森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<カレル・ファブリティウス>

2008-11-08 13:44:37 | お出掛け日記

「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<その1><その2>の続きです。

 

「フェルメール展」では、フェルメール以外の画家の作品も、あれやこれやと良かったのですが、特に印象深かったのが、カレル・ファブリティウスの「歩哨」でした。

最初この作品を、人々の頭越しに見た時、私はこの歩哨がうららかな午後、仕事に疲れて転寝をしているのかと思いました。でも、前の方に出て、彼の指先を見たときに、その考えと見方が一変したのです。折りしも解説テープがそのことを告げました。

―この歩哨は長い間、寝ていると思われていたが、実は弾丸(火薬?)を込めている場面のようにも見えると。

私はその弾丸を込めている考えに共鳴しました。

そう感じて、その歩哨を見ると、顔などは見えないのに、その表情が見えてくるのです。

この男はまだ若く、そして真剣な眼差しでよく手入れされている、膝の上の銃に目を落としているように感じます。彼は何を考えているのでしょう。自分の仕事の事、未来の事、または週末に会う恋人の事でしょうか。

 私はフェルメールは43歳で若くしてなくなったと書きましたが、このカレルはもっと若く、1654年10月に弾薬庫の40トン以上の火薬の爆発で、デルフト市街の4分の1を焼き尽くした事故の犠牲にあって、32歳でなくなりました。作品もその時多くを失い、残されたものは10数点のみなのです。

私がこの絵に魅かれたのは、若い歩哨にそのカレルの若さを重ねて見てしまったからなのでしょうか。

転寝している、真面目に働いている、どちらかは分からないことですが、いずれにしても、それを傍らで見守る黒い犬が、またいい感じです。

 

 ところで、この作品で奇妙なことが気になっています。

wikipediaで彼の経歴なんかをチェックしていましたら、歩哨の絵が載せられていました。

    

上の絵と何処か違うと思いませんか?

背景の崩れた塀の向こう側・・・・。
これは、どうしてなんだろう。絵画に詳しい方が通りすがりにいらしたら、教えて欲しいと思うところです。

 

 「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち
東京都美術館  12月14日まで。

東京都美術館HP


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「相棒」沈黙のカナリア

2008-11-06 11:43:09 | ドラマ(相棒)

今回もちょっと重いシリアスなお話でしたね。

 でも、ちょっと私・・・・。

ラスト、右京さんには違うことを言って欲しかったです。

 

  爆弾はどんな風に持ち込んだのか。
そのために動いた人間は何処からやってきたのか。
フェイクの動機。

結構面白かったです。

 だけど利用された種田は松岡に何をしたというのでしょう。
 ―父にもこの男にも同情なんかしない。死んだって仕方がない。弱いからいけないんだ。
のようなことを言っていたようですが、松岡が彼にしたことは、まるっきり会社が父にしたここと同じですね。
種田の家族から見れば、「殺されて罪まで着せられた」のですから。種田は父と同じで弱い人間だから、どうでもいいという発想なのかもしれませんが、その事で苦しむ家族のことを思ったら、松岡も同様に復讐されるに値するすると言うことでしょう。

右京さんにはしっかりとそのことを伝えてもらいたかったです。

住所不定の都会を彷徨っている人たちにも、必ず母と言う人がいるんだと。

だからなんとなく釈然としなかったです。

 

 ネットカフェと言うと、私なんかは永久に行けそうもない場所に感じてしまいますが、漫画喫茶だといつか行ってみたいと思ってしまうのは、なぜ。

米沢さんが
「かって漫画喫茶だった頃・・」と言っていたような。もう、ないのかしら漫画喫茶。

漫画喫茶で右京さんのマネをして紅茶を飲みながら、ええと、家では絶対に買わない漫画を読む。「王家の紋章」とか「ガラスの仮面」とか「ジョジョ」シリーズの新しいやつ。そんなのあるのかしら?

