妖怪大戦争 - goo 映画
実は私は「妖怪だい好き人間」。いや私だけではなくて、日本人で妖怪嫌いな人ってあまりいないんじゃないのかな。前に誰かが、妖怪は江戸時代のポケモンみたいなもので、キャラクターものとして人気があったと言ってたけれど、なるほどなと思う。
ろくろ首に、河童、一反木綿にぬりかべ、悪役っぽいぬらりしょんだって、名前がすっとぼけている。
だから、なんとなくどんな映画が見ることが出来るのだろうと、昨日テレビで放映する事を楽しみにしていた。私だけではない。昨日まで仕事だったのだが、家にやってきた近所の子供たちはみんな楽しみにしていた。中学生までも。
・・・・・楽しみにしていたのに・・・・・
この映画は、何が、そしてどこが悪くてこんなにつまらないのだろう。テレビで見たから、編集の仕方があまりにもひどいのだろうか。どうもそれもあるような気がする。
妖怪たちのメイクも良いし、背景も良い。キャストも問題がないし、ストーリー自体も悪いわけではない。
キャストなんかは、主人公タダシに天才子役と言われる神木隆之介、敵役、加藤保憲に豊川悦治、妖女アギに栗山千明、妖怪小豆研ぎに岡村隆史、ぬらりしょんに忌野清志朗・・・その他大勢の力あるキャスト・・しかも京極夏彦も水木しげるなんかも楽しんで妖怪やってしまっているし。
しかも、誰が誰だかよくわからないと言うメイクのすごさだ。
なのに、あまり面白くない。
お金もかけて、出演者も楽しんで作っていると言うのに、見ていて何か面白くなかった映画というのは悲しい。
要するに、ところどころ何か大事なセリフが足りないのだと思う。勇気がない少年が「麒麟送子」なるものに選ばれて、敵と戦うが、臆病で弱いものだから、キャーキャーいいながら闘っていてうるさいやら情けないやら。
だから選んだ猩猩は言ってやれよとおもう。
「お前は本当は強いんだ。勇気もあるんだよ。だから、お前を選んだんだよ。」
ポケモンで言ったら、ピカチュウのようにかわいいのに勇気のある「すねこすり」。すねこすりの勇気と行動力はタダシは学んでいいところ。タダシのセリフでほしいところだよね。
「だい好きなものを守りたいと思うと、勇気は出るんだね。」
ありきたりでつまらないセリフかも知れないが、似た内容のもっと気の聞いたセリフはほしいところだ。
しかも、敵役の加藤と言うのはそんなに知名度高い悪役だろうかと疑いたくなる。知っている人は知っているかもしれないが、そんな設定ってあり? 名前が出ただけで、妖怪たちは恐怖におびえて口をつぐむ。先住民のなんたらかんたらと言う説明はあっても、全然分からない。だから、川姫の過去の記憶も意味不明だ。後ろに立っている男は誰だと思っていたら、キャストで見たら、安部晴明だって。何か意味あるのだろうか。
小豆の一粒で最後は勝つという結末は、とっても面白いと思う。一番弱く役に立たないように見えるものの存在する意義、そこには大切なメッセージがあると思うのだ。ただ、「なぜ」と言う部分が足りない。ぼけたじいちゃんの言葉の
「小豆は体にいい」と言う説明では意味ぷーでしかない。せめてその時、続けて、文太じいちゃんに「魔物の霊力も奪うのじゃ。」とか言わせて欲しかった。
この映画はおばさんの会話に似ているかもしれない。
「あれよあれ。あれに出ていたあの人。えーと、誰だっけ。ほら、あの作品に出ていて、共演者の人があの人のあれ。」
「あ~、あれに出ていたあの人ね。」
話している本人達にはよく分かっても、第三者には全く分からない。
全く分からない事はないが、全く不親切な映画だったと思う。
でも、妖怪の部分は良かったなぁ。まじめに闘わなければと思うと、さっさと「解散!」なのに、なんか面白そうな事があると大集合。喧嘩祭りだとノリまくり敵と戦う。(遊びだと思って。)
敢て、狙ってきた最後の水木しげるの言葉。
「戦争はいかんですよ。腹が減るだけです。」
・・・・・私は水木しげるが戦場で見たと言うぬりかべを、かっては信じていた。枕辺で小豆研ぎが一晩中小豆を研ぐので、子供の時眠れない夜があった。子供の時、この世で一番怖いものは、鬼火車だった。
この映画のあらすじを読むと、10年後の大人になったタダシはもう妖怪を見ることが出来ないというシーンがあったみたいだ。夏休み子供のための映画と言うことで、テレビではカットしてしまったのだろうか。全く、あれですよ、その担当者は・・。
実は私は「妖怪だい好き人間」。いや私だけではなくて、日本人で妖怪嫌いな人ってあまりいないんじゃないのかな。前に誰かが、妖怪は江戸時代のポケモンみたいなもので、キャラクターものとして人気があったと言ってたけれど、なるほどなと思う。
ろくろ首に、河童、一反木綿にぬりかべ、悪役っぽいぬらりしょんだって、名前がすっとぼけている。
だから、なんとなくどんな映画が見ることが出来るのだろうと、昨日テレビで放映する事を楽しみにしていた。私だけではない。昨日まで仕事だったのだが、家にやってきた近所の子供たちはみんな楽しみにしていた。中学生までも。
・・・・・楽しみにしていたのに・・・・・
この映画は、何が、そしてどこが悪くてこんなにつまらないのだろう。テレビで見たから、編集の仕方があまりにもひどいのだろうか。どうもそれもあるような気がする。
妖怪たちのメイクも良いし、背景も良い。キャストも問題がないし、ストーリー自体も悪いわけではない。
キャストなんかは、主人公タダシに天才子役と言われる神木隆之介、敵役、加藤保憲に豊川悦治、妖女アギに栗山千明、妖怪小豆研ぎに岡村隆史、ぬらりしょんに忌野清志朗・・・その他大勢の力あるキャスト・・しかも京極夏彦も水木しげるなんかも楽しんで妖怪やってしまっているし。
しかも、誰が誰だかよくわからないと言うメイクのすごさだ。
なのに、あまり面白くない。
お金もかけて、出演者も楽しんで作っていると言うのに、見ていて何か面白くなかった映画というのは悲しい。
要するに、ところどころ何か大事なセリフが足りないのだと思う。勇気がない少年が「麒麟送子」なるものに選ばれて、敵と戦うが、臆病で弱いものだから、キャーキャーいいながら闘っていてうるさいやら情けないやら。
だから選んだ猩猩は言ってやれよとおもう。
「お前は本当は強いんだ。勇気もあるんだよ。だから、お前を選んだんだよ。」
ポケモンで言ったら、ピカチュウのようにかわいいのに勇気のある「すねこすり」。すねこすりの勇気と行動力はタダシは学んでいいところ。タダシのセリフでほしいところだよね。
「だい好きなものを守りたいと思うと、勇気は出るんだね。」
ありきたりでつまらないセリフかも知れないが、似た内容のもっと気の聞いたセリフはほしいところだ。
しかも、敵役の加藤と言うのはそんなに知名度高い悪役だろうかと疑いたくなる。知っている人は知っているかもしれないが、そんな設定ってあり? 名前が出ただけで、妖怪たちは恐怖におびえて口をつぐむ。先住民のなんたらかんたらと言う説明はあっても、全然分からない。だから、川姫の過去の記憶も意味不明だ。後ろに立っている男は誰だと思っていたら、キャストで見たら、安部晴明だって。何か意味あるのだろうか。
小豆の一粒で最後は勝つという結末は、とっても面白いと思う。一番弱く役に立たないように見えるものの存在する意義、そこには大切なメッセージがあると思うのだ。ただ、「なぜ」と言う部分が足りない。ぼけたじいちゃんの言葉の
「小豆は体にいい」と言う説明では意味ぷーでしかない。せめてその時、続けて、文太じいちゃんに「魔物の霊力も奪うのじゃ。」とか言わせて欲しかった。
この映画はおばさんの会話に似ているかもしれない。
「あれよあれ。あれに出ていたあの人。えーと、誰だっけ。ほら、あの作品に出ていて、共演者の人があの人のあれ。」
「あ~、あれに出ていたあの人ね。」
話している本人達にはよく分かっても、第三者には全く分からない。
全く分からない事はないが、全く不親切な映画だったと思う。
でも、妖怪の部分は良かったなぁ。まじめに闘わなければと思うと、さっさと「解散!」なのに、なんか面白そうな事があると大集合。喧嘩祭りだとノリまくり敵と戦う。(遊びだと思って。)
敢て、狙ってきた最後の水木しげるの言葉。
「戦争はいかんですよ。腹が減るだけです。」
・・・・・私は水木しげるが戦場で見たと言うぬりかべを、かっては信じていた。枕辺で小豆研ぎが一晩中小豆を研ぐので、子供の時眠れない夜があった。子供の時、この世で一番怖いものは、鬼火車だった。
この映画のあらすじを読むと、10年後の大人になったタダシはもう妖怪を見ることが出来ないというシーンがあったみたいだ。夏休み子供のための映画と言うことで、テレビではカットしてしまったのだろうか。全く、あれですよ、その担当者は・・。