北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】第1特科団創設62周年記念北千歳駐屯地祭-反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える(5)(2014-06-28)

2024-06-23 20:23:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■日本の南西防衛
 こちらの記事は順番として先ずこの第異界を準備する段階でこの回に掲載が決まっていたのですが奇しくもおk縄慰霊の日と重なってしまったという。

 先島諸島と奄美大島に続いて沖縄本島、警備隊と地対艦ミサイル中隊と高射特科部隊からなる部隊配置は、第15旅団はおかれているものの地対艦ミサイル部隊の空白地帯であった沖縄本島に2024年3月の部隊改編によりミサイル部隊配置が完了しました。

 MLR海兵沿岸連隊などは、その概要がフォースデザイン2030として開示されますと、なにかそっくりの編成だなあ、とおもったものです。実際自衛隊の島嶼部防衛訓練に海兵隊がHIMARS高機動ロケットシステムを参加させていたほどでした、もっとも。

 HIMARSなんてどうするのだろうとおもったならば、アメリカ海兵隊は自衛隊の12式地対艦誘導弾と同時に運用することでHIMARSのロケット弾をおとりに使えるという、少々苦しい説明をしましたが、そののちNSMミサイルの配備を開始しています。日本が先行だ。

 先行していたというのは優位を誇るのではなく、日本方式しかアメリカにも解決策がなかったという絶望を示すものともいえるものです。そしてもうひとつ、マルチドメインタスクフォースの想定を考えると、有事の際に本は火力圏内に取り残される訳で。

 反撃能力整備というものはこうした意味である程度納得できるものなのですが、しかしその変革に、これは冒頭の議論だ、その変革にどのように対応するかということを考えますと、必要なリソースに対して実際のリソースが少なすぎる、ということ。

 大胆な変革を通すには、根本的な組み直しが必要なのですが、それはそれとして今までの既存の任務をなくすわけではありません、するとどうしてもリソースの再編が難しくなってしまう、すると新規に投入するリソースが増大することにほかならない。

 しかしもう一つ、これは戦争に関する共有知といいますか、知的集約を防衛当局と政治とが想定するリソースについてを、十分すりあわせて考えたものか、ということです。日本の場合はここにもう一つ財務当局を加えるべきなのかもしれませんけれども。

 財務当局については、内閣人事局が安倍政権時代に実現していますので、政治主導に対しては人事権行使という手段があります、南極の昭和基地や硫黄島基地や南鳥島基地あたりに地方整備局を造って必要ならば飛ばしてしまうことさえ、いまの政府には可能だ。

 日本版マルチドメイン戦略を考えるならば、いま自衛隊は方面特科連隊に特科部隊を集約していますが、即応機動連隊を隷下に持たない師団や旅団は、沿岸特科連隊か沿岸戦闘連隊のような名称で警備隊と地対艦ミサイル隊に高射特科中隊からなる部隊を置くべきで。

 沿岸戦闘連隊、という視座は過去にもわたしは提唱しているのですけれども、特に自衛隊の地対艦ミサイルは今後射程を大幅に延伸してゆき、まずは射程900kmの対艦ミサイルに、続いて射程を2400kmまで伸ばして反撃能力の主軸を形成することとなります。

 トマホーク巡航ミサイルの射程が2700kmでしたから2400kmというのはそのくらいなのだなあ、と考えるのですが、しかしこの射程は北京や上海はもちろん、南京や重慶を越えて四川省まで到達します。四川省にはロケット軍ICBM基地があるのは気のせいでしょう。

 潜水艦などに反撃能力は搭載するべきで地上に配備すべきではない、冷戦時代の日本の厳しい経験からそうしたことは考えるのですが、今回は数が必要となりますのでかりに巡航ミサイル潜水艦なんかを建造してもVLS垂直発射装置の数に左右される潜水艦なんかでは。

 巡航ミサイル潜水艦というのは、過去にここで提唱したものなのですが小笠原方面に聖域、オホーツク海が核の聖域という表現が冷戦時代にはありまして、最近はオホーツク核要塞という表現もある。なにかニセコ要塞でもはじまりそうな表現だけれども。

 閑話休題、巡航ミサイル潜水艦という提案は老朽化した潜水艦の船体を延長改修し、ここに巡航ミサイル区画を、ヴァージニア級原潜のVLS区画のように配置するという提案です。船体全長は神戸川崎と三菱のドックの長さの影響を受けるのですが、これは改修で。

 ブロック工法によりすでに完成した潜水艦の船体延長を行うならば、潜水艦建造所ではなくIHIマリンユナイテッドの浮きドックなどでも可能ですので、神戸の川崎と三菱は新造艦建造に重点を置いて既存艦の改修を横浜や舞鶴や呉で行えば長さの問題は解決する。

 しかし、問題はミサイルの数でして、既にVLSの不足はアメリカと欧州で問題になっています、それは2023年から続く紅海フーシ派ミサイル攻撃からの船団護衛任務などで、ミサイルが足りない、というもの。現在はMk41VLSのクレーンさえ撤去している時代だ。

 ロシアウクライナ戦争をみますと最初の一年間で6500発の巡航ミサイルがロシア軍により使用されていますから、それこそ、おやしお型潜水艦を巡航ミサイル潜水艦に改修してもとてもではないがミサイルが足りない、オハイオ級巡航ミサイル原潜でさえ、不十分やも。

 陸上配備は、わたしが憂慮するのは陸上自衛隊が88式地対艦誘導弾を導入した当時でした、自衛隊はあわせて坑道掘削装置を導入している。坑道掘削装置、要するにトンネルを掘る装備なのですが、これはもともと掩砲所を掘るための装備です、シェルターともいう。

 掩砲所を掘削するのは、88式地対艦誘導弾は一個連隊で16両の発射機があるので一度に96発を射撃、1基数は予備弾3斉射分というから、これが道央に配備されている限りソ連軍は北海道上陸が不可能だ、だから戦術核を使って一掃してくる懸念があるということ。

 88式地対艦誘導弾でさえこうした懸念があるため、特に偶然なのかいと的なのか四川省南部まで到達する反撃能力を整備する場合には、核攻撃の標的となる懸念があるという視座で。ただ、2022年から続くロシアウクライナ戦争をみると、やはり核は使いにくいらしい。

 地上配備の反撃能力、もちろん海上配備とした場合は潜水艦基地やミサイル補給施設がこうした標的となるのかもしれませんが、基本的に出航してしまうならばこの心配はない、一方、本土同士のミサイル戦という過去にない戦闘となる故に不確定要素が多すぎる。

 補給の面をみると、地上配備は圧倒的に有利です、それは地対艦ミサイル連隊と地方隊のミサイル艇隊を比較すると一目瞭然で、地対艦ミサイル連隊の一斉射撃は上記の通り96発、これは一個護衛隊群の護衛艦8隻による一斉射撃の64発と比べても多く再装填も早い。

 しかしながら不確定要素、というものに視点を移しますと、先ず、接近拒否領域阻止は中国本土からのミサイル攻撃が主軸となる、これに日本本土、中国で言うところの第一列島線第二列島線、ここからの反撃で、いわば砲兵戦のような日中間の状況となり。

 第一列島線第二列島線、中国はかつて日本の太平洋戦争中における絶対国防圏のような概念を用いて考えているわけですが、この内部に日本列島が位置するわけですから、当然、日中間でのミサイル戦となるわけです。すると再補給と再装填の迅速化は重要だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【日曜特集】第1特科団創設62周年記念北千歳駐屯地祭-反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える(4)(2014-06-28)

2024-06-23 20:00:32 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■本日は沖縄慰霊の日
 先週が多忙で沖縄慰霊の日とマルチドメイン戦略の記事掲載日がずれてこの日と重なってしまいまして。

 本日6月23日は沖縄慰霊の日、79年前の今日、沖縄においてアメリカ軍第10軍を中心とした沖縄本島侵攻に全力で抗戦していた日本陸軍第32軍が、これ以上の組織的戦闘は不可能と判断し、徹底抗戦を命令した上で軍司令官と軍参謀長が自決した日です。

 沖縄の戦いは本島防衛に当った第32軍隷下の第62師団は師団長藤岡中将が前日22日に自決、第24師団長雨宮中将も30日に自決していますが、歩兵第32連隊を中心に残存部隊の戦闘は9月まで継続、この日を持って沖縄戦が終わった訳ではないという点も忘れずに。

 第32軍は残存部隊に徹底抗戦を命じて軍司令官が自決した為に戦闘が続いていますが、沖縄を守る第32軍のうち、先島兵団の第28師団が米軍上陸を受けなかった事で指揮系統が残り、第28師団長納見中将が生存、ようやく沖縄戦終戦の兆しが見えます。

 降伏調印式は9月7日にアメリカ軍のスティルウェル大将と納見中将との間で行われ、ようやく沖縄戦は終戦に至った訳です。ただ、現状の沖縄の基地問題と短椀海峡や台湾有事における地理学上の関係を見ますとどうしても安穏とはできない状況が続いている。

 在日米軍なしに沖縄位は守れないのか、と問われれば、これは沖縄戦に関する理解が不足していて、日本がポツダム宣言受諾に追込まれたのは本土決戦前に沖縄失陥によりシーレーンが完全に途絶した為でした、これは台湾が失陥しても同じことが言えたわけで。

 台湾は1944年に植民地から日本本土へ併合されていますが、連合国軍は台湾か沖縄を占領し日本本土進攻への拠点とする構想でアイスバーグ作戦を実施した、台湾はフィリピン決戦へ2個師団を抽出し手薄となっていましたが、ここで戦力再編を行った。

 第32軍の沖縄本島駐留兵力は、第9師団、第24師団、第62師団、ここから第9師団を台湾防衛へ転用したために沖縄は手薄となり、逆に言えば第9師団の台湾転出が無ければ沖縄戦は起きず台湾決戦となっていた可能性が高い、けれども終戦への結果は同じ。

 沖縄は自衛隊が大幅に防衛を強化するならば、第二次沖縄決戦には勝算はあるのかもしれないけれども、台湾有事の際に在日米軍であれば台湾関係法を根拠に中国軍の軍事行動を妨害し台湾を維持する事は出来るかもしれない、しかし自衛隊にはそれは出来ない。

 自衛隊に沖縄は守れても台湾失陥の懸念とシーレーン途絶の懸念には対応できないわけで、ここに、北東アジア情勢に軍事的現状変更を許さないという実力を持つのは米軍だけになってしまい、此処に依存する事で沖縄の基地問題があるのだ、ということ。

 沖縄は、しかし、有事の際に先島諸島などは、第一次世界大戦でフランスを狙うドイツ軍がてうすな中立国ベルギーを通ってフランスに侵攻したように、中国軍の軍事行動の対象となる可能性が極めて高い、すると冷戦時代の北海道のような緊張に曝されることに。

 手薄となれば狙われる、この状況から自衛隊は先島諸島防衛強化や南西諸島防衛強化を進めていますが、日本は戦後、沖縄復興は重視したけれども、こころの復興に寄り添わなかった為、かつての沖縄県民が寄せた防衛力への信頼というものをかちえていない。

 国家の防衛は国民が主体となり、国民の支持が在って自衛隊や政治が動く事が出来る、沖縄戦の被害を考えれば天安門事件や香港弾圧のような状況の方がまだ幸せ、と戦うよりも不戦と服従を選択する平和愛好家の主張が通る現状を丁寧に説明することこそ、必要だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【日曜特集】第1特科団創設62周年記念北千歳駐屯地祭-反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える(3)(2014-06-28)

2024-06-02 20:23:58 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■第1特科団観閲行進
 北千歳駐屯地の観閲行進は前半からいきなり重砲が延々とミサイルも延々と行進を続々と続けてゆきまして驚いたのです。

 北千歳駐屯地祭、この行事紹介は考えると今年もいよいよ今月北千歳駐屯地祭が開かれるという季節を迎えるのですが、この日曜特集として紹介が時間を経ましたのは、他に紹介できない行事も山積するが、撮影環境の難しさが在った故、という事情があります。

 2014年に撮影した写真なのですが、しかし撮影したのは2014年、今はもう少し機材の性能を高めていますから、考えてみると2024年の機材、当時は無かったEF-100-400IS2とかEOS-7DmarkⅡを使って撮影してみたら、同じ条件でも違う写真になるのかなあ。

 観閲行進の写真ですが、せっかく第1特科団という自衛隊最大の砲兵部隊、今年三月に第2特科団が湯布院に創設され、第1特科団だけの時代というのは新しい時代、なんて時代だ!、という緊張の安全保障情勢はあり、そもそも今日が湯布院駐屯地祭の日でしたが。

 せっかく第1特科団の行事を撮影するのですから、こんなに日本に火砲が在ったのか、と驚かせるような写真を撮影したかったものでして、一枚に入りきる車両の数をできるだけ多く、写真の構図を決めたいところなのですが、しかしそんな撮影できる角度が無い。

 撮影位置の規制線があと3m前に出られたならば、旭川駐屯地祭のような一列なのだけれども手前から奥まで延々と車両が揃う構図が撮れたのかもしれませんが、逆に規制線が慎重すぎて、マイクやスピーカーなどの列が写真を撮影しにくいようにしてしまっていて。

 規制線は安全管理を考えているのですから無茶をお願いする事は出来ないのですが、大部隊の行事、頼りになるという自衛隊の写真を広く広報することは、認知戦、という、FRONTという雑誌を戦前の日本軍は発行して認知戦に努めていましたが、広報は平時の実戦だ。

 富士学校祭のように、観閲行進に参加する車両を一部でもいいから並べてくれればなあ、とは、これ前回も呟いたといいますか、ぼやいたところなのですけれども。もっとも、富士学校祭は撮影位置がかなり自由度が有る、開放区画が広いという点で違うのですが。

 カメラを手に撮影に臨むならば最善を最後まで尽くさなければならないとはおもうものの、そしてもう一つ、北海道などでは最後に千歳空港で一杯やりながら写真を観返して、これで撮影位置は良かったのかなあ、と反省することもあります。現地では精一杯でしたが。

 さてさて、反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える、この特集の第三回です。いま、ロシアウクライナ戦争では砲兵同士、砲兵時代の再来と云いますが第二次大戦の西部戦線では見られなかったような、第一次大戦の西部戦線のような砲兵の位置づけとなっている。

 砲兵重視、日本の場合は地対艦ミサイルが特科の所管であって、そして今後は地対艦ミサイルの射程延伸が進み、そのさきに反撃能力整備という、大きな転換点が待っているのですが。自衛隊は、冷戦後欧州や米軍が重戦力を次々と大幅削減する中、慎重で良かった。

 しかし重戦力削減に時間がかかった背景には、政策決定から具体的な施策を画定するまでの時間がかかり過ぎた、ということに他ならない訳で、言い換えれば今は遅れてきた冷戦後の部隊削減が本格化している中、2022年以降の国際情勢のダイナミズムを無視していて。

 マルチドメイン戦略、アメリカ軍が進める施策なのですが、だからと言って万能なのかといいますと必ずしも賛同しえないところが有りまして、その背景にはやはり冷戦終結という事実をどう受け止めるかについて、欧州ともども慎重さにかけていたよう、おもうのだ。

 共通安全保障政策、EUは連合国家を目指していましたので安全保障政策を共通化していた、一方でこれはEUが成立したのは冷戦構造終結という結果ともう一つこれを契機とした東西ドイツ統合など、もう大きな戦争は起きないとしてその上で安全保障を考えていた。

 地域紛争拡大により欧州に影響が及ぶ前に対応するという認識は、当時流行した"予防外交"の理念とも重なるのですが、言い換えれば予防外交を徹底すると大規模戦争は回避できる、というような、第一次世界大戦谷辞せ解体線の反省からの幻想もあったようおもう。

 ボスニア紛争がその筆頭なのですが、しかし警察権の延長で想定し軽武装と事態切迫時の強硬手段を考慮せず展開したボスニアではスレイプニッツアなどの事態にEUでは対応できず、結局急遽NATOの安定化部隊、戦車などを展開させることに追い込まれている。

 地域紛争の拡大による影響の広域化という懸念は、しかしEUの共通安全保障政策とアメリカのフロムザシーでは共通点があったのです。もっとも、これはフロムザシーの場合、事態が海岸線まで到達しなければ世界に影響は及ばない、という解釈もできたが。

 フロムザシーの場合は、紛争への海上からの迅速なアプローチという枠組みを構築し、口の悪い言い方その一ではアメリカ海兵隊という組織の延命、その二では内陸部で紛争が進むだけでは世界に影響が及ばないために海に流れ出ないよう臭いものに蓋を。

 口の悪い言い方はいろいろとできてしまうのですけれども、エアランドバトルの次の潮流には海、シー、というアプローチが成り立ったわけです。リットラル、沿海域、という名称は一つの潮流となり、高くて使いにくいLCS沿海域戦闘艦が量産された背景もここ。

 リットラルエリア、こう構想している内に9.11同時多発テロが発生しまして、時代はテロとの戦いに展開してゆきます、策源地といいますか首謀者のアルカイダが潜伏したのはアフガニスタンとパキスタン西部山岳地域でしたので戦略は見直すべきだった。

 テロとの戦いが始まったのですが、ここでアメリカはフロムザシーと地域紛争対処、言い換えれば戦車やMLRSの役割が薄い安定化作戦、この領域が一部重なることで安定化作戦重視へ転換してしまいます。2003年にイラク戦争があったと反論があるでしょうが。

 イラク戦争は、師団規模の部隊が戦車部隊を集中させて参加した現在のところアメリカ軍が経験した最後の戦いです、次は東欧地域で数年内におきそうなところですが。あの戦争は第3歩兵師団と第4機械化歩兵師団が集中して一気に進めてしまった印象です。

 デジタル重師団という、エアランドバトルをさらに、紛争が一気に拡大した場合に沈静化させる部隊運用として想定されていたもので、2000年前後にはRMA、軍事における技術革命、としてIT情報通信技術が盛んに提唱されていましたが、その応用でした。

 RMA軍事における技術革新は、通ぶった国際政治学者から君たちは知らないだろう的に大学で、これだから東京の国立大学出身者はなあとおおもったが、提唱していたものの、RMAというものは死語となり、無人機の時代にRMA再来が提唱されないのは不思議ね。

 閑話休題、イラク戦争はエアランドバトルが想定された時代への回帰を印象づけたものでしたが、しかしその地上戦も3月20日のイラクフリーダム作戦発動は初日にイラク第51師団が降伏し戦線が瓦解、4月9日にはバクダッドが陥落しイラクは体制崩壊します。

 イラク戦争は、しかしこれにより治安作戦重視となり、この治安作戦は2011年のアメリカ軍撤収まで継続されていました。このうえで、アメリカのシーパワー、制海権というよりも海を使用できる自由、これを一つの基本概念としてしまった。

 長くなりましたがエアシーバトルの理念にもどしますと、海は使える、という前提で制海権に基づく海からのアプローチというものを具現化し、いわば地域紛争沈静化のフロムザシーと、海を基点としたエアランドバトルを検討していたのです、しかし。

 接近拒否領域阻止という概念、上に政策あれば下に対策あり、というのは中国の格言だそうで、要するに規制に対する民間の創意工夫による規制のがれを示すそうでしが、エアシーバトルにたいしてもにたような概念での対策というものが成り立つ。

 ミサイル爆撃機と開発途上であった対艦弾道弾や極超音速滑空兵器に潜水艦、遠距離の火力網を構築して、エアシーバトルの基点となる海域までアメリカ海軍を近づけさせないことで海兵隊と陸軍を阻む、という。まあ、考えればそうなるよなあ。

 マルチドメイン戦略とマルチドメインタスクフォースは、長くなりましたが、この接近拒否領域阻止に対して、その圏外から戦う方策の模索、となります。言い換えれば、これを達成できなければ陸軍の存在意義の多くの部分が危うくなる、という。

 そして自衛隊の反撃能力整備というものも、マルチドメイン戦略と共通性を挙げる方が日米研究者のなかに、少なくない数でいらっしゃるのですが、近づけないために近づくためのアプローチ、というものはどちらかといえば日本の方が先行して研究が。

 南西諸島防衛などでは、当初は島嶼部防衛にヘリボーンの重視を掲げていまして、実際西部方面普通科連隊は西部方面航空隊への輸送ヘリコプター配備にあわせて、空中機動混成団のような役割がきたいされていた、これは上陸させてから奪還させる、という。

 しかし、上陸させてから奪還する、ということは可能なのか、いや憲法上は武力攻撃事態を受けてからという発想がむしろ正しいのですけれども、という制約はあるのですが。すると、展開できない地域での防衛、という独立戦闘の重要性をしめすことに。

 沖縄戦、もっとも僥倖、とは絶対表現するつもりはないものの、孤立したもしくは増援を遅れない状況での戦いは日本の方が第一人者だ、なりたくてなったわけではないのですが、制海権のない状況での強行輸送は沖縄とサイパンで失敗、レイテでもほぼ。

 ダンピール海峡などは、これは陸軍海軍の強行輸送をアメリカ陸海軍の航空部隊が一方的に阻止して輸送船全滅で大量の戦死者を出した第二次世界大戦の教訓なのですが、やった側のアメリカが、その意味を理解しても内部化していなかった訳ですが。

 島嶼部防衛では、自衛隊は2010年代からドローン補給を含め強行輸送を研究していました、当時のクワッドドローンでは輸送できる規模はたかがしれていたのですが、無人機運用に遅れがあると行われた自衛隊でさえ、無人機輸送を研究していたほど。

 警備隊と地対艦ミサイル中隊に高射中隊と直接支援中隊、この編成はある意味でアメリカのマルチドメインタスクフォースや海兵隊のMLR海兵沿岸連隊の編成と共通するものなのですが、このパッケージのような編成では日本の方が先行していた。

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【日曜特集】第1特科団創設62周年記念北千歳駐屯地祭-反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える(2)(2014-06-28)

2024-05-19 20:20:36 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■90式戦車MLRS機動展示
 第1特科団創設62周年記念北千歳駐屯地祭の行事紹介第二回とともにマルチドメイン戦略の話題を絡めて見る第二回の試み。

 北千歳駐屯地祭、観閲行進準備の号令とともに90式戦車とMLRSと203mm自走榴弾砲に88式地対艦誘導弾が式典会場にやってきました、いわゆる“ゴジラ対策四点セット”というべき装備たちなのですが、別にこれが観閲行進というわけでは、ありません。

 観閲行進準備には時間がかかりまして、特にここは第1特科団に加えて精鋭第71戦車連隊、あの第7戦車大隊が拡大改編されて誕生した精鋭戦車連隊も駐屯していますので準備に時間がかかるのです、だからその幕間劇というわけではないのですが、機動展示を行う。

 富士学校祭のように観閲行進車輛の一部というか全部をこの会場に並べてくれれば、式典も物凄く派手になるのになあ、とは思ったものなんですが、それを考えたのは式典が始まるまでというものでして、式典であれだけ中隊旗が並んでくれますと、もう、ねえ。

 中隊旗があれだけならんでいるということは観閲行進にはあの中隊旗のぶんだけ行進するという訳ですので、それはもうここには入りきらないよなあ、と。入れるとなると北千歳駐屯地というよりも東千歳駐屯地のむかしの滑走路のような長さが必要になってしまう。

 ゴジラ対策四点セット、なんていう、昔の平成ゴジラシリーズではMLRSのかわりに75式自走ロケット発射器か、それと203mm自走榴弾砲が並んで、そして奥の合成された怪獣とか未来人のタイムマシンとかに向かってゆく描写が、まあ一種の定番だったわけですが。

 北海道の行事を見ていますと、これはわたしだけなのでしょうか、本州の、特に京阪神あたりの、重装備が揃っていない地域から見に行きますと、これは勝てそうだ、と思ってしまうのですね。この当たりでさて“反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える”続き。

 自衛隊の編成は国家防衛戦略の画定により大きな変革を強いられるところですが、果たしてその組織改革を間に合わせるだけの予算などのリソースの意義を政治は理解しているのか、という視点です。現在進む各種装備の再編と反撃能力などは現実の難しさを示す。

 マルチメインタスクフォース化、昨今アメリカ陸軍などが大車輪で進める変革であり、実のところその編成はアメリカ自身が各国の軍隊の編成がアメリカのマルチドメインタスクフォース化の影響を受けていると評していますが、実際にはその逆ではないか、と。

 島嶼部防衛における自衛隊の改編、この南西諸島などで進む一連の部隊改編は2000年代初頭に西部方面普通科連隊新編の頃より検証されていた日本型の島嶼部防衛の在り方研究、その先の一つの到達点として具現化しているものなのですが、逆に先進的でありました。

 アメリカ陸軍はフィリピン軍やヴェトナム軍の改編のうち一部がマルチドメインタスクフォースと類似点があるとしていますが、逆に日本の視座、南西防衛に関する様々な研究、試行錯誤に実改編を伴う猶予がないほどに切迫した改編、こちらの影響を感じます。

 南西諸島の島嶼部防衛モデルをそのまま当てはめたのが結局のところアメリカ軍のマルチドメインタスクフォースではないか、という率直な印象があるのですね、地対艦ミサイル部隊と防空部隊に警備の歩兵大隊、先島諸島や奄美大島、沖縄本島の自衛隊部隊だ。

 電子戦部隊や無人機部隊とともにサイバー戦部隊を含む、これがアメリカのマルチドメインタスクフォースの概要ですからサイバー戦部隊が自衛隊の第一線部隊に欠けていると反論されるかもしれませんが、まあそれは日本の場合、戦域内に中央直轄部隊ああるゆえ。

 接近拒否領域阻止、マルチドメインタスクフォースという概念が想定されたのは、アメリカは今までエアランドバトルを冷戦時代に構想し、M-1戦車やM-2装甲戦闘車にAH-64戦闘ヘリコプターとして具現化した、その先にエアシーバトルという概念を冷戦後進めた。

 エアランドバトルはソ連軍戦車部隊の津波のような複数の梯団からなる侵攻に際して、直接防衛戦で受け止めるのではなく機動防衛、機動防衛というのは何が機動するのかは長いNATOでの結論のでない議論、これを加えて受け流し、その先に策源地をたたく概念です。

 エアランドバトルにおいてはM-1戦車がガスタービンエンジンという以上に燃費の悪い戦車を導入した背景に機動力重視があり、そしてAH-1に比較して遙かに航続距離の大きなAH-64は策源地、前線の遙か後方の段列地域を叩き潰すことを念頭に設計された。

