森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

秋に近づく雨の日

2015-09-17 17:31:26 | 物と私と片付けと掃除

晴耕雨読と言う言葉があるけれど、晴れの日には掃除して雨の日には家の中の飾りなどを見直してみるのも良いかもしれませんね。

 

いつもなら9月は残暑が厳しくて、まだまだ夏の気分だと思います。

そして例年、以下のウサギたちを出し忘れてしまうのでした。発光禁止で撮ったら何気にボケました。

こんなに大きく載せなくても良いのだけれど、編集が面倒なのでこのまま。

写真はボケてしまいましたが、なかなか愛らしいうさぎでしょ。

下のウサギはオルゴール。

「上を向いて」を奏でます。

 

背景には稲穂・・・・・

と、出して来たら、ああ、ブリザーブドは永久に咲き続ける花ではないのですよね。下のものは自分の作品ではなく、オーダーして買い求めた唯一のものなんです。かなり気に入っていたのですが。

撤収…と思いながら、ちょっと迷っていたら、目が慣れてしまいました。

 

まあ、いいか。

秋の野分の後のようで。

ああ、今は、この「野分」と言う言葉もなんとなく禁句のような気がしてしまいます。

災害続きだし、他にもいろいろ・・・・

「日本と言う船はどこに向かうのか」なんてタイトルが似合ってるな。

妙にしみじみとする私。

 

玄関のヒマワリのリースもコスモスバージョンに架け替えました。

過去の作品の花の使いまわしや、百均の花たちが大活躍のリーズナブルなリースですが、私のお気に入りです。

秋ってなんとなく寂しいような気もするのですが、本当は豊穣の季節なんですよね。

美しい秋を楽しんでいきたいものですね。

 

最後にトップ画像なのですが、10年以上まったく変えてなかった飾りを変えてみました。そこはどこかと言うと、ジグソーパズルの中の猫ちゃんが教えてくれるかもしれません。

チェンジしたことによって、ワタクシ、そこに行くたびにちょぴりですが嬉しくなったりするのです。

 

大きなお部屋の模様替えはなかなか出来るものではありませんが、小さな飾りを変えることで季節を感じるのも楽しい事だと思います。

 

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「2016」でドキッ、「とりあえず」でワクワク

2015-09-16 18:00:25 | 梢は歌う(日記)

リアルタイムアクセス解析のおかげで、近頃新しいご縁も増えたように思います。

それで一応の自己解説なのですが、ワタクシ、ドラマを見る事をこよなく愛する人なんですが、そのうち「相棒」に関しては「かってに応援隊」です。そうなるにはそれなりの理由があったのですが、それはまたいずれ。

好きなものがたくさんあり、また好きな人がたくさんいます。

でもその中で一番のご贔屓俳優は藤原竜也さんなのです。

演劇の申し子と言われる彼の演技力の高さにももちろん惹かれているのですが、一番の彼を愛する理由は仕事に対してのストイックな姿勢だと思います。

彼がいっぱい仕事をして頑張っていると、さあ、私も頑張ろうと言う気持ちになってくるのです。

 

※         ※         ※

ドラマ版の「デスノート」は主役の窪田君を応援してあげたいなと思いつつ、なんだかどんどん見ていることが面倒になりリタイアしてしまいました。でも最終回の13日はいつも楽しみに見ていたwowowのドラマも最終回で、それが終わって夫がチャンネルを地上波に戻すと、「デスノート」のラストのラスト。

そこには窪田君が迫真の演技でキラの最後を演じていました。思わず引き付けられました。言葉の解説が結構あったので、ずっと見てなかった間に何があってこうなったのか、大まかでありながらも分かりました。ドラマ版のデスノートの世界観もなかなか良かったように感じたのですが、やっぱり比較してしまうんですよね。

映画はやっぱり凄かったなと、なんとなく思っていたら、ドラマが終わった途端に、映画版のⅬとキラが〈松ケンとたっちゃんね〉バンバンと映ったのです。たったそれなのに、さっきまで見ていたドラマ版と迫力が違うので、思わず「今、それをやるか。嫌味じゃないの、コレ。」と言ったら、なんと「デスノート2016」の告知でした。

ドキッとしましたよ~。

だって「夜神月、復活」みたいな文字が浮かんでいるのですものね。

死者の国にも行けないで、「無」になってしまった月はどのように復活するのか。藤原君の新作映画の告知かって思っちゃうじゃないの・・・・・

詳しい情報は→ ここでどうぞ

>世界的なサイバーテロが頻発する2016年を舞台に、夜神月とLの意志を受け継いだ新たなるカリスマが登場。

ああ、「遺志を継いだ」か・・・・・・

と、そのようにテンションが上がったり下がったりしてしまいました。

でもこの感情の流れはどうも私だけではなかったのだと、他の竜也さんのファンの方のブログなどを読ませていただいて、思わずクスクスと笑ってしまいました。

 

