19回「果たせぬ凱旋」20回「帰ってきた義経」の感想を、まとめて書きます。
19回の感想を、いつ書こうかなと迷っていたまま次の回を迎えてしまいました。
辛すぎて書き辛かったですものね。
皆、鎌倉と言う大きな組織の事ばかりを考えて、誰も義経の個人の事なんか思ってる者なんかいないのですものね。
なんとしても鎌倉に呼び戻そうとして、策を練り、それを伝えに行く義時だって、優しげな顔をして伝えるけれど、その動向をチェックすることなく、彼が後白河法皇の仮病で引き留められてしまう事も把握できないなんて、なんか変だと私は思います。父親の法要と言うのはあくまでも大義名分。だったら一緒に連れ立って帰って来るのが筋でしょう。
そして法皇が病気と言うのなら、どうしたって連れて帰りたかったら、こっちだって頼朝が病気だから位言えばいいじゃないの?
都で義経を見張っている者も、逆に居ないの ?
と、何故かどうしようもない過去の出来事にムキになるワタクシ(^_^;)
いや、たぶん、私は19回、いろいろと見逃しているのかもしれませんね。
ただ会いたい兄弟を、いろいろな思惑が引き離す悲劇と思っていたけれど、そんなには単純ではなかったのかもしれません。
そんな見逃している私が感想を書いていて良いのかってところですが・・・。
一番好きだったシーンは、どうしても頼朝を敵にせねばならなくなったと思った時の義経の号泣シーンです。本当に彼は兄が好きだったのですよね。
政子の膝枕の暖かさを忘れないと言ったのも、悲しかったです。
もちろんラストの義時親子を訪ねてくるシーンも良かったのですが、時政の励ましがむしろ悲しく感じたのです。
だけど時政の
「平家を滅ぼすために生まれてきたようなお方」と言う言葉が胸に響きましたね。
このドラマは面白いシーンだけで成り立っているようなものなので、全部拾えないと毎度言っていますが、今回も諸々切り捨てて(後白河法皇の仮病の仕方とか行家のナレ死とか)20回の感想を書きます。
こちらは更に辛かったですが、シナリオと演出が素晴らしかったですね。
藤原秀衡は奥州に戻った義経を、「良くやった !」と褒めるのです。それは義経が身内から一番聞きたかった言葉。
火種になるから奥州には帰るなと言ったのにと義時は怒りますが、それは無理と言うものですね。
頼朝が無理なら、もう秀衡に褒めてもらうしかないのですから。
この奥州での義時は完全にダークサイドに落ちた人。(もうきっと浮上しない)
平和に農夫をやっている義経に、静の話をしてたきつけたり、その様子を藤原泰衡に伝え、更にたきつけたり。その時、冷静にものを考える事が出来ていた弟を切り殺されても、泰衡はもう後戻りが出来ない・・・・。
私が好きだったシーンは、義経は義時の考えなどすべて分かっていて、鎌倉攻略の作戦を伝えます。そして弁慶が時を稼ぎ頑張って戦っている様子を覗き見して、楽しそうに笑っていて、それが彼の最後のシーンになったところです。
目の前に悲劇が待っていても、そこまでは映さない。
次に印象的だったのが、里のシーンです。
このシーン、「こう来たか。」と、驚くのと同時に納得できたのです。
この里が、一緒に死んでいくのは私と、最後に妻のプライドを持って死んでいくのだろうかと思っていました。だけどあんな静の話を聞いて、そんな風に思えるだろうかと思っていたら、「こんな所で死にたくはなかった。本当はついて来たくなかった。野良仕事もしたくなかった。あの時襲われたのは、私が手引きしたから。あの女を殺してやりたかった。」と告白して、義経に刺され殺されてしまいます。
このシーンの為に、里はあの土佐坊昌俊らを手引きしたのですね。
「あなた、先に逝って待ってます。」
「私もすぐに行くから。」などと言う涙シーンは、この物語にはないのでした。
この里のシーンはこの物語に凄く似合っていて、凄いなと思い、また好きだなと思いました。
だけどまたこの里は辛い逃避行を一緒にしたと言うのになと、私はちょっと思います。静は遊女として目撃されたと言ってるし(たぶんわざと)、もうちょっと女性には優しい展開でも良いのになとも、また違う視点でも私は思ってしまいました。他がこんなに血なまぐさいのですから。
だからこの展開が辛い方には、こうも考えられますよと言いたいです。何かの本で読んだような気がするのですが、(マンガ吾妻鏡かしら。)静と里は姉妹のように仲が良かったらしいですよ。
それに静は母親を養わなければならなかったわけで、あの逞しさがあれば、きっとこの先も本当はどこかの館に養われてしたたかに生きたと思います。
義経だって、離れてしまった女性よりも、危うい逃避行を共にした女性に心を重く置いてきたに違いありません。正妻としてともに死出の旅を共にしようと誓い合ったのだと思います。
って、これじゃ、「鎌倉殿の13人」のファンじゃツマラナイわけですよね。(^_^;)
そして今回の泣かせ所は、やはり頼朝と義経の対面のシーンですね。
「一の谷は、壇の浦は、どうだったのだ。お前の口から聞きたかった。」と頼朝は義経の首桶に抱きしめます。
本当にどうしてそれが叶わなかったのか。
私には、「兄上、兄上」と言い、笑いながら、その時の様子を得意げに語る義経の顔が浮かんできて、思わず涙が零れました。作者の思惑通りです^^
義経は奥州に帰り、そして鎌倉にも帰ってきました。
せめての救いは、義経が考えていた鎌倉攻略の仔細を読んで、景時が、「これで攻められていたら、鎌倉は滅んだ。」と言った事かも知れません。(セリフは不正確)
我が家にお土産をたくさん持って帰る義時。
だけどその後ろには、アサシン善次が立っています。
「おかえりなさい。」と優しく微笑む八重。思わず私はハッとしました。だけど何もそのシーンでは起こりません。八重は善次の顔を知らなかったのでしょうか。それならむしろそれで良かったです。
だけど、善児と義時。そして対面する八重。ああ、義時はもうそちら側の人間なんだなあと私は思いました。
ちょっと書きそびれたので少し話は戻りますが、義経は義時に「私はひとを信じすぎると言っていたな。」と言いました。今度は騙されなかったとでも言いたかったかもしれませんが、やはり彼は信じすぎていましたね。「私の首ひとつで奥州が守れるのなら。」と言いました。その先のもっと恐ろしいあくどさに、彼ほどの人が気がつかなかったという事なのでしょうか。
あと、秀衡が義経の前に無言で現れたシーンは、素晴らしかったですね。
あれこそ、「空の向こうにもお前の生きる場所はある。」とでも言いに来たのかもしれませんね。
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この記事はいつも通り真夜中に書いていましたが、猫どもの祭りが始まってしまったので(ドドドと走り回る)、仕方がなく寝たのです。朝がパチリと目が覚めた時、何故か壇ノ浦の、まるで魚が波に打ち上げられてしまったかのように延々と砂浜に死体の並んだ風景を思い出しました。それは戦だからと言えばそうですが、あれを思えば、義経の運命がああ導かれてしまったのは、逃れられない道だったのかもしれません。
(こんな事を言う人は、まあ、他には居ないとは思います^^)