ある日、うちにやってくる子供が私に聞きました。
「どうして、下の子供はルート君なのに上の電信柱のような人はラッタさんなの?」
―それはね、ラッタさんはもう大人だからで、ルート君はまだ子供でかわいいからよ。と言ったら、半分は嘘だけど半分は本当。
子供と言うものは、見た目が大人になったからって親と子の関係は変わらるものではないと思います。特にこのブログの中では、私の思いは振り子のように過去と今を行き来しているものですから、彼らの呼び方もそのときの感覚で違います。
ラッタタ、ラッタ小僧、ラッタ少年、ラッタ青年、ラッタさん、それからやっぱりラッタ君。ルート君は、あまりバリエーションなし。
これって、アンバランスな感じがしますか?
でも、兄弟は似ているようで、全然違うものですから、接し方も同じにはなりませんよ。
春を感じさせる、梅と桜。とっても一緒くたには括れませんよね。それと同じです。
ルート君は、このブログの中では登場回数が少なめ。彼はあまり話すことが得意ではないからで、ただそれだけです。
ですが、先日私だけちょっと用があって実家の母と姉で出かけたとき、私が事あるごとにルート君にメールを送るので、母が怒り出しました。たまにはラッタにも送れというのです。
人の目から見るとこういうことも不平等に映るんですね。でも、メル友多いルート君は、送れば返ってくる安心感がありますが、ラッタさんの携帯は、近頃就活で役に立っているみたいだけれど、いつもは目覚まし時計みたいなもので、いつ見ることか、ただそれだけのことです。
でも、夕方渋滞にはまってしまった退屈な車の中で、家にいる三人に同じメールを送ってみました。
のメール「今、何しているの。」
その一分後、やっぱりルート君から
のメール「ぐゃ~ よしのやに、飯くいにいっている」
―エー、男三人で寂しく牛丼なの~
と思ったら、又メール
「ぐゃ~ すぎのやだった」
―このおばか~。天然ボケのルート君、でも癒し系。
すぎのやは和食系のファミレスなんです。私は出かけるときにテーブルの上に、さりげなく割り引きクーポンを置いて来たのですよね。
だいたい、この「ぐゃ~」ってなんだ、「くいにいっている」じゃなくて「来ている。」だろうと、心の中で突っ込んでいたらラッタ君から珍しく返信。
のメール「飯を待つ事早一年未だ音沙汰無し」
―そう、すぎのやって出てくるまでがちょっとかかる。又しばらくして・・
「現状
」
のメール「良かったね。」
―でも、だんなはどーした。
と思ったら返信、来ました。
「今、帰って来たよ。」
メールっていいですよね。離れていても一緒にいる気分がします。
・・アレ、何の話でしたっけ。ずれましたね~。そうそう、子供って言うのは似ていても、梅と桜の如し、桃と梨の如し、椿とサザンカの如し、ボケとコブシの如し。同じではないと言うお話でした。
目覚まし代わりにちょっと書いていましたが、ちょっとじゃなくなってしまいました。やばい 今日のスタートを切りましょう。
朝から雨が降っていますよ。花散らしの雨だなんて言っていましたね。それでは困りますよ。まだしっかりと花を見ていませんよ。私も頑張れだけど、桜も頑張れです。
そして皆様も・・・