森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

始まりの一日目。

2015-09-01 15:43:51 | 梢は歌う(日記)

 

9月1日になりました。

2015年もあと残り4か月。

今日はその4か月の始まりの一日目です。

 

今年の夏は太くて短い一生を選んでしまった偉人たちのようでした。

まるでそんな季節があったのかと思えるかのように去ってしまった夏。

 

昨日も病院の帰りに公園に寄ってみました。

これが8月最後の日の緑と言えるのかー。

そんな思いにとらわれた私です。

 

 

 

 

そっと忍び寄っていた秋の気配。

またも人生の考える季節が廻って来たのかも知れません。

 

 

 

その時、雨がぽつぽつと降ってきました。

 

 

 

 

重ねていく想いもあれば、

また再び復活する想いもありー。

 

人の変化に傷ついて振り回されていたけれど、心の中で手を振ったんだ、8月最後の夏の終わりに。

恋と友情は似ているのかもしれない。

恋の経験が未熟にて、失恋を知らない。

だからこんなに苦しんだんだ、きっと。

 

久しぶりに見たその人は変わらずに素敵な人なのだと思う。でも、・・・・・何も感じない。

そしてもしも私の心がその人に向いていたならば、きっとその人のやっている事に触発されて、自分も何かを頑張ろうと思うと思う。

が、やっぱり何も感じない。

私は何かをその時言ったのだが、もう覚えてもいない。

もうどうでも良いんだ。いつか再会した時の為に、当たり障りのない事を言って切れていた糸に結び目を作ってみただけの言葉なんだ。「じゃあ」と言った後にその結び目がほどけようがもういいんだ。

 

苦しんだのは私だけか。

それではその苦しみは私だけの財産なんだと、そう思ったのだった。

 

そしてふと歩きながら、さっき感じた違和感の正体に気がついた。

私が私の「今」を簡単に言った時、「大変ね」と言ったあの人は、ほとんど無反応だった。

 

恋と友情はやっぱりどこか似ている。

 

恋の経験が未熟すぎて失恋を知らない。

じゃあ、この想いは夏が短い夏が私にくれた贈り物だったに違いない。

 

 

一つの季節が終わればまた次の季節へと進む。

これはずっと昔に終わっていた一つの物語を確認しに行ったに過ぎないが、私にも次の季節が確実にめぐって来たのだと、夏の終わりのひんやりとした空気が、そっと私に囁いていったのだった。

 

 

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