森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

グータララ♪スーダララ♪

2011-12-12 10:42:15 | 家族スナップ

<ある日曜日の光景>

 

もも吉は、時には仮想の敵と戦っている。
うちの子供たちは、幼い時に皆戦っていた。

セリフがあったり、りりしい顔をしたり彼らの背後には仲間がいたり、それらをじぃ~と見ていると、視線に気が付いた子供たちから
「うるさいよ。」と言う言葉が飛んできた。

いやいや、お母さんは何も話していませんよ。

ただ見ていただけ。

仮想の敵と戦っているもも吉も黙って見ているだけ。

もも吉は「うるさいよ」とは言わないけれど、その時は決してかまってはいけないのがルール。

キャットタワーに駆け上った後も、右を見て左を見て、そしてタワーの下も首を伸ばして確認する。そして、
「よし!敵はやって来ていにゃい。任務官僚。」と言っている・・・・様な気がする。

昨日も彼女は走り回り、敵の仲間であるキッチンとリビングの間仕切りカーテンにキックしたら、それが上から落ちてきて絡まってしっかり捕獲されてしまった。実は土曜日は勝っていた彼女。キックしたらやっぱり落ちてきてそれをサッとかわし
鼻息も荒く「ふん!」と言っていたもも吉。

今回は捕獲されたどころか自力で出られない。私とだんなに散々カーテンの上からくすぐられた後で救出され、上の画像はちょっと凹んでいる所なのだ。

しばらくしたら、既にごちゃごちゃのこたつの上と一体化。

 

 

 

週末、私の調子が悪くてって書きましたが、どうしても生きてきた習慣って変わらないもの。思わずだんなに言い訳を。

「今日は休憩して、明日は頑張るね。」と言うと、だんなは急に歌いだす。

「グータララ、スーダララら♪ほら歌にもあるだろう。」
そんな歌だっけ?まあ、「20世紀少年」の歌のつもりですね。

「明日も『グータララ、スーダララ♪』、イイヨ、頑張らなくて。」

「そう?そうだよね。『グータララ、スーダララ♪』」って私も歌ってみる。

「しかし、又やらないかな。『20世紀少年』」

「えっ、何回も見ているじゃん。」

「何回だって、見るんだよ。俺、あれ好きなんだから。」

「ばかだねぇ。」と私。

と言ったら、不用意に涙が目頭に滲む。

ふとこの夫婦の会話にシミジミしたものを感じて・・・・なんて事は、実はない。優しい言葉ひとつで涙が滲むなんて、長年夫婦をやっている者としては侮ってもらっては困る。

「だけどあの神木君のラストを見るたびに泣いてしまうのよね。って言うか、思い出しても泣ける。ほら、涙が
しかし、あなたも馬鹿かなと思ったけれど、私も輪をかけて馬鹿やねぇ。」

そうだな、とはだんなは言わない。泣かないけれど彼もそう思っているから。

「ラスト、良かったけれど、バーチャルなんだもんなぁ。空しいよなぁ。」

遊んでいる間はずっと友達。バーチャルであっても夢の中の住人には、それはそれで幸せ。
『20世紀少年』は奥が深いななんて、もも吉や子供たちの昔のことや、今の私の友人関係を思いながらふと思う。

遊ばなくなったら友達ではなくなるのだろうか。
人との関わりは変わっていくのだろうか・・・とか。

 

ニューヨークタイム・・・じゃなくて入浴タイムは、考え事の時間。

昨日ふと考えた。いつもブログを休む時には「お知らせ」とか入れてきたけれど、いつか止める時にも、そして休む時にも「お知らせ」とか「挨拶」なんか言わずには静かにフェードアウトしよう。潔い人も居るけれど、ブログも風化するまでずっとそこに置いておこう。このブログには潔さは関係ないから。

こんな事を書くと、何かのフラグみたい。でも止める気もないし、休む予定も敢えては予定していない。
元々いろいろと考えておくタイプなんだ。行き当たりばったりのように見えるかもしれないけれど、「いつか」と言う日は、ちっとも来ない日であったりもするけれど、だけど必ず来る日だと思うから。

 

※    ※      ※

梢は歌う「ベランダ日記12月【色を求めて】」更新しています。

 

 

 


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月蝕の夜

2011-12-11 09:22:22 | 梢は歌う(日記)

 

