2005年9月11日、滋賀県高島市にある陸上自衛隊今津駐屯地において、駐屯地創設記念式典が行われた。
今津駐屯地は第三戦車大隊及び第十戦車大隊の駐屯する戦車部隊の一大拠点で、日本原駐屯地(第13戦車中隊)とならび中部方面隊管区における機動打撃部隊を担い、且つ若狭湾・伊勢湾を結ぶ本州最狭部という戦略的要衝に立地する駐屯地である。また、戦車部隊に加えて第三特科連隊第五大隊が駐屯し、戦車勢力78輌、榴弾砲8門が配備されている。
なお、駐屯地は開設53周年を迎えるも、駐屯する第三特科連隊第五大隊は、防衛大綱の改訂に伴う部隊縮減計画から今年度末に解散し、隊員は姫路の第三特科連隊に移るということで、部隊として最後の参加となる。
正門から会場に向かう途中には、部隊の生き証人というべき61式戦車・74式戦車、そして155㍉榴弾砲M-1が展示されていた。こうしてみると、今津駐屯地は、駒門駐屯地と並び最も遅くまで61式戦車を運用していた部隊である事が思い出される。
整然と分列行進で会場へ向かう機甲科隊員。自衛用の個人携帯火器としてM-3短機関銃と9㍉拳銃を携行していた。また、特科隊員は64式小銃を携帯していた。M-3は11.4㍉拳銃弾を使用するもので、第二次大戦で連合軍が大規模に使用したことで知られるが、老朽化は否めず、折畳式銃床型の89式小銃への更新が望まれる。
指揮官巡閲。
この後の指揮官訓示において、昨年末の新防衛大綱制定のなかで、新しい脅威に対応できる精強な部隊育成を強く望むと共に、国際貢献や災害派遣という多様な任務に対応できる柔軟性の重要性を説き士気を鼓舞した。
観閲行進に先立ち、続々と移動し、会場左方に待機する車輌部隊。
74式戦車の縦列が望遠レンズの圧縮効果により重なってみる事が出来る。
観閲行進は、今年度末にて解散となる第三特科連隊第五大隊の82式指揮通信車、そしてFH-70榴弾砲を先頭に開始された。
なお、今津駐屯地では、他の駐屯地とは異なり徒歩行進は無く、全てが車輌行進であるため、音楽隊の演奏も最初からテンポの速い軽快なものとなっている。
第三戦車大隊の74式戦車。
部隊マークが、獅子の背景に三本の白帯が描かれたものが第三戦車大隊、そして鯱が描かれたものが第十戦車大隊の所属を意味する。
蛇足ながら、鯱も、淵の部分をなぞれば数字の10が現れるという。
式典の最後を飾るべく、祝賀飛行を行うヘリコプター。
参加ヘリは、OH-6観測ヘリ、そしてAH-1S対戦車ヘリの合計二機。
贅沢かもしれないが半径250km以内で最大規模の戦車部隊駐屯地なのであるから、もう少しヘリを飛ばせないだろうか、せめてAH-1Sは三機編隊、OH-6も二機くらいは飛行して欲しかったものである。
観閲行進終了。そして模擬戦闘へ移るべく準備が始まる。その間、音楽隊の演奏や、73式大型トラック上で行われる力強い機甲太鼓が会場を盛り上げる。
これは東千歳駐屯地における第七師団創設記念式典でも見られた光景である。
模擬戦闘が開始された。
会場上空に観測ヘリが飛来する。観測ヘリは、目標を俯瞰でき、かつ発見が困難な樹海、尾根に身を隠し、特科部隊の戦闘に対して、目標の索敵、弾着観測等を行う。しかし、身を晒す時間が長ければ発見され、SAMによる攻撃を受けるばかりか、我が攻撃意図が露呈する恐れがあり、迅速俊敏が第一となる。これには瞬時の情景把握能力、そして機転が必要となる。
尚、更に砲撃の正確性を高めるべく、特科連隊には対砲レーダーや音響観測装置、天候観測装置などを有する情報中隊が編成されているが、これは連隊本部が置かれている姫路駐屯地にある。
観測ヘリが発見した目標の詳細を偵察すべく、偵察隊の87式偵察警戒車が前進する。意外に知られていないが、偵察隊は機甲科部隊に属している。
偵察隊は名古屋市近郊の春日井駐屯地から駆けつけたもので、装輪装甲車の戦略機動能力を垣間見る事が出来た。
発見した敵目標に対して、上空からAH-1S対戦車ヘリが攻撃を加える。夜間作戦能力も有する専用攻撃ヘリは、数千メートル(TOWの場合3750㍍)先から正確に攻撃を加える事が出来、搭載する20㍉機関砲は最も薄いとされる戦車の上部装甲、そして装甲車に対してはてきめんの効果を上げ、3.75inロケット弾はまさに飛行する砲兵としての地域制圧能力を有する。