でもたぶん、過去の映像は流れると思います。じゃなかったら、…ねぇ・・・・変よねぇ^^

しかし

>原作にある「人間界で同時に存在していいデスノートは6冊まで。よって、人間界にいていい死神も6匹まで」というデスノートの“6冊ルール”をもとに、デスノートが引き起こす新たな頭脳戦を描き出す。

じゃあキラは6人登場してくるのかしら。

パーティー組むとか。

一人が勇者で、一人が戦士で一人は魔導士、ええとそれから・・って、ちゃうな、それ。

 

この「「デスノート2016」を私が映画館で見るかは分からない事ですが、この先誰がキャスティングされるかは楽しみな所でもありますよね。

予想とかしてみるのも楽しいかもしれません。

私もしてみます。大雑把な予想です。

女性が二人で残りは男性。一人はおっさんで、そして6人の中に綾野剛がいる・・・・・・^^  

 

 

で、本当に嬉しいと言う意味で驚いて、そして今もワクワクしているのは12月公演が決まった「とりあえずお父さん」です。

詳しい事は→ こちらからどうぞ

奇想天外なコメディで四人芝居。

とっても楽しみですね。

公式ツイッターのアカウントは   @toriaezuOtousan

秋から冬にかけていろいろと盛り上がって行きたいですね♪

 

 

それからついでながら、終了した「僕だけがいない街」のエキストラ情報の記事に、いまだにアクセスがあり、少々心苦しく思っています。

こちらなどに 〈←リンクしています。〉、そのエキストラに参加した人の感想がほんのちょっとだけですが書き込まれていて、雰囲気などを感じる事が出来るかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さよならを意識した夏、その2

2015-09-15 11:25:22 | 梢は歌う(日記)

網戸をそっと開けてカメラを向けても、鳩は急いで逃げ出そうとはしません。

やはりこの鳥は図々しいのでしょうか。それとも私に敵意など微塵もない事を即座に見抜いていたのでしょうか。

部屋の中で影が動いただけで飛び立つ鳥の慎重さも瞬時に相手を見抜いて大胆な行動に出る事も、どちらも大切な事だと思います。

小さなベランダですがそこから拾えるものはたくさんあるようです。

トップ画像は全く本文記事とは関係はありません。

 

これは「さよならを意識した夏」の続きです。

 

※         ※

 

良く思い返してみると、8月10日ラッタ君と東京駅で待ち合わせをした時、虎屋のカフェ「TORAYA TOKYO」で美味しそうな羊羹プレートを頂きながらの話題の一つがそれでした。《「東京駅散歩」

「お父さんの真夜中の咳が変なの。」

「あやつは〈あやつ呼ばわり〉、何でたばこ止められないんだろ。」

「国が売ってるだけでドラッグと一緒だからね。」←過激。

「この前会社の健康診断受けたから、それで大丈夫だったらオーケーなんだけれどね。でも何かあったら、あなたは長男としてちゃんと私を支えてね。」

「いや、それは家にいるやつに頼む。ヘラヘラ」

「あのねー!!」

などと言う会話をしていたのでした。

 

なんとなく気になっているー。

でも何気に気にしていても、人間と言うものは、いや私だけかもしれませんが「きっと、大丈夫。」「思い過ごしだったんだ。」と、やっぱりそのような展開になる事を、心のどこかで信じていたのだと思います。

 

だけど8月13日、夫と二人でいつもの気楽なショッピングモールで買い物と決め込んでいた私たち。

その時、まだお墓参りに行く日にちと時間が決まっていませんでした。

車の中で、彼の携帯が鳴りました。

姑からかもと思って、私が出ると

「××病院です。先日の集団検診の結果なんですが、他の方は会社にお送りすることになっているのですが、お盆休みでもあるので○○様には早くお渡しできた方が良いと先生から指示がありましたのでご自宅にお送りいたしました。」

と、そのような内容。

えっ !

ドキリ !

電話の内容は夫にも漏れ聞こえていました。

「あのすみません。それは、結果を見て、いち早く何か行動をせよと言う意味のものですか?」と、私は聞きました。

「ああ、このようなお電話が行ったら、吃驚されますよね。ご安心ください。もっと差し迫ってる時はお呼び出ししますから。」と電話の主様は言いました。

どうもトップランクではないらしい。

ちょっとだけホッとしましたが、早く何がしらの行動をせよと言う部分は否定されませんでした。

そして車の中の二人・・・・・・・沈黙です。

しばらくして、夫がぼそりと言いました。

「スルー出来なかったな。」

「うん。」小さな声で、私も答えます・・・・・・・

「って、言うかさ。私、アリの心臓なもんだから、今、気落ち激しいよ。」

「俺も。。。。」

だよねー。本人だし。

 

