北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

19DD(5000トン型護衛艦)は、はつゆき型護衛艦を代替できるか

2008-09-30 23:40:53 | 先端軍事テクノロジー

■19DD 満載排水量6800㌧

 5000トン型護衛艦は、同時多目標対応能力を有するFCS-3改と射程60kmとされるESSMを搭載しており、従来の汎用護衛艦と比べて高い防空能力を有しているとの事。艦名は、かつての防空艦にちなみ「あきづき」型となるのか、「あまつかぜ」型となるのか、防空巡洋艦の名を継いで「いすず」型となるのだろうか。

Img_7143  閑話休題、『むらさめ』型以降の汎用護衛艦は、ステルス性に配慮し、対空対潜ミサイルを次弾発射性能に優れているとされるVLS方式にて運用、満載排水量は遂に6000㌧を越え、8000㌧クラスの米海軍イージス艦と並んでも遜色無い艦容を誇っており、同型艦9隻から成る『むらさめ』型の就役により、ミサイル護衛艦『こんごう』型とともに、海上自衛隊の新時代を切り開いた印象がある。

Img_2456  『たかなみ』型は、『むらさめ』型に続いて5隻が建造され、主砲を3インチ砲から5インチ砲として改めた他、VLSの前甲板への集中配備、ヘリコプター格納庫の設計変更による運用の柔軟性の付与、さらに艦内の居住性なども向上させ、続く『ひゅうが』型ヘリコプター護衛艦とともに、あたらしい護衛隊群への地盤を固めつつある。

Img_2730  しかしながら、大型化、高性能化は必然的に価格の上昇を招くもので、『たかなみ』型の建造費用は650億円に達している。5000トン型護衛艦も満載排水量では6800㌧に達する大型艦であり、同種の各国水上艦と比べると価格は抑えられているものの、750億円から、今後の鋼材価格などの上昇を踏まえれば900億円程度まで価格が上昇する可能性も示唆されている。この価格の問題は大きく、限られた防衛予算では潜水艦などの調達を断念しなければ、年間1隻の建造が限界となっている。

Img_7579  現在、海上自衛隊では、『はつゆき』が艦齢26年、『さわかぜ』『しらゆき』『ゆうばり』が艦齢25年、『みねゆき』『さわゆき』『はまゆき』『ゆうべつ』が艦齢24年、『いそゆき』『はるゆき』が艦齢23年、と、艦齢24年を区切りとする護衛艦にあって、冷戦時代末期に建造した護衛艦が一斉に寿命を迎えつつあり、果たして、高性能・高価格である5000トン型護衛艦の建造が、退役する護衛艦を数的に補いつつ、防衛大綱の水準を維持できるかが微妙なところとなってきている。

Img_5634  対照的に、高性能・高価格から脱却し数を揃える事ができたのが、陸上自衛隊である。慢性的な装甲車不足が指摘されていた陸上自衛隊では、35㍉機関砲と対戦車ミサイルを武装とし熱線暗視装置により高度な夜間戦闘能力も有する89式装甲戦闘車を制式化したものの、世界最高峰の性能とともに、導入当時から近年まで世界で最も高価な装甲戦闘車という状況に陥り、量産数が激減、配備部隊も全国で数個中隊という状況となっていた。

Img_0802  そこで、陸上自衛隊では性能はある程度最小限のものに留め、火力は携帯火器に頼り、路外機動力も89式のような装軌式と比して劣る装輪式を採用した小型装甲車である軽装甲機動車を制式化した。最小限の96式装輪装甲車以外は、軽装甲機動車の調達に思い切って切り替え、その分大量調達を実現した。これにより、普通科部隊は北方からの脅威を最も受けていた北海道の数個普通科連隊を除き装甲化出来ないという状況を脱し、全国の師団、旅団をある程度装甲化することを達成した。

Img_2561  海上自衛隊は、汎用護衛艦の満載排水量について、70年代の『やまぐも』型2750㌧・『みねぐも』型の2800㌧から、『たかつき』型の3950㌧、80年代の『はつゆき』型では4000㌧、『あさぎり』型の4800㌧、そして『むらさめ』・『たかなみ』型では6000㌧台へと大型化を重ねてきたが、その分コストも増大している。対潜能力と対空能力など、どうしても価格に響く部分で削れない分野は多いものの、今後は、高性能・大型化から思い切って脱却し、満載排水量で5000㌧に収まるような、よりコンパクト化、低コスト化を重点として設計する必要もあるのではないか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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ロシア海軍部隊 共同訓練へ舞鶴基地へ入港予定 9月30日~10月3日

2008-09-29 19:05:46 | 北大路機関 広報

■外国艦艇舞鶴寄港

 海上自衛隊ニュースリリース9月29日付()によれば、舞鶴基地へ捜索・救難共同訓練を行う為にロシア海軍の艦船が9月30日から10月3日にかけて入港予定とのこと。第二北大路機関の方にも掲載の情報()をこちらにも掲載。

Img_1687  海上自衛隊からはホストシップとして第4護衛隊群司令徳丸伸一海将補隷下のミサイル護衛艦しまかぜ以下200名が派遣され、ロシア海軍からの太平洋艦隊沿海地方小艦隊司令官アヴァキャンツ,セルゲイ・イオシフォヴィッチ少将隷下のアドミラル・パンテレーエフと救助用タグボートSB-522を迎える。アドクラル・パンテレーエフはウダロイ級駆逐艦の一隻として1991年に就役、満載排水量8500㌧、ヘリコプター2機を搭載し、ロシア海軍では大型対潜哨戒艦と故障されている。

Img_9195  しまかぜ、は、はたかぜ型ミサイル護衛艦の二番艦として1988年に就役、満載排水量は5950㌧で、スタンダードミサイルを搭載し、艦隊防空にあたるミサイル護衛艦だ。あたご就役までは、舞鶴の第63護衛隊に所属していた護衛艦で、当時は、はるな・しまかぜ、という二隻の停泊がよくみられていたのを思い出す。現在は佐世保基地を母港としており、舞鶴入港は久しぶりということになる。

Img_6150  海上自衛隊との日ロ捜索・救難共同訓練は10月3日に若狭湾北方海域において実施され、アヴァキャンツ,セルゲイ・イオシフォヴィッチ少将と徳丸伸一海将補が共同で指揮を執る。海上自衛隊からは、「しまかぜ」に加えて掃海艇「ながしま」、P-3C哨戒機・SH-60J哨戒ヘリコプターが各一機参加し、捜索・救難訓練を実施する。ロシア海軍との捜索・救難共同訓練は今回で十回目となる。  

Img_6223  当初、この日ロ共同訓練は、長崎県の佐世保基地で実施予定であったが、グルジアでの武力紛争にともない米ロ関係が悪化したことから、舞鶴基地周辺での実施と改め、実施日も変更した経緯がある。海上自衛隊舞鶴地方隊HP()によれば、一般公開に関する情報は無いので、行われない模様。

HARUNA

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第1海上訓練支援隊 訓練支援艦『くろべ』 名古屋港に寄港・一般公開

2008-09-28 22:45:17 | 海上自衛隊 催事

■名古屋港自衛艦一般公開

 訓練支援艦くろべ、が広島県の呉基地から、名古屋港に寄港。ちょうど、訓練支援艦を見学したことが無く、名古屋港の間もなく取り壊しが始まるイタリア村と、パノラマカー撮影を兼ねて、昨日土曜日に名古屋港へ展開した。

Img_1073  海上自衛隊の訓練体制は世界でも最も厳しい区分にあり、訓練指導隊群隷下の指導隊が各基地に派遣され、練度の向上を図ると共に、護衛艦には艦内訓練指導班員が配置され、日々その能力の充実へと研鑽している。更に、対空戦闘訓練の効率的且つ実戦的な訓練を実施するべく、海上自衛隊では海上訓練支援隊に、訓練支援艦を配備し、対空戦闘の訓練支援に充てている。

Img_1234 訓練支援艦くろべ、は、1986年度計画で建造され、1989年に就役、満載排水量2550㌧、全長101㍍。機関はディーゼル四基を搭載し、二軸推進、出力9100馬力で20ノットの速力を発揮する。乗員は155名で、居住性を高める為に二段ベッドを採用している。76㍉砲と標的機を8機搭載している。

Img_1262  訓練支援艦の任務は、無人標的機による訓練の支援であるが、これを専用の支援艦により実施するには、高い練度の付与を目的とした背景がある。例えば、米海軍では、無人標的機を用いた対空戦闘訓練には、フリゲイトや駆逐艦の後部飛行甲板より無人標的機を発射しているが、この方式では、複数の同時管制が行えず、どうしても訓練の内容は通常のものとなってしまう。

Img_1074  くろべ、は、艦橋直上のフェーズド・アレイ・アンテナにより四機の無人標的機を同時管制する能力があり、これにより複数の目標による同時攻撃を想定した対空戦闘訓練を護衛艦に対して行うことが出来るわけだ。フェーズド・アレイ・アンテナは、無人機との相互情報交換も可能であり、これは護衛艦の対空戦闘能力の訓練評価を訓練支援艦に乗り組む海上訓練支援隊の隊員が行えることを示している。

Img_1154  無人標的機BQM34AJ改。非常に珍しいものということで、見学に集まった方々は隊員さんに、何に使うのか、ミサイルの一種ではないのか、など質問していた。本機は航空機を模した機動を想定した無人機で、全長7㍍とかなり大きい印象を与える。高度5000㍍以上を一時間に渡って飛行、最高速度は1070km/h、訓練支援艦より管制を受け飛行する。訓練終了後は、水上に着水させ、回収、江田島の標的機整備隊で整備を行う。

Img_1109  無人機BQM74EチャカⅢ(小型の標的機)。BQM34AJ改が航空機の飛行を模しているのに対し、チャカⅢは、対艦ミサイルを模した機動性を有し、訓練支援を行う。全長3.95㍍、飛行時間は高度10000㍍の場合80分の飛行が可能で、飛行速度は低空を1000km/h。

Img_1191  無人標的機の格納庫は二つあり、第一格納庫は煙突後方の甲板室内に配置され、BQM34AJ改を格納。第二格納庫は船体内に配置されており、チャカⅢを格納している。各格納庫に四機が収容されている。無人標的機の発射を行う、後部甲板にはレールが敷かれており、複数の標的機を甲板に配置するべく、ポイントなども設置されていた。

Img_1165  一般公開は、甲板の他に艦橋も見学者へ開放されていた。艦橋は、コンパクトにまとめられており、艦橋が見学できるということで、多くの人が集まり、ここだけ人口密度が高かったようにも思う。本艦は、護衛艦などと比べると比較的小型であるが、用途の関係上、横幅が充分取られているので荒天時の動揺は比較的少ないということだ。

Img_1174  見張員用の双眼鏡。イージス艦あたご、が潜水艦の潜望鏡を発見したのも、こういった見張員の双眼鏡なのだろう。ところで、話は飛ぶが、あの事件、鯨を見間違えたのでは、と報道されている。ただ、潜望鏡と流木を見間違えることはあっても、イージス艦を見て慌てて十分足らずで7km先の領海外に逃げ出す鯨、というのも変だ。国籍不明の潜水艦と考えるのが自然ではないか。そしてその発見した練度は、厳しい訓練の賜物でもあるように思う。

Img_1261  くろべ。本艦は海上自衛隊二隻目の訓練支援艦であり、海上自衛隊では2000年に訓練支援艦てんりゅう、を老朽化した初代訓練支援艦あづま、に代えて導入している。てんりゅう、は、くろべ、とほぼ同じ大きさであるが、当初は、より高度な訓練支援を目指し、航空機運用能力の付与を検討していたとのことである。一般に、装備を導入するだけで、戦力化若しくは抑止力の一端を担った、と勘違いされる方もいるようだが、実際に訓練し、使える体制を構築してこその抑止力。海上自衛隊の訓練支援艦という区分は、その実現を目指した重要な装備のひとつでもあるといえよう。

HARUNA

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USS DDG-85 McCampbell (ARLEIGH BURKE CLASS)

2008-09-27 23:25:20 | 在日米軍

■更に11隻を追加建造

 満載排水量で14000㌧に達するズムウォルト級駆逐艦、3000㌧未満の船体に50ノット以上の速力と投射能力を内包させたフリーダム級,インディペンデンス級沿海域戦闘艦がコスト高騰となり、事実上建造中のものを除き整備計画はキャンセルというかたちとなった。

Img_8820  特にズムウォルト級駆逐艦は、米議会予算局の見積で建造単価が50億ドルに達するとみられ、当初見積もりの32億ドルでも高すぎるとされた中で、建造の中止は致し方ないと見られている。代案として、無難なアーレイバーク級ミサイル駆逐艦の11隻追加建造が決定することとなった。アーレイバーク級は62隻が就役もしくは建造中であり、更に11隻が発注されれば73隻の一大勢力を構成することと成る。

Img_8822  写真はDDG85マッキャンベル、イージス艦であるアーレイバーク級にヘリコプター格納庫を追加設計したフライトⅡAに属する一隻で、満載排水量9200㌧、全長155.3㍍、ガスタービン四基二軸によるCOGAG方式を採用しており、出力は105000馬力で最高速力は31ノット。アーレイバーク級はもともと、ヘリコプター運用能力を欠いていることが構造上の難点とされており、フライトⅡAよりヘリコプター2機の格納庫を配置している。乗員は366名。

Img_8826  フライトⅡAは、コスト低減の為に搭載艇を安価な複合艇に改め、ハープーン四連装発射器、曳航式パッシヴソーナー(TASS)、20㍉CIWSをコスト低減の為に省き、極力安価な艦を目指している。しかしながら、ヘリコプター二機をV字型に配置し、その中間部分にミサイルを内蔵した垂直発射器(VLS)を配置するなど、やや無理があるようにも思える。

Img_8829  駆逐艦としては破格の大きさを誇るアーレイバーク級ミサイル駆逐艦であるが、イージスシステムはそれ以上に大きく、艦内の余裕や居住性、将来の発展性には限界があると指摘もされていた。もともとが、アーレイバーク級は冷戦時代に津波のようなソ連航空部隊の波状攻撃から艦隊を防護する目的で建造された、いわば冷戦時代の一種の応急艦ともいえた。

Img_8836  この点、ズムウォルト級以降は、スプルーアンス級のような余裕のある設計を採用し、将来的な改修と近代化に対応させることで、より長い期間を運用出来るべく考えられていたのだが、他方でコスト高騰とともに、原油価格の高騰が将来のライフサイクルコストにも影響を与えることとなった。冷戦後は、フロムザシー戦略に基づき、戦力投射こそが次世代の要求と考え、これに沿った装備を各国が模索、米海軍も同様の流れにむけ研鑽していたが、実際には太平洋正面では対潜任務の重要性が再認識されつつある。この点、アーレイバーク級以降の水上艦に関する再検討の機会を改めて受けたとも言え、同様の道筋を同じ太平洋において歩むだろう日本にとっても、今後の米海軍水上艦体系の進展に興味が持たれるのではないか。

HARUNA

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カナダ海軍部隊 親善訪問へ横須賀基地に入港予定 10月1日~10月4日

2008-09-26 21:38:17 | 北大路機関 広報

■外国艦艇横須賀寄港

 最初に、名作のリメイクについて紹介。明日2100時より、西村京太郎の長編推理小説『山陽・東海道殺人ルート』が十八年ぶりにリメイクされ、放送されるとのこと。寝台特急を使ったトリックに挑む十津川警部の推理小説の実写化で、三橋達也に代わり高橋英樹が十津川警部を演じる、お薦めの一本。

Img_2725  閑話休題。海上自衛隊ニュースリリース()によれば、10月1日から10月4日まで、横須賀基地の吉倉桟橋へカナダ海軍の艦艇が親善訪問を予定しているとの事。海上自衛隊は、ホストシップとして艦長の恒益俊春2佐隷下の護衛艦「たかなみ」を派遣するとのことで、寄港するのは、ハリファクス級フリゲイト「カルガリー」(指揮官、艦長ウィリアム・クイン中佐)、補給艦「プロテクター」(艦長イアン・ウッド中佐)の二隻。プロテクターというと非核神戸方式の際に有名となった補給艦である。

Img_0181 吉倉桟橋に寄港するということなので、ヴェルニー公園や、安針台公園から入港と出港の様子は見学できるか、と。ただし、「ひゅうが」などが利用する新埠頭建設のために、ヴェルニー公園から吉倉桟橋までの間の海上では浚渫工事が実施されているので、ヴェルニー公園からはやや視界が遮られているかもしれない。

