森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

功名が辻―家康の花嫁

2006-08-14 01:12:21 | ドラマ (大河)
今日は、オーソドックスな歴史ドラマとしてとても面白く感じました。

旭姫の悲劇は確かにあったとはいえ、その夫の福田甚兵衛の悲劇までは描かれていなかったので、あまり胸に突き刺さらずに済んでしまいました。また、旭を迎えた家康が寝所にて、
「これから、仲睦ましく生きていきましょう。」などと紳士的な態度を示すものだから、なんとなく救われてしまったのです。


でも、そんな事あるかいって思ってもしまったのも本音ですが・・・
家康は秀吉の手前、本当に旭を大事に扱ったのでしょうか。しかも妻として。なんとなく思っていたイメージと違ってしまったので、これは歴史マニアの方々の記事で要研究ですね。

でも、とにかく今日のドラマの中では救われました。ただ、秀吉の妹に生まれてきてしまっただけなのに歴史に翻弄されてしまった、平凡な女、旭。

私はこの人がもっと強かな人だったら、この波乱万丈な人生さえも楽しめたとも思うのですが、どう見てもそうは思われないので、かわいそうで仕方がないのです。だから、甚兵衛には、旭の手紙にあるようにどんな事があっても生きていき、遠くで心の夫として、支えていてあげて欲しいなぁと思ってしまうのですが・・・・

どうでもいいことですが、ずっと昔の大河「吉宗」でしたか(違うような・・・)その中でも、野口五郎は西田敏行に妻にしようと思っていた人を取られていたような。普通反対じゃない?


ところで今日、ドラマとして拍手 と思ったのは、家康が冗談で旭の代わりに千代を差し出せと言った所です。まじめな一豊は、まさか家康が冗談なんて言うわけがないと思ってうろたえますが、その無駄のような冗談があったので、歴史的事実の旭姫の輿入れが、どんなものであったかが分かりやすくなったような気ががするのです。

ある日仲良く暮らしていた、平凡な夫婦。それなのに天下泰平という大儀の名の下に妻を奪われてしまう苦しみ。一豊にも甚兵衛の苦しみがきっと分かった事でしょうね。

旭の事はサラッといこうと思っていたのに、意外に長くなってしまいました。

今日やっぱり面白かったのは、家康の上洛のシーンとその前夜ですよね。 猿  狸の大バトル。   どちらの勝ち~、と言うものではないのですが、前夜は猿芝居の勝ちで、翌日は、ぽんぽこたぬきの勝ち~と言う風に、私には思えましたが、どうでしょうか。どちらにしても見ごたえがありました。

これで関白秀吉の時代は取りあえず落ち着きました。その事をお墓の中のよねに報告する千代。やっぱり、まだそのシーンの方が悲しかったです。

そういえばですね、蜂須賀小六。全然出てきてなかったのにいきなり出てきて、亡くなってしまいました。そういうのも悲しいじゃないですか。おーい!小りん、六平太、君達今頃何しているの?

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なんとなく独り言

2006-08-13 01:43:00 | ’08/12/7までの未整理日記

世間では帰省ラッシュが始まったみたいだ。今日まだ眠りの中に居た私を今日という現実の中に引きずり出したのは、母からの電話だった。

「何時来るの。」

この季節、当然の質問だ。のらりくらりとかわしている私。どこにも行きたくない。

「なにやら、やりたいことも溜まっているし。・・・気が向いたら行くかも」なんて迷惑な事を言っている私。

傍で電話を聞いていたパパさんは、私が張り切って溜まっていた仕事や掃除をやるとでも思っただろうか。

今日はお休み。やりませんよ、なーんにも。仕事を持っている主婦の休みって、持っている仕事の代わりに家事という仕事をやる日って、世の中のだんな連中は思っていない?

まあ、そんな事をぶつぶつ言い出すときりもないのでやめるけれど、そういえば、今日買い物行ったのも、お昼のそうめん茹でたのもパパさんだから、夜ご飯を作るのは私でも仕方がないか。

でも、どこも行きたくないなんて嘘。木がまっすぐと伸びて、風が通り過ぎて行き、水が踊るように流れていく風景に出会いたいな。

または、体中をキーンと冷やす冷房の中で、コツコツと靴音聞きながら絵を見て回りたいな。

でも、どちらも人の背中の後ろからじゃいやだなあ。

だから、今はちょっとがまんがまん。

でも、今日は本当にグーたらDAY.

この記事は、そんなグーたら引き摺って脈絡なくだらだら言いたいこと言っちゃえと思って、書き始めたのだけれど、よく考えてみたらそんなにドサクサにまみれて言いたい事もないかもね。

だけど、例えばこんな事、あった事の報告をするのは、たとえそれがいい事ではなかったとしても近況報告。いくらでも、聞いて差し上げます。でも、話が堂々巡りになったら、それはあんた、愚痴ですから。

それから、映画は一期一会の気持ちで作ってください。見る側が何度でも見たいと言うのは自由。でも、制作側がそんな気持ちで作っていてはダメですよ。よく分からないから、もう一度見ようなんていわれたら、それは良いことではないはずなのに・・・?

テレビの映画担当の人は、映画がもう大好きでしょうがないと言う人にして欲しい。映画を見るセンスがよければ、CMの入れ方から、編集の仕方をもう少し考えるに違いない。

今期のドラマ何も見るものがない。「黒い太陽」と「怨み屋」ぐらい。夜、テレビを消して何かをしよう。

ホント、脈絡なく、しかもどうでもいいことばかりを書いてみた。ちょっと心が軽くなったかな。

さて、ずっとグーたらで終わらないように、がんばるぞ!!

 

 

 

 


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テレビでやった「妖怪大戦争」はあれでしたね。

2006-08-12 22:22:03 | 映画
妖怪大戦争 - goo 映画


実は私は「妖怪だい好き人間」。いや私だけではなくて、日本人で妖怪嫌いな人ってあまりいないんじゃないのかな。前に誰かが、妖怪は江戸時代のポケモンみたいなもので、キャラクターものとして人気があったと言ってたけれど、なるほどなと思う。

ろくろ首に、河童、一反木綿にぬりかべ、悪役っぽいぬらりしょんだって、名前がすっとぼけている。

だから、なんとなくどんな映画が見ることが出来るのだろうと、昨日テレビで放映する事を楽しみにしていた。私だけではない。昨日まで仕事だったのだが、家にやってきた近所の子供たちはみんな楽しみにしていた。中学生までも。
・・・・・楽しみにしていたのに・・・・・


この映画は、何が、そしてどこが悪くてこんなにつまらないのだろう。テレビで見たから、編集の仕方があまりにもひどいのだろうか。どうもそれもあるような気がする。
妖怪たちのメイクも良いし、背景も良い。キャストも問題がないし、ストーリー自体も悪いわけではない。

キャストなんかは、主人公タダシに天才子役と言われる神木隆之介、敵役、加藤保憲に豊川悦治、妖女アギに栗山千明、妖怪小豆研ぎに岡村隆史、ぬらりしょんに忌野清志朗・・・その他大勢の力あるキャスト・・しかも京極夏彦も水木しげるなんかも楽しんで妖怪やってしまっているし。

しかも、誰が誰だかよくわからないと言うメイクのすごさだ。

なのに、あまり面白くない。

お金もかけて、出演者も楽しんで作っていると言うのに、見ていて何か面白くなかった映画というのは悲しい。

要するに、ところどころ何か大事なセリフが足りないのだと思う。勇気がない少年が「麒麟送子」なるものに選ばれて、敵と戦うが、臆病で弱いものだから、キャーキャーいいながら闘っていてうるさいやら情けないやら。

だから選んだ猩猩は言ってやれよとおもう。
「お前は本当は強いんだ。勇気もあるんだよ。だから、お前を選んだんだよ。」

ポケモンで言ったら、ピカチュウのようにかわいいのに勇気のある「すねこすり」。すねこすりの勇気と行動力はタダシは学んでいいところ。タダシのセリフでほしいところだよね。
「だい好きなものを守りたいと思うと、勇気は出るんだね。」

ありきたりでつまらないセリフかも知れないが、似た内容のもっと気の聞いたセリフはほしいところだ。

しかも、敵役の加藤と言うのはそんなに知名度高い悪役だろうかと疑いたくなる。知っている人は知っているかもしれないが、そんな設定ってあり? 名前が出ただけで、妖怪たちは恐怖におびえて口をつぐむ。先住民のなんたらかんたらと言う説明はあっても、全然分からない。だから、川姫の過去の記憶も意味不明だ。後ろに立っている男は誰だと思っていたら、キャストで見たら、安部晴明だって。何か意味あるのだろうか。

小豆の一粒で最後は勝つという結末は、とっても面白いと思う。一番弱く役に立たないように見えるものの存在する意義、そこには大切なメッセージがあると思うのだ。ただ、「なぜ」と言う部分が足りない。ぼけたじいちゃんの言葉の
「小豆は体にいい」と言う説明では意味ぷーでしかない。せめてその時、続けて、文太じいちゃんに「魔物の霊力も奪うのじゃ。」とか言わせて欲しかった。

この映画はおばさんの会話に似ているかもしれない。
「あれよあれ。あれに出ていたあの人。えーと、誰だっけ。ほら、あの作品に出ていて、共演者の人があの人のあれ。」
「あ~、あれに出ていたあの人ね。」
話している本人達にはよく分かっても、第三者には全く分からない。

全く分からない事はないが、全く不親切な映画だったと思う。

でも、妖怪の部分は良かったなぁ。まじめに闘わなければと思うと、さっさと「解散!」なのに、なんか面白そうな事があると大集合。喧嘩祭りだとノリまくり敵と戦う。(遊びだと思って。)
敢て、狙ってきた最後の水木しげるの言葉。
「戦争はいかんですよ。腹が減るだけです。」
・・・・・私は水木しげるが戦場で見たと言うぬりかべを、かっては信じていた。枕辺で小豆研ぎが一晩中小豆を研ぐので、子供の時眠れない夜があった。子供の時、この世で一番怖いものは、鬼火車だった。

この映画のあらすじを読むと、10年後の大人になったタダシはもう妖怪を見ることが出来ないというシーンがあったみたいだ。夏休み子供のための映画と言うことで、テレビではカットしてしまったのだろうか。全く、あれですよ、その担当者は・・。











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ごんぎつね

2006-08-10 01:10:27 | テレビ・ラジオ
ごんぎつね - goo 映画

水曜夜は仕事がない。なんとなくつけっぱなしのテレビがかわいい狐を映し出している。
―あれ、この時間は「日本昔話」ではないのかな。―
絵は日本昔話でも、声の出演者が多いではないか。
夏休みだから、日本昔話の特番?  でも、これ再放送なのに・・・。腑に落ちない気持ちで見ていたら、場面は母を亡くした子狐ごんが、この村に住み着こうと決意した所。

―やだ、これ「ごんぎつね」だわ。こんなの見てられないよ。だってまた泣いちゃうもの。―とか言いながら、ずっと見ていた私。

新美南吉原作の「ごんぎつね」は教科書にも取り上げられていて、子供たちにも知名度が高い日本の童話だ。私は登場人物の兵十を「へいじゅう」と読んで、それを「ひょうじゅう」と読むのだと、子供たちに教えられた事がある。

この作品は、昔の映画に市原悦子のナレーションを追加して放映したものらしい。
―なので、詳しいストーリーはそこに載っているので、どんな話だったかなと思われる方がいらしたら、そこでチェックしてくださいね。―

ごんは、どうしようもないいたずらモノだが、むじゃきでかわいい。時には亡くなってしまった母を想い泣きながら眠りに着いたりするが、盆踊りの踊りを一人で踊りまくって元気を出し、一人で一所懸命に生きている。

その健気さと、野や山や赤いまんじゅしゃげの花などの美しい風景の映像と、日本昔話特有の素朴さが、その後やってくる悲劇を際立たせてしまう。

「死」は思いがけずにやってくる。時には、無念で理不尽だったりする。そういうものに、子供たちは素直に悲しみ、何かを感じていくのかもしれない。


今日、ただ点いていただけのテレビだったのに、こんな良品を見ることが出来てとってもラッキーだったと思う。



ちなみにうちのラッタ君の「ママ」の次に覚えた言葉はいきなりロング。
―いいな、いいな、人間ていいな。―
これって、日本昔話のエンディングのテーマです。どれだけ聞かせていたことやら・・
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サイレントヒル