あの人の言い方だと癌ではないよねとか、でも「まあいいか」と言うレベルでもないとか二人でぼそぼそとため息をつきながら語り合いましたが、その時に話し合っても意味がないなと言う事になって、とにかく結果を見てから、いろいろと考える事にしようと言う結論になりました。

クヨクヨしていても仕方がないので、普段通りの行動をとる事にした私たち。

まずは最初はホームセンターに行って洗剤などの日用品と猫殿のお食事などの調達です。それが済むと彼は買ったものを車に置きに行き、私はその間に百均に行ったりトイレに行ったりした後、喫茶店で待ち合せるのが常なのです。

これと言った用もないのに百均のお店に足を向ける私。

その時、窓の向こうに見えた青い空。

私は不意にべそをかきたくなりました。

子供のように、エーンエーンと泣きたくなりました。

もちろんまだ泣くような場面ではありません。

 

でも私はその時思ったのです。

 

なんでもないような今日が来て、そして明日が来る。そしてその繰り返し。

子供たちは皆いつか私たちから離れていき、その先は二人で文句を言ったり喧嘩をしたりしながら、それでも二人で生きていく日が来る。そしてさらにその先は、どちらかが先に消えていく。

分かっているよ。分かっているさ。

でもその「いつか」は、絶対に「今」じゃないし、1年後でも2年後でもないんだよ、私の中では。

だけどそんな約束、誰もしてくれてないんだって。

 

いや約束はしてるなって、また私は思いました。

例えば、本当の別れの日が10年後20年後、または運よく30年後であったとしても、必ず来るんだよね。

そしてその時も、こんな風に始まるんだよねって。

考えた事もなかった夫との別れの日。

いつだってこれからは覚悟の二文字は心の辞書に入れておこうと思いました。

 

瞬きをしたら濡れてしまった瞼をぬぐい、喫茶店ですでに待っていた夫の所に向かいました。

席につくと、夫が神妙な顔をして言いました。

 

「俺は今日からタバコを止めます。」

 

 

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夫は肺がんではありませんでした。でも肺の中に炎症があり、原因不明で検査ばっかりしています。お薬も出ていないので、時々真夜中に咳をしていますが、その回数は明らかに減っています。

しかしお医者様は「わかんねー。」と言うばかりなのに、検査代が高くて家計と言う所が重症になってきました。

でも夫殿の禁煙は1か月と二日目になり、とうとう国営ドラッグから足を洗うことが出来ました。

 

これで三回忌の写真から夫の唇の白い影が消えていたら、お話としては三倍は面白くなるんだけれどそうはいかないのが現実なのでした^^

 

 

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さよならを意識した夏

2015-09-13 17:44:48 | 梢は歌う(日記)

そろそろ今年の夏のオマトメ日記をぼちぼちしていきたいと思います。

トップ画像は、記事とは全く関係のないベランダにやって来たお客様です。ベランダには水も緑もあるので時々、鳥や虫などがやってきますが、鳥などは部屋の中の影が動くだけで去って行ってしまうので、カメラに写すのはなかなか難しい事なのです。

山鳩さんは、結構図々しいのかも ^^

 

※         ※         ※

 

記憶の沼の底から」と言う記事の中で

>あっ、そうそう。このお盆休みの最中には夫にとって、そして私にとっても凄く大変な事がありました。

と書きました。そのお話です。

 

でもその前に、いかにも私らしい前振りです。

 

父の三回忌の時、お食事をしたお部屋で一族で集合写真を撮りました。私のカメラで撮った分はすこぶる私がよく映っていて、そう言う時は、見たくないと言ったとしても

「ほらっ、見て―。私、可愛い?〈アホですね^^:〉」と無理やり夫に見せるのが常なのでした。

でも私、その写真が凄く気になってしまって、彼には見せなかったのです。

それは私以外もみなよく映っている良い写真でした。ただ、夫の口の所に白い何かが写り込んでいなければなのです。

 

今時のデジカメは優秀で、その時の埃やちょっとした光なども映しこんでしまうのは知っています。だから、彼の口元に≠のように写った小さな長方形の白い影も、そのようなものだと思うのです。

 

でもね、三回忌でしょう。夫にだけでしょう。

なんだかね、私は父に、「気を付けろ。」って言われているような気がしてならなかったんですよね。

 

その集合写真の中に映っている一族の男たちの中で、タバコを吸っているのは夫だけだったんです。

父は肺がんで亡くなりました。

長期にわたる喫煙が、その病気を自分の体に招き入れたのです。

その父からのメッセージのように感じて仕方がなかったのでした。

それは5月の事です。

 

それから程なくして、私は彼の真夜中にする咳が気になるようになりました。もともと彼は良く咳をする人なのです。でも彼が真夜中にする咳は、なんていうか、非常に乾いたような咳だったのです。

嫌味のように繰り返す、私からの「たばこ止めたら」と言う言葉の攻撃。

でもなんたって、一緒に生きてきた時間も長いもので、彼の方も私の言葉攻撃には負けません。

 