Img_1061  カナダ海軍艦艇の日本寄港は1960年以来23回目。10月1日の0900時に補給艦「プロテクター」、0930時にフリゲイト「カルガリー」が入港、0945時から1000時にかけて入港歓迎行事が行われ、10月4日0800時に「カルガリー」、0815時に「プロテクター」がそれぞれ出港予定。停泊中に一般公開や電灯艦飾などの予定は無いとのこと、しかし、米海軍以外の艦艇寄港ということで、もしお時間のある方は、足を運んでみてはどうだろうか。

HARUNA

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原子力空母ジョージ・ワシントン 前方展開として横須賀に配備

2008-09-25 20:35:07 | 防衛・安全保障

■CVN-73 George Washington

 本日、海上自衛隊横須賀基地に隣接するアメリカ海軍横須賀施設へ、キティーホークに代わる航空母艦として、原子力空母ジョージ・ワシントンが到着した。

Img_2817  ジョージ・ワシントンは、火災事故がなければ、リムパックに参加した護衛艦はるな、きりしま、とともに横須賀に入港するとみられていたが、修理の関係上、予定していたリムパック参加を含め中止となり、日本到着も一ヶ月ほど遅れることとなった。ジョージ・ワシントンは10月に行われる韓国建国60周年観艦式に参加するべく、近く横須賀を出航する必要があるため、艦載機を厚木基地に送らず、そのまま艦載機を飛行甲板に並べての入港となった。

Img_3389  写真は、12号バースに停泊する強襲揚陸艦エセックス。ジョージワシントンは、この12号バースを主として利用する。ジョージ・ワシントンは満載排水量102000㌧、写真のエセックスもかなり大きいが満載排水量は40650㌧ということだから、ジョージ・ワシントンが如何に大きいかが、数字だけでも分かるのではないか。

Img_3310  アメリカが航空母艦を日本へ前方展開させる背景には、斜陽傾向にあるとはいえ、アメリカに次ぐ世界最大規模の市場とGDPを有する同盟国の存在に配慮してであり、且つ、アジア地域の安全保障に大きな関心を持っていることに他ならない。なお、本日、入港を撮影に行きたいのはやまやまなのだが、諸般の事情で行くことが出来なかったのは残念であった。

HARUNA

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陸上自衛隊 今津駐屯地創立56周年記念行事(今津駐屯地祭2008)

2008-09-24 19:44:59 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■今津駐屯地祭 2008年9月21日

 本日は、9月21日に行われた今津駐屯地の模様をお伝えしたい。琵琶湖を見下ろす美しい風景に囲まれた今津駐屯地は二個戦車大隊というかなりの規模の戦車部隊が駐屯する駐屯地として知られている。

Img_6023  全国的に雨天となった9月21日、その降雨は滋賀県の湖北でも例外ではなく、極地豪雨の様相を呈していた。しかしながら、二個戦車大隊が駐屯する今津駐屯地のような戦闘職種部隊の駐屯地では、豪雨程度では晴天予定にて式典を実施する。衝撃力と打撃力こそが機甲部隊の骨子であり、装備する74式戦車と、戦車を扱う熟練の機甲科隊員たちには、天候を跳ね除けるだけの実力と訓練が備えられているということか。

Img_6079  並ぶ戦車を背景に、89式小銃を携行した機甲科隊員を中心とした部隊入場が開始される。さて、今津駐屯地56周年記念行事であるが、不思議なことに式典が開始される時刻が近付くと、雨が小雨に、そして雨が上り始めた。記念式典にあわせ雨が上るとは幸先がいい。

Img_6080  式典会場に整列した部隊。第3戦車大隊、第10戦車大隊の戦車中隊旗がずらりと並ぶ。会場には、早朝からの雨のせいもあって大きな水溜りが目立つ。これほどの雨天なので、入場者は少なめ、かと思いきや、式典開始時刻になると、例年と比べてややすくないものの、観閲台両脇の一般観覧席はもちろんのこと、会場周辺の見学開放地区までが、見学者で満員となった。

Img_6136  國嶋健一今津駐屯地司令が部隊巡閲を行う。駐屯地司令の國嶋1佐は、第3戦車大隊長を兼任しており、2個戦車中隊を隷下に持つ戦車部隊指揮官でもあるのだ。今年度の今津駐屯地祭は、前期教育を終え、機甲科配属となり後期教育中の隊員も式典に参加、会場は例年よりも多い隊員が整列している。

Img_0643  今津駐屯地には、第3師団隷下の第3戦車大隊、第10師団隷下の第10戦車大隊と、これらの戦車部隊を整備補給面などでバックアップする第3後方支援連隊、第10後方支援連隊の戦車直接支援中隊が駐屯、さらに地区警務隊派遣隊や基地通信中隊の派遣隊、駐屯地業務隊が駐屯している。また、今年3月には中部方面移動監視隊が今津駐屯地に新編され、この新部隊も記念行事に参加した。

Img_6161  國嶋司令は、式典における訓示で、今津駐屯地56年の歴史を振り返りつつ、中部方面隊機甲戦力の大半が駐屯するという今津駐屯地駐屯部隊の重要性と、近年変化を続ける国際情勢や自衛隊の変革とを関連付け、一層の団結と訓練の強化、精強な部隊の練成を目指す旨を述べると共に、新しく新編された中部方面移動監視隊への期待と激励を強調し、訓示を終えた。

Img_6174  観閲行進準備!、一通りの来賓祝辞と祝電披露、出席者の紹介を終えると、会場に号令が響き渡る。第3音楽隊の演奏とともに、整列した隊員は回れ右をするが早いか駆け足で式典会場を後にする、観閲行進に参加する隊員は素早く自分の戦車に駆け寄ると一列に整列。戦車前で整列する隊員たちを戦車長が素早く点呼をとり、そのまま戦車に駆け上がって乗車をはじめた。雨天の為取り付けられていた機銃のカバーが取り外され、乗員全員が車上にて所定の配置についた。