 ブッシュ政権時代の1990年湾岸戦争は、砂漠のまっただ中にのべ550機のC-130H輸送機を動員してヘリコプター部隊の拠点を構築し、そこからクウェートを占領するイラク軍の策源地をたたくとともにM-1戦車はおおきく迂回、機動線を展開して勝利をつかんだ。

 湾岸戦争では有志連合、当時の名称は多国籍軍、これも国連軍を編成すべきとの国連の要求に対して、国連軍事参謀委員会は朝鮮戦争以来開かれておらず、アメリカ軍を指揮できる能力がないとして拒否した先なのですが、アメリカ軍へ随伴は容易ではなかった。

 フランスの第6軽機甲師団が自慢のAMX-10RC装甲偵察車など多数をもってアメリカ軍にごする機動力を発揮していますが、逆に言えば装輪装甲車であるAMX-10RCでなければガスタービンエンジンで延々と機動するM-1戦車の攻撃軸に同調できなかったわけです。

 国連軍を仮に編成した場合、実際、カフジの戦いなどでサウジアラビア軍も地上戦に参加していますので、文字通り有志連合がくまれたのでしょうけれども、国連にエアランドバトルの前進軸に沿った調整ができたのかは、非常に疑問でもある。

 100時間戦争とも呼ばれたように、最近は呼ばないが地上戦が100時間で終わったので第三次中東戦争を六日間戦争と呼んでいた名残なのかもしれない、100時間で地上戦にカタをつけるような戦いはおそらく国連には想定できず、長期戦となっただろう。

 冷戦時代に構築したエアランドバトルについてはこうして一定の成果を具現化することはできました。すると冷戦時代に自衛隊もエアランドバトルを目指していたのかと問われると、74式戦車にはそうした発想は、というよりもその前の時代の設計という。

 侵攻宗教、自衛隊はこう揶揄されることがあったというのですが、ソ連の保有船舶、徴用する民間船も当然含めて、そして地形から太平洋の日本周辺において実施できる両用作戦と補給線の概算をもとに想定する侵攻を、全国津々浦々に想定していました、いや。

 想定しつづけているというところでしょうか、現在も。詳細は敢えて聞かないのですが、若狭湾侵攻や丹後半島限定侵攻に本州最狭部空挺侵攻などまで想定して、それに応じた防衛計画があるという。アメリカ軍の増援まで維持できる能力は少なくとも。

 クリントン政権時代、これも急にエアランドバトルの話題に戻すのですが、冷戦時代のエアランドバトルは湾岸戦争を最後に、数千の戦車による侵攻という事態は考えられなくなった、イラク軍は1990年の時点で4200両もの戦車を保有、これが過去のものに。

 エアシーバトルという概念がブッシュジュニア政権時代から模索されオバマ政権時代に完成していますが、その前のクリントン政権時代にフロムザシー、という概念が提唱された、リットラルエリアにおける戦いともいい、沿岸部の戦闘や海の利用など。

 フロムザシーというのは冷戦後の地域紛争増大、米ソの圧力が消えて飽和状態となった民族問題や国境問題が一気に噴出した、この地域紛争増大に対応するための概念でした。なにしろ数が多かった、冷戦時代に小康状態であった紛争の激化もかなりの数にのぼる。

 ロングピースという、逆に冷戦時代の方が大戦争を抑止するもしくは大規模戦争の長期化を調停する構造が世界政治の枠組みに存在したのだという概説が試みられるほどに、冷戦構造の終結は、核戦争以外のリスクはすべて増大させていましたが。

 リットラルエリア、沿海域地域、地域紛争がそのまま大規模戦争に拡大することを警戒したのが冷戦後の一つの国際秩序維持の試みでした、アメリカがこうした概念を提唱するとともに、実はこの流れは別の部分で欧州とも同じアプローチが醸成されていて。

 マーストリヒト条約によりEC欧州共同体からEU欧州連合と発展した1993年にその役割を拡大させたEUは共通安全保障政策、なにしろ当時は2000年までにEUがNATOの後継になると考えらた、ボスニア紛争のでEUの緩い枠組みの限界を突きつけられるまでは。

 EU共通安全保障政策では、当時はいまのような誰でも移民難民受け入れというわけではなく、欧州の壁といわれたようなEU加盟国と非加盟国とのあいだでの移動の不自由があった、このなかで、地域紛争が拡大し制御不能となり欧州に影響が及ぶことを警戒していた。

 反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える、についてはこのくらいにしましていよいよ観閲行進の始まりです、先頭を往くのは第2地対艦ミサイル連隊、この部隊はと云えば非常に思い出深い部隊でもあるのです、この写真は2014年撮影ですが思い出は2011年で。

 東日本大震災が発災し日本がたいへんなことになりましたのが2011年、個人的にも非常に大変な事になってしまったのですが、この少し後に、つまり個人的にも状況がやや落ち着いた頃か、自衛隊で最初に行事を再開したのが、第2地対艦ミサイル連隊だったのです。

 美唄駐屯地に朝早く行きまして、そうするともうすでに同好の志が一人開門待ちで並ばれていましたので、こんにちは、どちらから来られました、と聞きますとなんとお隣は滋賀県の大津市からという。警衛の方にも笑われてしまいましたが、そんな思い出の部隊、と。

 北千歳駐屯地の観閲行進開始、さてさて、まあ、なんといいますか、お気づきでしょうか。北千歳、ものすごく観閲行進の撮影が難しいのですよね、更新というからには一枚に大量の装備を揃えた構図としまして、どうだ日本を攻められまいという写真としたいのだ。

 圧縮効果で撮影するにはある程度見通しの利く撮影位置が欲しいのですが、起伏や僅かな曲がり角からでも撮影出来る一方、この式典会場はどこをどう見渡してもそういう角度がないのです、しかも圧縮効果ですとスピーカーとかいろいろ入ってしまうようなかんじ。

 カメラを構えたからにはどうにか工夫して迫力ある構図を仕上げてみよう、とはおもうのですが、さあこの場所での撮影はその通り大丈夫な選択だったのか他に最適解が在ったのか、カメラの設定は大丈夫だったのか、と考えつつ、観閲行進はどんどんすすんでゆくのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【日曜特集】第1特科団創設62周年記念北千歳駐屯地祭-反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える(1)(2014-06-28)

2024-04-28 20:24:03 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■北千歳駐屯地62周年祭
 今年は第1特科団72周年を迎えますが今回のゴールデンウィークに日曜特集掲載再開に併せこの北千歳駐屯地祭の様子を紹介しましょう。

 北千歳駐屯地創設記念行事、10年前の行事の様子を今回から数回に分けて紹介してゆきます。北千歳駐屯地は第1特科団司令部などが駐屯していまして、そう2014年の行事から10年後の2024年には九州に第2特科団が創設されましたので、時節柄とおもう。

 特科を示す黄色い部隊旗が延々と並んでいます部隊整列の時点で、これだけの兵力と火力があれた敵をその上陸地点において存分に叩ける、という映画の有名な台詞を思い出してしまうわけです。実際砲兵火力はロシアウクライナ戦争でも主力となっている。

 梶原直樹陸将補が団長兼ねて北千歳駐屯地司令で、第32代第1特科団長となっていましてあれから10年後の今日には第38代第1特科団長として香川賢士陸将補が現在補職されています。特科団という編成は諸外国の砲兵旅団にあたる部隊となっています。

 特科団編成は、第1特科群、第4特科群、第1地対艦ミサイル連隊、第2地対艦ミサイル連隊、第3地対艦ミサイル連隊となっています。ただ、これは当時の編成であり2024年3月の部隊改編により第4特科群は廃止され今日に至ります、在りし日の姿ですね。

 団本部が置かれている駐屯地となっていまして、隷下部隊は美唄や上富良野など北海道に広く配置されているのですが、その創設以来の任務は創設当時の1952年以来一貫して強力な火砲とのちに加わるミサイルなどを用いて北海道への大陸からの攻撃の阻止だ。

 北千歳駐屯地、このほかには第71戦車連隊と第302高射特科中隊などが駐屯していまして、今は既に廃止されている203mm自走榴弾砲なども多数そろえています。第71戦車連隊は当時5個戦車中隊編成、のちに4個中隊編成へと縮小改編されていますが。

 自衛隊関連行事、働き方改革により行事という事で訓練以外に人員や装備を動かす事への限界があるのでしょうけれども自衛隊行事は2024年度に開催されるものは幾つかいきましたが行事内容が大幅に縮小されていまして、これが防衛の現実なのかな、と。

 北海道の北千歳駐屯地、千歳市には自衛隊施設がいくつもありますが、戦車師団として有名な東千歳の第7師団祭は混雑するのですけれども、多数の火砲が、今年はもう砲からミサイルとロケットに切り替わりましたが、重装備がそろう行事となっています。

 北千歳駐屯地はかなり山奥にあるような印象を与える構図なのですけれどもJR千歳駅から駐屯地の敷地まで直線で1.5kmほどしかなく、駅よりも千歳空港に隣接しているほど若干距離がある東千歳駐屯地と比べますと、けっこういきやすい行事といえまして。

 混雑していない行事ということで2014年に東千歳駐屯地ではなくあえてここ北千歳駐屯地へといきました次第です。そしてそれほど広すぎるわけでもありませんので撮影しやすいという印象と、限られた会場での撮影の難しさなどを感じるのですけれども。

 湯布院駐屯地にこの春、第2特科団が新編されました。今回の日曜特集は、従来の写真24枚編成から当面36枚編成としまして、特に自衛隊行事の紹介を前半12枚分おこないますとともに、後半の24枚分は防衛備忘録の話題をあわせて日曜特集といたしましょう。

 反撃能力整備とマルチドメイン戦略、こうした話題を7回に分けて紹介する予定です。勿論これは公式な自衛隊の見解ではなく反撃能力について、2014年には考えられなかった視点を、当時の写真を振り返りながらという形で紹介しますのでごらんください。

 専守防衛、日本国憲法九条の平和主義とともに我が国の安全保障と戦争放棄を両立させるため、国軍とはことなる実力組織として我が国は1950年に警察予備隊を創設し1952年には保安隊、そして1954年には自衛隊へと改組、今日も自衛隊は安全保障の主軸にある。

 しかし現代、90式戦車など優秀装備をそろえて野戦の訓練だけを十分に行っていれば国が守れる時代ではなくなってしまいまして、いや冷戦時代には考えられなかった新しい緊張、装備による攻撃の様相が転換してしまい、現代ではそれに備えねばなりません。

 安全保障と防衛というものは我が国では微妙な線引きがあり、ここには予防外交と解釈されるものを含むために所管官庁に外務省などがくわわるのですが、外務省と防衛省、この線引きは我が国の憲法独特の解釈故に明確さを求められるものの、同軸とする国は多い。

 防衛、軍隊、公務員と軍人の線引きに、死んでこい、という命令が合理的に受け入れられるかという問いへの可否を含む、こうした解釈があるようですが、ともあれこの歪な制度とともに、ある種のコモンセンスとして専守防衛、という概念が受け入れられてきました。

 戦車と普通科に特科、専守防衛という概念の定義は、しかしこれも曖昧なものなのですから、直接国土が攻撃された時点で防衛に着手する、という、まあその時点ではかなり国民の生命財産は失われ、着手した後もその状況は続くこととなったのでしょうけれども。

 平和憲法という理念を、少なくとも新しいものにかえようという動きへの消極的もしくは、反対と言うものがそれなりにあるものでしたから、平和憲法というものを守ることによって平和が失われた場合のリスクは、ある程度考えて受容していると思っていたのです。

 国家防衛戦略、2020年代に反撃能力という概念が盛り込まれ、我が国は少なくとも隣国すべての全域をとはいわないものなのですが、かなり射程の長い装備を保有する方針で進められています、地対地誘導弾が射程2400km、空対地誘導弾が1000km、あとは。

 トマホークミサイルを海上自衛隊が導入しますので、陸海空自衛隊がそれぞれ反撃能力を整備することとなります。専守防衛、それは装備の射程延伸とともに概念は変わるものと言われていたのですけれども現実のところは、上陸した敵を海岸線で、だけではない。

 マルチドメイン戦略という概念と接近拒否領域阻止という概念、前者はアメリカの戦略概念で後者は中国の防衛概念なのですが、これらで用いられる装備の射程がふつうに数千kmの大台に乗っているために、国土だけにこだわる防衛では国民の生命財産が、という。

 しかし、90式戦車をそろえてMLRSで全般支援を行い普通科が近接戦闘を、地対艦ミサイルが上陸と補給を遮断する、という概念そのものが伝統的な防衛であると、なにしろ1954年の自衛隊創設以来の基本戦略をその延長線上に考えてきた故、動きは急すぎるようにも。

 日本国憲法の平和主義とは、平和的生存権の具現化への手段として結果としての平和よりも手段としての平和、話し合いだけでは解決できない小規模な紛争の危機でも話し合い以外の手段を放棄し、結果的に全面戦争になっても仕方ない、という理念でした。

 平和を結果としてのものではなく手段としての平和として、それによって最後の結果として大量の国民の生命財産が失われることとなっても、それを受け入れて、八月十五日の続きに臨む、こういう覚悟があって平和憲法を遵守しているとおもっていたのですが。

 関心がない、防衛に関心がないと言うよりも平和の内容に関心がない、この現状が、しかし個人には進学して就職して結婚し子供を授かり家を建てて教育を施し老後に云々、と個人には生命とともに財産も生命を支える基盤となるわけで、平和と財産の天秤は難しい。

 個人主義といいますか、個人の価値観というものが相応にありますから、平和的生存権というものは、国が戦争の覚悟をしようとどのような装備を持とうとも国民が巻き込まれないことを重視する時代になっている、これが平和主義の価値観の変容ともいえます。

 しかし、日本の安全保障議論はゼロサムベースで、自衛隊は必要でしょうか必要ないのでしょうか、という入り口の議論を未だに後者の支持率がわずかとはいえ残るほどですので、接近拒否領域阻止への対応を具体的にどうするかまでは、すすみません。

 入り口で議論が止まることは危険なもので、COVID-19を例に挙げれば、そもそもウィルスというものは存在するのか祟りなのか、という議論で停止しているようなものです。しかし実政治は現実の問題に対応する必要がありますので、そのまま進まざるを得ない。

 安全保障で入り口にてとまっている別の事例を挙げますと、意外に思われるかもしれませんがイスラエルなどでもにた事例があります、それはユダヤ教団体でイスラエルの平和が守られているのはIDFイスラエル国防軍によるものではなく神への祈りだという。

 イスラエルの場合は良心的兵役拒否の問題と宗教が複雑に絡み合い、結果的に安全保障理念の分断を生んでしまっていますが、分断したままIDFは必要な軍事作戦を行っています。すると日本のように現実世界が大丈夫ならば問題はないのかというと、しかしそこは。

 挙国一致内閣など戦時内閣をくむ場合には宗教政党を含めて挙国一致内閣がくまれますので、2000年前の価値観をそのまま2020年代の政治に含めてしまう。日本の場合も、自衛隊反対の社会党は村山内閣時代に自衛隊合憲論に転向しましたが、入り口到達が1993年だ。

 90式戦車などを十分そろえて、進行してくる敵対勢力を全部劇はしたとしても、それは第二次世界大戦が本土決戦前の段階で末期戦になっていたものとおなじことなのですから意味がない、けれども憲法という制度を角に政治は無視できない、ここがジレンマといえる。

 同床異夢が生じる、防衛に関して考えさせられるのは、自衛隊は必要という議論はたんなる防衛議論の入り口、無政府主義か民主主義かを結論づけただけにすぎません、しかしその具体的防衛政策を考えるには、議論と実情を知ることから始めなければ。

 一方、戦車というわかりやすい防衛力も必要と考えるのは、結局のところ国家、民主主義国家であるとともに日本の防衛政策を国民が理解して指示しているからこそ成り立つものがあり、ミサイルが多数並んでいるだけで安心できるようなものなのか、とも。

 戦車カッコイイ、と純粋に行事を楽しむことができましても、レジャーを考えるならばもう少し費用対効果の高いものがあるわけでしてそもそもそういうもの国がそろえて広報として展示する背景というものに関心を持ちますと、沼、といわれるようになる。

 自衛隊関連行事は、こう、新隊員といいますか候補生の応募者をふやしたいという安直な目的があるにしてももう少し議論を進めるための政治への関心につながるような背景まで間口をあけて展示しているのだなあとも考えて、並ぶ部隊のようすをみるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(26)2011年は東日本大震災の一年でした(2011-10-09)

2023-02-05 20:23:10 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■2011年の第七師団祭
 2011年は東日本大清震災が有りました日本の転換kという一年だと2022年までは思っていたものですが、さて。

 第七師団創設記念行事、いろいろと撮影してまいりましたが、今回が最終回です。日本唯一の機甲師団、そして2022年に発表された安全保障3文書においても機甲師団の維持が明記されています、ただ、私が気になりますのは機械化部隊の位置づけについてです。

 2011年、この特集を掲載したころの陸上自衛隊は観測ヘリコプターも後継機選定が行われないために、しかし海上自衛隊が導入するというMQ-8ファイアスカウトでも購入するのだろう、こう思っていましたが、なにも調達されずに自然消滅してしまいました。

 戦車については、国産基盤を維持するというのですが、しかし生産数を考えますと、戦車300両という防衛力では、海上自衛隊の潜水艦が行っていたように、16年程度で完全に置き換える程度の数を、可能ならば15年、年産20両を維持して早期退役させるしかない。

 自衛隊は専守防衛というものを大前提として考えてきましたので、着上陸した敵を戦車部隊が先鋒を担い機械化部隊が一体となって海に追い落とす、という概念がたとえ時代錯誤といわれていても堅持されるものだと考えていたのですね、これが基本だ、と。

 シーレーン防衛の重要性も認識していますし航空優勢がなければ、これは地対空ミサイルだけでもある程度代替できるとウクライナが示したように錯覚しましたが、とうのウクライナも戦闘機を求めています、しかし基本は防衛とは土地なのだと認識していた。

 射程2000kmのミサイルが導入されたならばどうか、四川省の奥地に中国軍核ミサイル基地があり、射程2000kmでは四川省南部までしか届きませんが、2500㎞に延伸するならばなんとか射程のめどがつく、しかし、沖縄の離島を攻撃されたならば、どこに撃てば。

 反撃能力は不要とは言いません、例えば沖縄県への限定戦争にもかかわらず、敵が策源地攻撃と称して那覇基地や佐世保基地を攻撃してきたならば、同等に相手の本土を叩く手段は必要だと考えます、しかしそれまでは安易に本土を攻撃しあうべきではないとも。

 機甲師団、写真は多数を紹介しましたが、この第一回を掲載しましたころとは、中国本土を叩く、こうした防衛政策は一種の禁忌となっていまして、島嶼部防衛用極超音速滑空弾という名称で敵意を隠した防衛力整備を進めていましたが、連載が長期化したことで。

 戦車だけがあればよいというものではありません、しかし戦車が重要であるということは、ウクライナの第一線ではHIMARSのGMLRSロケットの射程は80kmしかなく、ロシアの策源地を叩けないとして長い射程のものを要請、アメリカが供与の方針を示しました。

 NATOの運用ではしかし、MLRSは不整地突破能力が高い車両ですので、データリンクを頼りに戦車部隊を先頭に第一次世界大戦の浸透攻撃のようなものを分散して前線を突破し、敵を攻撃できる位置で集合する、これにMLRSも随伴することで射程を補っている。

 AH-64D戦闘ヘリコプターについても、こうしたデータリンクで結ばれているゆえに分散して投入しているが電子の連環で結ばれていることにより補給でも火力でも決して孤立しておらず、必要ならば戦闘ヘリコプターが即座に駆けつけるという基本運用があるのです。

 ウクライナ戦争を契機に、何かしなければ、という一種の、テスト前夜に部屋の掃除をしたくなる、というような焦燥感がそのまま射程の大きなミサイルへ短絡的につながり、これを反撃能力だと説明されると同意するほかなくなってしまう状況がいまあるのですね。

 反撃能力というのは、この師団祭のように、上陸してきたならば反撃して海に追い落とす、というものが日本の反撃能力だと思いました、しかし2030年には観閲行進の多くは北朝鮮軍のように地対地ミサイルとなり、訓練展示ではハバロフスクを叩く想定なのか。

 敵基地攻撃能力を反撃能力と言い換えたことで、反撃とは何か、という不思議な議論のようになってしまったかと思えば、論点とされるのは国会では金額のことばかり、カネカネカネという不思議な国会で、先日ようやくミサイルの問題が議論されたというところ。

 予算は、しかし観測ヘリコプターが全廃され、装甲戦闘車は20年近く新規調達がなく普通科の多くは丸裸か薄い装甲のみ、MLRSは射程の長い改良型弾薬により世界中で再評価されている中での陳腐化というよくわからぬ評価がなされ2029年には全廃されるという。

 中国本土まで届かないMLRSに用はないので自衛隊は中国本土や内陸部を叩ける装備を必要としている、こう主張するならばわかるのですが現段階でMLRSは大型のATACMSのようなものでなくとも130km射程の弾薬があり、遠くない将来に499kmまで延伸するのに。

 防衛というものを真剣に、これは単に軍備反対でも、政府万歳でもなく、その内容を見てゆかなければ、とんでもないことになる。それが使える装備ならばともかく、本当に大丈夫か、相手が核で威嚇した場合にその本土へ通常弾頭ミサイルを大量に撃ち込めるのかと。

 第7師団創設記念行事、この写真を紹介したのは2011年、東日本大震災を受け行事予定が半年近く延期された際の写真です。しかしそのあとの安全保障政策は、2021年まではまともでしたが、この一年強の期間は何か方向性を見誤っているよう、おもうのですね。

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【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(25)90式戦車と懐かしい第1戦車群戦車との写真(2011-10-09)

2023-01-22 20:08:35 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■90式戦車本州配備の必要
 今週は諸般事情からいつもの半分の写真12枚記事でお送りしますが第7師団と懐かしい第1戦車群の戦車の並びから。

 90式戦車の用途廃止がいよいよ始まるという、いやしかしこの話を聞きまして思うのは順番が違うのではないか、という事です、未だ本州には第10戦車大隊や第9戦車大隊に第13戦車中隊など、74式戦車が残っています。これもあと二年三年で全廃ではあるのだが。

 74式戦車、廃止する90式戦車を短期間でも管理替えするという選択肢はないのか。もちろん本州の橋梁の強度は、というような反論が出てくるという事は理解しているのですが、しかし、動ける74式戦車でも現代の戦車戦闘に対応できる性能があるのか、と懸念する。

 平成初期の90式戦車も、エンジンや変速機駆動系をそのままとしているものなどはもう1500hpの出力を発揮出来ない、という声は聴いているのですか、そんなものは74式戦車の方が古いぶん顕著です、それならば短期間でも90式戦車に切替える選択肢があります。

 日本の場合は用途廃止の護衛艦などは海上自衛隊の備品ではなく財務省管理の国有財産となるため簡単にさわる事は出来ない、これは数年前に護衛艦の自衛艦旗返納行事に際しまして教え頂いたおはなしです。つまるところ廃止されている装備、活用できない背景だ。

 FH-70榴弾砲の廃止がどんどんと進んでいますが、これなどは保管しておけば砲架部分などは転用できる装備がありますし、なにより有事の際に世界中から新装備を割高に何種類も買い集めなくて済むという予備の装備品となります、が維持補完せず解体しています。

 MLRSなどは2000年代に納入されたものを含め解体している、退役させた装備を一時保管するのではなく税金で解体できる業者を募り、これも調達当時は20億円もした装備であり、1980年代に調達されたFH-70と違いまだまだ使えるものを税金で解体している状況です。

 2029年までにMLRSは全廃される方針ですが、90式戦車もこれに続く状況、それでもMLRSなどは射程500kmの新砲弾が開発されています、それもATACMSのような大型のものではなく12発を装填できる小型のものが射程を延伸させており、用途はじつにひろい。

 旧式化とか陳腐化といいますが、M-26ロケット弾の後継として自衛隊が導入したM-31ロケット弾、いわゆるGMLRSはウクライナでロシア軍へ猛威を振るっている、特に変な国産装備ではなくアメリカと共通装備である為、有事の際に緊急弾薬供与も期待できるのだ。

 島嶼部防衛用極超音速滑空弾、防衛省は離島防衛のための新装備を2個大隊導入する計画ですので、MLRSはこれに置換えるという構想なのでしょう。しかし、いまのM-31ロケット弾では届かなくとも新型ロケット弾を装填したMLRSならば射程は充分確保できる。

 防衛費増額に反対が多いのですが、例えば74式戦車をそのまま解体せずに戦闘工兵車両に改造するとか、航空自衛隊が廃止したVADS高射機関砲を搭載して、いま新技術で10年以内に配備させると政府が計画する対無人機用装備に充てれば、安価に二年程度で完成する。

 老朽戦車も解体するのではなく、例えば90式戦車も重量に足回りが堪えられないのであれば、戦車として廃止した上で90式戦車の上に軽量な16式機動戦闘車の砲塔を載せて偵察戦闘大隊の偵察警戒車や偵察戦闘車として運用するならば、これは充分な性能になります。

 防衛費の問題、今のままでは不充分という認識はあります、しかし、防衛費を増やすからと云って使える装備を管理として任された財務省が保管して後で自衛隊に差し戻すならば兎も角、更に税金を掛けて解体するとは、財務省の税金の無駄遣いにしか思えないのです。

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【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(24)訓練展示状況終了と89式装甲戦闘車撤収開始(2011-10-09)

2023-01-08 20:07:45 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■機甲師団二〇一一
 年が明け第一空挺団が落下傘降下を行う頃合いですが平常運転と云いますか北大路機関は第7師団創設56周年記念行事のつづき。

 2023年も日曜特集をよろしくお願い致します。と、美しく始めたいところですが、なにしろ日曜特集というのは防衛情報などの記事が既存写真からの応用を行いますので、その為の写真アーカイブという意味合いがあるのですが、その為の掲載写真を多めにしている。

 24枚の写真で日曜特集を掲載しているのですが、これをなんとか36枚記事にできないかと考えてみたものの、その解説文章の文量は4200文字にもなり、これを毎週つづけるのは他の記事に影響が生じる為、結果的に掲載が長期化、これはなんとかせねばなりませんよね。

 第七師団特集は前回の2022年記事の続きです、共通装軌車両について論点を示していました。さてアメリカがM-113装甲車の後継に、つまり自走迫撃砲や指揮通信車や工兵機動用などにいまもM-113を残しているのですが、この後継にM-2ブラッドレイ派生型をだした。

 M-2ブラッドレイ砲塔を取り外したものを共通車両として採用しましたので、自衛隊の共通装軌車両というものはこの点で贅沢な使い方はできるのかもしれませんが、自走榴弾砲の機動力という点では不安が残ります。一方で自衛隊の場合は新型が開発されました。

 19式装輪自走砲、まだ展開が読めないのは今後装輪自走砲が世界でどのように展開するか未知数だ、ということです。ウクライナへのロシア軍侵攻に際していろいろ不確定要素が増えた、フランスのカエサル装輪自走榴弾砲が大活躍と報じられていますが、しかし。

 カエサル、これはウクライナ軍がフランスへの謝意を含めた表現と考えるべきかもしれません、こういうのも、活躍をウクライナ軍が発表するとフランスはネクスター社のカエサルへの評価が高まる、もちろん素晴らしい性能を有している事は確かなのですけれども。

 これは義侠心といいますか国際儀礼、無償で最新鋭火砲を供与してくれましたフランスへの礼儀といえるでしょう、同じことはM-777榴弾砲にも当てはまる、そしてカエサルは52口径砲であり射程はロシア軍火砲を圧倒しているので、高い評価も間違いではないのです。

 供与数としてはM-777のほうが遙かに供与数が多い。ここで装輪自走砲に高い評価というのは早計に思えるのです、さらにイタリアが供与したFH-70榴弾砲の活躍も、今回改めて思い知らされたのはソ連崩壊でロシア軍火砲の近代化が長期間止まりました影響という。

 FH-70榴弾砲のような39口径155mm榴弾砲にさえ対抗できるほど更新が進んでいなかった状況です、故に19式装輪自走榴弾砲の方向性は間違っていないにしても最適回答かは留意すべき、と。K-9自走榴弾砲、欧州ではノルウェーもポーランドも採用しトルコも続く。

 イギリスが検討していますし環太平洋地域ではオーストラリアが採用しているのですね。カエサルよりも実質的にK-9のほうが評価を高くする必要を感じるのです。実際、生産数はカエサルよりもK-9のほうが遙かに、比喩ではない程でして十倍以上量産されています。

 K-9自走砲は1000hpエンジンを搭載し機動力が凄い評価と云えるでしょう、K-1A1戦車に充分随伴できる。この点は600hpに留めた99式自走榴弾砲、後方に展開するという運用は古いように思え、90式戦車とともに道央から道北まで前進できる性能が必要でした。

 K-9自走榴弾砲はインド軍はヒマラヤ地域で自在に機動できたことに感激しK-9から軽戦車を開発したいとしてロシアのスプルート空挺対戦車自走砲のライセンス生産計画を白紙撤回しようとしていますし、エジプトでは地中海での接近拒否運用に際して、高い力が。

 K-9自走砲は半自動装填装置の採用と陣地変換能力の高さから、海上目標に唯一砲弾を当てられた、カエサルには不可能であった、この能力が評価されています。99式自走榴弾砲については後継車両を考える場合、こうした留意も必要でしょう。そろそろその時機です。

 ただ、砲の射程をさらに延伸できる場合は話は違ってくるかもしれません、ドイツは60口径の超長砲身火砲を装輪自走砲として開発します、ここまで砲身が長いとPzH-2000自走榴弾砲には載せられないのですが、MAN-HX-3トラックという巨大な車両を用いています。

 PzH-2000を輸送する輸送車であればなにしろPzH-2000そのものが載るのだからPzH-2000の砲塔に載せられない巨大なものも載せられるという、まあ、それしかないけれどもほんどうにやるとは的な選択肢をとりました、これは射程が100kmを越えるとされる。

 100kmの射程は凄い、今津駐屯地に配備した場合は兵庫県にも石川県にも届く、名寄駐屯地から稚内へは流石に届きませんが音威子府に配備すると利尻島全域と礼文島を射程内とする、別海駐屯地に配備すると択捉にはぎりぎり届かないが国後は全域を射程内に収める。

 この火砲ならば、ロシア海軍のオホーツク海への進出をミサイルでなく火砲で制圧さえ可能となる、いまの40kmや50kmとは根本から別世界なのですね。100kmの射程というと中国のWZ-35砲弾輸出用が155mm砲弾として達成しましたが、こちらは興味深い。

 WZ-35,ただ調べますとこれは砲弾に折り畳み式の主翼がついているというよくわからない砲弾でして、人民解放軍には採用されていない、主翼なんてやはり100km射程は無理なのかと思わせられたところですが、現実をみれば中国には無理でしたが、ドイツはどうか。

 ラインメタルの技術と今のドイツ軍装備、しかし評価が困るのです。ドイツの60口径砲は十分実用的な範囲といい、さすがパリ砲を開発したドイツだけのことはある、唸らされました。パリ砲は射程130kmで第一次大戦中にパリに着弾する巨大な威力を発揮しましたが。

 パリ砲はただ自走砲ではなかった、当然ですが。もし19式自走榴弾砲が、いまの道路運送車両法の特殊大型車両となる大型化を呑む改良を行い、60口径砲を搭載する改良型を開発するならば、もちろん特殊大型車両になるのことを忌避して三菱の国産車体を諦めている。

 19式装輪自走榴弾砲、MAN社のトラックを採用したのですが、2型のようなかたちで60口径砲型を開発するならば、これはもう駐屯地や演習場から動くことなく、多少反撃を想定した陣地変換は必要でしょうが、日本全土を射程に収め防衛することも可能でしょう。

 もっとも、データリンク能力を相当高めなければ、100km遠方からの火力支援に依拠して近接戦闘を展開することは難しく、するとAMOS自走迫撃砲のような120mm自走迫撃砲による直掩を火砲とは別に考えなければならないように変な発展可能性も否定できません。

 道路運送車両法、他方で19式装輪自走榴弾砲がMAN社製トラックを採用した背景にはFH-70と中砲牽引車のように道路運送車両法に収めることで訓練展開を容易とする目的が在ったよう思えるのですが、一方で自衛隊は後に特殊大型車両パトリアAMVを採用した。

 日本の道路法制と手続きの通行許可の煩雑性から自衛隊車両は道路運送車両法に縛られてきたのですが、近年16式機動戦闘車を鏑矢に特殊大型車両の普段使いというべき運用が増えていまして、この当たりも日本の装備体系にどう影響するか、興味深い所ではとおもう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(23)機甲師団戦力一端示す訓練展示は突破で状況終了(2011-10-09)

2022-12-18 20:02:53 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■前進よーい!前へッ!
 戦車の全力の突進と云うのはなかなか本州の駐屯地ではこの広さが無い為に限られた式典会場では見られないところですが、北海道では毎回のように機械化部隊の威力を見直すものです。

 第7師団の訓練展示、いよいよ90式戦車が一斉に突入し当面の敵を撃破するべく進んでゆきます、考えてみればこの当時の自衛隊は防衛大綱の戦車定数が600両、冷戦時代の1200両からはそうとう減ったという印象ながら、こうした分りやすい防衛力を整備していた。

 防衛力を再編する、これも財政再建と共に様々な分野へ防衛力整備が求められる時代には必要性は理解できるのですが、将来の予算効率化の為には思い切った投資が必要となります。ただ、投資を認められない事で効率化を進められない、こうした状況が有る様おもう。

 現代の師団は担当範囲が広い、自由自在に動くことでこの範囲で優位を握るという。デジタル重師団の発想は一種いきすぐ多発想、認識先行なのかという疑義は2003年のイラク戦争において第3歩兵師団、名称は歩兵師団ですが重師団編成、20年近く前の話ですが。

 第3歩兵師団のイラク戦争、この威力で考えを改めさせられました。いや、NATOはこの転換に素早く追随する、1990年代にNATOの多くの国々は師団編成を旅団編成へコンパクト化させたのですが、これでは対応できないとして大型師団への転換を開始するのですね。

 旅団の時代、こう思われていたのですがイラク戦争で大型師団の威力が確認された、すると2010年代にNATOは複数の旅団を隷下に持つ数万の人員を有する師団へ改編している。NATOで評価すべきは冷戦時代に装甲戦闘車のような装備を冷戦後に増やした事です。

 マルダーとウォリアー、イギリスが1980年代中期に導入しましたが、1960年代から装備を進めたドイツ連邦軍を例外として、概ねM-113装甲車のような機動力も火力も想定していない箱型の装甲車で妥協していた点です、あのような箱型の装甲車も有用なのですが。

 フランスのAMX-10Pはどうかと反論があるのかもしれませんがあれは機動力の面からも装甲戦闘車ではなく装甲車に小口径機関砲を載せたといういわばM-113に機関砲を載せたAIFVに近いもの、マルダー装甲戦闘車のような戦車に随伴できるものは例外的といえた。

 これが冷戦後、一気にスウェーデン製CV-90装甲戦闘車やスペインオーストリア共同開発のASCODウラン/ピサロ、イタリアはダルドとフレシア、フランスはVBCIと一気に装甲戦闘車の流れが進んだのですね。人命第一という訳なのでしょうが、強力な装備という。