と、どうでもいい余計なことはそこまでにして、さらに余談です。

   

     

 

 ここ、ちょっと見覚えありませんか。ちょっと角度が違うから分かりづらいと思うのですが、良く「相棒」で右京さんが小野田さんなんかとお茶なんかを飲んでいる場所だと思うのですよね。

日比谷公園だって言ってたような。それで前から行ってみたかったのですが、先週ようやく行けたので画像を載せておきます。

でも、違かったら困っちゃうな。違うと思う方は教えてくださいね。

    こんなお店なんですが。このお店、結構素敵です。(下に追記があります。必ずそこだけでは読んでください。)

 

思い出したように、まとめ。
沈黙のカナリア―坑内の安全確認のためにカナリアを先に飛ばすのは分かったのですが、「沈黙の」の意味がイマイチよく理解できませんでした。利用されて死んでしまったカナリアは、もう鳴けまいと言うような意味だったのでしょうか。

右京さん、解説早いよー(汗)

他の方のブログでチェックですが、もし分からなくても再放送を見る楽しみがあるってものですね。

 

 追記<11月21日>
上記で載せたお店も素敵なお店でしたが、やっぱり行きたかったカフェガーデンのお店ではありませんでした。正しい場所に行ってきました。その記事は「秋をあなたに<その1>」です。

よろしくお願いいたします。

 

 

コメント (6)
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「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<その2>

2008-11-06 00:07:43 | お出掛け日記

 「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<その1>の続きです。

 

 11月3日、文化の日だからなのかテレビでも「フェルメールの暗号」と言う番組をやっていました。はっきり言って、なんとかの「暗号」と言うタイトル、いかにもテレビ的。
暗号ー第三者に漏れないように、当事者間でのみ解読できるよう取り決めた特殊な記号や文字。
 そんなものないよ~、とか言ってしまいたくはなるものの、歴史の重みは深く、何が隠されているのか分かりませんので、全面否定はいけませんね。

 確かにこの時代の絵画は、「鳩は」何々を表し、「キューピッド」はこういう意味であり、「飲酒」は誘惑「リュート」は恋の気持ちなどと、描くものに意味が込められていたりすることが多いと思います。「フェルメール展」の音声ガイドでもそのような説明が多くて、ちょっとその部分に関しては、鬱陶しいような気分にもなったものです。その時代は、絵画に戒めや教訓を込めることが流行っていたのでしょうか。

 

特に今回の「フェルメール展」で、当初展示予定だった「絵画芸術」は絵画保護の為に急遽来日不能になってしまいました。この絵は「絵画芸術」そのものをテーマとした寓意画。込められた意味も深そうです。やって来なかった事、見ることが出来なかったことが残念です。

  

 番組の中のフェルメールの贋作事件の物語は、そのまま映画で見たくなるようなストーリーでした。番組としては、とっても面白かったですね。

フェルメールは43歳の若さでなくなり、14人の子沢山。亡くなった時、妻は所定の埋葬料も支払えなかったと番組の中で言っていましたが、お金はなくても、子供と言う宝をたくさん持っていた人だったのですね。

 

「暗号」と言う言葉には、何か抵抗がある私ですが、絵画の前に立つと、時に画家の「想い」と言うものが伝わってくることがあります。別に霊感的なものではなく、それを違う言葉で言うと「感動」あるいは「共鳴」、または「かってな想像」というものに置き換えられるのかもしれません。

 

 フェルメールをはじめデルフトの画家達の描く光は、あまりに自然で絵画の中の部屋に、自然光が差し込んでいるかのように見えるのです。また、彼らの表情を見ていると、何かのドラマ、または映画の中のワンショットを見ているかのような錯覚を感じます。

 

   「手紙を書く婦人と召使」

例えば、この絵などは、手紙を書いている婦人にそれを待っている召使。床に散らばった書き損ないの紙。手紙はなかなか上手いこと書けないで時間がかかっていそうだ。ちょっと召使は退屈して、窓の外の天気なんかをうかがいながら、出入りの商人の
「何ですかねえ、あの人は・・・。」みたいに、噂話か何かをしている。婦人は「へええ」とか言っている。

そんな息遣いが聞こえてきませんか。

私が気に入ったのは次の絵です。

    「リュートを調弦する女」

リュートと言う楽器を調弦しながら、誰かが来るのを待っている女。
「あの人、まだかしら。」と、何気なく窓の外に目をやるその仕草が溜まりませんね。解説によりますと、待ち人は恋人のようですが、私が思うには部屋の散らかり具合をみると、かなりなじみの恋人なんじゃないかなと思ってみたりします。

