北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

京都清水寺秋の夜間特別拝観写真 短報

2005-11-30 23:32:13 | 写真
 京都の清水寺は毎年、紅葉シーズンに夜間特別拝観を実施しており、その美しい紅葉と夜景は観光客に大変好評である。
IMG_5411 今回は、先週木曜日に展開した際の写真を何枚か提示したい。
 夜間撮影は露出やカメラの固定がアングル以上に困難であり、シャッター速度を1/4にまで落としても鮮明な写真が撮影できなかった為、今回は初めての試みとして露出を3.5に絞り、カメラを固定した後に長時間露光により撮影を行った。
 リモートシャッターの準備が無かった為、セルフタイマーを用いて撮影した。
IMG_5398 付近からは、通常型のコンパクトカメラや携帯電話のカメラにて撮影を試みる人が多かったが、中々鮮明な写真が撮れにくかったようである。可能な限り、撮影方法について尋ねられた小生は写真撮影方法を教授したが、コンパクトデジカメはともかく、やはり携帯電話のカメラでは何ともならないようであった。
 京都市内を一望できる清水寺は夜間特別拝観の際にはサーチライトを点灯し、京都市内に向けその位置を明確に示している。これにより、京都駅からはもちろんの事、鴨川をわたる五条大橋付近からもその存在を知る事が出来る。写真を見ると、130万都市、そして千年の都京都の夜景と合わせ楽しむ事が出来る。
IMG_5381 東山、とよばれる清水寺周辺には、円山公園や法観寺八坂塔といった歴史的建造物や史跡、市民の憩いの場が集まっている。
 また、本日も三脚を準備し再度清水寺に展開した、これに関しても近く、詳報としてお送りしたい、お楽しみに。なお、今年度の夜間特別拝観は12月10日までである。

 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の国力に見合った国際貢献とは何か

2005-11-25 11:14:26 | 国際・政治
 先日のパキスタン大地震では航空自衛隊の輸送機に陸上自衛隊の多用途ヘリを搭載しての初の海外派遣が行われたが、昨年のスマトラ島沖津波災害など、近年自衛隊による人道支援や国際貢献任務が増加しており、特にスマトラ島津波災害への緊急人道支援では陸海空自衛隊の派遣隊員は支援要員を含め2500名という規模に至っている。
 IMG_3643 陸上自衛隊の連隊戦闘団が2000名、海上自衛隊の護衛隊群で1600名程度、航空自衛隊の航空団で1600名であるから、これは如何に大きな規模かが想像できよう。
 これは2004年8月30日のアメリカ共和党新政策綱領に記された十項目の内の第四項:日米同盟はアジアの平和や繁栄の基礎である、第五項:日本が地域や世界において指導的役割を創出する事に期待する、というアメリカからの強い期待への反映であるといっても過言ではない。
FH040035 しかしながら、最新のジェーン年鑑における日本に関する記述では、スマトラ島沖大地震への日本の人道派遣についての記述では『小部隊を派遣した』という記述に留まっているという事だ。
 海上自衛隊としては地震発生当日にインド洋対テロ派遣任務から日本本土へ帰投中の護衛艦二隻を即日投入し、日を置いて陸上自衛隊の派遣に満載排水量14000㌧の『おおすみ』型輸送艦『しもきた』を展開させている。だが、確かに、『おおすみ』型において輸送可能な人員は330名(完全武装の場合。なお、邦人救出任務のような短期間であれば1000名が輸送可能であるし、詰め込めばもっと可能であろう)であるから、これに加えて輸送機にて展開した人員を挙げたとしてもC-130Hは人員であれば搭載量はボーイング737型にも及ばない。
IMG_2858 しかしながら、専守防衛を国是とする日本の展開能力に関しては限界がある。また、航続距離が少しでも長ければ社会党によって侵略用だと短縮を強いられ、搭載量が多ければ同じく社会党に反対され、空中給油の受油装置すらも国税によって完成品から取り外す事を余儀なくされている。
 これによって、現在国際貢献に転用可能な輸送機は小牧のC-130Hが15機、これだけである。他にC-1輸送機が27機あるが、高い飛行性能とSTOL(短距離離着陸性能)を有しながらも残念ながら航続距離と搭載量に致命的な問題があり、6.6tまで搭載量を減らして辛うじて2200kmが飛行できるに過ぎない為、例えば行き先の空港上空が悪天候であった場合行き先を変更することが航続距離の関係から出来ない、格納庫の大きさに限度があるため医療設備や車輌(73式中型トラックまでならば搭載可能)の搭載に限度があるという事があって、海外派遣には適さない。
IMG_4408 現在開発中の新型輸送機(C-X)に関しては、26㌧を搭載し6500kmを飛行する事が可能であるが、初飛行が来年度であり、実用化にはいま少しの時間が掛かるという事が挙げられる。
 また、海上自衛隊の『おおすみ』型輸送艦3隻を除けば他の輸送艦は満載排水量710㌧の『ゆら』型2隻だけであり、ローテーションを考えれば一隻を即応、一隻を待機、一隻がドック入という体制が限度である。民間の貨客船を大型輸送艦に改装し運用する事を模索中と伝えられるが、舟艇を格納するドックは当然有していない訳で、またカーフェリーであればLOLO船としての機能が期待されるが港湾設備が未整備な地域にはこの場合車輌揚陸が必然的に不可能となる。飛行甲板と格納庫が充実していれば航空機による輸送により補完する事が期待できるが、これは改装ではなく新造の域に入ってしまい、逆に非効率となってしまうであろう。
IMG_1167 これに関して、前述したとおり専守防衛を国是として戦闘機・戦車・火砲・護衛艦に装備体系を集中させてきた為、こうした編成の転換は非常に困難であるし、また米軍再編においても東アジアにおける米軍は増強される事が2004年8月16日のブッシュ大統領による軍再編に関する演説において述べられている。従って、この地域の緊張度合を考える限り著しい削減は現実的ではないということになってしまう為、日本に可能な国際貢献の方策を模索する事が必要となる。
FH020029 ここで考えるべきは自衛隊の能力において比較的優れている分野とは何か、ということになる。
 海上自衛隊は、新防衛大綱により護衛艦数を47隻に上限を定められたが、近年就役している『たかなみ』型の満載排水量は6300㌧にものぼり、隻数を制限された一方で航続距離を増進させ航洋性を向上させている。これは近年日本が積極的に参画しているPSI(大量破壊兵器拡散防止イニシアティヴ)への艦艇参加をより広域的に実現させるものである。
 しかし、補給艦に関しては、満載排水量25000㌧の『ましゅう』型2隻、そして満載排水量12100㌧の『とわだ』型3隻でしかなく、後者に関しては各国の補給艦と比して小型の部類の上、若しくは中型の下の部類に位置する為、可能であれば更なる増勢が望まれる。例えば補給揚陸艦のような汎用性のある艦艇を整備しなければ、護衛艦の支援にも支障を来たす事となる可能性も否定できない。
 一方で、艦艇勢力としては一定以上のものがあるし、なによりも護衛艦派遣というのは政治的ポテンシャルが大きい事が言える。
IMG_3293 また、PSIや近年増加する海賊によるシーレーンへの被害拡大に関しては海上自衛隊の哨戒機の役割も大きい。航続距離が実に6800kmに達する同機は対潜哨戒を目的として開発されたものであるが、価格は一機100億円と高く、日本以外の運用国で二ケタ台の使用国はない。また、海上自衛隊はモスボール保管されているP-3Cをあわせれば101機を保有しており、これはアメリカが全世界にて運用する哨戒機が212機であることを踏まえればその大きさがわかろうし、また欧州NATO軍が運用する全哨戒機の総数よりも大きい。
 これは冷戦時代においてソ連海軍からシーレーンを防衛する事を目的として整備されたもので、今日にあっても質は別とすれば数だけは膨大な中国海軍に対して必要な装備と考えられているが、このP-3Cによる海洋哨戒や海賊取締などが日本にとって最も見合った国際貢献であるといえよう。
IMG_3297 また、13機が運用されているE-2C早期警戒機も、停戦監視任務などには対応できるものといえる。現在はE-767早期警戒管制機の導入により、特に平時にあっては運用頻度は若干低下した事が挙げられる。ホークアイ2000へ近代化改修された同機はデータリンク機能を用いれば停戦監視に大きな威力を発揮できよう。また、早期警戒機を二桁の規模で運用するのはアメリカ海軍以外では日本だけである事を特筆したい。
 国際貢献というのは、今日の経済がグローバル化し多国間国際分業体制により製造業を成立させる今日において地域的安定は欠くべからざるものであり、また文明の衝突に代表される多様化の概念は逆に地域的な不安定要素を増大させている事から、増加する事はあっても減少する事は今しばらく無いであろう。
 また、人的被害が生じにくい国際貢献という観点から艦艇や航空機による国際貢献という任務を更に一歩前進させることは検討に値すると考えるわけだ。

