6月13日、自宅で転倒し手首・腰と骨折してしまった義母。
7月6日にリハビリ病院に転院したけれど、本当に飽き飽きしてしまったみたいで、退院を心待ちしていました。
ようやくその許可が下りて、9月2日に退院が決まりました。
「お盆のころに帰って、みんなと過ごしたい。」などと一度は思ってしまったので、そこからが本当に長く辛かったと思います。
私は本当は今回の件があって、彼女は施設に行くことなどを自分から考えるんじゃないかと、最初は思っていました。多分それはあながち間違えてはいなかったと思います。
ところが今回の経験を通して、今の時代ではそういう所への入所は、いかに自分の自由を奪うかと言うことを感じたみたいで、たぶんしばらくはそれはないことになるだろうなと思いました。
「そりゃ、今まで以上に、みんなの力を借りることも多くなると思うけれど家に帰りたいわ。」と義母は言いました。
この「みんなの力」と言うのは主に公的支援の事を言っていますが、それでも帰ってくるまでに、義兄は家の中をプチリフォームしバリアフリーに直しました。
義母は、かかったお金はみな自分で払うつもりでいるみたいですが、たぶん義兄は受け取らないのでは。
こんな時に、経済的に恵まれた息子を持っているということは、かなり幸せなことだと思います。
いやいや、「負けてはいられない」と言うのは、そこではありません。そこだと言うと、今から私はラッタさんやルート君の尻を叩き、そして嫌われて将来は本当に孤独な人になってしまいそうですから。
ある時、義母からお使いを頼みたいと言う電話がかかってきました。
「はいはい」と、もちろん2つ返事で答えましたが、・・・・・って、「はい」を2回繰り返したら2つ返事にならないって ?!
まあ、ともかくお使いはお菓子かなぐらいに思って、耳を澄ますと、何やら病院でのシャンプーは男の人も使えるようなもので、髪がパサパサになるのでトリートメントが欲しいと言うものでした。
98歳になっても髪のパサつきを気にするんだと感心しましたが、さらに驚いたことにはそれは行きつけの美容院でいつも購入している製品限定で、お使いはその美容院に行って、その指定のトリートメントを買ってくると言うものだったのです。
翌日、その美容院に行って事情を話して間違えのないように製品を買おうとしましたら、
「××さまですね。ご用意できています。」と、そのトリートメントの入っている袋を渡されました。
「彼女から電話があったんですか ?」と、私はちょっとだけ驚いたふりをして見せて確認しました。
本当は別に驚きはしませんでした。
ただ感心はしました。義母はそのレベルの人だったのだと再確認したからです。
出来る人だなと思いました。
脳の病気であるアルツハイマー型認知症になってしまったら、その人の今までの生活または能力などは関係のないことです。
だけど98歳でもしっかりとしている義母などを見ていると、老人性のボケならばある程度の心構えで気をつけることが出来るのではと思ってしまいます。
例えばいくつになっても女性としての楽しみを捨てないとか。
身なりに気を使ったり、友人とおしゃべりや長いメールを送りあったり、美味しいものを食べたり・・・・・。
そして他者に対しても気づかいを忘れないとか。
それでもやはり98歳ともなれば、記憶のすり替えや思い違い、健忘などは多少は普通にありますよ。
ただ家族だと、そんなことは普通のことだとスルーする力を持っているのです。
問題がなければ「うんうん」と相槌を打ち、それは嫌だなと思ったら、その記憶のすり替えをやんわりと訂正したりします。何の問題もないことです。
だけど病院では、ちょっとしたミスがあれば年齢だけで判断されしまうようなこともあったみたいで、プライドの高い義母は、不愉快になることも多かったみたいです。
そのせいで言葉が多少きつくなり、不機嫌になることも多かったと聞こえてきました。
高年齢の人の長期入院の怖さは、実はそんなところにもあるのかもしれません。
ボケていなかった人がボケるというそれです。
でも、まあ義母はたぶん大丈夫でしょう(願望 !!)
今週末、退院です💛