フェルメール展示の最後に飾ってあった、本当に小さな絵が「ヴァ―ジナルの前に座る若い女」です。

   この絵は、展覧会ではあまりに小さくて、顔の表情などは目の良い方でなくては、分からないのではないかと思ってしまいます。

解説の拡大図で彼女の顔を見ると、ちょっと悪戯がばれた時のようなお茶目な微笑をしているように感じるのは私だけでしょうか。

前の記事の<その1>にも書きましたが、音声ガイドから流れるイメージの音楽を聴きながら、この絵を見ていると、小さな絵の中に引き込まれていくようです。

ただ、この絵・・・・。

朝、Wikipediaで「フェルメールの作品」と言うページで、解説なんかをチェックしていたんですね。なかなか面白いんですよ。でも、その作品を上から下ろして行ってこの絵を見たとき、ふと感じてしまった違和感、それってなんでしょうね。

だからなんだと言うわけではないですよ。恐れ多くも意見なんかあるわけはないです。

この絵は個人所有で長い間、世間の目に触れることがなかったので、世に出てきたときから、その真贋が問われ続けた作品です。近頃科学的検査の結果、キャンバスと絵の具にフェルメールの特徴があり、真作とみなされるようになったのです。

フェルメールの絵画は、大きな贋作事件があったり、大掛かりな盗難事件があったりで、波乱万丈です。
若くしてなくなった画家、フェルメール自信には想像もつかなかったことでしょうね。

 

「フェルメール展」では、フェルメール以外にも 、カレル・ファブリティウス
の作品が心に残りました。次回はちょっと、彼の絵についての感想です。・・・but「相棒」の次。


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「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<その1>

2008-11-04 00:05:51 | お出掛け日記

 東京都美術館で8月2日から開催されている「フェルメール展」に、10月30日に、ようやく行って参りました。夏休みの間はかなり混雑していたことが分かっていましたので、時期を待っていったわけですが、私の行った木曜日、この日が平日なのかと思う程の盛況ぶりだったことに驚きでした。

 私の行った日の前日の29日には来場者数が、50万人を突破したそうです。

 ただ、私は朝一で行ってきましたので、結構時間をかけてゆっくり見ることが出来たと思います。

 

 そしてその感想ですが、今回はその概略です。次回、特に印象に残った作品について記しておきたいと思います。

今時の絵画展と言うのは、美術館の学芸部員があちこちと奔走して、絵画を借りてきて展示すると言うものではないんだなと、しみじみと思いました。

ここに至るまでのその「企画力」が伝わってくる展覧会だと言うことが、強い印象として残りました。背景にTBSの存在があるからでしょうか。

 

 今回のフェルメールの作品は7点。それ以外にもデルフトで活躍した画家の作品が紹介されています。

 ヤン・ファン・デル・へイデンの「アウデ・デルフト運河と旧教会の眺望」は1660年頃の作品と、同じ場所から描いた15年後の作品を並べて展示され、その違いを楽しむことが出来ます。

 また、デルフト新教会の回廊を描いた3人の画家のそれぞれの視点・技法で描かれたものを比較して楽しむことが出来ます。その5点の作品の内3点は個人蔵ですから、貴重な体験になるかもしれません。

なかなか興味深い、その部屋の次にはカレル・ファブリティウスの作品が数点展示されています。

その次にはビーデル・デ・ホーホの作品です。

そしてやっと、お目当てのフェルメールにたどり着けるわけですが、たどり着く前のそれらの作品も、インパクトが強く心に残る作品で、楽しめました。

 

 今回は、音声ガイドを借りる習慣がない方にも、それを借りることをお薦めします。なぜなら、解説とは別にイメージに合わせた音楽が流れるのです。音楽と言うものには、ある魔力があると思います。目の前の絵がさらに生き生きと私に語りかけてきました。

TBS「フェルメール展―光の天才画家とデルフトの巨匠たち」のHPでその解説と音楽を聞くことができます。→ココです。

 

 フェルメールの絵画の後にも、展示がありましたが、私はそこまでで疲れてしまって、あまり印象に残っていないかもしれません。

 

   お土産好きなので、毎度おなじみお土産コーナー

   ファイルとミニファイル

 

    絵葉書を数枚

 


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篤姫44回「龍馬死すとも」

2008-11-03 00:57:34 | ドラマ (大河)
    見せてあげたかったなぁ、龍馬に。
    七つの海や、大陸を・・・・。



新しい時代の夢を語っても、政治的権力には興味がない龍馬。

「狙われていると分かっていたのに迂闊すぎるよ。」とだんな。
「もっと誰かが守ってあげるべきだったんだ。」

一体誰が?
この時代誰が誰を守れると言うのだろう。


        