でも毎晩、寝てかなり経ってからする咳・・・・・・

ああ、気になるなあ。

そう言ってもかなり眠りが深い時にその咳をしているみたいで、彼には全く自覚がない事で、だからそれだけで病院に行くなどと言う事はなかったのです。

「パパが変な咳をするのよ。たばこ止めてもらいたいわ。」などと姑に告げ口しても、全く意味もない事だし。

 

それで私は言いました。

「会社でやってくれる健康診断はいつなの。何気に、私それを待ってるんだ。」

それでスルーなら、それで良いのです。もう写真の事も真夜中の咳の事も気にすることはないのですから。

 

まだ長くなりそうなので、続きは次回に。

 

「記憶の沼の底から」の中でも

>「あっ、そうそう」と言っているくらいなので、差し迫った何かではないとご推察ください。

〈・・・・でも、本当は差し迫った何かになってしまうかと、数日ドキドキしていました。〉

と書いているように、ドラマチックかつ悲劇的オチにはなりません。

あっ、でもですね、悲劇的展開なんかなくても、私にはほんのちょっとだけドラマチックな夏だったのです。

 

 

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そっと近づいて撮ったら、汚れた網戸が・・・(/_;)

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9月11日、金曜日。

2015-09-11 22:31:01 | 梢は歌う(日記)
 
9月11日、木曜日。
最近、自分の中の老いと向き合わなければならないこともあり、今日という日の朝のバタバタもあり、ためている書きたいドラマ記事もありで、さて何から書こうかと思ってツイッターのトレンドワー...
 

 上の囲みは、gooがメールに送ってくれるサービスで昨年9月11日に書いた記事です。

もしお時間があれば、そちらにもお立ち寄りくださると嬉しく思います。

 

自分の生きてきた人生の中で、風化させてはいけない過去の出来事。

その中の一つになってしまった、あの9.11。

 

〈家で細々と近所の子供がお勉強をするお手伝いをしています。〉

 

今日、家に来た小学生が言いました。その子は5年生で11歳でしょうか。

「あの飛行機を乗っ取った人達も死んだんでしょう?」

「そうよ。自分たちで操縦していたんだから、真っ先に死んだのよ。」

「・・・・・・・」

しばらくして、やはり少年は首を傾いで言いました。

「なぜ・・・?」

 

理解なんて出来るわけもありません。

 

「それが正義だと信じ込んでいたからよ。それは宗教の問題なんだけれどね、彼らはそれをやれば神の国に入れて、そして神に褒められると信じていたらしい。」と、私はテレビで見た知識を語ります。そして

「でも私は思うの。きっと彼らだって、その瞬間はものすごい恐怖を感じたはずよ。」

「でも信じていたんだったら、仕方がないか。」

「えっ? 仕方がないって何が !?」

「死んでもって事だよ。」・・・・だんだんタメ口。

「まさかぁ。だって彼らの考えのせいで、どれだけの人の人生が狂って、そして終わってしまったのか。そんな事が正義であるわけないんじゃないの。」

「馬鹿だな。」

「うむ・・・。・・・。あっ、こういう話はさ、ここで思い切り話すのは良いとしてもだね、いろいろな人がいろいろな考え方をするんだって思わなきゃダメよ。外国人がたくさんいるような所で、大きな声でそれを話題にして『バカだ』なんて事を言ってはダメって言う意味で、つまりそれが危機管理能力ってやつで・・・・。」

「分かってる。場所をわきまえろって事だよね。」と少年。

いまどきの子供はお利口さんなのでした。

 

こんな話をしている間、開け放された窓からはずっとヘリコプター音が途切れることなく聞こえていました。

今度の台風がもたらした被災地は、本当に空のレベルで言ったら、ここから近い場所なのです。

「避難勧告」は私の地域の周辺にも多数出ていました。場所によってはピンポイントで「指示」さえも。

とても他人事とは思えず胸が痛いです。

そして更に今日はその被害が宮城の方まで・・・・・。

そのヘリコプター音は昨日の夕方、雨が上がってから本当に絶え間なく聞こえ、そしてその音は今も聞こえているのです。

 

私などはすぐに報道ヘリかなどと思ってしまったりもするのですが、少年は

「あれを運んだり、これを運んだり。そう言えば昨日はこんなのも見たよ。」と翼のある小型飛行機の絵を描いてくれました。

「君はずっと空を見上げていたの。」

「うん。結構、かなり。だって気になって。」

「なんだか有り難いよね。心強いよね。」と私が言うと

「うん。」と彼は大きく頷いたのでした。

 

 

昨年の記事の中で、14年前に

>正義のためなら多少の犠牲も仕方がないと言った知人に、裏付けが取れていない報復に何が正義だと声を荒らげて反論し

その知人に、最大マックスの嫌味で

>「大丈夫よ。男女平等の世の中になったのですから、次に戦争が起きたら女の子もちゃんと戦争に行けるから。」

もちろん彼女は女の子のお母さんだったのです。

と、言った私。

 

でも男の子も女の子も関係がありません。絶対に誰の子供たちであっても戦争なんかには行かせない―心の真ん中にそう思う火を灯し続ける事が大事な事だと、私は思っているのです。

 

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すべての人に愛されるなんて無理な事なんだ

2015-09-10 15:57:51 | 思いつくまま

なんだか非常に唐突感がマックスと言う感じが否めませんが、これはある方に聞いて欲しいおしゃべりかもしれません。

ワタクシ、少々前に「微笑みがえし」と言う記事を書いた時に「微笑がえし」なのか「微笑みがえし」なのか不安になりちょっと検索したのです。と書いたら、ある方って誰なのかご存知の方にはバレバレですね。

と言ってもですね、いや、さっぱり分からないと言う方のほうが多いと思うのですが。

しかも読まれない確率が、私の場合非常に高いと思うのです。

だから、公開メッセージと言うわけでもありません。〈これもまた、ニヤリ^^〉

 

だからあくまでも私のおしゃべり&エールです。

 

ブログって、時には見えない誰かのために、その書いたものが役に立つ場合もあり読んだ人を楽しませている場合もありますが、一番のブログのお仕事は、書き手の自己表現だったり自己主張の場だったり、脳内整理だったり備忘録だったり、主に自分の為なんですよね。

それに交流を目的にしている場合は少々違いますが、そうじゃない場合は日記ブログを読みに行くと言うのは、その人の私小説を読みに行くようなものなのだと思います。

もの凄く共鳴する場合もありますが、「へえ」とか「ふーん」とかそんな程度の時もあるでしょう。

たいして面白くもないなって思う時も、実はありますよ。でもそれでも更新されれば読みに行ってしまうのは、引き付ける力があるのですよね。

素晴らしいと思います。

そんなブログが誰かともめてるのかなと感じたら、またまた俄然面白く感じちゃったりした人もいたのでは。

 

「えっ?」って思うかもしれませんが、そんなものですよ。

だって私小説を読んでいる感覚なら、そう言うのもありなんですよね。

コメント欄を完全に閉じると、こういう感覚が強くなってしまいそうで、少し怖い所があるのかなって私思いました。

自分には合わないなって思ったら、そっと黙って離れてくれればいいのだけれど、なんたって引き付ける能力が大きいものだから、いろいろあるわけなんですよね。〈あっ、なんだか具体的になってしまいました('◇')ゞ

 

で、タイトルの「すべての人に愛されるなんて無理な事なんだ」と言う言葉に繋がってくるのですよ。

 

気にせず、ご自身の「大好き」を守ってください。

と、書くのは簡単だけれど、本当はね、心も身のうちにあるものだから、いったん傷つくと見えない血も噴き出すってものですよね。

ゆるゆると心に癒しの塗り薬を塗りながら復活したらいいのになって思います。

 

「してほしい」と書かないのは、読者登録したのがつい最近なんです。だからです。

でも多くの人が訪れていたわけで、凄いなって思っていたんです。

私も前に大好きだったブログが、やっぱりコメントで攻撃されたかで閉じてしまったことがあって本当に寂しかったんです。

去って行ってしまった人は残されてしまった人の寂しさまでは気が付かないことが多いと思うのですが、本当に寂しいものですよ。

 

あっ、そうそう。

うちのブログのコメント欄は「非公開で」と書いてくれたら、公開しません。

内緒話に最適です(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「蜘蛛が来た」と言う記事で

2015-09-08 10:03:53 | 梢は歌う(日記)

思いがけない話の中で、過去のある出来事の大変さや想いなどが、分かってもらえたりそれに対して褒められたりすることってあると思います。

 

先日、姉の夫と共に姉妹と母とで出掛ける機会がありました。

その時の賑やかな車内での会話。

母が自分の歴史を語っていたのでしょうか。そこの所はすでに記憶喪失。

ただ母はこう言いました。

「花ちゃん〈一応、私の事〉が生まれて、それから半年後に今のところで家を買ったのよ。」

普通ならば24歳で家を買った母に称賛の声が溢れてもおかしくない展開です。でも我が家の場合はそうはならないのです。

 

「もちろん、今ある場所にあった家と言う意味で、その家はとっくにないイメージかも知れないけれど、実は私が結婚するまで住んでいたあの家がそうなのよ。」と私。

「えっ、だってなんか『出たー』と言ういわく付きだったって家でしょう。」と妹たち。

「そうそう。」と母。でも話は私たち姉妹のペースで母に口を挟める余地はすでになし。

 

今はもう無いその家にも歴史があって、私たち家族が住んだ後、父は庭を潰してもう一軒家を建て、その同じ敷地内の古い家は長い間借家として貸していたのでした。

だけれど私たちは四人姉妹。

今思えばと言うより、その時も随分わがままな話だと思っていたのですが、姉が6畳の部屋を二人で使うことを嫌い〈年が微妙に離れていたもので組み合わせが上手くいかなかったと言うのが原因だったのかもしれません。年頃の姉と私の二人では本と服で部屋は溢れかえり、確かに狭かったのです。〉、たまたま借家が空いたタイミングで、その家に二人で住むことになったのです。

私の了解もナシに・・・・・・・!

