今でもどこかに捨てずに取ってあるのだろうか。
13歳の私は23歳の私に手紙を書いた。23歳の誕生日、私は10年前の私からの手紙を読んだ。
封筒の表には、鉛筆でかなり綺麗な字にしようと気を使って書かれた「23才の私へ」と言う文字が書かれている。それでも、幼い文字だった。
実はこの手紙にも思い出がある。苦い思い出だ。私はこの手紙を、本当は12歳のとき書いた。「22才のわたしへ」と言う表書きを書いて、机の中に大事にしまっておいた。
だけど、ある日幼馴染の友人が、その机の引き出しを勝手に開けて、その手紙を読んでしまった。そしてこともあろうか、学校に行ったら、その事が噂になっていた。変なことをしている、結婚とか恋人とか、ませたことが書いてあると言って、教室の片隅の少女達がクスクス笑った。
でも、不思議な事に私の中には、そのことで怒ったという記憶がない。ハァ~とため息ついて終わりだったような気がする。別に寛大なのではない。私は彼らに自分を分かってもらおうとかも思っていなかったし、その行動は変だと諭す必要も感じなかった。どうでもいい人たちだったからだ。
ただ、ケチがついた手紙は破り捨てるしかなかったが、私は諦め切れなかった。一年、その手紙を放置した後、13歳の時に書き直したのだった。だけど、その一年は私には大きな一年だったかもしれない。ただ純粋に未来の自分に語りかけた「22才の手紙」と違って、書き直すことによって、その手紙の内容は芝居がかったものになってしまった。つまり10年後の私が読んで、どんな反応をするかと言うことを想定して書かれたものだった。その反応は「失望」と言うものだった。なぜなら、この手紙は完全にエミリーの真似である。
「赤毛のアン」の作者の自伝的小説である「可愛いエミリー」のシリーズは、私の愛読書だった。その頃の私は、夢を住居にしているような少女だったが、そんな私にエミリーはその行動から思考までを支配する親友だった。
小説の中のエミリーが10年前の手紙に失望して、暖炉で燃やしたように、私も自分に失望してその日を演出するように、大いなるくだらない夢を並べ立てて手紙を書いたのだった。
その仕掛け爆弾はキッチリ10年後に弾け、23才の私は計画通りに失望した。何でこんなくだらない内容の手紙を10年もしまっておいたのだろうと、むかついた。ただ、私はその手紙を燃やしもせず捨てもしなかった。時々読み返しては「馬鹿みたい」と苦笑いをしていた。今でもどこかにあると思うのだが、すぐには出してくる事は出来ない。そして、思い出だけが残ったのだった。
今だったら、私は未来の私にどんな手紙を書くだろう。
「ラッタ君とルート君は結婚していますか。私に孫はいますか。ローンは後いくら残っていますか。腰痛とか大丈夫ですか・・」
もう、止める。やっぱり馬鹿みたい。
ねえ、エミリー。私、あなたのことを、ずっと忘れていたよ。小説の中のあなたを友人のように愛していたね。
あれから私も大人になって、一生懸命生きてきたんだよ。時には辛い事もあるけれど、心の底から疲れてしまうこともあるけれど、それでも生きていかなくてはならないんだよね。
そんな時、私は鏡を見つめて笑ってみるの。私は私の人生の主人公だから、パッと目を見開いて、背筋を伸ばしてね、そして、得意の自画自賛。「なかなかじゃない、私。」なんてね。
ここまで生きてきた私の過去は、全て私の財産で、これからやってくる未来の布石。エミリー、あなたが懐かしい。あなたは私を作った欠片だから。
私は10歳の誕生日の時、
「凄い!! わたし、もう10年も生きたんだよ。」と思ったことを覚えている。子供の私には10年は大きな年月だった。10回の春と夏と秋と冬と思い出がたくさん。その先の年月なんて、はるか彼方の山を登るように感じたものだった。
それから何回、私は春と夏と秋と冬を迎えた事だろう。でも、誕生日が来るたびにやっぱり「凄い!!こんなに生きた。」と思ってしまう。登っていた山はそろそろ下りかも知れないが、その山の大地をしっかりと踏みしめて生きていこう。
<日付けが変わって書いているのも、私らしいかな・・>