やはり今日は、思ったとおり悲しくて辛いお話でした。そしてやはり、私はメソメソとずっと泣きながら見ていたのでした。
普通なら、これはドラマの中のお話なんだよと気持ちも切り替えていく事もできるでしょうが、これは、ずっと昔に本当にあった事なんだという思いが、更なる悲しみにいざなうのです。
何時の時代も変わる事のない同じ悲しみですから・・・・
今日、思ったのですが大石静さんはこういう話のほうがお上手なんですね。悲しくても、今日ドラマとしても、とっても良かったと感じたのです。近頃ちょっと心の奥底でなんだかな~と言う思いが多少淀んでいたので、そんなものもちょっと払拭した感じがしました。
長浜城に移って4ヶ月、一豊は秀吉の命を受け家康の所に上洛の説得に出向きます。が、もちろん一豊に歯が立つわけもなく家康は動きません。(誰も期待していないって)
でも、家康は余裕があって魅力的でしたね。たぬき度はますます上がっているような感じでしたが。
その一豊の留守中、天正の大地震が起きてしまいます。
雉も犬も異常に鳴き、海は大きく引いていき、風も怪しげに吹き、やがてやってくるものの予感を感じさせます。そんな時、大人たちは何かおかしいと漠然と感じても、それが何なのか見つめようとしない時がありますね。ずっと、後悔する事になって、その時しばし立ち止まり耳を澄まし、考えて見ればよかったと思うのです。
また横道それての話ですが、私の母は私のずる休みに寛大でした。行きたくなくてだらだら登校中、金を出せと恐喝された事があるからです。その時母は、だから、行きたくないものを行かせてはダメなんだと後悔していました。
それを良いことにずる休みの数々・・・なんてことはないですよ。
子供がいつもは言う筈のないことを言った時、多くはわがままに思い、ここで引いてはダメだと母はがんばってしまうのが常なのですが、本当は、何か必ずいつもと違う事を言わずにはいられない理由が、そこにはあるのです。
よねの場合は抑えきれない不安だったのです。その不安を、縫ってもらったばかりの美しい小袖を抱きしめて凌いでいましたね。わがままと思わず、傍においておけばあるいはと思わせる辛い場面でした。
一豊の言葉、千代の言葉の多くにも深く感銘を受けたのですが、、どれも悲しみをますものばかりです。
京に移り住んだ千代たちは、二人で、もう泣くまいと誓い合いますが、それでもむなしさは消えません。ただ、よねのために縫った美しい小袖を似合う誰かに着てもらおうと、京の町に出向きます。そこで声をかけた子供と一緒にいた侍女せつ(石川さゆり)の
「死は悲しみだけではない。」と言う言葉が、千代を南蛮寺に向かわせます。小袖ーよねが導いているかのように・・
そこで、千代は玉に出会いますが、彼女の
「宿命を赦せ。」と言う言葉で、立ち直っていくのです。
よねに笑われないように生きると。
笹の葉のこおろぎ―康豊がよねのために作ってあげたものでしたが、それによって、よねは淡い恋心を知るのですが・・
その時、十字架の上にいた、よねの化身のような笹の葉のこおろぎが安心したように消えていきました。
子を思わぬ母は居ないのと同様に、母を思わぬ子もいない・・・