 

本当の事を言うと、その家はすでに古い相当のあばら家でしたが、姉と二人で暮らすには充分な広さで、古いながらも好き勝手に装飾も出来、実はかなりの快適ライフで楽しい想い出もいっぱいです。でもこういう話の流れでは、そこは言わないのがお約束。

「よくそんな家に住んで平気だったね。」

ずっとよそ様にお貸ししているくらいなのですから、平気に決まっています。

でもやはりそれも言わないで

「平気じゃないわよ。大変よ。だってしょっちゅう金縛りよ。それで良い歳をした娘がね、真夜中に枕を持って

『お姉ちゃん、怖い夢見ちゃった~。一緒に寝て~。』なんて事が日常茶飯事よ。」なんて情けない事を言う私。だけれどこの話は本当です。私の中では金縛り対処法マニュアル的なものがあったくらいです。

 

私は今では脳が覚醒しているのに肉体は睡眠状態の時に、それが起きるのだと言う説を支持しています。

だけどあれ、体は動かないし声は一言も出ないし、やけに眩しいし、誰かに体の上から押されているような感じがするし、時には冷たい手が顔や手に触れるような気がするので、かなり怖いのですよね。

 

「ほんとう~、まじで~。」と笑う妹たち。

「だけれどね、本当の恐怖はその先よ。だって、人の事を勝手にその家に引っ張っていっちゃったくせにね、結婚しちゃったんだからね、お姉ちゃんは。そして私はその家に2年も一人で住んでいたわけよ。もう怖い夢を見てもひとりで布団にもぐってブルブルよ。」

「・・・・・・・ !」

「花ちゃん!大変だったんだね。頑張ってたんだね。」

 

・・・・・と、言うわけで、何十年も前のワタクシの密かな苦労が、みなに分かってもらえたと言うわけなのです。

 

ところでリアルタイム解析もそうですが解析で良い所はいくつもあると思うのですが、その中で私が一番気に入っている点は、ふと私のブログに立ち寄った方が、過去に自分が書いた記事に再び私をめぐり合わせてくれるところなのです。

先日「真夜中に蜘蛛が出た」と言う検索で、私の「蜘蛛が来た」と言う記事にいらした方がいらっしゃいました。

どのような状況でこの検索を掛けたのか、そちらの方もかなり気になる所ですがそこだけは分かりようもない事です。

真夜中に蜘蛛の赤ちゃんがゾロゾロとかの対処法とかでしたら全く役には立たない記事ですが、読み直してみると、上に書いたような「出たー」と言う家が建っていた敷地内の家で育った私たちの、いかにも我が家らしい出来事。

 

元家族6人で出掛けた奈良旅行の前日深夜のお話だったと思います。

― あの男が役に立ったことなど・・・・

と、「あの男」呼ばわりされていた優しかった父は、もう今生の人ではなく、6人揃って出かけたのは、あれが最後だったのかとまたもしみじみと思いました。

 

面白おかしくその記事を読みながら、私はくすくすと笑いました。

そして最後に思い切り切なくなって瞼を濡らしたのでした。

その「蜘蛛が来た」は→こちらです

 

 

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東京散歩〈東京駅周辺〉

2015-09-06 13:24:49 | お散歩&写真日記

昨日、9月5日に

 このような所に行ったので、ついでに東京散歩をしてきました。

 

トップ画像は、三菱一号館美術館。

これは明治時代に日本初に建てられたオフィスビル、三菱一号館の同社による再建レプリカです。

三菱一号館は昭和43年〈1968年〉に一度解体されたのですが、平成21年〈2009年〉にややずれた位置に同社によって復元されたのでした。

その一号館建築に大きく携わったのが暁斎の弟子にもなった建築家ジョサイア・コンドルで、その彼の作品がその美術館で暁斎の作品と共に展示されたのかと思うと、感慨深いものがあります。

 

「新」と「旧」

東京はただ歩き、観光するのにもふさわしい美しい街だと、私は思います。

 

 

 

 

前回行った時には月曜日でお休みだった「KITTE」内博物館、再チャレンジ・・・・・・

と思ったら・・・・・・

展示物整理だとかで七日までオヤスミだって・・・・・・(/_;)

 