 HARUNA

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弾道ミサイル防衛に関する前進と米軍再編

2005-11-24 13:21:18 | 国際・政治
 米軍再編問題と米国産牛肉の輸入再開を首脳会談において議論すべくブッシュ大統領が15日から16日にかけて訪日したことは周知であるが、あれから一週間、これを契機として幾つかの政策決定が為されたようである。
IMG_1031 厚木基地の第五空母航空団艦載機が広島県岩国基地へ移転する事は既に先月の日米ツープラスツー合意にて為された事であるが、CNNやABCの報道によれば、ついで日本配備となる原子力空母が、“ジョージワシントン”に内定したということである。太平洋艦隊所属空母などを俯瞰したところ、ニミッツかカールヴィンソンが有力と目されていた中で、ジョージワシントンに内定した背景は、“ハリーシップトルーマン”や“ニミッツ”は第二次世界大戦を髣髴とさせるもので、日本側の感情に配慮されたとされる。
IMG_2892 さて、米軍再編において最も大きく取り上げられるのが、航空総隊司令部の横田移転であるが、その最大の背景となされるのが弾道ミサイル防衛である。
 弾道ミサイルに関しては発射から着弾までが十数分でしかなく、そのタイムラグを如何に縮めるかが大きな課題となる。米空軍(宇宙コマンド)は静止衛星軌道に弾道ミサイルの発射を察知するDSP衛星多数を配置し、全地球規模のミサイル監視網を整備しており、これに関しての情報交換を迅速化させるには司令部を横田にある第五空軍司令部と隣接させる事という結論に至った事は想像に難くない。
IMG_4344 さて、これに関して日本側の独自弾道ミサイル監視網の整備が90年代から囁かれていたが、海上自衛隊の余剰となったP-3C哨戒機の改良型偵察機開発ということで前進があったことをお知らせしたい。
 写真は従来型のP-3Cであるが、95年の防衛大綱改訂に伴い定数を100機から80機に削減された事で、既に製造配備された20機のP-3Cがモスボールされ保管されている為、EP-3電子偵察機若しくはOP-3画像偵察機への転用などが予測されていた訳であるが、更に一歩前進していた事が昨日明らかになった。
1132718619481 写真は昨日報道された赤外線センサー実験機“エアボス”の写真であるが、これは日本版コブラボールとして紹介されていた。
 P-3Cの航続距離は6500kmと非常に長く、中国奥地の第二砲兵ミサイルサイロの監視には能力的に限界が予測されるが、北朝鮮に対しては能力的に可能な範囲である事が期待される。
 航空自衛隊としては要撃管制の中枢であるバッジシステムの情報開示を部分的なモノは別として全面開示にはかつてから難色を示していたが、今回の独自警戒網整備への航空機整備はこれに一石を投じるものとなる事が期待される。しかし、P-3Cという点からも明らかなように海上自衛隊所管の航空機であり、弾道ミサイル防衛に関してはイージス艦の搭載するSM-3ミサイルの役割が大きい事を思い出す。
FH030025 現在航空自衛隊が導入を進めているペトリオットミサイルPAC-3は射程が僅かに15kmでしかなく、より長射程のTHAADが完成するまではイージス艦が運用するスタンダードミサイルSM-3が最も重要な装備となろう。
 これに関して、ミサイル防衛に関しては果たして航空自衛隊だけによって行いえるものであるかが今後の大きな課題となるのは想像に難くない。というのも、イージス艦は横須賀の自衛艦隊隷下にあり、また、弾道ミサイル防衛に関しては陸上自衛隊が運用する射程60kmの03式中距離地対空誘導弾もその一端を担う事になるのは間違いない。
 従って、最終的には日本版NORADというべき統合司令部が必要となる可能性も生じてこよう。
IMG_2371 また中央即応集団や事実上の軽空母となる次期DDHなど、米軍再編と同時に、それ以上の変革規模を内蔵した自衛隊再編が極めて早く進展している事を、心に留めておく必要があろう。
 HARUNA


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砲焔撮影

2005-11-23 13:25:44 | コラム
 陸上自衛隊の実弾訓練や空砲を用いた訓練展示にあって最も見せ場となるのは発砲の瞬間を撮影した時である。まさに砲口から発砲の際に発射ガスが空気と交じり合った瞬間に明るい焔となるのを砲焔という。
IMG_2460 写真は伊丹駐屯地における訓練展示の際の写真だが、文字通り砲から焔が吹き出ている様子が撮影できている。一見、実弾射撃のようにも思われる写真であるが、使用しているのは空砲だ。
 こうした写真はマスメディアなどでは多く誌面紙面を飾る為一見撮影が容易に思われるが、それは誤りである。この砲焔の撮影を試みた人だけが分る内容かもしれないがこれは極めて困難な技術的ハードルと、何よりも運が必要となる。
IMG_3891 写真は、守山駐屯地における訓練展示の様子を写したもので、先に掲げたFH-70榴弾砲と同じく空砲発射の瞬間を撮影したものであるが、先ほどのような砲焔は写っていない。タイミングを間違えた訳ではない、というのもこの写真は連写で撮影したものであり、10枚以上撮影したうちの一枚である。
IMG_0217 対して、これは今年度富士総合火力演習における写真である。90式戦車の120㍉滑腔砲が実弾を発射する光景を我ながら見事に収めている。
 ここで思い出していただきたいのは、カレンダーや雑誌のグラビアを飾る砲焔の写真は演習場などで撮影されたものであり、イラクで今日続くイラク治安作戦やイスラエル軍の守りの壁作戦といった状況ではマスコミは砲焔の写真を紙面に置く事は殆ど無い。
IMG_0205
 その最大の理由というのは流れ弾や至近弾が想定される実戦的状況下ではどうしても落ち着いて構えて撮影する事が出来ず、結果、撮ろうにも撮れないという状況があるわけだ。
 それもその筈、砲焔は1/1000の間しか満足に姿を現していない為、落ち着いてパチリパチリと連写できない状況では撮影は不可能ということだ。
IMG_0386 それでは如何にすれば砲焔を写す事が出来るのだろうか、様々な機会を得て会場に居るアマチュアカメラマンの方々やカメラを抱えるミリタリーファンの方と話を重ねてきたが、究極的には運ではないか?というのが、結論として固まりつつあった。
 しかし、初詣の伊勢神宮や熱田神宮、伏見稲荷といったところで景気良く五百円玉を賽銭箱に投擲しパンパンッと手を合わせ砲焔撮影成功を願うのでは余りにも芸が無いしナンセンスである。
IMG_1083 ここでいの一番に思うのは、カメラの性能と考える人が多い。秒間5コマ以上を撮影可能なNikon D50やCanonEOS-1DSMarkⅡといった高性能カメラも確かに存在するが、価格は三十万以上し、また連写性能が高くとも連写枚数に限度があるため、中々手が出しにくいのではなかろうか。
 しかし、砲焔を撮影するには連写性能は必要では有り、価格と比較考量すれば価格が十万前後で毎秒2コマの連写が可能なCanon EOS Kiss Digitalあたりに機種が絞られるだろう。
IMG_3880 では、どうするか。
 これに関して素晴らしい助言をしてくださったのが第十通信大隊写真班の方である。砲焔が写せるのは1/1000の確率だという事は既に述べた。したがって、シャッター速度が1/90とか1/125というのでは撮影のチャンスは著しく失われる、という事をアドヴァイスしていただいた。
 つまり、シャッター速度が1/20よりも1/10、1/10よりも1/4秒の方が成功のチャンスは増加するという事だ。毎秒2コマであれば1/4のシャッター速度の場合0.5秒はシャッターが開いており、それだけ写る確率は増加するということである(ただし、富士の90式戦車や装甲車などの機銃は走行間射撃をするものが多い為、注意が必要だが)。
IMG_4100 しかし、こう書かれると、諸兄が第一に想像するのは、果たしてそんなに遅いシャッター速度で手ブレが起きないかという事だ。
 これはもっともな事で、折角の写真もブレてしまうと台無しである。口の悪い人は『感光したんじゃないの?』と言うかもしれない。
 これに関して唯一の解決方法は、三脚を用いる事である。トライポットに載せリモートシャッターで撮影すれば地震か台風並の突風でも吹かない限りまずブレることはない。地面さえブレなければ、車体そのものが多少ブレていても躍動感につながるけれども違和感にはならない、と写真班の方は教えてくれた。結果として、三脚を備えるだけの場所を確保する事が重要となるのだが、航空祭と異なり駐屯地祭では人入りが一万を超える事は稀で、撮影場所の確保は(富士総合火力演習を例外とすれば)不可能ではない。
IMG_0178 さて、最後に誘導弾の撮影である。
 誘導弾の撮影は、訓練展示ではまず発射はしないため、一般公開演習での撮影は富士総合火力演習に限定される。
 ここで重要なのは、発射直後ブースターを用いている段階では撮影は可能だが、ロケットモーターに点火すると、誘導弾は亜音速から超音速で飛翔する為、真後ろからでなければ撮影は不可能となる。従って、発射直後の瞬間を撮影しなければならないという事だ。
 ただ、64式対戦車誘導弾は旧式であり、秒速80㍍という非常にゆっくりとした速度で飛翔する為撮影は容易で、標的に命中する瞬間も望遠レンズさえあれば撮影は可能だ。
IMG_0358
 また、ミサイルではないが92式地雷原処理車のロケットは、比較的飛翔速度が遅い為さまざまな写真が撮影可能である。また、海上自衛隊の護衛艦では、近年装備する艦艇が減少してきているが、観艦式などで発射するボフォース対潜ロケットも飛翔速度が低く、撮影は容易である。
IMG_2447
 では、所持しているデジカメはコンパクトであるため撮影は無理か?という疑問が生じよう。確かにコンパクトデジカメでは性能が限定されるが、悲観する必要は無い。夜景撮影モードかフラッシュOFFモードであればシャッター速度は遅くなっている為、チャンスはあるし、何より一眼デジカメとは異なり動画モードが内臓されているものが多く、画質は落ちるがチャンスはある。
IMG_0367 砲焔は撮影が困難であるが、成功した際には何物にも変え難い喜びがある。
 また、シャッター速度を落としても、少しの“運”は必要である、が、不可能ではない。
 皆さんも、一度挑戦してみられては如何だろうか?

 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入間基地航空祭 詳報

2005-11-18 13:18:31 | 防衛・安全保障
 十一月三日は例年晴天の日が多く、埼玉県入間市に所在する航空自衛隊入間基地では例年この日に航空祭が開催されている。
IMG_4782 入間基地は朝鮮戦争において米空軍の訓練拠点としての地位を有し、今日では航空自衛隊の中部日本防空の拠点として、また資材補給の拠点として、そして救難航空や輸送の位置だし拠点としての地位を有している。
 また、府中基地に所在する航空総隊(要撃作戦・航空阻止戦闘・対艦戦闘などを所管する航空自衛隊戦闘部隊の最上級司令部)隷下の総隊司令部飛行隊も府中基地が航空運用施設を有しないことからこの入間基地に所在している。
 そのほかの所在部隊に関しては添付写真にある通りだが、かつては航空自衛隊の戦闘機部隊も所在し、第七航空団が現在の百里基地に移転し、現在にいたる。
IMG_4396 入間基地は西武線やJR線にも隣接しており、西武新宿駅から急行電車で40分という立地にあるため、20~30万人という毎年多くの観客が訪れる事で有名だ。
 事実この駅は航空基地の敷地内にあるが、かつて米軍管理時代、満員電車に対し発狂した米兵が発砲し、死者が出るという痛ましい事件も起きた。今日では多くの観客が鉄道事故に遭わぬよう、航空自衛隊・西武電鉄職員・埼玉県警が一致協力し、安全保安任務に当たっていた。
IMG_4404 輸送とは後方支援業務の中核たるものの一つであり、弾薬・燃料・予備部品・武器・装備品といった重要機材を適材適所に展開させる事で初めて戦闘を継続可能となる。また、重要部品の欠落が即航空作戦に支障を来たす現代戦にあって、その必要性は高まるばかりである。
 なお、入間基地航空祭の名物はC-1輸送機の編隊飛行である。
 航空輸送の拠点たる入間基地には第二輸送航空隊が展開しており、隷下にC-1輸送機を運用する第402飛行隊が配置されている。また、航空自衛隊の輸送機部隊としては、C-130Hを運用する小牧の第一輸送航空隊と、C-1を運用する入間の第二輸送航空隊、美保の第三輸送航空隊があり、C-130H×16、C-1×27が運用されている。
IMG_4407 C-1輸送機は戦後初の国産戦術輸送機で、川崎重工が主契約企業となり1966年より開発開始、開発には他に三菱重工・石川島播磨重工が参加し、エンジンはプラットアンドホイットニー社製JT-8-D9が用いられている。
 部隊配備は1973年より開始され、短距離離着陸性能に優れている。また、主脚車輪が8箇所あるため不整地での運用能力も優れているとされる。
IMG_4415 加えて特筆すべきはその運動性能で、C-1輸送機は輸送機としては破格の運動性能を有しており、米空軍のC-123戦術輸送機の後継として候補に挙げられた点がある。結果的には、武器輸出三原則の関係で輸出は相成らなかったが、ボーイング737型機とほぼ同等の機体規模を有する国産輸送機を開発しえたことはわが国航空産業においても燦然と輝くものであった。
 また、C-1は輸送機だけに留まらず様々な面で運用されており、C-Xエンジン実験や、岐阜県の“かがみがはら航空宇宙博物館”に展示されている短距離離着陸・低騒音実証機『飛鳥』は、C-1輸送機から改造されており、実に400㍍という短距離での離着陸が実現し、この他にはEC-1電子戦訓練支援機、レーダー機材などの実験母機としても用いられている。
IMG_4425 しかしながら、欠点も散見される。
 致命的なのは社会党による国会論戦において航続距離が1500kmと妥協され、1972年の沖縄返還後は航続距離不足著しく、またペイロートが8000kgという少なさも問題となっているが(6500kgまで減らせば2200km飛行可能)、格納庫の狭さも問題である。73式大型トラック(5tトラック)の容積(7.7㍍×2.5㍍×3.0㍍)の容積にガソリンを詰めれば44㌧となる。米空軍のC-141輸送機はエンジンを換装せず胴体のみを延長している。航空機エンジンや緊急車輌といった資材は重量の割りにカサが大きく、C-1輸送機もペイロートはともかく、格納容量は何とかならなかったか、悔やまれるところだ。
IMG_4453 さて、航空祭はオープニングフライトとしてのC-1やT-400の機動飛行に続き、空挺降下の展示が行われた。
 降下するのは千葉県習志野市に駐屯する第一空挺団で、昨年度、普通科群を三個大隊編成に移行し、その装備や人員を実戦に即し近代化した部隊である。市街地に隣接する航空基地であるだけに、降下には高い練度が必要とされるが、無事全員降下を終了した。
IMG_4525 空挺降下に続き、救難展示が行われた。航空救難団が置かれる入間基地において行われた展示であるが、このUH-60Jは慣性航法装置・気象レーダー・赤外線暗視装置を有し、CSAR(戦闘捜索救難任務)は昼夜を分かたず出動要請が出される可能性があり、こうした優れた装備により夜間においても救難活動を展開可能である。
 なお、航空救難団には後述する輸送ヘリコプターも配備されている。
IMG_4540 続いて、総隊司令部飛行隊隷下のT-4練習機が飛行展示を行った。四機のT-4は練習機ならではの機動性を展示し、機動飛行には多くの観衆が拍手や歓声でこたえていた。同飛行隊は司令部要員の物量輸送に加え、航空機搭乗員としての技量維持に用いられる部隊で、また、かつて使用されていたT-33練習機も滑走路脇に配置されていた。
IMG_4502 着陸したC-1輸送機の背景に前述のT-33練習機が見える。確認できるだけで四機。恐らく米軍から供与された機体であるが、旧式機の返還を断られ、しかし供与の機体を一存で処分する事が出来ず、行き場を失った機体ではないだろうか、こうした装備品は聞いた話では陸上自衛隊宇治駐屯地や海上自衛隊呉基地にも存在し、もしかしたら相当数の行き場を失った装備がひっそりと余生を送っているのかもしれない。こうした装備を整備し、今一度展示などに用いる事は出来ないのだろうか。
IMG_4544 自由自在な機動飛行を展示するT-4。
 上空からこの大勢の観衆はどのように見えるのだろうか。
IMG_4539 なお、入間基地航空祭は大勢の観客が訪れるだけに、模擬店の競争も凄まじく、従来のヤキソバ・ラーメン・フランクフルト・綿菓子に留まらず、インド風本格カレー、本格クレープそして宇宙食までもの膨大な模擬店が軒を連ね、私事ながらグレープクリームクレープは大変美味であった事を特筆したい。また、屋台の装飾も小牧や岐阜に比して大変凝ったもので、さすが首都圏!と唸らせるモノがあった。
IMG_4556 続いて、飛行展示を行うCH-47J大型ヘリコプター。航空救難団隷下にあり、レーダーサイトや離島への輸送支援を任務とし、各航空方面隊に4機程度が配置されている。陸上自衛隊のCH-47JAとは異なる航空自衛隊独自の迷彩が施されている点に注意。
IMG_4561 続いて二機目のCH-47Jが離陸する。
 なお、ブルーインパルスの機体越に撮影したが、入間基地の広さの一端がうかがえる写真である。なお、写真には写っていないが、後方には着陸したC-1の列機があり、補給処が存在する本基地は、有事の際には多くの輸送機を収容し補給物資を配給する充分な余裕を有する。
IMG_4574 二機目のCH-47Jは、73式大型トラックを吊下していた。なお、CH047Jは機内に8tを搭載できるが、機外にも最大で10tの搭載が可能とされる。航空自衛隊も基地警備用に軽装甲機動車の導入を進めており、近く軽装甲機動車の輸送展示が行われるかもしれない。
 しかし、どうでもいいことだがこのトラック、やけにボコボコになっているのは何故だろうか。
IMG_4619 飛行展示が一段落つき、ブルーインパルスの飛行展示までにしばし地上展示機を回るが、余りにも多い観客とレジャーシートの大海原に一進一退の苦戦を強いられている中で目に留まったのがAH-1S対戦車ヘリである。同型機が小松基地航空祭と同日、相浦駐屯地において訓練展示中に事故を起こし、飛行が制限されていたが今回は展示に連なって展示されていた。
 また、背景にC-1輸送機三機が写っているのが入間らしい写真である。
IMG_4639 今年一杯で廃止となるF-1支援戦闘機とF-4EJ改支援戦闘機の写真。この他にはF-1支援戦闘機一機が操縦席などを展示しており、700㍍近い長蛇の列が出来ており、国産初の最後に超音速戦闘機に多くの列を成し、興味深く見入っていた。
IMG_4519 地上展示機の一例。この後方にも展示機が並んでいるが、海上が扇形であり全てを一枚に写すには空撮しかないほどの規模であった。
 また、写真後方にはC-1輸送機が写っているが、機内展示は一時間待ちというほどの規模であり、あたかも愛知万博を髣髴とさせるものであった。エプロン地区はとにかく広く、後日展開した岐阜基地航空祭と比較するとその広さには目を見張るものがあったが、昨年は雨天にもかかわらず18万名が来場したとあり、驚くばかりである。
IMG_4710 さて、飛行展示の最後を飾ったのはブルーインパルスの飛行展示である。
 ブルーインパルスは、宮城県松島基地に所在し、正式名称を第四航空団第11飛行隊といい、発足は昭和35年まで遡る事が出来る。詳しくは、小松基地航空祭においてブルーインパルスの飛行展示は既に掲載され、過去に本ブログにも掲載されている為省略したいたい。
IMG_4711 本年は、ブルーインパルスがT-4練習機に機種転換してから10周年にあたり、その技量にはますます磨きがかけられている。先代のT-2が超音速練習機であったのに対して、本機は亜音速機であるが、旋回性能などでは著しい進歩があり、きめ細かい飛行展示を可能としている。
IMG_4697 編隊背面飛行を展示するブルーインパルス。
 小松基地航空祭の記事では『ブルーインパルスを制すもの 航空祭を制す』と記述したが、展示種目が極めるところを全て極めマンネリ化が叫ばれる中で、やはり多くの観客を魅了する飛行展示であることには代わりが無い。飛行展示が始まると多くの観客がエプロンに殺到し、会場は熱気と歓声に包まれた。
IMG_4718 しかし、しかし、である。これは観客が入りすぎではないの?とも言いたくなってくる。
 写真中央にスモークを引きつつブルーが会場上空に進入してくる様子が撮影されているが、多くの読者の皆さんはこの通勤電車並の人出に驚かれるのではないか?また、倒れる脚立や撮影位置を巡っての殴り合いも散見され、レジャーシートがエプロンを占領する始末。脚立は使用するのは自由だが、極力迷惑を掛けないように、そしてレジャーシートも極力会場後方に位置するなど、最低限のモラルは守ってもらいたいものである。また、日傘を差しているご婦人に罵声を上げる若者もいたが、育ちが分るような行為は慎むべきではないだろうか。
IMG_4728 これは伏見稲荷か熱田神宮か?というような写真である。
 無論、伊勢神宮でも明治神宮でもない、ブルーインパルス終了と同時に駅に向かい民族の大移動が始まる。しかし、立ち入り禁止区域を示すテープを引きちぎるなどのモラルの悪さが目立った。
 航空祭は皆のものだ!というのは使い古されたフレーズかもしれないが改めて考えさせられるものである。催事とはいえ、防衛の第一線にある航空基地である事を忘れてはならない。心当たりのある方が若し居られたらば逮捕者が出る前に、自身を悔い改めて貰いたいと思った。
 一部の中の本当に一部の人が行った事で、一眼レフを持ったカメラマンが白眼視されることが実情であるのだから。
IMG_4769 さてさて、入間基地のもうひとつの売りは保存機である。
 C-46輸送機、T-33練習機、F-86昼間戦闘機、F-104J要撃機、T-34練習機が静かに余生を送っており、他にナイキミサイルとレーダーも展示されていた。
 友人と展開した入間基地であるが、概ね楽しく過ごす事が出来た。しかし、唯一の失敗は、バイバイフライトの時間を読み違え、西武新宿行き急行の車内から滑走路を離陸するブルーを見送った事だ。
IMG_4743
 皆さんも、極力人出が抑えられている時間帯であれば楽しめるので、一度展開を検討されては如何だろうか?人ごみの中で、一味変わった楽しい思い出となるはずだ。

