十一月三日は例年晴天の日が多く、埼玉県入間市に所在する航空自衛隊入間基地では例年この日に航空祭が開催されている。
入間基地は朝鮮戦争において米空軍の訓練拠点としての地位を有し、今日では航空自衛隊の中部日本防空の拠点として、また資材補給の拠点として、そして救難航空や輸送の位置だし拠点としての地位を有している。
また、府中基地に所在する航空総隊(要撃作戦・航空阻止戦闘・対艦戦闘などを所管する航空自衛隊戦闘部隊の最上級司令部)隷下の総隊司令部飛行隊も府中基地が航空運用施設を有しないことからこの入間基地に所在している。
そのほかの所在部隊に関しては添付写真にある通りだが、かつては航空自衛隊の戦闘機部隊も所在し、第七航空団が現在の百里基地に移転し、現在にいたる。
入間基地は西武線やJR線にも隣接しており、西武新宿駅から急行電車で40分という立地にあるため、20~30万人という毎年多くの観客が訪れる事で有名だ。
事実この駅は航空基地の敷地内にあるが、かつて米軍管理時代、満員電車に対し発狂した米兵が発砲し、死者が出るという痛ましい事件も起きた。今日では多くの観客が鉄道事故に遭わぬよう、航空自衛隊・西武電鉄職員・埼玉県警が一致協力し、安全保安任務に当たっていた。
輸送とは後方支援業務の中核たるものの一つであり、弾薬・燃料・予備部品・武器・装備品といった重要機材を適材適所に展開させる事で初めて戦闘を継続可能となる。また、重要部品の欠落が即航空作戦に支障を来たす現代戦にあって、その必要性は高まるばかりである。
なお、入間基地航空祭の名物はC-1輸送機の編隊飛行である。
航空輸送の拠点たる入間基地には第二輸送航空隊が展開しており、隷下にC-1輸送機を運用する第402飛行隊が配置されている。また、航空自衛隊の輸送機部隊としては、C-130Hを運用する小牧の第一輸送航空隊と、C-1を運用する入間の第二輸送航空隊、美保の第三輸送航空隊があり、C-130H×16、C-1×27が運用されている。
C-1輸送機は戦後初の国産戦術輸送機で、川崎重工が主契約企業となり1966年より開発開始、開発には他に三菱重工・石川島播磨重工が参加し、エンジンはプラットアンドホイットニー社製JT-8-D9が用いられている。
部隊配備は1973年より開始され、短距離離着陸性能に優れている。また、主脚車輪が8箇所あるため不整地での運用能力も優れているとされる。
加えて特筆すべきはその運動性能で、C-1輸送機は輸送機としては破格の運動性能を有しており、米空軍のC-123戦術輸送機の後継として候補に挙げられた点がある。結果的には、武器輸出三原則の関係で輸出は相成らなかったが、ボーイング737型機とほぼ同等の機体規模を有する国産輸送機を開発しえたことはわが国航空産業においても燦然と輝くものであった。
また、C-1は輸送機だけに留まらず様々な面で運用されており、C-Xエンジン実験や、岐阜県の“かがみがはら航空宇宙博物館”に展示されている短距離離着陸・低騒音実証機『飛鳥』は、C-1輸送機から改造されており、実に400㍍という短距離での離着陸が実現し、この他にはEC-1電子戦訓練支援機、レーダー機材などの実験母機としても用いられている。
しかしながら、欠点も散見される。
致命的なのは社会党による国会論戦において航続距離が1500kmと妥協され、1972年の沖縄返還後は航続距離不足著しく、またペイロートが8000kgという少なさも問題となっているが(6500kgまで減らせば2200km飛行可能)、格納庫の狭さも問題である。73式大型トラック(5tトラック)の容積(7.7㍍×2.5㍍×3.0㍍)の容積にガソリンを詰めれば44㌧となる。米空軍のC-141輸送機はエンジンを換装せず胴体のみを延長している。航空機エンジンや緊急車輌といった資材は重量の割りにカサが大きく、C-1輸送機もペイロートはともかく、格納容量は何とかならなかったか、悔やまれるところだ。
