森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「相棒」沈黙のカナリア

2008-11-06 11:43:09 | ドラマ(相棒)

今回もちょっと重いシリアスなお話でしたね。

 でも、ちょっと私・・・・。

ラスト、右京さんには違うことを言って欲しかったです。

 

  爆弾はどんな風に持ち込んだのか。
そのために動いた人間は何処からやってきたのか。
フェイクの動機。

結構面白かったです。

 だけど利用された種田は松岡に何をしたというのでしょう。
 ―父にもこの男にも同情なんかしない。死んだって仕方がない。弱いからいけないんだ。
のようなことを言っていたようですが、松岡が彼にしたことは、まるっきり会社が父にしたここと同じですね。
種田の家族から見れば、「殺されて罪まで着せられた」のですから。種田は父と同じで弱い人間だから、どうでもいいという発想なのかもしれませんが、その事で苦しむ家族のことを思ったら、松岡も同様に復讐されるに値するすると言うことでしょう。

右京さんにはしっかりとそのことを伝えてもらいたかったです。

住所不定の都会を彷徨っている人たちにも、必ず母と言う人がいるんだと。

だからなんとなく釈然としなかったです。

 

 ネットカフェと言うと、私なんかは永久に行けそうもない場所に感じてしまいますが、漫画喫茶だといつか行ってみたいと思ってしまうのは、なぜ。

米沢さんが
「かって漫画喫茶だった頃・・」と言っていたような。もう、ないのかしら漫画喫茶。

漫画喫茶で右京さんのマネをして紅茶を飲みながら、ええと、家では絶対に買わない漫画を読む。「王家の紋章」とか「ガラスの仮面」とか「ジョジョ」シリーズの新しいやつ。そんなのあるのかしら?

と、どうでもいい余計なことはそこまでにして、さらに余談です。

   

     

 

 ここ、ちょっと見覚えありませんか。ちょっと角度が違うから分かりづらいと思うのですが、良く「相棒」で右京さんが小野田さんなんかとお茶なんかを飲んでいる場所だと思うのですよね。

日比谷公園だって言ってたような。それで前から行ってみたかったのですが、先週ようやく行けたので画像を載せておきます。

でも、違かったら困っちゃうな。違うと思う方は教えてくださいね。

    こんなお店なんですが。このお店、結構素敵です。(下に追記があります。必ずそこだけでは読んでください。)

 

思い出したように、まとめ。
沈黙のカナリア―坑内の安全確認のためにカナリアを先に飛ばすのは分かったのですが、「沈黙の」の意味がイマイチよく理解できませんでした。利用されて死んでしまったカナリアは、もう鳴けまいと言うような意味だったのでしょうか。

右京さん、解説早いよー(汗)

他の方のブログでチェックですが、もし分からなくても再放送を見る楽しみがあるってものですね。

 

 追記<11月21日>
上記で載せたお店も素敵なお店でしたが、やっぱり行きたかったカフェガーデンのお店ではありませんでした。正しい場所に行ってきました。その記事は「秋をあなたに<その1>」です。

よろしくお願いいたします。

 

 

コメント (6)
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「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<その2>

2008-11-06 00:07:43 | お出掛け日記

 「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<その1>の続きです。

 

 11月3日、文化の日だからなのかテレビでも「フェルメールの暗号」と言う番組をやっていました。はっきり言って、なんとかの「暗号」と言うタイトル、いかにもテレビ的。
暗号ー第三者に漏れないように、当事者間でのみ解読できるよう取り決めた特殊な記号や文字。
 そんなものないよ~、とか言ってしまいたくはなるものの、歴史の重みは深く、何が隠されているのか分かりませんので、全面否定はいけませんね。

 確かにこの時代の絵画は、「鳩は」何々を表し、「キューピッド」はこういう意味であり、「飲酒」は誘惑「リュート」は恋の気持ちなどと、描くものに意味が込められていたりすることが多いと思います。「フェルメール展」の音声ガイドでもそのような説明が多くて、ちょっとその部分に関しては、鬱陶しいような気分にもなったものです。その時代は、絵画に戒めや教訓を込めることが流行っていたのでしょうか。