 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デジタルカメラ防水に関する一考察

2005-11-17 12:17:55 | 北大路機関 広報
 先日の岐阜基地航空祭は、あいにくの大雨であったが、様々な方のお話や、Web上での体験談を聞くうえで印象的な事が、故障などを契機とするデジタルカメラの防水についてである。
 何分、通常型の銀塩カメラと比して耐水性を犠牲にしているデジタルカメラは、CCD素子のように漏水により致命的損傷を受ける部分もあり、防水は何よりも重要な命題である。
IMG_0911 今年度、小生が参加した演習訓練や式典、航空祭では、第一に今津駐屯地祭での式典終了後の豪雨が挙げられる。
 この場合は、戦車整備格納庫のバルジ部分が雨宿りを出来る場所としてあった他、記念式典・観閲行進・訓練展示終了後に降り始めたため、限られた雨宿りポイントではなく、多くの観客が傘を差し撤収を開始した事が幸いであった。しかし、旭屋書店の袋からレンズ部分を露出させる方式の防水措置を施し、場合によっては降雨下へ出撃する事も可能であった。
 なお、着衣の上からポンチョを着用し、体温保護を重視したのは言うまでも無い。
IMG_3723 では、予想しない降雨には如何に対処するか。
 この端的な事例が守山駐屯地における第十師団記念式典である。朝は朝日に目覚めるほどの晴天であったのに、観閲行進に移行する際に看過できない程の降雨となった、今津の際には北陸地方へ近付く低気圧の影響で豪雨が想定された為の準備があったが、守山ではまさに奇襲的な降雨であった。
 豪雨でなかったのは幸いであったが、式典の性格上、傘を買いに走るのは、後列からの観覧者への迷惑はいうまでもなく、何より時間が無い。
 したがって、小生は携行する脚立の上に上着を掛け、機材をカメラ本体を除き退避させ機材保護に努めた。無論、濡れるが、選択の余地は無い為の非常手段であった。また、カメラ本体には帽子を用いた。ブッシュハットであった為、カメラ全体を覆う事が出来たがレンズ交換は不可能であった。
 結論として、常時最低限の降雨対策は必要と痛感したことを特記したい。
IMG_4970 最後に、岐阜基地航空祭のように最初から豪雨の場合はどうするべきだろうか、豪雨であれば訓練展示や戦車試乗、航空祭であれば飛行展示中止、観艦式ならば中止ともなりうる。この場合、撮影対象が限定されるという最大の弊害があるものの、出来る限りの事を行う必要があるため、敢えて危険を冒す覚悟が必要となる。
 やはり、ここで重要となるのは脚立とポンチョである。脚立の上からポンチョで覆えば、外見は非常に不気味であるもレンズ交換の作業空間を創出する事が出来る。また、カメラ本体の防水にはクリーニングの際に被せられる透明な袋を用いると、ファインダーを袋越にもちいることが出来、必要ないときにはレンズも格納可能だ。
 加えて、タオルを幾重にも望遠レンズに巻く事で漏水防止に尽力したのは言うまでも無い。
00110010 なお、兎角嫌われがちな降雨であるが、アフターバーナーが撮影容易になる、また虹の出現が期待できるなど、利点も少ないながら存在する事を特筆したい。写真は舞鶴航空基地において2003年に撮影した虹とSH-60Jのシルエットである。
 雨天ながらも、観覧を中止するのではなく、雨天ならではの式典を楽しまれるのも如何であろうか?

 HARUNA

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横須賀基地報道に関しての指針

2005-11-16 22:57:48 | 北大路機関 広報
 十一月一日に展開した海上自衛隊横須賀基地についてですが、鋭意停泊艦艇に関する情報を収集しており、詳報については今しばらくお待ち下さい。
IMG_4279 横須賀基地には「むらさめ」型護衛艦二隻、ヘリコプター護衛艦「しらね」、「はたかぜ」型ミサイル護衛艦、「たかなみ」型護衛艦と潜水艦五隻が停泊しておりましたが、加えて『タイコンデロガ』級ミサイル巡洋艦、『アーレーバーク』級ミサイル駆逐艦の艦名を鋭意調査中です。
 したがって、横須賀基地詳報に関しましては暫くお待ち下さい。
IMG_3436 さてさて、先週金曜日から京都では清水寺の夜間特別拝観が開始され、紅葉も本格的な時期となりましたが、街路樹は剪定が始まり、北大路通りや堀川通りといった大通りでは紅葉を観る前に、切り取られているといった状況です。時間が許せば、東福寺や仁和寺の紅葉も本ブログに掲載を考えております。気長にお待ち下さい。
 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厚木基地周遊紀行

2005-11-11 13:05:40 | 防衛・安全保障
 今回は、先日の首都圏取材の関係で厚木基地のことをお伝えしたい。厚木基地は正式な取材申請を行うのではなく、周囲から散策という形であったため、写真の不鮮明さはご容赦いただきたい。
 11月2日、米軍再編問題などに関する調査研究を行った際に、様々な研究所や識者の意見を聞いたが、その際に争点となっているのは騒がれている普天間基地ではなく、厚木基地こそが、問題の根幹と聞いた。IMG_4311 思い立ったら吉日、急ぎ厚生館でお土産を買うと、市ヶ谷から電車に飛び乗り、小田急線から一路厚木へと向かった。
 厚木基地広報の方は突然の問い合わせにもかかわらず親切に対応していただき、基地周辺のフェンス越ならば正門以外は撮影は可能との回答を戴いた。
 さて、厚木基地であるが、新宿からの所要時間は小田急急行電車約40分、首都圏の電車で一時間と掛からない地域に所在する航空基地であることを、体感的に実感した。
IMG_1031 なお、肝心の空母キティーホークが横須賀を出港していた為、厚木基地騒音問題最大の争点となる艦載機F/A-18Eスーパーホーネットは既に太平洋上にあり、厚木基地は静かな雰囲気であった。
 なお、厚木基地騒音問題のもう一つの問題点は、大学での友人I氏から教えていただいたのだが、厚木基地にF-4C(J-79エンジン双発)といった艦載機が配備される頃は、周辺が緑地であった為に大きな反対運動はなく、これは厚木市HPにも航空写真として掲載されている。従って、何故そもそも騒音問題が懸念される地域にわざわざ住宅を建てたのか?という負い目があるということだ。
IMG_4321 しかし、結果的にではあるものの、首都圏の住宅街に艦載機の基地があることに変わりなく、万一墜落事故が(過去には横浜市などへの墜落事故も)生起すれば安保体制の根幹にも関わる命題となりかねない事を考えるとこれは重大な問題であり、米軍再編との兼ね合いで艦載機はSH-60B哨戒ヘリコプターを除き岩国基地へ移転するというが、岩国基地では滑走路の海上延伸拡張工事が実施中であり、騒音問題というのは大きく軽減される。
IMG_4353 また、厚木基地には航空集団司令部/第四航空群/第51航空隊/第61航空隊/航空管制隊/航空プログラム開発隊/厚木航空基地隊の他、第71航空隊のUS-1A救難機が岩国から一機分遣され、小笠原方面への急患発生に備えている。
 他には、岩国基地への米艦載機移転の関係で、岩国基地の海上自衛隊が保有するOP-3C画像データ収集機やEP-3電子戦データ収集機などが厚木へ移転するとみられている。
IMG_4344 なお、厚木基地において海上自衛隊が運用するP-3C哨戒機は、米海軍のアップデートⅢ型と同型で最も新しい哨戒機で、ソノブイと対潜コンピュータの併用により一機で四国と同面積の海域を哨戒可能とされ、海上自衛隊は1997年までに101機を受領、内80機を運用しており、鹿屋の第一航空群/八戸の第二航空群/厚木の第四航空群/那覇の第五航空群へ配備され、わが国の死命をかけたシーレーン防衛に従事する。
IMG_4346 しかし、基地周辺を歩くと確かに広い。太平洋戦争終戦時には我が海軍の艦載機90機が配置され、現在では海上自衛隊航空部隊の最高司令部が置かれており、大和市・綾瀬市・相模原市・厚木市・海老名市を徒歩で回った時には流石に疲労困憊した。その間、第四航空群のP-3C哨戒機がタッチアンドゴー訓練を繰り返していた他は静かであり、現在の名古屋空港と見まがうばかりだ。しかし、陸上空母発着訓練を行えば艦載機の最大出力の騒音は想像に難くない。政府は硫黄島に艦載機訓練を一部移転したが、本土から遠く、万一硫黄島上空の天候が急変した場合、空中給油無しには厚木への帰投は困難となり、加えて航空自衛隊が導入するKC-767空中給油機は給油方式が異なり、航空自衛隊が19年度予算で想定する改修に期待する他は無いようだ。また、地元自治体の反対で難航しているが、三宅島への陸上空母発着訓練の移転を考えている。
IMG_4378 なお、小生が厚木基地周辺を散策していた時には、米空軍のVIP輸送機C-21が一機通過したが、他には海上自衛隊の新型哨戒ヘリコプターSH-60Kが二機、飛行実験を繰り返していた。次期哨戒機P-Xは、未成となった低騒音実験機“飛鳥”の技術が応用されるとみられ、SH-60Kも新型ローターの採用により騒音は低減されたとされる。わが国固有の問題かもしれないが、音響ステルス性を向上させる副次効果として騒音対策ともなっているようだ。
IMG_4390 こうして、五都市に渡る散策は、厚木基地正門で終わりとなり、帰路についた。基地正門は、米海軍と神奈川県警により厳重に警備されており、2001年9月12日に厚木基地に対して何者かが手製迫撃砲を発射した痕が発見された事を思い出した(着弾地は不明)。厚木基地は海上自衛隊航空作戦中枢としての機能の他、第七艦隊西太平洋における航空作戦の中枢であること、そして結果的にではあるが住宅街の中にある基地であることを印象付けた。
 後、相模鉄道に乗車し、小田急の乗り換え、町田駅隣のルミナスにおいて富士でお世話になったT氏とお会いし、ご馳走していただいた。ご馳走様でした♪本当に美味しかったです!
 なお、小田急線からJR線への乗換えを京都から支援してくれた相模原出身のI氏にも感謝の念をここに記したい。なお、厚木のお膝元に暮らす彼はF-15Jを見た事がなく、F/A-18しか戦闘機は見た事がないということで、相模原の特異性を教えていただいた。

