昨年の記事☆「2011年を生きた猫たちへ」
2011年を生きた猫たちへこんにちは。私は猫のももです。私のお話を聞いていただけますか。私は2010年の秋に生まれて、そして2011年にこの家にやってきました。1......
上の囲みは、昨年の3月11日に投稿したものです。そしてそこを開くとさらに前の年の3月11日に投稿した「2011年を生きた猫たちへ」と言う記事にたどり着くと言うツリーになっています。
2011年に我が家にやって来た猫のももが、その4年間を語ります。
私自信、その記事を読むとやはり耐えられなくなって未だに涙がハラハラとこぼれます。
人間は牙も鋭い爪も持っていないけれど、図らずも生き物たちの頂点に立ってしまったのです。もちろん他の動物たちはそんな事も知りません。だけどもしも人間が、その手で生み出した「道具」によって地球を滅ぼしてしまったら、他の動物たちも訳も分からずに滅んで行かねばならないのです。
生き物たちの頂点に立つ資格など、本当は人間にはないかもしれませんが、資格云々の問題ではなく現実を見つめるならばその図式を無視するわけにはいかないのです。ならば、自覚を持つべきなのです。
今日、テレビではいろいろな震災特集が放送されていました。
その中で被爆牛の解剖と言うシーンがあり・・・・・・・
何とも言えない複雑な気持ちになりました。あの震災をその牛は生き抜いて、そして被爆しながらも生きながらえていたのです。でもまた人間たちの為にその命を捧げなくてはなりませんでした。研究のためにです。
もちろん震災は自然災害です。そうであるならば人間も牛も同じ側に立っているのです。でもそれを原発事故などの人災にしてはならないのだと強く思うのです。
ところで昨年の記事の中で、小学5年生の少年との会話を書きました。風化させてはならないこの「3.11」のこの日を、その少年は「僕は忘れると思う。」と言いました。
この話には続きがあると言いながら、私はその続きの話をその後に書いたのか分からなくなりました。
その少年は、こう言ったのです。
「僕はむしろ忘れたいんだよ。」
私は深く頷いて、その子供をぎゅうと抱きしめたいような気持になりました。だけど日本ではあまりハグの習慣は根付いていないので、もちろんしません。でも私は言いました。
「そうだね。そう。分かるよ、その気持ちもね。」
その子が小さな地震やスマホからの警報音に過敏な反応を示すことは、私も知っていました。
風化させてはならない事。だけれど心に深い傷が残っているのです。そんな子供に私は何を言って良いのか分かりません。
2011年の3月の時、その子は1年生だったか幼稚園だったか・・・・。
まだ家には帰ってなかったのです。お母さんの近くでない所で、あの揺れを体験したのです。
家にいて息子たちの傍にいたのに、思わず「怖い」と言ってしまった私。
小さな子供にとって、どんなにか怖かった事でしょう。
テレビでは仮設住宅に住んで6年の人々の事が放送されていました。家族四人だったら4畳半のお部屋が二つの広さの仮設住宅ー。
そこで亡くなっていった人々。終戦直後に作られた法律に縛られている日本。
どうしちゃったんだろう、この国は。
この震災は過去にあった出来事では決してなく、未だ解決していない継続中であり、この国はずっとあの日から揺れ続けているのかもしれません。