に離隔した位置からも可能であり、この種の装備無人化はT-14アルマータの技術応用により目処が就いているとも言えるでしょう。ただ、コストも関心事です。
■インド,アージュン戦車量産か
 戦車業界のザグラダファミリアとよばれたアージュン戦車も装いを新たにアージュンMk-1A戦車として今度こそ量産か。

 インド陸軍は9月23日、アージュンMk-1A戦車118両の取得を発表しました、アージュンMk-1A戦車はインド初めての国産戦車としてDRDO防衛研究開発機構が開発、初期のアージュンMk-1と比較し72項目の改良が施され、量産一号車が2021年2月14日に引き渡し式を迎えており、チェンナイ市のアバディ大型車両工場において生産されています。

 アージュンMk-1A戦車は1974年から延々と開発が行われ、完成しないのではないかと危惧された戦車ですが、当初の第二世代戦車としての設計を改め試作車は1998年に完成、評価試験に20年以上を要しましたが、遅参した第三世代戦車として今度こそ完成、複合装甲と1400hpのエンジンを搭載し55口径120mmライフル砲を備えた58.5tの主力戦車です。

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【日曜特集】駒門駐屯地創設55周年記念行事(4)訓練展示模擬戦は状況終了(2015-04-05)

2021-11-28 20:07:22 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■前進する戦車の迫力!
 戦車部隊が次々と攻撃前進に移行しまして訓練展示は静から動へ一挙に転じています。

 10式戦車が躍動感を伴い機動打撃を展開するお気に入りの情景です。戦車が迫ってくる情景というものは撮影できそうで難しい、目の前で停車している構図は工夫次第でなんとかなるものですが、こう、躍動感、動いているぞ、という構図は、やはり難しいのですよ。

 10式戦車の機動打撃とともに意外に長い砲塔と奥の90式戦車が面白い。基本的に双方とも第三世代戦車、つまり、打撃力と機動力と防御力という戦車の三要素を最大限確保しています。しかし10式戦車は極めて軽量であり、これを第四世代戦車とする考え方もあります。

 74式戦車も前進を開始し第一線を形成した90式戦車を超越してすすむ。74式戦車は戦後第二世代戦車といい、この時代は打撃力と機動力と防御力のうち、機動力と防御力をどちらか犠牲にする設計が主流でした。当時は軽量強靱なエンジンや装甲技術がなかったため。

 74式戦車がこちらに向かい後方には戦車に火砲に装甲車が並ぶ。チーフテンは防御力を特に重視した結果機動力が極端に下がり、AMX-30やレオパルド1は防御力は機関砲防御程度に抑え機動力を重視している。74式戦車とT-62は車内を局限まで抑えて両立を目指した。

 74式戦車に望遠の焦点を合わせると迫り来る迫力と後方の90式戦車が。第三世代戦車は、イギリスが複合装甲というチタンとセラミック、対戦車ミサイルの放つ高熱と徹甲弾の叩きつける衝撃に強い素材を重ね圧延均一鋼板換算でもの凄い厚さを再現したことで始まる。

 74式戦車が2両重なり砲塔を敵に向けつつこちらへと邁進してきました。第三世代戦車は複合装甲とともに軽量な1500hp級エンジンが開発されることで、多少装甲が厚くそして重くとも、遮二無二機動力を発揮できるエンジン技術が開発、バランスのよい戦車ができた。

 74式戦車が射撃姿勢を維持しつつこちらへ向かう迫力の構図が進む。74式戦車は第二世代戦車が1960年代初頭から開発されましたので後塵を拝する構図ですが、車内容積を絞り砲塔形状を工夫し油圧式懸架装置の採用により地形防御を採る、高い防御力を有しています。

 74式戦車の精悍な角度が今まさに行進間射撃するような迫力を醸し出す。この74式戦車と対照的なのはM-60戦車で、これは機動力をそれなりにとりつつ、車高は高いですが使いやすい車内を追求し完成しました。課題はありましたが均衡はあり、これがM-1戦車に続く。

 74式戦車に続き戦果拡張に必要な施設科部隊の自走架橋柱が前へ。施設科部隊を随伴させるということはウェットギャップなどを渡河するという想定なのでしょう、駐屯部隊全員参加で有り合わせの訓練展示部隊ですが、それでも想像は大きく膨らんで往くものですね。

 74式戦車が81式自走架橋柱を伴いこちらへ進む迫力ある構図とともに。81式自走架橋柱は戦車などの応急橋梁を架橋する優秀装備ですが、見ての通り防弾装甲は皆無で油圧式の架橋柱は砲弾片に非常に弱い。偵察隊は先行し、相当敵情を注意深くみているのでしょう。

 11式装軌車回収車も12.7mm重機関銃を構えつつ機動打撃に展開する。後方支援連隊の装備です。ここまで来ますと総攻撃というよりも一家総出という印象ですが、戦車回収車まで攻撃前進する展示というものも、ないにはないですが相当に希有で貴重な情景でしょう。

