この連休7/15・16、ハンナ・アレント『人間の条件』(志水速雄訳)と格闘した。
なぜ、読むのか。
坪井ゼミの課題本であるから。
早稲田大学国際政治学坪井善明教授が、
月に一度程度で開いてくださるゼミ。
この本を、二千字でまとめなくてはならない。
坪井教授が薦めなければ、一生読まなかった。
ハンナ・アレントとの出会いを作ってくださった坪井教授には、
今回もまた、感謝しなくてはならない。
読んでみたが、95%以上、意味が判らないページが、何ページと続き、
むなしかった。
判らないが、読むのと、
全然読まないのと、そんなに大差ないのではないかとも、
思ったが、
開き直って、読み進めた。
私の、読み方は遅い。
文字を、頭の中で、声を出して読む。
読むのが早い人は、
きっと、文字が、目から脳にうつると、
自動的に、意味まで入ってくる人を言うのであろう。
私は、目に入った文字を、一度、
音に変換して、脳に、その意味を問うので、
時間が大変かかる。
文字を読むスピード以上には、
早く読めない。
さて、そうはいいつつ、『人間の条件』の524ページまで、
やっとたどり着いた。
最後の最後の文章まで、人を煙にまいて、終わっているから、たちが悪い。
“.......の経験をしている人なら、カトーの次のような言葉が、いかに正しかったか判るであろう。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない」。”
訳者解説をその後読むと、
「一般にアレントの本は、難解だといわれる」と書いていて、
少し安心した。
私だけではなかったのである。
難解な理由は、
①複文が重なり合って、長い。
②用いる用語に、彼女自身の特殊な意味を含ませている。
③彼女の思想は、ラディカルである。
そのように、志水氏は分析していた。
読んだ内容については、後述するとして、
感想は、
①大学時代、もう少し、哲学を勉強すべきであったということ。
今後、これに反省して、哲学を勉強する機会を見つけて行きたい。
あわせて、宗教学も勉強したいと思っている。
②アンナ・ハレントのように、深く深く分析することができるか。
今や、パソコンを開けば、すぐに、情報は得られる。
解答は、すぐに得られるのである。
私たちは、その半面、考えなくなっているのではないだろうか。
決して情報がたやすく得られる状況ではない1950年後半、
本書は書かれているが、その内容は多岐にわたり、かつ、
考察が深い。
あまりにも考えないでいると、アレントのような深く考える人は、
現代にいなくなるのではないかと、危惧する。
とりあえず、本日は、ここまで。
なぜ、読むのか。
坪井ゼミの課題本であるから。
早稲田大学国際政治学坪井善明教授が、
月に一度程度で開いてくださるゼミ。
この本を、二千字でまとめなくてはならない。
坪井教授が薦めなければ、一生読まなかった。
ハンナ・アレントとの出会いを作ってくださった坪井教授には、
今回もまた、感謝しなくてはならない。
読んでみたが、95%以上、意味が判らないページが、何ページと続き、
むなしかった。
判らないが、読むのと、
全然読まないのと、そんなに大差ないのではないかとも、
思ったが、
開き直って、読み進めた。
私の、読み方は遅い。
文字を、頭の中で、声を出して読む。
読むのが早い人は、
きっと、文字が、目から脳にうつると、
自動的に、意味まで入ってくる人を言うのであろう。
私は、目に入った文字を、一度、
音に変換して、脳に、その意味を問うので、
時間が大変かかる。
文字を読むスピード以上には、
早く読めない。
さて、そうはいいつつ、『人間の条件』の524ページまで、
やっとたどり着いた。
最後の最後の文章まで、人を煙にまいて、終わっているから、たちが悪い。
“.......の経験をしている人なら、カトーの次のような言葉が、いかに正しかったか判るであろう。「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない」。”
訳者解説をその後読むと、
「一般にアレントの本は、難解だといわれる」と書いていて、
少し安心した。
私だけではなかったのである。
難解な理由は、
①複文が重なり合って、長い。
②用いる用語に、彼女自身の特殊な意味を含ませている。
③彼女の思想は、ラディカルである。
そのように、志水氏は分析していた。
読んだ内容については、後述するとして、
感想は、
①大学時代、もう少し、哲学を勉強すべきであったということ。
今後、これに反省して、哲学を勉強する機会を見つけて行きたい。
あわせて、宗教学も勉強したいと思っている。
②アンナ・ハレントのように、深く深く分析することができるか。
今や、パソコンを開けば、すぐに、情報は得られる。
解答は、すぐに得られるのである。
私たちは、その半面、考えなくなっているのではないだろうか。
決して情報がたやすく得られる状況ではない1950年後半、
本書は書かれているが、その内容は多岐にわたり、かつ、
考察が深い。
あまりにも考えないでいると、アレントのような深く考える人は、
現代にいなくなるのではないかと、危惧する。
とりあえず、本日は、ここまで。