私の母方の祖母は、私が高校生の時に死にました。その当時、彼女の息子の一人は大手の会社の重役で、それぞれの息子と婿も社会人の現役世代。
身内のお葬式を初めて経験した私には、そのお葬式が派手なものであったのか地味なものであったのか比べようもなかったのですが、後にいろいろと経験するようになると、それは相当に派手なお葬式であったことが分かりました。
その祖母が亡くなる前は、会った事もない祖父の墓参りに定期的にこのお墓と菩提寺に訪れていました。
盆の時などにはお寺でカレーなどを頂いたり、法要の前の時間つぶしに叔父たちが碁盤に向かって頭を使っていた姿も印象的でした。それは母方の一族の想い出の時間でした。
だけど墓守が変わって、その人と母はいろいろな事があっていつしか疎遠になり、この墓に参ることも私たちの中ではなくなってしまったのでした。ただ別の所で供養など欠かさない母なのです。
だけど私は、父が亡くなった後、父が最後に気にかけていた他県にある父方の祖父母の墓参りに家族で訪れた時に、子供の時に可愛がってくれた母方のおばあちゃんのお墓にも一度は行きたいなと思うようになっていたのです。
3月4日は、祖母の命日でした。それでかねてから気にかけていた祖母の墓参りに行く事にしたのです。
トップ画像はそのお墓から撮った画像です。
そのお墓の中には、おばあちゃんと会った事のないおじいちゃんと幼い時に亡くなった母の弟と、このお墓の持ち主になった人の奥さんが眠っているのです。その方は、6年前の3月11日に震災とは全く関係のない死因で、大地が揺れっぱなしの中で亡くなったのです。
その方々に祈りをささげた後、私は主におばあちゃんに話しかけました。
「あの時、若かった私たちも、このように歳を重ねてしまいましたよ。でもあなたの娘は、あなたよりも長く生きる事が出来ましたよ。」
そう言ってから、私はふと不安になり、
「だからと言って、もうイイと言うわけではなく、母にはあと15年ほど生きてもらいたいと思っていますからね。いえ、17年か、・・・」と言いましたら、母が
「そんなに生きたら100歳いってしまう。」が言いました。
「そうよ。100歳まで生きて市役所から記念品を貰って、みんなで喜び合うのよ。」と母に言い、そしてまたお墓に向かって
「だから『じゃあ、もうイイか。』って迎えになど来たらダメですからね。許しませんからね。そんな事したら・・・」
「花ちゃん、花ちゃん、脅してるって。」と姉。
「えっ、あっ、そうね。とにかく母はもっと長く生きる予定です。」と言ってお墓の前で笑い合いました。
母はいつの時も、本当に年齢よりも若く見えました。だけれど、ここにきて急速に老いを感じてしまうのです。それは娘としてとっても寂しい。
だけどこの母の姿は、いつか来る私の姿に他ならないのかも知れません。
寂しい、悲しい、そして怖いー。
人はいつか死ぬ。それは逃れられない運命なのです。
そして人はいつか老いる。
それも逃れられない定め。
だけど私は思いました。
先に生きる者たちは偉いなと。なぜなら、後から生きるものに「死」を教え、そして「老い」を教えてくれるのです。
母の老いた姿は、決してぼんやりとせずに今を生きよと、私たちに教えてくれているような気がするのです。
「おかあさーん。ねえ、おばあちゃんのお墓参りに久しぶりに来ることが出来て良かった?」と私が聞くと、「うん。」と短く言いました。
母は今は父のお墓の墓守です。毎月の月命日には必ずお墓参りに行っています。
※ ※ ※
帰りのバスの中では、姉と私と、母は少し離れて座っていました。
ふと気が付くと、母は隣に座った老齢な男性と親しげに話していました。
「知り合いかしら。」と姉が気にして、バスから降りると真っ直ぐに聞きました。
「ううん。『今日は寒かったですね。』と話しかけてきたのよ。」と母。
「よくあるのよね。おじいさんに良く話しかけられるの。」
なるほど。母は顔に皺なんかないし丸顔だし、その歳の男性から見たら可愛いおばーちゃんに見えるのかしら。
「そのおじいさんが『もうすぐお彼岸ですね。』って降りる時に言ったのよ。」
「その人に墓参りの帰りですとか言ったの?」
「言わないよ。そんな事。」
「なんでお彼岸?」
すると姉が
「おばあちゃんがその人の体を借りて、『ありがとう。』って言いに来たのかもね。」と言いました。
そんなわけあるかいなと思いましたが、そんな風に考える方が素敵な事だなと思ったのでした。