森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

9月11日、金曜日。

2015-09-11 22:31:01 | 梢は歌う(日記)
 
9月11日、木曜日。
最近、自分の中の老いと向き合わなければならないこともあり、今日という日の朝のバタバタもあり、ためている書きたいドラマ記事もありで、さて何から書こうかと思ってツイッターのトレンドワー...
 

 上の囲みは、gooがメールに送ってくれるサービスで昨年9月11日に書いた記事です。

もしお時間があれば、そちらにもお立ち寄りくださると嬉しく思います。

 

自分の生きてきた人生の中で、風化させてはいけない過去の出来事。

その中の一つになってしまった、あの9.11。

 

〈家で細々と近所の子供がお勉強をするお手伝いをしています。〉

 

今日、家に来た小学生が言いました。その子は5年生で11歳でしょうか。

「あの飛行機を乗っ取った人達も死んだんでしょう?」

「そうよ。自分たちで操縦していたんだから、真っ先に死んだのよ。」

「・・・・・・・」

しばらくして、やはり少年は首を傾いで言いました。

「なぜ・・・?」

 

理解なんて出来るわけもありません。

 

「それが正義だと信じ込んでいたからよ。それは宗教の問題なんだけれどね、彼らはそれをやれば神の国に入れて、そして神に褒められると信じていたらしい。」と、私はテレビで見た知識を語ります。そして

「でも私は思うの。きっと彼らだって、その瞬間はものすごい恐怖を感じたはずよ。」

「でも信じていたんだったら、仕方がないか。」

「えっ? 仕方がないって何が !?」

「死んでもって事だよ。」・・・・だんだんタメ口。

「まさかぁ。だって彼らの考えのせいで、どれだけの人の人生が狂って、そして終わってしまったのか。そんな事が正義であるわけないんじゃないの。」

「馬鹿だな。」

「うむ・・・。・・・。あっ、こういう話はさ、ここで思い切り話すのは良いとしてもだね、いろいろな人がいろいろな考え方をするんだって思わなきゃダメよ。外国人がたくさんいるような所で、大きな声でそれを話題にして『バカだ』なんて事を言ってはダメって言う意味で、つまりそれが危機管理能力ってやつで・・・・。」

「分かってる。場所をわきまえろって事だよね。」と少年。

いまどきの子供はお利口さんなのでした。

 

こんな話をしている間、開け放された窓からはずっとヘリコプター音が途切れることなく聞こえていました。

今度の台風がもたらした被災地は、本当に空のレベルで言ったら、ここから近い場所なのです。

「避難勧告」は私の地域の周辺にも多数出ていました。場所によってはピンポイントで「指示」さえも。

とても他人事とは思えず胸が痛いです。

そして更に今日はその被害が宮城の方まで・・・・・。

そのヘリコプター音は昨日の夕方、雨が上がってから本当に絶え間なく聞こえ、そしてその音は今も聞こえているのです。

 

私などはすぐに報道ヘリかなどと思ってしまったりもするのですが、少年は

「あれを運んだり、これを運んだり。そう言えば昨日はこんなのも見たよ。」と翼のある小型飛行機の絵を描いてくれました。

「君はずっと空を見上げていたの。」

「うん。結構、かなり。だって気になって。」

「なんだか有り難いよね。心強いよね。」と私が言うと

「うん。」と彼は大きく頷いたのでした。

 

 

昨年の記事の中で、14年前に

>正義のためなら多少の犠牲も仕方がないと言った知人に、裏付けが取れていない報復に何が正義だと声を荒らげて反論し

その知人に、最大マックスの嫌味で

>「大丈夫よ。男女平等の世の中になったのですから、次に戦争が起きたら女の子もちゃんと戦争に行けるから。」

もちろん彼女は女の子のお母さんだったのです。

と、言った私。

 

でも男の子も女の子も関係がありません。絶対に誰の子供たちであっても戦争なんかには行かせない―心の真ん中にそう思う火を灯し続ける事が大事な事だと、私は思っているのです。

 

共鳴できると思われたら押してくださると嬉しく思います。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする