森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

世界遺産ナスカ展―地上絵ふたたび

2008-02-11 15:50:19 | お出掛け日記

 

 2月9日夕方から雪になるかも知れないと不安を抱きつつ、上野の「国立科学博物館」でやっている「世界遺産ナスカ展」に姉と二人で行ってきました。これは2006年3月にも開催されたものですが、要望にこたえてのアンコールだそうです。

  

 ナスカの地上絵って、ロマンがありますよね。見所は「バーチャルで飛ぶ!ナスカの地上絵」なんですが、大画面で見るそれは、なかなか見応えがありました。地上絵もですが、遠くに連なる山々にも感動しました。

 でも、私的には、それは思っていたほどのことではありませんでした。予想外に感心したのは、展示してある土器たちの色鮮やかさでした。

 

 ―どうしてこんなに色鮮やかなんだろう。―
 ―どうして、そのまま残っているんだろう。―

そんな疑問を感じていると、展示と展示の間に、そのみんなの疑問は予想済みというようにその答えが書かれたボードが展示してあるのです。

 

 それらの土器に描かれている絵は、今の世にも通用しそうな可愛らしさです。

 

        

 

こんなものから携帯で撮ったので、分かり辛いのですが、鳥とピーナッツを持った猿。

   ←こんなもの。目盛りつき栞。

 

 私はそれらの土器を見ていて
―物は時代だ。― と言う事を感じてしまいました。

なぜなら、それらの土器ははるか昔の、ある人たちが作ったのです。だけど私たちはその土器を見た時に、その一人ひとりに思いを馳せる事は、ほとんどないのではないでしょうか。そしてその時、私たちはナスカ人という人の集合体に思いを馳せると言うよりは 、ナスカの人たちが生きた「時代」に思いを馳せるのです。つまり、ある個人が作った壷を見て、その「時代」を思うのですね。

      <絵葉書から>

   

 この「ナスカ展」では、地上絵に関して、はっきりと宇宙人が書いたものでも超古代人とか言われているものではなく、ナスカ人が書いたのだと、明言しています。

その理由も書き方の説明もボードにて展示してありました。

なかなか興味深いです。

確かに宇宙人説はロマンがありますよね。でも、ナスカ人が書いたというのでも大ロマンがあります。

 家に戻ってこの地上絵のことが、家族で話題になりました。
「でも、この絵は地上からは見ることが出来ないんでしょ。」
「見る必要はなかったんじゃないかな。見るべき人は自分達ではなく天にいる人、つまり神だったり死者だったりだったんじゃないのかしら。」
「つまり、宗教的なもの?」
「そう思うのが、自然だよね。」

 

実はかなり混んでいて、上の部分に関しては何かを読んでの裏づけのあるものではありません。

ただ、ナスカの地上絵は一筆書きになっています。人々はそこをなぞるように歩き、そして、祈ったと書いてあったような気がします。

情けない書き方ですが、三連休初日は結構混んでいて、なんと寒空の中入場10分待ちだったのですよ。

人と人との間をかいくぐり、感動していました。ナスカの地上絵は瓦礫だらけの平原の瓦礫をどかし、地表を出すことによってその道が線に見えるのです。三歩ぐらい歩ける体験コーナーがあって、そこに立ってみたら、訳もなく感動しました。単純な性格な方がハッピーですね。

 

     お土産に買ったマグネット。

 

 

 土器が色鮮やかなのは、顔料が鉱物系だったのと
釜を作らずに壊れた土器で蓋をして焼くからで、つまり製造の仕方によるものと言うことだったような・・・。なぜ、それが褪せずに保存されていつかと言うと乾燥された気候が、その色を守ったと言うようなことが書かれていたような・・・。責任持てません(汗)

24日までです。

 

この日のランチは上野精養軒にて。写真はコチラにあります。
 


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篤姫「女の道」

2008-02-11 01:23:26 | ドラマ (大河)
 この時代に、ここまで自分の気持ちに正直に発言することは、あまり考えられない。だけど、思いがけない事に「なぜ」と思うのは当たり前のこと。すっきり出来ない気持ちに、あってはいけない感情だと分かっていても「迷う」と発言する於一。私の中では、そんな人間的な彼女に好感度が高い。

 「この時代」と書いたのだが、いつの時代にもいろんな人はいたはずだ。そんな風に物事をはっきり発言するのははしたないと言われても、そういう風に生きることが自分らしいと、生き生きと生きていた女性もやっぱりいたのに違いない。


 斉彬からの養女の申し出に、沸き立ち浮かれる周囲の反応をよそに、於一の気持ちは晴れない。斉彬がどうして自分を気に入ったのか分からないからだ。
こんな気持ちのまま、大切な家族とはなれてお城には上がれないと感じている於一に、聞きに行けばよいと尚五郎はアドバイスをする。

 斉彬は二心ない於一の言葉に心安らぎ、また風変わりだった自分の母に於一が似ているからだと答えるのだった。心の底を見せぬと言われている事、弟との確執、子供を失った悲しみを語る斉彬に、於一は養女になることに腹を括る。


 「女の道は一本道。引返すは恥にございます」


 この言葉はこの物語のテーマのようなものだと思うが、何処で出てくるのかと思っていたらここで出てきた。城に於一を送り出すときの菊本の言葉だが、知っていた言葉であっても、胸に響いてきた。

だけど、なぜ菊本は死の選択をしたのだろう。

どうも彼女は軽度のアルツハイマーではないかと、思われるような節があった。この先、姫の負担にならないようにとでも言うのだろうか。

一緒に見ていた、だんなが言った。

「そんな死に方をしたら、この子がどんなに傷ついてしまうかを考えなかったんだろうか。自分のせいだと思ってしまう。」

本当にそう思う。なぜ、今死を選ぶ?
次回の「書置き」公開まで、最大のサスペンス!

だけど今回、あらすじなんかも読んでいなかったので、本当に吃驚した。
蚊帳の中でじっと姫の寝顔を食い入るように見ていた菊本は、嬉しいとはしゃいでいたものの、手から離れていく寂しさをじっと耐えているもう一人の母のようだった。



 さて最後に尚五郎。
通じると思われていた恋の道は、一夜明けたら完全に閉ざされてしまっていた。
於一の父の報告に、ばたりと倒れてしまったり、西郷の結婚式によって泣き崩れてみたりで、一見情けない。
だが、自分の想いは於一の重荷になるからと、このまま伝えないようにと思う尚五郎は、男らしいと思った。

万次郎の助言もあって、やっぱり伝える方向に行ってしまうのかもしれないが、想いを伝えないと言う選択も、決して悪いものではないと思う。なんでも自分の気持ちが大切みたいな世の中だが、相手の気持ちを思って、自分の心を飲み込むことは大切なことなのだ。

だけど、この於一のことだけを思うと、たぶん伝えた方がいいんだろうと思う。城にあがっていく於一への贈り物は「思い出」というか・・・・
予告編ではいい感じだったので、そこも気になるところだ。



 
コメント (4)
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