さて、航空祭はオープニングフライトとしてのC-1やT-400の機動飛行に続き、空挺降下の展示が行われた。
降下するのは千葉県習志野市に駐屯する第一空挺団で、昨年度、普通科群を三個大隊編成に移行し、その装備や人員を実戦に即し近代化した部隊である。市街地に隣接する航空基地であるだけに、降下には高い練度が必要とされるが、無事全員降下を終了した。
空挺降下に続き、救難展示が行われた。航空救難団が置かれる入間基地において行われた展示であるが、このUH-60Jは慣性航法装置・気象レーダー・赤外線暗視装置を有し、CSAR(戦闘捜索救難任務)は昼夜を分かたず出動要請が出される可能性があり、こうした優れた装備により夜間においても救難活動を展開可能である。
なお、航空救難団には後述する輸送ヘリコプターも配備されている。
続いて、総隊司令部飛行隊隷下のT-4練習機が飛行展示を行った。四機のT-4は練習機ならではの機動性を展示し、機動飛行には多くの観衆が拍手や歓声でこたえていた。同飛行隊は司令部要員の物量輸送に加え、航空機搭乗員としての技量維持に用いられる部隊で、また、かつて使用されていたT-33練習機も滑走路脇に配置されていた。
着陸したC-1輸送機の背景に前述のT-33練習機が見える。確認できるだけで四機。恐らく米軍から供与された機体であるが、旧式機の返還を断られ、しかし供与の機体を一存で処分する事が出来ず、行き場を失った機体ではないだろうか、こうした装備品は聞いた話では陸上自衛隊宇治駐屯地や海上自衛隊呉基地にも存在し、もしかしたら相当数の行き場を失った装備がひっそりと余生を送っているのかもしれない。こうした装備を整備し、今一度展示などに用いる事は出来ないのだろうか。
自由自在な機動飛行を展示するT-4。
上空からこの大勢の観衆はどのように見えるのだろうか。
なお、入間基地航空祭は大勢の観客が訪れるだけに、模擬店の競争も凄まじく、従来のヤキソバ・ラーメン・フランクフルト・綿菓子に留まらず、インド風本格カレー、本格クレープそして宇宙食までもの膨大な模擬店が軒を連ね、私事ながらグレープクリームクレープは大変美味であった事を特筆したい。また、屋台の装飾も小牧や岐阜に比して大変凝ったもので、さすが首都圏!と唸らせるモノがあった。
続いて、飛行展示を行うCH-47J大型ヘリコプター。航空救難団隷下にあり、レーダーサイトや離島への輸送支援を任務とし、各航空方面隊に4機程度が配置されている。陸上自衛隊のCH-47JAとは異なる航空自衛隊独自の迷彩が施されている点に注意。
続いて二機目のCH-47Jが離陸する。
なお、ブルーインパルスの機体越に撮影したが、入間基地の広さの一端がうかがえる写真である。なお、写真には写っていないが、後方には着陸したC-1の列機があり、補給処が存在する本基地は、有事の際には多くの輸送機を収容し補給物資を配給する充分な余裕を有する。
二機目のCH-47Jは、73式大型トラックを吊下していた。なお、CH047Jは機内に8tを搭載できるが、機外にも最大で10tの搭載が可能とされる。航空自衛隊も基地警備用に軽装甲機動車の導入を進めており、近く軽装甲機動車の輸送展示が行われるかもしれない。
しかし、どうでもいいことだがこのトラック、やけにボコボコになっているのは何故だろうか。
飛行展示が一段落つき、ブルーインパルスの飛行展示までにしばし地上展示機を回るが、余りにも多い観客とレジャーシートの大海原に一進一退の苦戦を強いられている中で目に留まったのがAH-1S対戦車ヘリである。同型機が小松基地航空祭と同日、相浦駐屯地において訓練展示中に事故を起こし、飛行が制限されていたが今回は展示に連なって展示されていた。
また、背景にC-1輸送機三機が写っているのが入間らしい写真である。
今年一杯で廃止となるF-1支援戦闘機とF-4EJ改支援戦闘機の写真。この他にはF-1支援戦闘機一機が操縦席などを展示しており、700㍍近い長蛇の列が出来ており、国産初の最後に超音速戦闘機に多くの列を成し、興味深く見入っていた。
地上展示機の一例。この後方にも展示機が並んでいるが、海上が扇形であり全てを一枚に写すには空撮しかないほどの規模であった。
また、写真後方にはC-1輸送機が写っているが、機内展示は一時間待ちというほどの規模であり、あたかも愛知万博を髣髴とさせるものであった。エプロン地区はとにかく広く、後日展開した岐阜基地航空祭と比較するとその広さには目を見張るものがあったが、昨年は雨天にもかかわらず18万名が来場したとあり、驚くばかりである。
さて、飛行展示の最後を飾ったのはブルーインパルスの飛行展示である。
ブルーインパルスは、宮城県松島基地に所在し、正式名称を第四航空団第11飛行隊といい、発足は昭和35年まで遡る事が出来る。詳しくは、小松基地航空祭においてブルーインパルスの飛行展示は既に掲載され、過去に本ブログにも掲載されている為省略したいたい。
本年は、ブルーインパルスがT-4練習機に機種転換してから10周年にあたり、その技量にはますます磨きがかけられている。先代のT-2が超音速練習機であったのに対して、本機は亜音速機であるが、旋回性能などでは著しい進歩があり、きめ細かい飛行展示を可能としている。
編隊背面飛行を展示するブルーインパルス。
小松基地航空祭の記事では『ブルーインパルスを制すもの 航空祭を制す』と記述したが、展示種目が極めるところを全て極めマンネリ化が叫ばれる中で、やはり多くの観客を魅了する飛行展示であることには代わりが無い。飛行展示が始まると多くの観客がエプロンに殺到し、会場は熱気と歓声に包まれた。
しかし、しかし、である。これは観客が入りすぎではないの?とも言いたくなってくる。
写真中央にスモークを引きつつブルーが会場上空に進入してくる様子が撮影されているが、多くの読者の皆さんはこの通勤電車並の人出に驚かれるのではないか?また、倒れる脚立や撮影位置を巡っての殴り合いも散見され、レジャーシートがエプロンを占領する始末。脚立は使用するのは自由だが、極力迷惑を掛けないように、そしてレジャーシートも極力会場後方に位置するなど、最低限のモラルは守ってもらいたいものである。また、日傘を差しているご婦人に罵声を上げる若者もいたが、育ちが分るような行為は慎むべきではないだろうか。
これは伏見稲荷か熱田神宮か?というような写真である。
無論、伊勢神宮でも明治神宮でもない、ブルーインパルス終了と同時に駅に向かい民族の大移動が始まる。しかし、立ち入り禁止区域を示すテープを引きちぎるなどのモラルの悪さが目立った。
航空祭は皆のものだ!というのは使い古されたフレーズかもしれないが改めて考えさせられるものである。催事とはいえ、防衛の第一線にある航空基地である事を忘れてはならない。心当たりのある方が若し居られたらば逮捕者が出る前に、自身を悔い改めて貰いたいと思った。
一部の中の本当に一部の人が行った事で、一眼レフを持ったカメラマンが白眼視されることが実情であるのだから。
さてさて、入間基地のもうひとつの売りは保存機である。
C-46輸送機、T-33練習機、F-86昼間戦闘機、F-104J要撃機、T-34練習機が静かに余生を送っており、他にナイキミサイルとレーダーも展示されていた。
友人と展開した入間基地であるが、概ね楽しく過ごす事が出来た。しかし、唯一の失敗は、バイバイフライトの時間を読み違え、西武新宿行き急行の車内から滑走路を離陸するブルーを見送った事だ。
皆さんも、極力人出が抑えられている時間帯であれば楽しめるので、一度展開を検討されては如何だろうか?人ごみの中で、一味変わった楽しい思い出となるはずだ。
HARUNA