今月の「月刊flowers」はアマゾンで買い求めたわけですが、どうせなのでその時に欲しかった本も、エイヤッと買い求めました。
なんで気合が入ってるかと言うと、近頃自分の為にお買い物しすぎではないかと、謙虚な気持ちになったからです(ごく稀にそのような気持ちになりますが、まあごく稀です。)
と言うわけで、「エイヤッ」と買い求めた漫画の本が「キャットニップ2」と「なのはな」だったのです。
グーグーがいなくなっても、大島さんの生活は猫と一緒。
飼い猫と庭にやって来る野良ちゃんと部屋に入って来る野良ちゃんと入り乱れ、その猫ちゃんたちとのエピソードに笑いあり涙ありと言う所ですが、どちらかと言うと泣きっぱなしです。
猫との生活は穏やかで、ちょっとした発見やささやかな幸せがある時は、そんなにドラマチックではないのです。ドラマチックな時はそれなりの悲劇や喜劇がある時。だから泣けるエピソードが多いのだと思います。
大島さんの猫と一緒の歴史の中で、私も今でも迷って後悔しつつあれで良かったのだと気持ちが揺れる出来事に病院とのかかわり方がありました。
意味の分からない犬や猫にとって病院での治療や入院は、人間が思う以上の苦痛や恐怖に感じると言うもの。
(以下三行はネタバレしています。)
3歳で死んでしまったテンミケと言う名の猫は、生まれつきの病気を持っていたものの入院のストレスでその死期を早めてしまった・・・・・。
その兄弟であるなっちゃんがテンミケと同じ症状に陥った時、病院に入院させると言う選択を取らなかった大島さん。
その最後は家のソファで最後の夜を過ごし、そのソファから降りたところで横たわり最後を迎えたと言う、穏やかなものでした。
数年前に我が家で飼っていたワンコのココちゃんには、同じ考えを私たちは持っていたのです。
いろいろな事を思い出してしまいました。
そして穏やかな死を迎えられたのは野良ちゃんのチビラテも。
猫小屋のエピソードは、帯の江國さんの言葉にも書かれています。
(しかし、チビラテが箱に入ってくれてよかった !)と。
そして老いても元気な猫たち。だけど最後の歯が抜けたりジャンプできなくなったり・・・・・
ああ、我が家のももとあんずにもこういう日が来るのかしら。
だけどしっぽが割れる程長生きして欲しいと思う毎日です。
猫好きにはたまらない一冊であり、そうでない人も誰かに優しくしてあげたくなるようなそんな作品だと思います。
どんな猫たちがいたのだっけなと思う方は「1」で復習ですね。
そしてもう一冊は萩尾望都氏の「なのはな」です。 昔、大島さんは「綿の国星」で猫を擬人化して描いていたけれど、こちらはウランやプルトニウムの擬人化。
因みに望都氏と大島さん・・・・。これは作品のイメージから来てるだけで「氏」と「さん」に差別はないです。
美しくて艶やかで、恐ろしいけれど人々はその誘惑に勝てません。
短編ながら、文学の香りがする望都氏の作品。なんだか「青い鳥」の中のエピソードを思い出してしまいました。
表題の「なのはな」は短編の2作品。
津波で大事な人を失ってしまった少女の、今を描きながら再生の物語だと思います。
いろいろな事を考えさせられます。
そのいろいろな事の中の一つではありますが、ペンを持つ人のペンでの戦い方と言うものを私は見たように感じました。
この作品を3月11日に紹介すれば良かったとも思いました。
・・・・・・