Img_6229  74式戦車に搭載された720馬力の空冷2ストローク10気筒ターボディーゼルエンジンが一斉に唸りを上げると、駐屯地の一角は濛々たる排気に霞む。と同時に、74式戦車のライトが一斉に点灯、38㌧の戦車が無限軌道の金属音を響かせつつ、順次観閲行進待機位置へと移動を開始した。

Img_6287  指揮官車に続き、観閲行進に参加した最初の部隊は3月24日に新編された中部方面移動監視隊の車両部隊である。特に注目を集めたのが、陸上自衛隊で最初に今津駐屯地へ配備された“広域用監視装置 千里眼”と“全天候型監視室”の車両である。このほか、後述するJTPS-P23地上レーダ装置一号(改)が観閲行進と訓練展示に参加、最新鋭装備の堂々たる式典参加に一同、驚かされた次第。

Img_6360  第3戦車大隊本部管理中隊の96式装輪装甲車が続き、戦車部隊の観閲行進が始まる。既に、観閲行進待機位置には多くの74式戦車が待機している。今津駐屯地祭の観閲行進は全て車両行進、各戦車中隊より四両の74式戦車が参加しており、戦車24両を中心とした車両57両が観閲行進を実施した。

Img_6510  第10戦車大隊の74式戦車が続く。74式戦車は、三菱重工を中心に国産戦後第二世代の戦車として開発された戦車。特徴は、油圧式サスペンションによる車体傾斜装置により丘や斜面などの地形を守りと利用しつつ、レーザー測距装置と弾道コンピュータにより正確に目標へ照準し、必殺の105㍉砲弾を発射する。限定的な夜戦能力を有するほか、高い鋳造技術により、敵の砲弾が命中した場合でも浸徹せず、横に反れて滑るような形状の砲塔が特徴である。

Img_6537  1974年に制式化されたということで、その後に誕生した第三世代戦車のチタン合金やセラミックなどの強靭な装甲と1500馬力クラスのエンジンを搭載し120㍉クラスの主砲を搭載した戦車と比べれば、現在では旧式化している事は否めないが、最新型の戦車を優先的に受領する北海道以外の戦車部隊では、この74式戦車が主力である。なお、現在、三菱重工と防衛省技術研究本部が、74式戦車に代わる新戦車を制式化にむけて試験中である。

Img_6564  74式戦車は、第3戦車大隊に二個中隊、第10戦車大隊に四個中隊配備されている。この中隊数の違いは、第3師団は、大阪などの市街地におけるゲリラコマンドー対処に重点を置き、軽装甲機動車を大半の普通科中隊に配備するなど近接戦闘を想定した装備に近代化の重点を置いているのに対して、第10師団は、全国への機動展開に備え、戦車、火砲、ミサイルなどの火力を重視した装備に近代化の力点を置いていることに起因する。

Img_6690  観閲行進が終了すると、訓練展示模擬戦準備へと進む。この日は、例年であれば、対戦車ヘリコプターなどが祝賀飛行で参加するのだが、明野駐屯地から今津駐屯地までの空路が悪天候で飛行できなかったようだ。そうした中、訓練展示模擬戦に備えて、仮設敵陣地では、偽装網の展開や機関銃の配置などが着々と進められてゆく。

Img_6699  國嶋駐屯地司令の前で、訓練展示状況開始の報告を行う第10戦車大隊の第2戦車中隊長。大声で状況開始と叫び敬礼を交わすと、自らの戦車にむけて全力疾走していった。想定は、会場右手の丘陵地帯を仮設敵が占拠し、陣地構築中、これを特科、普通科の支援とともに戦車中隊が攻撃撃破するという野戦形式であった。

Img_6716  敵情を探るべく、第10戦車大隊本部管理中隊隷下の情報小隊が、偵察オートバイにて斥候に向かう。戦車大隊というと戦車の打撃力で遮二無二前進する印象があるが、火力の発達した現代の陸上戦闘では、そういった運用は各種対戦車火器の格好の標的となってしまうため、情報小隊による敵情斥候は重要な意味を持っている。

Img_6706  同時に、中部方面移動監視隊より派遣された地上レーダ装置1号(改)JTPS-P23が会場に進入してくる。85式地上レーダ装置の後継として開発されたJTPS-P23は、高機動車に車載されており、迅速に展開すると、素早くアンテナ部分を伸張させ、警戒にあたる。中部方面移動監視隊は、主にレーダ装置と高度な光学装置による沿岸監視任務などを実施する部隊だ。

Img_6720  レーダ装置の展開とともに、近距離まで接近した情報小隊を迎え撃つべく、仮設敵の機関銃が火を噴く。二つある陣地のうち、MINIMI分隊機銃を配置している陣地は勢いよく射撃を開始するのだが、62式機銃の方は射撃に苦慮している様子だった。なお、第3偵察隊の斥候車に搭載されていた62式機銃は快調であった。

Img_6814  姫路駐屯地の第3特科隊第4中隊に所属するFH-70榴弾砲が、発見された仮設敵陣地に向けて155㍉榴弾で射撃する。かつて、第3特科隊の前身である第3特科連隊の時代には、ここ今津駐屯地には師団全般火力支援部隊である第3特科連隊第5大隊の四個射撃中隊が駐屯しており、駐屯地祭では6門の榴弾砲が射撃していたのだが、師団改編により解散、現在は一門が参加するのみとなっている。

