いよいよ一部が終了。
私が「来年の今頃までバイバイ。」と主役の三人に別れを惜しんでいたら
「来年の今頃って、何!? 続きは来年の12月なわけ!!」と、今頃真実を知って、夫が納得できないような顔をしていました。
三年に分けてやるのだという事を、知らなかった人も他にもいたのではないかと思いました。なんたって、大河の後に入った番組ですから、そのまま普通に見ていた人もたくさんいたのでは。興味のない項目は深く追求しない事も多々あるものなのですよね。今年の大河「天地人」が11月までだって事を知らなかった友人がたくさんいたように、視聴者がみんなエンタメニュースにチェックを入れている訳ではないと言う事を、もっとNHKは知るべきだとまたも思ってしまいました。
それはともかく、予告編と言うか撮影風景を見て、「とにかく子規は、来年まで生きているからいいわ。」と訳の分からない事を思ってしまったのでした。
またも順番無視して、心に食い込んだシーンから。
子規庵と言われた根岸の借家の縁側で、子規は夭折してしまった才能豊かな者たちの事を自分と重ねて思っていました。
「。。。しかり、バイロンしかり・・」
ちなみにバイロンは 36歳で熱病で死んだのです。でも彼はかなり自分勝手にやりたい事をやっていたような人に思えるので、如何にハンサムと言えども、その若い死にあまり悲劇性は私には感じないのです。
でも子規もその事を思っていたのですよね。生き急ぎ、そして早く逝ってしまった者達よと。
ひとり、子規がその真横に死神を座らせて物思いに沈んでいると、背後の部屋からは弟子達の楽しそうな語らいの雰囲気が伝わってきます。また母と妹の楽しげな笑いも聞こえてきます。狭い借家の子規の家。いつの間にか人々はそこを子規庵と呼んだと渡辺謙のナレーションが伝えます。人々は彼の才能と人格を慕って、狭い家は決して暗いものではなかったのでした。ただ、子規の心の周辺だけは死の影が深く暗く漂っていたのでした。明と暗のその対比の演出に心惹かれました。
さらに、その先の母と子規の会話にも心惹かれました。
子規が、狭い庭を見て
「わしはこの狭い庭からも多くの事を見ることが出来る。」
真之が送ってくれた毛布からも
「この毛布を手に取れば、アメリカの大地を感じられる。」←例によって、セリフは不正確。
と、子規が言うと、母は
「負けず嫌いなんだから。」と言うのです。
「違う。」と子規は笑って言いますが、私もそれは違うと頷きました。負けず嫌いだからではなく、子規が言ったことは本当のことなんだと、感銘を受けたシーンです。
原作に同じシーンやセリフがあるのかどうかは分かりませんが、子規のセリフは司馬遼太郎の言葉、または野沢尚の言葉です。ゆえになんでもないささやかなシーンであっても、うんうんと頷けるシーンでした。
言葉生み出す人の想像力は心の剣。狭い狭い子規庵と言う戦場で、彼はボロボロになりながら闘っている、そんな感じがしました。
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
次も子規の事になってしまいそうです。この有名な句が、そのような状態の時に生まれたものだったなんてと、感銘しました。もっとお気楽なイメージがあったものですから。背景を知ると、過ぎる秋、または時を、本当にギュッと凝縮させた句に感じてしまった私も単純ですね。
でも子規の言う俳句は写生と言うことに頷ける、色鮮やかな句である事に間違いはないみたいですね。
さながら彼の物語のような書き方になってしまいましたが、三人の中で一番早くに退場する事は、分かっている事なのでお許しくだされというところです。
長くなってしまいましたので、後は箇条書きにていこうかと思います。
◇律と真之の別れのシーンは、いつも物悲しく綺麗ですね。
◇ふんどし姿の記念写真。・・・と、言う事は、あれは現存していると言う事でしょうか。
◇広瀬との餅食い競争。18個って・・・死にますよ・・・。
◇秋山好古は家ではよき家庭人。妻とも仲良さそうです。子供が二人。
◇松山での漱石エピ。これも漱石の気持ちにあれやこれやと考えてしまいました。いっかいの中学生教師と言う立場は漱石の器にして物足りない時代だったのかもしれませんが、後に小説にした事で、憂さは晴らしましたよね。でも「坊ちゃん」と言う小説は、本人がその時代を楽しんでいたわけではないので、雰囲気と違って、あまり面白いお話ではない様な気がしてしまうのは、私だけでしょうか。いやいや、文豪にケチをつけるなんて、大それた事を言っている訳ではありませんずら。あしからず。
◇広瀬のロシア生活はそれだけでもかなりの物語でしたね。任務に愛に確執と。
◇そして、真之のアメリカ留学の様子は、やっぱり面白かったです。
最初に教えを受けたアルフレッド・マハンは、ある戦略研究に対して
「アメリカ人は一滴の血を流さずにこれを手に入れた。」と言います。それはこの前の日清戦争の時の事を研究して得たものでした。それは皮肉でも嫌味でもなく事実でした。だけど、その後アメリカとスペインとの戦いを通して、真之はよく研究し調べ上げ、キューバにおける米西戦争の世界最初の閉塞作戦の見事な観戦報告書を作成するのです。
そしてこの時さりげなく言った、「我々はこれを一滴の血を流さずに手に入れた。」と言うセリフには、気骨と言うものを感じました。
そして真之はイギリス公使館付の駐在武官としてイギリスへ・・・
まとめのナレーションが良かったですね。
正確に書けないので、スルーした方が良いとは思うのですが、要するにこんな事をいっていたように聞こえてきたのですが、どうだったのでしょうか。
―たまたまこの三人を取り上げたのだけれど、こんなやつらがいっぱいいて、今の日本の礎が出来たんだよ。無駄にするんじゃないぜよ。―
来年の末の楽しみが一つお約束。それもいいかもしれませんね。