昨日の夜遅くから、我が家は月蝕祭り。祭りと言っても騒いでいただけで伴うご馳走などがあるわけではありませんが。

昨日は本当にスッキリと晴れ渡り、星々も綺麗でした。煌く星に混ざって光を失った赤茶の球体。不思議な不思議な光景で、そして心がワクワクしました。

天空と地上。

果てしない宇宙のドラマ。

誰かも言っていた事ですが、いきなり輝いていた月が欠け始め、光を失ってしまった姿を見た昔の人は、如何に恐怖を感じた事でしょう。
どう見ても凶兆にしか感じられないように思います。
だけれど今の私たちは知識を友にして、同じ現象に感動する事が出来るのですよね。

 

欠けていく前の映像は・・・

 

まあ、一応こんな感じです。普通の半月とかと違って、陰になった所も見えるのが、月蝕だなぁと言う感じです。この画像を見ていたら、ポケモンカプセル(?)思い出してしまいました。これももう少し大きく撮れたはずなのに、なんだか焦ってしまってこの程度です。

いつも変なところで焦ってしまうのです。だって猫が外に出せ~と大騒ぎ。なんだか落ち着かなくて。

だけど本当はへっぽこ写真でも、もう一枚画像が必要だったような気がします。

皆既月食から復活していく様子。こちらも見事でしたよ。

 

でもベランダに出ようとすると、もれなく猫が付いてくるって感じが面倒くさくて、復活の様子はネットで見ていました。

この月蝕って次はいつなんだろうと調べたら、この先二回の部分月蝕があって、皆既月食は2014年の10月8日ですって。

この記事内で「月蝕」と「月食」の文字が混在してしまったけれど、欠けていき、そして赤茶の球体になった月を見ていると「月蝕」と言う文字の方が似合っているような気がしました。でもこの文字は常用外なので「月食」で良いのですが、この「蝕」と言う文字自体がなんかインパクトのあるような気がします。音ではショク(漢)、 訓では「むしばむ」。

 

なんだか凄く楽しい夜でした。

 

 


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ルート君の失敗

2011-12-10 17:17:10 | 家族スナップ

梢は歌う「道端の花【ヒメツルソバ】」更新しています。

※      ※       ※

タイトルを「近所の秋」にしようと思い、「き」と打ったら、季節は既に秋ではない事に気が付きました。

昨日もその前の日も本当に寒かったですね。

皆さんは風邪など引かないようにお気をつけてくださいね。

と、此処まで書いてベランダに出たら、今日は暖かいじゃありませんか。

まったくもう・・・

 

 

私はここのところ、体調絶不調です。
こたつ生活でヌクヌクパソコン生活をしていたら、若干机の位置が高いのですよね。それで首凝りなんてものを経験中です。
首が回らないなんて言うと、どうしても借金でとか思ってしまいますよね。

そして実はあっちもこっちも調子が悪い・・・

だから頑張って頑張らないように努力しています。
それでも年末に向けてちょっとだけゴミステとかやってしまうのですよね。長年の自分の行動パターンはなかなか変わらないのです。

ところが昨日、ゴミステに行って、ゴミを捨てた後の掃除をしただけで、凄く疲れてしまいました。どうしちゃった訳と思いましたが、ふと熱があるんじゃないかと思い測ってみました。

疲れた、ダルイはちゃんと理由があるんだということは、いくら私でも学びましたから。

やっぱり熱がありました。

その後はクタクタしていましたが、ちょっとだけルート君に買い物を頼みました。

前日はおでんだったのですが、いつもは大なべに作ると夜中に夜食代わりに子供たちが食べたり、朝食やお昼に頂くと、二日目の夜は鍋の中は空っぽです。だけど最近忙しい子供たちも夜中も朝食も食べる事はなく珍しくお鍋の中にはしっかり1食分残っていました。だから後はシャケを焼いて、野菜炒めを作る予定でした。はっきり言って男の子の家は食事作りは大変ですよ。でもその野菜炒めを作る元気がありません。

惣菜を買ってきてもらって手抜きをしようと思いました。

メンチカツとポテトサラダを買ってきて貰う事にしました。後、おやつと。おやつは中年男子には大事な要です。

えっ、おやつは私が食べるんじゃないのかって?