 90式戦車も戦闘加入を準備したところでようやく状況は終了となった。状況終了の喇叭が響きますと、さてさて、疲れたなあ、と当方の周囲でも帰り支度が始まる。自衛隊行事を撮影するという際には、この切り替えというものが、実は大事なのかもしれませんね。

 満開の桜花と共に90式戦車。実のところ撮影位置をどこからとするのか、相当迷ったのですが、少しメイン会場から出口に近い位置でしたので、こうした戦車と見学席という不思議な構図を撮影することができました。国民に見守られる戦車、税金をしっかり活用する。

 90式戦車、最新の10式戦車も良い戦車だとは思うのですが、国内インフラの整備進捗を見ますと、44tに無理して軽量化するよりも戦車定数900両の時代に、さっさと90式戦車の数を揃えていれば、とも思うのですよね。近代化改修により90式は充分現用に耐えます。

 即応機動旅団とか即応機動師団とか総合近代化師団に地域配備師団、名前だけは世界に誇る文字の羅列ですが、専守防衛を堅持するのであれば戦車と軽量安価な装甲車を揃えていれば、専守防衛として相手に上陸させる気を起こさせない、という本分は担えたとおもう。

 本土決戦主義、こう当方のような考え方を批判というか揶揄する向きもあるようですが、海上防衛力で対中対ロの必勝を期すという、わたしたちを本土決戦主義と批判するたちこそ、実際には中ロ開戦主義という、実は危険な主張なのではないか、抑止力視座から思う。

 96式装輪装甲車も、戦車と連携するならば機動力に富んでいて一定程度の防御力を有し、なにより安価で良い装備だ、と思うのですよね。万一の際には戦車が盾となってくれる。しかし、装甲車単体で運用するならば、もっと重装甲で、必然的に高い装甲車が必要だ。

 74式戦車。もう間もなく自衛隊装備としては役目を終える装備なのですけれども、非常に優秀な乗員と訓練体系を構築している優秀な集団です、74式戦車の要員を装甲戦闘車の乗員に転用できるよう装甲戦闘車の数を揃えれば、戦車と連携する真の装甲機動部隊が育つ。

 状況終了、とともに装備品展示の見学へと移行します。国際教の装備として軽装甲機動車と96式装輪装甲車が並ぶ。ともに優秀な装備ですが、政府と国民とマスコミが一体となって国内防衛産業叩きを行い、小松製作所は新規開発撤退表明、後継装備は高価な海外製に。

 防衛産業というものは防衛力の一要素であると思う、これを象徴するのが展示車両となっている61式戦車以来、連綿と受け継がれる装備体系ね。戦車を国産できない国は悲惨な状態になっている国が多い、しかし、恵まれている日本ほど恩恵の意義を理解していない。

 78式戦車回収車に90式戦車回収車に11式装軌車回収車、自衛隊の戦車回収車三世代が勢ぞろいとなりました。どれも微妙に違うのが面白いですね。90式戦車回収車を91式戦車回収車と呼び間違えてしまいます方が居ますので少々注意を、91式は戦車橋、別の装備です。

 90式戦車回収車とよく呼間違える91式戦車回収車は、おそらく91式戦車橋を勘違いしているのでしょうか、91式戦車なにがし、と覚え間違えるのでしょう。そして91式戦車橋は東千歳くらいでしか毎回出てこない装備で、車体は74式戦車だという、紛らわしいです。

 73式装甲車。この後継車両が89式装甲戦闘車後継車両と車体部分を共通化させる共通戦術車輛として試験が進んでいます。実際のところ、防御力は89式装甲戦闘車の車体でも現用装軌式車両としては最小限度のものですが、国産できすならば採用すべき、数も大量にね。

 74式戦車改といいますか、G型が展示されていました。熱戦暗視装置を追加し弾道コンピュータを新型化、そして履帯も脱落防止転輪としたものですが、1両改造するのに1億円を要し5両を試験改造したところで90式戦車の量産が優先され事業は終了しました。こんなかたちで会場を巡り、こちらも状況終了です。

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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-大洗,ガールズ&パンツァー逸見エリカさんの店

2021-11-28 18:27:01 | グルメ
■大洗地方総監部聖地巡礼
 観艦式はじめ太平洋を護衛艦で行き来していますとシーレーン防衛の重要性を感じ入るところですが、同時に太平洋は魚介類という資源も湛えています。

 ガールズ&パンツァーとあわせて大洗地方総監部という表現がある模様です。もっとも方面総監部や海上自衛隊の総監部が置かれた事は一度も無く、要するにガールズ&パンツァーの声優さんがゲーム艦隊これくしょん声優として参加しているという表現のようなのですが。

 大洗。フェリーが北海道とを結ぶ茨城県の港町でありそして海水浴の街として知られるが、最近ではガールズ&パンツァーの街といった方が分りやすいのかもしれない。そんな中で推しはと聞かれますと、声優の生天目さんが声を充てている逸見エリカさんを推したい。

 逸見エリカさん。大洗は面白い街でしてガールズ&パンツァーというのは、現代日本とよく似た並行世界、茶道や弓道に並んで戦車道というものがあり淑女の嗜みとしまして戦車に載る事が普通の世界、競技用に改造の戦車で模擬戦に挑むという世界観ですがここでは。