Img_6768  特科部隊の火力支援とともに、87式偵察警戒車が機関銃を撃ちまくりながら仮設敵陣地付近へ突進する。千僧駐屯地より展開した車両だ。偵察隊が駐屯する春日井駐屯地祭や出雲駐屯地祭であれば、これで状況終了となるのだろうが、今津駐屯地の仮設敵は巧みな陣地の秘匿により上手く装甲車の攻撃をかわした、という想定だ。

Img_6846  仮設敵の頑強な抵抗に対して、第10戦車大隊の74式戦車が攻撃前進に移る。105㍉戦車砲を油断無く敵陣地へ向けつつ、次々と稜線を乗り越えて会場に進入してきた。74式戦車の中には、障害除去のために、ドーザーを装着したものも見受けられた。砲塔の駆動は、毎秒24°旋回が可能な電動式で、被弾時に火災を起こしやすい油圧式と比べ生存性に優れている。

Img_6872  射撃位置に向かう74式戦車。長い砲身がよく判る。車体が振動していても射線を保てる背景には、砲安定装置(スタビライザー)の採用がある。戦車長が等倍・8倍切替式J3照準器により目標を探し自分の戦車に最も脅威を及ぼす目標の排除を年頭にして瞬時に目標を選定、砲手は8倍(夜間9.6倍)のJ1照準器で目標に照準し、仕留める。105㍉砲弾の装填は装填手による手動装填であり、揺れる車内で如何に早く装填するかは、日頃の訓練が大きく反映される。

Img_6888  大気を伝わり、引っ叩くような衝撃とともに空包を発砲する74式戦車。74式戦車が搭載する105㍉砲は、運動エネルギーで敵戦車の装甲を貫徹するAPDS-T(装弾筒付徹甲弾)、敵戦車の装甲に張り付いて爆発し衝撃で車内を破壊するHEP-T(粘着榴弾)、陣地攻撃から装甲車両攻撃まで様々な用途に有効なHEAT-MP(対装甲非装甲用成形炸薬榴弾)、硬度の高い炭化タングステン製弾芯を超音速で命中させ貫徹させるAPFSDS-T(装弾筒付翼安定徹甲弾)など多種多様な砲弾を射撃することが可能だ。

Img_6917  74式戦車は105㍉砲を矢継ぎ早に撃ち続け、その都度噴出す砲焔と発射ガスによって、会場は霧のような硝煙に包まれてゆく、その中から轟々たるエンジン音とともに、第10戦車大隊の攻撃部隊を支援するべく第3戦車大隊第2中隊と、福知山駐屯地より展開した第7普通科連隊第5中隊の軽装甲機動車が飛び出し、攻撃前進に参加する。

Img_7027  戦車前進!前へッ!!。74式戦車が徐々に包囲網を狭めてゆく。戦車砲で攻撃するような目標は既に無く、戦車は連装銃(同軸機銃という訳語が定着しているが、戦車砲に連装している機銃ということで、自衛隊では連装銃というようだ)として搭載している7.62㍉機銃を発砲しつつ前へ進んでゆく。

Img_6985  いまだ!、戦車部隊が射撃により仮設敵の気をひきつけているこの瞬間に、文字通り戦機が実った!、模擬戦に終止符を打つべく、96式装輪装甲車の一群が俊足を活かして仮設敵陣地の後方に回り込み包囲、頑強な抵抗を続けた仮設敵も逃げ場を失ったことで観念し、降参、状況は終了となった。

Img_7006  今津駐屯地祭では、グラウンドの広さに限界がある為、戦車同士の戦車戦を訓練展示で再現するというのは、難しいようである。従って、戦車が発砲し、特科火砲が展開と射撃を行うための安全域を確保すると、訓練展示の仮設敵陣地の位置も限られてしまうのだが、その分、野戦という陸戦の基本形を充分に見学することが出来る。

Img_0810  訓練展示模擬戦が終了すると、戦車試乗が行われた。グラウンドを戦車で一周するという戦車試乗であるが、普段、乗ることが出来ない戦車に乗れるということもあり、希望者の列はすぐに長くなった。戦車試乗では、戦車の砲塔後部、つまりエンジン部分の上に乗車台を設け、数人づつ乗車できるようになっている。後方にみえる白い建物は、第3戦車大隊の司令部で、司令部前の駐車場では装備品展示が行われている。

Img_0865  装備品展示には第3戦車大隊や第10戦車大隊の74式戦車や96式装輪装甲車のほか、第3偵察隊の87式偵察警戒車、軽装甲機動車に、姫路駐屯地のFH-70榴弾砲、そして隣の航空自衛隊饗庭野分屯基地より展開した第12高射隊のペトリオットミサイルなどが展示に並んだ。

Img_0900  注目を集めていたのが、中部方面移動監視隊の各種装備で、“広域用監視装置 千里眼”などは、一般公開行事における展示が今回初めて、ということもあってか、多くの人が集まっていた。ほんの十年前までは、中部方面隊といえば、北部方面隊などと比べ、最新装備の配備が遅れているという印象があったものの、京阪神と中京地区という大都市圏を管区内に有する方面隊ということもあり、近年、その配備状況はかわりつつあるようだ。

Img_7095  装備品展示会場では、野外音楽演奏も行われた。この大きなテントは、荒天時でも音楽演奏を行えるように配慮したものらしい。なお、この日、石川県の小松基地にて実施された小松基地航空祭2008も、きくところでは、ブルーインパルスの飛行展示が中止となった以外は、F-15を含め飛行展示も行われたようである。当日は、中央即応集団が饗庭野演習場で大規模な演習を実施しており、かなりの数の軽装甲機動車などが並んでいたのが印象的であった。駐屯地駐車場を出てしばらくすると、再び叩きつけるような雨がフロントガラスを覆ったが、行事中に豪雨とならなかったのは、本当に幸いだったといえる。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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特急まいづる号と嵯峨野山陰線・舞鶴線・小浜線の情景