でも東京駅で降り立った時には、「KITTE」制覇を目指そうかなって、ちょっとだけ思ってます。

で、今回ランチは「と」の付く名前のお店の普通のしょうが焼きランチ。

ここの昼食ランチメニューがパッと見、見づらい。しかも店内バタバタ。私はおひとりさまだし、なんだか時間を掛けてはいけないような気持ちになって、深く考える暇もなく注文してしまいました。なんかこのお店でしか食べる事が出来ないようなものが良かったかな~と言う気持ちにもなってしまいました。

それから一人と言ったら、カウンターでもと言うので仕方がないかと座ったんだけれど、荷物を入れる台もないし。

振り向いたら奥の方に狭い二人席が空いていたんです。〈この後もずっと空いていました。〉

 

この店内のバタバタ感は、接客マンが良くお客を見きれてないからかもなって、ちょっとだけ思いました。

私のようなチビな人にこの高いカウンター席は、それだけで食事がまずくなるってものよ。〈今、ちょっくら足にも問題があるので〉

 

ここまで読んで、もしもお店関係の方の目に止まり気分を害することがあったならば「アンケート」と思ってください。

でもね、

カウンターから見た調理場の中は面白かったのです。

あくまでも私の主観だけれど、中の方々、ドラマ的な配役の個性の持ち主。元イケメン風おやじとかいろいろ・・・・。

そしてね、このフツーのしょうが焼きが

 

実は絶品だったのです。ごはんも美味しかった !

 

 

東京駅では美術館やステーションホテルに入らなくても、その歴史を感じる事が出来る場所があります。

丸の内南出口側に行くと・・・

 

 

 

 

東京駅構内でおやつを買って帰るのも好きです。

今回は「ヒルナンデス」に取り上げられたと言う、コレ。

 

あんまり甘すぎない所が美味しかったかも。

 

押してくださると嬉しいなと、近頃思っている私です。

「読んだよ」と言う軽いお気持ちでお願いいたします。

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画鬼・暁斎―KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル

2015-09-05 18:31:42 | お出掛け日記

先日「芸術新潮9月号」をネットで買い求めた際に、どうしても欲しくなって買い求めたそれの7月号。

芸術新潮 2015年 07 月号 [雑誌]
新潮社
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そして、またその雑誌を手に取ってしげしげと眺めていたら、これまたどうしても本物を見に行きたくなって、今日、いそいそと三菱地所を見に行ってきました・…じゃなくて、三菱一号館美術館に行ってきました。

本日、ブログは二回目の更新ですが、それと言うのも、このイベントは実は明日の六日まで。

この記事を見て、

「あっ、じゃあ、私も〈俺も〉、ちょっと行っちゃおうかな。」と言う人もいるかもしれないので、一応そそくさと書いています。

 

「狂っていたのは、

俺か、

時代か ?」

カッコいいですよね、このコピー。

多彩な暁斎、すこぶる私好み。

 

でも結構展示が上品な感じでした。

上品の反対が下品かと言うと、もっとそれを求めているわけではないのですが、もっとはじけた見せ方をしてもらえたらなと若干思ったのは本音です。

それから上の「芸術新潮」を買っておいてよかったと言うのも本音。

前期後期の入れ替えがあったんですよね。

そのために見る事が出来なかった作品も多数あったからです。

 

でもね、それでも見応え十分でした。

もう疲れちゃった!!

で、いつもならくどくどと作品の感想を書くところですが、今回はそれはパスです。

 

買ってきた絵葉書です。

化け猫なのに可愛い。

 

千代紙のデザインも手掛けている暁斎。

額絵にしようと買い求めてきました。

 

展示コーナーでは、このような写真を撮れる場所もありました。

一人で行ったのに、ちゃっかし参加。「情けは人の為ならず作戦」ですよ。見知らぬ方と助け合ったのです。

 大きく伸ばしちゃだめですよ。暑いので髪も雑に縛ってるし、今はマックスデブなんだから。

このコーナーに、

「この絵は最後の展示室で見る事が出来ます。」的な注意事項が書いてありました。

でもその事をすっかり忘れて、最後の展示室を出てヘッドホンを返し、まさに外に出ようとした時に

「わっ、大変。見るべきものを見てないじゃん。」とギリギリセーフで思い出し、引き返したのです。

 

でも何処にあったの !?