後継にAH-64D戦闘ヘリが選定されたが、高価格から配備は遅々として進まず、暫くは写真のAH-1Sの時代が続こう。
猛スピードで増援に駆けつけたFH-70、牽引する73式大型トラックが泥土を跳ね上げつつ進入する。
なお、トラックでは不整地突破能力に限界があり、空挺部隊ではないので牽引車輌に重量上限は無い。かつての73式牽引車ではないが可能ならば、重装輪回収車のような大型車体の牽引用への転用が望まれる。
増援を含め六門の特科部隊が榴弾砲により目標を制圧する。長径55㍍、短径45㍍の地域を制圧可能な155㍉砲弾は露出する人員、車輌、物資を破壊し、貫徹弾を用いればコンクリートなどで出来た重目標の破砕も可能となっている。
目標に直接攻撃を加えるべく、74式戦車3輌が進入する。倉庫群の隙間から現れる戦車部隊はあたかも都市型戦闘を髣髴とさせるものである。
油気圧式懸架装置により車体形状を変化させる74式戦車。74式戦車は射撃指揮装置にコンピュータを搭載し、避弾経始を重視した防弾鋳鋼の砲塔といった誇るべき特色があるが、やはり最大の特色は油気圧式懸架装置による姿勢変換能力で、上下左右に±200㍉の変更が可能である。これによって地形を最大限に活かし戦闘を遂行する事が可能となった。第四次中東戦争では、T-62、T-72といったソ連製戦車の多くが仰角俯角を行う事が出来ずイスラエル軍のM-60やベングリオン戦車に一方的に敗退した事を考えれば有用な装備であるといえよう。
空砲が沸き上げた白煙の中から、74式戦車の精悍な車体が浮かび出てくる。目標の直前まで肉薄し、模擬戦闘は終了した。
なお、蛇足ながら、今回の模擬戦闘は二箇所の銃座に展開した歩兵四名であった。オーバーキルのような感じもする。可能ならば、来年度は仮想敵に装甲車、可能ならば鉄板で他の戦車に偽装した74式戦車を用いての戦車戦闘を期待したい。他に、空からの攻撃の脅威が進む中、空砲で掃射するヘリを戦車が搭載する重機関銃での撃退という展示なども盛り込んでは如何だろうか。
模擬戦闘の最終局面。
目標に肉薄した戦車も前に敵部隊は玉砕か降伏を余儀なくされた、こうして大団円の内に模擬戦闘が終了し、停止した戦車部隊上空をヘリコプターが通過する。
模擬戦終了後、北陸地方に進出していた低気圧と前線の関係で会場は豪雨に襲われた。豪雨の中で操作人員無きまま置かれるFH-70榴弾砲が、同部隊の解散を髣髴とさせもの寂しい。
幸いにして豪雨は模擬戦闘終了直後であった、あと五分ずれていたらば、突然の豪雨に雨具だ傘だ、雨宿りだ、と観客席は大混乱となっていただろう。
豪雨の中装備品展示の為に着陸を強行するAH-1S、時間をずらしOH-6も着陸したが、ローターが巻き上げる水滴が全てを物語っているが、豪雨の影響で戦車がキャタピラにより蹂躙したグランドは泥濘と化して、誰も近寄らず。今まで多くの機会でAH-1Sを見学したが、一般公開の機会で全く見学者が居ないというのは初めての経験であった。
大隊本部管理中隊所属の60式装甲車。428輌が配備されたが現役にあるものは多くは無い。写真は会場からモータープールを撮影したもので、少なくとも10両ほどを確認する事が出来た。後継には73式装甲車か、96式装輪装甲車が充てられよう。なお、豪雨のなか、上部扉を開放していたが、大丈夫なのだろうか、迷彩塗装に部隊マークも明確に確認でき、銃架もそのままで、廃棄されたものには見えないのだが・・・。
豪雨の中の装備品展示。奥の塔にIMADUの文字が確認できる。恐らく来年度は姫路駐屯地か豊川駐屯地からFH-70が駆けつける事となろう。また、福知山から第七普通科連隊の軽装甲機動車が駆けつけていた。なお、第三師団には今年から軽装甲機動車の配備が始まっている。
今津は、JR湖西線で一本。敦賀・福井方面、京阪神、名古屋からは充分日帰圏内にある。
駐車場も豊富で、戦車饅頭、そして名産である枝豆を偽装材よろしくまとって見学している人も居た。岐阜市からは自動車で一時間半。中部方面隊管区において戦車部隊を見るならば今津である!