 装輪装甲車も従来は装甲トラックの延長線上のような扱いから、大口径機関砲にさえ耐える重い車両に転換していまして、ドイツのボクサー装輪装甲車は720hp、フランスのVBCIも550hpという、まあM-113装甲車の300hpとは比較にならぬエンジンを搭載している。

 機動力の概念が一段進んだ、ということなのでしょうね。これは過去の歴史、そう戦艦の歴史と名に遭重なるようなものを感じるのです、海軍休日のあとの戦艦の歴史に似ている、減らしたのは冷戦後の平和の配当かワシントン海軍軍縮条約かという違いはあるのですが。

 冷戦後とワシントン海軍軍縮条約五、戦車が減った点と戦艦が減った後、いわゆる高速戦艦以外の戦艦はポストワシントン条約時代には列国、つまり条約対象国ではぼぼ消えました、例外は戦艦ニューヨークくらいでしょうか、30.5cm砲を搭載していた古い戦艦です。

 条約前には最高速力が15ノット前後の戦艦も多数あったのですが、逆に20ノット以上を発揮する高速戦艦が新戦艦の時代にあっては低速戦艦に区分されるようになっています、また、主流であった12インチ主砲の戦艦も一気に淘汰され、新時代を迎えたという構図だ。

 これからみると日本の装甲車は当時海防戦艦などを運用していた時代のものを見返るような、そんな構図に近い、こうした認識が必要なのかもしれません。99式自走榴弾砲の話に戻しますと、装甲戦闘車から重い自走榴弾砲を開発するよりは逆の発想で装備が必要だ。

 戦車に随伴できる自走榴弾砲を先に開発し、その巨大な155mm砲塔を50mm機関砲塔に、いや40mmでも35mmでもいいのですが置き換える、車体構造が自走榴弾砲と装甲戦闘車の共通性を認識した設計ですので、こうした逆転の手法が必要でないか、とおもう。

 戦車に随伴できる自走砲を装甲戦闘車に転用するならば戦車を凌駕する機動力を発揮できる。ただ、予算的に難しいならばフランスのVBCIのように、もう不整地をあきらめる、諦めるとはいかないまでも不整地で随伴できない距離は装輪装甲車として運用を工夫する。

 装輪装甲車は不整地で随伴できなくとも路上で高速を発揮する、戦車と一時的に離隔が生じるのは致し方ないが追いつけないよりはましだろう、こう妥協するところでしょうか。三菱の機動装甲車は性能面でなんとかVBCIの水準にあります、そしてこれ興味深い点が。

 装甲機動砲から装甲車を生むという点で、イタリアのチェンタウロ戦車駆逐車と共通点を見いだすことができるかもしれません、105mm砲を搭載した装輪戦車と当時呼ばれたものですが、1992年ソマリアPKOでは武装勢力がT-55戦車などを装備していた際注目された。

 イタリア軍がチェンタウロを派遣した、そしてあの105mm砲は喧嘩を売ってはいけない感じを醸せたことで、逆に比較的軽装に見えたアメリカ軍が喧嘩を売られることとなった。これはアメリカ軍の威光が通じなかったことで有名ですが、イタリアは別の位置にあった。

 ソマリア、なにしろ当時に国連の政治局にいらした方のお話を聞きますと、ソマリアでは国連の威光もなにもなく、国連が壴率とかいう理念ではなく逆に国際連合を知らない、UNマーク中心に近い方に当てた方が勝ちと逆に国連マークをみると発砲する馬鹿がいたほど。

 軍人でも自衛官でもないのに戦闘をかいくぐった経験をお聞かせ頂いたことがあります、そんな凄い人を教授にしていたあの大学は凄いや。閑話休題、チェンタウロはその車体設計から後部を兵員輸送室に転用できるとしてフレシア装甲戦闘車が開発されているのです。

 もっとも、フレシアの試作車が手狭であるとして車体を一部拡張しまして、この大きい車体ならば120mm砲が搭載できるぞと、チェンタウロ2が開発されているのですが。予算がないのならば数をそろえることを第一に機動装甲車に機関砲を搭載したもので代用する。

 パトリアAMVが次期装甲車として採用されましたがそれでもそうとう予算が必要で覚悟は必要だが、覚悟できないならば自衛隊の人数を増やすしかない、消防団のように善意とやりがいの強制を突きつける選択肢も考える必要があるが、これはもう近代国家ではない。

 99式自走榴弾砲の後継車両から89式装甲戦闘車の後継車両を開発することができれば、特科火砲定数と必要な装甲戦闘車の数を考えれば1000両程度の量産が可能となります、量産効果と整備補給の共通化、という部分も可能でしょう。そしてもう一つ、別の装備も要る。

 砲側弾薬車は現在73式牽引車の派生型としていますが、これも機動力が低い、やはりこちらも車体を車体の取得費用が高くなるのは受け入れて、共通車体を考えるべきだとは思う、現実をみれば後継となります共通装軌車両は、防御をかなり抑えている、費用とともにね。

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【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(22)戦車前進!90式戦車と89式装甲戦闘車の協同(2011-10-09)

2022-12-04 20:22:35 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■90式戦車の迫力と共に
 90式戦車はもう少し短期間で生産していれば既存車輛の稼働車輛と長期改修中のと分けられたのですがと思いつつ、前回の装甲戦闘車の話題の続きを。

 数十mまで寄せなければ装甲戦闘車は、下車戦闘を行いません、自衛隊の運用はなにしろ装甲戦闘車が68両しかありませんので普及していないのかもしれませんが、基本は下車戦闘が最後の数十mまで、装甲戦闘車は機関砲3P弾のような散弾で敵陣地を制圧しつつ。

 下車戦闘の距離が長ければそれだけ火箭に普通科隊員を曝す事になる、接近し、下車戦闘は陣地の目の前、場合によっては陣地に突っ込んで後に下車させるため、掃討は数分、制圧後にはそのまま乗車する、敵陣地を制圧して部隊旗を掲げて万歳する時間はありません。

 時間は敵に有利を与える、特に専守防衛では相手に次の陣地や機動の時間を許すだけですので無意味どころか危険、こうして当面の敵を撃破してもそのまま次の状況に進むのが装甲戦闘車の戦闘です、普通科隊員も下車戦闘が最小限の時間であれば疲労も少ないのです。

 最小限度の時間であればもちろん損耗も。戦車を防衛省は300両まで削減するのだから、装甲戦闘車を600両、これでも控えめですが充足する必要はあると思う、これができないならば戦車を1000両に戻して旧態依然という古い戦闘に回帰してゆくしかなくなります。

 運動戦よりは内陸誘致戦略という、国土は焦土となりますが、敵に出血を強要する機動力とはあまり関係のない戦闘ドクトリンしか、ほかに選択肢がなくなるのですから。日本は国土が狭いのだからそうした機動戦は無い、こう思われる方もいるのかもしれませんが。

 撤退戦も考えなければなりません、機動、マニューバとは本来、不利で在れば一旦引いて迂回機動をおこなうことで逆に包囲するような、自由自在なものなのですから。一旦後退するにも、普通科の機動力が低ければ戦車だけ後退する事もできません。随伴できない。

 友軍を置いて逃げるわけにはいかない、という様な義理人情もあるのかもしれませんが、それ以前に次の包囲機動を普通科無しで行うことになるのだから。そしてこの認識は、特科部隊にも施設科部隊にも当てはまります。特に自走榴弾砲の機動力も問題ではないか。

 自走榴弾砲、まず肝要なのはいまの99式自走榴弾砲と89式装甲戦闘車の関係を見直すというか、99式自走榴弾砲を戦車の機動力に随伴できる水準に高める点でしょうか、具体的には99式自走榴弾砲は89式装甲戦闘車の共通車体、設計を応用して開発された点です。

 99式自走榴弾砲のほうが89式装甲戦闘車よりも重いのですから、89式装甲戦闘車のエンジンなどと共通化するならば機動力が低下するのは在る意味当然といえます、89式装甲戦闘車は26tで、これも現代では軽すぎるが当時では重装甲だった、そしてこの派生装備だ。

 99式自走榴弾砲は40tです。特科火砲は後方から全般支援するのだからそれほどの機動力は必要ない、この認識なのですが2000年代から転換点を迎えているといえる、それは自走火砲も戦車とともに前進しなければならないように、現代の戦場は広くなったのです。

 マニューバの範囲が戦術的に大きくなったのですね、この動きは好むと好まざると一例として無人航空機の増大が改革を促しています、従来のせまい戦域であれば簡易な無人航空機により情報優位の余地が狭くなる、戦場が狭ければ安価な無人航空機に接近される。

 間合いをつめられてしまうのですが、その行動圏外を大きく分散し迂回し、包囲機動を行い、攻撃の瞬間に戦力を集中する、このために例えばアメリカのデジタル重師団などは2000年代に既に師団の戦闘責任範囲を300km四方としています、機動力が肝要なのですね。

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