私が見なかったものは、一番最後に人がいたから面倒になってスルーしてしまった小さな画集しかない。

見たらありました。

ええええ。

こんなに小さい作品だったのか・・・・・。

 

皆さんもお見逃しなくね。

 

出口にいた、弟子のコンドルさん。

 この方はこの方で素晴らしい。鹿鳴館やこの三菱美術館などをたくさん手がけた方なんですよ~。

暁斎とコンドルさんの物語を、私はドラマか何かで見たいなってちょっと思ってしまいました。

 

そして

  

これは「河鍋暁斎記念美術館」のパンフです。

いつか機会があれば行ってみたいなと思いました。

 

前の記事も良かったら読んでね。

「地球家族―世界30か国のふつうの暮らし」

 

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「地球家族―世界30か国のふつうの暮らし」

2015-09-05 02:08:09 | ユーモレスクを聴きながら(book)

ひとつ前の記事「「芸術新潮9月号」とSkyのCM」で

「ネットの窓からふらふらとお出掛けして、ツイッターを覗いたりブログを読んだりしていると、いろいろと素敵な情報を頂けることが多いと思います。」と書いたのですが、本に関しては、本当に皆さんのお薦めは役に立っています。

 

タイトルでも紹介したこの本も、お友達のブログで知りました。

お友達のブログは→ここです

〈内容、詳しいです。〉

 

 

地球家族―世界30か国のふつうの暮らし
近藤 真理,杉山 良男
TOTO出版

 

実はこの本のある1ページだけは、前から知っていたのです。

この本は分野的には写真集なのかも知れません。世界のあらゆる国の家族とその家族の持っている持ち物を家の前に並べて写真が取られているのです。

知っていたのは日本人家族のページです。

それは以前、整理収納の講座か何かを受けに行った時に〈なにげにそのような講座に参加しているのです ^^〉、講師の方が見せてくれたインパクトのある写真がまさにそれでした。

整理収納講座ですから、テーマもはっきりしていて、その写真から伝わって来てしまうのは持ち物の多さなんですね。

写真に撮られているのはいち家族ですが、感じるのはその家族にではなく日本人平均のモノの多さを感じてしまうのです。

すこぶる上手い使い方だと思います。

 

そしてその写真が、この本の1ページであることを、その本の紹介で私は知ったのでした。

 

もしも自分の子供たちがまだ学生であったならば、私はこの本を買ったと思います。

と言うのは、一応図書館でリクエストで借りたのですが、延長延長で一か月ぐらい借りてしまいました。

それは写真のみならず、読みだすと撮影者のその時の状況や感想が主観的に書かれていて、なかなか奥が深く読みごたえが十分あったからです。お友達が一家に一冊と言うのが分かります。

 

借りてきたこの本を、最初、家に来ている中学生と一緒に見たのです。

いまどきは「社会」と言う教科が嫌いな子供って多いと思うのです。辛うじて歴史はまあまあだけれど地理は嫌だとよく聞きます。それは、暗記事項が多すぎて嫌になってしまうかららしいのです。

でもこの写真への食いつき方って、「あれっ!?」っと言うちょっと驚くものがありました。

 

なぜなら世界各国の人々の、家族、持ち物、家・・・・・

すこぶる分かりやすくて比較しやすいのです。

美しい調度品に囲まれた家もあれば、普通の家の持ち物の中に豊かな芸術品がさりげなく置かれていたり、

また中には破壊された建物を背景に銃を構えた人と共に写されていたり、これだけしかないのかと言う持ち物の後ろに豊かな表情を浮かべた人々がいたり・・・・・・

「なぜこの人たちは、貧しいと思われるのに、このような豊かな表情をしているのだろう。」

「きっとこの人たちにとって、一番大切なものは家族だからじゃないかな。」などと二人で語り合いました。

 

そしてやはりこの中学生にとって一番衝撃的だったのは、銃を持つ人の傍に子供が普通にいて、そしてそこには普通に三輪車などがあると言う光景だったかもしれません。

また
「なんでこの国の人は、こんなにリッチなんだろう。」と言うので

「国の名前を見てごらん。」と言うと

「ああ、石油の国だよね、ここ。」と納得しました。

 

なんだか社会の勉強って、こういうことが大切なんじゃないのかなって、本当に思いました。

また整理収納講座ばかりでなく、普段の社会の授業などにも役立ててもらいたいものだと、ちょっと思ってしまいました。

 

家族のインタビューなどで印象深かったのは、貧しい国の父や母は、子供たちをこの現状から抜け出させるために、子供たちに教育を受けさせたいと願っている事でした。

でも学校は家から遠く、貧しさゆえに家族で支え合わなければならず、ゆえに子供と言えども雑務が多く、学校に行けたとしても数時間だけ。

本当は生活レベルの現状打破の手段としての教育と言うのは、日本でだって同じことが言えると思うのです。でも教育の二極化と言うけれど、親の意識も二極化してるのかもしれません。

私は「生活レベルの現状打破の手段としての教育」と言うふうには思えなくて、実は今頃、ちょっとだけ後悔しているところです。綺麗ごとを言っていないで、もっとガミガミ言った方が良かったなとか。

 

それでもこの本に載っている家族の写真を見ていると、やっぱり人が本当に求めているのは、銃など映画の中だけで十分だと思える「平和」とか、自由に学校に行けて身に着ける事が出来る「教養」とか、そして何も持っていないのに豊かな表情でいられる「愛」とか、目に見えず手にも取る事が出来ないけれど、そういったものなんじゃないかなと思ったのでした。

 

いつもありがとうございます。

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