 

特に今回の「フェルメール展」で、当初展示予定だった「絵画芸術」は絵画保護の為に急遽来日不能になってしまいました。この絵は「絵画芸術」そのものをテーマとした寓意画。込められた意味も深そうです。やって来なかった事、見ることが出来なかったことが残念です。

  

 番組の中のフェルメールの贋作事件の物語は、そのまま映画で見たくなるようなストーリーでした。番組としては、とっても面白かったですね。

フェルメールは43歳の若さでなくなり、14人の子沢山。亡くなった時、妻は所定の埋葬料も支払えなかったと番組の中で言っていましたが、お金はなくても、子供と言う宝をたくさん持っていた人だったのですね。

 

「暗号」と言う言葉には、何か抵抗がある私ですが、絵画の前に立つと、時に画家の「想い」と言うものが伝わってくることがあります。別に霊感的なものではなく、それを違う言葉で言うと「感動」あるいは「共鳴」、または「かってな想像」というものに置き換えられるのかもしれません。

 

 フェルメールをはじめデルフトの画家達の描く光は、あまりに自然で絵画の中の部屋に、自然光が差し込んでいるかのように見えるのです。また、彼らの表情を見ていると、何かのドラマ、または映画の中のワンショットを見ているかのような錯覚を感じます。

 

   「手紙を書く婦人と召使」

例えば、この絵などは、手紙を書いている婦人にそれを待っている召使。床に散らばった書き損ないの紙。手紙はなかなか上手いこと書けないで時間がかかっていそうだ。ちょっと召使は退屈して、窓の外の天気なんかをうかがいながら、出入りの商人の
「何ですかねえ、あの人は・・・。」みたいに、噂話か何かをしている。婦人は「へええ」とか言っている。

そんな息遣いが聞こえてきませんか。

私が気に入ったのは次の絵です。

    「リュートを調弦する女」

リュートと言う楽器を調弦しながら、誰かが来るのを待っている女。
「あの人、まだかしら。」と、何気なく窓の外に目をやるその仕草が溜まりませんね。解説によりますと、待ち人は恋人のようですが、私が思うには部屋の散らかり具合をみると、かなりなじみの恋人なんじゃないかなと思ってみたりします。

フェルメール展示の最後に飾ってあった、本当に小さな絵が「ヴァ―ジナルの前に座る若い女」です。

   この絵は、展覧会ではあまりに小さくて、顔の表情などは目の良い方でなくては、分からないのではないかと思ってしまいます。

解説の拡大図で彼女の顔を見ると、ちょっと悪戯がばれた時のようなお茶目な微笑をしているように感じるのは私だけでしょうか。

前の記事の<その1>にも書きましたが、音声ガイドから流れるイメージの音楽を聴きながら、この絵を見ていると、小さな絵の中に引き込まれていくようです。

ただ、この絵・・・・。

朝、Wikipediaで「フェルメールの作品」と言うページで、解説なんかをチェックしていたんですね。なかなか面白いんですよ。でも、その作品を上から下ろして行ってこの絵を見たとき、ふと感じてしまった違和感、それってなんでしょうね。

だからなんだと言うわけではないですよ。恐れ多くも意見なんかあるわけはないです。

この絵は個人所有で長い間、世間の目に触れることがなかったので、世に出てきたときから、その真贋が問われ続けた作品です。近頃科学的検査の結果、キャンバスと絵の具にフェルメールの特徴があり、真作とみなされるようになったのです。

フェルメールの絵画は、大きな贋作事件があったり、大掛かりな盗難事件があったりで、波乱万丈です。
若くしてなくなった画家、フェルメール自信には想像もつかなかったことでしょうね。

 

「フェルメール展」では、フェルメール以外にも 、カレル・ファブリティウス
の作品が心に残りました。次回はちょっと、彼の絵についての感想です。・・・but「相棒」の次。


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