森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

記録する夏

2011-07-23 18:02:08 | 思いつくまま

どうも夏になると日記なるものをつけたくなるらしい。

本箱や引き出しなんかを整理していると、ノートなんかに書かれた夏限定の日記などが出てくる。そこに記入されているのはほとんどが仕事の記録と友人たちとのお食事会と電話のメモ。たまにお出掛けの記録。それも「・・・に行った。」と言うもの。書いてある事は数行で読み直しても面白くもない。だけどそのノートたちを私は捨てない。40日全体の「文の雰囲気」に意味があるのだ。

文の雰囲気と言うのも変な言い方だが、そこに目を通すと、その夏が蘇ってくるのだ。仕事ばかりしていた夏、それが楽しくて仕方がなかった夏。その中での自分の子供たちとの触れ合いと一喜一憂。懐かしい。

夏の日記的記録ノートはブログを始めてもやっていた年もあったようだ。日記的ブログの「梢は歌う」が7月8月になると放置状態になったりしていたのは、そのせいだったかもしれない。とにかくどこかにチマチマ書いているのだ、いつも。だけど、、なんたって自己管理が悪いものだからノートはあちらこちらに保管してあるのが問題だ。そう考えるとやっぱりブログは便利なのだが、だけどそこには面白みもない仕事メモは書けない。書きたいのはそう言うメモ。

 

夏は、夏と言うだけで非日常だ。毎日は同じように繰り返されるが、この40日だけは違う。そして何でだか忙しい。うっかりすると、過ぎた後「幻だった。」と言う感じになってしまう。夏の記録帳を付けたくなってくるのは日々の暮らしの確認をしたいのだと思う。

 

今日も生きた。今日も生きた。そんな確認。

 

ツイッターの呟きも結構日記代わりになると思っていた。でもあれは気分次第だ。現に昨年の7月なんて何をしていたのかさっぱり分からない。ただその気分次第と言うのも面白くて、その時思った事、知った事を呟いていて、それを今読むとすっかり忘れているのも面白い。
「ブラピのゾンビ映画面白そう。」と早くも去年の今頃呟いていたけれど、今の私はそんな映画の存在すら知らない・・要は忘れている・・・

 

また夏がやってきて、また夏の記録帳を書きたくなってきた。何処に書こうかと迷っていたが、アナログ復活と言う事に決めた。
2003年に夏だけ付けていた5年日記。やっぱり夏だけで終わっていた。

書いてあるのは、本当に仕事の事が90パーセント。そして犬のココちゃんの病院通いの記録。

そして中三だったルート君との学校見学会との事。

こんな一行があった。
「ルート君の通知表が思っていたより良かった事が嬉しい。」
中三母の本音。なんとなく微笑ましい。

 

この気持ち、忘れちゃいけないなと思う。
時々、通知表を持って来て見せてくれる子がいるけれど、あれは親の感謝の気持ちと、そしてこれからも「くれぐれもよろしく」と言う気持ちの表れだと思っている。

そんな一行を読むと、言葉の記録って大切だなと思えてくる。

パラパラとその日記帳をめくっていたら、夏だけでなく、いきなり9月17日に二年分の枠を埋めて日記が書いてあった。ある人の暴言に傷つけられてそこから立ち直る為の文章で
「そんな人の事はもう忘れ、穏やかに自分の道を進もう。思ったことをすぐに口にするのはオバサンだって。」

そう、わざわざマーカーで線が引いてあった。残念だ。これをもっと読み直すチャンスがあれば良かった。2003年から今まで、既にオバサンになりつつある私は、それで一杯失敗したに違いないのだから。その人の事が反面教師にはならなかったようだ。

 

だけど最後にこうも書いてあった。
「人の悪口はこりごり。今日で終わりにしよ。」

なるほど、確かにアナログだと愚痴や悪口、書こうと思ったら結構自由。それを嫌って日記帳は閉じられ、これは使命を終えて、本箱の片隅にいたというわけらしい。

 

でも2011年復活。
今年の夏をよろしく。

 

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