2008-09-23 21:24:08 | コラム

■鉄道の日常風景

 今津駐屯地祭の速報記事を掲載しようと考えていたのですが、時間的に余裕が無いので明日掲載、本日は「まいづる」号などの日常風景を掲載したい。

Img_0005  二条駅に停車する、まいづる号183系。国鉄485系の系譜にある特急車であるが、新造車は国鉄特急として初めて自由席車にリクライニングシートを採用した特急車で、1973年度、鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞している。新造時からATCに対応しており、耐寒構造を採用するなど、登場当時は注目を集めた車両であるが、乗車してみると、座席から窓までが高く、景観を楽しむ配慮などは、もう少し出来なかったのか、と考えることもある。

Img_9982  東舞鶴駅に停車する「まいづる」号。183系は、そもそも房総半島の特急用に導入されたことから、東京の地下鉄部分乗り入れを想定し、貫通扉を設置している。しかし、編成短縮化などにより先頭車が不足し、485系特急車を改造して充当することもあったようだ。それでも先頭車は足りなかったとみえて、名鉄7500形中間車の運転台仕様のような外観の運転台を設置している。

Img_9992  西舞鶴駅に隣接して車庫に待機する北近畿タンゴ鉄道の車両たち。路線が非電化区間ということもあって、全て気動車となっている。特急タンゴディスカバリー号は、京都駅にも乗り入れている。天橋立までの観光特急という位置づけであるが、新世代特急ということもあり、車内は窓が大きく、まいづる号とは違ったという印象を受けた。このほか、タンゴエクスプローラ号も停車していたが、逆光で殆ど写らず、残念。

Img_9640  小浜駅に停車する125系電車。東舞鶴駅と敦賀駅を結んでいる。電化の際にコスト低減を目指し、変電所を極力少なくした設計の路線であるので、速度があまり出せない。このための配慮か、125系は両運転台方式のワンマン運転を想定しているが、車内にお手洗いを有し、223系に準じた転換式のクロスシート車という設計を採用している。

Img_9646  小浜駅に停車する除雪車。福知山か敦賀の車庫にいる車両だろうか。小浜線は2月に豪雪下、電車での突破を試みて、豪雪により立ち往生した経験があるが、残念ながら閑散区である小浜線は、保線設備などで同じ豪雪地域を走る北陸本線よりも荒天に弱い。あの日、このような除雪車があれば、とも考えたが、恐らくこの除雪車も、福知山線の機能維持に全力を発揮していたのだろう。

HARUNA

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名鉄パノラマカー『三河湾』号・『日本ライン』号・『さよなら7007編成』号

2008-09-22 20:44:16 | 北大路機関特別企画

■Weblog北大路機関60万アクセス突破記念企画 

 パノラマカー総力特集50万アクセス突破特別企画に続いて60万アクセス突破特別企画も、パノラマカー特集である。特急料金不要、特急から急行、普通電車から団体列車まで名鉄の象徴として活躍したパノラマカーもいよいよ最後の時が近付いてきている。

Img_5775  名鉄のシンボル、7000形パノラマカーと、同じくブルーリボン賞を受賞した傑作通勤車6000形の行き違い。名鉄パノラマカーは、高性能型の7500形が運用の難しさから先に廃止され、急行型の傑作5500形も既にその姿はない。しかし、看板列車であるパノラマカーは、当初2009年度までに廃止とされていたが、一部報道では、廃止予定が若干延ばされ、2010年3月31日まで4輌編成型の3編成が運行されるとのこと。もしかしたら、3400形のように、残ることもあるのではないか、と期待もしたい。

Img_2131  パノラマカー『三河湾 吉良吉田号』。8月9日に限り復活したパノラマカー名称列車で、かつて行楽シーズンなどに海水浴場に向かう旅行客を運んだパノラマカーヘッドマークである。パノラマカーが誕生した1960年代前半は、海水浴が行楽で大きな位置を占めており、知多半島や蒲郡方面に路線を持つ名鉄が重要な交通手段となっていた。

Img_2138  パノラマカー三河湾号には、旧特急用の白帯車7011F編成(四両編成)が投入された。三河湾号は、須ヶ口車庫においてヘッドマークを取り付け、出発、名鉄名古屋駅を始発として名古屋本線をすすみ、途中より西尾線に入線、吉良吉田駅に向かった。この列車は、定期ダイヤでは快速急行として従来型の電車で運行されているものに、7000形パノラマカーを充当した名称列車である。

Img_2144  撮影したのは、本星崎駅から徒歩で移動した沿線で、カーブを曲がり終えた電車をちょうど良い位置で撮影することが出来るスポット。撮影日和の快晴を背景に、パノラマカーの展望車は満席状態で、ラッシュ時でも見られないほどの盛況に。展望席には各種ビデオカメラが9台ほど並んでいる。

Img_5151  パノラマカー「日本ライン 新可児」号が8月30日に、名鉄岐阜駅を始発として新可児行き臨時特急として運行された。全席一般車の臨時特急には7011編成が用いられ、久しぶりに“特急 LTD EXP”の表示が掲げられ、雄姿を沿線に示した。当日、名鉄岐阜駅では、ポケモン電車見学会が行われ、小生もピカチュー氏の撮影を行った次第。ひこにゃん氏と同じような印象で、テレビで見るのとは違うなあ、という印象であったが、対して名鉄岐阜駅は満員御礼、撮影は沿線から行った。