だから、
「私が大奥と徳川を守る。」と言い切った天璋院はカッコ良かったです。


龍馬の死を知った帯刀の整理の付かない驚きと悲しみには、胸が打たれました。瑛太さんの演技が光りました。カメラが近かったですよね。なんて言うか見せ所でした。

また今回は、帯刀が非常に活躍しましたね。

「大政奉還」には思っていた以上に、深い意味があったのですね。この流れは結構史実に忠実だったようで、Wikpediaの「大政奉還」の所を読むと、今日の復習になりました。
ココ→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%94%BF%E5%A5%89%E9%82%84


なんとなく勝海舟の話を聞いていたらイギリスの名誉革命なんかを連想してしまいました。あれも細かいこというと無血ではなかったのですが、血を伴わない革命を願っていた者たちがいたんだと、そんな男達の正義を感じました。

だからなのか、岩倉、大久保、西郷が極悪人に見えてしまいましたよ。困ったものです。


「大政奉還」に動揺していた天璋院は、勝海舟に状況の説明を受けます。そして会った事のない坂本竜馬と言う男の死を知らされます。また、彼と帯刀が大政奉還に力を注いだことも知るのです。
小松帯刀がそれを強く推し進めたと言う言葉を聞いて、動揺する天璋院でしたが、その真意を知った時、彼女の中にも強い決意が生まれるのでした。

帯刀と龍馬、そして篤姫はおなじ年に生まれたもの同士。そして同じ時代を生きる同志。

このシーンは天璋院と勝海舟が対峙して、話しているだけなのですがいいシーンでした。
人は死んでも、尚思いは受け継がれていくのだ・・・・と言う意味のサブタイトルだったのですね。



そしてラスト。
主役復活です。
―徳川は安泰。なぜなら私が守るから。

並々ならぬ決意の前に、和宮も本寿院さえも、みなの心が一つになっていくところで良かったです。

近頃ようやく小説の「天璋院篤姫」を読み終わりました。和宮の扱いは断然ドラマの方が、好きですね。ドラマチックじゃないですか。


チラッと気になったことですが、天璋院は後家さんになった途端に着物が地味になって気に入らなかったのですが、和宮の着物は相変わらず綺麗です。嫁と姑と、ちょっと意識して衣装を決めているのかなあ。




・・・・・庭田嗣子が逝ってしまいました。
コメント (4)
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ハロウィーン・ナイト―カラスの微笑み

2008-11-01 12:11:17 | 詩、小説

「月は赤く、森は緑」の続きです。>  

  

   季節はどんどん変わっていった。

 森は色づいて、雨のように枯葉が落ちていく。

           

「どうして行かないなんて言うんですカァ。」と朝からカラスが煩くて叶わない。

「今日はハロウィーンなんですよ。一緒にまた街まで行きましょうよ。」

「おいら、・・じゃなくて、僕は行かないよ。」

「何ですか? その『僕は』って。」

「あの少年が言っていたじゃないか、『僕が』って。この先、おいらは頑張ることにしたんだよ。ああ、言った傍から間違えた。何を頑張るのかって言うとさ、自分をしっかり育てることにしたんだよ。そうして、10年、30年、100年、200年経った時、『おいら』じゃ、ちょっと可笑しいだろう。」

「100年、200年の木が『僕』って言うのも似合いませんがね。まぁ、好きにしたら良いんじゃないですか。」

そう言って、カラスは行きかけたが、また戻って来た。

「うっかり話をはぐらかされてしまいそうになりましたぜ。だから、夜、街に行こうと言う話はどうなったんでしたっけ。」

 お・・、僕は諭すように言った。

「だって、カラスよ。行こうと思っても魂を移すガラクタがもうないだろう。」

「ワタクシだって、そこの所は考えていますよ。イヤね、もっと早くに気が付けば良かったんですが、そうすりゃ若くなってしまっただんなも、危ない目に遭わなくても良かったんですよ。
 ガラクタがワタクシとその仲間で持ってきやす。それで使い終わったら、若くなってしまっただんなはここに帰ってきて、その後、ワタクシ達で、街に戻します。もちろん、あまりに大きなものはダメですが、足りないところは森の小枝を使ったらいいじゃないですか。
小枝とか、・・・・・・!」

「だめだよ、絶対にそんなことをしないって約束してくれ。だって、森にガラクタを運ぶところも、街に返すところも誰かに見られたら、お前達がどんな誤解を受けて、どんな酷い目にあうか、考えただけでも震えが来てしまうから。」

