gooブログで読者登録をさせてもらっているごんおばちゃまの本です。
ごんおばちゃまは読者の方々と共に実践するブログを開催されていて、人気ブログですがとっても気さくな方でワタクシはこの方の密かなファンでもあります
あした死んでもいい片づけ | |
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家が仕事場で忙しい時には、嵐が過ぎ去った後のようになってしまった私の家。
でもその仕事で本当に忙しかった時代は過去の話になりつつあり、私は自分の片づけ方を模索中です。だけどお片付けブログを書こうと思いながらもそのカテゴリーの記事が増えないのは、やっていないからと言うのもあるけれど、このブログが欲張りすぎるからなのかも知れません。
興味のある事が多く、頭の中は相当多角経営。そう言う方は世の中にたくさんいらっしゃると思います。そしてその人はその興味あるものに比例して、その資料からまた伴う道具などと持ち物が多いのではないですか。
私の父がそうだったように。
父が亡くなった後、遺品整理のお手伝いに行きました。
この時、まさに口に出た言葉が
「もう、あした死んでも良いような片づけを今からしておかなくちゃね。」だったのです。
どなたかの遺品整理をしたことがある方なら、自分の身の内から湧き出てくるような言葉ではないでしょうか。
もちろんこの本は遺品整理の本ではありませんし、その体験談が載っていると言うわけではありません。
だけど、本の内容にいろいろと共鳴したのですが、その中の「親の家の片づけ」はその強く共鳴した内容の一つでした。
それは「遺品整理ではいけませんか。」と言うもの。
時々プロの片づけ屋さんのブログも読みますが、娘や息子から親の家の片づけ依頼があると、時々見られる光景と言うのが、その場で起きるバトルだそうです。子供たちから見たらただのゴミの山。でも親にとっては大事な物の塊。
私たちの親の世代は、本当に物のない時代だったのです。だから物を大切に思う気持ちも大きい場合もあると思うのですが、大切に想うどころじゃなくて、無い事を恐れているような気もするのです。
このテーマにすこぶる共鳴した背景を書こうと思うならば、私は父の生前整理と遺品整理の話からしなくてはならないような気がするので、また別の機会があればと思います。
親の荷物は遺品整理で良くても、そこから学んで自分はみんなに迷惑を掛けないようにしようと言う点でも同じように思いました。
・・・・・・だけど、わたしぃ…難しいかも・・・・、ちょっと父と似てるとこあって・・・・・・
など書いたら、ごんおばちゃまに励まされてしまうかもしれませんね。
この本で「よし、やらねば!!」と言う気持ちにさせていただきました。
それにこの本は親切です。「よーし」と思っても、老いると言うことは悲しい事で、いろいろ共鳴したのにもかかわらずパタンと本を閉じると、ええと何だったけなあとなる事も多いこの頃、オマケの「家もスッキリ!心も軽くなる47の方法リスト」と言うのが役に立ちそうです。
以下の本は、その実践編。
あした死んでもいい片づけ 実践! ―覚悟の生前整理 | |
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