Img_5154  車内一杯にパノラマカーファンを乗せ、叩きつける豪雨の雨粒を跳ね除けつつ、前へ進む特急パノラマカーの雄姿。「日本ライン」号が運行された当日は、極地豪雨の影響で、蒲郡付近では列車の運行に支障が出るほどの悪天候、したがって名称列車運行の可否も危ぶまれたが、幸いにして予定通り実施された。

Img_5164  パノラマカー「日本ライン」号は、木曽川急流下りで有名な日本ライン今渡駅への観光輸送が目的の名称列車、この分だと、紅葉や桜シーズンにも名称列車が運行されるのではないか、という期待も湧きあがってくる。ちなみに撮影場所は、名鉄岐阜駅からやや離れた沿線の踏み切り付近から撮影。

Img_5777  9月14日には、パノラマカー最後の六両編成、いわゆるP-6の7007編成がさよなら運転を行った。不定期運行の予備車両として維持されていた7007編成であるが、長い歴史に幕をおろした。当日は金山駅から知多半島の河和駅までの区間、乗車自由の団体列車として運行された。

Img_5783  現在、定期ダイヤにおいて、パノラマカーが運行されているのは名古屋本線の名鉄岐阜~伊奈間、犬山線の新鵜沼駅まで(定期ダイヤで各務ヶ原線乗り入れは、もう行われていない模様)、常滑線・空港線は終点の中部国際空港まで乗り入れているが、他の知多半島における路線は知多半田駅までの乗入となっている。運行は上り線平日13本、休日9本、下り線は平日休日共に9本となっている。

Img_5847  P-6編成のパノラマカーは、5000系により代替されており、6輌編成クロスシートが、4輌編成ロングシートで代替される形となっている。結果、運行が少ない車両数で可能となることで省エネとなるのかもしれないが、着席定数を減らし立ったまま乗客に移動を強いることで省エネを達成するという方法には疑問符が付かないでもない。

Img_5849  特急、快速急行、団体、と今日では特別ダイヤでなければ見ることの出来ない区分で運行されるパノラマカーの写真を掲載した。デビュー当時から脚光を浴び、一時は車両の三割近くをパノラマカーファミリーが占めた名鉄であるが、自慢の展望車に残された時間はあまり長くないことを考えると、やや重い気持ちとなってしまうが、最後までの活躍を期待したい。

HARUNA

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敦賀駅L特急撮影 特急雷鳥号・485系撮影紀行

2008-09-21 00:19:21 | コラム

■国鉄時代の系譜

 ブルートレインを横浜駅と名古屋駅で撮影したのに続き、今日は雷鳥号。第二北大路機関の方に、小松基地航空祭のプログラムと、航空自衛隊HPに掲載されていたF-15J事故後飛行再開のニュースを引用してあるので、ご入用の方は参照していただければ幸い(http://harunakurama.blog10.fc2.com/blog-entry-132.html)。

Img_9594  特急雷鳥号。485系電車は、伝統の国鉄カラーのまま運行されている。濃いクリームカラーにレッドストライプが配置された塗装を「こだま塗装」といい、東京と大阪を直通した特急運行の際に、蒸気機関車も運行されている時代、比較的退色や煤などにより車体塗装が汚れず、加えてスピード感を印象付けられるカラーリングとして考えられた。その後、東海道新幹線では蒸気機関車との並走なども考えられなくなり、ホワイトにブルーストライプというカラーリングが実現した次第。

Img_9596  485系は、国鉄最初の電車特急として知られる181系の系列車両で、481系、483系、485系とともに国鉄では最大勢力を形成した。北海道で運行される781系と車体・室内は同じであり、寝台電車である581系・583系とも走行などは共通である。183系や振子式制御装置を取り付けた381系など、設計とスタイルは長く受け継がれ、特急用としては1981年に185系が導入されるまで、国鉄特急の基本形を支えてきた。北陸本線では、国鉄急行型の車両も多数運行されているので、一時代を築いた車両たちの協奏を感じることが出来る。

Img_9603  敦賀駅は、交流電化と直流電化の境界線にあり、ここで485系は、一部のパンタグラフを降ろす。この駅は直流用、交流用の様々な列車を見ることが出来、加えて日本海縦貫線をゆく寝台特急もこの敦賀駅を経て日本海に達するため、その分様々な列車を撮影することが出来る。

Img_9606  雷鳥は、大阪駅を始発として、京都駅を経て、そして湖西線をショートカットし、敦賀に至る。終点金沢まで、福井や小松を経由する。サンダーバード号とともに大阪と金沢を結んでおり、名古屋と金沢を結ぶ、しらさぎ号とともに、金沢と大阪、名古屋を結んでいる。ちなみに敦賀は、新快速が運行されており、アーバンネットワークの末端を構成しているが、北陸方面への列車は多くなく、特急も貴重な列車として重宝されている。

Img_9609  485系の後継としては683系特急車の改良型が構想されているが、この車両は160km/hが可能な高性能車である。ここまで性能の高い車両が導入されるのならば、別に北陸新幹線を無理して開業せずとも、高架線を設けて極力直線化し、在来線車両を170km/h運転した方が早く目的地に就くのではないかと考えたりもしてしまう。

Img_9615  485系は、車内を改装することで、サービスを新型特急車に見劣りしないよう心がけている。その一時例というべきか、この編成の後部は、パノラマグリーン車となっており、限定的ながら前面展望を楽しむことが出来る座席だ。金沢駅に向けて、特急雷鳥号が長い編成を徐々に速度を上げつつ、敦賀駅を出発してゆく。

HARUNA

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