そ、それもあるけれど、意外と世の中のお父さんたちはちょっとした甘いものなどを求めているのですよね。
うちは子供もさりげなくおやつを食べますし、それなりに買っておかないと気持ちが落ち着きません。

 

彼は頼まれた事をいつも二つ返事で引き受けてくれる気持ちのいいやつなのです。

だけど買って来た手抜きメンチを見たら4枚。

「なんで4枚なの。私は食べられないって知ってるでしょ。」

「ですよね~。ついうっかり・・・。」

なんか分かるな、それ。

「まあ良いよ。それ電子レンジの中に仕舞っておいて。」

と、彼、今度は電子レンジ前で悲鳴をあげています。

「何なの!?」と聞くと、入れておくときに薄いプラの入れ物の横から1枚落ちてしまったのです。

「要らない1枚だから落ちたんじゃないの。」面倒くさいものだから、私は変な風に慰めます。

「だけど、ああ、120円がムダに・・・」

「いいよ、もう。」・・・なんて言ってしまうから私の首は回らないのかな・・・・

 

そう言えば今日になって、おつりを返してといったら、ハンパに自分が出した118円は要らないからと彼は言いました。

買い物に言ってくれてそれはないなと思ったので、後で返すねと言ったけれど、もしかしたらその118円は昨日のメンチの弁償かしら・・・なんて。

それよかね。

「チョコパイ、買って来たよ。好きでしょ?」と彼が言いました。

優しいんだ、彼、本当に。自分も好きだけど私も好きだからそれを買ってきてくれたんだね。

でも・・・

「お母さん、チョコレートはもう食べる事が出来ないんだよ。」

「ええ、そうだったの。あんなに好きだったのに。」

「好きだったから、一生分食べたからもう良いや。」って私は言いました。

 

家族の一人が病気になる。すると周りの者は戸惑い、少々時間が断たないとそれに慣れないものなのかも知れません。まして私、やたら元気に見えますし。

さりげなく病気情報を書いていますが、この先はもっと誰かが読んで有益な事が実行できたら書こうとは思いますが、そうじゃなければ出来るだけ話題にはしたくないかも・・・・。
有益な事って例えば上手く出来たお料理情報とか・・・・・
でも病気の事は、一度はちゃんと報告しますね。
もしかしたら、一度報告したら、それを前面に出して記事も書き始めるかもしれません。

だって病気も含めて私は私だから。

※      ※      ※

こんな日々の中、真央ちゃんのお母さんが亡くなりました。
48歳だったのですね。お若いです。夏から調子が悪かったそうですね。

とても人事には思えなくて、涙が出ました。

ご冥福をお祈りいたします。

真央ちゃん、今は本当に辛いと思います。悲しくて寂しくても当たり前ですね。だけど心を強くもってその悲しみを乗り越えて欲しいと願っています。

 

 

 

コメント (4)
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相棒ten8話「フォーカス」

2011-12-09 15:10:02 | ドラマ(相棒)

今回の視聴率は、13,1。

面白かったのに、低かったです。でもこれは裏がFNS歌謡祭をやっていて、多くの人が生番組のそちらを見ていたのですよね。

「相棒」は録画組が多かったと思います。

そう思うと視聴率なんて余り関係がないですね。

 

今回の作家さんは「相棒」シナリオ初参戦の守口悠介さん。
この方、1985年生まれ、お若いです。

ああ、もう我らの時代は遠くになりにけり。
とうとう私は何もなさずに老兵のように消え去るのみなんでしょうかなんてことを、「相棒」本編には関係ないのに、ふと思ってみたりして。

この守口さんなんて、私から見たら、守口ちゃんですよ。
だけどこの守口ちゃん、相棒ワールドをよく理解しているなと思いました。今後も期待です。応援しますよ。

 

切ない終わり方でした。

 

いきなり終わりから感想を言うと言うのも、良く私にはあることですが、今回はちょっと冒頭の事を少々。

通り魔事件が起き、それをカメラマンがそのシーンを激写します。

このシーン、今は結構ギリギリだったと思いますよ。何がって言うと、千葉の松戸・柏・新柏周辺、もしくは三郷周辺の人は、きっと連想したと思います。今起きている通り魔事件を。

今回放映できたのは、この事件で死者が出ていないからだと思います。

こういうのって難しいですよね。

別に良いじゃんと思う方も多数いるかもしれませんが、その事件の周辺の人はその恐怖心を増幅させてしまうのは事実ですよね。

 

私もかなり前ですが、「セクシーボイス&ロボ」と言う大好きだったドラマが同じ理由で中止になってしまいました。凄くがっかりしたのを覚えていますが、その時上記のような事を考えたりもしたのです。

ついでに言わせていただくと、自分より弱いものに刃物をちらつかせ、あるいは刺し、世間の注目を浴びようとしたり、自分の存在を確認しようとするなんて馬と鹿の極みです。しかもひとり目が捕まって、ヤレヤレと思っていたのに、又も新柏で類似した事件が起きました。

ひとり目は狂人です。(失礼。未成年であっても敢えて使わせていただきます。だって治療が必要でしょ、その子。)
でも二人目の模倣犯のかっこ悪さはないですよ。無様すぎます。この犯人が唯一ヒーローになる道は、自ら出頭する事ですよ。
みながフラッシュをたいて、あなたの写真を撮ってくれると思います。

さあ、早く出頭して、子供たちを通学時の恐怖から解放してあげてください。寒い中、塾の送り迎えをするお母さんたちを解放してあげてください。

 

何で「相棒」の記事でこんな事をと思う方もいるかもしれませんが、タイトルがフォーカス。私も違うものに焦点を合わせてみたくなったのかもしれません。

冒頭の事件のシーンは、結構インパクトが大きかったです。
なぜなら、女性が刺され苦しんでいると言うのに、人々は「何かな~」と言う顔はするけれど、足を止める事もなくみな行過ぎて行きます。
なんか、凄く自然なシーンに見えました。この自然と言うのは「普通」と言う意味ではなく、本当のリアルなシーンと言う意味です。

ドラマだと、周りの人は過剰に反応して、行き過ぎる時も罪悪感が顔に出ていたり、驚きながら逃げていくと言う演技が良く見られると思うのです。ドラマなのだからそれを普通にテレビ前で見ると思うのです。だけどこの行き過ぎる人々にはそんな顔などしている人はいなくて、本当に見えているのに目に入っていない感じで怖かったです。

右京さんが後で解説してくれたのですが「集団心理行動」って言ったのでしたっけ。
ちょっと忘れてしまいましたが、このシーンは通り魔以上にさりげない恐怖が隠れていたように思います。

上手く撮りましたよね。

インパクトのあった映像と言えば暇か課長の口の大写し。

何でって、笑ってしまいました~。どうも、監督の橋本さんがそう言うのが好きみたいなんですね。

 

カメラのレンズの焦点。報道カメラマンの本当に撮りたかった物はなんだったのか。

 

レンズの焦点がずれていたのは、実はカメラマンを殺してしまった男だった・・・・・と思いました。

同じレンズ繋がりですが、色眼鏡と言うレンズを外してみれば良かったのかもしれません。

報道カメラマンは、みんな下種であると言うひと括りにしてしまう考えこそ、ボケた焦点であったのだと思いました。

 

だけど取り敢えずは、「待ってくれ。俺の写真を見てから言ってくれ。」と言われたら、一応見てからにしようよ、殺すのは。だいたい犯人さんは良い人なんだから。

殺人の動機は弱いよ、守口ちゃん。・・・などとちょっと思った次第。

だけど上のほうにも書きましたが、二転三転の展開、優しさ、切ないと言う相棒ワールドの定石を踏んで良い作品になっていたと思います。

私的には、カメラマンの苦しみや夢なども含めて、すべて無になってしまった事が悲しいと思いました。いかなる理由があろうとも、殺人は罪以外の何者でもないなと真面目に思ったのでした。

 

次週は今年最後の「相棒」ですね。

 

※    ※     ※  

「梢は歌う」更新しています。→「道端の花【野菊】」

 

 

 

 

 

 


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隙間は大切

2011-12-07 11:04:39 | 猫さま日記

「隙間が大切」なんて言うと、「隙間時間を大切に」なんて思ってしまうあなた、そんなに隙間の時間まであくせくしなくて良いのですよ。

バス待ち時間には本なんて読むのは止めて、空を見上げて流れる雲を眺めたり、ご用とご用との間には次の予定表なんかを作っていないで、ぼんやりお茶などを頂きましょう。

二階に行くついでに雑巾を持っていき階段を拭いて来る・・・

もう良いよ、そんなの。

ツイでなんか止めて、しっかりと階段を拭きにいきましょう。その方が楽しいよ。

って、お疲れモード的発言ですか?

 

どうも頑張ると病気が悪化すると言う事が分かってきた私。遅いよ、まったく、悟るのが。

ちょっと頑張ってしまって反省中の私です。

なんだかな~。
吉田拓郎氏の「ガンバラナイけどいいでしょう」なんて歌が身にしみる年頃になってしまったようです。

 

だけど自分の世界を縮小させて身の丈にあった太陽の中で暮らしていても、それなりの楽しい事は必ず見付かるものですね。キュウキュウ詰まった生活はなしにして隙間は大切な心のクッションにしたいなと思っているこの頃です。

隙間は大切、猫にとっても・・・・

 

書類をいろいろ見なければならなかったので、引き出しをタンスから抜いて机において作業をしていました。

どうせもも吉がやって来て、その引き出しの中に入ってみたりするのだと思っていました。

だけど振り向いたら・・・

あっ、そっちなの!!

