■京都を散策する意味
大晦日というのは究極の日常に訪れる幕間のひとときです。

東本願寺、2022年は考えさせられる事が多かった故に日常の幕間に散策する旅情、思い浮かべる2022年最後の寺院で思い浮かべたのはここ東本願寺でした。結局のところ、この一年間は暴力が支配したという一年なのかもしれません。まさか2020年代に、と思った。

実りある一年でした、なにより仕事と防疫、この一辺倒であった数年から一気に粋にという日常が回帰しまして、なにしろふと散策しようという心のゆとりが、主としてCOVID-19の鎮静化とワクチンの予防普及によるところが大きいけれども、戻ってきたというゆえ。

日常と国際情勢、国内情勢の乖離が激しい、こういう認識は上記の暴力という視点で端的に示されています。こう大樹の様な柱にもたれかかり、腕を組み報道を思い起こすだけでも、2003年イラク戦争や2011年東日本大震災に2020年感染拡大より、世界は深刻だ。

ロシア軍ウクライナ侵攻は、文字通り暴力そのものであり、ウクライナにはナチスがいてロシア系住民の虐殺が侵攻している、これは変な街で撒かれているビラなどではなく、一国の元首が、OSCE全欧安全保障協力機構などを通さず一方的な陰謀論で戦争を始めた。

核戦争は、20世紀の脅威と考えていたものですが、ロシアが繰り返し核兵器、ウクライナへ戦術核を示唆し欧米へ水爆等戦略核を示唆する現状は、21世紀の今日も世界は核戦争、全面核戦争による人類文明の終焉と紙一重の世界に居る事を認識させ、驚愕したもの。

核の脅威は、しかし世界の人々の良心よりも、世界の人々は自分の日常を守る事を優先する為にラジカルな核軍縮希求への行動による生活の崩壊よりも、むしろ核抑止論の必要性に納得する状況が広がり、いわば核廃絶への近道は使い尽くす事、という状況が広がる。

暴力主義は日本へも及び、戦後初めて、元総理大臣が暗殺、しかも選挙演説の最中に銃器で暗殺するという凶行に出ており、この狂った論理は日本社会そのものを、ある種の一票よりも一発という、危険な方向性に向けるのではないか、反知性主義の台頭を懸念します。

一票より一発、この認識へ非難する声は多数ではあっても、迎合論が少なからず生じた事は、日本さえ中世へ逆行する時代が有り得るのではないかという恐ろしさを感じるのですね。これはわたし自身が日常を謳歌できるウィズコロナの時代と同時並行しているという。

歴史に学ぶ必要はあるのだけれども、視野狭窄というか追い詰められた視野では歴史まで関心を伸ばす余裕が無いのか、こう懸念するとともに、こう京都にあっては散策の先に歴史と哲学とを出会う余裕があると思いつつ、凶行は同じ古都奈良で起きているのですね。

平等と反権威主義を掲げる声ということで支持を集めた蓮如が大きくしましたのが、この本願寺です。だからこそ東本願寺を拝観し、巡るとともに思うのは蓮如が支持された時代は人権というものや教養というものは行き渡らず命を軽んじる事が普通だったということ。

京都幕間旅情は、日常の京都の情景や日本の四季などを紹介する日常の中に幕間と旅情を見い出すものなのですが、御承知の通り2022年は掲載の頻度を大きく高めました。その背景には、10記事が表示される北大路機関を戦時の狂気に呑まれないよう備える目的という。

京都散歩は愉しいものです、これは良い気分転換となりますし、混雑している有名寺院でも、そして皆さん知っている風景でも混雑していない風景も、時代劇や映画でおなじみの風景、千数百年や二千年を超える歴史を湛えた寺社仏閣を散策するのは、愉しいものです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
大晦日というのは究極の日常に訪れる幕間のひとときです。

東本願寺、2022年は考えさせられる事が多かった故に日常の幕間に散策する旅情、思い浮かべる2022年最後の寺院で思い浮かべたのはここ東本願寺でした。結局のところ、この一年間は暴力が支配したという一年なのかもしれません。まさか2020年代に、と思った。

実りある一年でした、なにより仕事と防疫、この一辺倒であった数年から一気に粋にという日常が回帰しまして、なにしろふと散策しようという心のゆとりが、主としてCOVID-19の鎮静化とワクチンの予防普及によるところが大きいけれども、戻ってきたというゆえ。

日常と国際情勢、国内情勢の乖離が激しい、こういう認識は上記の暴力という視点で端的に示されています。こう大樹の様な柱にもたれかかり、腕を組み報道を思い起こすだけでも、2003年イラク戦争や2011年東日本大震災に2020年感染拡大より、世界は深刻だ。

ロシア軍ウクライナ侵攻は、文字通り暴力そのものであり、ウクライナにはナチスがいてロシア系住民の虐殺が侵攻している、これは変な街で撒かれているビラなどではなく、一国の元首が、OSCE全欧安全保障協力機構などを通さず一方的な陰謀論で戦争を始めた。

核戦争は、20世紀の脅威と考えていたものですが、ロシアが繰り返し核兵器、ウクライナへ戦術核を示唆し欧米へ水爆等戦略核を示唆する現状は、21世紀の今日も世界は核戦争、全面核戦争による人類文明の終焉と紙一重の世界に居る事を認識させ、驚愕したもの。

核の脅威は、しかし世界の人々の良心よりも、世界の人々は自分の日常を守る事を優先する為にラジカルな核軍縮希求への行動による生活の崩壊よりも、むしろ核抑止論の必要性に納得する状況が広がり、いわば核廃絶への近道は使い尽くす事、という状況が広がる。

暴力主義は日本へも及び、戦後初めて、元総理大臣が暗殺、しかも選挙演説の最中に銃器で暗殺するという凶行に出ており、この狂った論理は日本社会そのものを、ある種の一票よりも一発という、危険な方向性に向けるのではないか、反知性主義の台頭を懸念します。

一票より一発、この認識へ非難する声は多数ではあっても、迎合論が少なからず生じた事は、日本さえ中世へ逆行する時代が有り得るのではないかという恐ろしさを感じるのですね。これはわたし自身が日常を謳歌できるウィズコロナの時代と同時並行しているという。

歴史に学ぶ必要はあるのだけれども、視野狭窄というか追い詰められた視野では歴史まで関心を伸ばす余裕が無いのか、こう懸念するとともに、こう京都にあっては散策の先に歴史と哲学とを出会う余裕があると思いつつ、凶行は同じ古都奈良で起きているのですね。

平等と反権威主義を掲げる声ということで支持を集めた蓮如が大きくしましたのが、この本願寺です。だからこそ東本願寺を拝観し、巡るとともに思うのは蓮如が支持された時代は人権というものや教養というものは行き渡らず命を軽んじる事が普通だったということ。

京都幕間旅情は、日常の京都の情景や日本の四季などを紹介する日常の中に幕間と旅情を見い出すものなのですが、御承知の通り2022年は掲載の頻度を大きく高めました。その背景には、10記事が表示される北大路機関を戦時の狂気に呑まれないよう備える目的という。

京都散歩は愉しいものです、これは良い気分転換となりますし、混雑している有名寺院でも、そして皆さん知っている風景でも混雑していない風景も、時代劇や映画でおなじみの風景、千数百年や二千年を超える歴史を湛えた寺社仏閣を散策するのは、愉しいものです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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