2006-08-09 09:54:11 | 映画
サイレントヒル - goo 映画


ゲームなんてものをやらなくなって久しいが、子供たちがやっているものを垣間見る時がある。このサイレントヒルは知らないが、例えば、知名度も高い「バイオハザード」などを子供がやっている時に背後から覗くと、
「突然後ろに立たないで、怖いから。」と、言われる事がある。実際やって、感情移入していると、かなり怖いらしいが、傍目にはヒロインが、靴音立てながら暗い建物の中を移動しているにしか見えない。その恐怖は、その世界に迷い込んでしまったものにしか理解出来ないにちがいない。

この映画は、そんなゲームの世界がそのまま映画になっているような感じだ。

ヒロインたちが入り込んでしまったサイレントヒルと言う町は、実際に存在する廃墟の町とは別の世界の、もう一つのゴーストタウンである。元のゲームがそのようなストーリーなのかもしれないが、別の世界のサイレントヒルに迷い込むという設定は、私にはスイッチと共に、その世界の入り口が開くと言うゲームの世界観がそこにあるような気がしてしまったのだ。

その世界・・・素晴らしいと思う。雪のように降り注ぐ灰の町。廃墟の町。その町をヒロインは靴音立てながら、消えてしまった娘を探し回るのだ。共に迷い込んでしまった婦人警官以外、人はいないのかと思うと、そうではなくて時々現れる人によってストーリーのヒントをもらえるところも、いかにもゲームっぽい。

ただ、そのゲームを子供の背後から覗いているような感覚ではその恐怖は伝わってこない。どんなにおどろおどろしていても、その中盤までは、その世界観を楽しむばかりである。

ホラー映画としての見せ場は一気に最後の最後にやってくる。胸が痛くなるような謎解きと、目を覆いたくなるような復讐シーン。

映画というものは、本当にラストのシーンが大切なのだとしみじみ思える映画だった。終わりよければ全てよしと言う印象が残る映画だった。

娘を助け出して、夫の待つ家路に向かう二人。最後のシーンは、悲しく切なく、そして美しい。

・・・・・だけど、本当の恐怖はそこから始まっている。

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功名が辻ーこの世の悲しみ

2006-08-06 23:37:44 | ドラマ (大河)

 やはり今日は、思ったとおり悲しくて辛いお話でした。そしてやはり、私はメソメソとずっと泣きながら見ていたのでした。

普通なら、これはドラマの中のお話なんだよと気持ちも切り替えていく事もできるでしょうが、これは、ずっと昔に本当にあった事なんだという思いが、更なる悲しみにいざなうのです。

何時の時代も変わる事のない同じ悲しみですから・・・・

 今日、思ったのですが大石静さんはこういう話のほうがお上手なんですね。悲しくても、今日ドラマとしても、とっても良かったと感じたのです。近頃ちょっと心の奥底でなんだかな~と言う思いが多少淀んでいたので、そんなものもちょっと払拭した感じがしました。

 長浜城に移って4ヶ月、一豊は秀吉の命を受け家康の所に上洛の説得に出向きます。が、もちろん一豊に歯が立つわけもなく家康は動きません。(誰も期待していないって)
でも、家康は余裕があって魅力的でしたね。たぬき度はますます上がっているような感じでしたが。

その一豊の留守中、天正の大地震が起きてしまいます。

 雉も犬も異常に鳴き、海は大きく引いていき、風も怪しげに吹き、やがてやってくるものの予感を感じさせます。そんな時、大人たちは何かおかしいと漠然と感じても、それが何なのか見つめようとしない時がありますね。ずっと、後悔する事になって、その時しばし立ち止まり耳を澄まし、考えて見ればよかったと思うのです。

 また横道それての話ですが、私の母は私のずる休みに寛大でした。行きたくなくてだらだら登校中、金を出せと恐喝された事があるからです。その時母は、だから、行きたくないものを行かせてはダメなんだと後悔していました。
それを良いことにずる休みの数々・・・なんてことはないですよ。

 子供がいつもは言う筈のないことを言った時、多くはわがままに思い、ここで引いてはダメだと母はがんばってしまうのが常なのですが、本当は、何か必ずいつもと違う事を言わずにはいられない理由が、そこにはあるのです。
よねの場合は抑えきれない不安だったのです。その不安を、縫ってもらったばかりの美しい小袖を抱きしめて凌いでいましたね。わがままと思わず、傍においておけばあるいはと思わせる辛い場面でした。

一豊の言葉、千代の言葉の多くにも深く感銘を受けたのですが、、どれも悲しみをますものばかりです。

京に移り住んだ千代たちは、二人で、もう泣くまいと誓い合いますが、それでもむなしさは消えません。ただ、よねのために縫った美しい小袖を似合う誰かに着てもらおうと、京の町に出向きます。そこで声をかけた子供と一緒にいた侍女せつ(石川さゆり)の
「死は悲しみだけではない。」と言う言葉が、千代を南蛮寺に向かわせます。小袖ーよねが導いているかのように・・

そこで、千代は玉に出会いますが、彼女の
「宿命を赦せ。」と言う言葉で、立ち直っていくのです。

よねに笑われないように生きると。

笹の葉のこおろぎ―康豊がよねのために作ってあげたものでしたが、それによって、よねは淡い恋心を知るのですが・・

その時、十字架の上にいた、よねの化身のような笹の葉のこおろぎが安心したように消えていきました。

子を思わぬ母は居ないのと同様に、母を思わぬ子もいない・・・

 

 

 

 

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地球環境の未来

2006-08-06 09:47:01 | ’08/12/7までの未整理日記
拓郎とかジョニーとかミーハーパワー全開だった今週の私。最後は堅い話でいってみる?

もう昨日になってしまった5日の日。ラッタ君の学校の地域懇談会なるものにいってきました。学校の方から先生達もいらして、いろいろ学校での様子の話もしてくれますし、そこで知り合った方々と情報交換も出来て、意外と有意義な会合なんですが、今年からミニ講演会なるものもやることになったのです。

テーマは「地球環境の未来」。
要するに地球温暖化についてなのですが、いわゆるCO2削減の話ではないのですよ。地球の温暖化は言われているような二酸化炭素によるものではなくて、地球の周期によるものだという異説についてでした。地球の周期と言うのは地球と太陽の関係から生じていくものなのだそうですが(主に黒点からの影響で)、たまたまここ一万年は地球の状態が安定していただけで、人類はそれで爆発的に発展してきのだそうです。

温暖化の原因がCO2であるならば、それを減らせば良い訳ですが、そうでない場合、減らしても温暖化は止まらないのです。しかも、CO2が増えるから温暖化ではなく温暖化によって干上がった海からCO2が増えてくると言う逆説がなりたつのです。

この異説は日本ではあまりいわれていないそうですが、アメリカ等では熱心に研究されているそうですよ。そりゃそうだ、だってあそこはねえ。

エネルギー問題もあるのですから、アメリカさんも考えて京都議定書にサインしなはれ・・

地球の周期ですがほぼ10年単位。もしかしたら生きているうちにかなりやばい・・?   もしくはまだまだ全然平気か?

このミニ講演会で感じた事は、最近の異常気象と地球の周期についての関連もでしたが、そんな不安を抱えていても、それでもまだ、私たちはラッキーな時代に生まれ合わせてきたかも知れないと言う事です。

それから、定説あっての異説。それなのにこの講演会に異説の方を持ってきてくれた先生のサービス精神を感じました。
8-6-2:26



なんていうか、真夜中になんて書くもんじゃないですね。朝読み返してみて、何じゃあ、こりゃあ・・と思いましたよ。特に感想のところ。文もおかしいけれど、「なぜ」と言う部分が完全になくて、面どいからもういいかが丸見え文章・・・

朝、ラッタが「夜書いて、朝読み返すと意味不明なんてことよくあるよ。一ヶ月前のも読み返すと同じように感じる事があるよ。」
それはないよと言い返したかったけれど、なかなか心に引っかかるラッタのコメントだったのでメモっておきましょう。

違った意味合いの記事になってしまいましたので、へぼい文は訂正なし。

・・・なぜ、ラッキーなのかですが、地球温暖化の心配は杞憂に終わる可能性もあり、とりあえず石油が掘りつくされる200年、人類はそこまでは滅びないで済みそうだからです。

自分達さえよければ、安穏です。
顔を見ることもない子供たちの未来に、何の関心もなければ平穏です。
地球温暖化もきっと何とかなるし、たった200年の間ですが自分以外の頭のいい人が新しいエネルギーを作ってくれるでしょう。
そう思っている人は今の時代は、いい時代です。

まるで、人ごとのように書いていますが、自分はどうなのかと見つめてみれば、心の奥底は上に書いたような、そんな思考の自分がいるかもしれません。なかなか説得力ある異説でしたが、あらゆる可能性を無視する必要はなく、できる努力をしなければいけないのだと思います。

特に、真夜中はこんな文しか書けないのなら、、もう今日よりは真夜中まで起きているのはやめようとしみじみ思った私でした。

書き足した文のほうが長いので今の時間に合わせます。

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パイレーツ・オブ・カリビアン   デッドマンズ・チェスト

2006-08-02 18:39:11 | 映画

キャー、素敵 ! !    ジョニー   !  !

いきなり黄色い声ですみません。つい心の声が出てしまいました。前作の「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」がヒットした時、私はとっても複雑な気持ちになってしまった。だってそれまでは

「一番好きな俳優は?」と聞かれて
「ジョニー・デップよ。」と答えると、
「へえ、マニアックだねえ。」または「渋いね。」とどれだけ言われ続けていた事か。でも、その快感は知っている人にはわかることだと思う。

それが、今では好きな俳優ランキングで常にトップなんだって。あ~ぁ。この感覚、嬉しいけれど嬉しくないというやつは、かって吉田拓郎が「結婚しようよ」なんてお歌で全国的な知名度になってしまった時と似ている。
例が古い?
じゃあ、ペニシリンが(抗生剤ではないですよ)「すごいよ、マサルさん」の主題歌「ロマンス」を歌って、深夜放送だったのにもかかわらず、子供まで、その歌を歌っているのを聞いてしまったときの感覚に似ている。
こっちも古いね。  

で、やっと本文。もう、何時から好きだったかなんて関係ないわ。ジョニーを好きな人はみんなお仲間よ・・・と思える映画だった。「きゃー、ジョニー」というのではなく、
「ジャック~、最高」という内容だった。

遊園地のアトラクションに乗ったように、面白さの連続だ。すごいな、どうやったらこんな映画作れるんだろう。映画は、やっぱりこうであって欲しいとか心の中で褒めちぎっていたのだけど、ずっとずっと

おもしろーい !

と思っていたら、長すぎるジェットコースターに乗っているような気になって、

ツ、疲れたー、もうだめー

と、思ったとたんに映画は終わったのだった。

終わったとたんに、隣の席のおねえちゃんが
「にゃに、こりぇ、全然わかんにゃーい。」と、大きな声で言い放った。

確かにセリフを聞き逃しては、ジャックの置かれている状況などが分かりづらい部分もあるかもしれない。セリフを聞き逃さなければ別に問題はないけれど、後からゆっくり分かっていくタイプの人は、パンフレット買ってストーリーをざっと読んでから見るのもいいんじゃないかな、と思った。ストーリー知ってから、映画見てもその面白さには何も問題ない。

あと、「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」をまた見てから、これを見に行くと、さらに面白さがますかもしれない・・と思った。

キャップテン・ジャック・スパロウ、いいですよ。元気が出ます

ナオミ・ハリスのティア・ダルマ    彼女も良かったです

 

    

 

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チケット届きました☆拓郎inつま恋

2006-08-01 23:55:46 | ’08/12/7までの未整理日記
吉田拓郎のつま恋でのコンサート、行きますよ。ようやくチケットも届き、心の中で徐々にではありますが、盛り上がってきました。

ずっと泊まりで行こうと思っていたので、どうしようかと焦っていましたが、思い切って日帰りで行く事にしました。(と言っても、実家の横浜泊まりでそれも一泊になるのかな)かなりハードになりそうです。この日のために体鍛えようかな。

いろいろ準備しなくては・・・


―~それでも待ってる夏やす~み

私はこの歌で拓ちゃんが好きになったのよね。
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「功名が辻・・一城の主」

2006-08-01 01:33:18 | ドラマ (大河)

 話は遡るが・・

私、これに弱いです。今日はこれ、「元に」とか「再び」とか頻繁に出てきましたが、何もおかしくないのに笑っちゃう。これって、条件反射って言うやつですか。 

 長浜城をいただいて、千代も新右衛門もしみじみと吉兵衛の事を思い浮かべます。本当にこの城を見せてあげたかったですね。新右衛門が言うとおり、うるさいくらい喜んだ事でしょう。声が聞こえるようですね。

吉兵衛の代わりではないですが、二人で天守に立っていましたね。婚姻の時の誓いを守って一城の主になれた事をたたえ喜び合いますが、やはり大切な事は「大願を立てる」ということなのではと思うのです。こうなろう、こうしたいと言う望みがあるから、その願いに向かって、人は進み叶えていくことが出切るのですよね。

 千代さんがお千代様と言う感じで、打ち掛けなんか着ちゃって、侍女を従えて歩いてましたが、なんとなくまだ似合っていないような感じでした。―でも、嬉しそう。

仲間由紀恵さんは今度「大奥」の映画をやるのですが、こんな感じでしょうか。もっと派手な衣装だと雰囲気も変わるのでしょうか。

一豊も髭なんかはやしちゃって貫禄あるではないですか。私は似合っていたと思うのですが、どうでしょうか。

今回は細かいエピソードがたくさんありました。それらが、結構面白かったのです。

今回は中村・堀尾・一豊の仕事帰り一杯風の場面の代わりに、とし・いと・千代で社宅奥様風の会話でした。でも何とはなしに情けないような内容で、千代も「」こんな感じでしたね。三人の夫がそろって秀次の宿老に成れたのですから、嬉しくてつい本音トークも出てしまうのかもしれません。

寧々が長浜城を訪ねてきました。寧々と千代、貫禄に格段の差がありましたね。寧々はさりげなく茶々の気になることを解説していましたね。どうしてあのように敵意むき出しなのに、秀吉の側室になっていくのだろうと言う謎。茶々を一目見たときから心惹かれていた秀吉は、すでに仕掛けていたのですね。なんて言うか秀吉って・・・

さて、本能寺から行方の知れなかった、一豊の弟の康豊が尋ねてきて、一豊に仕える事になります。兄を頼ろうと康豊に決意させるきっかけを作ったのは、手傷を負った彼を助けた、光秀の娘お玉の「素直に生きたら」と言う一言でした。

どこで、人は自分の人生を変える「その一言」に出会えるか分かりませんね。

日曜日の午後、ニュースで、最近の会社に対する意識とか言うのをやっていました。何のために仕事をするのかと言う質問に対して、社会や会社に貢献するためと言う意識が異常に低い今の日本が、そこには示されていました。昔と違って・・・・

とまれ!!    思わず、そのことを熱く語り過ぎたので、今消しました。ここは功名が辻の感想を書いているページだから、もっとお気楽に行きましょう。

ただ少し昔、男達は、社会や会社のためにわが身を捨てて、働いていた時代があったかもしれません。俺達が今の日本を創っているという自負とともに。

そんな時代の妻や娘は、きっと夫や父をストレートに応援していたかもしれません。

千代とよねのように・・
「国主様、・・国主様・・」

夫にやる気を出させるような、その微笑ましいシーン。幸せだった長浜の象徴のようなシーンなのかもしれませんが、私は、そこに、会社のために尽くそう、家族のために出世しようとがむしゃらに頑張っていた、少し昔のそんな男の家族を垣間見ているような気がしていました。

だけど、よね姫は可愛すぎて、予告編見て思わず涙ぐみそうに・・・予告編見て泣くなって

 

 

 

 

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