HARUNA
今津駐屯地は第三戦車大隊及び第十戦車大隊の駐屯する戦車部隊の一大拠点で、日本原駐屯地(第13戦車中隊)とならび中部方面隊管区における機動打撃部隊を担い、且つ若狭湾・伊勢湾を結ぶ本州最狭部という戦略的要衝に立地する駐屯地である。また、戦車部隊に加えて第三特科連隊第五大隊が駐屯し、戦車勢力78輌、榴弾砲8門が配備されている。
なお、駐屯地は開設53周年を迎えるも、駐屯する第三特科連隊第五大隊は、防衛大綱の改訂に伴う部隊縮減計画から今年度末に解散し、隊員は姫路の第三特科連隊に移るということで、部隊として最後の参加となる。
正門から会場に向かう途中には、部隊の生き証人というべき61式戦車・74式戦車、そして155㍉榴弾砲M-1が展示されていた。こうしてみると、今津駐屯地は、駒門駐屯地と並び最も遅くまで61式戦車を運用していた部隊である事が思い出される。
整然と分列行進で会場へ向かう機甲科隊員。自衛用の個人携帯火器としてM-3短機関銃と9㍉拳銃を携行していた。また、特科隊員は64式小銃を携帯していた。M-3は11.4㍉拳銃弾を使用するもので、第二次大戦で連合軍が大規模に使用したことで知られるが、老朽化は否めず、折畳式銃床型の89式小銃への更新が望まれる。
指揮官巡閲。
この後の指揮官訓示において、昨年末の新防衛大綱制定のなかで、新しい脅威に対応できる精強な部隊育成を強く望むと共に、国際貢献や災害派遣という多様な任務に対応できる柔軟性の重要性を説き士気を鼓舞した。
観閲行進に先立ち、続々と移動し、会場左方に待機する車輌部隊。
74式戦車の縦列が望遠レンズの圧縮効果により重なってみる事が出来る。
観閲行進は、今年度末にて解散となる第三特科連隊第五大隊の82式指揮通信車、そしてFH-70榴弾砲を先頭に開始された。
なお、今津駐屯地では、他の駐屯地とは異なり徒歩行進は無く、全てが車輌行進であるため、音楽隊の演奏も最初からテンポの速い軽快なものとなっている。
第三戦車大隊の74式戦車。
部隊マークが、獅子の背景に三本の白帯が描かれたものが第三戦車大隊、そして鯱が描かれたものが第十戦車大隊の所属を意味する。
蛇足ながら、鯱も、淵の部分をなぞれば数字の10が現れるという。
式典の最後を飾るべく、祝賀飛行を行うヘリコプター。
参加ヘリは、OH-6観測ヘリ、そしてAH-1S対戦車ヘリの合計二機。
贅沢かもしれないが半径250km以内で最大規模の戦車部隊駐屯地なのであるから、もう少しヘリを飛ばせないだろうか、せめてAH-1Sは三機編隊、OH-6も二機くらいは飛行して欲しかったものである。
観閲行進終了。そして模擬戦闘へ移るべく準備が始まる。その間、音楽隊の演奏や、73式大型トラック上で行われる力強い機甲太鼓が会場を盛り上げる。
これは東千歳駐屯地における第七師団創設記念式典でも見られた光景である。
模擬戦闘が開始された。
会場上空に観測ヘリが飛来する。観測ヘリは、目標を俯瞰でき、かつ発見が困難な樹海、尾根に身を隠し、特科部隊の戦闘に対して、目標の索敵、弾着観測等を行う。しかし、身を晒す時間が長ければ発見され、SAMによる攻撃を受けるばかりか、我が攻撃意図が露呈する恐れがあり、迅速俊敏が第一となる。これには瞬時の情景把握能力、そして機転が必要となる。
尚、更に砲撃の正確性を高めるべく、特科連隊には対砲レーダーや音響観測装置、天候観測装置などを有する情報中隊が編成されているが、これは連隊本部が置かれている姫路駐屯地にある。
観測ヘリが発見した目標の詳細を偵察すべく、偵察隊の87式偵察警戒車が前進する。意外に知られていないが、偵察隊は機甲科部隊に属している。
偵察隊は名古屋市近郊の春日井駐屯地から駆けつけたもので、装輪装甲車の戦略機動能力を垣間見る事が出来た。
発見した敵目標に対して、上空からAH-1S対戦車ヘリが攻撃を加える。夜間作戦能力も有する専用攻撃ヘリは、数千メートル(TOWの場合3750㍍)先から正確に攻撃を加える事が出来、搭載する20㍉機関砲は最も薄いとされる戦車の上部装甲、そして装甲車に対してはてきめんの効果を上げ、3.75inロケット弾はまさに飛行する砲兵としての地域制圧能力を有する。
後継にAH-64D戦闘ヘリが選定されたが、高価格から配備は遅々として進まず、暫くは写真のAH-1Sの時代が続こう。
猛スピードで増援に駆けつけたFH-70、牽引する73式大型トラックが泥土を跳ね上げつつ進入する。
なお、トラックでは不整地突破能力に限界があり、空挺部隊ではないので牽引車輌に重量上限は無い。かつての73式牽引車ではないが可能ならば、重装輪回収車のような大型車体の牽引用への転用が望まれる。
増援を含め六門の特科部隊が榴弾砲により目標を制圧する。長径55㍍、短径45㍍の地域を制圧可能な155㍉砲弾は露出する人員、車輌、物資を破壊し、貫徹弾を用いればコンクリートなどで出来た重目標の破砕も可能となっている。
目標に直接攻撃を加えるべく、74式戦車3輌が進入する。倉庫群の隙間から現れる戦車部隊はあたかも都市型戦闘を髣髴とさせるものである。
油気圧式懸架装置により車体形状を変化させる74式戦車。74式戦車は射撃指揮装置にコンピュータを搭載し、避弾経始を重視した防弾鋳鋼の砲塔といった誇るべき特色があるが、やはり最大の特色は油気圧式懸架装置による姿勢変換能力で、上下左右に±200㍉の変更が可能である。これによって地形を最大限に活かし戦闘を遂行する事が可能となった。第四次中東戦争では、T-62、T-72といったソ連製戦車の多くが仰角俯角を行う事が出来ずイスラエル軍のM-60やベングリオン戦車に一方的に敗退した事を考えれば有用な装備であるといえよう。
空砲が沸き上げた白煙の中から、74式戦車の精悍な車体が浮かび出てくる。目標の直前まで肉薄し、模擬戦闘は終了した。
なお、蛇足ながら、今回の模擬戦闘は二箇所の銃座に展開した歩兵四名であった。オーバーキルのような感じもする。可能ならば、来年度は仮想敵に装甲車、可能ならば鉄板で他の戦車に偽装した74式戦車を用いての戦車戦闘を期待したい。他に、空からの攻撃の脅威が進む中、空砲で掃射するヘリを戦車が搭載する重機関銃での撃退という展示なども盛り込んでは如何だろうか。
模擬戦闘の最終局面。
目標に肉薄した戦車も前に敵部隊は玉砕か降伏を余儀なくされた、こうして大団円の内に模擬戦闘が終了し、停止した戦車部隊上空をヘリコプターが通過する。
模擬戦終了後、北陸地方に進出していた低気圧と前線の関係で会場は豪雨に襲われた。豪雨の中で操作人員無きまま置かれるFH-70榴弾砲が、同部隊の解散を髣髴とさせもの寂しい。
幸いにして豪雨は模擬戦闘終了直後であった、あと五分ずれていたらば、突然の豪雨に雨具だ傘だ、雨宿りだ、と観客席は大混乱となっていただろう。
豪雨の中装備品展示の為に着陸を強行するAH-1S、時間をずらしOH-6も着陸したが、ローターが巻き上げる水滴が全てを物語っているが、豪雨の影響で戦車がキャタピラにより蹂躙したグランドは泥濘と化して、誰も近寄らず。今まで多くの機会でAH-1Sを見学したが、一般公開の機会で全く見学者が居ないというのは初めての経験であった。
大隊本部管理中隊所属の60式装甲車。428輌が配備されたが現役にあるものは多くは無い。写真は会場からモータープールを撮影したもので、少なくとも10両ほどを確認する事が出来た。後継には73式装甲車か、96式装輪装甲車が充てられよう。なお、豪雨のなか、上部扉を開放していたが、大丈夫なのだろうか、迷彩塗装に部隊マークも明確に確認でき、銃架もそのままで、廃棄されたものには見えないのだが・・・。
豪雨の中の装備品展示。奥の塔にIMADUの文字が確認できる。恐らく来年度は姫路駐屯地か豊川駐屯地からFH-70が駆けつける事となろう。また、福知山から第七普通科連隊の軽装甲機動車が駆けつけていた。なお、第三師団には今年から軽装甲機動車の配備が始まっている。
今津は、JR湖西線で一本。敦賀・福井方面、京阪神、名古屋からは充分日帰圏内にある。
駐車場も豊富で、戦車饅頭、そして名産である枝豆を偽装材よろしくまとって見学している人も居た。岐阜市からは自動車で一時間半。中部方面隊管区において戦車部隊を見るならば今津である!
HARUNA