昨年(2006年)ノーベル平和賞を受賞したバングラディッシュのムハマド・ユヌス氏(グラミン銀行総裁)。
本日7/9、ユヌス氏の講演を聴講する機会を得た。
ユヌス氏は、「マイクロクレジット」という小額の無担保融資により、貧しい人々の経済的自立を促す事業を行う「貧者の銀行」を創設し、世界から賞賛を集めている。
氏が目指すのは貧困の撲滅で、「2015年までに世界の貧困人口を半減させる」ことを掲げて活動し、「貧困なき世界をめざす銀行家」と呼ばれている。
1940年英国統治下のインド東端部チッタゴン生まれ。大変裕福な家庭だったらしい。ダッカ大学卒業後、フルブライト留学生として渡米。69年米ヴァンダービルト大で経済博士号を取得。バングラディッシュ独立後の72年に帰国し、チッタゴン大学の経済学部長に就任。
飢饉に見舞われた農村部の貧困層の救済を志して70年代後半に教職を辞し、「マイクロクレジット」という少額無担保融資事業を開始。
経済という理論を教える一方で、飢餓で人が死ぬのを真の当たりにし、「人を助けたい」という気持ちが、行動に移したという。村では、高利貸しの問題があり、調査すると42人が72ドルを借りていた。72ドルは、自分の能力を超えた問題ではないと、自分で72ドルを出し、村の人を高利貸しから解放。同じ手法で、銀行からお金を借りて、もっと多くの村の貧しい人に貸すようにすればよいと発想。しかし、貧しい人には、銀行は貸せないと。そこで、ユヌス氏自身が保証人になるということで、やっと借りることができた。
他の村も同様に救って行きたいと思うのだが、銀行の考えは、豊かな人でもお金返済を滞るのに、貧しい人はなおさら無理だと考える。それなら自分で銀行をつくり、貧しい人に融資しようと考える。法律を変えるなど苦労した後、銀行をつくる。83年に事業を組織化して「グラミン銀行」を創設した。当初、女性の比率は1%も満たなかった。しかし、女性は、お金を借りると、その効果は子どもにも好影響が出た。女性は、やりくりの努力をすることで、少ない額でも最大限の効果を出すことにユヌス氏は着目。今や1500万人中、700万人に融資し、97%が女性。貧困層を対象とした住宅融資とともに、携帯電話など事業を拡大している。
融資は、信頼をベースに行う。融資にあたっては、生活を変える方法を話しあい、解決策の見えたものに融資している。99%返済しているという。
貧困撲滅を巡る功績が認めれられ、84年に「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞、06年グラミン銀行とともにノーベル平和賞を受賞。
ユヌス氏は言う。
①貧困を生み出すのはなにか。それは、統治のシステムがわるいから、政策が悪いから生じる。
②ビジネスには、二つの概念がある。「儲ける、利益を最大化する」というものと、もうひとつ、ソーシャルビジネス、すなわち、「社会の問題を解決する」というビジネス。「社会目標の達成を目指す」のである。それは、政府の仕事というのではなく、民間の力で行うところに創意工夫が生じるのである。
この社会目標を達成するビジネス専門の株式市場があってもよいという。投資家は、社会目標を達成することを指標に投資する。よりよいことを、どうやるか、それが、インデックスとなり、投資判断に使われるのである。
③ODAを政府間で出し合うのではなく、相手方の民間NGOなどにも出すような多様なプログラムがあればよい。
法の縛りがあるかもしれない。しかし、ODAの目標をまず明確にもつ。その目標達成のために、法律は変えていくべきものである。
講演を拝聴し、学ぶべきものが多く、ユヌス氏の行動は、私自身非常に勇気付けられた。
おそらく、近日中に、講演会主催の日経新聞で、今回の講演会は、特集されると思うので、御覧あれ。
本日7/9、ユヌス氏の講演を聴講する機会を得た。
ユヌス氏は、「マイクロクレジット」という小額の無担保融資により、貧しい人々の経済的自立を促す事業を行う「貧者の銀行」を創設し、世界から賞賛を集めている。
氏が目指すのは貧困の撲滅で、「2015年までに世界の貧困人口を半減させる」ことを掲げて活動し、「貧困なき世界をめざす銀行家」と呼ばれている。
1940年英国統治下のインド東端部チッタゴン生まれ。大変裕福な家庭だったらしい。ダッカ大学卒業後、フルブライト留学生として渡米。69年米ヴァンダービルト大で経済博士号を取得。バングラディッシュ独立後の72年に帰国し、チッタゴン大学の経済学部長に就任。
飢饉に見舞われた農村部の貧困層の救済を志して70年代後半に教職を辞し、「マイクロクレジット」という少額無担保融資事業を開始。
経済という理論を教える一方で、飢餓で人が死ぬのを真の当たりにし、「人を助けたい」という気持ちが、行動に移したという。村では、高利貸しの問題があり、調査すると42人が72ドルを借りていた。72ドルは、自分の能力を超えた問題ではないと、自分で72ドルを出し、村の人を高利貸しから解放。同じ手法で、銀行からお金を借りて、もっと多くの村の貧しい人に貸すようにすればよいと発想。しかし、貧しい人には、銀行は貸せないと。そこで、ユヌス氏自身が保証人になるということで、やっと借りることができた。
他の村も同様に救って行きたいと思うのだが、銀行の考えは、豊かな人でもお金返済を滞るのに、貧しい人はなおさら無理だと考える。それなら自分で銀行をつくり、貧しい人に融資しようと考える。法律を変えるなど苦労した後、銀行をつくる。83年に事業を組織化して「グラミン銀行」を創設した。当初、女性の比率は1%も満たなかった。しかし、女性は、お金を借りると、その効果は子どもにも好影響が出た。女性は、やりくりの努力をすることで、少ない額でも最大限の効果を出すことにユヌス氏は着目。今や1500万人中、700万人に融資し、97%が女性。貧困層を対象とした住宅融資とともに、携帯電話など事業を拡大している。
融資は、信頼をベースに行う。融資にあたっては、生活を変える方法を話しあい、解決策の見えたものに融資している。99%返済しているという。
貧困撲滅を巡る功績が認めれられ、84年に「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞、06年グラミン銀行とともにノーベル平和賞を受賞。
ユヌス氏は言う。
①貧困を生み出すのはなにか。それは、統治のシステムがわるいから、政策が悪いから生じる。
②ビジネスには、二つの概念がある。「儲ける、利益を最大化する」というものと、もうひとつ、ソーシャルビジネス、すなわち、「社会の問題を解決する」というビジネス。「社会目標の達成を目指す」のである。それは、政府の仕事というのではなく、民間の力で行うところに創意工夫が生じるのである。
この社会目標を達成するビジネス専門の株式市場があってもよいという。投資家は、社会目標を達成することを指標に投資する。よりよいことを、どうやるか、それが、インデックスとなり、投資判断に使われるのである。
③ODAを政府間で出し合うのではなく、相手方の民間NGOなどにも出すような多様なプログラムがあればよい。
法の縛りがあるかもしれない。しかし、ODAの目標をまず明確にもつ。その目標達成のために、法律は変えていくべきものである。
講演を拝聴し、学ぶべきものが多く、ユヌス氏の行動は、私自身非常に勇気付けられた。
おそらく、近日中に、講演会主催の日経新聞で、今回の講演会は、特集されると思うので、御覧あれ。