 かま家、大洗町は主人公の高校の母港がある街、ここでガールズ&パンツァーに併せて町内の様々な旅館や飲食店などがキャラクターの看板を掲げているのですね。そういうことで逸見エリカさんの看板を探しましたらば、ここが小粋な御寿司屋さんだった、とううこと。

 海鮮丼を注文しましたが、握りも注文出来ます、いや夜が鮟鱇料理なども愉しめるのですが、何故か夜に行きますと臨時休業や貸切やら仕出し中なのだったりでお昼に何度か楽しめただけです。しかし、流石は大洗、鹿島灘の海の幸は美味しい、気軽にいただけますし。

 大洗の散策、海水浴の街なのですが閑散期は静かです、しかしこういう意味で観光慣れしていますので、はるか遠方上方の一見さんでも歓迎する文化が在るのですね、よそ者が歩いていても受け入れられる価値観と、そしてそれでいて観光地観光地していないという。

 ガールズ&パンツァー、しかし何故当地が舞台となったのかと云いますと、2011年東日本大震災により大洗が受けた被害を見たアニメーション制作会社の方々が、何か助けられないか、と作品の舞台にしたという、舞台巡りを“聖地巡礼”といい、観光客が増える。

 東日本大震災は福島第一原発事故や津波を真正面から受けた宮城県と岩手県の被害が大きく、復興予算も大量に注ぎ込まれましたが、逆に茨城県と千葉県にも激甚被害があった、という。津波も実は大洗駅前まで来ている。そしてこの日も、ご飯中にやや大きな地震が。

 観光というものは、出会いと思う、実はわたしもガールズ&パンツァーを見たからこそ、実は作品の制作が富士総合火力演習で配られた朝雲新聞号外の広告で公開されたときにここまで当るとは思わなかったのですが、ふと大洗へ行こう、実際何度も行ったのも事実です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【土曜詳報】HNLMS-Evertsenエヴァーツェン(1)英空母戦闘群横須賀寄港(2021-09-06)

2021-11-27 20:01:13 | 世界の艦艇
■横須賀基地のオランダ艦
 日本とオランダの関係は江戸時代の長崎出島まで遡るものですが、コロナ禍下の横須賀基地にハンサムなオランダ艦が来航しました。

 ヴェルニー公園を一望するJR横須賀駅前、横須賀基地といえばCOVID-19拡大前には挨拶のように散策していました街です故に、これは本当に久し振りだと異国情緒さえ感じるような印象で電車を降りて駅への長いホームを歩み進めましたが、駅前は異国そのもの。

 エヴァーツエン。オランダ海軍が誇るデーゼンヴェンプロヴィンシュタイン級ミサイルフリゲイトです。デーゼンヴェンプロヴィンシュタイン級、昔は艦名を覚えるのに苦労しましたが、いったん覚えてしまうと、名前は世界史にもでてきます艦名ですので忘れにくい。

 クイーンエリザベス空母戦闘群の一員としてヨーロッパよりはるばると日本間で派遣されてきましたミサイルフリゲイトです。こんな一隻が居ますと異国情緒もすごい、というものでしょうか、対岸には初来日のイギリス海軍空母クイーンエリザベスも停泊しています。

 ハンサムな水上戦闘艦、一見した印象はこれにつきるのです。元々の設計が防空指揮艦といいますので、昔のトロンプ級ミサイル駆逐艦のような旗艦的な運用を念頭に設計した反映なのでしょうが、無駄はないものの必要な設備、あれば便利な設備が巧く並ぶ様子が。

 トロンプ級は巨大な三次元レーダーを収めたドームが上部構造物の最上部に鎮座していまして、強烈な印象を受けたものです。しかし発想は同じなのか、三次元レーダーはAESAレーダー方式となりまして、やはりマストの最上段の形状、SPY-1のイージス艦とは違う。

 イージス艦はレーダー周波数帯を画定する際に近距離中距離よりも遠距離を索敵する、防空中枢艦としては一見当然に思われるものの、防空をかい潜られたものよりも潜らせない防空を重視するためにシステムが大型化し、艦橋構造物に一体化する構造です。一方で。

 APARについてはアンテナ部分が軽量で、それでも250kmの索敵能力を有する、その軽量なアンテナをマストの先端という、見通し線がもっとも長い距離を稼ぐことが可能な位置に配置するという、これも防空艦ならではの設計の極致、という固有の発想に基づきます。

 デーゼンヴェンプロヴィンシュタイン級は、そしてステルス設計をかなり重視しているものの、上部構造物間の通路を空中回廊のように配置するなど、これは考えれば、乗員は面倒でも船体を迂回すれば良いという間工学の認識を排した点に好感度があるのですね。

 防空指揮艦、もちろんこれには指揮する艦隊があってしかるべきですが、現在のオランダ海軍戦力では、艦隊と呼べるものを常設する規模には達していません、スラバヤ沖海戦やバタビア沖海戦の頃とは違う、しかしNATOの艦隊を指揮することは考えたものという。

 トロンプ級ミサイル駆逐艦、思い出すのは1998年のユーゴ空爆の際にNATO旗艦として地中海に派遣されましたが、アメリカ艦隊の旗艦がマウントホイットニー、ドック型揚陸艦を改造した巨大な通信能力を有する指揮艦であったために、苦労したことがありました。

 マウントホイットニーの通信能力はトロンプ級の33倍を常時接続するものでしたので、データリンクを結んだ50秒後にトロンプの通信能力がオーバーフリーズしてしまい、旗艦としての用途を担えなかった、という椿事がありました、無論、NATO空爆の実戦中に、だ。

 たちかぜ。海上自衛隊も同時期に護衛艦隊旗艦を護衛艦むらくも、からミサイル護衛艦たちかぜ、に交代させていましたが、トロンプ、たちかぜ、ともにターターシステム搭載の艦隊防空艦、考えれば旗艦を後に自衛隊でも陸上施設へと、移すことになるのですが、ね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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エチオピア危機!北部紛争拡大と全土非常事態宣言,東アフリカ地域大国で進む国家崩壊の危機

2021-11-27 14:14:15 | 国際・政治
■各国が自国民退避勧告
 国家崩壊の危機といいますとアフガニスタンでの苦い経験がまだ鮮明ですが、もう一つアフリカで危機が進行中です。

 アフリカの緊張、アメリカ政府は内戦激化の様相を見せるアフリカのエチオピア情勢に鑑み、空軍輸送機部隊と陸軍レンジャー連隊をジブチに前進、また海軍の両用戦部隊を遊弋させ海兵隊による自国民救出体制を固めています。軍事介入は行わないが自国民救出へ米軍部隊を展開させる構えで、エチオピア情勢が風雲急を告げる情勢となってきました。

 エチオピア、内戦から一年、反政府勢力がいよいよ首都を陥落させようと言う緊張した状態にあります。エチオピアは人口1億1000万、AUアフリカ連合本部もおかれアフリカ地域成長の原動力となっていました。経済は2000年代から毎年10%の経済成長を続けるアフリカの地域大国、植民地主義時代をも独立を維持し、長く安定していた筈だったのですが。

 アメリカ、イギリス、フランス、ドイツは戦闘激化を受け自国民に退避勧告を発令、日本政府も同様の施策をとっています、邦人輸送もあり得る。実際、ティグレ人民解放戦線の攻勢は首都から100km近くまで迫っており、このままでは現在のエチオピア政府は事実上崩壊しかねません。もっとも、このエチオピア内戦には国内要素が大きく影響しています。

 北部内戦。一年前、ティグレ人民解放戦線が北部で行動を開始ししたため、アビー首相は北部への食料供給を遮断する飢餓作戦を開始しましたが、飢餓の深刻化をうけ国連が援助を開始、この行動をエチオピア政府軍が阻止したため、国連はエチオピア政府へ国連職員の解放を強く要求する状況となっています。一方、ティグレ人民解放戦線の攻勢は強まる。

 邦人救出任務が必要なのか、こう問われますと一概には言えない難しさがあるのです、エチオピア在留邦人は外務省によれば2019年時点で201名、11月初旬の段階で外務省は在留邦人へ情報収集に努め不要な外出を避けると共に出国検討を行うよう緊急情報を発しています。ただ、自衛隊は隣国のジブチに海上自衛隊航空部隊が展開中、実施は可能です。

 非常事態宣言の全土への布告、アビー首相はエチオピア全土へ非常事態宣言を布告し、国民に武器を取って戦うよう訴えていますが、情勢悪化は続いています。それは武装蜂起しているのが前政権とその支持者であり、特に国軍の要職を長く担った支持層も参画している為、エチオピア軍による鎮圧作戦が二の手を踏む状態なのです。その背景もまた複雑だ。

 1991年に社会主義政権から民主化を進めた結果、民主化の主導力となった北部出身者による政権要職の独占状態が生まれましたが、現在のアビー政権がこの状況を打破しました。しかし、今回の内戦の要因には、アビー政権が前与党をテロ勢力扱いし非合法化したため、不当な施策を前に、選挙に負けた事は非合法化の根拠とならないとして蜂起した構図だ。

 アビー政権とティグレ民族解放戦線の対立構造は、単に政権を追われた側が選挙無効を訴えたというような構図ではなく、選挙に勝利した側が敗北した側を非合法化する一種の弾圧構造が背景にあり、安易に反政府勢力と政党政府に善悪を点けるには、それでは自国民に飢餓作戦を行う政党政府は人道上正当性を担保できるのか、という疑問符が付くのです。

 アフリカ情勢への影響。上記の事情はあるのですが、エチオピアが今後大規模な内戦に突入する様な懸念は否定できません、すると東アフリカ情勢全般に大きな悪影響を及ぼす懸念があるのです。これは大袈裟のような表現ではありますが、エチオピアの立地と、そして前述の安定した地域であった、要石的な同国の内戦と考えれば決して誇大表現ではない。

 エチオピア隣国は、北部にエリトリアとジブチ、南部にソマリアと西部にはスーダンと南スーダンが国境を接していますが、この地域は現在非常に懸念すべき緊張状態にあります。スーダンが今年発生した軍事クーデターによる混乱、南スーダンは独立後の内戦が継続、ソマリアは破綻国家のまま、ジブチは内政安定するもエリトリアは独裁政権の混乱が続く。

 南スーダンでは内戦状態の懸念から自衛隊が派遣していたPKO部隊を撤収させたことはご記憶の方が多いでしょう、その際に自衛隊日報に戦闘と記載されたか武力衝突と記載されたかの言葉狩りが、日報問題、として国会で問題視された事もご記憶でしょうが、スーダンやエリトリアも含め周辺の不安定な地域からの難民を受け入れているのもエチオピアだ。

 PKO部隊派遣の必要性、こう安易に主張する事も出来ません、現在のPKOは安保理決議に基づく軍事色の強いものである為、派遣されれば戦闘に発展する懸念が高く、これは内戦を悪化させます。しかしながら、こうした情勢があり、悪化した場合は東アフリカ地域全般の情勢緊迫化に繋がるとして安全保障上リスクがある事は認識しておくべきでしょう。

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令和三年度十一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2021.11.27-2021.11.28)

2021-11-26 20:12:27 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 紅葉が深紅の度合い増す中で来週よりいよいよ師走を迎えますが皆様いかがお過ごしでしょうか、懐かしい伊丹駐屯地祭の情景とともに今週末の行事を見てみましょう。

 今週末も自衛隊関連行事の一般公開行事は執り行われません。ただ、11月27日土曜日に朝霞駐屯地にて自衛隊記念日行事としまして、中央観閲式が挙行され、インターネット中継が予定されています。自衛隊記念日での式典は国家行事であり、コロナ下では2020年にも当時の菅総理大臣臨席の下、入間基地にて令和二年度航空観閲式が開催されていました。

 自衛隊統合演習。現在九州南西地域を中心として、周辺地域の脅威が日本へ及んだことを想定し、陸上自衛隊を筆頭とした陸海空自衛隊は冷戦後最大規模の自衛隊統合演習を展開中です。令和3年度自衛隊記念日記念式典は、COVID-19新型コロナウィルス感染症の緊張とともに、我が国周辺情勢の緊迫度合いを増す中において挙行されるかたちとなります。

 令和三年度自衛隊観閲式は、参加部隊が13部隊で、基本的に朝霞駐屯地駐屯部隊により実施されるとのこと。朝霞駐屯地には陸上総隊司令部と東部方面総監部、第1師団隷下の第1施設大隊、東部方面隊隷下の第2高射特科群第335高射中隊、方面混成団第31普通科連隊一部中隊、東部方面後方支援隊、中央音楽隊、輸送学校及び体育学校などが駐屯している。

 中央観閲式は、もともと一般公開が行われる行事ではありませんが、今年度の中央観閲式は、昨年の航空観閲式が入間基地所在部隊のみが整列し総理大臣の巡閲を受け、祝賀飛行は実施されていません。参加部隊は1000名規模であり、従来は陸海空自衛隊より4000名規模の部隊が参加していますが、1000名、今年度も非常に限られた規模となるでしょう。

 朝霞駐屯地、例年の観閲式では入場できない場合でも周辺地域ではヘリコプターの大編隊やF-35戦闘機の編隊、祝賀飛行を撮影することができましたが、COVID-19,コロナ下の行事となりそうです。音楽隊支援で105mm野砲が祝砲に参加することはあるのかもしれませんが、来年に予定される自衛隊観艦式はどうなるのだろうか、と先に考えてしまいますね。

 陸上総隊司令部の置かれる朝霞駐屯地、埼玉県警によれば自衛隊観閲式警備のために朝霞駐屯地周辺では交通渋滞が予想されるため迂回運転をお願いしている、県警本部交通部が発表しています、通行制限は0700時から1300時までとのこと。防衛省によれば、自衛隊記念日レセプション、航空機体験搭乗に感謝状贈呈式や音楽祭りについても中止とのこと。

 音楽祭りについては、代替行事を年度末の来年三月に三自衛隊音楽部隊合同の行事を予定しており、また、自衛隊記念日体験飛行の代替行事として、こちらも来年三月末日までの年度内に航空自衛隊主催にて実施すると発表されています。中止の行事の中に、延期の行事が徐々に出始めており、いまの感染対策が新年度の行事を左右するのは確かといえます。

 COVID-19,先日ついに一時的とは言え京都府の一日あたりの感染者数がゼロとなる、驚くべき瞬間がありました。まだ難しいのかもしれませんが、この状況が持続されるにはどのような施策が必要なのかの検証が、次のコロナ対策となるのでしょう。一方、世界をみますとWHO世界保健機関は欧州での今冬死者70万を警告しており、脅威は顕在といえる。

 南アフリカにおいワクチンの効果を低下させる新たな変異株が25日、確認され、南アフリカのハウテン州や首都プレトリアにおいて、確認数は77例ながら急速な拡大を見せており、既にイギリスが南アからの渡航を禁止、我が国でも松野官房長官が、緊張感を持って対応すると発言、致死率の多寡をみてゆくとしています。今少し注意と警戒が必要なのですね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・今週末の行事なし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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偵察戦闘連隊を創設せよ!現在の偵察戦闘大隊では威力偵察不可能,前衛突破可能な連隊が必要

2021-11-25 20:14:36 | 防衛・安全保障
■大隊は偵察中隊と戦闘中隊
 偵察隊といいますと師団祭などの訓練展示模擬戦では初動として87式偵察警戒車とともに展開し空包の迫力を響かせます。

 偵察戦闘大隊、現在全国の師団や旅団で戦車大隊を置き換えるべく編成が進められています。16式機動戦闘車の戦闘中隊と偵察隊を改編した偵察中隊を大隊隷下におく、16式機動戦闘車の火力により威力偵察を行うという構想です。しかし、これで敵の前衛を突破できるのでしょうか、また師団の虎の子である戦闘中隊が偵察だけに専念できるのでしょうか。

 偵察戦闘連隊、必要な任務を完遂するには2個中隊基幹の大隊を大隊長とともに置くのではなく、もう少し大きな部隊規模が必要だと考えるのです、なぜならば昔のように偵察隊が接触した敵に対抗する"重厚な"連隊戦闘団というものは、もはや存在しないのですからね。すると、16式機動戦闘車を保有の偵察部隊に掛かる任務というものは必然、重くなります。

 16式機動戦闘車。戦車が平成初期の1000両体制から300両にまで削減されるとともに、当初は偵察警戒車の用途として考えられていました装輪式の機動砲が、戦車も火砲も引き抜かれた師団や旅団ではわずか一個中隊ではあるものの、対戦車戦闘の中枢となります。対戦車ミサイルもありますが、この削減といいますか新旧置換えの無い、自然減も進む。

 87式偵察警戒車5両を主力とする偵察隊と比較するならば、偵察戦闘大隊は強化こそされているのでしょうが、従来の偵察隊は敵との接触が任務であり、前衛を突破し敵主陣地の状況を解明する任務は重視されていません、87式偵察警戒車では、想定脅威は30年前、敵前衛に戦車が配備されているならば、突破ではなく退避しなければ生存さえ難しいのです。

 10式戦車、もともと10式戦車が開発された当時は戦車600両体制であり、師団戦車大隊は縮小されるもの維持される方針でした。2個中隊30両を定数として、1個中隊をかつての対戦車隊のように師団長直轄の予備として残し、1個中隊を小隊ごとに連隊戦闘団へ配備するという、アメリカ海兵隊のMEU海兵遠征群の戦車小隊と同じ考えであったのですね。

 連隊戦闘団、従来の編成では偵察隊の装備は軽くとも、普通科連隊を基幹として編成される連隊戦闘団が強力でした、普通科連隊に戦車中隊の戦車14両、特科大隊の火砲10門、火力に普通科連隊が重迫撃砲中隊の重迫撃砲12門が加わり、そこに施設小隊と連隊の施設作業小隊、高射特科大隊から高射小隊も加わり、今日的に見れば、なかなかに強力でした。

 現在の師団は、特科部隊が削減の上で方面特科連隊に統合、師団に一個大隊が担当大隊として配置されるのでしょうか、これでは全般支援火力にしかならず、普通科連隊に戦砲隊で2門づつ、という支援は考えられません、戦車は北部方面隊に集中、西部方面隊だけは方面戦車隊が在りますが、ほかの方面隊は資料館前に置かれるのみに改編、戦車は珍しくなる。

 偵察戦闘大隊の負担というのは、いままで存在しました"後に続く連隊戦闘団への先鋒として偵察を担う"のではなく、文字通り本来の偵察部隊の任務、16式機動戦闘車を先頭に"敵の前衛を突破し主陣地の陣容を解明する"ことで、徒歩部隊主体の普通科部隊による、あらゆる地形と天候を克服し近接戦闘を担う、ことでの攻撃に役立てる必要があるのですね。

 普通科連隊の現状は厳しい、結果的に普通科連隊が戦闘団を組むにも師団から得られる戦力がありませんし、同じく削減が進んだ欧州では装甲戦闘車が広く配備され打撃力の骨幹を担っていますが、自衛隊の普通科連隊は北部方面隊を含め、即応機動連隊に装甲車を抽出されたことで、実質欧州の空挺部隊なみの機械化に留まるのみ、戦術選択肢が限られる。

 偵察戦闘連隊。現状、陸上自衛隊の人員は限られています、限られているのは人員をそのままに水陸機動団や即応機動連隊と新部隊を編成するためにしわ寄せが危機的な状況になっていることにほかなら無いのですが、これを補う装備の増強もなく、これは妙な喩えですが、日本側中小企業経営失敗の縮図、これが露呈している構図といわざるを得ません。

 しかし、普通科連隊には一個中隊、軽装甲機動車中隊が置かれています。この装備を抽出し、勿論それは普通科連隊の装備をさらに削ることとなるが、3個の軽装甲機動車中隊をかき集め、偵察隊と統合することで、規模としては旅団普通科連隊並の人員と、70両ほどの軽装甲車が揃うこととなります、この規模ならば偵察任務を行える、突破か迂回か可能だ。

 軽装甲機動車。この集中を考える背景には、現在、普通科連隊において軽装甲機動車の運用が当初考えられた乗車戦闘とはかけはなれた運用が為されている点があるのです。もともと軽装甲機動車は部隊の集合と分散を迅速化するために一個小銃班を複数の車両に乗せたものでして、下車戦闘は想定されていない筈ですが、実運用は異なるものになりました。

 近接戦闘を担う普通科部隊では、しかし、軽装甲機動車は下車戦闘の小型すぎる装甲輸送車両として用いられていまして、なにしろ一個小銃班に操縦手2名と車長2名が必要なのですから、下車戦闘は操縦手と車長を加えなければ成り立ちません、つまり敵と接触した軽装甲機動車は車両を放棄して下車戦闘に移行する運用が現在の基本的な運用なのです。

 歩兵戦闘としては正しい。車上荒らしに備えて軽装甲機動車は施錠し放置する、敵と接触した下車部隊は接触を絶っては意味がありませんので、徒歩部隊として軽装甲機動車からどんどん離れてゆき、後日回収するという。だから軽装甲機動車の機銃は取り外し専用であり、M-2重機関銃のような車載武器さえも搭載しない、変則的な運用がとられるという。

 乗車戦闘用の装備、しかし普通科部隊の任務は近接戦闘ですので乗車戦闘には限界がある、このために変な運用が為されている訳です。それならば、普通科部隊は高機動車主体に切り替え、軽装甲機動車は偵察部隊に統合してしまってもよいのではないか、偵察部隊ならば乗車戦闘を基本とし、安くはない装甲車を放置せず済み、車上狙いにも荒らされません。

 偵察戦闘連隊、ただでさえ減っている普通科から装甲車まで取り上げるのか、元々少ない人員の師団にもう一人連隊長を置くとは何事かと反論もあるでしょう。しかし、軽装甲機動車の現在の運用が正しいとは考えられないのですよね、また蛇足ですが、連隊編成ならば機動戦闘車小隊を含む臨時偵察中隊を複数編成し、普通科連隊戦闘団に配属可能です。

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【京都発幕間旅情】西尾城(愛知県西尾市)その城塞は徳川家康危機一髪三河一揆最前線の城郭

2021-11-24 20:21:18 | 旅行記
■近代日本に繋がる分岐点
 歴史の分岐点舞台となった立地は日本に数多ありますが散策の際に偶然見つけますと何か感じ入るものがあるのです。

 近衛家邸宅。西尾城には京都は公家の名家が移築されています。実はこれは1990年に移築されたものでして、辰巳櫓も1990年に再建されたものです。ここには庭園から高揚をめでる様な心の余裕が、こんな時代でも連綿と受け継がれているのが少し嬉しいものですね。

 庭園の借景に西尾城、此処に将来的に天守閣が再建されるといいますので、工事の喧騒は厳しいですが、少し遠いものの尼崎に尼崎城が再建された際の活気を見ていますので、この活気が西尾でも盛上るのか、考えますとその先が楽しみにも思えるもの。かつての城は。

 三河一向一揆、永禄6年こと西暦1562年に勃発した戦国時代最大規模の一向一揆の最前線となるのですね、これは本證寺という西尾城から10kmほど先にあります城郭のような寺院での争乱で諸説在るも、無法者の捕縛を酒井正親が命じたことで発端となっています。

 松平広忠、三河一向一揆を理解するにはこの家康の実父が三河を統治していた時代、当地の本願寺門徒に守護使不入という一定の自治を認められていた事まで遡らなければなりません。ここが拡大解釈され、無法者の捕縛という一見正当な行為が、特権侵害と扱われた。

 家康三大危機、三河一向一揆は三方原の戦い、浜松で武田軍の戦死直前まで追いつめられた戦いや、伊賀越えにて本能寺の変にて盟友織田信長が謀殺された際に若干名の手勢とともに徒歩で京都を脱した危機とならぶ、つまり関ヶ原の戦いよりも危機的であったという。

 危機一髪とはどのくらいかといいますと、徳川家臣団のなかからも家康に離反して一揆に参加した武将がいまして、鉄の団結を誇示した徳川家臣団から離反があったことは家康に衝撃を与えたことでしょう、全員離反しなかったのは東三河地方で曹洞宗が強かったため。

 江戸時代の日本の統治を考える上で、特に家康の寛容と厳格を併せ持つ宗教政策には、この三河一向一揆が影響していることは疑い在りません、対立を避け統治する独特の政治姿勢がとられています。穿った見方ではありますが、これは明治以降にも好影響を及ぼした。

 明治以降の政教分離は、列強含める多くの国が宗教と国家の関係に軽装と紛争を絡ませた複雑な歴史を辿ることを強いた点とは対照的に、廃仏毀釈の動乱は挟んだものの、ほぼ軟着陸と表現するにふさわしい近代化を果たしました。その起点は、三河だったのやも。

 天正年間、酒井重忠による城郭拡張に話をも押しますと、この際に土塁は石垣へと強化されるとともに櫓、そして天守閣もこの際に造営されています。なにしろ天正年間、織田信長が没したばかりであり、まだまだ戦国時代に家康は三河の基礎固めの時代ですからね。

