12月19日に「天王洲銀河劇場」にて「ANJIN -イングリッシュサムライ」を観てきました。
上の画像、カッコ良いでしょ。これはチラシではなくてファイルなんです。何処にいってもファイルを買っている私。ある意味コレクションかな。二枚組みで、立っている竜也君の横には、本当は市村さんがいるんですが、レイアウトの都合上切ってしまいました、すみません。
ちょっとお話は横道反れますが、以前「天地JIN」で 検索してくる人がいたのですが、面白いなと思っていました。じゃあ、それに「ANJIN」を加えたら・・?
「AN天地JIN」?う~ン、なんか違う様な気がするな。
まあ、そんなことはどうでも良い事なんだけれど(汗)
それで感想なんですが、最初に「良かったです!!」と強く言っておきましょう。なぜなら、この後続けて書くことは、ちょっと誤解を生みそうな事だから・・・。
実は二回も意識を失ってしまいました。気が付いたら、数秒意識がなかったのです。こういうのを別の言い方で、「寝た」と言うのですよね。
按針以外の乗組員があれやこれやと言っているシーンと、三成と他の武将があれやこれやと言っている所。
別に偉そうな事を言うつもりはまったくないのですが、グレゴリーさんの演出は複数出てきてワイワイとセリフを言う時、立ち位置がぼやけて、私の視点もぼやけて目が泳いでしまいます。今度は舞台外の字幕も見なくてはならないわけで、目をくるくる回していたら、意識が飛んでいたわけです。
でも三成達の謀議のシーンは日本語じゃないかと言われそうですが、この舞台、脚本もマイク・ポウルトンさんと言う外人さんなんですね。それは凄いと思います。でも、あのシーンは歴史好き日本人には、ちょっと退屈かも・・・ムニャムニャ
見所はどのような毛利・小早川・宇喜田なんだろうというところでしょうか。「天地人」からファンになった大谷とかも。
このお芝居、大真面目にその戦国の歴史の1ページを描いていました。でも見せたいのはその歴史の物語ではなく、心引き離されながらも生きて行く人間達の一人一人のドラマでした。
さすがシェイクスピアの国の舞台だと思いました。感銘を受けたシーンに古典的な舞台の迫力が重なりました。
この舞台に涙は無用かと思って観ていましたが、違いました。
ラストシーン、思わず涙がジワーッと込み上げてきました。
悩みながらも一生懸命に生き、ふと気が付けば「時」はあっと言う間に過ぎていて、その時、人はたったひとり。
思わず「ああ、あの人に。」と呟いてしまいました。あの人に泣かされたなという意味ですが、それは主役のオーウェン・ティールの事なのでした。
でもそのラストシーンの竜也君の無言の演技が素晴らしかったのですよ。だからこそ涙が出たと言うのが本当のところです。
もちろん彼が素晴らしかったのは、無言ではないシーンもです。彼の英語は凄かったですね。市村さんもオーウェンさんも彼の英語を褒めていたけれど、努力の甲斐があったと思いました。彼を見ていると、なんとなく私も頑張らなくてはと思えてくるのです。だから、彼が好きなんですね。
英語は完璧と思えるのに、それでも彼は心配し苦労したみたいですね。珍しく本屋に行ったので「シアターガイド」を立ち読みしてきました。(立ち読みですみません。他の本を買ったのでお許しあれって、本屋さんに、一応)お稽古の時に緊張しすぎて、Tシャツが汗でびっしょりになったと書いてありました。
そろそろネタバレで行きましょうか。
でもその前に。
舞台が終わって出口に向かう途中、前を歩いていた女性が
「藤原君も好きになっちゃうな。」と連れの人に言っているのが耳に入りました。その言い方だと、市村さんのファンか演劇のファンなのかもしれません。でも「好きになっちゃう。」の言葉に、ちょっと嬉しかったりして、「藤原竜也をどうぞよろしく。」と言ってくれた鶴瓶さんのような気持ちになってしまいました。いつも言っていることですが、誰かを好きになるということは嬉しくもあり疲れる事でありんすよ。
按針がイギリスと日本にいつも心が引き裂かれていたように、ドメニコもまた武士である自分と宣教師である自分とで心が引き裂かれていました。葛藤し二人が選んだ道は、果たして・・・
と言うわけで、以下ネタバレしています。
シェークスピアのような重厚さは、オーウェン・ティールのセリフばかりではありませんでした。(以下敬称略)
床嶋佳子の淀君。良かったです。女と男の首は、何かひとつの普遍的なテーマがあるように思います。淀と三成の解釈は斬新なもので、そこも良かったのですが、何よりも彼女のセリフの回し方が、素敵でした。
家康が良かったのは、臨終間近に按針が訪ねて行った時のシーンです。実はここでのセリフはラストの按針のセリフと重なるものがあったと思いました。
あと家康のシーンで印象深かったのは、秀頼の息子国松に、死を諭す所です。争いの火種を断つためにその命を絶たせる。残酷であり哀しくもあり、そして美しくもあるシーンでした。なので「友達」と言う言葉に違和感を感じてしまったことは事は、惜しい事でした。
秀忠のキャラとか挙げたら、結構きりがありません。
ただ家光は出番がほんの少しだけですが、そのキャラが際立っていて、凄く良かったです。最後に重い扉を閉める所など、ビビビときましたよ。
そしてドメニコ。
関が原のシーン。大砲をぶっ放しているのに楽しそうと言う感想ははないかなとは思いますが、彼の武士としての血が騒いでいるのが分かりました。そして幸村の首を取ったのは・・なんと・・・。ドメニコ~!!
いったんは武士の道を選びながら、宗教に殉じてしまったドメニコ。
国に帰るチャンスを得ながら、その選択を取ることが出来なかった按針。
迷わなければドメニコは命失わず、また按針は孤独にはならずにすんだと思います。
でもその道は引き返す事のできない、人生と言う名の一本道だったのですね。
藤原竜也の磔のシーンは白く美しく哀しかったのです。涙を誘うほど・・・。
本来寿命を待たない人の死というものは、遠い昔の出来事であっても、また自分には縁もゆかりもない人の事であっても、それだけで悲しいことなのですね。その死に触れた時、いかに芝居と言えども、心に何かが突き刺さるのは自然の事なのだと思います。
でも、だから私は自分に言い聞かせました。「宗教に殉じる」と言うことは、それ自体は恐ろしい事であっても、その人にとっては、不幸せだったかは分からない事なのだと。
ドメニコが、按針が家康謁見の前に言ったのセリフ。
「人はいつかみんな死ぬ。それが今なのかが決まるだけだ。」
後から考えると、そんな生死感に救いを感じてしまったのでした。
・・・・・・・・・・・・
下に載せた画像は、ファイルと一緒に買ってきたお土産で、切手なのです。でもこれ、使うと言う事はありえないかな(笑)