<ある日曜日の光景>
もも吉は、時には仮想の敵と戦っている。
うちの子供たちは、幼い時に皆戦っていた。
セリフがあったり、りりしい顔をしたり彼らの背後には仲間がいたり、それらをじぃ~と見ていると、視線に気が付いた子供たちから
「うるさいよ。」と言う言葉が飛んできた。
いやいや、お母さんは何も話していませんよ。
ただ見ていただけ。
仮想の敵と戦っているもも吉も黙って見ているだけ。
もも吉は「うるさいよ」とは言わないけれど、その時は決してかまってはいけないのがルール。
キャットタワーに駆け上った後も、右を見て左を見て、そしてタワーの下も首を伸ばして確認する。そして、
「よし!敵はやって来ていにゃい。任務官僚。」と言っている・・・・様な気がする。
昨日も彼女は走り回り、敵の仲間であるキッチンとリビングの間仕切りカーテンにキックしたら、それが上から落ちてきて絡まってしっかり捕獲されてしまった。実は土曜日は勝っていた彼女。キックしたらやっぱり落ちてきてそれをサッとかわし
鼻息も荒く「ふん!」と言っていたもも吉。
今回は捕獲されたどころか自力で出られない。私とだんなに散々カーテンの上からくすぐられた後で救出され、上の画像はちょっと凹んでいる所なのだ。
しばらくしたら、既にごちゃごちゃのこたつの上と一体化。
週末、私の調子が悪くてって書きましたが、どうしても生きてきた習慣って変わらないもの。思わずだんなに言い訳を。
「今日は休憩して、明日は頑張るね。」と言うと、だんなは急に歌いだす。
「グータララ、スーダララら♪ほら歌にもあるだろう。」
そんな歌だっけ?まあ、「20世紀少年」の歌のつもりですね。
「明日も『グータララ、スーダララ♪』、イイヨ、頑張らなくて。」
「そう?そうだよね。『グータララ、スーダララ♪』」って私も歌ってみる。
「しかし、又やらないかな。『20世紀少年』」
「えっ、何回も見ているじゃん。」
「何回だって、見るんだよ。俺、あれ好きなんだから。」
「ばかだねぇ。」と私。
と言ったら、不用意に涙が目頭に滲む。
ふとこの夫婦の会話にシミジミしたものを感じて・・・・なんて事は、実はない。優しい言葉ひとつで涙が滲むなんて、長年夫婦をやっている者としては侮ってもらっては困る。
「だけどあの神木君のラストを見るたびに泣いてしまうのよね。って言うか、思い出しても泣ける。ほら、涙が
しかし、あなたも馬鹿かなと思ったけれど、私も輪をかけて馬鹿やねぇ。」
そうだな、とはだんなは言わない。泣かないけれど彼もそう思っているから。
「ラスト、良かったけれど、バーチャルなんだもんなぁ。空しいよなぁ。」
遊んでいる間はずっと友達。バーチャルであっても夢の中の住人には、それはそれで幸せ。
『20世紀少年』は奥が深いななんて、もも吉や子供たちの昔のことや、今の私の友人関係を思いながらふと思う。
遊ばなくなったら友達ではなくなるのだろうか。
人との関わりは変わっていくのだろうか・・・とか。
ニューヨークタイム・・・じゃなくて入浴タイムは、考え事の時間。
昨日ふと考えた。いつもブログを休む時には「お知らせ」とか入れてきたけれど、いつか止める時にも、そして休む時にも「お知らせ」とか「挨拶」なんか言わずには静かにフェードアウトしよう。潔い人も居るけれど、ブログも風化するまでずっとそこに置いておこう。このブログには潔さは関係ないから。
こんな事を書くと、何かのフラグみたい。でも止める気もないし、休む予定も敢えては予定していない。
元々いろいろと考えておくタイプなんだ。行き当たりばったりのように見えるかもしれないけれど、「いつか」と言う日は、ちっとも来ない日であったりもするけれど、だけど必ず来る日だと思うから。
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梢は歌う「ベランダ日記12月【色を求めて】」更新しています。