 豊臣秀吉の治世下では田中吉政が改めて1590年に三の丸を増強し、また複合式望楼三重方式の天守閣とともに三重櫓と三カ所に二重櫓を備えた重厚な城郭となっています。こののち、関ヶ原の戦いを経て徳川譜代大名本多康俊が勲功の二万石で西尾藩転封となりました。

 西尾城の完成は城下町を囲む総構えの工事を江戸時代に進めまして、明歴時代の西暦1657年に井伊直好が転封12年後に完成させています。こののちは増山家と土井家に三浦家と藩主がかわり、明和元年の西暦1764年より大給松平家の所領となり、明治維新まで続く。

 近衛家邸宅も移築されています西尾城はそれだけ市民憩いの場である事が分ります、この上に更に天守閣も再建しようというのですから愛されようがわかるというものでしょう。街に歴史あり、その町が城下町となりますと城郭の現況が街と歴史の絆の深さのようです。

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【京都発幕間旅情】西尾城(愛知県西尾市)徳川譜代家臣酒井正親の城郭は鎌倉時代からの歴史

2021-11-24 20:00:07 | 旅行記
■紅葉の東三河に西尾の城郭
 本日も二部構成としまして高揚な紅葉に色づく中に浮かぶ城郭の歴史を紹介しましょう。

 平成の大修理、令和時代になり久しい今日このごろですが、旅行というよりは散策という、目的地は観光地ではなくともその周辺で散策する場所を探すという自由な旅情を好む当方としては、下調べせず散策した先が休館や拝観謝絶、平成の大修理が続くと寂しい。

 西尾城。愛知県東三河地方の西尾市にあります城郭です。実はここ、天守閣再建という動きがあるようでして、もう少し散策へ年単位で遅れていましたら、普請中の白い作業用シートに覆われて工作機械の音と輸送車両の振動が響く台無し状態だったのかもしれません。

 鶴城とも鶴ヶ城とも称される城址は名鉄西尾駅から20分、いや25分ほど丘陵地を歩み進めたところにありまして、広大な駐車場が確保されていますので、愛知県はトヨタ自動車の城下町というか自動車主体の町づくりなのだと思われるところ、しかしこちらのお城は。

 鎌倉時代のころ、あまり情報もなしに城郭があるようだから行ってみよう、庭園もある、ということで散策に歩み伸ばしました。なにしろこんな時代、感染対策はマスクと消毒よりも人にないところを目指したい、西尾市のみんなには悪いものの、すいていそうだった。

 足利義氏が三河守護を任じられた際に造営された城郭という。足利氏といいますと、室町幕府の足利尊氏を思い浮かべますが、足利義氏は鎌倉時代に北条家直系の三男として、承久の乱においては鎌倉幕府を支えました、この勲功をもって三河守護を任じられている。

 西尾城は三河守護の拠点として造営されたということですが、12世紀末に造営されたと記録されるものの、詳細な築城は諸説あるといい、しかし当地に武家屋敷の複郭構造という城郭があったのは確かとされ、京都と鎌倉を結ぶ東海道交通の要衝を確保した城郭です。

 櫓もあるのか、と広さに驚くのですが歴史資料館とともに並ぶ様子は当地の歴史の中心にあったということを理解させられます。規模は大きくありませんが、もともとの規模を大事にしていますので変に観光地化されていない、が、ただ駐車場は広い、これは不思議ね。

 城址公園、石垣と堀などは当時のものといいまして、ここに巧みに再現された構造物がおもしろい。歴史在る城郭といいますのは、足利義氏は建長年間の西暦1255年に没しますが、ここを足利家が抑えていたことが、1333年の鎌倉幕府倒幕に際し足利尊氏の助けとなる。

 室町幕府、足利尊氏は関ヶ原を盟友京極氏が抑えるなど、東海道の要衝を抑えていたことが動乱から新しい時代を構築するまでの歴史につながっていますが、しかし、時代が安定しますと西尾城は姿を消します、ただ、遺構は維持され、多少は活用されたようではある。

 酒井重忠、歴史の表舞台に西尾城が輝くのは徳川の譜代家臣酒井正親の嫡男が城郭を大きく広めたためという。現在広い遺構が西尾市の丘陵地帯を構成していますが、当時この一体が西尾城であったといい、江戸時代に西尾藩の中心部を整備することとなりました。

 酒井正親は永禄年間の西暦1561年に徳川家康が今川家から距離を置いた際にここ西尾城を攻撃し落城させています。徳川家康の本拠地は三河の岡崎城、岡崎と西尾は、電車ですとJR東海道本線が遠く、いったん名鉄で名古屋方面の新安城に出るため遠く感じるが、近い。

 城主として家康から西尾城を与えられた酒井正親は、家康に幼少の頃からつき従い、駿府城へ人質として出された際には随行、家康の初陣にも参戦しています。暖かく良い歴史、とおもわれるかもしれませんが、城郭を拡大するには情勢緊迫、相応の理由がありました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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