「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

幼保一元化(3) 認定子ども園 誕生に、至るまで

2007-07-02 18:28:21 | 教育
幼保一元化 (まま) 2007-07-02 15:19:14

すみません、初歩的な質問をさせていただきます。幼保一元化は知っているのですが、元々これはどういう理由から生まれたものなのでしょうか? ひとつには子育て支援課と教育委員会を一緒にするという意味から出ているものと理解しているのですが。
**********************

ということで、幼保一元化の流れの経過をまとめておきます。
(新宿区の教育委員会事務局
幼保連携・子ども園等推進担当のホームページより改編)

これまでは、
保育所:保護者の就労等の事情により家庭で養育できない子を保育する施設、
幼稚園:満3歳以上の就学前の子に対し教育を行う施設
ということで、保育所と幼稚園は、その位置付けが区別されてきました。

しかし近年、保護者の就労の有無で利用する施設が限定されてしまうことや、子育てについて不安を感じている保護者への支援が不足していることなどの問題から、既存の保育所と幼稚園の枠組みを超えた新たな仕組みが求められ、生まれたのが幼保一元化の施設:認定こども園です。

流れとしては、

平成15年6月に、「小学校就学前の幼児教育と保育を一体として捉えた一貫した総合施設の設置を可能とするよう、平成18年度までに検討する」ことが閣議決定されました。

平成16年12月には、中央教育審議会幼児教育部会と社会保障審議会児童部会の合同の検討会議で、小学校就学前の子どもに適切な保育、教育の機会を提供するとともに、地域の子育て家庭の支援を行うことを目的とした総合施設のあり方について、最終的な審議のまとめが取りまとめられました。

その後の全国35ヵ所の総合施設モデル事業の実施、評価を受け、

平成18年3月には、「就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律案」(いわゆる「認定子ども園に関する法律」案)が国会に提出され、衆議院及び参議院の審議を経て、6月9日に可決成立し、6月15日付けで公布されました。

これに伴い、認定こども園制度は、平成18年10月1日から施行されることとなりました。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幼保一元化(2) 問題の核心

2007-07-02 12:47:54 | 教育
ジュンさん。とても大切なご指摘ありがとうございます。

****ジュンさん 2007-07-02 11:55:26******

ちょっとはずれますが、小学校に入ったら、幼稚園上がりの子はみんな読み書きできるのに保育園の子はできないと聞いて驚きました。幼稚園は教育をするところ、保育園は子供を預かるところという基本コンセプトがあるのでしょうか。保育園に通う子供を持つ者としては、スタートから遅れるのはかわいそうだな、とちょっと思いました。このあたりは特にissueとして上がってないのでしょうか。

*************************

問題の核心は、ジュンさんのおっしゃるところにあります。
今回、定例会での一般質問での議論ではありませんでした。
次回、9月の第3回定例会では、会派友愛中央で私が一般質問に
立つ番でございますので、高橋区議の問題提起を
うまく引き継ぎ、“本当の幼保一元化”がここ中央区で
実現できるよう進めていきます。


結局、ジュンさんご指摘の、幼稚園で学ぶことができて、保育園で学ぶことができないということがあっては、絶対ならないと思います。

中央区の乳児、幼児は、小学校にあがるまでに、
みんな等しく、充実した教育を、
“本当の幼保一元化”した施設で
受けることが出来る。
親は、仕事と子育ての両立が可能になる。


そのことを、目指さなくてはなりません。
“本当の幼保一元化”の実現。
ここ中央区から。
子育て支援の大きな改革です。



コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハンナ・アレント(2) 人間の条件とは、

2007-07-02 12:25:03 | シチズンシップ教育
ハンナ・アレント『人間の条件』
(アメリカで最初に刊行1958年、志水速雄氏訳1973年)に
取り組んでいる。
現在、524ページ中の、221ページであり、
すべて読んでの理解でないが、メモしておきたい。

あくまで、小坂のいたらぬ解釈である。

1)ハンナ・アレントのいう“人間の条件”とは、
『苦痛』と『努力』である。(179ページ)
これがあって、自らの体自体を感じ取っている。
自覚できるのである。
もし、『苦痛』と『努力』がなければ、
「神々の安楽な生活」となって、
むしろ生なき生活になってしまうのである。

生命の二重の労働ということで、
生命を維持する『努力』と、
生産の『苦痛』と、
アレントはいっている。


2)ハンナ・アレントのいう“自由”とは、
 引用“人間は、自分が必然(必要)に従属しているということを知らない時、自由ではありえないからである。というのは、人間の自由とは、常に、自分を必然(必要)から解放しようという、けっして成功することのない企ての中で獲得されるものだからである。”(181ページ)


 何かに拘束されていて、初めて自由を感じることが出来る。拘束されるものがあっての自由。おかしな話だけど、でも、拘束が0の状態が、本当の100%自由なのだけど、それが達成されることは、すなわち、自由を感じることができなくなるので、自由ではなくなるのである。
 私は今、議会や診療で時間的に拘束される。この拘束があるから、その拘束から解き放たれて休日に子ども達と遊ぶことの自由が、価値ある自由に感じるのであろう。結構今、私は、拘束ゆえに自由を感じることが出来ているので、納得。



3)ハンナ・アレントによるマルクスの解釈
*マルクスの労働哲学は、
人類全体の生命過程の歴史的発展をとく理論。
「歴史のダーウィン」(エンゲルスがそう呼んだ)

*マルクスは、人間を<労働する動物>と定義づけた。

*マルクスは、
労働と生殖は、繁殖力をもつ同一の生命過程の
二つの様式であると理解し、
それを自分の理論全体の基礎とした。

*マルクスの基本的な矛盾
引用“労働は、「自然によって押し付けられた永遠の必要」であり、人間の活動力の中で最も人間的で生産的である一方、革命は、マルクスによれば、労働者階級を解放することではなく、むしろ、人間を労働から解放することを課題にしている。つまり、労働が廃止されるときのみ、「自由の王国」が「必然の王国」に取って代わるのである。”

ここに、アレントは、マルクスの矛盾を見出している。

引用“人間を<労働する動物>と定義づけて置きながら、ついで、労働というマルクスによれば最も人間的で代々の力をもはや必要としない社会に、ほかならぬ<労働する動物>である人間を導いているということである。”

生産的な奴隷状態か非生産的な自由かという悲惨な二者択一をマルクスは迫ってきていると、アレントはいう。

結局、労働が人間の本質と言って置きながら、
人間を労働から解放することをマルクスは課題にした。
労働を人間からとると、後に残るのは、さて何であろうか。

4)仕事と労働
皆さんは、仕事と労働の違いを考えたことがあるでしょうか?
私は、仕事と労働の違いを見出すことは、有意義であると考える。

引用“仕事は、その対象物が完成し、物の共通世界に付け加えられるばかりになったとき終わるのであるが、これと違って労働は、常に同じ円環に沿って動くのであり、その円環は生ある有機体の生物学的過程によって定められ、この有機体が死んだときはじめてその「労苦と困難」は終わる”(154ページ)

労働と消費は強く関連し、
引用“労働が生産するものは、すべて、人間の生命過程の中でほとんど即座に消費されるためのものであり、この消費は、生命過程を再生しつつ、肉体をされに維持するのに必要な新しい「労働力」を生産ーむしろ再生産ーする。”(154ページ)

「生存の必要」は労働と消費の双方を支配している。

引用“労働と消費は、物質をとらえ、解体し、貪り食う過程であり、素材に対して労働が行う「仕事」とは、物質を最終的に解体するための準備にほかならない。”

労働が、消費と強く関連するとともに、
もう一つの課題は、労働は、単調な雑事を日々繰り返さなければならない、情け容赦なく反復しなければならないということ。

アレントのいう仕事とはなにか。
画家が絵の作品をつくりあげることや、
彫刻家が、彫刻の作品をつくりあげることである。
つくられたものには、永続性、安定性、耐久性がある。

大量生産が求められる現代、
仕事人を労働者に代え、専門家を労働の分業に置き換えることが起こっている。

私は、アレントの仕事と労働の概念をきちんとわかったわけではないが、
消費との関連でみると、仕事と労働の違いがみれるのではないかと思う。
すぐに消費されてしまうものは、労働である。消費から遠いものが仕事である。
世の中、そんなに「仕事」が見当たらない。
消費者社会の中では、それは労働者社会の中にいる生きているということと同じである。労働ばかりが目に付く。



だから、どうすればよいのか?
私は、ハンナ・アレントの迷宮に迷い込んでしまった。

もっと、「仕事」というものを、
現代人にやれというのだろうか?

残りの章に、回答があるのだろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする