「あのチョコレートは美味しかったですか<2-1>」の続きです。そちらからお読み下さい。
自分の実力よりかなりハードル高めの志望校を目指して、笹目雪生は頑張っていた。やらない予定でいた生徒会長も、結局やるはめになってしまったが、やると決めたからは、なんでも手なんか抜かない。そうこうして、あっという間に一年は過ぎて、公立高校の試験まで後わずかに迫ってきた。
バレンタインディは、そんな時にやってくる。
でも、彼は何かの時に私に言った。
「今年は、チョコレートなんか誰からも貰わないんだ。そんなことは全てわずらわしい。」
「え~、それってないんじゃない。」
その時は、ただの世間話だった。
でもそのことは今思うと、とんでもない話だ。なぜなら、その頃はホワイトディもないが義理チョコもない時代だ。まだバレンタインも浸透しきっていたわけでもなく、猫も杓子もチョコレート売り場に殺到するわけでもない。
それなのに「チョコレートは受け取らない。」なんて決意しているなんて、とんでもないやつだ。
だけど雪生にチョコレートは届くだろうかなんてことは、私には関係のないことだ。すっかり忘れていた2月14日。
休み時間、トイレに行って前の扉から教室に入ろうとすると、友人が袖を引っ張って言った。
「見て、下級生がチョコを持ってきてる。」
見ると、後ろの扉の所に雪生が下級生と二人と向き合って立っていた。首を振って、手も振っている。
「本当に断っているんだね。」と、また友人。
私は、心の底からムカ~ッときた。
二年生の時の自分の体験を書いていないので、このときの私の気持ちは分かりづらいと思う。だが、、如何にバレンタインがチョコレート会社の策略で始まっていようとも、義理チョコ、友チョコ、自分チョコ果てはお父さんに上げる家族チョコ、そんなものが出回るまでには長い歴史があったのだ。バレンタインのチョコレートはお菓子にあらず。「心」なのだと思う。心は目では見えない。だからどんな「心」かは分からない。分からないものを一緒くたにバリアを張って跳ね返すなって。どんなに切ない「心」が隠れているかも知れないじゃない。
「何よ~! どんな気持ちで持ってきていると思ってんでぃー。」と、
私は心の中で叫んだ・・・・・・と思ったが違っていた。
声に出して言っていたみたいだ。しかも、でかい声で。
下級生がチラリと私を見た。雪生のちょっと驚いたような目が私の方に向けられた時、私は自分が声に出した事に気がついた。
次の瞬間、
―ヤバイ・・・・―
私は教室の自分の席で、何もなかったかのような顔をして本を読んでいた。
しばらくして教室に戻ってきた雪生の手の中には、チョコレートの箱が二つあった。
「アレッ」
「・・・・・」
なんとなく彼は不機嫌そうだった。意思を通ら抜けなかったから?
「そうだよ。」私は彼の背中に向かって言った。
―そうだよ。チョコレートを貰らって落ちるような学校なんか辞めちまえ。もちろん、そんな事は言わない。私は静かで目立たない大人しい子供だったから・・・・・?
だけど、本を読む振りをして私は密かにほくそ笑んでいた。彼が自分の信念を曲げて、下級生達が傷つかなかったことに満足していたのだった。
その雪生は、見事にさくらの花を咲かし、志望校へ進学していった。
自分の誕生日のその日、私はストーブの前でソファにも垂れて、雪生の事をぼんやりと考えていた。ああ、私も結構生きてきたなぁと思いながら、自分の人生と重ね合わせ、20代の雪生、30代の家族を持った頃の雪生、40代のおやじになった雪生、そんな彼の人生を思い浮かべていた。
だけれど、本当は高校一年の夏休み、彼は海で溺れて死んだ。その後の人生はない。
人は二度死ぬと言う。肉体の死と人の中にある記憶の死。
少なくとも、笹目雪生に二度目の死は訪れてはいない。