そういうと、カラスはあっさり引き下がった。
「分かりやした。
ところで、今気が付いたのですが、若くなってしまっただんなの周りには、あまり小枝や葉っぱが落ちていませんね。」

「小さな木だもの。落とすものも少ないんだよ。」

「それはいけませんね。秋が過ぎると寒い冬が来る。その時根元にもっと葉っぱが落ちていたら、暖かいってものですよ。それに春が来る頃、それらは養分にもなりますからね。後でワタクシと仲間で根元にどっさり届けて差し上げましょう。」

 そう言って、カラスは飛び立っていってしまった。

確かに毎年冬はちょっと寒かったな。そういうことを言うのなら、それこそ早くに気が付いてくれればいいものを、とちょっぴり僕は思ったね。

 

 少し立つと、やたらカラスの仲間がやって来て、僕の根元に葉っぱを落として行った。ちょっと多すぎるだろうというくらいの分量だ。

その後カラスがまたやって来て言った。

「ちょっと、多いように感じますがね、明日は強い風が吹きそうだ。ちょうどいい分量になりますよ。」

「だけどこの葉っぱたちは本当に落ちていた葉っぱなのかい。やけに綺麗な色をしているけれど。」

「ところで、若くなってしまっただんな。」カラスはそれには答えず、話を変えた。
「どうして、街に行かないなんていうんですか。」

「だって、毎年は行ってなかっただろう。最後に行った年から何年たったことやら。それに行った所で本当は綺麗な不細工ブチ猫も、ハンサム黒猫もいないんだよ。行った所で仕方がないよ。」

 「せっかく今年は、ハロウィーンの仮装コンテストもあるのにな。」

「出るわけないだろう。」と僕は呆れて言った。

「街を歩いているものを、勝手に審査してくれるんですよ。それに若くなってしまっただんなは、死んでしまった猫達の事ばかり思っているようだけれど、あの時逃がしてあげた三毛猫や白猫のことは気にならないですか。あの時森にやって来た少年の事は、気にならないんですか。『僕は』なんて言っている位だから、気にならないわけないですよね。
 という訳で、ワタクシは先に言っていますから、気が向いたら足を運びなさいって。」

「だから行けないし、行かないって言っているのに。」と、僕が言い返したときには、カラスは隣の大木の梢に飛び移って、ニヤリと笑うように
「カア」と鳴いた。

 

                   

 

 それから数ヶ月後のある日、カラスがなんだか上機嫌でやって来た。

口に何かを銜えて(くわえて)いたが、それを僕の小枝に突き刺した。突き刺したのは古新聞だった。カラスは勝ったかのように声高に、その新聞を読んだ。

「『ハロウィーン仮装、優勝者はリーフ・マン!』」

僕はじっと黙っていた。

「何か?」とカラスは言った。

「何が?」と僕は言い返した。

 カラスの瞳が輝いて、カラスは嬉しそうに、そして満足そうに微笑んだように見えた。

「その続きがあるんです。『三ヶ月の間に優勝者が名乗り出なかったら、その賞金は森の清掃に当てる。』

ちょっと油断をしていたら、森の入り口がまたやられちまったんですよ。このリーフマンが名乗り出るとは思えませんからね・・・・。お陰で先日すっかり綺麗になりましたよ。」

「それだったら、最初から僕に頼めば良かったじゃないか。」

「おや、リーフ・マンは若くなってしまっただんなですか?」

「・・・・。」僕は黙った。

「でもそれじゃワタクシにとって、あまり意味がないんです。ワタクシはこう言いたかっただけなんですよ。
『願いは叶いました。ありがとう。』
今、森では静かなブームなんですよ。だから、いつかワタクシも言ってみたいとものだなと思っていたのです。

頼んでしまっては、喜びも半減するって言うもので。しかも、若くなってしまっただんなが、分かっていて街に出かけたら、たぶんエラク緊張するか、または余計に張り切って良い事なかったと思いやす。

願いが叶うと言うことは、なんて嬉しいことなんだ。と言うことは願いを持つと言うことが嬉しいことなんだな。」

カラスは饒舌に語ると去っていった。

 

してみると、僕の今の願いはなんだろう。そんなことを考えていたら、トロトロと眠くなってきてしまったよ。

おや、空からなにやら白いものが落ちてきた。そうすると明日の朝には森も景色を変えるのか。

ちょっと、僕はまどろんで、白い少女の夢を見よう。

 

                 

                         リーフ・マン

 

                

                     


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