 

狭そうだけど、器用に向きを変えて満足したら、もういなかったと言う素早さでした。

狭い狭い家の中にいても、毎日何か楽しい事を見つけているようなもも吉。

 

 

※   ※     ※

梢は歌う、更新しています。

そこには普通の花の普通の写真を載せています。何が楽しいのかと聞かれたら説明も出来ませんが、自分だけは確実に楽しい自己満足ブログになっています。敢えて言うと、「野の花」も「ベランダ日記」も記事数が100ぐらいになったら、世の中にも貢献できるブログになると思います・・・・・たぶん


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虹の橋を渡った里華ちゃん

2011-12-04 18:57:23 | 梢は歌う(日記)

世の中には、なんとなく心を救う言葉がある。

その中のひとつに、この「虹の橋を渡る」と言う言葉があると思う。

この言葉が生まれたいきさつは知らないが、家族のように愛する、いや、余り恵まれてもいなかったペットや動物たちが亡くなった時にも、こんな風に言うらしい。

家族のように愛してきたペットが死んだ時、その悲しみは思いがけずに深く、又ぽっかりと空いた穴はそうそうには埋まらない。

そんな時に
「・・・チャンは、虹の橋を渡っていきました。」と言うと、なんとなく少しだけホッと出来るような気がする。

渡って行った先で、きっとまた幸せに生きているのだという夢を見る事が出来るからだろうか。

生きとし生きる者には死は必ずやって来て、時にはその間際のその道に至るまでは苦痛が伴う事も多い。虹の橋を渡っていくものたちはその苦痛からも解放されて、微笑みながら走っていくに違いない。

 

   ※     ※      ※   

先日、友人たちで奥様ランチをした時に、自分たちのペットの話になりました。
その時友人が近所の人の話をしたのですが、近所の結構歳のいったお兄さんのお母さんがある日亡くなりました。それから1ヶ月もしないうちにそのうちの猫が死んでしまったのです。そのお兄さんが言うには、その猫が死んでしまった時の心に吹く隙間風は言いようが無いものがあったと言うのです。

皆その話を聞いてシミジミとしてしまいました。

「小さな体で支えているんだね。」と私が言うと、うんうんと皆で頷きました。

支えているのは家族。

 

 ※    ※    ※

最近このブログは文章が綴れない時には、もも吉の記事を書こうと思っています。近頃ももちからもも吉と言うニックネームに変わりつつあるももです。

昨日も、もも吉の画像を編集していました。

その時メールが届きました。それはまったく関係がないメールだったのですが、それで昼に姉からメールが来ていたことを知りました。

姉の家の里華ちゃんがお昼に亡くなったと言う連絡でした。

里華ちゃんはシーズーで小さな犬です。

でもその小さな犬が、姉の家族を凄く支えていた時代があったことを知っているので、メールの
「今日は泣きくれています。」と言う言葉に、もらい泣きしそうになりました。

でも家族全員に愛されてずっと生きた里華ちゃんも幸せな一生を送ったと思います。

 

※   ※     ※

そんな訳で、昨日はもも吉の画像は止めました。

「虹の橋を渡る」、その言葉を他のブログで見かけて上に書いたように心を救う言葉だと思っても、実は私は使えませんでした。たぶん私の中の死のイメージに関係していると思います。といっても悲惨なイメージと言うわけではありません。私は、例えばもも吉をうちの猫とは言うけれど、うちの子とかこの子とか言う事はありません。ももは猫であり、私は人間。家族のようなものであっても異種のものであり、お互いプライドを持って生きていると思うのです。異種であっても命と言う部分で対等です。
そして、私の死のイメージでは虹の橋を私は渡りません。だから我が家のココちゃんも、ピピちゃんも虹の橋は渡らないのです。

えっ、面倒くさいやつだって!?

まあ、そうかもね。

 

だけど、それなのに昨日姉にメールで
「虹の橋を渡った里華ちゃんのためにいっぱい泣いてください。」と返信してしまいました。

やっぱり、家族を支えてくれた犬や猫をなくした人には、心優しい言葉だと思ったからです。

ふと思ってしまったのですが、虹の橋のその下には、涙の川が流れているのでしょうか。

 

※      ※       ※  

その由来は分からないなどと言っていないで、調べてみました。
wikiの「虹の橋(詩)」←リンクしています。
などを参考にして欲しいと思います。その下の外部リンクの「虹の橋」の詩を読むと、その由来などが良く分かりました。

だけどこれを読むと、「虹の橋を渡っていきました」と言うのは発展的解釈なのが分かります。動物たちは渡らずにその麓で飼い主や、誰にも愛されなかった人を待っているのです。

私的には発展的解釈の方が好きで、本来の詩の方はちょっと苦手です。苦手ではありますが、ふと私は自分が書いた短い物語を思い出してしまいました。
それはちゃんと書こうと思いながら、そのラストしかとうとう書かなかった「猫の楽園」と言う物語です。「猫の・・」と付いているので猫限定のようですが、猫の犬の動物たちのと拡大解釈していただけたらと思います。

短いので読んでいただけたらと思います→ー猫の楽園ー

人間の楽園を見つけたら、猫が動物たちの楽園の場所を教えてくれるのです。

いつかその場所を見つけて、別れてしまった動物たちに再会できたならば、私はきっとこう言うと思います。

 

いつもいつも傍にいてくれたね、支えてくれたね、助けてくれたね。ありがとう、幸せだったよって。

 

※     ※      ※

梢は歌う、「ベランダ日記」更新しました。→ベランダ日記12月【こぼれた種から】

 

 

 


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相棒ten7話「すみれ色の研究」

2011-12-02 00:51:35 | ドラマ(相棒)

やっぱりこういう「相棒」が好きだな。

こういうってどういうのかって言われるとちょっと困ってしまうのだけど、昨日の「相棒」、面白かったです。

でもね・・・・うーん、感想、書けないなヤッパシ。
あっ、思わせぶりな言い方しちゃった。
文句じゃなくて、寝オチしちゃった・・・orz

面白かったのにウトウト。
恐るべし、こたつ生活。(20数年ぶりにこたつ生活を復帰させたんです。)

でも面白い事は分かりましたよ。

だってウトウトから覚めるたびに、笑ったり感心したり推理したり出来ましたもの。

そして最後はちょっと泣けました。

だいたい右京さんの同級生ってみんな同じカラーの変人が多いのでしょうか。柴さんのお父さんは良い味出していましたよね。右京さんとのセリフの応酬も面白かったです。

最初の方の尊との対峙。
「おやおや?」と思いましたが、でもなんとなく分かりましたよね。ニマニマ

そして研究所にも大木・小松がいるなとか思ってしまいましたよ。やたらと興味を示す小者感バリバリの二人組み・・・
だけど・・・・って所でしょうか。

被害者の家の白衣を手に取った右京さんの顔がお茶目で笑えました。犯行現場はここではないと突き止めた得意顔だったのですよね。

最後は泣けたけれど、さらにラストの右京さんと尊との会話も笑ってしまいました。

「君、強く殴りすぎですよ。」
「なんでか力が入っちゃって・・・」
「おやおや!?」

ここでは尊のお茶目顔に思わずにっこり^^

変だと思われていた父親の行動には、すべて理由があったと言う奥深い所のもうひとつの謎解きがあったわけですが、底にあるのは優しさと愛であって、そんな所が「相棒」らしいと感じたのかも知れませんね。

おやおや、・・・

感想書けないと言いながら、何やらすっとぼけて書いてしまっていますね。
しかも右京さんの「おやおや」は初めて聞いたわけじゃないのに、何か耳に残り嵌っているとは・・。

 

でも、いつかこの回は再放送を見たら追記したいと思います。

 

捜一トリオの出番は申し訳程度でしたが、ライターさんが気を使ったところだと思います。その代わり暇か課長が目立っていましたね。近頃「暇か課長」とばかり呼んでいたら、名前を忘れそうになりました。

そうそう角田課長でしたね。

角田課長の愛妻弁当は、昨日の夕食の残り物処理。しかも1品だけ。
なんだか悲哀を感じてしまいましたが、奥様は堅実に貯めていらっしゃいますね。前にもスーツを自慢するシーンがありましたが、替えのズボンが付いた吊るしのを買っていて、生活観もバリバリです。

この角田課長は、美和子さんの料理も凄く褒めまくっていましたよね。

・・・あっ、なんか懐かしい。あの二人がゲストで出てくるなんて日はあるのでしょうか。

 

視聴率は18.3でした。


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