「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

感染を制御しつつ、子ども達の学び・育ちの環境づくりをして行きましょう!病児保育も鋭意実施中。子ども達に健康への気づきを。

祝 泰明小学校130周年、泰明幼稚園55周年

2008-11-22 15:02:28 | 教育
本日11/22、泰明小学校130周年、泰明幼稚園55周年の
記念式典が開催されました。

校長先生のあいさつから始まり

君が代斉唱
区長のあいさつ
教育委員長のあいさつ
区議会議長のあいさつ
PTA会長あいさつ
PTA同窓会会長あいさつ
同窓会会長は、82歳の方でした。

校歌斉唱
小学生による喜びの声
スライドによる1年間の行事
泰明小校舎の建築歴史(明治 赤レンガ 大正 木造 昭和 鉄筋)
4年生による泰明ソーラン節
5年生合唱
6年生合唱
金管バンド演奏 (涙そうそう 上をむいて歩こう)

校歌

一 学びの業にいそしみて
  人は心をみがくべし
  思えば暗きやみに照る
  みそらの星は
  われらの鑑

二 世に立つ道を学び得て
  人はたゆまずつとむべし
  思えば夜ごと夜を守る
  みそらの星は、われらの鑑


校長先生のお話は、泰明小学校の歴史からでした。
突然、1枚の写真を掲げられました。
その写真は、関東大震災あとの泰明小学校でした。
門には、緊急連絡先や校長先生の自宅の電話番号の張り紙が貼ってあり、
消滅した校舎を見ながら、正門を背に1人の子どもが泣いている写真でした。
そんな、住む家・着る物・食料さえ失った危機的状況から復興し、
木造の校舎ができて、16年後にまた災害がありました。
今度は、戦争による空襲で、街も校舎も焼かれました。

貧しい時代にあっても、
将来の教育投資として、
自分達は不自由な生活なのに、
子ども達には最高の教育環境を整えようとした当時の人々に、
目先のおにぎりよりも、
柿の種を選ぶ「猿カニ合戦のカニ」に
例えて、お話しされました。

そして、
校歌の言葉の「人はたゆまずつとむべし」を引用され、
努力の大切さ、
努力をすれば星の様に輝く人生になる事を生徒にお話しされました。

PTA会長は「みそらの星は、われらの鑑」を引用して、
遠い星へ向かうごとき向上心、
星のように輝けとお話しされました。

泰明小学校、泰明幼稚園の益々のご発展を、
祈念いたします。
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法の真理

2008-11-22 11:36:17 | シチズンシップ教育
 現代日本では、「パール判決書」の一部分を都合よく切り取り、「大東亜戦争肯定論」の主張につなげることが、多々なされている。パールは、決して「日本無罪」と主張したわけではなく、まして、日本の植民地政策を正当化したり、「大東亜戦争」を肯定する主張など、一切していない。東京裁判の構造を痛烈に批判したものの、日本の指導者たちは「過ちを犯した」と明言し、刑事上の責任とは別の道義的責任があることを示している。
 では、パールが、真に目指したこととは、何だったのか。
 法とはあくまで真理の表現であり、現実社会に不平等が存在しようとも真理の下に人間は平等である。パールは、このような見方を「国際社会」に対して敷衍(ふえん)させた。「国際社会」を構築しようとするならば、それをまとめるための「一つの法」が必要になる。世界を西側と東側に分断するような思想・イデオロギーというものを超越した、人道と人類愛に根ざした国際法の確立をパールは、主張した。
 では、国際法の原則とは何か。それは、法が政治権力の上位概念であるということである。その時々の覇権国家の意向によって法が蹂躙され、都合よく解釈されるならば、国際法による世界秩序の維持という構想は崩壊する。
 パールは述べる。「もし力の関係において、法が左右されるとするならば、それは、一部の人間の利益のための法律であって、法の神聖は犯され、法の真理は蹂躙され、国際社会は不安と脅威におののく以外にない。そうした法律は、決して国際社会のためのものではないと、私は信じている。」
 東京裁判に見出した問題点もここにあった。パールは、日本に同情して判決書を書いたのではなく、真実を追究した結果としてのものであった。東京裁判を基礎付けた裁判所条例は、特定の権力者が勝手に作ったものであり、国際法にまったく準拠しない代物である。一部のものが政治的に創作し、一部のものだけ適用される法は、法律ではなくリンチであると断言した。パールの見方によれば、第二次世界大戦の最大の犠牲者は「法の真理」なのである。
 今後世界は、この「法の真理」を全力で取り戻さななければならない。法の正義を国際社会において確立せねばならず、東京裁判の問題も、東京裁判が犯した構造的過ちを明確に自覚しなければ、法による国際社会の秩序維持を果たすことはできない。
 当時、原爆が登場し、軍拡競争を抑制するためには、国連は脆弱(ぜいじゃく)な組織であった。もっと公正な国際機関が一括管理するような体制を整える必要から、パールは、『世界連邦』の実現を訴えた。
 国連は、緊急を要する国際問題の解決にあたって、仲間割れをして、協力態勢を促進することが出来なかった。緊急の問題だけでなく、未解決の国際問題の解決に対しても、仲間の間に協力の意思が欠けていた。国連の失敗の原因はどこにあるのか。国際秩序を維持し、問題解決を公正に行うためには、各国が特定の基本理念・基本観念を共有することが不可欠であるがそれがなかったのである。共有すべき「基本観念」とは、「国家、法律、主権にたいする観念」であるとパールは定義する。
 人間は、確かに暴力によって他者に打ち勝とうとする「動物的」な「自己保存」の精神をもっている。このような人間が、崇高な国際法をもてたとしても、果たして平和な世界を構築できるのであろうか。パールは、日本の若い青年に次のように説いた。「内在する動物的悪魔的傾向―暴力による自己保存と自己拡張―を抑制して、理性と宗教と、そして友愛の精神の中に生き抜くべきである。国としての日本が、悪魔的な暴力の道を選ぶか、理性と宗教と友愛を信じて立つか、今大事な岐路におかれている。私は日本の皆さん、ことに日本の青年諸君に、この非暴力の思想を十分深く研究してくださることをお願いする。」非暴力の道は、臆病で意気地がない意の「怯懦(きょうだ)」と誤解されがちであるが、決してそうではない。「非暴力ということは暴力以上の勇気を必要とする。日本人はこのような非暴力という勇気を持たなければならないのである。
 パールが『世界連邦』を説いてから、半世紀の歳月が経ったが、幸いにして世界は続いている。国連が、戦争を止める力はやはりなく、各地の武力衝突は、いまだ治まらない。アメリカの覇権主義がつづき、日本はアメリカに追従している。国連の平和維持への貢献に、少しでも期待をしたい。
 翻って、中央区の区政においては、共有すべき基本観念は、国際社会の基本観念に比して言うのであれば、「区民に一番身近な基礎自治体、法律、個人の主権(自立)に対する観念」でないかと思う。法律を都合のよいように解釈し、個人の権利・生活を踏みにじるような再開発を押し付けてはならないと思う。法律を盾にとって、もっと子ども達が健やかに育つ環境を実現できるはずであるのに、行動を起こさない言い訳としてはならないと思う。政治という権力で、法の精神までも冒涜することなく、区民の権利や思いや自立を守る民主主義の政治を目指して行きたい。

参考文献:『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』中島岳志著(白水社 2007年8月第一刷)
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