 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜基地航空祭短報

2005-11-10 10:00:48 | 北大路機関 広報
 11月6日、岐阜県にある航空自衛隊岐阜基地において、航空祭が開催された。
 今回はその短報をお伝えしたい。
IMG_4947 岐阜基地には、新型航空機の運用試験や従来の機体に関する装備品開発の実験を行う飛行開発実験団が展開している。したがって、岐阜基地には航空自衛隊が運用する各種航空機が配備されており、今年度は基地開設50周年という事で様々なデモフライトや地上展示が期待されたが、天候はあいにくの雨天となり、飛行展示は大幅に縮小される事となった。これは、同日に航空祭を実施した九州の築城基地も同様の状態で、T-1、F-1といった今年一杯で退役を迎える機体の飛行展示が大幅に縮小されたのは残念である。
2005 地上展示の目玉は、FSX(現F-2)試作機で、写真の機体はエンジンを取り外した珍しいものである。また、折からの大雨で三箇所開放された格納庫は、さながら難民キャンプの様相を呈していた。
 このほか、地上展示には米海兵隊のF/A-18C・F/A-18D戦闘攻撃機が地上展示に参加しており、先月24日に空母キティーホークが横須賀を出港し米軍機の参加が絶望的とみられていたなかで、福音であった。
IMG_4903 写真はJ-79エンジンのアフターバーナーを焚きつつ離陸するF-4EJ改支援戦闘機。
 通常滑走路は写真のように東方から離陸するが気象の関係で本年度は西方からの離陸などを見る事ができた他、雨天によりアフターバーナーの確認が容易であった事、加えてウェーキの撮影も天候により容易となった事が怪我の功名であった。しかし、カメラに支障を来たした観衆も多く、カメラを叩いたり振ったり祈るように拝む様子も散見され、雨天における撮影の困難さを垣間見る事が出来たが、小生は天佑と神助と何よりも事前の防水加工の準備により事なきを得た。
IMG_4974 残念ながら、岐阜基地航空祭最大の名物多機種編隊飛行は中止となってしまったが、写真のようにT-1練習機の特別塗装機展示が行われ、最後の地上展示を行っていた。ただ、岐阜基地では格納庫などの地上展示においていまだにF-104Jの展示が行われており、T-1も来年、再び地上でお目見えするのではないか、と考える。
 何となれ、救難展示・空挺降下・機動飛行は行われた訳であり、やや消化不良気味ながら観客は雨の中も傘をさし飛行展示に見入っていた一日であった。

 HARUNA

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三笠記念艦

2005-11-09 18:02:56 | 防衛・安全保障
 神奈川県横須賀市には、100年前の日露戦争における殊勲艦『三笠』が永久保存されている。
 今回は11月1日にこの記念艦を訪れる機会があり、その様子をお伝えしたい。
IMG_4163 戦艦三笠は、東郷平八郎連合艦隊司令長官の乗艦であり、ロシア太平洋艦隊・バルチック艦隊を撃破した艦で、大和・赤城と並び、日本国民に広く知られている艦艇の一つである。
 常備排水量15140t、全長131.7㍍、全幅23.2㍍、速力18ノット、40口径30.5㌢連装砲二門と15.2㌢40口径単装砲14門などを搭載する。
 三笠は戦艦、朝日・初瀬と同じく第二期海軍拡張計画に基づき建造された主力艦で、朝日・初瀬・敷島と基本的設計は共通しているが、船体により高い防御力を有するクルップ鋼を用いており、同じ装甲厚229㍉であっても総合防御力は20%向上している。
 したがって、三笠は日本海軍にあって最大最強の戦艦であった。
IMG_4178 イギリスのヴィッカース社バローインファーネス工場において建造され、明治35年に完成し、日露戦争においては連合艦隊旗艦を務めている。
 しかし、黄海海戦、日本海海戦においては旗艦ということで集中的な砲撃を被り、30.5㌢砲弾10発、15.2㌢砲弾21発の直撃を受け、特に30.5㌢砲弾がマストに命中し、一時信号旗による指揮不能に陥ったが、幸い火災に至るような損傷や水線下への命中は無く、戦闘を継続した。
IMG_4220 なお、1905年5月27日の日本海海戦は世界最初の主力艦同士の海戦であり、水雷戦隊との協力やT字戦法に代表される周到な兵力配置、艦艇の綿密な整備と訓練により主力艦に一切の損害が無いまま日本海軍は圧倒的な勝利を収めた。
IMG_4222 写真は有名なZ旗である。
 皇国の興廃、この一戦にあり!
 通常、複数の旗を組み合わせて形成される信号旗であるが、重要な意味を有する信号旗は、一種で意味を成すものが多く、このZ旗などは、その代表的な事例である。
IMG_4150 写真は海図室。GPSなどの航法手段が開発される以前では、海図と方位磁石により方向を定める以外方法が無く、また、一旦洋上に出た敵艦船を発見する手段は商船による通報か望遠鏡以外には無く、海上交通路防衛は日露戦争において突きつけられた重大命題であったが、上村彦之丞第三艦隊司令官は、ロシアの通商破壊艦隊を苦心の末捕捉し撃沈に成功している。
IMG_4148 なお、本艦は大正12年9月20日に除籍されたが、ワシントン海軍軍縮条約の例外として保存艦となり、今日に至っている。
 しかし、太平洋戦争敗戦以降水族館やキャバレーに用いられるなど荒廃を極めた時期があり、闇金属市場の高騰などから装備品の多くが持ち去られてしまい、写真の装甲部分などはレプリカである為、叩くと音がするのは残念である。
IMG_4151 また、殊勲艦として名高い本艦も、日露戦争終戦後、明治38年9月11日、佐世保港外において突如後部弾薬庫が爆発し大破着底する事故があった、その後、救難浮揚の後に佐世保工廠において本格的な復旧工事が行われ、同時に近代化改修などが行われた。
 また、大正7年からのシベリア出兵などに際しては高角砲や航空機搭載などが為された。
IMG_4206 シベリア出兵の後は第一次世界大戦に参戦している。
 日本海海戦における僚艦のその後を記すと、富士:特務艦、運輸艦を経て昭和23年に横須賀で解体、敷島:海防艦・練習特務艦を経て昭和22年佐世保にて解体、朝日:潜水艦救難母艦・工作艦を経て昭和17年5月25日米潜水艦サーモンに雷撃され戦没、という長い生涯をおくった。
IMG_4180 三笠記念艦への乗艦料は大人500円であるが、自衛官割引などがあり、当日も自衛官の一団が見学を行っていた。また、三笠に近い横須賀中央駅近傍には横須賀基地の他、防衛大学校があり将来の指揮官が日夜勉学訓練に励んでいる。

 HARUNA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする