森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

功名が辻ーこの世の悲しみ

2006-08-06 23:37:44 | ドラマ (大河)

 やはり今日は、思ったとおり悲しくて辛いお話でした。そしてやはり、私はメソメソとずっと泣きながら見ていたのでした。

普通なら、これはドラマの中のお話なんだよと気持ちも切り替えていく事もできるでしょうが、これは、ずっと昔に本当にあった事なんだという思いが、更なる悲しみにいざなうのです。

何時の時代も変わる事のない同じ悲しみですから・・・・

 今日、思ったのですが大石静さんはこういう話のほうがお上手なんですね。悲しくても、今日ドラマとしても、とっても良かったと感じたのです。近頃ちょっと心の奥底でなんだかな~と言う思いが多少淀んでいたので、そんなものもちょっと払拭した感じがしました。

 長浜城に移って4ヶ月、一豊は秀吉の命を受け家康の所に上洛の説得に出向きます。が、もちろん一豊に歯が立つわけもなく家康は動きません。(誰も期待していないって)
でも、家康は余裕があって魅力的でしたね。たぬき度はますます上がっているような感じでしたが。

その一豊の留守中、天正の大地震が起きてしまいます。

 雉も犬も異常に鳴き、海は大きく引いていき、風も怪しげに吹き、やがてやってくるものの予感を感じさせます。そんな時、大人たちは何かおかしいと漠然と感じても、それが何なのか見つめようとしない時がありますね。ずっと、後悔する事になって、その時しばし立ち止まり耳を澄まし、考えて見ればよかったと思うのです。

 また横道それての話ですが、私の母は私のずる休みに寛大でした。行きたくなくてだらだら登校中、金を出せと恐喝された事があるからです。その時母は、だから、行きたくないものを行かせてはダメなんだと後悔していました。
それを良いことにずる休みの数々・・・なんてことはないですよ。

 子供がいつもは言う筈のないことを言った時、多くはわがままに思い、ここで引いてはダメだと母はがんばってしまうのが常なのですが、本当は、何か必ずいつもと違う事を言わずにはいられない理由が、そこにはあるのです。
よねの場合は抑えきれない不安だったのです。その不安を、縫ってもらったばかりの美しい小袖を抱きしめて凌いでいましたね。わがままと思わず、傍においておけばあるいはと思わせる辛い場面でした。

一豊の言葉、千代の言葉の多くにも深く感銘を受けたのですが、、どれも悲しみをますものばかりです。

京に移り住んだ千代たちは、二人で、もう泣くまいと誓い合いますが、それでもむなしさは消えません。ただ、よねのために縫った美しい小袖を似合う誰かに着てもらおうと、京の町に出向きます。そこで声をかけた子供と一緒にいた侍女せつ(石川さゆり)の
「死は悲しみだけではない。」と言う言葉が、千代を南蛮寺に向かわせます。小袖ーよねが導いているかのように・・

そこで、千代は玉に出会いますが、彼女の
「宿命を赦せ。」と言う言葉で、立ち直っていくのです。

よねに笑われないように生きると。

笹の葉のこおろぎ―康豊がよねのために作ってあげたものでしたが、それによって、よねは淡い恋心を知るのですが・・

その時、十字架の上にいた、よねの化身のような笹の葉のこおろぎが安心したように消えていきました。

子を思わぬ母は居ないのと同様に、母を思わぬ子もいない・・・

 

 

 

 

コメント (11)
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地球環境の未来

2006-08-06 09:47:01 | ’08/12/7までの未整理日記
拓郎とかジョニーとかミーハーパワー全開だった今週の私。最後は堅い話でいってみる?

もう昨日になってしまった5日の日。ラッタ君の学校の地域懇談会なるものにいってきました。学校の方から先生達もいらして、いろいろ学校での様子の話もしてくれますし、そこで知り合った方々と情報交換も出来て、意外と有意義な会合なんですが、今年からミニ講演会なるものもやることになったのです。

テーマは「地球環境の未来」。
要するに地球温暖化についてなのですが、いわゆるCO2削減の話ではないのですよ。地球の温暖化は言われているような二酸化炭素によるものではなくて、地球の周期によるものだという異説についてでした。地球の周期と言うのは地球と太陽の関係から生じていくものなのだそうですが(主に黒点からの影響で)、たまたまここ一万年は地球の状態が安定していただけで、人類はそれで爆発的に発展してきのだそうです。

温暖化の原因がCO2であるならば、それを減らせば良い訳ですが、そうでない場合、減らしても温暖化は止まらないのです。しかも、CO2が増えるから温暖化ではなく温暖化によって干上がった海からCO2が増えてくると言う逆説がなりたつのです。

この異説は日本ではあまりいわれていないそうですが、アメリカ等では熱心に研究されているそうですよ。そりゃそうだ、だってあそこはねえ。

エネルギー問題もあるのですから、アメリカさんも考えて京都議定書にサインしなはれ・・

地球の周期ですがほぼ10年単位。もしかしたら生きているうちにかなりやばい・・?   もしくはまだまだ全然平気か?

このミニ講演会で感じた事は、最近の異常気象と地球の周期についての関連もでしたが、そんな不安を抱えていても、それでもまだ、私たちはラッキーな時代に生まれ合わせてきたかも知れないと言う事です。

それから、定説あっての異説。それなのにこの講演会に異説の方を持ってきてくれた先生のサービス精神を感じました。
8-6-2:26



なんていうか、真夜中になんて書くもんじゃないですね。朝読み返してみて、何じゃあ、こりゃあ・・と思いましたよ。特に感想のところ。文もおかしいけれど、「なぜ」と言う部分が完全になくて、面どいからもういいかが丸見え文章・・・

朝、ラッタが「夜書いて、朝読み返すと意味不明なんてことよくあるよ。一ヶ月前のも読み返すと同じように感じる事があるよ。」
それはないよと言い返したかったけれど、なかなか心に引っかかるラッタのコメントだったのでメモっておきましょう。

違った意味合いの記事になってしまいましたので、へぼい文は訂正なし。

・・・なぜ、ラッキーなのかですが、地球温暖化の心配は杞憂に終わる可能性もあり、とりあえず石油が掘りつくされる200年、人類はそこまでは滅びないで済みそうだからです。

自分達さえよければ、安穏です。
顔を見ることもない子供たちの未来に、何の関心もなければ平穏です。
地球温暖化もきっと何とかなるし、たった200年の間ですが自分以外の頭のいい人が新しいエネルギーを作ってくれるでしょう。
そう思っている人は今の時代は、いい時代です。

まるで、人ごとのように書いていますが、自分はどうなのかと見つめてみれば、心の奥底は上に書いたような、そんな思考の自分がいるかもしれません。なかなか説得力ある異説でしたが、あらゆる可能性を無視する必要はなく、できる努力をしなければいけないのだと思います。

特に、真夜中はこんな文しか書けないのなら、、もう今日よりは真夜中まで起きているのはやめようとしみじみ思った私でした。

書き足した文のほうが長いので今の時間に合わせます。

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