近頃、計らずともドラマの感想ばかりを書いているように思います。ちょっと好きなことをつらつら書くことにします。
先日ルート君は成人式でした。
私ははっきり言って親ばか全開の人ですから、スーツ姿の彼が本当にかっこよく見えてしまうのですよ。
カッコイイなぁ、うちの子。 なんて思っていたら何だか彼が小栗旬に見えてきちゃったりして。クフフ・・・
バカな人のことを、時々「お幸せな人ね」って言うけれど、あれホントですね。親ばかな私は幸せな人ですから。
でもこの親ばかって言うのは、かなり遺伝で、私自身も親に
「うちの子供たちって、何て可愛いのかしら。」と言われながら育ってきたんですよね。だから私の姉妹は親ばかというより、身内バカに育ってしまったわけなんです。
この身内バカのお話は、またこれだけでどっちゃりあるのですが、書きたかったことから遠く離れていってしまうので、このぐらいで我慢します。
ところでそのルート君、私の事を「おばちゃん」と呼ぶんですよね。ちょっと我が家のイメージが狂いますか?ラッタ君もそうですが、彼は今は「あなた」と言うことの方が多いかもしれません。
「あなたはなぜそんなに自分に甘いのか。」みたいに言われています。
なぜそうなってしまったのかと言うのも長いお話なので、また近いうちにお話しすることがあるかもしれません。
えっ、なあに?
そんな話、興味ないから近いうちに話さなくて良いって?
・・・、そうかな?小学生男子のお母さんなんか興味あるんじゃないかな、私の失敗談。そう言えば中学生の女子なんかは母親の事を「あの人」と呼ぶことが多いですよね。
でもね、呼び方はあまり教育上よろしくないかもしれないけれど、親子の関係ってそう言う事だけに拘ることないと思うのですよね。
だけどそうは言っても、一番最初にラッタ君の口から「おばちゃん、あのさ。」と言われた時は、吃驚もしたし嘆きもしました。ショックだったので
「ふーん、私は『おばちゃん』なのに、パパはパパなんだ。」と言いましたら、パパと呼ぶことも辞めてしまいました。私が余計なことを言ってしまったのですが、そのことは夫には内緒です。
夫も最初は予想外の事で驚いていましたが、なんていうかうちの夫婦はお気楽B 型人間なので、そういう事には許容してしまったのですよね。今思うと、そんな親なのに子供からは、この界隈で一番煩い親と言われていたなんて信じられません。
(門限&外泊には煩かったね、うちは。キッパリ!)
でもその時、驚く夫の気持ち緩和と、呼び方を変えてしまった子供に戒めを込めて皮肉たっぷりに言いました。
(その頃はに非ず)「まあ可哀相に。この子は小学6年生にして、自ら父、母を捨てて、草原のみなしごになってしまったのね。」
ちょっとまた横道ですが「みなしご」と言う言葉は、公的にはやはり今は使わない言葉だと思います。だけど日本には、れいの名作アニメがあるでしょ。「死語」になることのない言葉なんじゃないかなと思うのです。横道ついでに言うと「みなしごハッチ」って不思議なお話ですよね。ハッチの最終回でみんな泣いたとか言うけれど、お話の違和感が邪魔して、私は泣けないなぁ。だって蜂の世界ってサア・・・。ハッチってオスだしサア・・・。あまりピュアな心で受け止めるってだけのお話ではないですよね。
で、私が言う所の「草原のみなしご」も、実は小学校の頃読んだ推薦図書のタイトルなんです。確か・・・、うーん・・・、親鳥に死なれてしまった鳥達のお話だったように思います(違うかな)。まったく持って自信がありません。このお話を読んで、私がどんな感想を持ったのかも、よく覚えていないのです。(だって、凄い昔だよね)それなのに私の中でこの「草原のみなしご」と言う言葉は、「草原の・・」と言う言葉を外さないことに意味を持ちながら、私の用語範囲の中に組み込まれてしまったのでした。
ストーリーさえ忘れてしまった今となっては、なぜ「草原の・・」と言う言葉を外さないことに意味があるのかも、分からないことですが、たぶん大草原に放り出されても智慧と勇気を道連れに、しっかり生きて行くというイメージを大切にしたいからだと思います。
その言葉がいかに私の用語範囲に組み込まれようと、だからと言って使う事はない言葉です。たぶんラッタ君に使ったその時と私が高校の時、母に対して言ったその時だけ・・・。
で、私が本当に書きたかったのはその話なんです。
(前置きがいつだって長いのさ~♪)
≪その2≫に続きます。
先日ルート君は成人式でした。
私ははっきり言って親ばか全開の人ですから、スーツ姿の彼が本当にかっこよく見えてしまうのですよ。
カッコイイなぁ、うちの子。 なんて思っていたら何だか彼が小栗旬に見えてきちゃったりして。クフフ・・・
バカな人のことを、時々「お幸せな人ね」って言うけれど、あれホントですね。親ばかな私は幸せな人ですから。
でもこの親ばかって言うのは、かなり遺伝で、私自身も親に
「うちの子供たちって、何て可愛いのかしら。」と言われながら育ってきたんですよね。だから私の姉妹は親ばかというより、身内バカに育ってしまったわけなんです。
この身内バカのお話は、またこれだけでどっちゃりあるのですが、書きたかったことから遠く離れていってしまうので、このぐらいで我慢します。
ところでそのルート君、私の事を「おばちゃん」と呼ぶんですよね。ちょっと我が家のイメージが狂いますか?ラッタ君もそうですが、彼は今は「あなた」と言うことの方が多いかもしれません。
「あなたはなぜそんなに自分に甘いのか。」みたいに言われています。
なぜそうなってしまったのかと言うのも長いお話なので、また近いうちにお話しすることがあるかもしれません。
えっ、なあに?
そんな話、興味ないから近いうちに話さなくて良いって?
・・・、そうかな?小学生男子のお母さんなんか興味あるんじゃないかな、私の失敗談。そう言えば中学生の女子なんかは母親の事を「あの人」と呼ぶことが多いですよね。
でもね、呼び方はあまり教育上よろしくないかもしれないけれど、親子の関係ってそう言う事だけに拘ることないと思うのですよね。
だけどそうは言っても、一番最初にラッタ君の口から「おばちゃん、あのさ。」と言われた時は、吃驚もしたし嘆きもしました。ショックだったので
「ふーん、私は『おばちゃん』なのに、パパはパパなんだ。」と言いましたら、パパと呼ぶことも辞めてしまいました。私が余計なことを言ってしまったのですが、そのことは夫には内緒です。
夫も最初は予想外の事で驚いていましたが、なんていうかうちの夫婦はお気楽B 型人間なので、そういう事には許容してしまったのですよね。今思うと、そんな親なのに子供からは、この界隈で一番煩い親と言われていたなんて信じられません。
(門限&外泊には煩かったね、うちは。キッパリ!)
でもその時、驚く夫の気持ち緩和と、呼び方を変えてしまった子供に戒めを込めて皮肉たっぷりに言いました。
(その頃はに非ず)「まあ可哀相に。この子は小学6年生にして、自ら父、母を捨てて、草原のみなしごになってしまったのね。」
ちょっとまた横道ですが「みなしご」と言う言葉は、公的にはやはり今は使わない言葉だと思います。だけど日本には、れいの名作アニメがあるでしょ。「死語」になることのない言葉なんじゃないかなと思うのです。横道ついでに言うと「みなしごハッチ」って不思議なお話ですよね。ハッチの最終回でみんな泣いたとか言うけれど、お話の違和感が邪魔して、私は泣けないなぁ。だって蜂の世界ってサア・・・。ハッチってオスだしサア・・・。あまりピュアな心で受け止めるってだけのお話ではないですよね。
で、私が言う所の「草原のみなしご」も、実は小学校の頃読んだ推薦図書のタイトルなんです。確か・・・、うーん・・・、親鳥に死なれてしまった鳥達のお話だったように思います(違うかな)。まったく持って自信がありません。このお話を読んで、私がどんな感想を持ったのかも、よく覚えていないのです。(だって、凄い昔だよね)それなのに私の中でこの「草原のみなしご」と言う言葉は、「草原の・・」と言う言葉を外さないことに意味を持ちながら、私の用語範囲の中に組み込まれてしまったのでした。
ストーリーさえ忘れてしまった今となっては、なぜ「草原の・・」と言う言葉を外さないことに意味があるのかも、分からないことですが、たぶん大草原に放り出されても智慧と勇気を道連れに、しっかり生きて行くというイメージを大切にしたいからだと思います。
その言葉がいかに私の用語範囲に組み込まれようと、だからと言って使う事はない言葉です。たぶんラッタ君に使ったその時と私が高校の時、母に対して言ったその時だけ・・・。
で、私が本当に書きたかったのはその話なんです。
(前置きがいつだって長いのさ~♪)
≪その2≫に続きます。
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なんにしても、ルート君、祝成人ですね。
最近あまり前ほど過激な成人式のニュース聞かないですよね、あれも一種の流行だったのかな。
親の贔屓目が入っていたとしても小栗旬、って言えるなんていいじゃないですか。
うちは、えーと・・。
成人の日、私は男の子だからいいって言ったのに、会社の先輩が私が変わりに出勤するから、そんな日くらい休みなさい、お父さんもいないんでしょう?
って言われたにも関わらず、先輩が式の日を勘違いしていて、用事を入れてしまい、結局休めないことに
「自分の成人式のためにわざわざ仕事を休むなんて、むしろそんなことして欲しくないから、気にしないで、一人で出て行くから」
と言って、雪の降る日、こそこそっと一人で出て行ったという息子の、そういう気持ちが、なんか成人したんだな~、と言う気持ちにさせられ、ちょっとジンとしましたね。
あら私も長くなっちゃった
ではまた~。
天地人レビュー楽しみにしてますね
このブログをはじめた時は、まだ高校生だったと言うのに、年月の早さを感じてしまいます。成人式にはやっぱりおバカな子供がたくさんいたようですよ。
「行った事に意味はあるのか。」なんて彼は言っていましたから、とにかくうるさい式ではあったようです。(情けない)
でも男の子のお母さんはお気楽でいられるからいいですよね。女のこのお母さんだと、お財布もすっからかんになってしまいそうですが、当日4時起きもアリですからね。
それで「行った意味はあるのか。」なんて言われたら、ムカついてしまいますよね。
さくらこさんの息子さんのお話も、いいお話ですね。やっぱりそこにお子様の成長を感じました。
それから、自分の子供が小栗旬に見えてしまう私・・ドンだけ親ばかなのかって言いたくなってしまいますが、自覚ありますので勘弁してね(笑)